エアリエルとアーノルド王太子の仲が急接近している。今はほぼ毎日、常に行動を共にしているという状態だ。
きっかけが何だったのか、リオンには分かっていない。それを調べるつもりもない。どんな理由であっても、二人の仲が良くなる事はリオンが望む状況だ。どんなに心が痛むとしても。
だからと言って、リオンは自分の活動を止めるつもりはない。残りの学院生活の中で、何が起こるか分からないからだ。特にエアリエルにとっての、最大最悪のイベント。マリアへの嫌がらせを糾弾されるイベントの時期はまだ先だ。
その日に備えて、リオンがやる事は沢山ある。その中でも最優先は、エアリエルの潔白を証明する証拠集め。エアリエルがマリアへの嫌がらせに関与していない事は、間違いのない事実。だが、その一方で、マリアに対する嫌がらせが、実際に行われているという事実も存在する。
その多くが、エアリエルの差し金だと密かに噂になっている。それが事実ではないという証拠をリオンは集めなくてはならない。当然、その行き着く先は、誰がマリアに嫌がらせをしているのかという真犯人探しになる。
「どうしよう? こんな事をしてしまって良かったのかしら?」
「申し訳ありません。私が、自分の欲望を押さえ切れないばかりに」
「嘘。言ってみただけよ。私も、その……リオンとはこうなりたかったから」
学生寮の一室。空室となっているその部屋のベッドで、リオンは裸の女性と抱き合っている。行き詰まる調査にいよいよ焦ったリオンは、非情の手段に手を出す事に決めた。エアリエルを怒らせても構わないという、自棄とも言える気持ちからとも言えるが、リオン本人がこれを認める事はない。
リオンの相手は、ファティラース侯爵家の侍女。シャルロットに仕えている侍女のミリアだ。
マリアへの嫌がらせの調査を進めていても、真相には一向に辿り着けない。そこで、思い切って実際に嫌がらせをしている一人に接触してみると、その相手は、本気でエアリエルが指示していると思い込んでいた。
演技とは思えなかった。接触してきたリオンを、エアリエルに言われて、次の指示を伝えに来たのだと勘違いしたくらいだ。
エアリエルはそんな指示はしていないと言ってみたが、相手は妙な納得顔で、分かっている、と繰り返すばかり。口止めの指示と受け取られるだけだった。
その相手から情報を得る事は諦めて、他にも何人か当たってみたが、エアリエルという名は出なくても、誰もが侯家の令嬢が後ろについていると信じ切っている。
完全に行き詰った。そう思ったところで、ふとリオンは一つの事実に気付いた。侯家の令嬢は、エアリエルだけではないという事実だ。
だが動機が分からない。シャルロットは早い段階からマリアと共に行動をしている。それが本人の望まないことで、ランスロットあたりに巻き込まれただけだとしても、その裏で嫌がらせなどという陰湿な真似をするとは思えなかった。
リオンはシャルロットと話をしたことがある。その時の印象は陰湿とは正反対、割と気さくな、リオンでも付き合いやすそうな女性だった。
だがエアリエルが犯人ではないのだから、シャルロットを疑うしかない。それとなくシャルロットの言動を調べてみれば、確かに所々でマリアをよく思っていない様子が見受けられる。
だが、調べられたのはそこまでだ。マリアに陰で嫌がらせする動機とまでは言えない。
もっと踏み込む必要がある。そうなると対象はシャルロットの身近なところにいる人物。仕えている侍女たちとなる。隣にいるミリアを選んだのは、複数いる侍女の中で一番、リオンに色目を使っていたから。そして、その態度が示していた通り、密室で二人きりになる機会を作っただけで、一気にここまで辿り着いた。
「こう言ったら怒るかもしれませんが、このことは二人の秘密で」
「分かっているわよ。大切なお嬢様が怒っちゃうものね?」
「いや、そういうことでは。仕事中に他家の侍女の方と関係を持ったって、やはり問題かなと。シャルロット様は気にされませんか?」
「それは……怒られるわよ」
「そうですよね? それに私は平民だから尚更ですね?」
「えっ。何それ?」
「シャルロット様は平民嫌いだと……」
「どこでそんな話を?」
「違うのですか? だって、マリアという女子生徒を嫌っていると聞きました」
「ああ、あの女。あれは平民とか関係なく、嫌いになるわよ」
「どうしてですか?」
「だって、王太子殿下にあんなに馴れ馴れしく接するなんて。お嬢様はそうしたくても……」
侍女の顔はハッとした表情のまま固まってしまった。たった一度で、見事に口を滑らせてくれた。込み上げてくる笑いを堪えて、リオンは真剣な表情で口を開く。
