向かい合う敵はおよそ三十。味方に比べて少し多いくらいだ。だがジグルスを含む前衛に余裕の色はない。簡単に打ち破れるような敵ではないのだ。
敵は隊列を組むことなく、まとまって近づいてくる。前回、強化合宿でジグルスたちが魔物と戦った時と同じ状況だ。異なるのは後衛から敵に向かって魔法が放たれないこと。
「来ます! 隊列を整えて!」
敵はもう目の前。前衛の生徒たちはお互いの距離を詰めて、剣を構える。
その前衛に敵は躊躇うことなく突撃をかけてきた。
「守りを優先して! 隊列を乱さないように!」
ジグルスから指示が飛ぶ。敵を倒すことよりも、前衛の突破を許さないことを優先した戦い方を行おうとしているのだ。
「くっ、つ、強い」
攻撃の激しさに前衛の生徒から弱音が漏れる。
「頑張って! ここは耐えるところです!」
その生徒を励まそうとジグルスは声をあげた。
「……む、無理だ。耐えきれない!」
「隊列は乱さないで! ウッドストックくん! 下がります!」
前衛は限界だと感じて、ジグルスは後退を決断した。隊列を乱さないように、敵の攻撃を受けながら徐々に後退する前衛。
「もう少し! 頑張って!」
後退していることで敵の圧力が強まっている。なんとか支えきろうと前衛は奮闘するが、かなり厳しい状況だ。
「前に出ます!」
後ろから聞こえてきた声は中盤のウッドストックのもの。彼も前衛はこれ以上、耐えきれないと考えたのだ。
「入れ替えに入ります! もう一踏ん張り!」
後退を止めて、敵の攻撃をとどめようとする前衛。
「一押し!」
さらにジグルスは前に押し出すことを指示する。それになんとか応えようと敵を押し込む前衛の生徒たち。
「今です! 下がって!」
一旦、敵を押し込んだところでジグルスは再度、後退を、今度は一気に後ろに下がることを指示する。それを見て、敵もまた前進の勢いを強めてくるが、そこにウッドストックが立ちはだかった。
「うぉおおおおおっ!」
雄叫びをあげながら手に持つ太く長い棒を前に出して、敵を押し込むウッドストック。三十人もの敵を、全員を相手にしているわけではないにしても、押し込む力はさすが主人公パーティーの最強メンバー候補の一人というところだ。
「はい! そこまで!」
ウッドストックが敵の前進を止めたところで、ジグルスは戦いの終了を宣言した。それと同時にその場に座り込む前衛の生徒たち。
「……取り残されたのは……三人ですか。皆さんは死亡、そこまでいかなくても大怪我ですね」
うまく後方に下がれなかった前衛メンバーが三人いた。彼等は敵の中に取り残された形だ。
「……敵が強すぎないか?」
彼等の相手をしているのは、魔物ではない。訓練に協力してくれている平民の生徒たちだ。合宿への参加は望まなかった生徒たちなので、参加組に比べるとやや実力は劣るが、それでも個の力はゴブリンよりも遙かに強い。
「さすがに四倍近い敵では難しかったですか」
さらに数も三倍以上だ。それで突破を防ぎきろうというのはさすがに無理がある。
「相手が前回と同じでも無傷で百だと厳しいかもしれないな」
前回はゴブリンを百体相手にした。だが、それは魔法による攻撃で弱らせた後の敵だ。無傷な状態で攻めてこられたら防ぐのは難しいと感じた。
「そうですね……でも不意を突かれて接近を許す可能性はゼロではないですから」
ジグルスは様々な状況を想定して、訓練を行っている。今、行ったのは移動中にいきなり接近を許してしまった場合を想定したもの。敵の足をなんとかして止めて、魔法で攻撃する間を作るという内容だ。
「こういう場合は僕が前に出ましょうか?」
ウッドストックが足止め役を自分が行うことを提案してきた。ジグルスに頼りにされることで自信を持ち始めたウッドストックはこういう積極性を見せるようになっていた。
「……ウッドストックくん一人だと混戦になる。魔法での攻撃が難しいと思って。リーゼロッテ様なら味方を躱して攻撃出来そうだけど他の人はどうかな?」
「大きく動き回らなければ……そうか、敵が僕だけを攻撃してくる保証はないね?」
自分の話を聞くジグルスの表情を見て、ウッドストックは途中で自分の考えの欠点に気が付いた。敵がウッドストックを無視して、後衛に襲い掛かる可能性もあるのだ。
「道具に頼るしかないかな」
「道具?」
