銀狼兵団の駐屯地。
グレンたちは調練を本格化させていた。兵士は経験、能力に応じて細かな班に分けられており、その班ごとに調練内容が決められている。
やっている事はどの班も地味な基礎訓練ではあるが、その内容は元ウェヌス国軍の兵士たちにとっても、ブランクなど関係なく厳しいものだった。
「足を止めるな! とにかく前に進め!」
調練場の中央ではグレンが外周を走っている兵士たちに檄を飛ばしていた。
今走っているのは、第八班から第十班の三百人。走り始めて一刻近くになる。すでに兵士たちには走る力はなく、ただ立って足を前に出すだけで精一杯という様子だ。
「腕を止めるな! とにかく振れ! もう駄目だと思っても振れ!」
そして調練場の中央付近では、素振りの鍛錬。第一班から第三班がそれを行っている。罪を犯して強制労働に従事していた者たちが多くを占めており、それに軍歴の浅い兵士やローズの仲間も加わっていた。素振りとは言っても、それも又、すでに半刻は続いている。
彼等も又、誰もが剣を振りあげるだけで一杯一杯という状態だ。
そして残りの班はというと、調練場であるのに肉体労働に従事していた。
山と積まれた木を重い斧を振るって薪にしている者たち。薪とは違った形で加工された細い丸太を、これもまた必要以上に重そうな大槌で地面に打ち付けている者たち。調練場の土を掘り返して、それを運んでは小山を作り上げている者たち。
あちこちで様々な労働が行われていた。
「よし、休憩! 休憩だ!」
グレンの号令の声に兵たちは、次々とその場に倒れ伏していく。それと入れ替わる様にして、調練場を駆け回っているのは、水桶を持った女性たちだ。
少し休んで動ける様になった兵から順番に、その水桶から水を飲んだりかぶったりしている。そんな調子ではあっという間に水桶は空になる。そしてまた、女性たちは水を汲みに戻っては、兵たちの下へ運ぶを何度も繰り返すことになる。
これはこれで大変な重労働だ。グレンの侍女とされた女性たちにとっては不幸でしかない。
「どう? 少しは慣れたか?」
「……親分。こんなのに慣れるわけねぇでしょうが」
「親分って。せめて団長と呼んでくれ」
「そうでした。しかし……ウェヌス軍ってぇのは、こんなきつい事をしてるんですかい?」
「まあ。少なくとも俺がいた中隊ではやっていたな」
「はあ……」
「まだ始まったばかりだからな。もう少ししたら楽になる。それまでの辛抱だ」
「何てこと言って、これに慣れたらもっとひでぇのが待っているのですよね?」
「あっ、分かる?」
「やっぱり……」
「それで生き残る確率が増えると思えば耐えられるだろ? と言うか耐えてくれ。俺は出来るだけ兵の皆には死んでほしくないから」
「へいへい。分かりやした。何とか頑張ってみますよ」
「ああ、頑張って」
休憩の間は、こうやってグレンは多くの兵士と話しをするようにしている。彼らにとって、かなり辛い調練であると分かっているからだ。特に元国軍兵士以外の者たちにとっては、いつ投げ出してもおかしくない内容だ。
それを何とかグレンは纏めなければいけない。寄せ集めであるこの軍は、ちょっとしたことで統制が崩れてしまうと分かっているからだ。
一通り、兵士たちの間を回って様子を確かめると、休憩の終了を宣言して鍛錬を再開させる。走っていた班は労働に、素振りをしていた班は走り込みといった感じで、やることを変えてだ。
午前に二刻、午後にも二刻。それが毎日の日課だ。兵たちには五日に一日、休養日が与えられる。それが厳しい調練を続ける兵たちにとっての救い。グレンがいた採掘場以外では、日の出から日の入りまで休むことなく作業をさせられる。休養日なんてものもない。
それに比べればマシ。こういう思いが兵士たちを支えていると言っても良い。
そしてもう一つ。兵士たちを支えているのは、グレンの在り方だった。
グレン個人の日課はというと日の出前に起きだして、自らの鍛錬を始めている。兵が行っている鍛錬の比ではないキツイものだ。兵が調練場に集まる頃には、全身汗と泥にまみれて倒れているなど珍しいことではない。
午後の鍛錬を終えてからも休むことなく、事務仕事をしていることも兵士たちは知っている。いつ寝ているのかと思うほど、遅い時間まで部屋の明かりはついたままだ。