「今、この瞬間全てが二人だけの秘密です」
「そ、そうね」
「でも……これは無理に答えなくて良いですけど、もしかしてエアリエル様のことも?」
「それはないわ。エアリエル様がアーノルド王太子殿下の婚約者になることは、ずっと前から決まっていたもの。お嬢様がご自身の思いに気付いた時にはすでにそうだったはず」
「それでも恨むのが恋心というものではないですか?」
「そうね……でも、どうかしら? 少し前であれば『もしかしたら』が、あったけど今はね」
「もしかしたら?」
「今でこそ、お二人は仲睦まじい様子だけど、少し前までは本当に結婚するのって感じだったでしょ?」
「ああ、確かに。つまり婚約はなくなるのではないかと期待していた?」
「それはさすがに私の口からは言えないわ」
言いづらい話題の時の、女性の肯定の仕方。リオンは何度も聞いている。シャルロットはエアリエルとアーノルド王太子の婚約破棄を願っていた。これが動機になるか。マリアへの嫌がらせとは関係ないように普通は思えるが、リオンは違う。
エアリエルにとっての最凶最悪のイベントの存在を知っていた。
(イベントの黒幕がいるって。何だか訳が分からなくなってきた)
複雑な関係にやや混乱するリオンだが、大きな手がかりを掴んだことには違いない。これまでに比べれば大きな前進だ。
「そろそろ時間ですけど、どうしますか?」
「どうって?」
「これで終わりというのは寂しいかなと。片づけに手間取ったでは通用しませんか?」
「……そうね。それが良いわ」
女心には鈍感なはずなのに、こういった女性の心を転がすようなことには気が回る。アフターフォローをしっかりしないと面倒なことになる。そういった経験は豊富なリオンだった。
◆◆◆
リオンが証拠固めを進めているのと並行して、既成事実を固めようとしている者がいる。二人はある一点では共通の目的に向かって動いていると言えるのだが、二人が手を握ることはない。少なくとも一方は、絶対にもう一方に手を差し出すことはない。
前面に広がるのは、森と見間違うばかりに沢山の木々が生い茂る光景。実際にこの中庭は森といえるだけの規模を持っている。その広大な敷地の一角では、それとは正反対にこぢんまりとしたパーティーが開かれていた。
参加者は五人。極々内輪でのパーティーだ。ただ参加者は五人なのだが、その周りでは、その十倍以上の使用人が慌ただしく動き回っている。
何と言っても、この場所は王城の中庭。主催者はアーノルド王太子なのだ。大勢の使用人たちが張り切っているのは、王太子主催のパーティーだから、というだけではない理由がある。
一つは、アーノルド王太子が内輪だけとはいえ、パーティーを開くなど初めてのこと。人当りは悪くないくせに、社交的ではない王太子を心配していた使用人たちにとっては、是が非でも今回成功させて、次に繋げなくてならないという思いがある。
そして二つ目。パーティーの参加者だ。婚約者であるエアリアル、その兄のヴィンセントとランスロット、シャルロットという三侯家がそろい踏み。中でもエアリエルは将来、王妃になる存在。その王妃候補との初めての対面となれば、張り切るのは当然だ。国の行事としての社交の場は、王国の淑女の頂点である王妃の役目と決まっている。ここで良いところを見せておけば、後々、重用されるかもしれないという打算だ。
ちなみにこの場にはマリアもいるのだが、使用人にとってはどうでも良い存在だ。
アーノルド王太子がいきなりこんなことを始めたのは、エアリエルを城内の者たちにしっかりと知らしめて、結婚の早期実現に結びつける為だ。
実際にこれは大成功となる。
エアリエルが使用人に接する態度は、これは作ったものだが、高圧的なところなどなく、それでいて媚びた感じもない見事なものだ。見た目もややキツイ印象はあるものの、かなりの美人。
純粋な見た目だけでいえば、マリアのほうが上なのだが、エアリエルにはマリアにはないものがある。
威厳だ。子供ながらにエアリエルの佇まいには、そこはかとなく威厳を感じさせる何かがある。それが気品となり、すぐ近くにマリアがいても、王妃に相応しいのはエアリエルだと周囲の者たちに思わせるのだ。
アーノルド王太子とエアリエルが並んで座っている光景は、それを見た使用人の多くに、王国の益々の繁栄を感じさせるほどだった。
そして、それを少し離れた場所で見ているリオンは。
(こういう形では初めて見たけど、良く似合っているな)
使用人たちと同じ様な感想を抱いていた。
