人材、真の意味でそう呼べる人たちが少しずつルート王国に集ってきていた。その中で何といっても大きかったのはザットとその弟子たちだった。
ザットはウェヌス一の武具職人という名声からは想像出来ないくらいに、地味な仕事を行っている。
作っているのは武具ではなく、もっぱら農具や工具。もちろんザット自らが作ることはあまりなく、弟子たちの指導に専念している状況だが、それでも出来上がってくる物は、どれもそれなりのものだった。
ザットは弟子たちを半人前にもならない駆け出しと評しているが、そもそもザットに弟子入りを許されるということは、それだけの能力を持っている者達なのだと分かった。
作られた農具や工具は、開墾や水路整備などの作業効率を一気にあげ、グレンが予定していたよりも、はるかに早く街造りが進んでいる。
グレンにとって嬉しい誤算だった。
「復興はザット殿たちの働きのおかげで、予定よりもかなり順調に進んでおります。一度計画を見直すべきべきとことで今回の会議となりました。それでは現在の状況を一度おさらいしてみます」
会議の席。ハーバードが進行を始めた。この辺の役回りはもう完全に定着している。
「まずは現在のルート王国の国民数は、二千三百二十七名となりました。内訳は元からの住民であった旧国の民が千三百五十六名、ゼクソン王国からの移住者が二百四十六名、ウェヌス王国からの移住者が百二名、軍兵士が六百二十三名となります」
「ウェヌス王国の移住者って言って良いのか? あの人たちは半ば強引に連れてきた人たちだ」
盗賊団の拠点を襲撃して、連れてきた者たちのことだ。
「全員の同意が取れております。盗賊稼業を続けるよりは遙かにマシ……」
「まあ」
「というような消極的な理由ではなく、是非ともこの国で暮らしていきたいと申しております」
「……無理にためなくても」
「申し訳ございません。そう言ってもらえると私としても嬉しくて」
これを言うハーバードの顔には満面の笑みが浮かんでいる。それだけ物事が順調に進んでいるということだ。
「それでも二千三百。人手はまだまだ足りないですね」
「はい。今後は大きく増える予定もございません。ウェヌスからの移住者、それと旧エイトフォリウムの民で各地に散った者を呼び戻すくらいでしょうか」
「……それはまだ早いです。それとウェヌス国内の盗賊退治も少し止めたい」
人手が足りないと言いながらも、グレンはハーバードの言う増員案を良しとしなかった。
「何故でございますか?」
「あまり派手に動くと噂が広がります。この場所はまだ確実に守れるという言い切れるほど出来上がっていません。それに金。収穫を超える民を養う余力はそろそろ無くなるはずです」
今はゼクソン王国からの報酬、そしてウェヌス王国軍から奪った物資でやりくりをしている。人口が増えれば消費も減る。無理が出来る段階ではない。
「そうですね。余剰を作り出す段階ですか」
「それがないと商売も出来ないから。そちらの状況は?」
「はい。ではアール、状況を説明してもらえるか?」
「はっ」
ハーバードの指名で立ち上がったのは交易担当のアールだ。
「拠点については、ご指示通りの場所に置きました。すでに相手方の窓口もそこに入っております」
「準備は出来たと。仕入の方は?」
「現在手配しておりますのは古着を中心として衣料、牛、羊などの家畜です」
「あれ? 食料は? 家畜は放牧の為だから、すぐに食糧にするわけにはいかないのですけど」
アールの報告にはグレンが指示した物資が含まれていなかった。
「それが食料はウェヌス国内で高騰しているようでして。逆に売ってもらえないかと言われました」
「食糧が高騰? また、戦争でも始まるのかな?」
食料が高騰していると聞いてグレンに思い浮かぶのは、不作であるか、軍需物資の買い占めくらいだった。
「それもあるのかもしれませんが、それ以前からの問題のようです」
「……ゼクソンとの戦いの影響が残っているわけですか」
ウェヌス王国は戦争続き。さらに負け戦が続いたことで無駄に物資を失っている。その一部はグレンの手元になるのだが。
「それとアシュラム国境にも軍を集めているようです。これは守りの兵だという話です」
「……そういう情報も?」
裏町の組織からこんな情報が聞けるのは、グレンには意外だった。
「陛下に倣ってのことのようです。情報は金になる。そのようなことを申しておりました」
「さすが。そういうことには抜け目がないな。しかし、その程度で影響が出るなんて脆くないですか?」
