カマークが復興への歩みを加速させている、その裏で、王国全体はそれとは逆の方向へ進んでいた。いよいよ魔人の活動による被害が大きく、無視出来ないものになってきたのだ。
国境近辺にとどまっていた魔物の目撃情報は、徐々に王国内部に広がり、そして遂に村が襲われるという被害が出始めた。それでもまだ、その時点では魔物の数は多くなく、領地軍で十分に討伐出来る範囲だった。
だが徐々にそれが不可能になってくる。国境近辺から移動してきた魔物の集団は、他の集団との合流を繰り返し、どんどんその規模を大きくしていった。小さな村を襲っていた魔物の集団はもっと大きな村を、そして街を襲うようになり、民衆の被害はどんどん規模を拡大させていく。
もちろん領地軍もただ手をこまねいて見ていたわけではない。現れた魔物の集団を討とうと領内を駆け回っていたのだが、魔物は、その見た目にはそぐわない知性を発揮して、いくつかの貴族領を渡り歩くように移動をしていた。領地軍は他の貴族領に踏み込む事は出来ない。これを上手く突かれたのだ。結果、追っては逃げられ、引いては襲われと、良いように翻弄される始末だ。
そうしている間に民衆の被害は更に拡大し、魔物は益々その勢いを増していき、討伐が困難になるという悪循環に陥っていた。
各貴族領で個別に対応している状況ではなかった。魔物が見事な連携を見せているのであるから、王国側もそれに対応出来る討伐態勢を取るべきだった。
だがこの事態に対して、王国の反応は鈍かった。これは半分はマリアの責任だ。マリアは魔人との戦いのイベントも知っている。その知識を使って、効率的に戦いを進めようとしていた。個々の魔物による襲撃は無視して、イベントにおける戦いだけに対応を絞ったのだ。学院での攻略と同じやり方だ。
確かに魔人を倒してしまえば魔物の襲撃は止む。その為だけの戦いに集中すれば効率的だろう。その間に失われる人命を考えなければ。
マリアは未だにゲーム感覚が抜けていない。魔物に殺された人々の苦しみ、その家族の悲しみを、現実のものとして受け取っていなかった。それが王国の民衆にとっての悲劇となり、将来の禍根となる事など、想像してもいなかった。
そのマリアがようやく動き出す。イベントの時期が近づいたのだ。イベントの場所は、王国南部における最大都市であるハッカータ。そこに集結した魔物の集団が襲いかかるというものだ。
ゲームでは主人公であるマリアとその仲間たちの働きが、初めて公に認められる機会となる重要なイベントだ。あくまでもゲームでは。
すでにマリアたちは、正式に王国から支援を受ける事が決っている。公に認められるなど、今更必要ないのだ。必要なのはイベントなど待たずに、速やかに魔物の殲滅に動く事、なのだが、マリアたちはそうは動かなかった。
その結果流れた血によって、魔物の質と量が飛躍的に伸びた事など気付きもせずに。
大地に流れる血が多ければ多いほど、魔神の封印は弱まり、復活は近くなる。魔人たちが魔物を動かして人を襲わせる目的は、これにある。生け贄を捧げているつもりなのだ。
そして、魔人の封印が弱まれば、その影響下にある魔人の、そして魔物の力も強くなる。
マリアはまんまとそれを許してしまっていた。
それだけであれば、リオンにはどうでも良い事だ。リオンも物事が早く進み、魔人討伐イベントがとっとと終わるのは大歓迎だ。
だが世界はそれを許さない。リオンを何としてもイベントに巻き込もうと動いていた。
◆◆◆
カマーク城内にある謁見用の大広間。そこにカマークの領政に関わる者たちが集まっていた。会議の為ではない。王都からやってきた国王の使者、勅使を迎える為だ。
「……フレイ男爵には、以上の任務を果たす為に、速やかに参陣を果たすべし」
王都からやってきた勅使の言葉を、リオンは下座に降りて聞いていた。抑えきれない怒りに、その身を震わせながら。
いきなりカマークにやってきた勅使が告げたのは、兵を率いて魔物討伐に参陣しろという命令。しかも、ハッカータなどという、リオンが何処にあるかも知らない、全く関係のない都市の防衛の為の出陣だ。
「一つ、伺って宜しいですか?」
怒鳴り声をあげずに問いを発する事が出来て、リオンは自分で自分を褒めてやりたい気持ちだ。
「何かな?」
「どうして私が? 私はこのバンドゥを任された者。その街は私の責任の範囲外です。その街にはその街を任された方が居るのではないですか?」
「そなたの武を高く評価しての抜擢だ。ここは喜んで拝命するところではないか?」
