ジグルスが去った後のローゼンバッツ王立学院。学院イベントは期待通りの結果に終わり、生徒たちの雰囲気は全体的に良くなっている。貴族の生徒と平民の生徒との間の交流に関しては、探り探りの部分はかなりあるが、少なくともネガティブな行動をとる生徒はいない。反発し合うよりも仲良くしたほうが気持ちは軽く、学院生活は楽しいものになる。この当たり前のことに生徒たちは気付いてきたのだ。
あとは来たるべき魔人戦争に向けて生徒たちの意思をひとつにし、それぞれが勝利の為に何をするべきかを考え、それを実行するだけ。
そうなのだが、彼等はまだ学生。中心人物の一人であるエカードは公爵家の人間ではあるが、彼もやはり学生に過ぎないのだ。
「全員、集まったかな?」
授業で使われていない教室に集められたエカードたち。その彼等の前に立つのは学院の教師、ではなく王国騎士団長だ。
「……それを聞かれても、誰が呼ばれたのか我々は分かっていない」
何故、学院に王国騎士団長が現れたのか。そして自分たちを呼び出したのか。エカードには悪い予感しか浮かんでこない。これで仲間の全員が呼ばれているのであれば、また違った感情も生まれたであろうが、そうはなっていない。今、エカードがもっとも信頼しているクラーラはいない。リーゼロッテもタバートも姿を見せていないのだ。
「名簿が回っていないのか……あとで配ろう。人数は合っているようなので、全員集まったのだろう」
エカードの問いに王国騎士団長は細かく答えることをしなかった。この場には主要なメンバーがいればそれで良く、そのメンバーが揃っていることを王国騎士団長は確認出来ている。
「では早速、集まってもらった理由を説明しよう。君たちは王国騎士団所属の見習い騎士となり、来る魔人戦に向けて厳しい訓練を行うことになる」
「……王国騎士団所属の見習い騎士?」
王国騎士団長の説明に怪訝そうな顔を見せるエカード。卒業後に王国騎士団の見習い騎士になる生徒は少なくない。戦闘力を買われて学院に入学した平民の生徒たちにとっては王道の進路なのだ。
だが貴族家の生徒は、爵位が低く、かつ家を継げない生徒は別として、実家に戻るのが普通。エカードは公爵家の人間であり、いずれ公爵家の当主となる身なのだ。
「君たちは国王陛下直々のご命令で王国騎士となり、新設部隊を編成することになる。対魔人戦における最強の戦力となるべく自らを鍛えるのだ」
「陛下の勅命……しかし祖父は? キルシュバオム公爵はこの件を承知しているのか?」
陛下の勅命となれば従うしかない。だが、そんな勅命が出ることを祖父であるキルシュバオム公爵は知っていたのか、エカードは気になる。知っていれば命令が出される前に手を打っているはずなのだ。
「もちろんだ。キルシュバオム公爵には事前に説明し、了承を得ている。当然、従属貴族家の生徒たちの実家からも反対はない」
「……そんな」
エカードの声以外にも、小さなどよめきが教室に広がる。レオポルドを筆頭とした従属貴族家の生徒たちの反応だ。
何故、集めた最強戦力を王国に渡すような真似をするのか。対魔人戦に限っては、どこの所属であろうと気にしない。勝つことを最優先とすれば、王国騎士団であるほうが良いかもしれないともエカードは思う。
だが魔人戦争が終わったあとはどうなるのか。従属貴族家以外の生徒たちは、そのまま王国騎士団に残ることになってしまうのではないかとエカードは考える。それこそが王国の狙いではないかと。
「これは喜ぶべきことだと私は考えるが? 最高の環境で最高の訓練を行えるのだ」
渋い顔を見せている生徒たちに向かって、王国騎士団長は今回の勅命が良いものであると訴えてくる。実際に学ぶ環境としては最高のはずだ。王国騎士団はローゼンガルテン王国における最強の軍隊なのだから。
「……命令に背くつもりはない」
勅命に背くことは出来ない。背くとしても実家の同意を得て、その力を背景にして行うこと。この場ではない。
「正式な辞令は卒業後。四月から正式な配属だ。だが訓練についてはすぐに取り掛かってもらう。原則、学業より優先してもらうことになる」