確かに負け続きではあるが、ウェヌス王国は大陸の覇権を握る為に戦い始めたはずだ。違う意図で動いている者がいるとしても国としては、そう思い、それが出来る準備を整えたはずなのだ。
「もう一つ理由がございます。ウェヌス軍は兵の損失を地方軍から引き抜くことで埋めておりますが、そうなれば当然地方軍も補充しなければなりません。徴兵により、地方の働き手が減ったことも少し影響しているようです」
「講和の中で捕虜は取り戻したのではないのですか?」
これを聞くグレンの視線はクレインに向いた。その辺はゼクソン王国にいたはずのクレインの方が詳しいと思ったからだ。
「全ての捕虜が返還されたわけではないのですよ」
「エステスト城砦を優先したわけか」
ウェヌス王国は捕虜よりもエステスト城塞の返還を優先した、とグレンは思ったのだが。
「いえ、エステスト城砦はゼクソンの所有のままですよ」
「はっ? どうしてそんなことに? 交渉はウェヌスが有利に進めていたはずです」
「何故と言われれば理由は分かっていませんね。つまりは、そういうことですよ」
訳の分からないまま、有利であったはずの交渉が台無しになった。公に出来ない何かの力が働いたのだとクレインはほのめかしている。
「ゼクソンにまだ仕掛けるつもりなのか。しかし、講和を結んだ後で何を……」
「それは後で。今は国内のことを考える時ですね」
そのまま思考に沈んでしまいそうになるグレンをクレインが引き止めた。
「あっ、そうか。では続けましょう。そうなると食糧か。カイル」
グレンは続けて周囲に広がる水路復旧の責任者であるカイルに報告を求めた。水路の復旧は軍が担当しており、それが出来たところから耕作地として整えていくことになる。
「はっ。私の方からは水路の復旧状況をご報告させて頂きます。南方の水路および東方の水路につきましては、ご承知の通り、ほぼ全路の復旧を終え、都内への引き込みまで完了しております。現在進めておりますのは西方の水路ですが、これにつきまして陛下の指示もあり、それほど急いではおりません」
「急いでいない?」
カイルの報告に反応したのはハーバードだ。これは自分が知るだけでなく他者へも情報を共有する為にあえて質問している意味もある。
「東と南の開墾が追いついておりません。ですから西の水路復旧にあてる兵の労力を開墾に向けております。これは基礎体力の向上調練の一環ともしております」
「なるほど」
「開墾につきましては、各ご担当者からお願いいたします」
自分の報告を終えたところで、カイルは他の担当に報告を引き継いだ。立ち上がったのはエドガーだ。
「南方開墾地区の担当をしておりますエドガーです。南方については、元より田畑がありましたので、現在はそれを都近くまで伸ばしている状況です。また一部、元あった田畑も収穫に影響が出ない範囲で作り直しています」
「作り直すとは?」
ハーバードが詳しい説明を求めた、これについては初耳だったのだ。
「一人当たりの耕作地が広がりますので繋ぎ合わせるような形で一面を広く、と申し上げればよろしいでしょうか。そういった形に変えております」
「作業効率の問題かな?」
「はい。それと植える作物の調整です。収穫時期をずらす為、それと同じ作物を同じ場所でずっと作り続けてはいけないようで」
「そうなのか?」
これも初耳。これについては知識としてだが。
「そのようです。農民の知恵というもののようで、何故と言われても説明は出来ません」
「ふむ。そういった者達がいるとやっぱり違うのだな」
人材という存在がこういうところにも影響を与えている。人の大切さを改めてハーバードは認識した。
「一代の知恵ではなく、何代にも渡って受け継がれてきた知恵です。大変為になります」
「分かった。では、次はアントン殿かな」
「はっ、はい」
ハーバードに呼ばれてアントン、盗賊の首領だった男がすごい勢いで立ち上がった。
「……また、緊張している」
「王様、緊張するなってぇのが無理ってもんで」
王であるグレンに声を掛けられて、却ってアントンの緊張は解れている。結局は王相手だからということではなく、アントンが緊張しているのは会議というこの場の雰囲気に飲まれているに過ぎない。
「良いけど。報告は分かる様にしてくれよ」
「へえ。東方は今、都に近い側から先に広げていってる。ある程度の広さが出来たら作付け。そんな感じで収穫を得ながら開墾を進める。出来の早い野菜から植えてるので、来月には最初の収穫ってとこで」
