ジグルスが率いる勢力、アイネマンシャフト王国の参戦はリリエンベルク公国における戦いを複雑にした。といってもそれを仕掛けたジグルスにとっては当然、複雑なんてことはなく、かつリリエンベルク公国軍は、それを率いるリーゼロッテが新たに参戦してきた勢力の正体について、少なくともその中にジグルスがいるだろうことを察しているので、敵味方の切り分けに困ることはない。そうでなくても、ブラオリーリエに攻めてくるのが敵なのだ。見誤りようがない。
唯一、この状況で困っているのは魔王ヨルムンガンドの勢力だ。ヨルムンガンド自身がどう考えているかはこの時点では分からないが、軍を率いている大魔将軍たちが当惑しているのは間違いない。
「……増援が必要なのは分かる。だがどの軍を送れば良いのだ?」
ブラオリーリエ攻略を担当しているオルグからの増援要請に対して、ローズルは渋い顔だ。
「どの軍でも良い。今の数ではとにかく足りないのだ」
「どの軍でも良いと言われてもな……」
ローズルは他の大魔将軍たちに視線を向ける。
「我が軍は止めておいたほうが良い」
その視線を受けて闇王軍を率いるアンナルが、自軍が選ばれることを否定してきた。
「……寝返られては困るからな」
彼等が恐れているのはジグルス勢力への寝返り。闇王軍は混成部隊で魔人だけではなくドワーフ族やエルフ族がいる。エルフ族は、ジグルスの母であるヘルと共に魔人軍に加わった者たちがほとんどだ。もっとも寝返る可能性が高い人々と考えるのが普通だ。
「万一がある。可能性は低くても、警戒するべきだな」
アンナルも寝返りを恐れているのだが、口ではこういう言い方をする。寝返りは率いる将の統率力のなさを示すもの。可能性を否定することはさすがに出来ないが、統率力がないことも自ら認めたくないのだ。
「……そうなると選択肢は三つ」
大魔将軍ヴァーリが率いている巨人系魔人を中心に編成されている巨王軍。大魔将軍エイルが率いている死王軍。そして大魔将軍ヘズが率いる龍王軍のいずれかだ。
「俺の軍には……」
ヴァーリが躊躇いながら口を開いた。巨王軍には前魔王バルドルの種族であるアース族がいる。裏切りを心配するのであれば、巨王軍も同じだ。
「彼等に同族意識はないはず」
アース族は所属というより部族、もっといえばただの呼称のようなものだ。彼等は魔人の中でも特別な集団なのだ。
「そうかもしれないが……」
それで寝返る者が出たらどうなるのか。ヴァーリは自分が責任を問われることを恐れている。
「……魔王様は軍の再編が必要なのではないかと考え始めた」
「再編?」
「獣王軍は裏切りによりその数を減らし、空王軍はまるまる寝返った。他軍も戦いの中で数を減らしている。再編が必要だと考えるのは当然だ」
「まさか、軍の集約を?」
数が減った軍を再編するとなれば集約。そうなれば指揮官、大魔将軍の数も減らされる可能性がある。
「どう再編するかはまだ何も決まっていない」
どう再編するか、再編そのものを行うかどうかも、これからの戦い次第。ローズルは遠回しにこう言っている。ヴァーリにブラオリーリエ攻めを引き受けさせる為の軽い脅しだ。
「……リリエンベルク公国内で戦うのは良い。だが戦うにしても裏切り者たちとの戦いを優先すべきではないのか?」
ジグルスと彼に従った魔人たちを討つ。それが出来れば寝返りの心配をする必要もなくなる。
「拠点が分かるのであればそれでも良いと思うが?」
「……良いのか?」
「どういう意味だ?」
ヴァーリは自分で提案しておいて、ローズルがそれに同調すると疑問を投げかけてきた。ローズルにとっては意味が分からない反応だ。
「以前、魔王様は積極的な戦いは避けろと言われた。それに逆らうことになる」
「それは……その時とは状況が違う」
「そうであったとしても魔王様の口から直々に命令を発してもらうべきだ。魔王様は、その……考えを変えられることが、まれにある」
魔王ヨルムンガンドはまったく反対のことを言い出すことがある。状況が変わったとは思えない時でもだ。それ事態に文句を言うつもりはヴァーリにはないが、行動を起こすにあたっては明確に魔王ヨルムンガンドの命令が欲しい。ヨルムンガンドの考えが先々変わるにしても命令に反したわけではない、という形にしたいのだ。
