学院の授業が熱を帯びるようになった、といっても一部の授業だけだ。中でも剣の授業は、合宿に参加する生徒たちにとっては放課後以外に鍛えられる貴重な時間。鍛錬場のあちこちで激しい立ち合いが行われていた。
それはリーゼロッテたちも変わらない。チームの中ではもっとも強いウッドストックを中心として、厳しい鍛錬が行われていた。ただ、その中にリーゼロッテの右腕と称される人物はいない。
(ウッドストックくんを前に置くか、前回と同じ中盤か……)
立ち合いに参加することなく、ジグルスは戦闘時の隊形を考えている。まず考えるべきはウッドストックの位置。近接戦闘が得意なウッドストックを前衛に置くべきか、それとも中盤で後衛の守りも任せるかで悩んでいる。
(場所によって変えるべきか。どこから敵が来るか分からないような場所だと中盤。開けた場所では前衛。これは有りだな)
常に正面から敵が襲ってくるとは限らない。そうなるとウッドストックはどちらにも動きやすいように中心に置いたほうが良いとジグルスは考えた。
(……もう一人、中盤役が欲しいな。ウッドストックくんが前に出た時の代わり……誰が良いかな?)
すぐ目の前で行われている立ち合いに目を向けるジグルス。立ち合いに参加しないのにはメンバーの実力を見極める目的もある。その上で、最適な配置を考えようとしているのだ。
(……ヒューくんかな? こうして見るとやっぱり平民の生徒のほうが上だな。当たり前か)
平民の生徒たちは実力を認められて学院に入学しているのだ。無条件で入学出来る貴族家の生徒たちに比べるとその実力は、あくまでも平均としてだが、上だ。
ジグルスは中盤候補としてヒューを選び、その名を紙に書き込む。
(ヒューくんを中盤に置くとすると……二人にするか……あと一人は……)
ウッドストックに比べるとヒューの実力は劣る。その分は人数を増やすことで補おうとジグルスは考えた。
(……ボリスくんで。あとは後衛に……二人だとどうかな?)
中盤候補を決めたところで、後衛に置く近接戦闘員を考えることにした。どこから敵が現れるか分からない状況で、後衛への接近を許した時に対応する為の要員だ。
(リーゼロッテ様がいるからな。二人で……いや、リーゼロッテ様は自分で前に出そうだからな。でも後衛を増やすと前衛が……)
リーゼロッテであれば仲間を守る為に自らを盾にしかねない。それでは駄目なのだ。リーゼロッテはなんとしても守らなければならない。そうなると後衛を万全にしておくべきだが、その為に人数を増やせば、今度は前衛が薄くなる。
(ウッドストックくんが前衛にいる時は良い。でもそうでない時は……実際のところ、どれだけの群れと遭遇するのだろう?)
前回と同じ三十くらいの群れであれば悩む必要はない。ジグルスを含めた貴族の生徒を前衛にするだけで対処出来る。では倍の六十ではどうか。三倍以上の百では。どれだけの群れと遭遇する可能性があるのか。ジグルスは正確な情報など手に入らないと分かっていても、群れの規模を知りたくなった。
(……今の実力で考えるのは無駄。対処出来るだけの強さを身につければ良い)
今は無理でも本番までには三倍の敵でも戦えるようになれば良い。その為の準備期間なのだ。
ジグルスは後衛の護衛役として適任と思われる二人の生徒の名を紙に記す。さらに前衛と後衛の生徒の名を記していく。これは悩む必要はない。残った生徒で魔法の得意な人を後衛にするだけだ。
(一旦、これで決めよう。あとは鍛えていく中で見直せば良い)
今の段階できっちりと決める必要はない。これから行う鍛錬の中で必要に応じて見直せば良いのだ。
「……お前は前衛で良いのか?」
「偉そうですが、俺は前線指揮官というか、前衛の指揮を……えっ?」
咄嗟に質問に答えたが、それを発したのは誰か。そう思って、ジグルスが顔をあげると。
「なるほどな。後衛はリーゼロッテの判断で動くわけか……連携は、お前たち二人であれば上手くやれると考えているのか?」
「……それ、答えなければなりませんか?」
問いを発してきたのはエカードだ。彼の問いに答える義務はないのではないかとジグルスは考えている。
「別に我々と戦うわけではない。問題はないはずだ」
「それはそうですが……」
だからといって話さなければならないわけでもない。
「タバートに聞かれれば教えるのだろ? それは不公平ではないのか?」
「それは……」
貴方に対して不公平で何が悪いのか、という言葉をジグルスは飲み込んでおいた。これを告げても状況は変わらないだろうと考えたのだ。
「それで連携は?」
「……それはこれからです。リーゼロッテ様と俺だけで連携がとれても意味はありません。全体の意思統一が図れていないと」
「全体の意思統一? それはどういうことを指しているのだ?」
