エカードの命令に従って、ということにして、ジグルスについての情報収集を始めたクラーラ。その行動は精力的だった。
まず行ったのは徹底した聞き込み。ジグルス・クロニクスという生徒を知っているか、知っているなら彼がどういう人か知っているか。彼に関する学院生活での思い出はないか。こういったことを生徒たちに聞いて回った。
その結果はますます疑問が深まるばかり。ジグルス・クロニクスという生徒は知っている。だが彼がどういう人かは良く知らない。当然、思い出なんてない。得られた答えは全てこれだ。
これだけであれば、よほど目立たない生徒なのかで終わるのだが、クラーラの情報収集に手抜きはない。人の記憶だけでなく、学院の記録も調べたのだ。
そして見つけたのが、昨年度のミスター王立学院がジグルス・クロニクスであったという事実。学院における唯一といえる年に一度の全学年参加の娯楽イベント。そこでミスター王立学院に選ばれた生徒を知らないはずがないのだ。誰も知らない生徒がそれだけの得票を得られるはずがない。
何か異常なことが起こっている。クラーラはそれを確信した。そうなると次は何が、何故起きているのか。ただそれを調べるのは簡単ではない。
事情を知っていそうな人はいる。カロリーネ王女とアルウィンだ。この二人に事情を聞くことが出来れば、疑問は解消する。だが聞いたところで二人が真実を話してくれるか。それ以前に、平民であるクラーラは、カロリーネ王女に声を掛けることさえ、難しい。
「つまり?」
ここまでの状況をクラーラに説明されたエカード。
「エカード様が王女殿下に聞いて下さい」
「…………」
「私では無理ですが、公爵家のエカード様ならいけますよね?」
「いけるか……話は出来る」
確かにエカードはカロリーネ王女と話をすることが出来る。だが、それを公爵家のエカードに、なんら躊躇うことなく指示出来るクラーラであれば、カロリーネ王女とも話せるのではないかとも思う。
「じゃあ、聞いて下さい。私はアルウィンという三年生を当たります。正直、こちらのほうが本命かなと思っています」
「何故だ?」
「こそこそ話が多くて。王女殿下とも人前で話すことはほとんどありませんけど、それは相手が相手だから。でも私と同じ平民の生徒と話をするのに、周囲を気にする必要はないはずです」
「……なるほど。ちなみに、君は何が起きていると考えている? どういう事態が起きていると考えて話を聞けば良いのか、考えがあるのであれば教えてくれ」
正直、クラーラがここまでのことを調べてくるとエカードは思っていなかった。自分の知らなかった腕の立つ生徒がいた。どうして今まで気付かなかったのだろう、が気になったきっかけだった。実際には他に、理由の分からない、ざわつく気持ちはあるとしても。
「笑いません?」
「……笑わない」
「今、間が空きましたけど?」
「それは……どうしてそんなことを聞くのかと思って」
クラーラと話をしていると調子が狂う。かといって嫌だという気持ちは湧かない。
「そうですね。変な質問ですよね? でも、私の考えもまた変です。何らかの力で記憶を奪われたのではないかと考えています」
「記憶を……それは、仮に冗談だとしても笑えない。そんなことがあり得るのか?」
「事実がそれを示していると思います。ミスター王立学院ですよ? 誰も知らないはずはありません。ちなみにエカード様は二位。私は覚えています」
「そうだったな……」
クラーラの言う通り、自分は二位だった。つまり同じ壇上にジグルスはいたはずなのだ。それで彼についての記憶がない。確かにおかしいとエカードも思った。
「落ち込まないでください」
「落ち込んでいない……そういえば君は三位だった……」
よく考えてみるとイベントの時の記憶が蘇ってくる。だがジグルスに関する記憶だけは思い出すことがない。
「そうです。私はそのあと、リーゼロッテ様とお話をしています。誰かに連れて行ってもらって。それが誰かとなると一番可能性が高いのは同じ壇上にいて、リリエンベルク公爵家の従属貴族家であるジグルスさん」
「……変わった踊りを始めた」
「はい。でもどうしてそうなったのかが分かりません。つまり、ジグルスさんが始めたのです」
記憶が飛んでいるところにはジグルスが関わっている。クラーラはそんな風に考えようとしている。そうなるとまた見えてくるものがある。
「……思い出した。あっ、いや、思い出せないのだが、この間と同じように、リーゼロッテに絡むと必ず邪魔する生徒がいた。誰か思い出せないということは」
「それも恐らくジグルスさん。つまり、常にああしてジグルスさんはリーゼロッテ様を守っていた」
「守って……いや、そうだな。それは認めなくてはならない。俺もリーゼロッテを傷つけようとした一人だ」
エカードにとって忘れたい過去。それも頭にはっきりと浮かんできた。
「ごめんなさい。でも忘れているよりは、思い出して反省するほうが良いですよね?」
「……そうだな。俺もそう思う」
そしてそう言ってもらえることで気持ちが楽になる。やはりクラーラは変わっているとエカードは思う。