「えっ?」
「……どうした? 何か疑問があるのなら言ってみろ」
エカード以外の生徒の声。内心では不満を持っていても、正面からそれを訴えてくるとは王国騎士団長は思っていなかった。
「ぼ、僕は、卒業まであと一年以上あるのですけど……」
声をあげたのはウッドストックだ。勇気があるからではなく、他の生徒が押し殺した声を、動揺が激しくて抑えられなかっただけだ。
「ああ、卒業は繰り上げだ」
「繰り上げ、ですか?」
「次の春で君も卒業出来るということだ。良かったな。一年、短くて済んだ」
「そ、そんな……」
そんなことをウッドストックは望んでいない。考えたこともなかった。
「王国騎士団で働くことが出来るのだ。入学した目的は十分に果たされることになると思うが?」
武によって世の中に立つとなれば、王国騎士団はもっとも良い就職先。四公家に比べて規模も格も上なのだから、そう考えるのが普通だ。
「そうですけど……」
だが成り上がろうなんて気持ちはウッドストックにはない。自分には力しか取り柄が無いと考えているので、騎士の道を進む覚悟は決めている。だが条件は働きやすい環境であって、偉くなれる職場ではない。
「他も同じだ。この場にいる生徒たちは全員、次の春で卒業。王国騎士団に入団となる」
「これで全員ではないのだろうな?」
「何?」
「さきほど、新設部隊を編成すると言っていた。その部隊には、この場にいる生徒以外でも適任者であれば入隊出来るのだろうな?」
クラーラ以外にもこの場にいない仲間がいる。彼等と共に戦う環境が作れるか。それはエカードにとって重要なことだ。数を増やせば、それだけ王国に持って行かれる人が増えるかもしれないが、それ以上に大事なのだ。
「……ああ、もちろんだ。戦力は少しでも多いほうが良い」
「分かった」
増員は可能。あとはその増員するメンバーを決められる権限を得ること。これについてはこの場で交渉することではない。実家の力が必要だ。
「他に質問はあるか? 初回の訓練日程については後日、連絡する。とくに準備することはない。体調を整えておくくらいだな」
国王の勅命により、エカードの下に集まった生徒たちは王国騎士団として魔人戦を戦うことになった。何故、このようなことになったのか。
もしジグルスが学院にいて、この状況について詳しい情報を得ることが出来たら、ひとつの可能性を思い付いたであろう。ウッドストックが選ばれて、クラーラが外されているという一点の事実だけで。
◆◆◆
国王の勅命はリーゼロッテたちには届いていない。タバートも同じだ。それを悔しく思う気持ちは二人にはないが、怪しいと思う気持ちは強い。エカードの下に集まった生徒たちの中からだけ選ばれている。それは本当の意味で、優秀な人材を集めるということにはならない。もちろん、エカードの下には学院でトップクラスの人材が揃っている。だがその彼等に劣ることのない人材は他にもいるのだ。リーゼロッテもタバートもそう。他にもエカードには遠く及ばなくても、その下にいる生徒であれば互角に戦える人材はいる。
「単純に考えれば、詳しく調べる手間を怠って、もっとも人が集まっているエカードのところを選んだということではないか?」
「なるほど。王女殿下が関与しているのであれば、また人選は変わっていますか」
「……お主、妾を疑っていたのか?」
タバートの言葉にカロリーネ王女は不満そうな表情を見せている。だがこれは、タバートが疑い深いということではない。王国が学院の情報を入手するのに一番の方法は、カロリーネ王女に聞くことだと考えるのは普通のことだ。
「疑っていたというか……可能性のひとつとして考えていただけです」
「それを行って妾にどんな利がある?」
「王女殿下に利がなくても王国にとって利があれば良いのです。それに……」
何かを言いかけて止めてしまうタバート。そんなことをされて、放っておけるカロリーネ王女ではない。
「言いたいことがあるなら言え」
「……では……王女殿下も参加する可能性があります」
「えっ?」
