月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

悪役令嬢に恋をして 第35話 学院パートの終わり

異世界ファンタジー小説 悪役令嬢に恋をして

 いよいよリオンとエアリエルが王都を発つ日がやってきた。だからといって特別な行事があるわけではない。一男爵家夫妻が領地に向かうことに誰も興味なんてない、はずだった。
 まだ陽が昇ったばかりの早朝。人気の少ない王都の大通りを、エアリエルを抱きかかえるようにして前に座らせて、リオンは馬をゆっくりと進ませていた。
 生まれ育った王都を離れるのだ。王都での思い出に浸る時間も必要かと思ってのことだ。それも後少し。もう先には王都外壁の東門が見えてきた。
 それをリオンが視認したのとほぼ同時に、通りの左右から人影が現れた。色とりどりの、表通りを歩くにはかなり艶めかしすぎるドレスを身に纏った女性たち。リオンの組織が経営する娼館で働く娼婦たちだ。
 それだけではない。リオンに仕える部下達も、そうでない貧民街の住人たちまで姿を見せている。通りの両側はそんな者たちの登場で一気に賑やかになった。

「目立つのは不味いって、自分たちで言っていたくせに」

 リオンの口からこんな文句が漏れるが、それが照れ隠しであるのは皆が分かっている。リオンの文句など無視して、両側から花びらを撒きながら、「おめでとう」の言葉を投げかけている。
 都落ち、そんな気持ちには絶対にさせないという、彼らの思いやりだ。
 そんな気持ちがエアリエルにも伝わっていて、彼らの好意に応えようと笑顔を振りまいている。瞳から涙を零しながらも。
 リオンも又、そんな彼らの気持ちに胸を打たれている。復讐がきっかけだった。そんな最悪の出会いだったというのに、今彼らは自分と愛する人の為にこれ以上ないという好意を向けてくれている。
 リオンの心の中に、又、大切な人が増えた。それもかなり大勢の人だ。大切な人はヴィンセントとエアリエルの二人だけだったリオンだが、今はもしかすると、この国の誰よりも沢山、大切な人を抱えているのかもしれない。
 リオンとエアリエルが驚いたのはこれだけではない。彼らはもっと凄い仕掛けを用意していた。両側から男性と女性、一人ずつ前に出てきた。それと同時に他の者たちは、その二人とリオンたちを囲んでいく。何を始めるのかと見ていたが、仕掛けは最初に現れた二人にあった。
 先に気が付いたのは、やはりエアリエルだった。リオンの腕をすり抜けて馬を降りるとその二人の前に進み出る。それでようやくリオンも相手が誰か分かった。慌てて馬を降りて、エアリエルの後を追った。

「……お父様、お母様……こう呼んで良いのかしら?」

「つまらないことを言うな。誰が何と言おうとお前は私たちの娘だ」

「お父様……」

 ウィンヒール侯爵夫妻は、とても上級貴族とは思えない粗末な身なりをしている。エアリエルはウィンヒール侯家から除名処分を受けている。除名後は、両親と会うことさえ許されないのだ。
 二人の変装も、周りを娼婦たちが囲んでいるのも、誰かにこの状況を見られないようにする為だ。更に事情を悟ったリオンの指示で、周囲の高い建物に手の者が散っていく。
 その指示を終わらせたところで、リオンも侯爵夫妻の前に出た。目の前に現れたリオンを見て。
 
「あ、あの?」

 確かに視界に入っているはずのリオンを、ウィンヒール侯爵は思いっきり無視している。

「お父様」

「どうした、エアル?」

「どうしたではないわ。知っているでしょ? リオン、私の夫よ」

 見兼ねたエアリエルが、リオンを紹介しても。

「……認めていない」

「認めるも何も、そう決めたの」

「私に無断で結婚なんて大事なことを」

「だって、お父様と私はもう親子じゃない。許しを得る必要なんてないわ」

「……酷い。可愛いエアルがこんな酷いことを言う様になるなんて……貴様のせいだ!」

「えっ? 私ですか?」

「お前以外に誰が居る? お前が……お前が……ヴィンセントと出会わなければ!」

「それは……」

 この言葉はリオンにとって何よりも辛い言葉だ。自分と出会わなければ、ヴィンセントが死ぬことはなかった。これはリオン自身も思っていることだ。

「馬鹿息子で良かった……立派な貴族でなくて良かった……ただ、生きてさえ居てくれれば……」

「……申し訳ございません」

「貴様など!」

 ウィンヒール侯爵は腰に差していた剣を抜いて頭上に振り上げた。驚いて悲鳴をあげて、散っていく娼婦と貧民街の住民たち。それとは反対に、リオンの部下たちはウィンヒール侯爵を押さえようと前に動き出したのだが、それはリオンに制された。
 その必要などない。リオンを庇って前に立つエアリエルにウィンヒール侯爵が剣を振れるはずがないのだ。
 そこに更に、ウィンヒール侯爵夫人がゆっくりと進み出てきた。