「まだまだ思い出せない人がいます。合宿の時、これは両方の合宿です。その時にリーゼロッテ様のチームの戦術を考えた人も私は思い出せません。ウッドくんは臆病な自分に自信を与えてくれた誰かが思い出せないと言っていました。エカード様にはいませんか? 心に残る出来事なのに関わった人が思い出せないことが」
「……リーゼロッテ絡みはいくつか……ああ、タバートの件もだ……彼と話すようになったきっかけを作った誰かがいたが、思い出せない」
そう考えると近頃、タバートと話すこともなくなった。自分たちを繋いでいた誰かがいなくなったせいなのかとエカードは考えた。
「もし私の考えに間違いがなければ、ジグルス・クロニクスという生徒はとんでもない人です。この一年半、学院では色々なことがありました。心に残る出来事の全てに絡んでいるかもしれないのです」
「……その彼と王女殿下は親しい。君の考えが正しいとすれば、王女殿下は彼が何者で、何を為してきたかを知っているな」
だからこそ小貴族家のジグルスと、カロリーネ王女は親しく接するのだとエカードは考えた。
「彼の価値を王女殿下は知っているという意味ですか? それについては同意出来ません」
「何故だ?」
「そういう打算のある感じではありませんでした。冗談が言い合える本当に仲の良い友人という感じです」
「……そうか。君がそう感じたのであれば、そうなのだろうな。だが王女殿下とそういう関係になれるということも、彼の価値だ。これは打算というのではなく……」
エカードのほうが遙かにカロリーネ王女との接点は多かった。その自分がなれなかった関係にジグルスはなっている。それは特別なことだとエカードは思う。
「人としての魅力」
「ああ、それだ」
「……大丈夫。エカード様にもありますよ」
笑みを浮かべてこれを言うクラーラ。これで意外と、自分に気を使っているのだとエカードは思った。
「それは褒められているのか?」
「これが褒めていなくて、どういうのが褒めていることになるのですか?」
「そうだな。ありがとう」
「そういうところ。平民の私に対してもそうやって、きちんと御礼を言います。この件も命令ではなくお願いするという態度でしたね」
「それは君が……あっ、いや、自分でも分からない。多くの人と接するようになって、いつの間にか身に付いたのかな?」
クラーラ相手だと平民、貴族といった身分を気にすることがない。という台詞は何だか恥ずかしい気がして、エカードは言葉に出来なかった。ただ実際に以前よりも多くの、色々な人と接するようになっている。それによって変わったこともあるのだろうとは実際に思っている。
「仮説は固まっています。あとはどう証明するか」
「それを証明する必要がありますか?」
「えっ?」
会話に割り込んできた声。一応は周囲に気を配って、誰にも聞かれないように話をしていたクラーラとエカードにとっては、まさかの声だ。しかも、周囲を探っても誰もいないのだ。
「まさか、クラーラさんにこういう才能があるとは。意外過ぎて油断しました」
「……ジグルス、さん」
不意に姿を現した声の主はジグルス。今まさに話をしていた人物が目の前に現れた。
「こそこそと探っているから、何かに気付いたのかとは思っていましたが、ここまでの推論を固めているとは」
尾行、盗み聞きはジグルスの得意とするところ。クラーラの行動には気が付いていた。誤算はこんなに早くクラーラが真実に辿り着いたこと。自分が知るクラーラとは異なる一面に気付かず、甘く見すぎていたとジグルスは反省している。
「……私の考えは当たっているのですね?」
「肯定も否定もしません。俺から言いたいのは、俺が何者であろうと、何をしていようと貴方たちにとってどうでも良いことだ、ということ」
「そんなことはありません」
「では聞きますけど……何か困りましたか?」
「えっ?」
「仮に、万一ですが貴方の考えが正しかったとして、俺の記憶がないことで何か困ったことがありましたか?」
「それは……」
ジグルスに関する記憶を失っていても、何事もなく学院生活を送っていた。それもそれなりに充実した毎日だった。困ったことはあったかと聞かれると、答えは「ない」だ。だがそれを口にすることは躊躇われた。
「何もない。その程度の存在である俺を気にする必要はありません。無駄なことに時間を使うのは止めたほうが良い」
「……それで……それで貴方は良いのですか?」
「俺? 俺も何も困りませんけど?」
「自分を忘れられて、思い出をなかったことにされて、それで本当に良いのですか?」
自分であれば耐えられないとクラーラは思う。楽しいことばかりではないが、学院生活の思い出から、友人たちのその記憶から自分だけが消されるなど悲しすぎる。
「……問題ありません。俺は覚えていますから」
「ジグルスさん!」
「……クラーラさん、貴女は優しい人だ。でも、優しさも時には人を傷つけることを知った方が良い。忘れていたことを思い出すことで、傷つく人もいるのです」
「それは……貴方ではない……」
ジグルス本人は記憶を失っていない。では傷つくのは誰なのか。すぐに分かるのはジグルスには傷つけたくない人がいるということ。それは誰かと考えれば答えに辿り着く。これまでジグルスが守り続けていた人だ。
「それへの答えも同じ。肯定も否定もしません」