「……伝えておく」
「では次の軍議には必ず出席してもらえるのだな?」
「それも伝えておく」
「……場所を教えてもらえれば俺が出向いて伝えておくが?」
ローズルに面倒事を任せるのは申し訳ない、なんて気持ちからの言葉ではない。ヴァーリは、ヨルムンガンドとの窓口役を独占しようとしているローズルに軽く嫌味を言ったのだ。
「それには及ばない。それに俺だって場所を知っているわけではない」
「では、どうやって伝えるつもりだ?」
「…………」
「隠すつもりか?」
「そうではない……こちらに用があれば魔王様のほうから現れるのだ。恐らくは……これはあくまでも想像だが、魔王様にも冥夜の一族のような存在がいるのではないか?」
少し躊躇いながらもローズルは自分の考えを口にした。躊躇いは、こんなことを勝手に話して良いのかという不安が生んだもの。想像が事実であれば、ヨルムンガンドの秘密を話したことになりかねないのだ。
「……そうか。分かった」
ヴァーリもこれ以上、深く追求して良い話題ではないと考えて、話を打ち切ることにした。ローズルの推測が正しければ、今この瞬間もこの会議の内容は監視されているかもしれないのだ。
「いつでも動けるように準備は進めておけ」
「それを決めるのも魔王様だ。お前ではない」
「……そうだな」
大魔将軍たちの間には微妙な空気が流れている。これまでも功績を競い合い、場合によっては足を引っ張るなど、決して仲が良いと言える関係ではなかったのだが、今はさらに誰か一人が突出することに警戒心を向けるようになっていた。
テゥールが殺され、ナーナはその殺した相手であるジグルスに付いた。大魔将軍は六人となり、この先さらに再編によって数を減らされる可能性が出てきた。魔王に次ぐ地位を得るには、ここで振り落とされるわけにはいかないのだ。
この競争意識は果たして魔王陣営にとって良いことなのか。その疑問を口にする大魔将軍は一人もいない。実際は考えている人はいるのだが、あえて口にすることをしないのだ。
現体制を良いと思わない者にとってはそのほうが、都合が良いのだから。
◆◆◆
魔人軍の大魔将軍たちが迷走している中にあっても戦争は続いている。現場指揮官に関して魔人軍には大きな問題はない。大魔将軍よりも優秀と言える人物も少なくないのだ。
魔人軍全体の目下の作戦は魔王ヨルムンガンド自らが命令として発したもの。正確にはフェンの提案をほぼそのまま受け入れ、魔王の勅命としたものだ。
キルシュバオム公国およびラヴェンデル公国には必要最低限の戦力だけを留めて、ゾンネンブルーメ公国に集中させる。実際は余剰戦力は生まれているのだが、それをローゼンガルテン王国に気付かせない程度の大軍でローゼンガルテン王国の都に向かって進軍させている。
この急激な魔人軍の戦略変更にローゼンガルテン王国は困惑している。魔人軍の意図がまったく読めないのだ。
「現在の状況を報告します」
軍議の席。王国騎士団長が戦況の報告の為に席から立ち上がった。
「ゾンネンブルーメ公国を進軍中の敵は、途中にある街や防衛拠点には目もくれず、王都に向かって直進しております」
「止められないのか?」
「こちらも思い切って、多くの拠点の守りを放棄して戦力を集中させております。足止めは完全に出来ているとは言えませんが、進軍の足は遅らせておりますし、敵戦力を確実に削っております」
ローゼンガルテン王国も、魔人軍の進軍を止める為にゾンネンブルーメ公国にいた戦力を集中させて、対応している。その結果として、戦況は決して悪いものにはなっていない。
「止められるのかと聞いたつもりだが?」
だが国王は王国騎士団長の説明に納得していない。これまでの戦いも決して状況は悪くなかった。善戦していているという報告だったのだ。リリエンベルク公国での戦いを除いて。
「……完全に殲滅するのは正直申し上げて難しいと思います。戦いが厳しいということではなく、先ほど申し上げた通り、魔人軍は拠点の制圧を行うことなく、ただただ都に真っ直ぐに向かってきております。敵を殲滅するだけの戦いを行う時間がないのです」