「貴方。私は、ヴィンセントは幸せだったと思いますよ」

「しかし……あんな若さで……」

「それでも幸せでした。貴方もヴィンセントの言葉を聞いたはずです」

「…………」

 ウィンヒール侯爵夫妻も処刑場に居たのだ。どんなに辛くても、自分の大切な息子の最期を見届ける為に。

「貴方はヴィンセントの大切な友人を、ヴィンセントがエアルを託した友人を傷つけるのですか?」

「……分かった」

 夫人の説得が利いて、ウィンヒール侯爵は振り上げた剣をゆっくりと降ろした。それを確認したところで、夫人の視線はリオンに向く。優しくも、厳しくも見える視線だ。

「リオン」

「はい」

「私は貴方に深く感謝しています。そして、それと同じくらいに貴方を恨んでいます」

 矛盾しているようではあるが、これが侯爵夫人の素直の気持ち。侯爵も実際は同じ気持ちだ。ヴィンセントの死は恨んでいても、エアリエルを救ったことには感謝している。命を賭けて、ヴィンセントを救おうとしたリオンの姿を見て涙していたのだ。

「……はい」

「これが最後。もう貴方と会おうとは思いません。だから、この機会に言っておきたいことがあります」

「何でしょうか?」

「エアルを死なせることは許しません。エアルより先に死ぬことも許しません。ヴィンセントを死なせ、エアルを託された貴方にはこれを守る義務があります」

「……はい」

 夫人に課せられた義務は、とてつもなく難しいもの。命をかけて守ります。こんな言葉も通用しないのだ。リオンはただ「はい」と頷くしかなかった。

「リオン様」

 掛けられたアインの声。この場面でそれをする理由がリオンには分かる。多くの女性の悲鳴が響いたのだ。警護隊が動かないはずがない。

「申し訳ございません。人、恐らくは警護隊が近づいてきているようです」

「では、これまでですね。エアル、元気でね」

「はい。お母様、そしてお父様も」

 ウィンヒール侯爵はすっかり意気消沈。泣いているのか、ずっと俯いたままだったが、さすがに最後となって顔をあげた。

「エアル。幸せに」

「私はもう幸せだわ」

「そうか……貴様」

「あっ、はい」

「これをくれてやる」

 そう言ってウィンヒール侯爵が差し出してきたのは先ほど抜いた剣だ。今は鞘に収まった状態で柄がリオンを向いている。リオンの見覚えがある剣だ。

「これはヴィンセント様の……」

「貴様にやるのではない。エアルの息子が出来るまで預かっていろ」

 リオンではなく息子、しかもリオンとエアリエルの息子と言わないところは、ウィンヒール侯爵の意地だ。

「はい」

 リオンはありがたく受け取ったが、これが何か知っていれば、かなり躊躇っただろう。
 【壁風の剣】。これがこの剣の名だ。ウィンヒール侯家代々の当主に受け継がれてきた剣。当主の証ともいえる剣だ。
 それをエアルの息子へと言ってリオンに預けるウィンヒール侯爵の思いがどこにあるのか。それは誰にも分からない。

 警護隊が来る前にウィンヒール侯爵夫妻は姿を消して、その代わりに娼婦たちが戻ってきた。警護隊が来た時の言い訳の為だ。
 早朝から馬鹿騒ぎをしていたことは怒られたが、それだけで済んだ。リオンとエアリエルは、貧民街の住人たちに見送られて王都を出て行った。

 

 

◆◆◆

 多くの人に見送られて王都を後にしたリオンたちだったが、必ずしも温かく見送ってくれる者だけではなかった。

「……エアリエル」

「……ん」

 これだけで二人の意志は通じる。言葉にしなくても、周囲でざわざわと騒ぎ出した者たちによって、何が起きているのか分かっている。声に出したのは、ただの合図だ。
 あらゆる方向からリオンたちに襲いかかる水刃。その全ては、リオンたちの周囲で吹き荒ぶ竜巻によって叩き落された。
 さすがにそれだけでは襲撃者は諦めない。遠距離からでは通用しないならと、姿を現して距離を詰めてくる。
 その襲撃者に対して、火竜が襲いかかった。

「水壁! 防御体制を取れ!」

 相手は集団戦に慣れているようで、陣を組むと、素早く前方に水壁の防御を張った。複数人での連携魔法、そう易々と破れない強度を誇る防御魔法だが、火竜はあざ笑うかのように、水壁を避けて襲撃者に襲いかかった。