それだけではない。食事も全て兵と同じ。侍女がいても、グレン個人の為に働かせることはなく、団全体の雑務に全てを向けさせている。
客将とはいえ、兵団を率いる将軍の生活とは思えない質素さだ。
唯一、兵たちがグレンを妬むことがあるとすれば、それはローズの存在くらいだが、それも妬みというよりも羨ましいという気持ちの方が正しい。
そしてそれも、グレンが家族を呼ぶことや他にも兵の為に色々と要求した話が知れると、兵思いの良い将だという評価の方が強くなっている。
グレンは少しずつ、だが確実に兵士たちの気持ちを掴んでいっていた。
そんな毎日を過ごしていたグレンが待ちわびていたものが駐屯場に到着した。
「へえ、まさか全ての要求に応じてくれるとは思いませんでした」
「要求しておいて、それは無いだろう? かなり他の将の反発があったところを何とか調達したのだ」
「それは大変でしたね。とりあえずは御礼を申し上げます。どこから聞きましょうか。やはり家族のことですね。希望者はどれ位でしたか?」
「正直あまり多いとは言えない。刑罰を受けた時点で縁を切ったつもりの家族も少なくなかった。そうでなくても別の街で生計を立てている家族は多い。それを捨ててとまではいかない」
駐屯地では稼げない。兵の給金は出るが、それを頼りに今の生活を捨てるのは、それなりに覚悟がいることだ。
「……まあ、そうでしょうね。ただ残念に思う兵が多く出ますね。それをどうするか……」
シュナイダー将軍の説明を聞いて、グレンは困った表情を見せている。
「そこまで考える必要はあるのか? 家族を呼ぶことを申し出ただけで十分だと思うが」
「実際に会わせてやれないのでは意味がありません。そうですね。会いに来ることが出来るのであれば、それを許可して頂けますか」
移住は無理でも会いに来るくらいであれば可能かもしれない。こう考えてグレンはシュナイダー将軍に許可を貰えるように頼んだ。
「まあ、それは構わないだろう。移住を許可して面会を許可出来ないということはないからな」
「それと会いたくないという家族に手紙を渡して頂けますか?」
グレンの要求はまだ終わりではなかった。
「手紙?」
「兵士が伝えたい言葉があるなら、せめて手紙くらいはと思いまして」
「字など書けないだろう?」
元は犯罪者。まともに教育を受けた者がいるとはシュナイダー将軍には思えない。だが、こんなことはグレンにも分かっている。
「自分が代筆します」
「……そこまでするのか?」
「そんな大変な仕事ではありません……多分」
「……分かった。家族に届けさせよう」
代筆まですると言って、グレンが頼んできたこと。それを拒否する理由はシュナイダーにはない。
「ではお願いします。用意した手紙はどうすれば?」
「私に渡せばよい」
「……いつまでいるつもりですか?」
代筆が一日二日で終わるとはグレンは思っていない。それを受け取るというシュナイダーは、しばらく駐屯地にいることになる。
「いて欲しくなさそうな言い方だな」
「はい。いて欲しくはないですね」
グレンは正直な気持ちを口にした。
「何故だ? やましいことでもあるのか?」
「逆です。シュナイダー将軍にやましいことがないかの見極めが出来ておりません」
「私にやましいことなどない」
「そうだとしても、それを信じられるまでは、あまり情報を知られたくありません」
情報秘匿。グレンがシュナイダー将軍の滞在を嫌がるのはこれが理由だ。
「……何を疑っているのだ? 正直、私には見当もつかない」
「ですから、それは言えないと」
「そういうわけにはいかない。それが万一にも陛下に危害が及ぶようなことであれば、それは何としても防がねばならない」
グレンが何かを疑っているのは間違いない。そうであれば、その情報はゼクソン国王の耳に入れるべきことだ。シュナイダー将軍の立場ではこう考える。
「……では、こちらから質問しても良いですか?」
「どうしてそうなる?」
「自分の中でも確たるものがないと言うのが話せない理由の一つでもあります。漠然とした状態で余計なことを話しては混乱させるだけですから。ですから少し裏付けを取れないかと」
「……良いだろう。質問とは何だ?」
「何故、ウェヌスと同盟を結んだのですか?」
「それは策に嵌める為に」
「最初からそうだったのですか? 初めは戦わなくて済めばという気持ちで本気で同盟を望んでいませんでしたか?」