「王女殿下に勅命は必要ありません。お城で参加しろと言われるだけで終わりではありませんか?」
新設される部隊にカロリーネ王女が参加する可能性は少なくない。単純に実力だけを考えれば、選ばれるだろう。あとは父として娘を戦場には送りたくないという思いが国王にあるかないかだ。
「……勝つ為に必要と言われれば、断れない」
「そうでしょう……しかし、何を焦っているのでしょうか? 同世代が戦力として認められることは悪いことではありません。ですが、こんな特別待遇を用意する必要があるとは思えません」
魔人戦争に向けての鍛錬をタバートも怠っていない。同世代の力が王国に認められたのだと考えれば、自分も通用すると自信が持てる。嬉しく思える。
だがここまでのことをする意味は見出せない。
「焦っているのではなく、焦らされているのではないかしら?」
「おお? ようやく口を開いたか。遠くにいる誰かに思いを馳せていて、心ここにあらずなのかと思っていた」
ずっと黙っていたリーゼロッテをカロリーネ王女はからかってくる。
「……王女殿下の手前、話しづらかっただけですわ」
「何故、妾に気を使う?」
「では話しますわ。王国はキルシュバオム公爵家に騙されているのではないですか?」
「なんだと……?」
「今回の件はキルシュバオム公爵家が了承していないと進められないものだわ。では何故、キルシュバオム公爵家は了承したのでしょう? 利があるようには思えませんわ」
キルシュバオム公爵家の知らないところで跡継ぎであるエカードを、従属貴族家の子弟を王国騎士団に入団させられるはずがない。まして勅命だ。絶対に背くことはないと分かっていなければ、出せるものではない。
勅命は絶対で何人も逆らえない、なんて思い込めるほど王国の力は飛び抜けていないのだ。
「……損をする側が何故、騙すのだ?」
「損をしているだけに見えることが怪しいのですわ。本当に損しかないのであれば、キルシュバオム公爵家が受け入れるはずがありません。裏に、見えない何かがあるのです」
王家の命令とはいえ、それに唯々諾々と従う公爵家ではない。そのような力関係であれば、とっくに公国などなくなっている。もっとも力があるのは王国であるが、公国がまとまって反旗を翻すことになれば力関係はひっくり返るかもしれない。そんなバランスなのだ。
「……お主……誰かに似て、性格が悪くなったな」
「王女殿下」
またジグルスを持ち出してくるカロリーネ王女を、リーゼロッテはキツい目で睨む。
「じ、冗談だ。ただ、どうしても二人の刺激的な光景が頭から離れなくてな」
「王女殿下!」
顔を真っ赤にして大声をあげるリーゼロッテ。怒りで赤くなっているのではない。恥ずかしいのだ。
「今日のところはこの辺りで勘弁してやろう。キルシュバオム公爵家の企みか……まったく思い付かんな」
「……私もですわ」
「騙されているのは王国なのか? 実は我々ということはないのか?」
王国ではなくリリエンベルク公爵家とラヴェンデル公爵家が騙されている可能性を口にするタバート。
「タバート……」
それにリーゼロッテは呆れ顔だ。
「……俺は何か間違ったか?」
「私が何故、王女殿下に気を使ったか分かっていなかったのね?」
「えっ……あっ!」
タバートの仮説はローゼンガルテン王国とキルシュバオム公爵家が協力して、他の公爵家を騙そうとしているということ。こんなことは王女であるカロリーネの前で話すことではない。
「……妾は口が固い」
その気の使われ方はカロリーネ王女にとってかなり寂しい。信用されていないということだと受け取った。
「心配していたのはそれ。王女殿下に隠し事をさせることになりますわ」
「……そうか」
リーゼロッテの説明を聞いて、少し気持ちが晴れたカロリーネ王女だった。
「複雑だな。ただ戦って勝つ、では駄目なのか」
「いえ、駄目ではありませんわ。ただ勝つことだけを考えるべきだと私も思います」
魔人との戦いに謀略など持ち込むべきではない。持ち込むにしても相手を間違っている。もし懸念していることが事実であるなら、本当に勝てるのかとリーゼロッテは不安になってしまう。ジグルスが感じたと似た思いを、リーゼロッテも感じている。
