――ローズの正体はソフィア・ローズ・セントフォーリア。大陸を統べていたエイトフォリウム帝国の皇族。
執事の衝撃の告白からグレンが立ち直るには、長い時間を要した。ようやく口を開いて出来てきたのは。
「嘘ですよね?」
否定の言葉だった。執事が嘘をつくわけがないと分かっていても、こう言うしかない。
「嘘ではありません。事実です」
「大陸を統べていた?」
「はい。大陸の辺境を除くほぼ全土はエイトフォリウム帝国の領土でした」
「皇帝の血を引く者?」
「そう申し上げました」
「…………」
そしてまた、グレンは黙り込んでしまう。ウェヌス王国でさえ大国だと思っているグレンにとって大陸全土を統べていた国など想像の外にあることだった。
「そんな驚かないでよ。遠い昔の話よ。私が生まれた時にはもう国なんてなかったのだから」
「そうだよな……正直聞いたことがないのですが?」
エイトフォリウム帝国という国の名をグレンは始めて聞いた。大陸全土を統べていた帝国があったというのも初耳だ。
「滅びたのはグレン殿が生まれる前。そして帝国が帝国としていられたのは、それから更に二百年以上も前のことですから」
「それでも噂くらいは」
「帝国の件はある意味、禁忌なのです。特にウェヌス王国にとっては」
「どうしてそんなことに?」
「一から説明しましょう。エイトフォリウム帝国が大陸を統べて帝国となったのは、もう四百年以上も前の話です」
こう言って執事はエイトフォリウム帝国について説明を始めた。
エイトフォリウムの国名の由来は東西南北に更に四方を加えて、八つに分割して統治を行っていたことから来ている。八つの領地にそれぞれ王がいて、皇帝はその八王を統べる立場にあった。
広い大陸を統治するには中央だけでは目が届かない。その為にかなりの権限を王に与えて統治をさせていたのだ。国王と貴族の関係とそう変わらない。規模を大きくし、与えた権限が少し多いだけだ。
「……分かりました。その各王が反乱、独立をした」
国王と貴族の関係となれば、グレンの頭に浮かぶのはこれだ。
「そう単純ではありません。八王国内部でそれぞれ反乱が起こったが正しいですね」
「そうなのですか? それに対して帝国は何をしていたのでしょう?」
「それを治める力を失っていたから、王国内で反乱が起きたのです」
平和な時代が長く続いたことで、帝国は軍事力の強化をおざなりにしていた。帝国にそれなりの権威があった頃は良かった。一つの王国で反乱が起きれば、他の王国にそれを治めさせればそれで済んでいた。
だが帝国の力が弱まり、相対的に八王国の力が強まった。そうなるともう帝国の言うことなど八王国は聞かない。
「八王国それぞれで反乱が起こり、それに対する反乱がまた起こる。国はいくつにも分裂して、大陸全土が戦乱に包まれました。エイトフォリウム帝国はそうして崩壊していったのです」
「……それが二百年前ですか?」
「内乱の時代はそれなりに長かったのですが、そう考えて構いません」
「でも、よく存続していましたね?」
執事はエイトフォリウム帝国が滅びたのはグレンが生まれる少し前のような言い方をしていた。力を失った元盟主国が、二百年近くもよく残っていられたものだとグレンは不思議に思った。
「勝手に王になったとはいえ、その多くは元々帝国の臣下でありました。それに帝国に認められたと騙って王になった者も少なくありません。滅ぼす大義名分もない。そういった理由で形ばかりとはいえ、それなりの敬意は払われていたのです」
「それを打ち破ったのがウェヌス王国だったと」
「元々ウェヌス王国は早くから帝国に反抗心を見せていた国だったのです。今、ウェヌス王国が大陸のほぼ中央にあることでウェヌスが何をしたかお分かりでしょう?」
大陸を統べていたエイトフォリウム帝国の領土は当然、大陸中央にあった。その場所にウェヌス王国が存在するとなれば答えはほぼ決まっている。
「帝国を追い出して国を建てた。領土を奪って王都を移したでしょうか?」
「後者です。そしてわずかな領土を与えて、帝国をそこに移した」
「そこまでしても滅ぼさなかったのですね?」
グレンの疑問はまだ解けていない。