「あの……どうして俺から聞こうとするのですか?」
一度は諦めたが、やはりエカードに自分が考えていることを説明するのは納得がいかない。彼の為に悩んでいるつもりはジグルスにはないのだ。
「俺にはない考えがあると思うからだ」
「……そういうことではなくて」
ジグルスが言っているのは何故、自分がエカードに説明しなければならないのか、ということ。そんな義務はないと言っているのだ。それがエカードには通じない。
「騎士団見学会の時にお前は別の場所に行っていた。そこで得たものは俺にはない。ないものを知りたいと思うのは当然だろ?」
「……それであれば話しても無駄だと思います」
エカードの話を聞いて、ジグルスは話さないでいる理由を思い付いた。
「何故?」
「話したくないからではありません。俺が考えていることを知っても、貴方の役には立ちません。貴方のチームには目立ちたがり屋が大勢いる。そういう人たちが出来ることではありませんから」
ジグルスが見てきたのは兵士の戦い方。それを参考にしてジグルスは戦術を考えようとしている。個の力ではなく集団の力で戦おうとしているのだ。
それをエカードのチームのメンバーは受け入れないと思う。少なくとも主人公であるユリアーナ、そしてレオポルドの二人は自分の力を誇示したいと考えているはず。兵士のように戦えるはずがない。
「それは聞いてみないと分からない」
「では聞きますが、エカード様は一兵卒として戦えと言われてそれに従いますか?」
「一兵卒?」
「そうです。ただ命じられるままに動けといわれて、それに従いますか?」
ジグルスはエカードに自分の考えは役に立たないことを分からせようとしている。エカードもまた目立ちたがり屋の一人。これについては理解されると思っている。
「……そういう戦いをリーゼロッテのところは出来るのか?」
ジグルスの問いに対してエカードは否定の言葉を返すことをしなかった。ただこういった質問を発することが答えだ。自分のところでは出来ないと認めているのだから。
「そちらに比べれば、受け入れる可能性はかなり高いと考えています」
リーゼロッテのチームはかなり厳しい状況にある。それが分かっていれば勝手な真似は出来ないはずだ。さらにメンバーの過半は平民の生徒。戦い方への拘りは強くはない。
「そうか……」
「ご理解頂けて良かったです。では」
なんとかエカードとの話を終わらせて、また戦術を考えることに集中し始めるジグルス。
「全員は無理かもしれないが、かなりの数は従わせることが出来る」
それは尚早だった。
「……そうだとしても全員ではありません。その従わないかもしれない人たちをエカード様はどうされるのですか? その人たちが危機に陥っても見捨てられますか?」
「見捨てるなど」
「では、全体の行動はそういった人たちに引きずられることになります」
「それは……そうかもしれないが」
ジグルスの言い分について、エカードは完全には納得出来ない。ジグルスの言うような統制のとれた行動が実際に出来るのかと思っているのだ。結局、同じ結果になるのではないかと。
「心配しなくてもエカード様のチームであれば問題はありません。どのような事態も打開出来る個の力があります。うちにはそれがない上に人数まで少ないので悩んでいるのです」
「その件だが……人数を回してやっても良い」
「はい?」
予想の外にあったエカードの言葉に、ジグルスは耳を疑うことになった。
「だから、俺の所のメンバーを貸しても良いと言っているのだ」
「……それは無用です」
ジグルスはリーゼロッテに諮ることなく、エカードの申し出を拒否した。
「意地を張るな」
「そういうことではありません。リーゼロッテ様は信頼出来る仲間だけと戦いたいと考えております。余所から借りてきた人では駄目なのです」
「それが意地を張っていると言うのだ」
「……それに、その人たちは大人しく従ってくれますか? 命令するのはリーゼロッテ様だけではありません。俺が指示することもあるのです」
「それは……」
きちんと言い聞かせる、とエカードは返そうとしたが、それを口にすることは出来なかった。エカード自身がその場にいるのであれば心配はいらない。だがそういうわけにはいかないのだ。
自分が見ていない場でどこまで素直に指示に従うか。大丈夫とエカードは自信を持って言えない。エカードのところの生徒たちにはリーゼロッテを侮っている雰囲気がある。主人公のユリアーナとレオポルド、そしてエカード自身の影響だ。
「それとも最初からこちらの邪魔が目的ですか?」
「違う。そんなつもりはない。俺は純粋に好意のつもりで……」
リーゼロッテの側にもエカードに対する不信感がある。ジグルスの問いはそれを示している。生徒を貸すといっても受け入れるはずがない。それがエカードにも分かった。今更だ。