「我々はそうするしかない。勝つ為の方法をひたすら探し続けるしかない」
優秀な人材の頭数はエカードのところとは比べものにならない。それでも勝つ為には何をすべきかをタバートは考えている。それ以外に意識を向けている余裕はない。その力もない。
「……フェリクス。先日、持ってきた資料の写しは出来ているかしら?」
「いえ、まだ三部しか写しを作れておりません」
「そう。では一部持ってきてくれるかしら?」
「……リーゼロッテ様」
「持ってきて」
「承知しました」
急にフェリクスに資料を持ってくるように指示を出すリーゼロッテ。それに躊躇いを見せながらも、フェリクスは言われた書類を取りに動いた。
戻ってきたフェリクスが持ってきたのは紙の束。びっしりと文字、だけでなく図も書かれているものだ。
「これを貴方に貸すわ。もし必要であれば写しを作っても良い」
「……これは?」
「私たちが考えてきた勝つ方法をまとめたもの。貴方の役に立つと良いけど」
「……良いのか?」
リーゼロッテが貸すといっているのは戦術をまとめたもの。リリエンベルク公爵家の戦い方が書かれた資料だ。本来であれば他家になど決して見せて良いものではない。万一争いが起こった時、相手に手の内を知られている状況で戦うことになってしまう。
「かまわないわ。それはリリエンベルク公国軍の戦術ではないもの。それに……きっとそれが全てではないわ」
タバートに貸そうとしている資料は、ジグルスがまとめたものだ。学院の合宿に向けて考えていたものを改良するだけでなく、規模を拡大して全体を見直し、戦争で使えるものにしている。実戦で試したものではないが、実際に通用するとリーゼロッテは考えている。これが完成形ではないとも。
ジグルスが何の為に実家に戻ったかを、すでにリーゼロッテは知っている。彼女の記憶が戻り、ジグルスがすでに学院を去った状況で無理に隠す必要はないと判断されたのだ。孫娘にそれで嫌われたくないという思いも、リリエンベルク公爵にはある。
ジグルスは自分が考えた戦術を実現出来る部隊を育てようとしている。そうであれば、今資料に書かれている内容はもっと改良されていくはず。多くの新しい内容が加わっていくはずだ。考えたことを試す環境、人をジグルスは与えられたのだから。
「……ありがとう。そう言ってもらえるなら、遠慮することなく使わせてもらう」
まだ細かなところまで読めていないが、パッと見ただけで自分たちが考えてきたものを超えているとタバートは判断した。なんといってもリーゼロッテたちは二度の実戦を経験している。その経験がある中で考えられた戦術なのだ。実際はそれにさらに王国騎士団の騎士や兵士の戦術も、役立つと思う部分だけ、組み込まれていたりするので、タバートが考えている以上に確かなものだ。
それはそうだ。リリエンベルク公爵家はこの資料のさらに前の資料を見て、ジグルスに部隊を任せると判断したくらいなのだ。
ただタバートが、ラヴェンデル公国軍がこれを実現出来るかは別の話。リリエンベルク公爵家があえて新設部隊を作るにはそれが必要となる理由があるのだ。
渡された資料を急いで読みたいタバートは、自分の部室に戻っていった。それと同時にカロリーネ王女も席を立つ。無駄話を出来る雰囲気ではないと感じてのことだ。
「……分かっていますね? 貴方たちはタバート以上にこの内容を理解し、自分のものにしなくてはなりません。貴方たちであれば出来るはずです。貴方たちがリリエンベルク公国軍を支えるのです」
「「「はっ!」」」
本当はジグルスを支えろと言いたいのだが、今そう言っても彼等には響かない。彼等はジグルスを思い出せない。共に最悪の時を戦った戦友の存在は知っていても、彼の功績を思い出せないのだ。
それでもリーゼロッテは彼等をジグルスの下に送り込もうと考えている。彼等七人であれば、必ずジグルスの戦術を自分のものとして、リリエンベルク公国軍の支えになると信じているのだ。