シュナイダー将軍の答えを否定するグレン。グレンの頭の中にある仮設ではそうでないはずなのだ。
「……確かに。最初はそうだったな。陛下はまだ若い。国を纏めきるには時間が必要だった」
シュナイダー将軍はグレンの想定通りの答えを返してきた。
「必要だったではなく、今も必要とされていますね?」
ゼクソン国王が完全に臣下を統制しているとはグレンは思っていない。
「……その通りだ」
「では何故、ウェヌスを策に嵌めることになったのでしょう?」
戦う気がなかったゼクソン王国をその気にさせた理由があるはず。グレンはこれを知りたがっている。
「それは陛下とウェヌスの王女の婚約などという話が出るから」
「つまり、婚約はゼクソンから申し入れたものではなかった?」
「当然であろう。ウェヌス王国の王女を王妃にしては影響力が大きすぎる」
「そうですか……そうなると婚約話はウェヌスが持ち込んだのですね?」
「そうだな」
「本当に?」
またグレンはシュナイダー将軍の答えに疑問を示す。
「何が言いたい?」
「こう言っては失礼ですが、ウェヌス王国のただ一人の王女であるメアリー王女殿下をゼクソンとの外交の為に使うでしょうか? 婚姻という手段を使って、友好を図りたい国は他にあると自分は思います」
ウェヌス王国にとってゼクソン王国は、メアリー王女を輿入れさせて友好関係を図らなければならないほど、脅威ではない。
「……認めたくはないが、その通りだ」
「まあ、婚約は成立したわけですから、ウェヌスが望んだのかもしれません。でも、どうも自分には腑に落ちません。ウェヌスとゼクソンの同盟話は何かがおかしい」
「どこがおかしいのだ?」
「嵌り過ぎています。何故、ウェヌスはゼクソンを信用して、標的をアシュラムにしたのでしょうか? アシュラムを攻めるのに、ゼクソン領を経由するなどという今思えば小手先の策をあえて使ったのでしょうか?」
「小手先なのか?」
「小手先です。最初からゼクソンとアシュラムの二国と同時に戦うつもりで考えれば良かったのです。それでもウェヌスは勝てる可能性が高かった。動員したのは二万三千の軍勢ですよ?」
二国を同時に相手にしても勝てる力がウェヌス王国にはある。それだけの力の差があるからウェヌス王国は他国への侵攻に踏み切ったのだ。
「……数では連合してもかなわないか。しかし、軍の質は我が方が上だ」
「ウェヌスはそうは思っていません。自分たちの軍が最強だと思っている」
「そうだとしても……まだ分からない。嵌められたのはウェヌスだ。我が国は勝った。それで何を疑うのだ?」
「一勝しただけです。ウェヌスを滅ぼしたわけではない」
「それでも」
それでもゼクソン王国としては快挙だ。シュナイダー将軍は、策は成功したと考えている。このグレンとの認識の相違は、立場の違いも少し関係している。
「失礼ですが、視野が狭すぎます。もう少し、ウェヌス側の状況を考えるべきです」
グレンはウェヌス王国の人間だった。ウェヌス王国の状況はシュナイダー将軍よりもずっと正しく理解している。
「ウェヌス側に何がある?」
「一度敗戦したからと言って、ウェヌス王国が傾いたわけではありません。体勢を立て直して、また攻めて来るでしょう。今度は策など使わずに正面から堂々と」
「それは何度も聞いた」
「ではウェヌスで何が起こったかは?」
「……勇者が軍を握った?」
「惜しいですね。正しくはトルーマン元帥とゴードン大将軍、軍の実力者二人が同時に失脚した、です。そして勇者が軍を握ったように見えますが、果たして本当にそうでしょうか? 実は別の人間が握ったのではないですか? 勇者はそういった権力闘争を行う気もないし、出来る力も才覚もありません」
大将軍の座は健太郎にとっては棚ボタだ。グレンはこれが良く分かっている。
「まさか、軍の権力を握る為に自国の軍を負けさせたと言うのか?」
「断言はしません。最初に言ったはずです。まだ漠然としていると」
「…………」
シュナイダー将軍にとっては常識外れの考え。だが、ここまでのグレンの話を聞いていると、完全には否定出来なかった。
「少しは何を疑っているか分かりましたか?」
「……我が国にウェヌスに通じている者がいる、そう思っているのだな?」
今回の戦争の全てが謀略の舞台であるなら、ゼクソン王国側にも裏で糸を引いていた人物がいたはずだ。グレンの話はずっとこの可能性を匂わせていた。
