ローゼンガルテン王国騎士団の訓練場。騎士にしてはかなり若い、せいぜい見習い騎士にしか見えない者たちが、そこで訓練を行っている。見た目通り、彼等は騎士ではない。学院の生徒たちだ。
エカード、ユリアーナ、レオポルド、マリアンネやウッドストック、クラーラの顔も見える。エカードの下に集まっている優秀な生徒たちが勢揃いだ。逆の言い方をすれば、エカードたちしかいない。リリエンベルク公爵家のリーゼロッテたち、そしてラヴェンデル公爵家のタバートたちは参加していないのだ。
これは学院の行事ではない。キルシュバオム公爵家だけに許された訓練場の公開だ。訓練には王国騎士団も参加している。騎士団の基本的な戦術をエカードたちに教える講師役としてだ。
「つまり、依怙贔屓というやつですね?」
「その表現はどうだろう? 特別な配慮くらいにしてもらえるか?」
ジグルスの言いようにワルター副団長は苦笑いだ。そもそもジグルスにそれを言う資格があるのか。こうしてキルシュバオム公爵家のみに許された訓練を見学出来ているジグルスこそ、贔屓されていると言えるだろう。
「表現は何であれ、内情は気になります。キルシュバオム公爵家は何を考えているのでしょう?」
「それは私にも分からない。恐らくは、上のほうで何らかの取引があったのだろうな」
王国騎士団副団長であるワルターも知らないところでの取引。騎士団長ではなく、さらに上。国政の上層部での取引なのだろうとジグルスは判断した。
「王国騎士団としては彼等をどう使うつもりですか?」
「それを考える為の訓練だろう。即戦力になると判断されれば……王国騎士団として参戦すると考えているのか?」
「そうでなくて何故、王国騎士団が指導するのですか? だからキルシュバオム公爵家は何を考えているのでしょうと聞いたのです」
リーゼロッテたちも、タバートたちも公国軍として自領を守る為に自分たちを鍛えている。本来、キルシュバオム公爵家のエカードも、自領を守る役目を果たそうとするはずだ。
だが今回の件は、キルシュバオム公国軍ではなく王国騎士団の一員として参戦する為の訓練だとジグルスは考えている。そうなるとキルシュバオム公爵家は貴重な戦力を手放すことになってしまう。
「……そこまでの報告は受けていないが……そうだな。公国の軍の為に、王国騎士団が力を入れるはずがない。つまり騎士団長は知っているということか」
「ワルター副団長が知らないなんて、謀略って感じですね?」
序列でいえばナンバーツー。副団長は複数人なので実質は一つ、二つ下かもしれないが、それでも騎士団の頂点に近い位置にいるワルター副団長だ。そこに情報が伝わらないのは異常だとジグルスは想う。
「どうだろうな? 私と団長は必ずしも上手くいっていない。私だけに話さなかった可能性はある」
「……理由を聞いてもよろしいですか?」
「話せることとなると……知っての通り、私は魔人との戦いに不安しか感じていない。ただ先延ばしをするだけでは意味がないか、開戦にはもっと戦力の増強が必要だと考えている」
「騎士団長はそうではない?」
「団長ももちろん戦力の増強があったほうが良いと思っている。ただ現状への不安は王国騎士団の力が認められていないということ。それで騎士団以外の力を頼ることが、納得いかないのだ。気持ちとしては私も理解している」
気持ちは分かるがワルター副団長は勝率を上げることを優先し、ジグルスの父の力が必要だと考えている。王国騎士団長にとっては騎士団を捨てた裏切り者の力を。それが二人の関係を悪くしているのだ。
「そうなると目の前のことも騎士団長は納得していないのでしょうね」
目の前で訓練を行っているのは主にキルシュバオム公爵家の人材。王国騎士団以外の人材によって戦力を補強することになる。
「そうなるな……個人的には騎士団内に軋みを生じるような真似は止めてもらいたいのだが……」
ワルター副団長では文句の言えない上層部が決めたことであれば、どうにも出来ない。
「戦力にはなると思うのですけど」
「君であれば彼等をどう使う?」
「……魔人を倒す為だけの決戦兵器」
初めの頃はこういう質問をされると戸惑っていたジグルスだが、もう慣れた。答えを考えることは自分の為になるとも考えている。
「あえて『だけ』を使う意味は?」
「さきほどワルター副団長がおっしゃった通り。王国騎士団と共に戦わせると揉め事を起こすかもしれません。だったら完全に役割を分けたほうが良いと考えました」
卒業したばかりの彼等の言うことに騎士たちが大人しく従うとは思えない。その逆も同じ。ユリアーナやレオポルド、そしてエカードも主導権を握ろうと、それを意識しなくても、騎士の指示を無視して勝手な行動をとる可能性がある。
「……だがその結果、魔人を倒す功績は全て彼等のものとなる」
「駄目ですか?」
「戦功を得る為に騎士は普段から鍛えているのだ。それをぽっと出の若者たちに譲るとなれば、反発は大きいだろう」