リオンもこの場に同行していた。もちろん従者としてなので、会場から少し離れた場所で控えているだけ。この状況は、エアリエルの隣に相応しいのは誰かを見せつけようというアーノルド王太子の悪意なのだが、リオンにそんなことが分かるはずがない。
それに二人が並んでいる姿を見るのは、リオンにとって喜ばしいものだ。強がりではなく、エアリエルの幸せを守る為にリオンはずっと行動してきたのだ。
それがどうやら実を結ぼうとしている。あとは今の状況を崩さないように守り切るだけ。その備えも形になってきた。
その協力者に視線を向けてみると、相手の視線とぶつかった。シャルロットの侍女であるミリアは、ずっとリオンを見つめていたのだ。
リオンとミリアの関係は結局まだ続いている。ミリアがそれを望んでいるということだが、リオンの方も拒むような真似はしていない。まだまだ引き出せる情報はある、という気持ちと、それと反するような、一時でも他の事を忘れたいという気持ちの両方からだ。
視線が合ったところで、ミリアがいそいそと近づいて来た。ミリアもミリアで、それとなく周囲に自分とリオンの関係を匂わせようとしている。とりあえずは、もっとも危険な存在である同じ侍女のマーガレットとシルビアの二人に対して。
実際に二人はすでに感付いている様子で、リオンに近付くミリアにキツイ視線を向けていた。
「退屈ね?」
「そうですね。あれだけの人がいれば、私たちには何もすることはありませんね?」
「お似合いの二人だわ」
「そうですね」
「本当にそう思っている?」
「思っています」
「どうかしら? 内心ではヤキモチを焼いていたりして」
これを口にするミリアのほうがヤキモチを焼いている。リオンの気持ちを確かめようとしているのだ。
「そんな気持ちはありません。主の幸福を願うだけです」
「じゃあ、自分の幸福は?」
「自分の? そうですね、今は何も考えていません」
そんなことを考えている余裕はリオンにはない。やるべきことは、まだ沢山ある。とにかく無事にヴィンセントとエアリエルが卒業するまでは、二人のことでリオンは精一杯だ。
「そう……私はあの二人を見ていたら、自分も幸せになりたいと思ったわ」
「そうですか。そうなれると良いですね?」
女性を口説くスイッチが入っていないリオンは、こういう場面で鈍感ぶりを発揮してしまう。
「……それワザと?」
「はい?」
「今、わざと惚けたでしょ?」
こうミリアが思うのも当然だ。ミリアにとっての普段のリオンは、とても細やかな愛情表現を見せてくれる男性なのだ。
「何のことですか?」
「女が幸せになりたいって言っているのよ!? ここは僕が君を幸せにするよ、でしょ!?」
「ええっ!? どうして私が!?」
「どうして、ですって!?」
「あっ、違います。私はまだ未成年だから、結婚は無理って意味です」
「じゃあ、成人したら?」
「……今、その約束が必要ですか?」
「必要だと言ったら?」
ミリアは積極的な性格ではあるが、まさか、ここまでのことを考えているとはリオンは思ってもいなかった。自業自得なのだが、だからといってミリアの想いを受け止めるというわけにもいかない。
「……これは言い訳とかそういうのではなくて」
「何?」
「私と一緒にいては幸せになれません」
「それは間違いなく言い訳ね?」
「そうではなくて……」
少し悩んだリオンだったが、ここは事実をきちんと話すべきだと決断した。
「絶対に誰にも話さないと約束してもらえますか?」
「……リオンがそう言うなら」
リオンの真剣な表情を見て、ミリアもただ誤魔化しているわけではないと分かったようだ。
ミリアの答えを聞いて、更に周囲を見渡して、すぐ近くに人がいないことを確認した上で、リオンは左眼の眼帯を外した。
「……えっ?」
大きく目を見開いているミリア。その反応を確認したところで、リオンはすぐに眼帯を元に戻した。
「幸せになれない理由が分かりましたか?」
「そうね……あっ、でも」
「無理しなくて良いです。他人のそういう反応には慣れています」
「……あの……ごめんなさい」
「だから平気です。ずっとこのことで……あれでしたから」
「ウィンヒール侯家の御二人は?」
「知っています。これを知って、それでも自分に普通に接してくれたのが、ヴィンセント様とエアリエル様だったのです。私にとって、二人は特別な存在なのです」
「そう……」
自分は特別な存在にはなれない、とミリアは思い知った。
「先ほど約束した通り、他言はしないで下さい。この話が広まって、お二人の不利益になるようなことがあれば、私は決して貴女を許しません」