「ではどうするつもりだ?」
「王都の手前、出来ればゾンネンブルーメ公国を抜けてすぐの地点に最精鋭軍を揃えて迎え撃ちます」
「花の騎士団か……」
花の騎士団はすでに王都に呼び寄せている。王国騎士団長の説明内容は国王も分かっていたものだ。
「他の部隊も迎撃にあてます。王都を目指してくる魔人軍の動きに当初は驚きましたが、結果として中央に控えていた軍を大きく動かすことなく戦場に送れます。我が軍にとっては好都合です」
中央の守りとして置いていた王国軍は、一部はリリエンベルク公国との領境の守りに動員されたが、多くはただ待機していただけだった。その遊軍となっていた戦力を戦場に投入出来るのは悪くないと王国騎士団長は考えている。
「……その戦いで勝つことが出来るのであればだ」
万一、負けるようなことになれば王都が戦場になる。ローゼンガルテン王国としては危機的状況だ。
「必ず勝ちます。さらに進軍してきた大軍を殲滅出来れば、戦局は我が国勝利に大きく動くことでしょう」
戦力、兵数の差を一気に縮める絶好の機会。これに成功すれば、これまで苦しんでいた自軍の戦力分散は解消される。戦況は確かにローゼンガルテン王国勝利に大きく傾く。王国騎士団長の説明通りに展開すれば。
「……ゾンネンブルーメ公国からは何か言ってきているか?」
「……拠点の守りを放棄したことについて、強く抗議してきております」
前向きな発言を行っていた王国騎士団長の表情が途端に曇る。
「そうだろうな」
ゾンネンブルーメ公国から見れば、王都の守りを優先させて王国軍は公国の守りを放棄したということになる。その見方は王国全体ではなくゾンネンブルーメ公国のことだけを考えたものであるが、公爵家とはそういうものだ。
「ある程度、戦力を削ったあとは敵の進軍の足を遅らせるような戦いを止めることも必要かと」
魔人軍がゾンネンブルーメ公国から出てしまえば文句も言われなくなる、なんて考えはゾンネンブルーメ公爵家を馬鹿にしたものだ。実際には王国騎士団長が言うような魔人軍の完全殲滅など出来るはずがない。敗走した魔人軍はかなりの確率で、来た道を戻ることになる。ゾンネンブルーメ公国領内に戻るのだ。
それが分からないほど、ゾンネンブルーメ公国は馬鹿ではない。
「……キルシュバオム公爵家はどうだ?」
国王も分かっているので、あえて王国騎士団長を追及することはしなかった。勝たなければならないのだ。どのような犠牲を払ったとしても。
「ゾンネンブルーメ公国に比べれば」
「それでも文句を言ってきたか……公国の対応については……宰相はまだ戻らないのか?」
大事な会議であるのに最初は参加していない。もちろん無断で欠席しているわけではない。優先すべき仕事があり、それを終えてから参加することになっていた。
「……揉めているのでしょうか?」
「キルシュバオム公爵本人であればそれもあり得るが、相手は正式な立場としては王国騎士だろう?」
宰相は花の騎士団団長の、この場合はキルシュバオム公爵家の人間としてだが、エカードと話し合いを行う為に、会議への参加が遅れているのだ。それほど揉める相手とは国王には思えない。
「それでもキルシュバオム公爵家の人間であり、その意向を受けて宰相と話し合いの場を設けたのですから……」
「ふむ……まだ若いとはいえ、機嫌を損ねるわけにはいかんか」
キルシュバオム公爵家の人間としてだけでなく、王国騎士団における最強部隊を率いている指揮官としても軽視出来ない相手だ。
「公国との問題を解決する最上の方法は勝利を得ることです。それしかないと思います」
「……そうだな。今は次の戦いに集中するべきか。分かった。王国の未来は次の一戦にかかっているといっても過言ではない! 必ず勝利を手にするのだ!」
「はっ! お任せ下さい!」
王国の未来をかけた戦いが始まろうとしている。だがそれは国王が思う形とは異なるものだ。
◆◆◆
宰相は花の騎士団団長であるエカードとの話し合いに赴いていた。だがその話し合いの内容は宰相が想定したものとは異なっている。もしそれを宰相があらかじめ知っていたら、決してこの場には現れなかっただろう。あくまでも正気の宰相であればであって、実際はそれさえも許されなかっただろうが。