「前衛が大きな盾を持って、それを並べて敵の突撃を防ぐ」
「ああ。それ良いですね」
剣を打ち合って敵を防ぐのは難しい。突撃を止めるという目的であれば盾を使うのは有効だ。ただし、一つ問題がある。
「でも重い。移動も大変になるから……そこは鍛えるしかないか」
これがあるからジグルスは最初から盾を用いることを提案しなかった。盾がないと防げないと前衛の生徒たちに思ってもらえなければ、嫌がる生徒が出る可能性がある。そう思ったジグルスは、上手くいかないのが分かっていて、突撃を止める訓練を行ったのだ。
ジグルスの計画通り、話を聞いて顔をしかめる生徒はいるが、反対の声まではあがらなかった。
「ジーク。盾の大きさはどれくらいを考えているのかしら?」
話を聞いているだけだったリーゼロッテが盾について尋ねてきた。
「運搬の苦労を無視すると、体の幅以上、肩の高さくらいは欲しいと思います」
「つまりそれが最大ね?」
あまりに大きすぎると運搬が大変になるだけでなく、戦闘時の取り回しも難しくなる。今言った以上に大きくなることはないとリーゼロッテは考えた。
「前回戦った魔物だと姿が隠れますが平気ですか?」
ジグルスはリーゼロッテが何故、盾の大きさを気にするのか分かっている。盾は魔物を足止めして魔法で攻撃する隙を作る為。後衛のリーゼロッテたちは盾の向こう側にいる魔物を、姿が見えない魔物を攻撃しなければならないのだ。
「私はなんとか……いえ、私ももっと精度を高める必要があるわね?」
後衛の魔法部隊も訓練が必要だ。自分は何とかなりそうだからといって、他の生徒たちだけに新たな訓練を課すことをリーゼロッテは良しとしなかった。
「我々の頭上に魔法が振ってこないようにお願いします」
「ええ、努力はするわ」
「えっ?」
「冗談よ。努力して本番では上手くやるわ」
リーゼロッテのチームでは難しい、そして地味な訓練が続く。それが分かっている二人は、たまにこうして軽い冗談を言い合って雰囲気を和らげるようにしている。
「じゃあ、次は後方から奇襲を受けた場合の動きを確認します。適役の皆さん、よろしくお願いします」
ジグルスの指示を受けて、生徒たちが動き出す。訓練はまだ序盤。だがチームとしてのまとまりは、敵役として協力してくれている生徒たちを含めて、順調だ。そうなるようにジグルスが、そしてリーゼロッテが気を使っている結果だ。
◆◆◆
放課後の食堂。普段はガラガラなこの時間に五十人を超える生徒たちが集まっている。リーゼロッテのチーム、そして訓練に協力してくれている生徒たちの集まりだ。
チームの結束を高める為という理由でちょっとした食事会を開いているのだ。公爵家のリーゼロッテが行う食事会なので贅をこらしたもの、にはなっていない。食材こそリーゼロッテが手配したが、料理を行っているのは生徒たち。学生の彼等でも作れる簡単な料理で食事会は行われているのだ。
「……美味しい」
「本当ですか!?」
リーゼロッテの感想に喜んでいるのはクラーラ。リーゼロッテは彼女に手作りの料理を振る舞われているのだ。
「ええ、お世辞ではないわ。これ、本当に美味しいわ。皆さんも召し上がったほうが良いわよ」
「じゃあ、俺も頂きます」
「俺も」
「是非、僕も」
リーゼロッテの言葉を受けて、男子生徒が料理に手を伸ばす。リーゼロッテに言われなくても、クラーラの手料理であれば喜んで食べるだろうが。
「次はこれをいただこうかしら? これはどういった料理なの?」
「はい。これは田舎の料理で……少し辛いのですが、リーゼロッテ様は大丈夫ですか?」
「私は北部で生まれ育ったのよ。辛い料理には馴染みがあるわ」
ローゼンガルテン王国の北部では辛い料理が多い。といってもリリエンベルク公爵家のリーゼロッテが、庶民にとっての郷土料理を食すことはそうあるものではないのだが、これをわざわざ口にする必要はない。
「……ああ、この刺激。久しぶりだわ。この辛さに慣れると病みつきになるのよね?」
「そうなのです。私は都に来ても地元の料理が忘れられなくて、たまに作っています」
「そう。だからこんなに上手に作れるのね? 羨ましいわ」
「リーゼロッテ様が料理をなさることなんてあるのですか?」
公爵家の令嬢であるリーゼロッテが台所に立つ姿など、この女子生徒には想像出来ない。実際にリーゼロッテが台所に立つことなどない。