これを言うリオンの瞳は、ミリアがこれまで向けられたことがない、冷酷さを感じさせるものだ。オッドアイを知った後のミリアには、リオンが言い伝えの通りの不幸の使いに見えてしまう。
「別に僕は気にしないけどな」
怯えるミリアの耳に第三者の声が届く。
「ヴィンセント様? どうしたのです? 何かありましたか?」
ヴィンセントの登場で、途端にリオンの纏う雰囲気が常のものに戻った。
「何かというか……怒っている」
「えっ?」
「不機嫌になって、周りが……アーノルド王太子殿下まで少し怯えている」
「ええっ!? あっ、いえ、この方は別に! たまたま近くに居て!」
「えっ、あっ、そうです! 別に私は!」
慌てて、の関係を否定するリオンに、ミリア本人も同調してきた。だが、そんな二人に対して、ヴィンセントは困った顔で首を振るだけ。
エアリエルの怒っている理由は別にあるということだ、とリオンは判断した。
「……では何が?」
「今、眼帯外していただろ? それも、この侍女に向けて」
「あっ……!」
「多分だけど、いつの間にかエアルの中で、あれは三人だけの秘密に変わっていたみたいだ」
「でも、他にも知っている人は」
少なくともウィンヒール侯家のほぼ全員がリオンのオッドアイを知っている。
「それが通用しないのは分かっているだろ? とりあえず、君。今すぐ、この場から離れて」
「あっ、はい」
「それと!」
「はい!?」
「絶対に話さないように。たとえリオンが許しても、僕の妹が君を絶対に許さないと思う」
「……はい。絶対にしゃべりません」
エアリエルの怖さを知らないミリアだが、リオンとヴィンセントの態度で絶対に怒らせてはならない人物なのだと認識させられた。
あとはもう、これ以上関わりたくないとばかりに、その場からそそくさと離れて行く。
「えっと……」
「多分、あれだな? 久しぶりの鞭打ち。当然、本気のほうの」
「……やっぱり」
その場でがっくりと跪くリオン。そんなリオンをヴィンセントは何とも言えない複雑な思いを胸に、見つめていた。本当はリオンが侍女と仲良くしていた時点でエアリエルは激しく怒っている。エアリエルが嫉妬していると、リオンに正直に告げることが出来なかった自分が、ヴィンセントは少し悲しかった。
◇◇◇
リオンたちが騒ぎを起こす、少し前。ひっそりと中庭で開かれているパーティーを覗いてる者たちがいた。アーノルド王太子の両親である、グランフラム王国、国王夫妻だ。
国王と王妃の二人にとっても、今回のパーティーは興味津々。あれほど結婚に乗り気でなかったアーノルド王太子が、自ら婚約者であるエアリエルを誘ってパーティーをするというのだから驚きだった。
本当は同席したかったのだが、それでは事が大きく成りすぎると、アーノルド王太子に断られた為、こうしてこっそりと様子を覗いていた。
「ふむ。エアリエル嬢は随分と綺麗になったな。何だろう? 険が取れて、威厳だけが残った感じだ。子供に威厳というのもおかしな話だが」
「いえ、陛下の言うとおり、彼女には王の隣が良く似合いそうですわ」
「そうか。心配していたが、どうやら大丈夫そうだな?」
「ええ。そうですね」
アーノルド王太子は次期国王、その妻である王妃との仲が良くないというのは、場合によっては政治問題になってしまう。王の寵愛が正妃にないとなれば、色々と企む者が出てくるものだ。
それを心配していた国王夫妻だったが、その心配は無用になったと喜んでいた。
そんな時だ。少し離れた場所から、騒ぐ声が聞こえてきたのは。見ると同行してきた従者と侍女が何やら揉めている。他家の使用人と揉めるなど、躾がなっていないと思っていると、やがて一人、そちらに向かって歩いて行くのが、国王の目に入った。ヴィンセントだ。
「ウィンヒール侯家の兄の方か。評判の悪い嫡子だが、従者もそれなりということか」
それでもヴィンセントが向ったことで、揉めていた従者と侍女は離れて行った。一件落着、パーティーに目を戻そうとした国王だったが、その前に、小さく震えている王妃の肩が目に入った。
「どうした!? 具合が悪いのか!?」
「……い、生きて、いた」
震える声で、小さく王妃は呟いた。
「なっ!? ま、まさかそれは!?」
国王には王妃の呟きに心当たりがある。続けて王妃に声を掛けたのだが、王妃はそのまま気を失ってしまって、この時は何も聞けずに終わった。
――この日からしばらくして、どこからともなく王都に噂が流れ始めた。
数年前に行方不明になったはずの王女が学院にいるらしい。それは、どうやらマリア・セオドールのことだと。
物語は定められたゴールに向かって進んでいる。これも又、来るべき学院最後のイベントの為の布石だ。