広大な王城の敷地のすぐ隣に王国騎士団の施設はある。隣といっても、実際にはほぼ一体化している。王国騎士団の施設もまた、いざという時には敵の侵入を防ぐ防御施設となるのだ。
その施設のひとつである第三訓練場。いくつかある王国騎士団の訓練場の中でも一番狭いその場所が、エカードたちが鍛錬を行っている場所だ。元々は騎士が個人的に鍛錬を行う為の施設であるのだが、今はエカードたちの専用施設となっている。
「どうした!? もうへばったのか!?」
地面に四つん這いになって、苦しそうな呼吸をしているエカードに騎士の檄が飛ぶ。
「……ま、まだまだぁ!」
その檄に応えて、立ち上がって剣を構えるエカード。騎士に向かって、剣を振るがその勢いは常のものではない。それはそうだ。もうずっと立ち合いを続けているのだから。
エカードたちに鍛錬をさせるにあたって、王国騎士団は以前のように手を抜いてこなかった。王国騎士の中でも上位の実力者を選んで教官にしている。彼等もすでに王国騎士団所属。身内を鍛えるのに手の内を隠す必要はないということだ。
「もっと来い! 休んでいる時間はないぞ!」
エカードの剣を軽く跳ね返した騎士は、更なる攻めを求める。騎士とエカードには、それだけの実力差がある、わけではない。今、立ち合っている騎士相手であれば、普段のエカードは勝てる。ただ実力が下であっても何人もの騎士を相手にし、疲れ切った今のエカードでは無理だ、ということ。騎士は交替が許されているのだ。
「う、うぉおおおおおっ!」
雄叫びをあげて、騎士に向かって剣を上段から振り下ろす。だがそれもあっさりと躱され、自らの剣の勢いに引っ張られたエカードは、そのまま前のめりに地面に倒れていく。
そんなエカードに向けて、また騎士の檄が飛ぶが、それに応えることは出来そうにない。エカードは激しく胸を上下させているだけで、それ以外を動かせないでいる。
これで立っているのは王国騎士団の騎士だけになった。
「……体力は公爵家のお坊ちゃまが一番か。大きな男も頑張っていたな」
鍛錬の様子を見ていた王国騎士団長が感想を呟いている。
「ウッドストック。平民出身です」
ウッドストックの名を教えたのはシュミット副団長。王国騎士団のもう一人の副団長だ。
「なるほど。さすがは、というところだな」
平民から騎士になる。それはそれに相応しい実力があるからだ。平民出身者は優秀であって当たり前という判断を王国騎士団ではされる。
「問題はユリアーナです」
「体力はないようだな。それでも不合格というほどではない」
ユリアーナは始めのほうこそ期待通りの実力を見せていたが、早々に動けなくなっている。剣の実力は申し分ないが、体力は平均以下というのが王国騎士団長の判断だが。
「限界まで頑張っているようには思えません」
「なんだと?」
「他の者と様子を比べれば、すぐに分かります。彼女は余力を残しています」
鍛錬が終わったあとの様子を見ていれば、すぐに分かる。ユリアーナの動きは他の人たちとは明らかに違って、元気そうなのだ。回復力が人並み外れて優れている、ということではない。シュミット副団長の考えている通り、サボっているのだ。
「才能はあっても努力を知らんか……」
「それでも団長が見た通り、不合格というほどではありません。本気で限界まで行えば、平均以上ということになるでしょう。剣の実力を考えれば、主戦力ではあります」
極端に体力が劣っているのであれば、本当に問題だが、ユリアーナはそうではない。サボろうとするから平均以下になるだけで真面目に行えば平均を超える。そこに剣の実力を評価に加えれば、やはりこの中では一番の実力者だ。
「……彼女には魔法もあるからな。怠け者、お坊ちゃま、大男、優男というところか」
ユリアーナ、エカード、ウッドストック、レオポルド。これが、王国騎士団長が評価した実力の順番だ。レオポルドよりもウッドストックが上であるのは、魔法の実力が加味されていないから。
「まだまだ彼等は強くなります。いずれ王国騎士で敵う者は数えるほどしかいなくなるのではないでしょうか?」
数えるほどしかいなくなる、は押さえた表現だ。誰もいなくなるでは王国騎士団長が不機嫌になるのが分かっている。シュミット副団長はこういうところで気配りが出来る。
「……間違えるな。彼等も王国騎士だ」