「禅譲という形にして他国の批判を躱そうとしたのです。他国の批判に真っ向から立ち向かえるほど、当時のウェヌスには力はありませんでしたから」
エイトフォリウム皇帝が自ら、その立場をウェヌス国王に譲った形だ。そこに皇帝の本当の気持ちなどあるはずがない。実態は簒奪で、形だけ整えただけだ。
「でも力を手に入れた」
今のウェヌス王国は一国の例外を除けば、多くの国の批判をはね返せる力がある。
「帝国の力を手に入れたことによってです」
「その力を失っていたのではないのですか?」
「帝国の力とは魔導です」
「……そういうことか」
他国に比べてウェヌス王国が最も優れているのは魔道技術だ。それはウェヌス王国が自ら生み出したものではなく、エイトフォリウム帝国が受け継いできたものを奪い取っただけだった。
「帝国もそれほど愚かではありません。魔導を独占することで、王国を牽制していたのです。ある程度は王国にも提供していましたが、それは暮らしを楽にする程度の技術。戦争には使えません」
「また分からなくなりました。その力を持っていて何故、帝国は王国を統べる力を失ったのですか?」
「技術は何代も残せても、使える者は残せませんでした。原因は伝わっていません。とにかく魔導を使える魔力を持つ者が生まれることが減ったようです」
「……ウェヌスもそうか。魔道士団なんていっても実戦には投入出来ない。補充がなかなか効かない部隊と聞いています」
この世界全体が魔力を失おうとしている。ただこれはグレンだけでなく、この世界の全ての人々が分かっていないことだ。
「そうなのでしょう。だが少なくとも技術は貴重です。それによってウェヌスは他国より優位に立ち、力を強めていった。今はもう魔導などなくても強国と呼ばれる存在です」
「……では、何故、帝国を滅ぼすような真似をしたのですか?」
一度は存続させておいて、全く脅威がなくなったところで滅ぼしてしまう。ウェヌス王国がこれを行った理由がグレンには思いつかなかった。
「それも魔導です」
「何かあったのですか?」
「いえ。何かあると邪推したのです。帝国は秘儀を隠している。それを奪い取ろうと」
「あったのですか?」
「あるはずがない。そもそも帝国の魔道士はほぼ全員がウェヌスに奪われました。帝国に残っていたとすれば古文書の類です。そこには確かに魔導について書かれておりますが、そんなものはとっくの昔に別の書物に書き起こされて研究され尽くしておりました」
「ウェヌスにはそれが分からなかった?」
あまりにもずさん。それで国を滅ぼしてしまうなど愚行としか思えないのだが。
「邪推した理由はあります」
「その理由とは?」
「一人の天才が帝国に生まれたのです。深窓の魔女と呼ばれたその女性は、帝国に残されていた魔導について独学で研究して、それを形にしていきました。しかも、それを驚くべき技量で使いこなしてしまった」
過ぎたる力は身を亡ぼすではないが、国の体裁も保てないような帝国に、そんな天才が生まれたことは不幸だった。
「その人の存在が隠された魔導があるとウェヌスに思わせた」
「はい」
「その人は?」
「亡くなりました」
「ウェヌスに殺されたのですか?」
「殺されたのは確かですが、それがウェヌス王国の意志と言えるかは、はっきりしません。ウェヌスと言えばウェヌスですが」
執事の説明ははっきりしない。
「よく分かっていないのですか?」
「ウェヌスの貴族に殺されたと聞いております」
「そういう事ですか。国の意思ではなく、私怨かもしれない」
執事の言っている意味が分かったつもりになったグレンだが、伝えたいのはこれではない。
「まだ気が付きませんか?」
「えっ?」
「グレン殿の母上です」
「…………」
まさかここで母親が出てくると思っていなかったグレンは驚きで言葉を失ってしまった。
「深窓の魔女と呼ばれたセシル殿は貴方の母親です」
「……何か分かってきた。なるほど。俺はそれを教わったのか」
子供の頃から頭に叩き込まれた複雑な紋様。今ではそれは魔道術式だと分かっている。分かった時は何故、こんなものを教えたのか疑問に思ったが、母親は自分の知識を受け継がせようとしていたのだ。
「教わったのですか?」