「……私は貴方を思い出したい。きっと貴方との思い出は、私にとって大切なものだから」
「……そんな言い方をすると隣の人が誤解して、不機嫌になりますよ?」
「えっ?」「なっ?」
残念ながら脈なし。クラーラの反応をジグルスはそう見た。話を逸らす為に口にしたことなので、どうでも良いことだ。
「とにかく、これ以上の詮索は無用に願います。それでも続けるというなら、こちらにも考えがあります」
「それは脅しか?」
「公爵家の自分を脅すつもりか、とでも考えていますか? 必要であれば俺はそれを行います。さっきの推論を正しいと考えているのであれば分かるはずです」
「…………」
ことごとく自分に逆らってきた何者か。それが目の前のジグルスであれば、脅すくらいは平気で行う。実際にもう行っている。
「ではこれで。話し合いはこれが最後であることを願っています」
「ま、待て。まだ聞きたいことがある」
この場を去ろうとするジグルスを呼び止めるエカード。もう話すことはないと告げたつもりの自分に向かって、聞きたいことがあるとエカードは言う。自分のことは忘れていても、こういうところは変わらないとジグルスは思った。万人に対して、こうなのだろうと。
「……何か?」
「お前は何を知っている?」
エカードがジグルスに対して気になっていたことには、ユリアーナとの立ち合いを行った後の言葉もある。「頼れない」とジグルスは言った。その意味がエカードには分からない。ジグルスは自分とは違う何か、自分には見えない何かを見ている気がしている。
「何を知っている……何も、と言いたいところですけど良いでしょう。教えて差し上げます。魔人は強いのです」
エカードが何を聞きたいのかは分からない。だがジグルスはこの機会に言いたいことは言っておこうと考えた。
「……そんなことは知っている」
「本当に知っていますか? 俺は魔人と戦いました、といっても逃げ回っていただけです。どうして助かったのかは未だに分かりません」
「それが何だ?」
「彼女から逃げ回るのはそれよりも楽でした。攻撃は魔人よりも鋭いかもしれません。でも、彼女との立ち合いでは俺は死ぬほどの怪我は負いませんでした」
戦えばきっと魔人よりユリアーナの方が強いのだろうとは思う。だが彼女には、魔人から感じた何かがない。体が強ばってしまうほどの恐怖心を感じなかった。もちろん、単純には比較出来ないことは分かっている。
「……授業での立ち合いだ」
エカードの言う通り、授業での立ち合いと本当の殺し合いは違う。だが。
「本番での彼女はもっと強いと? どうしてそう言えるのですか? 彼女はまだ一度もその本番を経験していないのに」
ユリアーナはその実戦を知らない。実戦経験を得る機会を無にしてきた。
「……仮にユリアーナの力が魔人に劣るとしても、仲間の力を合わせれば勝てる」
「そうなのでしょう。貴方たちの戦場では勝てる。では他の場所ではどうですか? 貴方たちが戦う場所とは違う戦場でも必ず勝てますか?」
「それは……他の戦場でも勝つための努力を」
「自分たちの知ったことではない。貴方たちはそう考えている。自分たちの目の前の戦いで勝つことしか考えていない。他の戦場で何百、何千の犠牲が出ようと知らないと言う」
「…………」
否定の言葉を口にしようとエカードは思った。だが実際に口にすることは出来ない。ジグルスの言う通り、とは認めたくないが、そこまでのことをきちんと考えていたとは言えないのだ。
「魔人を全て倒せば戦争は終わり。貴方たちはそれを成し遂げるのかもしれない。でも、それまでの間にどれだけの犠牲者が生まれるのですか? エカード様は万の犠牲の上に立ち、自分たちは勝ったと自信を持って言えますか?」
「…………」
完全に言葉を失ったエカード。自分たちは何の為に戦おうとしていたのか。臨時合宿の時に感じた悔しさは何だったのか。いつの間にか自分たちの為の戦いになっていなかったか。自問自答すればするほど、何も言えなくなる。
「……申し訳ありません。俺には貴方たちを批判する資格はありませんね……俺はもっと何も出来ない」
思っていることを吐き出してしまったが、それを言う自分は何なのかとジグルスは思う。エカードたちは魔人を倒す分だけ、自分よりもマシではないかと。
苦い表情を見せて、この場を離れていくジグルス。エカードも引き止めることはしない。
「……エカード様。あの人の言葉は正しいと私は思います」
「分かっている」
「では私たちは何の為に戦うのですか? あの人はきっと守る為に戦うのです。これまでがそうであったように」
自分たちは勝つ為に戦おうとしている。だがジグルスは恐らくそうではない。守る為に、犠牲をなくすために戦おうとしているのだとクラーラは考えた。ジグルスは戦争によって生み出される犠牲者について、語っていたのだ。
「……俺たちは間違っていないか、もう一度考えてみようと思う。自分でも気付かないうちに、何かが狂っているのかもしれない」
少し前の自分がそうであったように。その間違いに気付かせてくれたのは誰だったか。その人物もエカードは思い出せそうにない。つまりはそういうことなのだ。自分はまたジグルスに救われようとしているのだと、エカードは考えた。