「はっ、失礼しました」
ただ今回は失敗した。エカードたちも王国騎士。彼等の活躍は王国騎士団の活躍というのが王国騎士団長の考えなのだ。
「卒業したばかりであれか……確かに戦力としては期待出来るな」
王国騎士団所属になるということで騎士団長は彼等の受け入れを了承した。実際には、反対の気持ちを持っていても受け入れざるを得なかっただろうが、そういうことにして自分自身を納得させているのだ。
鍛錬の様子を見て、王国騎士団長は間違いではなかったと思う。魔人戦争においてエカードたちは間違いなく戦力になる。そう確信出来た。
◆◆◆
魔人戦争において戦力になれる。エカードたちはずっと前からそう思っていた。戦力どころか、自分たちこそが魔人戦争の主役だと考えていた。その気持ちは今も変わっていない。
王国騎士団で本格的な鍛錬を始めて、その思いはさらに確信に変わった。王国騎士団のトップクラスの実力者とも自分たちは互角に戦える。いずれ超えることが出来る。自分たちはローゼンガルテン王国で最強の部隊になれる。そう確信出来るようになった。
「いつ戦いが始まっても大丈夫! 私たちは勝てるわ!」
ユリアーナに関しては、王国騎士団での鍛錬が始まる前から確信している。転生して、この世界が自分の知る恋愛ゲーム、エロゲーと言ったほうが正確なゲームの世界で、自分がその主人公だと知った時から。
「……戦いは先であるほうが良い。もっと強くなってからのほうが良い」
エカードがユリアーナの考えを否定する。ユリアーナにとってこれは大いなる誤算だ。エカードとの関係がゲームのようにはいかないのだ。
「……それはそうよ。でも心の準備はしておかないと」
「心の準備は出来ている。だが戦う準備が出来ているとは思えない」
「それは……」
何を言ってもエカードは自分の言うことを否定する。これでは関係は悪くなるばかりだ。
「エカード。それは八つ当たりだ。ユリアーナは場を盛り上げようと、少し大袈裟に言っただけ。目くじら立てるようなことではない」
ユリアーナをフォローするのはレオポルド。この関係は変わっていない。いや、変わっていないは言い過ぎだ。
「……分かっている。だが、自己を鍛えるだけでなく、他にもやらなければならないことがある。俺たちだけが強くなって、それで戦争に勝てるのか?」
自分たちは王国最強の部隊になれる。魔人戦争の主戦力になれる。それについての確信と、戦争に絶対勝てるはエカードの中では同じではない。
「……タバートとは連絡を取り合っているのだろ?」
レオポルドにもエカードと同じ懸念がある。王国全体として、どう魔人戦争に取り組むのかを気にするようになっている。これがユリアーナにはない考えだ。
「……タバートはかなり焦っている。鍛錬が思うようにはいかないようだ」
リーゼロッテに渡された資料。それを参考に自軍の鍛錬を行おうとしたタバートだったが、それは上手く行かなかった。タバートの能力の問題ではなく、立場と環境の問題だ。
ジグルスの戦術には騎士の出番がない。そんな戦術を騎士が受け入れるはずがない。だからといってタバートが自ら兵士の鍛錬を行うことも出来ない。実行して上手く行かないのではなく、実行出来ないのだ。
「その焦りが移ったのか……気持ちは分かるが……」
自分たちが頑張っても他が駄目では。エカードの焦りはレオポルドにも分からなくはない。そうなるとどんな言葉でエカードの気持ちを落ち着かせれば良いか分からなくなる。
「それはエカード様の思い上がりではないですか?」
「えっ?」
気持ちを落ち着かせるどころか、逆撫でするような言葉を吐いたのはクラーラだった。クラーラも学院を一年早く卒業してこの場にいる。エカードが強く望んだ結果だ。
「私たちは本当に何の問題もないのですか? 考えているよりも、もっと早く、もっと強くなれる方法はないのですか? それを考えなくて良いのですか?」
「それは……そうだな」
厳しくてもクラーラの言葉は自分の為のもの。それが分かっているエカードは、素直に受け入れられる。
「タバート様のことを心配するのは良いことです。でも遠く離れた場所にいて、何も出来ないのですから自分たちのことを優先するべきです。それが結果として、タバート様を助けることにもなるかもしません」