「小さい頃からずっと。もっとも教わっていた時は何を教わっていたか分かっていませんでした。使ったことはなかったと思います。ただ術式を頭に叩き込まれただけ……ああ、展開はしたか。宙に浮かぶ模様を面白がっていた記憶はあります」
「そうですか。それはまた……」
どこまで受け継いでいるかは執事には分からないが、それがわずかでも驚くべきことだ。
「でも深窓の魔女って。母親までそんな恥ずかしい通り名を持っているとは」
「それはグレン殿の祖父のせいです」
「はい?」
今度は会ったことのない祖父が出てきた。
「セシル殿は幼い頃からそれは美しい女の子で」
「そうでしょうね。母上は俺が知る限り、フローラと一、二を争う美人だ。つまり俺の家族は世界で一番美人です」
「……グレン殿のそれは祖父譲りですか」
「何がですか?」
「娘可愛さのあまり、貴方の祖父は変な男が寄り付かないようにと離れの館に閉じ込めてしまったのです」
「……監禁ってことですか?」
「はい。それで館の中での退屈しのぎにと、様々な書物をセシル殿に与えました。魔導の類も」
「それを独学で?」
「だから天才と言いました。それとなくそれが噂になり、深窓の魔女と呼ばれるようになりました。そして成人となり外に出る様になったセシル殿は、噂通りの実力を見せつけた。だが、それをウェヌスに知られてしまったのが帝国の不幸でした」
「……何か、すみません」
エイトフォリウム帝国が滅ぼされたのは自分の母のせいだった。まさかの事実を知って、グレンはどう反応して良いか分からない。
「いえ、別にセシル殿が悪いわけではありません。どちらかと言うと舞い上がった周りが悪いのです。黙っておけば良いのに、あちこちで自慢げに話すから」
「そうですか」
「そういうことでグレン殿は姫の臣下筋にあたるわけです。それが主筋である姫を愛人扱いするとは……」
執事の視線がまた厳しさを取り戻した。
「恋人、恋人です!」
「そうだとしても!」
「話が逸れていますから!」
今はローズとの仲についてよりも話したいことがある。母の過去などグレンは全く知らなかったのだ。
「……そうですね。この話は後でゆっくりと致しましょう」
「するんだ」
「します。そして話を続けます。ウェヌスが最初に企んだのはセシル殿を攫うこと。それはセシル殿の力もあって撃退しました。しかし、いつまでも退けられるとは限らない。それに自分がいることで帝国に禍をもたらすと考えたセシル殿は自ら帝国を出る決心をしました」
「そうですか」
「それで、たまたま帝国に滞在していた勇者と二人で行方をくらませた」
「……はい? 今、何と?」
また驚きの、今度は聞き間違いであって欲しい言葉が執事の口から飛び出してきた。
「勇者と二人で旅に出たのです」
「……まさか、その勇者って」
「ジン・タカノ、グレン殿のお父上です」
「…………」
母は魔道の天才で父親は勇者。これもまた、どう反応して良いかグレンには分からない。
「大丈夫ですか? 顔が青ざめてきています」
「……それは知りたくなかったな」
本当は父親が何者かはおおよそ分かっていた。ただそれを受け入れたくなかっただけだ。だが今、執事の口からはっきりと事実を告げられてしまった。
「そうですか」
「俺の中には異世界人の血が半分流れている。あの勇者と聖女と同じ血が」
「半分はこの世界の血です」
「そうですけど……俺の力は異世界人の血のおかげですね。自分の努力の成果ではなく」
持って生まれた才能、地位、お金。グレンは自分にはそんなものはないと思い、それを恨み、妬み、そんな悪感情を努力する力に変えて頑張ってきた。
「……少しはあるかもしれませんが、全てではありません」
「そうだとしても……知りたくなかったな」
他人から見れば何をそんなにと思うのだろうが、グレンにとっては自分の過去の生き方を否定されたようで、堪らなく嫌だった。
「グレン……」
「……ちょっと一人にさせてもらって良いですか? 頭の中を整理したくて」
「そうですか……まだ話はありますが、それはまたにしましょう。急ぐ話ではございません」
「そうして下さい。それで……」
一人になれる場所をグレンは尋ねた。
「奥の部屋をご自由にお使い下さい。我らはここで待っております」