抜擢などと、勅使だって思っていないはずだ。他領の領軍を派遣するなど、他国との戦争でもなければ、まずあり得ない。そもそも、貴族の領軍など出さなくても、王国軍を派遣するだけで十分なはずなのだ。リオンには全く納得出来ない返答だ。
「……その抜擢して頂いた方はどなたでしょうか?」
「アーノルド王太子殿下の進言を国王陛下が了承された。つまり陛下だな。光栄に思うが良い」
あえて、アーノルド王太子の名を出す必要があったのか。勅使の気持ちは良く分からない。実は本気で抜擢だと思っているのかもしれない。将来の国王陛下に認められる絶好の機会だと。
そうでないのであれば、この勅使はアーノルド王太子に悪意を持っているという事になるのだが、それは考えられない。
「参陣はいつまでに?」
「先の水の月の初日」
「…………」
リオンには勅使が何を言っているのか分からなかったが、エアリエルが後ろからそっと教えてくれた。勅使は古い暦の呼び方で日にちを告げたのだ。一月が先の陽の月、二月は後の陽の月、その後も、月、火、水、風、土と続き、先の水の月は七月となる。七月一日、これが参陣の期限だ。
「ちなみに参陣に掛かる費用は、国に負担して貰えるのですか?」
「何と? 真っ先に金の心配とは」
真っ先ではない。それに驚かれるような事でもない。バンドゥは復興が進んでいるとはいえ、まだまだ余裕があるとは言えないのだ。
勅使の反応もわざとだ。勅使が聞きたいのは了承の言葉だけ。それ以外のやり取りは煩わしいだけだ。文句を言わずに了承しろと、遠回しに告げているのだ。
「辺境の荒れ地ですので財政も厳しく。費用の負担が難しいのであれば、この件は」
だが、リオンは勅使の希望とは正反対の言葉を告げる。軍費がなければ、領軍は出せない。これは当たり前の事で、十分に言い訳になると思ったのだ。
リオンに勅命をかしこまるなどという気持ちがない事を知らない勅使の誤算だった。
「あ、いや、待たれよ。費用負担だな。陛下に伝えておく。安心するが良い」
リオンの返答に対して、慌てた様子で、勅使は軍費の問題を国王に告げると言ってきた。伝えられるだけでは安心など出来ないが、これを言葉にする事は止めておいた。勅使を完全に怒らせる事は、リオンとしても避けたい所だ。使者の機嫌を損ねた結果、無実の罪を着せられるなど、亮が読んだ歴史小説の中では良くある話だった。
この命令は受けざるを得ないのだとリオンは理解した。勅使は、どうしてもリオンに承諾させたいのだ。これで断られると自分の失態にでもなるのだろう。
「……陛下に承知しましたとお伝え下さい」
「おお、そうか、それは結構」
勅使の顔が一気に晴れやかなものに変わった。
「さて、勅使殿もお疲れでしょう? この街には、市井の者には、少し評判の良い娯楽場がございます。民衆の遊びなどで勅使殿にご満足頂けるとは思えませんが、それしか無いもので」
「そうか。それしかないか。では仕方ないな。それで我慢しよう」
勅使の顔は、我慢しようという表情ではない。カマークの噂を知っているのだ。近頃では、東部一の歓楽都市とまで呼ばれるようになった、カマークの噂を。
「では、勅使殿の案内を」
「はい」
案内に立ったのは近衛侍女の一人。白の党の者だ。その侍女の案内で、足取りも軽く勅使は、大広間を出て行った。
「……ふざけやがって」
「リオン……」
勅使の姿が見えなくなった途端に、リオンの口から絞りだすように、怒りの言葉が吐き出された。そのリオンにエアリエルは心配そうな表情で寄り添うと、そっと手を握った。
だが、握り返す手の力は弱々しいものだった。
「どうして今なんだ。まだ……ちきしょう……」
俯いたまま、恨み言を呟いているリオン。
そんなリオンの気持ちがエアリエルには分かる。ゲームの束縛から離れたつもりだった、離れて、そっと先の準備をしながら、ゲームストーリーがエンディングを迎える日を待つつもりだった。
だが世界はそれさえも許さない。リオンの考えをあざ笑うかのように、舞台に引きずり出そうとしている。その屈辱が、また負けてしまうのかという恐れが、リオンの口から漏れ出している。
だがこれは、真実を知るエアリエルだからこそ分かること。他の者には、リオンは復興途上のこの時期にバンドゥの地を離れなければならない事を嘆いているとしか思えない。
そしてこの誤解は、リオンが、これほどバンドゥの事を思っていたのかという更なる誤解に繋がる。
