エアルたちが大森林に帰ってきた。まっすぐに拠点に戻ってくるものだとヒューガは思っていたのだが、彼女たちは大森林の外縁部に留まったまま。逆にヒューガに来て欲しいと伝えてきた。
何か問題が起きたと考えて、急いでやってきたヒューガ。エアルたちから話を聞くまでもない。彼女たちが連れてきたエルフを見た瞬間に、その理由が分かった。
「ごめんなさい。私が気付いていなきゃいけないことだったわ」
「いや、僕も考えが甘かった」
連れてきたエルフたちの中に、初めてエアルに会ったときと同じ目をした人がいた。奴隷になったショック、与えられた屈辱に体も心も壊れている。
何故、このことに思いが至らなかったのか。奴隷にされているエルフを助けようと考えていたのであれば、当然、そのエルフがどういう状況か分かっていなければいけなかった。
ただ首輪を外して連れて来れば良いというものではないのだ。連れてきたあとのケアもきちんと考えておくべきだった。
「カルポ、とりあえず元気なエルフたちを先に拠点に」
「……はい。あの、この人たちは?」
「ん?」
奴隷にされていたエルフたちの様子に気を取られ、人族がいることに気付いていなかった。ハンゾウたちの仲間かと思ったが、発せられる雰囲気でヒューガはそうではないと判断した。
「この人たちは?」
「同じよ。奴隷だった人たち」
「人族も? まあ、そうか。奴隷にされるのがエルフだけってわけじゃないよな」
「ええ」
「……大丈夫そうに見えるけど?」
同じ元奴隷といっても人族の人たちはエルフとは異なり、目に光が残っている。保護が必要な相手には思えない。
「同じ奴隷でもやらされていたことが違うから」
「……どうして連れてきた?」
「始めは断ったんだけどね。言い訳のようだけど、全員連れてきたわけではないわ。どうしてもって人だけ」
「それにしても……」
連れてくる必要などなかったとヒューガは思う。
「行き場がないんですって。貴族は殺しちゃったし」
「ああ、そういうことか」
労働は辛く厳しいものであっただろうが、寝る場所と食事は与えられていた。付いてきたのは雇い主がいなくなって食うに困る人たちだとヒューガは判断した。
「この人たちには帰ってもらおう。連れてきておいて、はい、さようならって言うのも申し訳ないから、ある程度の食料を渡す。一番近い街までは?」
「一週間ってところね」
「じゃあ、二週間分。カルポ、悪いけど戻ったらすぐに運んでもらえるか?」
「はい」
「ちょっと待て!」
人族は帰すことに決めて、彼等に渡す食料を持ってくるようにカルポに指示を出したところで、その中の一人が声をあげた。
「何?」
「俺たちを追い出すつもりか?」
「追い出す? まあそうだけど、元々ここはお前たちの居場所じゃない。大森林がどういうところか知ってるよな?」
「知っている……」
「じゃあ、自分たちがここにいるのが間違いだって分かるだろ?」
ヒューガには彼等を受け入れるつもりはない。大森林で生きていくことは困難である、という誰もが知っている知識を理由に追い出そうとした。
「しかし俺たちには行き場所が……」
「だから街までの食糧は渡す。余裕を持たせてな。街につけば仕事も見つかるだろう?」
「見つからなかったら?」
「そこまでは僕も知らない。自分たちの生活の糧は自分たちで見つけろよ」
そこまでの面倒を見る義理はヒューガにはない。食料を与えるだけでもかなり厚遇しているつもりだ。
「……そんなことを言っていると後悔するぞ」
「何で?」
「俺たちはお前たちがやったことを知っている。それを広められたら困るのじゃないか?」
エアルたちは貴族のところから力尽くで奴隷にされていたエルフたちを奪ってきた。男はその事実を使って、脅してきた。
「……なるほど。それは困るな。じゃあ口止めしてもらう為には何をすればいいんだ?」
「そうだな……食糧なんかじゃ満足できない。金だ。金がなければ財宝でもいい。とにかく俺たちが一生遊んで暮らせるだけのものをよこせ」
「そんなものがここにあると?」
「ないとは言わせない。大森林にはたくさんの財宝が埋まっていると聞いている。魔獣が怖くて誰も手を出せないが、お前たちはここで暮らしてるんだ。手に入れてるんだろ、それを?」
典型的な悪党。ここまで醜悪な態度を取る人に会ったのは、この世界に来てから初めてだとヒューガは思った。その点では自分は幸運だったようだと。
「……話は分かった」
「はっはっはっ! やった! 俺はなんて幸運なんだ!」
男は大喜び。男だけではない。周囲にいる他の人族もいやらしい笑みを浮かべている。