「その可能性がある、です。それも断言は出来ません」
「そんな馬鹿な……」
「あくまでも可能性です。ただ自分は疑り深いので、それが間違いであると確信出来るまでは、信用することはしません」
「…………」
ゼクソン王国軍の者たちをグレンは信用することはしない。その状態でグレンは戦争を戦おうとしている。
これもまたシュナイダー将軍にとっては常識外れの考えだ。
「理解して頂けたようですね?」
「しかし、私は」
「まあ、シュナイダー将軍は信用出来る方だと思っています。今までの驚き様が演技でなければですが」
「……試したな」
「当然です。ただ情報を提供して何の意味があるのですか?」
情報を提供するからには、それに見合ったものが必要だ。この場合はシュナイダー将軍がどこまで信用出来るか確かめること。これはある程度成功した。
「……私は母国を裏切るような真似はしない」
「そう思っていないのに、そうしている場合もあります。シュナイダー将軍はあまり、この手の話は得意ではなさそうです」
「…………」
「もう一つ聞いてもよろしいですか?」
「何だ?」
「これはちょっと違う話です。銀鷹傭兵団はいつ戦いへの協力を申し出て来たのですか? それともゼクソンから雇いたいと言い出したのでしょうか?」
ゼクソン王国軍ではない銀鷹傭兵団が戦争に参加するには、何らかの契約があったはず。そのきっかけをグレンは知りたかった。
「こちらからではないな。だが、いつかは分からない」
「それ調べて頂いて良いですか?」
「……彼等も疑っているのか?」
「まあ」
「……恨みか。しかし、恨みに思うのはいくらなんでも酷くないか? 彼らに妹さんを救う義務はない」
「そうだとしても、自分は彼らを恨んでいます。そういう気持ちは、人に言われたくらいで消えるものではありません」
グレンが銀鷹傭兵団の情報を求めているのは、ただ恨んでいるからではないのだが、これについてはシュナイダー将軍に話すことは止めておいた。
シュナイダー将軍は疑いが少し晴れただけであって、グレンにとって信頼出来る相手ではないのだ。
「そうだな……」
「まあ、気が向いたらで良いです。それを知ったからって、何ということはありませんから」
「分かった」
銀狼兵団の駐屯地をシュナイダー将軍が離れたのは、それから五日後だった。
兵士からの家族への手紙を用意するのにそれだけの時間がかかった。家族から移住を拒否された者がそれだけ多かったということだ。そういった兵一人一人から、グレンはじっくりと話を聞いて、それを手紙にしてシュナイダー将軍に渡した。
その手紙の厚さに又、シュナイダー将軍は戸惑ってしまう。
自分もそれなりに兵のことを考えているつもりだった。だが、駐屯地で見るグレンと兵士たちの関係の深さは、とても自分のそれが及ぶものではない。
だからといって、それを真似出来るとも思えない。シュナイダー将軍には他にやることが多くある。兵士との関係構築だけに時間を費やすわけにはいかないのだ。
それがまた、シュナイダー将軍に何とも言えない思いを抱かせていた。
◆◆◆
ゼクソン王都の会議室で、猛虎兵団のアルノルト・ゼークト将軍がゼクソン国王に向かって、対ウェヌス戦の戦術案の説明を行っている。
「ウェヌス王国が侵攻してきた場合、迎え撃つのはやはりセベス丘陵地帯が最適かと思います」
「理由は?」
「起伏の激しいあの場所は、ウェヌス王国の騎士団の騎馬部隊を封じ込めるにはもってこいです」
ゼクソン王国軍にも騎馬部隊がないわけではないが、ウェヌス王国軍相手では数が違い過ぎて太刀打ち出来ない。戦場は騎馬部隊を出来るだけ無力化出来る場所であるべきだ。
「つまり、アシュラムの助力は請わない。そういう事で良いのだな?」
ゼクソン王国の騎馬部隊の不足を補うのがアシュラム王国軍だ。騎馬部隊での戦闘を避ける作戦案を提出するということは、アシュラム王国軍を参戦させないということになる。
「はい。万全の準備を整えて臨めば、我が軍だけで十分に対応は可能と思います」
「そうか。良いだろう。その方向で具体的な策を考えろ」
「はっ!」
「他に何か意見のある者はいるか?」
「銀狼はどうされるのですか? 今回も奴は出席していない。あれは本当に戦う気はあるのですかな?」