いずれにしろ、この場にいる全員が、リオンの気持ちを、誤解でありながらも、思い、ただ黙ってリオンを見つめていた。今は何も掛ける言葉が見つからないのだ。
――永遠とも思える沈黙の時間が、大広間に流れていた。だが当然、それにも終りが来る。リオンがゆっくりと顔を上げて、宙を睨みながら口を開いた。
「……上等だ。そっちがその気なら、俺を引っ張りだした事を後悔させてやる」
これを言う、リオンの瞳には力が戻っていた。戻るどころか、これまで以上に強い意思が宿っている。何かを決心した。これはエアリエルだけでなく、全員が感じる事が出来た。
「ブラヴォド」
「……はっ」
初めて名前を呼ばれたブラヴォドは驚いている。表情は何も変わらないが。
「手の者をすぐに目的地に送り込め。魔物の数、動向、とにかく全てを調べて、逐次報告させるように」
「御意」
「情報のやり取りを密にしたい。出来れば誰かを側につけてくれ」
「後ろに」
ブラヴォドが言葉にするのとほぼ同時に、リオンの背後に一人の男が膝立ちの姿勢で頭を垂れていた。
「……いつも居る奴だな?」
この男の気配は、以前からリオンが感じていたものだ。
「チャンドラ・シュヴァルツと申します」
シュバルツの姓を持つからにはブラヴォドの血縁者、というか息子だ。最初からブラヴォドはリオンの側に置いているつもりで、いつも近くに忍ばせていたのだ。マーキュリーが近衛としての表の守りだとすれば、チャンドラは裏の守りだ。
「分かった。よろしく頼む」
「御意」
チャンドラは、父と同じで言葉少ない男だった。
リオンはそんな事には全く興味を示す事なく、すぐに正面に向き直った。次の指示を行う為だ。
「カシス」
「はっ」
「領軍に出陣の用意をさせろ。これは戦争だ。下らない出し惜しみはやめておけ。仲間を殺したくなければな」
「……はっ」
これを言われて、出し惜しみなど出来ない。もとよりそのつもりはない。魔物相手でも、戦となれば全力で戦う。それがカシスの性分だ。
「数はどれだけ用意出来る? 余力はなし。総動員を掛けてだ」
「……千」
少し考えて、カシスは数を告げた。
「それは赤の党だけでか?」
「いえ、黒と白を除く四党の合計です」
「案外少ないな」
少ないどころではない。力を隠そうとしているのは、いつかは王国に反旗を翻す為。そうであれば、万の軍勢は居るだろうとリオンは考えていたのだ。千では、周辺領主の軍だけで潰される程度の数だ。
リオンには、カシスたちの秘密主義がなんとも馬鹿馬鹿しく感じられるのだが、今はそれを言っても仕方がない。
「その数には、領内警備の人数は入っているのか?」
「はい」
「……では、四百を選抜しろ」
「四百ですか?」
領内警備は常時二百人ほどの人数がその任務を担当している。それを引いても八百は連れていける。ついさっき少ないと言っていたリオンが、更に連れて行く数を減らそうとしている。カシスには、リオンの意図が分からない。
「四百も八百も変わらない。そうであれば、より少ない方が良い。機動力が上がるし、経費も安く済む」
そして領内警備と、魔物の討伐任務のどちらを優先するとなれば、リオンは迷うことなく領内警備を選ぶ。領地を守るのに必要な人数を確保した上で連れて行く人数を決めた結果が四百だ。
「予備の馬は? 交替で乗るのに馬は最低でも倍の数は必要だと思うが?」
「……四百であれば揃えられます」
言葉を発するのに躊躇いがあった。嘘をついているという事だ。リオンからすると、カシスは実に分かり易い。
「馬は千だ。馬の面倒を見る者を、四百とは別に用意しろ」
「千? 何故、千頭もの馬が必要なのですか?」
「目的地に到着するまでに掛かる日数を最短にする為。交代の馬と、更に何かあった場合の予備」
「……ひたすら駆けるというのですか?」
「さあ? 俺はどの程度まで馬を駆けさせ続けられるのか知らない。とにかく、最短で目的地に到着する方法を考えろ。馬の数も、それに合わせて変えても良い」
「……分かりました。しかし、どうして、それほど急ぐのですかな?」
「逆だ。出来るだけ出発を遅くしたいから、言っている。見積もりは間違えるなよ? 期日までに着けなくなるぞ」
「……はっ」
参陣に使う日数を出来るだけ少なく。リオンは、そう決めている。その為には、嫌々の出陣であっても、連れて行く数は別にして、手を抜くことなく全力で取り組む必要があった。リオンが、カシスたちを遠慮も躊躇もなく使おうとする理由はこれにある。
「マーキュリー」
続いて、リオンはマーキュリーの名を呼んだ。