「来月?」
「まあ」
「……早いな」
思っていたのとはずいぶんと異なる早さだ。半年か一年はかかるものとグレンは考えていた。
「野菜だから。麦や米などはそうはいかねえ。作付けの時期が来たら、そっちも始める予定だ」
「なんだか怖いくらいに順調だな」
「まだだ。実際に収穫してみねえと安心は出来ねえ。ただ土は思っていたよりもずっと良い感じだ。天候さえ悪くなけりゃあ、大丈夫とは思う」
野菜が取れただけではアントンは安心出来ない。農作物の育ちが悪いような土地だと苦労ばかりになるだけだ。だが、経験からくる手ごたえはあるようだ。
「そうか。それでも農業の方は順調だな。食糧だと次は……牧畜か」
「はっ。それはまだ軍の担当です。牧畜地は北方と南東方面の二か所と定め、柵を立てている最中です。北方については、おおよそ出来上がっておりますので、いつでも受入れは可能です」
ミルコが立ち上がって現状を伝えた。牧畜そのものというより、それを行う土木工事だ。工事関係はほぼ全てが軍の担当だ。
「仕入待ちか。働く人は?」
「経験者を選んでいただきました。ただ、大規模な牧畜の経験はないということですので」
数匹、数頭を飼っていた人達はすぐに見つかった。だが、それは牧畜というものではない。
「最初から大規模にはならないだろ?」
「はい。ただ馬については、既にそれなりの数はいますので」
「……そうだな。まあ、やってみてもらうしかない」
「はい」
この方面はまだまだ人材不足だ。
「次」
「食糧関係ですと、狩猟になります。軍の方は中々上手くは行きません。騎馬に割と熟練した者を選んでやらせておりますがそれでも収獲といえるほどのものにはなっておりません」
「それは良い。狩猟というより調練だからな。本来の収獲の方は?」
「それについては私から」
手をあげたのはハーバードだった。
「担当がいない?」
ハーバードは他にも担当を持っている。それもかなり難しい仕事ばかりなはずだ。
「そこまで形になっておりませんので、今は猟師に任せ、その報告を得ているだけです」
「それもそうか。何人だったかな?」
「十二人。国の産業とするにはあまりに少ない数です」
そうはいっても二千ちょっとの人口での十二人。割合だけであれば文句を言える数字ではない。
「そうですね。獲物は多いのですか?」
「山に踏み入るなど、ずっと無かったことです。数を三倍、四倍にしても充分に食べて行けるだけの獲物はいると申しておりました」
周囲を全て山に囲まれた土地だ。山の恵みは少ないはずがない。
「そうですか……でも、いない。どうしても人手に戻ってしまいますね」
「万を養える土地に二千三百ですから」
「……それでも今は我慢か。次に移ります。都内の整備状況は?」
「はい。自分から報告いたします」
次に立ち上がったのはポール。ポールは今軍事というよりは文官のようになっている。人当りの柔らかいポールは、住民との調整役としてはぴったりなのだ。
「住居についての整備は一段落しております。収容できる住民の数は千世帯八千名程度。世帯数のほうは実際にはもっと多いのですが、兵士には兵舎を割り当てておりますので、とくに不自由はないはずです」
大きな建物の中を壁一枚で仕切るだけの造りではあっても、それなりの手間がかかった住居整備の結果は、かなり無駄が多かった。八人で住める区画に一人で住んでいる住民が多いのだ。
「世帯人数が増えて欲しいところだけど、こればかりは押し付けられないな」
原因は明らか。ほとんどが独身だからだ。結婚してくれれば世帯数はまとまり、住居はもっと効率良く使われることになる。
「恋愛は個人の自由ですし、そもそも女性の数が足りません」
「……また人の数に戻った。先を続けて」
「はっ。外壁の修復、補強に着手しております。老朽化以外で傷んでおりますのは、北の正門側だけですので、これもそれ程の期間が掛からずに済むものと見込んでおります」
「もっと正確に」
北はルート王国への入口となる。つまり敵が現れるとしたら北なのだ。その場所の修復完了時期はグレンとしては正確に把握しておきたい。
「現状の見込みは二か月です」
「……それは並行して進めてか?」
「はい。そうです。まずは外壁の修復と併せて北方を進めております。完了予定時期は外壁と同じく二か月後です」
「それが終わった後は?」
「南に着手する予定です」
「南? 何故?」