ゼクソン国王の問いに声をあげたのは、猛牛兵団のゲイラー将軍だった。グレンとはどう考えても相性の悪そうなゲイラー将軍ではあるが、だからこそグレンのことが気に懸かるのだ。
「ハインツ。見てきたのであろう?」
「はっ。調練は変わらず基礎訓練です。実戦的な調練は未だに行われておりません」
「……要求物資は届けたであろう?」
馬、弓など実践的な訓練に使うであろう物資は全て届けてある。それでまだ基礎訓練しか行っていないという状況はゼクソン国王には不満だった。
「それを使った調練までは確認出来ませんでした」
「そうか……やはり、間に合わぬか」
「それは……」
ゼクソン国王の反応に何かを言いかけたシュナイダー将軍だが。
「何だ? 何かあるのか?」
「いえ。何もありません」
ゼクソン国王の問いを受けても、何も話すことはしなかった。
「……ムダ金を使ったようだな。まだ敵が動き出したわけではないが、あまりに酷いようであれば、考えねばならんな」
「今すぐに解散させても良いかと思いますが?」
こう言ってきたのは飛燕兵団のオットー・ジルベール将軍だ。彼もまた、グレンには良い印象を持っていない。
「……そうは言ってもな。では、荒鷲兵団はどうなのだということにならないか?」
荒鷲兵団もまだ実戦に投入できる状況ではない。
「それは……しかし、新兵だけを集めた荒鷲と、他国とはいえ兵役の経験がある銀狼とを比べるのはどうでしょうか?」
「それも一理あるか。だがな……」
文句を口にしながらも、本音ではゼクソン国王は銀郎兵団を解散させたくないのだ。それを行えばグレンはゼクソン王国を去ることになる。
「こうしては如何でしょう?」
今度は荒鷹のリュック・ハンマー将軍だ。
「何だ?」
「期日を決めて試験をしてみるのはいかがですか?」
「試験?」
「ゼクソン軍恒例の兵団対抗演習。そこで銀狼の実力を確かめてみるのです。使うに値しないとなれば、そこで解散ということにすればよろしいかと」
「……ふむ。悪くないな。ではいつにする?」
「一月後では?」
「少し早いな。三か月後にしよう」
「……お優しいですな」
ゼクソン国王は三か月の猶予を銀鷹兵団に与えたことになる。これをハンマー将軍は軽く皮肉っている。
「あれは半年を一区切りのように話していた。三か月後であれば、その半年を超える。言いわけも出来ないであろう」
「なるほど。そうでしたか。では三か月後に」
「では対戦相手は是非、我が猛牛兵団にお任せください」
ゲイラー将軍が対戦相手を申し出てきた。これには他の誰も文句は言えない。二人の間に軋轢があるのは周囲も分かっているのだ。グレンが聞けば否定するとしても。
「……良いだろう。ハインツ、次に行くときにグレンに伝えておけ」
「不要です」
「何?」
「対抗戦の為の調練。そんなことをグレン殿が行うはずがありません。ですから、伝える必要はありません」
「……お前がそう言うのであれば。では、今日の会議は終わりだ」
「「「はっ!」」」
「ハインツ、お前は残れ」
「……はっ」
兵団の将軍たちが会議室を出て行く中、シュナイダー将軍は一人その場に残った。
二人きりになったところで、ゼクソン国王が口を開く。
「お前もグレンは不要だと思っているのか?」
「いえ、その様なことはありません」
「では何故、グレンに対抗戦のことを伝えようとしない。いきなり実戦演習ではさすがに厳しいのではないか?」
ゼクソン国王としてはグレンに負けてもらっては困るのだ。
「先ほど申し上げた通りです。グレン殿は対抗戦の為の調練など致しません。グレン殿の中でいつを区切りと考えているか分かりませんが、その時に向かって、今やるべき事をやるだけでしょう」
シュナイダー将軍の言っていることは正しい。グレンであれば間違いなくそうする。
「……まだ基礎調練と言っていた」
「はい」
「俺でも分かる。それだけで軍は戦えない。陣形や部隊としての行動訓練が必要なはずだ」
「それは一部の兵を除いて身に付けております。調練をするにしても、その者たちだけで良いはずです」
銀郎兵団のかなりの数の兵は、すでに実戦を経験している兵士だ。部隊としての行動は身についている。だからこそ、グレンは捕虜を自分の兵団の兵士にしたいと申し出たのだ。これだけが理由ではないにしても。
「……そうだったな。元はウェヌス国軍の兵だ。では、ある程度は戦えるか?」
