月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

異伝ブルーメンリッター戦記 #57 舞台の上では

異世界ファンタジー小説 異伝ブルーメンリッター戦記

 兵士たちの休憩時間。いつものようにジグルスにとっては個人の鍛錬を行う時間だ。だが今日に限っては、その中身は少し違っている。ジグルスの目の前に立っているのは父親のクロニクス男爵ではなく、母親のほうだった。母親と立ち合いを行うことになったのだ。
 母親が放つ弓を避ける訓練はこれまでずっと行ってきたが、こうした立ち合いは行うのは初めてのこと。ジグルスの表情には戸惑いがある。

「……ふざけているわけじゃないよな?」

「おふざけで立ち合いなんてしないわよ」

 面白がって立ち合いを申し込んできたのではないかとジグルスは疑っているのだが、母親はきっぱりとそれを否定した。

「じゃあ、どうして?」

「戦法を考えるのでしょ? 参考にするのがハワードと名も知らない雑魚魔人の動きだけでは足りないわ」

 母親が立ち合いを申し出てきたのは、ジグルスが戦法を考える上での参考になる為。クロニクス男爵と学生の時に戦った魔人の動きだけでは不十分だと考えたからだ。

「そうかもしれないけど……」

 だからといって母親との立ち合いが参考になるのか。弓の名手なのは分かっているが、母親の剣の実力がどの程度なのかジグルスには分からない。エルフに剣の達人なんていたかな、などと元の世界での記憶を探ってみるくらいだ。

「……はあ。少しは立派になったかと思ったけど、やっぱりまだまだね」

「どういう意味?」

「立ち合ってみれば分かるわよ。準備は良い?」

「……ああ。いつでも」

 なんて言葉を吐いたことをジグルスは後悔することになる。身構えたジグルスの全身を襲った寒気。父親との立ち合いで感じる闘気ではない。ただ恐怖に震えただけだ。

「ジーク。今、貴方死んだわよ」

 一瞬で間合いをつめ、首筋に剣を当てている母親。その母親がささやく声に、これまで見たことがない情を一切感じない作り物のような顔に、またジグルスは恐怖を感じた。

「真面目にやりなさい」

「……わ、分かった」

 分かったと言葉にしたものの、結果は同じ。まったく反応出来ずにジグルスは地面に転がることになった。

「……もう一度。ちゃんと攻撃に集中しなさい」

「…………」

 無言のまま立ち上がるジグルス。声を発する時間を、どうすれば良いか考える時間に使う。といってもほんの数秒のこと。考えられたのは母親の言葉通り、気持ちをもっと集中させることだ。
 だがたったそれだけのことでも変化はあった。

「……へえ」

 母親の攻撃を躱すことが出来た。母親の全身から放たれる闘気というより殺気。それへの恐怖を押し殺し、気持ちを集中する。わずかに見えた殺気とは異なる気配。それが母親の攻撃の軌跡と重なったのだ。

「じゃあ、もう少し速く」

 だが母親にはまだ上があった。一段、その半分なのかもしれないが、ギアが上がったことで、ジグルスはまた反応出来ずに地面に転がることになった。

「駄目ね、息子ならもっと私を楽しませなさい」

 良く分からない理屈。だがいつもとは違い、それは冗談に聞こえない。自分が知らない母親の一面。息子としては知らないままのほうが良かったかもしれない一面をジグルスは見てしまった。
 母親は父親よりも強い。実力の比較ではどうなのか分からないが、遙かに怖い。この母親は何者なのか。久しぶりにジグルスはそれを考えることになった。

 

◆◆◆

 ラヴェンデル公国での戦いはローゼンガルテン王国軍の優勢で進んでいる。初戦以降、場所を変えて何度も戦いを行い、その度に魔人軍を西に押し込んでいる。敵をかなり討った上に味方の被害はそれほど多くない。戦力差、あくまでも数だけの比較だが、それも戦いを重ねるごとに縮まっているのだ。