「ないわ。でも私は美味しいものが好きだから。自分が食べたいものを作ることが出来るのを羨ましく思うの」
「ああ、そういうことですか」
「さあ、皆も食べて。北部の男性で辛い料理が苦手なんていないわよね?」
また他の生徒に、それも特に貴族家の生徒に向けて、料理を勧めるリーゼロッテ。自分だけでなく従属貴族家の生徒たちも平民の生徒たちと関係を密にしてもらいたいのだ。
ただリーゼロッテが心配する貴族と平民の生徒の間の溝は、クラーラの存在によって半ば以上、埋められている。男子生徒に限ってという条件付きだが。
「……か、辛い」
「おっ、これは……」
男子生徒たちも北部生まれだからといって、必ずしも辛いものが平気なわけではない。
「だらしないわね」
「い、いえ、美味しいのは美味しいのです。でもやっぱり辛くて……って、リーゼロッテ様、それは?」
男子生徒に文句を言うリーゼロッテの目の前には、大きな水差しと空っぽになったコップが置かれていた。
「……の、喉が渇いたの」
「喉が……へえ、そうでしたか」
「な、何よ? 私の言葉を疑うと言うの?」
「いえ、疑ってなどおりません。だから、水を独占するのは止めていただけますか?」
「そ、そうね」
という感じでリーゼロッテと従属貴族家の男子生徒との関係もかつてのそれとは違ってきている。では貴族の女子生徒はどうかというと。
「……美味しいです」
「嘘つかないで。料理なんて初めてしたのよ? 美味しいはずがないわ」
「そうですか? 僕は美味しいと思いますけど」
皿の上に並ぶ、決して美味しそうには見えない料理を次々と口に運んでいくウッドストック。
「……本当に美味しいの?」
その食べっぷりを見て、女子生徒は本当に美味しいのではないかと思い始めた。
「ええ。美味しいです。あっ、さすがに焦げているところは少し苦いですけど、この程度は気になりません。僕の母の料理も同じですから」
「……まあ、嘘でも嬉しいわ」
「だから嘘ではありません。本当に美味しいですから」
ウッドストックの手は止まらない。女子生徒が作った料理を一人で食べきってしまう勢いだ。
「……ありがとう」
「御礼を言うのは食べさせてもらっている僕のほうです」
「それでも……ありがとう」
という感じでウッドストックの人柄の良さによって、距離は近づいている。リーゼロッテの、ジグルスの企画は成功といって良い状況だ。
「……ああ、リーゼロッテ様が皆のリーゼロッテ様になっていく」
この状況を唯一嘆いているのはアルウィン。合宿には関係ないアルウィンも食堂にいる。関係を深める為ではない。食事会が行われている席とは少し離れたテーブルで、ジグルスと打ち合わせを行っているのだ。
「元々、お前だけのリーゼロッテ様でもないだろ?」
「なんだ? 自分の物だって言いたいのか?」
「リーゼロッテ様を物扱いするな」
「問いの答えになっていないぞ」
「無駄話は良いから。本題に戻る。盾の幅は体が完全に隠れるくらい。高さは肩。これでどれくらいの重さになると思う?」
ジグルスがアルウィンを呼び出したのは装備の手配を頼む為。必要な物の手配はアルウィンの実家であるヨーステン商会に頼むことにしたのだ。
「素材によるな。何を使う?」
「丈夫で軽いもの」
「ミスリルかな……高いぞ?」
「だろうな。でも運ぶだけで疲れてしまうようでは困る」
「費用はリリエンベルク公爵家持ちか? それだったら少しくらい高くついても平気だな」
学院から予算など与えられないので、調達は自分で行うことになる。他チームはそれで何の問題もないのだが、リーゼロッテのチームには平民の生徒が多い。協力してもらう上に、費用負担まで求めることは出来ないとジグルスもリーゼロッテも考えている。
「だからといって無駄遣いをするわけにはいかない。儲けすぎるなよ?」
「信用を失うような真似はしない。お前だけでなくリリエンベルク公爵家の信用もな」
アルウィンもただ好意だけで調達を引き受けているわけではない。正当な利を得るのはもちろんだが、リリエンベルク公爵家に名を売る機会でもある。
「さすが」
「分かっているくせに」
友人だからとただ甘えてくるのではなく、きちんと利をもたらそうとするジグルス。それにアルウィンは感心し、感謝しているのだ。