「……分かった。ユリアーナ、すまなかった。さっきのは、ただの八つ当たりだ。気にしないでくれ」
「い、いえ。初めから気にしていないわ」
エカードに謝罪してもらってもユリアーナはまったく嬉しくない。その謝罪はクラーラによって与えられたものなのだ。
クラーラを排除しようと考えた。それは成功したと思った。だがエカードの強い要求でクラーラは戻ってくることになった。それはエカードの気持ちがどこにあるかを明確に示している。
そうであればエカードへのアプローチを強めようと考えたのだが、以前のようにはいかない。エカードの心の中にあるユリアーナへの不信が邪魔しているのだ。
「考えてみよう。俺たちに何が出来るかを。体は動かなくても、頭はまだ動くはずだ」
「頭もかなり疲れているけどね。でも立ち合いの時に使う頭とは別か」
実際に頭もかなり疲れている。だがレオポルドはこういう言い方をすることで、周囲にも協力を求めた。これが二人の本来の関係。愛想が悪く、相手に傲慢さを感じさせてしまうエカードの印象を、人当たりの良さそうなレオポルドの言葉で和らげるのだ。それによってエカードへの反発が起きるのを防いでいたのだ。
今のエカードは以前ほど無愛想ではないが、口から出る要求はかつてない厳しいものになっている。やはりレオポルドの存在が必要とされていた。
さらにそのレオポルドを支えるのが、実はクラーラであったりするのだ。エカードに厳しい言葉を投げつける役をクラーラが引き受けていることで、レオポルドとエカードが激しく対立する場面が生まれない。レオポルドはエカードのフォローだけをしているような形になる。その立場はレオポルドに対する周囲の印象を良いものに変えた。正確には元に戻しただが。
エカードたちは、ユリアーナという不穏分子を抱えながらも、上手くまとまってきた。本編の主人公たち、主人公そのものは変わっているかもしれないが、は順調に物語を進み始めていた。
◆◆◆
物語の本編とは異なる場所で、魔人戦争に向けて動いている登場人物がいる。ジグルスではない。ゲームにも登場人物として、ちゃんと名前を記されている人物だ。ただし、主人公の敵役としてだが。
学院を卒業してリーゼロッテは領地に戻っていた。そのまま都に残り、自家の屋敷で暮らすという選択肢もあったのだが、彼女は領地に戻ることを選んだ。残された短い時間のうちに出来るだけのことはしておきたいと考えたからだ。
「今日から私が貴方たちに魔法を指導します」
集まった人たちの前で、自分が指導することを伝えるリーゼロッテ。あらかじめ説明を受けて集められた人たちだが、それでも実際に公爵家ご令嬢であるリーゼロッテの口から、自分が教えると聞かされて、少し戸惑いを見せている。
「指導期間は二ヶ月。この短い期間で貴方たちには必要な技量を身につけてもらいます。出来ないとは言わせません。二ヶ月で身につけるのは基礎の基礎。最低限のことです」
リーゼロッテが教えるのは極めて基礎的なこと。次の鍛錬に進むために身につけておかなければならないものだ。
「それが終われば、貴方たちは別の場所に行って、本格的な鍛錬を行うことになります。それについていけないようでは困るのです」
基礎を身につけた彼等はジグルスの下に向かうことになる。ジグルスが教えている新設部隊に魔法士の部隊も作る。それを実現する為に人を集め、集めた彼等を鍛える目的でリーゼロッテは領地に戻ってきたのだ。少しでも自分が出来ることはないかと考えた結果だ。
「先々、悔しい思いをしないように頑張りなさい。辛い鍛錬を乗り越えれば、貴方たちは公国最強の部隊、いえ、ローゼンガルテン王国最強の部隊の一員となれます」
リーゼロッテの言葉に人々は戸惑っている。彼等は優秀な魔法士ではない。落ちこぼれと呼ばれた人もいる。だからこそリーゼロッテが指導を許され、その後にジグルスの下に送ることが認められたのだ。
「今は無理でも、いずれ貴方たちもそう思えるようになります。貴方たちの教官はそう思わせてくれる人です。彼を信じなさい。そして何よりも自分の可能性を、努力を信じなさい」
だがリーゼロッテは彼等に自分の可能性を信じろと伝えた。才能は大切だ。だが才能だけが全てを決めるものではないと考えている。リーゼロッテ自身がそれを信じ、自分を鍛えているのだ。