「それはどうでしょう?」
少しほっとした様子のゼクソン国王の問いをシュナイダー将軍は否定した。
「まだ問題が?」
「本気を出さないのではないでしょうか?」
「何だと?」
「まだまだ少ない接点ですが、何となくグレン殿が分かってきました。彼は実に慎重な男です。だから、手の内は最後の最後まで見せないと思います。見せたように見えても、それは本当のことを隠す為のものに過ぎない。そういった慎重さを持っていると思います」
これも正しい。シュナイダー将軍はグレンの性質をよく把握している。ただ、これはゼクソン国王よりも多くの情報を持っているからだ。
「……ウェヌスでもそうだったのだな。実力を出来るだけ隠していたと聞いた」
「ウェヌスの時はただ目立ちたくなかったのでしょう。今とは違います」
「何が違う」
「これはここだけの話にして頂けますか? 未だ何の確信もないものです」
「……何だ?」
ゼクソン国王の表情が引き締まる。シュナイダー将軍がこんな言い方をするとなれば、ただ事ではないと分かる
「ウェヌスに通じている者がいるかもしれない。それを疑っているようです」
「何だと!?」
「証拠はありません。だから、断言はしないと本人も言っておりました。そして疑いが晴れるまでは信用することはしないとも言っておりました」
「慎重……なるほどな」
ゼクソン王国内部の者を疑っているのだ。手の内を隠そうとするのも当然だ。
「対抗戦で恐らく銀狼兵団は勝ちません。そうであっても解散などは決してお考えにならないでください」
「……本当の実力を知っているのか?」
シュナイダー将軍の言い方だと、銀狼兵団はわざと負けると言っているように聞こえる。それは銀狼兵団の強さを知っているということだ。
「いえ。私にも隠していました。見せられた調練は普段とは違うものです」
「見ていないのに何故、それが分かる?」
「こっそりと侍女に聞きました。普段の鍛錬はこんなものではない。倒れるまで調練をしていると言っておりました」
「そうか……捕虜はともかく、罪人はよく耐えているな」
「罪人とはもう呼べません。彼等も立派な兵士です」
「そうなのか?」
「私にはそう見えました。調練中のメリハリのある行動のあり方は、すでに兵士です」
基礎訓練ばかりと聞いていたが、すでに軍としての形になっている。考えているよりも鍛錬がずっと進んでいることをシュナイダー将軍の話は示している。
「……ひとつ聞いて良いか?」
「何でしょう?」
「その兵たちの忠誠は誰に向けられている?」
「…………」
ゼクソン国王の質問にシュナイダー将軍は黙り込んでしまった。これが答えだ。
「そうか、グレンか。なるほどな。あれの意図が一つ分かった。あれが言った勇者軍と同じだ。自分の言うことだけを聞く兵団を作りたかったのだな。だから捕虜や罪人を自軍の兵にした。つまり、最初から自分だけで戦うつもりだったのだ」
「……はい」
「まあ、普通であれば、謀反を画策しているのではなどと考えるところだが、あれには不思議とそういう心配はない。これは間違っているか?」
「いえ、正しいお考えです。勇者を倒す。この一点の目的の為にグレン殿の全ての行動がある。私もそう思っております」
「そうか。それは良かった。もう一つ聞いて良いか?」
「何でしょうか?」
「俺はあれに優るか?」
「何を仰いますか!? 陛下はゼクソン国の王。客将と比べるような存在ではありません!」
今度の質問にはシュナイダー将軍は全力で否定の言葉を口にした。だが、この反応もまたゼクソン国王には異なる答えを示しているように思えてしまう。
「……そうだな。あれは客将に過ぎん。だがその客将に俺は敗北感を覚えた」
「……陛下。陛下はまだお若い。これから経験を積み、賢王となれば宜しいのです。陛下にはその素質は十二分にございます」
これを言ったらグレンも若い。グレンがこの先、経験を積めばどうなるのだということになる。
「そうか……では頑張ろう」
だが、ゼクソン国王はそれを口にすることはしなかった、シュナイダー将軍の反応が分かりきっているからだ。
それにこんなことを悩んでも意味はないと分かってもいる。
シュナイダー将軍の言った通り、グレンの頭の中にはウェヌス王国との、勇者が率いる軍との戦いしかない。その為だけにグレンは全力を傾けているだけなのだ。