「盾の話に戻すか。下のほうにはギザギザをつけて欲しい」
「ギザギザ?」
「地面に固定し易いように。ああ、職人ならこちらから要求しなくても分かっているか」
「お前は良く知っていたな?」
「王女殿下に国軍で使っている盾を見せてもらった。重装歩兵用のやつだから、かなり重くてそのままは使えないけどな」
盾についての知識などジグルスは持ち合わせていなかった。本で調べても良かったが、それよりも実際に使われている盾を見たほうが早いと考えて、カロリーネ王女にお願いしたのだ。
「お前……よくそんな風に王女様に気軽に頼み事が出来るな? 怒られないのか?」
「気軽には頼んでいない。それに気を使っても意味はない。王家にはすでに嫌われているからな」
実際に嫌われている、という表現とは少し異なるが、のはジグルス本人ではなく父親。度重なる召喚を無視されて、良く思っているはずがない。実際は人違いだとしても、国王はそうは思っていないのだ。
「ああ、それな。俺も実家で聞いてみた。本当に魔人との戦いはあったみたいだな」
「はっ? どうしてお前の実家が知っている? 機密じゃないのか?」
アルウィンの実家は商家だ。国政に関わる立場にないはずのアルウィンの実家が魔人について知っていることにジグルスは驚いた。
「勝利に終わった戦いを秘密にする必要はない。まあ、俺の実家は軍との商売があるから、割と早い段階で知っていたみたいだけどな」
「だったら詳しい話を教えてくれれば良いのに」
国王、そして公爵家のタバートやエカードもあまり詳しい話をジグルスに教えていない。商人であるアルウィンの実家が知っているような話であれば、勿体ぶらずに教えてくれれば良いのにとジグルスは思った。
ただ国王を除く二人は教えなかったのではなく知らないのだ。
「秘密になっているのは、その戦いの英雄が生きているかもしれないってことだ。王国に戻ってこない理由を色々と詮索されるよりは、華々しく散ったということにしておいたほうが良いだろ?」
「確かに」
実際には他にも秘密はある。だがそれをアルウィンの実家が知ることはない。秘密なのだから。
「魔人が現れたのは北部。北部といってもリリエンベルク公国の領土じゃない。その東の大森林地帯に近い場所だったらしい」
「……東の大森林地帯」
ローゼンガルテン王国の北東にある大森林地帯。木こりなど森林資源で暮らしている人以外はほとんど人が踏み入ることのない広大な森林地帯で、更にその奥は高い山脈が連なり、ローゼンガルテン王国と他国を隔てる壁となっている。
北部に実家があるジグルスも、行ったことはないが知っている場所。北部に実家があるというだけで知っているわけではないのだが。
「初めは少数の魔物が目撃される程度で、地方領主の軍が討伐に動いたのだけど、実際にはそれで討伐出来る数ではなかった。それで王国が動くことになり、討伐軍が編成された」
「その中に英雄となった人がいた?」
「そう。当時の最精鋭を集めた軍。その中でもトップクラスの実力を持っていたらしい」
「……その精鋭たちが全員英雄になった、わけではない?」
そうであれば自分の父、がその英雄だと決まったわけではないが、に拘る必要はないとジグルスは考えている。
「最初からかなり苦戦したらしい。その厳しい戦いを勝利に導いたのが、その英雄の活躍ってこと。最後の戦いで勝利したから英雄になったわけじゃない」
「……なんか作り話の可能性が」
戦いが終わる前から英雄扱い。そういうケースはあると知っているが、それでもジグルスは怪しさを感じてしまう。
「敗色が濃いのを誤魔化すのに利用した可能性はある。でも王国がその英雄の力を求めているってことは、そうされるだけの力があるってことだろ?」
「そうだな」
果たして自分の父親にはそれだけの力があるのか。学院に入学する前の、父親との鍛錬の様子を思い出してみるが、どちらとも判断がつかなかった。現実の戦いにおける魔人の強さがどの程度のものか、ジグルスには見当もつかないのだ。
(……主人公より弱いのは間違いない)
魔人を討伐するのは主人公とその仲間たちの役目。過去の英雄の力など必要がないとジグルスは思う。だがこの考えは間違っている。ジグルスは、ゲームストーリーばかりに目を向けていて肝心なことに気がついていないのだ。