「……さあ、正直に話して。ローゼンガルテン王国は何を企んでいるの?」
「……そ、それは……な、何も……」
ユリアーナの問いを受けた宰相は、苦しそうな表情で企むがあることを否定する。
「ひどいわ。私に隠し事をするのね?」
「ユ、ユリアーナ、それは……いや、しかし……」
「モーリツ、私のことが嫌いになった? ずっと会えないでいたから忘れてしまったのかしら?」
「……わ、忘れてはいない。き、君との……あ、あれは……」
言葉を濁すモーリツ宰相。彼にはまだかろうじて理性が残っている。やり取りを唖然とした顔で見ているエカードの前で、ユリアーナとの関係について声にしない程度には。
だが抵抗も限界だ。すでに一度、モーリツはユリアーナに心を支配されている。ユリアーナの望みを叶える為に、宰相という地位を利用するくらいに。
「忘れていても良いわ。すぐに思い出させてあげるから。だからモーリツ……正直になって」
「ユ、ユリアーナ……」
モーリツ宰相の瞳から正気の色が失われていく。ユリアーナの誘惑に耐えきれなくなったのだ。
「……まぁだ。まずは正直な貴方に戻って」
伸ばされたモーリツ宰相の手を押し返し、焦らすユリアーナ。もちろん、エカードがいるこの場で始めるわけにはいかないのだ。
「王国は魔人との戦いを利用して、公国を滅ぼそうとしている。これは事実ね?」
「……ほ、滅ぼす、だなんて」
「でも何かしようとした?」
「……公国の力を弱めることは考えた」
とうとう宰相は答えを返してしまう。ユリアーナが望む答えを。
「でもリリエンベルク公国は滅びたわ」
「リリエンベルク公爵は厄介な人物だ。公爵家の中でもっとも危険な人物と言っても良い」
あくまでも王国にとって。それも公国の力を弱めることで王国の力を強化しようと考えた場合だ。もっとも宰相がそう考えているだけで、実際にそうとは限らない。
「だから見殺しにした」
「……王国の為だ」
最初から考えていたことではない。だがそれが出来る機会を宰相は手にしてしまった。
「ゾンネンブルーメ公国も滅ぼそうとしているわ」
「そこまでは考えていない。リリエンベルク公国を併合すれば、王国の力は絶対なものになる。三公国が束になってかかってきても敵ではない」
「……私たち、いえエカードたちを亡き者に出来ればでしょ?」
「……ま、まあ」
王国騎士団における最強部隊と言われるようになった花の騎士団。その花の騎士団の主力が公国側にいれば、確かに「敵ではない」とまでは言えない。そう思って宰相はユリアーナの問いを肯定した。
「これは国王の命令なのね?」
「い、いや、それは……」
「貴方は王国の為と言ったわ。それは国王の為に働いたということでしょ?」
「……そ、そうだ」
ユリアーナの聞き方だと否定は出来ない。宰相が正気であれば、また違ったであろうが。
宰相から望む答えを得たところで、ユリアーナは視線をエカードに向けた。
「聞いた通りよ。裏切ったのは王国が先。それでも悪を正すことを躊躇うのかしら?」
「……悪を正す」
「そうよ。一つにまとまらなければいけない大事な時に自分の利を優先し、仲間を裏切るような人に任せて良いはずがない。そんなことでは魔人との戦いには勝てないわ。違う?」
「……そうかもしれない」
「人々の為に立ち上がらなければならないわ。私たちの手で悪を倒し、この国に平和を取り戻すの。それが私たちの使命。その為に私たちは今の時代に生を受け、仲間になったのよ! エカード、そうでしょ!?」
「……ああ、そうだ。人々の為に、俺たちは戦う」
「戦いましょう! 正義の為に!」
正義の為ではない。王国の裏切り、これを理由として反旗を翻そうと考えたキルシュバオム公爵家は、自家の利益の為に争いを起こそうとしているのだ。それこそユリアーナの言った一つにまとまらなければならないこの時に。
だがそんなことはユリアーナにはどうでも良いことだ。彼女にはそれを助ける理由がある。彼女もまた正義ではなく、自分の望みを実現する為に動いているのだ。