「結局、軋轢が生まれますか……勝つことが優先というわけにはいかないのでしょうか?」
功名をあげたいという騎士の気持ちがジグルスには頭でしか分からない。勝つ為にそれぞれ適した役割を与えられ、それを果たせば良いだけと考えてしまうのだ。
「騎士だからな。功名をあげる為には命を惜しむな。無様な生よりも栄誉ある死を選べ。そんな風に教えられているのだ。そうだからこそ騎士は兵士より強くあるのだ」
「そうですか……」
内心では本当に騎士は兵士より強いのかとジグルスは考えている。単純に鍛錬の量が違うだけではないかと。だがワルター副団長に向かってそれを口にするほどジグルスは馬鹿ではない。ワルター副団長もまた、そう教えられて育った誇りを持つ騎士なのだ。
「しかし……凄いな」
訓練場ではエカードたちの凄まじい攻撃が炸裂している。的としてかなりの数を並べているが、すぐに全てが使い物にならなくなりそうな勢いだ。
「……目立ちたがり屋ですから。騎士の方たちも実際にああいう戦いをするのですか?」
ジグルスには無駄に魔力を使っているだけと思ってしまう攻撃。あれで訓練になっているのかと疑問に感じた。
「個人の力量にもよるが、あそこまでではない」
つまり大きくは外れていないということ。やはり騎士は個としての戦い方をするのだとジグルスは理解した。自分が参考にするべきは騎士ではなく、兵士の戦い方。この考えに間違いはなかったと思えた。
「……ウッドストックくんに悪いことしたな」
彼等は一騎当千。言葉通りの千は無理でも数百の敵であれば一人でも戦うことが出来る。そういう存在なのだ。そんな実力があるウッドストックにジグルスは集団戦を強いた。合わない戦い方をさせてしまったと思った。
「さて……せっかく見学させてもらっているのですが、そろそろ王女殿下のところに行こうと思います」
「もうそんな時間か?」
ジグルスはこのあとカロリーネ王女と会う約束をしている。城のすぐ横まで来て、自分のところに寄らないのはおかしいと言われているのだ。普通はそうかもしれないが、城はそんな気軽に立ち寄れる場所ではない。
「いえ、少し早いです。でも……正直に言って、彼等の戦い方は参考にはなりません。凡人が天才の戦い方を真似てもろくな結果にならないと思います」
「……そうだな」
確かにジグルスの言う通りだ。では天才が凡人を率いた場合はどうか。精鋭に生まれ変わることが歴史の中で何度も起きている。
ジグルスはその天才になれる可能性があるとワルター副団長は考えている。王国騎士団に取り込むべきは訓練をしている彼等ではなくジグルスだと。こうして見学させているのも、英才教育を行っているくらいの気持ちなのだ。
だがワルター副団長にはジグルスを、入団はさせられても、抜擢する力はない。
「今日はありがとうございました。また教えてください」
「ああ……失礼のないようにな」
「えっ……あ、はい。気をつけます」
カロリーネ王女に今更、失礼も何もない。変に畏まった態度をみせると逆に不機嫌になるくらいだ。ただワルター副団長はそういうことを知らないのだろうと考え、了承の言葉を口にしておいた。
ジグルスがこのワルター副団長の言葉の意味を知るのは、城に行ってからだ。
◆◆◆
ワルター副団長がつけてくれた案内に騎士に連れられて、ジグルスは城にやってきた。図書室に通う為に何度も来ているので、道案内など不要なのだが、騎士の役目は道案内というよりジグルスが変な真似をしないかの監視役。そういった役割の者を付けることで、変なことに巻き込まれないようにしたワルター副団長の配慮だ。
ジグルスの訪問は伝わっていて、城の中に入ってからは別の騎士が先導してくれている。ジグルスの知らない廊下を。
「えっと……図書室に向かうのではないのですか?」
「ん? ああ、違う」
ではどこなのかを騎士は教えてくれない。図書室ではないことだけを伝えて、また前を向いて歩き出した。ジグルスはその背中についていくしかない。
心の中ではこれははめられたかもしれないと思っている。向かっているのは国王のところではないかと。そう思うくらいに、城の奥まで来ている様子なのだ。
「ここだ」
目的の部屋についた。やはりジグルスが初めて訪れる場所。騎士が扉を軽く叩くと、すぐに中からカロリーネ王女が顔を出した。侍女とかではなくカロリーネ王女自身。それでジグルスは少し気が抜けた。
「おお、来たな。入れ」
「はい」
カロリーネ王女に続いて部屋の中に入るジグルス。部屋の中央に置かれたテーブルに人が座っているのを見て、気を抜くのは早かったようだと思った。
金髪碧眼、穏やかな笑みを浮かべているその男性にジグルスは会ったことがない。
「兄上だ」
「ああ……はい?」
カロリーネ王女の兄。つまりローゼンガルテン王国の次期国王となる予定のアルベルト王子だ。