「……敵十万に対して味方は二万四千七百とちょっと、まあ二万五千としよう。四倍の敵であれば互角以上に戦えると考えて良いのか?」

 これまでの戦いから考えればそうだ。だがエカードはあえて疑問形にした。

「さすがにそれは甘く見すぎだよね? ここまでの戦いで相手にしているのは魔物だけだ」

 レオポルドもエカードと同じ考え。魔人軍十万は本気で戦っていないと考えている。

「でも、魔人だっていたわ」

 楽観的な考えを口にするのは、いつものようにユリアーナだ。勝っているのだからそれで良い。最終的にも勝つのだから、難しいことを考える必要などないと考えている。

「指揮官としてだ。前線に出て戦おうとしない」

 魔人は部隊の指揮官に徹している。自分自身の力で戦おうとしてこないのだ。

「そうだけど……」

 また自分の意見をエカードに否定された。ユリアーナは落ち込んだ表情を見せている。二人の関係はまったく改善していないのだ。

「やはり陽動ということですか?」

 エカードの考えを言葉にしたのはクラーラ。ユリアーナにとってはいつもの憎々しい展開だ。

「そう考えるべきだろうな。我々を西に遠ざけようとしている」

「その上で北からですか……戻るにはかなり時間がかかりますね?」

「戻れるかも怪しい。敵にはかなり損害を与えているはずだが、それでもまだ九万はいるのだろうな。それを放置して東に向かうわけにはいかない」

 それを行えば今戦っている魔人軍は反転攻勢に出るに決まっている。取り戻した西部はまた魔人のものだ。それだけではない。またラヴェンデル公国の都といえるリラヒューゲルに攻め込もうとするだろう。

「結局、別部隊を動かすしかないよね? 僕たちだけでラヴェンデル公国全土で戦うのは無理だ」

「その結果、ローゼンガルテン王国全土で戦うことが出来なくなるかもしれない」

 ラヴェンデル公国に兵力を集中させれば他が手薄になってしまう。それが魔人軍の狙いかもしれないのだ。

「数の力は馬鹿に出来ないね。ただ多いというだけで戦略上優位に立たれている」

 魔人軍は数が多いだけで、その多くは魔物で全体としてはたいしたことはない。こう考えてきたが、その数の多さだけでこうして悩まされているのだ。

「……あの、リーゼロッテ様は?」

 この話をエカードたちに伝えたのはリーゼロッテ。正確にはエカードたちに伝えたのではなく、全体の軍議の中でこれを話し、速戦を主張したのだ。
 そのリーゼロッテは今、この場にいない。軍議に参加出来る立場ではないクラーラとしては、リーゼロッテから直接、もっと詳しい話を聞きたかった。

「軍議で主張が取り上げられなかったから、ふてくされている」

「えっ?」

「冗談だ。王女殿下と共に自分のところの兵士の看病をしているはずだ」

 笑える冗談ではない。だがエカードも冗談を言うようになったのだと、周囲は感心していたりする。

「リーゼロッテ様の部隊は怪我人が多いですから」

「無茶な戦い方をするからだ……なんて今は言えないな。焦る気持ちも分かる」

 何故、リーゼロッテが無茶な戦い方をするのか。今話していたことがあるからだ。目の前にいる敵との戦いを速やかに終わらせる為にリーゼロッテは強引な戦い方を選んでいる。事情を知らない頃はそれに呆れていたが、今は気持ちが分かる。

「でも、焦って敵を追い込んでもそれだけではね。敵を殲滅させるくらいじゃないと」

 レオポルドは強引な戦い方に意味はないと考えている。西へ追い込んでもそれは陽動に嵌まるだけ。敵を消し去って初めて、西から離れられるのだ。

「だから全軍で強攻に出ろと訴えているのだ。だがそれを行えば味方の犠牲も多くなる。上が受け入れないのも理解出来る」

「いざ、戦場に出ると色々と難題にぶつかるものですね?」

「頭の中で考えている時のようにはいかない。それは分かっていたつもりだったが……」

 シミュレーションと本番は違う。それは分かっていたが、解決出来ない問題にぶち当たるとは思っていなかった。あくまでも今は解決出来ない、であるが。

「いっそのこと北のことは他の人に任せてみますか?」

「任せるって……どこに任せられる人がいる?」

 任せるといっても誰に任せるのか。そんな相手がいるのであれば、今こうして悩んではいない。クラーラの言葉であっても、エカードは何を言っているのだと呆れた表情を見せている。