「正直その言葉を素直に信じる気にはなりません。仮に真実だとしても……はっきりと言わせていただきますと迷惑です」
「……何故だ?」
「エカード様ご自身のお気持ちがどこにあるかは俺には分かりません。ですが、貴方の周りの人たちがどう思っているかははっきりと分かります。今、正に向けられている視線によって」
「それは……」
エカードとジグルスの二人に向けられている視線。何を話しているのかと気にしているというだけではない。ジグルスに向けられているそれには明らかに悪意がある。嫉妬が代表的なものだ。
「今の状態でエカード様が俺たちに近づいても溝が深まるだけです。しかもこちらが一方的に悪意を向けられることになる。これを迷惑と言わないで何と言うのですか?」
「…………」
ジグルスの問いにエカードは何も答えられなくなった。ジグルスの言う通りだと思ったのだ。そして、自分が為すべきことを為さずに、感情だけで動いていることに気付いてしまった。
「お引き取り願えますか?」
「……分かった」
◆◆◆
ジグルスに指摘されて自分の迂闊さを知ったエカード。ジグルスが望む通りにその場を離れたのだが、それで何事もなかったことに出来るわけではない。すでにエカードが自らジグルスに近づき、何事かを話している様子を彼の派閥、チームの人々は見ているのだ。複雑な思いを抱えながら。
「……エカードはどういうつもりなの? どうして今更、彼女に近づこうとするのよ?」
ユリアーナの心情は複雑ではない。リーゼロッテとの関係修復を図ろうとしていると思われるエカードの行動がただ許せないのだ。
「リーゼロッテに近づこうとしているわけじゃないよ」
ユリアーナの問いにレオポルドは否定で返した。
「じゃあ、何をしているの?」
「エカードが近づこうとしているのはあの男のほうだよ」
「それって……彼のどこが気になるの?」
ジグルスは同じ転生者ではないかと疑っている相手。その彼にエカードが近づこうとしているのだと聞いて、ますますユリアーナの気持ちは穏やかではなくなった。
「気になっているのは彼ではなく彼の父親」
「父親?」
「そう。彼の父親はどうやら魔人と戦ったことがあるらしい」
「魔人と戦ったですって?」
レオポルドの説明はユリアーナには驚きだった。今の時点で魔人が出現している、なんて知識は彼女にはなかったのだ。
「あれ? 知らなかった? 僕たちが生まれた頃に現れたらしい。その戦いで彼の父親は大活躍だったと聞いている」
「そんな前……そう、彼の父親がね」
ゲームの裏設定だろうかとユリアーナは考えた。だが今はそれはどうでも良い。ジグルスが国王に呼び出されたのは、この件が関係しているに決まっている。その事実をジグルスが隠していたことをユリアーナは知った。
「戦闘経験があるというだけでなく、実力もかなりのものらしい。君のいう事態がこれから起こるのだとすれば、仲間にしておくべき人材だ」
「そんなことが出来るの? 彼の父親はリリエンベルク公爵に仕えているのよね?」
「たいした領地も持たない男爵家だ。厚遇を約束すれば移る可能性はある」
レオポルドの実家であるミレー伯爵家のような有力貴族家であれば大事だ。だが男爵家であれば身一つで移るだけ。公爵家間で話をつけるのに多少は揉めるだろうが、引き抜きなどお互い様。当人の意向が優先されることになる。
「……そうかしら? たいした領地も与えられていないのにリリエンベルク公爵に仕えているとも言えるわ。そういう欲だけではないのかもしれない」
「それはあるかもしれないね。だからこそ彼から攻めようとしているのではないかな?」
跡継ぎであるジグルスが強く望めば、父親も無視出来ないはず。レオポルドはそう考えている。
「……彼がエカードに仕えることを選ぶと思っているの?」
だがユリアーナはそうは思わない。ジグルスがリーゼロッテを裏切るような真似をするはずがないと考えているのだ。
「……難しいかもね。正直、僕にとってはどうでも良いことだよ。彼の父親がいようといまいと僕たちは勝つ。そうだろ?」
「ええ、もちろんよ」
ジグルスの父親などいなくてもかまわない、ではなく、いてもらっては困るとユリアーナは考えている。魔人との戦いで英雄になるのは自分一人で十分。功績を分け合う存在など必要ないのだ。
(……やっぱり彼は邪魔ね。うまく死んでくれると良いけど……彼女をぐちゃぐちゃにするのを諦めて……いえ、諦めるのは勿体ないわ。上手く行ってくれると良いけど)
エカードがどのような思いでいようと、どのような行動を取ろうと主人公がリーゼロッテ、そしてジグルスへ向ける悪意は変わらない。主人公と敵役である彼女たちに和解の時など訪れないのだ。そういう物語なのだ。どちらが悪役なのかは元のストーリーから変わっているかもしれないが。