「良く来たね。事前に告げずに同席することを許して欲しい。先に知ると君は来ないと妹が言うので」
「いえ……少し驚きましたが、王子殿下から謝罪を受けるようなことではありません」
「そう。まずは座って。立たせたままでは話しづらい」
「はい」
少し迷ったが、カロリーネ王女がさっさと席に座るのを見て、ジグルスも遠慮をするのは止めておいた。話の感じからそういった遠慮を嫌う人だと感じたのもある。
「強引に同席したのは、君が妹と仲良くしていると聞いたから。妹はこれで難しい性格でね。人に打ち解けることはあまりないのだけど、君は違うようだ。そうなると君の為人を知りたくなる」
「……期待に応えられるような為人ではないと思います」
「ああ、難しいとは思うけど、あまり身構えないで欲しい。私はこういう席を持つことがほとんどなくて、君に緊張されると私も思うように話せなくなってしまう」
アルベルト王子はカロリーネ王女のように学院に通うことはなかった。同世代の友人というものがいないのだ。もちろん、まったくいないわけではなく、貴族家の中からしかるべき若者が選ばれ、近習として側にいる。だがそれは与えられた友人、関係性も友人というより臣下のままだ。
「そうですか……では王女殿下、お話を」
「……どうしてこの流れで妾が話をすることになる?」
「王女殿下のお話を聞けば、緊張もほぐれるかと思いまして」
「……それは妾の話が下らないと言っているのか?」
ジグルスをジト目で睨むカロリーネ王女。
「王女殿下、そういうことは言葉にするものではありません」
「言っているではないか!?」
「……これはやり過ぎでしたか」
少しふざけた会話を行ってみたが、それを見ていたアルベルト王子は呆気にとられている。期待していたものとは違っていたようだとジグルスは判断した。
「……いや、妹が……こんな妹を見るのは初めてで」
「兄上はジークのお馬鹿とは違う。もっと高尚な話をいつもしているからですわ」
「私としては今のカロリーネも面白いが……こういうのは自然に見られるものか」
無理に態度を変えさせても意味はない。ジグルス相手だからこそ、見せている態度なのだ。それを望むのであれば、カロリーネ王女がそうできる雰囲気を自分が作らなければならないとアルベルト王子は思った。
「仲がよろしいのですね?」
「そうだね。仕事で疲れた時は、よく相手をしてもらっている。妹といると気が休まる。弱音を吐ける唯一の相手だからね」
「王子殿下のお仕事は想像するしかありませんが、大変なのですね?」
「仕事の内容だけでなく周囲の期待もあるからね」
王子として、次期国王として仕事は完璧にこなさなければならない。そういったプレッシャーをアルベルト王子は感じているのだ。
「期待されないよりはマシ、と思うのは私が気楽な立場だからですね」
「気楽な立場かな? 妹の友人として会っているので、あまり触れたくないが、君にも私では分からない苦労がありそうだ」
アルベルト王子は当然、ジグルスについて詳しく知っている。ただ今日はカロリーネ王女の約束に割り込んだ身。兄としての話だけで終わらすべきだと考えていたのだ。
「それは私ではなく、父親への期待です。個人的には期待外れだと思っていますが」
「君に期待している人もいる。ワルターなんてその代表だね」
「……ああ、そういうことですか」
何故、ワルター副団長がわざわざ「失礼のないように」なんて言ったのか。その理由が分かった。
「この際だ。これだけは聞かせてもらおう。ワルターの期待に応えるつもりはないのかな?」
「父ではなく私がですか?」
「そう。ワルターは君には軍事の才能があると見ている。優秀な将になれると考えているようだ」
ワルター副団長がこれをアルベルト王子に話したのは、自分に出来ないことをやって欲しいから。アルベルト王子にジグルスを抜擢してもらいたいと考えているのだ。
「……母は私が戦場に出ることを望んでいません。その恐れがあれば、爵位を捨てて、山に引きこもることになるでしょう」
「君の母上に山にこもられては、見つけ出すことは不可能に近いだろうね。息子の命を大切に思う気持ちは分かる。戦争なんてないほうが良いのも間違いない。でも、どうしても守りたいものがあるとすれば、君はどうする?」
「…………」
アルベルト王子の問いにジグルスは答えられない。戦わないと言えないのだ。これまでの行動は反省している。だが大切な人たちが傷つこうとしている時、見て見ぬ振りが出来るか。
「ローゼンガルテン王国が君の守りたいものになれば良いのだけど、簡単ではなさそうだ。さて、難しい話は止めよう。今は妹の為の時間だからね」
アルベルト王子は話を打ち切った。この段階で王国騎士団に入ることを求めても、ジグルスが諾と言わないことは分かっている。
まずはもっと人と人としての付き合いを深めるべきだと。打算を感じると、心を開かないのはカロリーネ王女と同じ。そして自分とも同じだと思った。