「たとえばリリエンベルク公爵。リーゼロッテ様が分かっていることはリリエンベルク公爵様も分かっているはず。その上で、リーゼロッテ様の部隊だけを送ってきたのですから何か考えがあるのではないですか?」

「……いや、リリエンベルク公爵は自領の守りを優先したいから、あれだけの部隊しか送ってこなかったのだ」

「でもリーゼロッテ様はリリエンベルク公爵様の孫娘です」

「孫娘を戦場に送ったことでラヴェンデル公爵家に文句を言いづらくした。ラヴェンデル公国軍の指揮官はかなり不満に思っているが、リーゼロッテには文句を言えないだろ?」

 何故、リリエンベルク公爵家はたった七百の援軍しか送ってこないのか。この言葉は何度もラヴェンデル公国軍の指揮官の口から聞いている。だがリーゼロッテがいる場では決して口にしないのだ。

「……タバート様の奥様になる人だからですか?」

「そういうことだ。孫娘を送り出したといっても初めからその予定だった。戦場か屋敷かの違いだけだ」

 嫁ぐことが決まっているリーゼロッテは、いずれはラヴェンデル公国に来ることになる。それが少し早く、そして戦場であっただけだとエカードは考えている。

「リーゼロッテ様がタバート様の奥様ですか……」

「何だ?」

「いえ……リーゼロッテ様が率いている部隊は誰が鍛えたのでしょう?」

「何をいきなり……誰が鍛えた?」

 クラーラが突然話を変えた。と思ったのだが、まったく脈絡のない話ではないのだとエカードは気付いた。

「全員を確かめたわけではないですけど、指揮官の人たちは学院の合宿で一緒だった人たちでした。今のところですが、一緒だった人しかいないと言ったほうが分かりやすいでしょうか?」

「……彼もいたのか?」

 クラーラが何を言いたいのかエカードには分かる。この場ではエカードだけが分かる。

「それがいないようなのです。それが私には不思議で」

 部隊の中にジグルスはいない。それをクラーラは異常だと考えている。部隊を鍛えた、少なくともその方法を考えたのはジグルス。そのジグルスが戦場に出てきていないのはおかしいと。
 ただこれはクラーラの考えすぎだ。実際にはクラーラが考えるような事情でジグルスは来ていないわけではない。リリエンベルク公爵も打つ手が見つからずに、確実な手当てだけをしているだけなのだ。

「……来づらいのではないか?」

 エカードが考えられる理由は一つ。リーゼロッテはタバートと結婚する。その二人が揃うこの場に、ジグルスは来られないのではないかと考えた。

「それはありますか……でも戦場に立つリーゼロッテ様を放っておけるのでしょうか?」

「…………」

 このクラーラの問いには返す言葉がない。二人の関係をエカードは知っている。だがそれはジグルスが学院を去った日の、強烈な思い出だけの印象なのだ。ジグルスの想いの深さがどの程度かまでは分からない。