「……はい」
茫然とした表情のまま、力ない足取りでグレンは奥に入っていった。その背中をローズは心配そうに見つめている。グレンの背中が見えなくなったところで、その視線が執事に向いた。
「どうして、こんなことを話すのよ!?」
「いつかは知る事実でございます」
「そうかもしれないけど!」
「変な者の口から伝わるほうが余程問題です。よろしいですか? グレン殿はウェヌスと戦うと決断されました。しかし、それを悪い方向に利用しようと思うものが出ないとも限りません。それに倒すべき勇者は、グレン殿の口から出た通り、父親と同じ異世界人なのです」
「…………」
「グレン殿も覚悟を決める必要がございます。どんなことにも揺るがない覚悟を決める必要があります。そうでなくて、どうして我らはグレン殿に命を預けられますか?」
「……どうして、私にも教えてくれなかったの?」
執事の話のほとんどはローズも今日初めて聞いた内容だった。
「姫はそれを望まれているではありませんか。私は執事です。国のことよりも仕える主のことを大事に考えております。姫が、血や出自に関係なく、人を好きになりたいと考えていたことは知っております。そして姫はグレン殿を選ばれた。選ばれたのであれば、姫もまた、何を知っても揺るぐことはないはずです」
グレンもローズもお互いに真実を知って、その上で、これからを共に生きる覚悟を決める必要がある。背負うものは大きいのだ。執事はただ秘密を明らかにするだけでなく、これを伝えたかった。
「……そうね。貴方の言うとおりね」
「出立の準備は我らで進めておきます」
「ありがとう。私はグレンのところに行くわ」
「今は何も」
「何も話すことはなくても、側にいたいの」
「……分かりました」
そしてローズもグレンを追って奥の部屋に入っていった。
◆◆◆
建物の奥の部屋。とにかく真っ直ぐに進んで突き当たった部屋で、じっとグレンは立ち尽くしていた。勇者の息子であったこと。これはグレンにとって、どうしても認めたくない事実だった。幼い頃から厳しい鍛錬を課せられてきた。両親が亡くなってからは、フローラを守る為にと、更に自分なりに工夫しながら鍛錬を重ねた。
強くなったと思えるようになった。それは先の戦いで証明されている。
それが異世界人の血によるものだということが、どうしても許せない。自分が積み上げてきたことが、全て崩れ去ったような思いに襲われている。
だが、どんなに否定しても、それが事実なのだとグレンには分かっている。
ある日突然、数段自分の力があがった。それは健太郎に腕を切り落とされたのがきっかけだ。結衣の回復魔法の効果かと考えた時もあったが、そうでないことはもう分かっている。
力だけではない。使えないはずの魔道も、その日以来、使えるようになっていたのだ。
では何故、腕を切り落とされたことでまるで解放されたように力が上がったのか。
その理由も分かっていた。幼い頃より腕にはめられていた腕輪のせいだ。
裏に魔導術式が描かれている腕輪。グレンには解析できないが、それは力を押さえる為、封印する為の魔導術式なのだろうと考えている。
天才と呼ばれた母であれば、それくらい創り上げてもおかしくはない。
一つずつ、ゆっくりと時間を掛けて事実を確認していく。
こうやって気持ちの整理を付けていた。自分は異世界人の血を半分受け継ぐ勇者の息子、それを頭ではなく心に認めさせる為に。
これが出来る自分も異世界人だからなのか。そんな思いが頭によぎる。そうなるとまた、心の中に勇者の息子であることを否定する気持ちが広がっていく。
また、やり直しだ。
最初から、幼い頃の記憶も辿りながら一つ一つ事実を確認していく。
父親の言動、母親の言動、王都に出てきてからの様々な経験。その結論はやはり自分には人が持たない特別な力があるということになる。
では、どうすれば良いのか? 自分がこれまでやってきた努力を否定するのか?
答えは否だった。
特別な人間は世の中に多くいる。自分の母親がそうであったように、異世界人でなくても天才と呼ばれる人はいるのだ。
そういった人々は、何の努力もなしに、その才能を開花させたのか?