「ばっ、馬鹿な!」

 襲撃者が驚くのも当然だ。魔法は一旦発動してしまえば制御は出来なくなる。攻撃魔法であれば、発動時に定めた軌跡を飛んでいくだけ。これが常識だ。
 だがリオンが放った魔法は、目の前に現れた水壁を、まるでそれ自体に意志があるかのように避けてしまった。
 これがこの世界の魔法士の矛盾。世界の素に力を借りると言いながら、その素を意志ある者として見ていないのだ。

 驚きながらも、一人が襲われている間に、他の者が防御壁を構築したのはさすがだ。彼らはアクスミア侯家の特殊部隊。王国においては精鋭に位置する魔法部隊だ。この程度の不意打ちに対する対処くらいは身に付けている。
 ただ精鋭部隊の一員といっても、全員が一流というわけではない。今、戦っている彼等は明らかに若い。一流と言われる程の技量を持つ者はいない。
 事実、彼らが抗えたのはここまでだった。

「来たぞ! 剣を取れ!」

 正面からリオンが驚くべき速さで、襲撃者たちの集団に突っ込んでくる。その迎撃の為に、次々と剣を抜く襲撃者たち。
 だが、彼らは満足にリオンと切り結ぶことも出来ない。剣を合わせようとしても、魔法が襲いかかってくる。そうであればと防御魔法を展開すれば、リオンが剣を振るって斬りかかってくる。

「散れ! 集まっていては不利だ! 散開しろ!」

 彼らがこれに気付いた時には、かなりの数が倒されていた。そして、そうなってはもう彼らには為す術がない。
 散開してもある者の所には火竜が襲いかかり、ある者の所には水槍が、そしてある者はリオンに剣を振り下ろされている。
 次々と倒されていく襲撃者たち。全滅は時間の問題だった。

 そんな仲間たちの様子を一人、泣きそうになりながら見ている者が居た。

「あれは人間なのか!? 複数属性魔法の同時発動!? いや、その前に、どうして剣を振るいながら、魔法が発動出来るのだ!?」

「知りたい?」

「ひっ!」

 不意に背中から聞こえた声に怯えた声を出す襲撃者の仲間。男が恐る恐る振り返って見れば、そこには居るはずのない者が居た。

「エアリエル?」

「あら、やっぱり、誰か分かっていての襲撃なのね? ということは、魔法からアクスミア侯家。貴方の様子だとランスロットの差し金ね」

「……どうして?」

 全く誤魔化す気のない反応。それだけこの男が未熟だということだ。

「だって、あれが公爵直轄の精鋭だったら、王国の先が思いやられるわ。貴方たちは精々見習い。そして侯爵ともあろう者が、見習いを送り込むなんて甘い判断をするはずがないわ」

「そうか……」

「つまり貴方は、兄の敵の手先ね」

 エアリエルの言葉に込められた殺気が、男を震え上がらせる。

「兄が受けた痛みの、ほんのわずかでも、その身に受けなさい」

「ひあっ!」

 男の周囲を回る風は、徐々にその輪を狭め、男の体を切り刻んでいく。男の断末魔の叫び声さえ、風に巻かれてかき消されてしまう。
 エアリエルが去った後には、人の原型を止めない程、切り刻まれた肉の塊が残るだけ。それもすぐに獣の腹におさまることになるだろう。
 そして、それはリオンに殺された襲撃者たちも同じだ。戦いの場には、ただ地面に刻まれた焼け跡だけが残った。
 襲撃者たちは遺体さえも残さずに全滅する事となった。リオンもエアリエルも忘れたわけではないのだ。ヴィンセントに、エアリエルに対して、奴らが行なった仕打ちを。それに対する恨みを。

◆◆◆

 リオンたちが王都を去って一月が経つ。王国学院の特別サロンは相も変わらずに、マリアの取り巻きたちのたまり場だ。今ではサロンに居る者たちは、マリアの取り巻きと周囲から呼ばれるようになっているのだ。
 今日もサロンには取り巻きたちが集まっている。集まっているが、どこか気まずい雰囲気が漂っている。
 普段であれば、そういった雰囲気を払しょくする為に盛り上げ役となるランスロットも、そのランスロットこそが気難しい顔をして黙りこくっている。
 これは今日だけの話ではない。ここ数日ずっとだ。
 ランスロットは焦っていた。リオンの暗殺に送り込んだ部隊は戻ってこないどころか、何の連絡も入らない。失敗したであろうことは分かっているが、一人も戻って来ないという事態が理解出来ない。さすがに周囲もこの事実に気付きだした。何かあったと探り出しているのだ。暗殺の失敗は遠くないうちに明らかになるだろう。
 これでランスロットにとっては、二度目の失態となる。
 侯家の後継ぎに相応しい才能を見せているランスロットではあるが、それで嫡子の立場は盤石というわけではない。魔法に優れた者は戦争の駒にして治政に優れた者を当主に、という例は過去に幾らでもあるのだ。
 自分の嫡子の立場を守る方法。その一つはとっくに思いついている。その鍵を握る人物、アーノルド王太子へと視線を向けてみれば、マリアを横に侍らせて楽しそうに会話をしている。
 何とも気に入らない状況だ。それでもアーノルド王太子との仲を壊すわけにはいかない。何といってもアーノルド王太子は次代の国王なのだ。