「君たち二人は何を話しているのかな? 出来れば僕たちにも分かるように話してもらえる?」

 二人の話はレオポルドたちには良く分からない。完全に置いて行かれている状況の周りを代表して、レオポルドが文句を言ってきた。

「ああ、悪い。部隊の指揮官がリーゼロッテの学院の時の取り巻きたちのようなのだが、当時、右腕と思われていた者が来ていないようなのだ」

「リーゼロッテの右腕? そんな生徒いたかな?」

「……ジグルス・クロニクス」

 レオポルドにはジグルスに関する記憶がない。エカードも同じなのだが、それでも他人の状態は奇異に思える。

「あっ?」

「えっ? ウッドストックは知っているのかい?」

 ジグルスの名に反応したのはウッドストックだ。記憶が繋がったわけではない。リーゼロッテが抱き合っていた相手の名が出て、驚いただけだ。

「え、えっと……あっ、僕も合宿で一緒で……」

 まさかリーゼロッテと抱き合ってキスしていた相手とは言えない。

「そうか……そうだとしても必ず戦いに参加するとは限らない。優秀なのであれば尚更、リリエンベルク公国に残されるのではないかな?」

「……確かにそれはあるな」

 リーゼロッテとの関係を考えなければレオポルドの考えのほうが正しいと思える。だがエカードはリーゼロッテが、公爵家令嬢であるリーゼロッテがその立場を忘れてしまう相手だと知っているのだ。

「良く分からないけど、クラーラの言うことには僕も賛成だ。王国全体のことを今の僕たちが考えてもどうにもならない。今は目の前の戦いに集中すべきだと思うよ」

「……ああ、とにかく勝つことだ」

 エカードたちにはそれしか出来ない。その勝つことでさえ大変なのだから。

◆◆◆

 魔人軍の本営。といっても特に陣営を構築しているわけではない。魔人軍にそういう習慣がないわけではなく、今はわざわざ陣を張るのが面倒な戦い方をしているだけだ。
 その本営とされている場所に集まっているのは魔人軍の上位指揮官。あくまでもラヴェンデル公国侵攻軍における上位指揮官だが。

「……なるほど。さすがに敵も馬鹿ではない。こちらの考えはお見通しか」

 間者の報告を聞いていたのはフェン。学院の臨時合宿で瀕死のジグルスを助けた魔人だ。

「何がお見通しなのだ?」

 フェンの呟きを聞いて、ラヴェンデル公国侵攻軍の総指揮官であるバルドルが詳細を尋ねてきた。

「こちらの動きが陽動であることに気が付いているそうです」

「ふん……それくらい頭が回らなくてはな。馬鹿と戦っても面白くない」

「馬鹿との戦いのほうが楽ですけどね」

 バルドルに聞こえない程度の小さな声でフェンは呟きを返す。フェンに戦争を楽しむ趣味はない。戦いそのものに興味がないわけではないが、それは個人の武勇を競う目的。戦争ではない。

「聞こえない。何と言ったのだ?」

「失礼しました。いかが致しますか?」

「こちらの思惑が見抜かれていてもやることは変わらない」

 ラヴェンデル公国侵攻軍が命じられているのはローゼンガルテン王国軍を西に引きつけること。その目的は変わらない、のではなく変えられない。

「分かりました。ではやり方を変えます」

「なんだと?」

「攻勢に出ましょう。手ぬるい戦いばかりでは敵は兵力の一部を移動させてしまうかもしれません。まあ、それはそれで構いませんけど、大きく作戦を変えるのはよろしくないですよね?」

「……まあ、そうだ」

 総指揮官といっても魔人の中でかなり上位にいるというわけではない。犠牲覚悟の陽動の為の軍に回されるくらいだ。どちらかといえば低いほうになる。独断で作戦を変更する権限はない、権限はあっても上が怖くて変えられない。

「攻勢に出て敵をもっと激しい戦いに引き込みます。気が付いたら西の端っこにいた、なんてことになれば大成功です。まあ、そこまで馬鹿ではないでしょうね」

「……成功するのだな?」

「ええ。舞台はとっくに整っています」

 馬鹿でなくてもどうにもならない状況にローゼンガルテン王国軍を引きずり込む。フェンはそう考えている。本当の策というものは気が付いてもどうにも出来ないもの。
 舞台に上がってしまえば、あとはシナリオ通りに動くしかなくなるものなのだ。
 この日から魔人軍は強者である魔人を前面に出しての戦いを始めた。ローゼンガルテン王国軍が強攻に転じる前に魔王軍のほうから仕掛けたのだ。
 その猛攻を跳ね返す為に、ローゼンガルテン王国軍も全力で戦うことになる。ラヴェンデル公国全体の戦略など考える余裕などなく、目の前の戦いに勝つことに必死になるしかなかった。