答えは否だ。
才能を活かすのは努力。やはり努力は必要で、自分がやってきたことは無駄ではなかった。
では、これからどうするのか?
異世界人の血を引く自分はどうするのか?
血が何だと言うのだ。フローラと血の繋がりはなくても自分にとっては大切な家族だった。異性として見ていた自分がいる。それでもフローラは大切な妹だった。
そうであれば体に流れる血など関係ない。自分の生まれ育ったこの世界で為すべきことを為すだけ。ただ自分の信念に従うのみ。
グレンの瞳に強い光が戻った。
「よし、大丈夫だな……お待たせ」
振り返って、ずっとただ黙って見つめていたローズに声を掛ける。
「大丈夫みたいね?」
「ああ。整理はついた。ちょっと無理やりだけど、時間が経てばもっと固まると思う」
「強いわね?」
「弱いよ。自分が弱いことを知っているから、それを超える方法を懸命に考えてきた。何年もかけて身に付けたのが今やっていたこと」
全てを投げ出したくなったことは何度もある。どうして自分ばかりがと事実以上に境遇を嘆いたこともある。
だが、そういうところは決してフローラには見せたくなかった。自分の中で様々な苦悩を解決する為に、いつの間にかグレンは、こんな方法をとるようになっていた。
「ご両親が亡くなってから?」
「そう」
「勇者と天才魔道士の息子か。とんでもないわね、君って男は」
「自分だって。大陸を統べていた皇帝の末裔? とんでもないな」
「そんなの関係ないわよ。私は私」
「そうだな。俺は俺だ」
二人の顔に少し照れたような笑みが浮かぶ。お互いにとんでもない秘密を抱えていた。それが何故だか気恥ずかしかった。
「グレン。君は特別な人。その血や力ではなく、私にとって特別な男性なの」
「それって恋人って意味だろ?」
「そう」
「でも良い表現だ。俺はローズのそういうところが好きだ」
ローズは言葉一つでグレンの気持ちや見方を変えてしまう。背負ったものの重さを感じなくさせてくれる。グレンにとって救いだ。
「私の何が好き?」
「体」
「君は私の体に夢中だものね」
「体を重ねる時はただの男と女だから」
「そうね」
時には背負った荷物を降ろす時が欲しくなる。そんな時もローズはグレンを助けてくれる。
「でも心にも夢中だ。ローズの気遣いが俺はたまらなく嬉しい」
「そうかな?」
「そうだよ。ローズ、俺はローズをフローラの様に大切にしない」
「……分かっている」
グレンの言葉に少し落ち込んだ表情を見せるローズだが。
「ローズの命は俺の物だ。自由に使わせてもらう」
「……えっ?」
思っていた意味と違っていたことに気付いて、ハッとした表情をローズは見せる。
「ローズに対して、俺は傲慢な男になれる。他の女性には見せられない身勝手さを見せられる」
「ズルい」
「こういったズルさも見せられる」
「……でも、嬉しいかな」
グレンがそういうところを見せるのは自分だけ。この確信がローズにはある。
「ソフィアって良い名前だな」
「そう?」
「そう思う。響きが良い。ローズも好きだけどソフィアも好きだ」
「ああっ? 浮気だっ」
「ローズがローズであってもソフィアであっても好きだってこと」
「それは嬉しい」
「さあ、行こうか。いつまでも待たせておくと悪い」
動揺が治まったどころか、心の中に温かさまで感じている。気持ちが晴れたのであれば、次の行動、出発の準備を急ぐべきだ。
「抱きしめてくれないの?」
「それを今やると。それだけで収まらないような。しかし考えないとだな」
「何を?」
「どうやって、あの爺さんの目を盗むか」
「あっ……」
これからは執事たちも一緒だ。いつでも二人の時間とはいかない。
「近くで絶対そんなこと出来ない。そうかといって爺さんがローズから目を離すとは思えない」
「……確かに」
「おほん!」
噂をすれば影。この場合は二人の会話の声を聞いて様子を見にやってきたのだが。
「やっぱり……」
「もう大丈夫のようですね?」
「はい」
「では、参りましょう。馬の手配をしておきました」
「ああ、それはどうも。そう言えばまだ話はあるって」