南は背面に位置する。そこを他より優先する理由が、グレンには思い浮かばなかった。
「それは……後ほど、ご説明いたします。実際にご覧になるのが早いかもしれません」
「じゃあ、そうする」
グレンとポールの会話は、これだけを聞いていると何のことか分からない。これについてはハーバードも質問はしない。軍事に関わる内容は、あくまでも情報を軍内に留める。そう決めているからだ。
「後は橋の修復ですが、これについては待ちです」
「出来そうなのか?」
「出来ると申されております」
「分かった。後は?」
「ありません」
「では次に移ろう」
これで終わり。細かい説明がないので、分からない者には全く何の事か分からない会話だった。
「次は?」
「では自分からご報告致します」
ポールと入れ替わりにセインが立ち上がる。
「じゃあ、頼む」
「はっ。採掘場についてはご報告した通り、稼働いたしました。これは申し上げづらいのですが作業者がもう少しいれば、生産量はもっと上がると思われます」
「現状の生産量だと?」
「これからの計画にもよりますが、ザット殿たちに不満を与えない程度にはなんとか」
「そうか。石炭は?」
「そちらも同様です。ザット殿たちにお渡しする分で精一杯です」
石炭の採掘場はわりとすぐに見つかった。どれほど荒れていても続く道の形跡はある。それを調べる術、というかコツを担当者たちはかなり身に付けてきた感じだ。
「それでも渡せるようにはなった。それで充分だな。ザット殿たちの生産性があがれば、それは全体に波及するからな。それ以外は?」
「山師の方が探索に出ておりますが、そう簡単にはいかないようです。鉱脈などは何年も山を歩いて、それでも見つかるかどうかというもののようで。それに御一人ですから」
「一人で山の中をずっと歩きまわっているのか?」
それで見つかるとはグレンにはとても思えなかった。ただの幸運に頼る行為にしか思えない。
「いえ。川の水、いえ土ですね。それをさらっております」
そんなはずはない。実際に一発屋的な職業であっても、当てる為のノウハウは持っている。
「……えっと」
「上流から流れてくる土に何か混ざっていないか。それを確かめているそうです。ここは周囲が全て山ですので、闇雲に登っても仕方がないそうで」
「任せるしかないな。後は何かあるか?」
「いえ、自分からは何もありません」
「全体は?」
グレンが会議室の面々を見渡していく。とくにそれに応える者はいない。
「じゃあ、アントン」
「へっ?」
応える者はいなかったのだが、グレンはアントンに発言を求めた。
「何か言いたいことがあるのだろ?」
「……まあ。でも言ってもしようがねえことだ」
「それでも言え」
どんな情報でも、それが問題であれば尚更、耳に入れておきたいとグレンは考えている。
「……分かった。開墾が順調に進んで収穫があがったとして、それでも安心出来ねえ」
「理由は?」
「ここしかねえ」
「……分からない」
「収穫なんてお天道様次第。それに害虫や病なんてこともある。ここは盆地だから、やられる時は全部やられちまいそうだ」
「……そういう事か」
天災は防げない。そうであるのにルート王国には、天災を受けた時に、その分を別でカバーする手立てがない。
「だからって何をしたら大丈夫なんてねえ。それがまた不安だな」
同時に天災を受けない場所を作るしかない。それを今のルート王国に求めるのは不可能だ。
「いざという時の食糧の確保か。さすがに外に手を伸ばす必要があるな。それでいて情報を公にしたくないとなれば……ゼクソンか。ゼクソンに使者を出してみるか」
「おっと、やっと俺の出番だな」
これまで何の発言も出来なかったガルが勢い込んで割り込んできた。
「……それはない」
「何故だ? ゼクソンと繋がりがあるのは、この中じゃあ俺くらいだろ?」
「別に繋がりがある必要はない。それに今回のこれは大袈裟に言えば外交だから、ガルは無理だろ?」
「それは。まあ外交とまで言われると。しかしだな」
結局、ガルは未だに自分の仕事に納得していないのだ。
「クレインは? ゼクソン国王との面識はあるよな?」
「それはもちろんですね。でも良いのですか?」
「かまわない。じゃあ、細かい詰めは引き続きやろう。会議としてはこれで終わり。引き続き頼む」
「「「はっ!」」」
全体としての会議はこれで終わり。各自が会議室を出て行った。その場に残ったのは、グレンとクレインだけだ。
「じゃあ、話を始めようか。ウェヌスは何を企んでいると思う?」