「はっ、近衛兵団の準備を急がせます」
「いや、お前たちは残れ」
「何ですって!?」
まさかの命令に、マーキュリーは驚いている。それはそうだ。マーキュリーはリオンの近衛だ。出陣には、直率部隊として付いて行くのが当たり前なのだ。
「バンドゥの地を空には出来ない。誰かが守らなければならない」
「しかし、我らは近衛です!」
「だからこそだ。もっとも信頼しているお前たちだから、後を任せられるのだ」
「しかし……」
リオンの言葉は嬉しいが、やはり置いて行かれる事には納得出来ない。
「バンドゥに魔物が現れない保証はない。例え魔物が現れても、決して旅人や領民に被害は出すな。バンドゥが安全ではないと思われれば、復興の勢いは一気に萎む事になる。そんな事には決してしてはならない」
他国との安全な行路を有している。それが今のバンドゥの賑わいを支えている。これは全員が分かっている。その警護を担当しているマーキュリーは当然、誰よりも理解していた。
「……分かりました。 必ずや、ご期待に応えてみせます」
ただ残されるのではなく、重い責任を背負ったのだと知って、ようやくマーキュリーも納得した。これこそが信頼の証と素直に受け取る事が出来たからだ。
「エアリエル」
「残れなんて言わないわよね?」
間髪入れずにエアリエルはこう返してきた。顔には笑みが浮かんでいるが、リオンにはこれは絶対に逆らってはいけない時の笑みだと分かる。
「……分かった」
死ぬ時は一緒に。そう誓ったからには、危険な戦場こそ、一緒に行かなければならない。そう、リオンは自分を納得させた。
駄目だと言っても、最後は自分が折れる事になるのは分かっている。
「じゃあ、私もっ、と。遠出なんて初めて。ワクワクするなぁ」
エアリエルが同行するなら、近衛侍女である自分もと。いつもの軽い調子でヴィーナスが声を発してきた。だが、この希望が叶うことはない。
「ヴィーナスは残れ」
「ええっ? どうして?」
「はっきり言うと、白の党は戦場では足手まといだ」
「そんな……」
呆然としても、反論は出来ない。バンドゥ六党とは呼んでいても、黒と白は他の四党とは異なり、間者集団であって、戦場での働きを得手としていない。更に、芸と色を武器にして働く白の党の者たちは、個の戦いでも特別に優れている訳ではない。
「マーキュリーと共に領地を守ってくれ。領軍が出陣なんてして領民たちが動揺しないように工作も頼む」
「……はい」
悔しさはあるが、ヴィーナスは、リオンの言葉を受け入れた。今の自分には文句を言う資格がないと思ったからだ。足手まといと思われる自分が悪いのだと。
「ジュン、オクト。出陣に必要な糧食や備品の用意を」
「ああ、分かった」
「仕入れについては、フォルスにも相談してくれ。俺が聞いている限り、オクスかハシウ王国から仕入れた方が安い物もあると思う」
「そうなのか?」
「恐らくは。最新の情報はフォルスが持っている。だから相談してくれ」
まだ情報集めくらいだが、レジスタの活動は隣国にまで広がっていた。
「分かった」
「そうだ。セプト」
「俺?」
「ああ。隣国に出兵を伝えてくれ。それと万一、バンドゥが魔物に襲われる事になった場合の援軍要請も」
「……他国にそんな情報を流して良いのか?」
出兵で領地が手薄になる事を、わざわざ他国に伝える意味がセプトには分からない。
「問題ない。仮に領軍が全ていなくなっても、攻めて来ないだろ?」
「……それもそうか」
仮に隣国が、隙を突いてバンドゥの地を奪ったところで、すぐに王国に滅ぼされるだけ。セプトの心配は無用のものだ。
「そうであれば、きちんと伝えておいた方が良い。実際には、国境の警備を手薄にするつもりはなくてもな」
「なるほど。礼儀を示すわけだな」
隣国であるオクス王国とハシウ王国との関係を、もっと親密なものにするというのはバンドゥの外交方針だ。こうしたやり取りは悪い事ではない。
「そういう事。それに万一、援軍要請を受け入れてくれたら儲けもの。こちらも安心材料が出来る」
「では交渉は急いだほうが良いな。書状は? 領主名で出すのが良いと思うが」
「すぐに用意する」
「分かった」
「とりあえずはこんな所か。全員すぐに動いてくれ」
「「「はっ!」」」
これから、およそ一月後、バンドゥ領軍は出陣した。各党の色をそのまま鎧兜に使うという、何とも派手な出で立ちで。
バンドゥの党首たちは分かっていなかった。お手伝い戦程度に考えていたこの出陣がバンドゥの名を国中に知らしめる機会になる事を。