執事の話を中断させて、一人の時間を貰ったことをグレンは思い出した。
「……それは後でも」
「この際だから全部聞いておきます。驚きは一度で済ませたほうが良いので」
「そうですか。では手短に」
「はい」
「フローラ殿ですが」
「フローラ? フローラにも何かあるのですか?」
自分とローズだけでなくフローラにも秘密があった。驚きの表情を見せているグレンだが、驚くにはまだ早い。
「フローラ様は姫の妹君です」
「「…………」」
絶句。二人の反応はそれだった。
「やはり後のほうが宜しかったですか?」
「……嘘じゃないのですよね?」
「もちろん。まだ幼いフローラ殿を盗賊のアジトのような場所には置いておけないと。それでジン殿に預かって頂くことにしました」
「ローズ?」
グレンはローズに視線を向けた。だが一緒に驚いているローズが知っていたはずがない。
「知らないわよ。そもそも私に妹?」
「その……亡くなられた御父上が、別の女性と」
フローラはローズにとって腹違いの妹だった。フローラには罪はないが、ローズとしては気分が良いものではない。
「……亡国の皇族のくせにそういうことは抜かりないのね」
ローズの怒りは父親に向く。
「いや、御母上は亡くなられておりましたし、血筋を残すことは大切と言えば大切なことで。姫は一人娘でありましたので、万一があっては」
執事は懸命にローズの父親をフォローしている。臣下として、新たな伴侶を持つことを勧めた立場なので共犯なのだ。
「……最低」
「しかし臣下にとっては、やはり皇家の存続は希望ですので」
「もう良い……妹か。道理で気が合うと思った。競い合っているはずなのに不思議に邪魔に思えなかったしね。でも驚きね……ねえ、大丈夫?」
ローズが納得している横でグレンは頭を抱えてうずくまっていた。
「ち、ちょっと頭の整理を」
「驚きは私のほうが大きいと思うわよ?」
「だって、俺は姉妹を同時に好きになっていて」
「あっ……」
「俺って最低だ。姉妹をなんて。でも良かった、手を出さなくて。いや、良かったのか? こんな言い方はフローラに悪いような。でも姉妹と関係を持つなんて……あっ!」
狼狽えてあらぬことを口走ってしまったグレンに、執事の厳しい視線が突き刺さっていた。
「今、何と申されましたか?」
「いえ、何もしていません。フローラは妹ですので」
「今、姉妹と関係を持つと申されましたな? まさか姫だけではなく、フローラ様にまで不埒な真似を?」
「していません! 本当にしていません!」
「天に誓って?」
「……関係は持っていません」
何故かここで正直になってしまうグレンだった。
「では何を? 天に誓って真実を述べて頂こう」
「そう軽々しく何事も天に誓うのはどうかと?」
「真実を述べて頂きましょう!」
「……隣で寝ました」
今は、それでとどめられた自分を少し褒めてやりたいグレンだった。
「はっ……?」
どんな不埒な真似をしたのかと思えば、隣で寝ただけ。兄妹として暮らしていたのだ。こんなことは当たり前のこと。執事としてはかなり拍子抜けだ。
「問題ないですか?」
「……いえ、処罰が必要です」
「ええっ!?」
「処罰です!」
「はい……」
「私の許しがあるまで姫と二人きりになるのは許しません」
実際は処罰するようなことではない。ただローズとの関係に制限を与える為の口実に利用しただけだ。
「反対! それ反対!」
それに反対の声をあげたのはローズだ。グレンと二人きりになれないのは、ローズも処罰を受けるようなものだ。
「姫! これは処罰です!」
「でも反対。それって私にも罰よ」
「……姫も少し反省されるべきです。無断外泊など」
「それをぶり返す? 私はもう大人よ」
「そうだとしてもです」
「ああ、うるさい! うるさい!」
「それが大人の態度ですか!?」
言い争いを始めるローズと執事。そのすぐ横でグレンはもう一度、動揺を収める為に、ぶつぶつ呟きながら深い思考に入っている。ただこの件に関して、何か結論が出るとは思えないが。
結局、グレンたちが王都を発つまでには、それからしばらくの時間を要することになった。