残ったのはクレインが思考を遮ったウェヌス王国の企みについて。遮るのは何かの意図があってのことだとグレンは思っていた。
「やはり、その話になりますか。ただ僕にも具体的な考えはないのですよ。ただおかしい。それだけは確かですね」
「エステスト城砦をゼクソンに渡したままで捕虜まで残している。金をケチったでは説明がつかない。あまりにもウェヌスにとって不利だ」
「そうですね。代わりに何をウェヌスは手にしたのか。何もないはずはないのですよ」
企みが失敗したからといって、それで大人しく引き下がるはずがない。講和交渉は挽回する機会でもあったのだ。
「……目に見えない何か。それでいて、ウェヌス王国が納得する何かだ」
それはウェヌス王国そのものも同じ。負けたからと言って、ゼクソン王国の好き勝手にさせるはずがない。ゼクソンに一矢報いたという何かを得ようとするはずだ。
「しかもエステスト城砦を超える。その様なものがあるとすれば」
「ゼクソンそのもの?」
「……陛下はそこまで考えを広げるのですね」
「それだけの謀略の才を持つ相手だと考えている。まだはっきりとは見えない。だが、これまでのことが全て謀略だとすれば、とんでもないと思う。国をまたいでの謀略を、次から次へと仕掛けてくるのだから。過大評価の危険を少々冒しても構わない」
「これだけのことを考える者がいるとなると……」
「心当たりが?」
「陛下の御母上ですね」
「はっ?」
グレンの期待は見事に裏切られた。
「僕にはそうとしか思えないのですよ」
「……俺の母親は死んだふりしているのか? だとしたら、とんでもない謀略家だ」
「それくらいしていても僕は驚かないのですよ。まあ、それは無いですけどね」
「……もしかして死体確認した?」
「はい」
あっさりとクレインは認めた。
「いつの間に……」
「殺されたと聞いてすぐに向かったのですよ。それでも少々、腐乱が進んでいましたが、その程度で僕がセシルを見誤るはずはないのですよ」
「……ちょっと複雑なのだけど」
母親の死体がどの様な状態であったのかは、あまり想像したくないことだ。
「ちゃんと手厚く弔いましたよ。もっとも、生き返って墓から抜け出したと聞いても僕は驚かないですよ」
「あのさ。俺の母親ってどういう人だった? 俺にとってはとにかく厳しい母親だったけど、そこまでの不気味さはないのだけどな」
「そうですね。僕が貴族を恨んでいるとしたら、セシルはこの世を恨んでいましたね」
「はい……?」
グレンには家族を惨い殺され方をした自分の恨みより上だとクレインは言っているように聞こえた。
「ちょっと大げさですかね。でも、幼い頃から屋敷に閉じ込められ、やっと外に出られたと思ったら何度もその身を狙われ、結局、祖国を捨てての逃亡生活ですからね。世を恨んでも不思議ではありませんよ」
「まあ……」
クレインの話に内心ではグレンは完全に共感出来ていない。だがグレンは知らない。クレインが母親の全てを知っているわけではないことを。
「ただセシルには幸いにもジンがいたのですよ。そして陛下という息子にも恵まれた。それが救いになったのだと思いますよ。絶対にあり得ませんけど、もし僕とセシルが一緒になっていたら、きっと世界を滅ぼそうなんて思ったかもしれませんよ」
「ちょっと聞くのが怖いけど、それ出来たのか?」
「……時と場所を得れば出来たと思っていますよ。セシルに対しては、かなり僕は過大評価しているかもしれない。でも銀鷹傭兵団を作り上げたのはジンではなく、セシルだと僕は思っているのですよ」
「父親は飾り?」
父親には悪いが、逆にグレンには納得出来た。母親のことは今もまだよく分からないが、父親は組織を作る、それも普通の傭兵団とは違うそれを作れるとは思えなかった。
「陛下の父親を評価するのは僭越だけどそう思うのですよ。ジンは人嫌いだけど僕が見る限りは、あれは拗ねていたのだね。それが徹底しているから影のようなものが見えたけど、本質はかなり甘い」
「……所詮は異世界人か」
「異世界人には良い印象はないのですね?」
「自分が死なないと信じ込んでいる相手に良い印象は持てない。勇者や聖女にとって、この世界の人間は自分たちを主人公とした物語の登場人物だ。俺達はちゃんと生きているのに」
「……本気でそれを言っているのですかね?」
クレインがこれを言うということは、さすがにグレンの父親はそこまでではないのかもしれない。だがそうだとしてもグレンに本当の父の姿が分かる時は永遠に来ない。