 難しい顔をしているのは、エルウィンも同じ。最近になってエルウィンは、実家の侍女たちが、こそこそと噂している話の内容を知った。
 事もあろうに母がずっと前から従属貴族であるラング・ウスタイン子爵と男女関係にあり、自分はその二人の子供だという、噂であっても許し難い内容だ。
 噂は根も葉もないデタラメ。そんなことは分かっていても、やはり気分が良いものではない。
 『試しの儀』で自分はウィンヒール侯家に相応しい能力を有していると評された。その自分が何故、従属貴族の息子などと思われるのか。そう思っても、何故か胸がざわめいてしまう。
 エアリエルの足下にも及ばない、ヴィンセントにも負ける、あの男はそう言った。それだって、こちらを挑発する為のデタラメだと分かっている。だが、あの男に自分の魔法は全く通用しなかった。貧民街生まれのあの男に。
 自分の魔法は本当に優れているのか。考える必要もないことを考えてしまう。そして一つ考えると、水面にインクが広がるように、心の中に闇が広がっていく。
 ウスタイン子爵は何の用があって、あんなに頻繁に母の下を訪れていたのか。あり得ない、そう思って振り払っても又、この疑問はエルウィンの心に纏わりついてくる。
 やっとウィンヒール侯爵家の嫡子の座を手にしたのだ。この座を手放すつもりはない。そうではない。自分はウィンヒール侯家の血を引いていて、嫡子に相応しい能力を持っている。
 思考が混乱する。分かっているのは、自分はこの場を離れるつもりはないということ。

 そして残った侯家の一人であるシャルロットは。不機嫌な顔で、一人離れた場所に座っている。シャルロットの身に何か悪いことが起きたわけではない。どちらかと言えば、良いことがあった。
 王国に捕らわれたはずのリオンにいきなり呼び出しを受けた。何に巻き込まれてしまうのかと、不安な思いを抱きながら呼びだされた場所に向かった。何度かリオンと会った路地裏の食堂だ。
 そこで待っていたのはリオンではなく、知らない男と大量の紙。男はその紙をリオンに頼まれて、渡しに来たと言った。事情が分からないままに、その紙の一部を手に取って書かれている内容を読んでみれば。
 シャルロットはその場で卒倒しそうになった。その紙には自分がマリアに対して行った嫌がらせの内容が実に細かく書いてあった。他の紙も見てみれば、全てがそう。しかもあとの方は、その場で見ていたのではないかというくらいの細かさだ。
 実際に見ていたのだと、シャルロットには分かった。それくらい前から、自分の所業はリオンにバレていたのだ。これが誰かの手に渡っていたらと考えるだけで、シャルロットは震えてしまう。
 このシャルロットにとって致命的ともいえる証拠をリオンは渡してきた。その真意を疑って男に尋ねてみれば、もう必要ない物らしいと言われた。
 ヴィンセントは死んだ。エアリエルは奴隷にされた。リオンには、自分を脅す必要が無くなったのだと考えた。それにしても、わざわざ返してくるリオンの律儀さにシャルロットは感心する。
 もっと違う出会いが出来ていたらリオンと、リオンだけでなく、ヴィンセントやエアリエルとも良い関係を築けたのかもしれない。そう思ってみても、それはシャルロットの心を傷つけるだけだった。
 その選択はもう出来ない。それに別の出会い方をしても、やはり自分はアーノルド王太子を選んでいたとシャルロットは思う。
 今はもう、近くに居ても苛立つだけだが、それでも側に居ようとシャルロットは考えている。そうでなければ、自分は何のために二人を不幸にしたのか分からないという、歪んだ罪滅ぼしの気持ちからだ。

 それぞれの思惑はあっても、彼らはまだまだ同じ時を過ごすことになる。
 学院でのイベントは終わったが、まだ半分。後半の戦略パートが残っている。世界が登場人物である彼らを手放すはずはないのだ。