「本気も本気。自分は死なない。最後は必ず自分が勝つ。そういうことになっていると信じ込んでいる」
「だとすれば愚かなことですよ。実際に同じ勇者であるジンは殺されたのです」
「あれ? そう言えば。勇者は俺の正体を知らないのか?」
「それは分かりません。知ったとすればゼクソンとの戦いの後でしょうからね」
「それもそうか。しかしクレインがそこまで評価する母親でさえ黒幕にはうまくやられたわけだ」
敵の強さを認識し、心を引き締めるグレン。
「それはどうだか」
「ん?」
だがクレインはそれに疑念を呈してきた。
「案外、セシルは利用されているのが分かっていて、それを利用したのかもしれないのですよ。傭兵団を大きくするために利用したってことですね」
クレインのグレンの母への評価はとてつもなく高い。それが愛する故のことではないとは、グレンには分からない。
「でも母は殺されてしまった。それで傭兵団は一気にそちらに傾いたってことか」
「……その可能性はなくはないですね」
「今、考えるべきことではないな。とりあえずクレインにはゼクソンに行ってもらう。用件は交易の窓口を開くことと出来ればウェヌスとの講和条件を探ること」
「はい」
「ただし話すのはゼクソン国王とだけ。他の人は信用出来ない」
「ゼクソンにも深く手が伸びていると?」
「間違いなく。ただそうなるとウェヌスとの講和条件の真実をゼクソン国王が知らない可能性もある」
「そこまでと思っているのですね?」
講和条件を国王であるヴィクトリアが知らないなど、本来あり得ることではない。だが、グレンにはそれを疑う理由があった。
「これの前の外交でメアリー王女殿下とゼクソン国王の婚約は知らないところで進められた可能性が高い。どちらも心底望む話ではない条件だからな」
「つまり、外交をしているものが裏切っているわけですね」
「そうなる」
「心当たりは?」
「シュナイダー」
「何と? 側近も側近ですよ」
もっともあり得ない相手をグレンは疑っている。
「自覚なしに策謀に巻き込まれている可能性があるということ。実際には高官でも何でもない担当者が糸を引いている。それでもシュナイダーが何も知らずに、条約を結べるとは思えない」
シュナイダーがヴィクトリアをどう思っているかなど関係なく、一番可能性があるのがシュナイダーということだ。
「……深いですよ。そうだとすれば、ゼクソンに伸びた手は相当に深い」
「それだけの段取りが出来上がっているから動いたとも言える。そして、そうだとすれば、逆にこちらはそれを手繰ることが出来るかもしれない。危険ではある。だがゼクソンが仮にそういった混沌の中にあるのであれば隙もあるだろう。だからクレイン。貴方に行って欲しい」
「……そこまで信用を得ているとは思っていませんでした」
「裏切りと言うのは裏切りそうもない人が裏切ってこそ最大の効果を生む。そういうことかな?」
「……くっ、くっ、くっ」
グレンの台詞に一瞬、虚をつかれたような顔をしたクレインだったが、すぐにその口からいつもの笑い声が漏れた。
「面白いこと言ったか?」
「セシルが生きていたら、もっと面白かったですよ。僕は今、陛下とセシルが競うところを見てみたいと思いましたよ」
「ああ、多分負けるな」
「そうですか?」
「クレインの話を聞いていて、小さい頃を思い出してきた。俺の母親も独り言の多い人だった。俺の独り言はフローラの為だと思っていたけど、母親のせいだな」
「それは……」
「どういうつもりで母親が俺の前で独り言を呟いていたのかは分からない。でもクレインがそう言うのは、きっとそんな母親の教育の成果だ」
「つまり……子供に謀略の指南とは、セシルらしいと言うべきですかね?」
母親が呟いていた独り言は謀略を考えてのこと。自然に口から漏れ出ていたのか、わざとグレンに聞かせていたのかは本人しか分からない。
「そうだとすれば俺としては嬉しいことだ」
「おや?」
「血ではなく教育の成果ってことだから。要は努力だ。才能を褒められるより、努力を褒められる方が嬉しい」
「くっ……見事ですよ。それでこそ陛下は僕の仕える主です。その陛下のご期待に沿えるよう、頑張ってみましょう」
「よろしく」
それから、数日のうちにクレインはひっそりとゼクソン王国に向けて出立した。それが、グレンにまた新たな飛躍の機会を与えることになる。
ルート王国が、グレンの考えていたよりも遥かに早く、世の中に飛び出すきっかけに。