「……あの、俺はそれはいらないんだが」
そんな中から一人、おずおずと財宝は不要だと言ってきた男がいた。周囲とは明らかに違う雰囲気を持つ男だ。
「……お前は誰?」
「俺は……名前はない。ずっと奴隷だったからな」
「そうか。それで? お前は何が欲しいんだ?」
「何もいらない。ここに置いてくれるだけでいい。俺はもう人と関わり合いたくないんだ」
「……ここに残って何をするつもりだ?」
財宝を放棄して、ただ大森林に置いて欲しいという男。その真意がヒューガには読み取れない。
「特にない。畑仕事くらいしか取り柄はないので、あえて言うならそれだ。ここに畑があればだが……」
「そうか……他にこの人と同じ考えの人はいるか?」
ヒューガの問いに答える人は誰もいない。聞く前から分かっていたことだ。
「残りの皆は財宝が欲しいんだな?」
今度も口に出して返事をする人はいなかったが、財宝という言葉を聞いて皆、口元がにやけている。
「カルポ、じゃあ、この人も拠点に連れて行ってくれ」
「……はい」
ヒューガは残りたいという人族を受け入れた。それに少し驚いた様子のカルポだが、とくに異議を唱えることはなかった。
「ああ、そうだ。ここに戻ってくる必要はない。残りの人たちには、死んでもらうからな」
「なんだと!?」
「僕たちは財宝なんて持ってない。渡す物がなければ、お前たちは今回の件をバラすんだろ? それをされたら僕たちは困るからな。口止めするには死んでもらうのが一番だ」
「待ってくれ!」
「待てない」
この言葉とほぼ同時に、元奴隷の人族たちの体に一斉に苦無が突き刺さる。ハンゾウたちが投げたそれは、ほぼ一撃で彼等の命を奪った。それに何の躊躇もない。主であるヒューガの命は絶対なのだ。
「さて、これを見てもまだここに残りたいか?」
「俺は人と関わり合いになりたくないと言った」
「そうか……じゃあ僕たちの拠点に案内しよう。まだ小さいけど畑もある。仕事は出来ると思う」
「何の畑だ?」
無表情だった男の顔にわずかであるが笑みが浮かぶ。
「今は服の材料になるようなものを作ってる。麻とか綿とかだったかな? 詳しい話は責任者に聞いてくれ」
「人には……」
一転、男の表情が曇る。話を聞くのも嫌なのだと知って、ヒューガは驚いた。男の言う「人と関わり合いたくない」がそこまで徹底したものだと思っていなかったのだ。
「人といってもエルフだ。いや、人は人か……」
「いや、エルフならいい」
「いいんだ?」
何故、エルフであれば大丈夫なのか。男の基準がヒューガには分からないが、コミュニケーションの問題がなくなるのであれば良いことだ。
「……ごめんなさい」
男との話に区切りがついたところで、エアルが謝罪に言葉を口にした。
「謝ってばかりだな」
「だって、あんな馬鹿共だなんて思わなかったから。私もちゃんと人を見る目を養わなきゃね」
「それだけエアルが善人だってことだろ? そして人の悪意が分かる僕はそれだけ悪人だってことだ」
「……また自分を貶めるようなこと言って」
エアルの表情が曇る。自分を慰める為の言葉だと分かっているが、ヒューガは以前から時々、今のように自分を否定することがある。それが気になっているのだ。
「さてと、問題は彼女たちか……」
目の前で人が殺されても反応がほとんどない。それを感じられないほど、心が痛んでいるのだとヒューガは考えた。
「そうね」
「拠点には連れて行かないほうが良いな。周りの目はやっぱり気にするだろ?」
「そうだと思うわ」
「……まだ整備中だけど南の拠点を使うか」
人がいる場所を避けようと思えば、まだ整備途中の南の拠点しかない。隔離のような形を取るのは彼女たちだけの為ではない。拠点に暮らす、大森林しか知らないエルフたちに見せたくないという考えもある。人族に対する行き過ぎた怒りの感情が生まれるのを避けたいのだ。
「南? そんなのいつの間に?」
「それは後で話す。ただそこに置いておくだけじゃな。心のケアが必要だ」
「ケア?」
「ああ、看病みたいなもの」
「それは私が適任ね?」
「一人じゃ大変だろ? 僕もだな」
「拙者も」
ハンゾウも手を挙げてきた。リースのことを思って、立候補してきたのだと分かる。
「良いのか? 仲間のことはどうする?」
気持ちは分かるがハンゾウには別の仕事がある。
「それは他の者に任せまする。こういうこともあろうと、全員で此処に戻ったのでござる。サスケ、セイカイとイサを連れて行け。お前たちの担当は東だ」
「はっ」
「サイゾウは、カマノスケとロクロウを連れて南」
「はっ」
部下に指示を出すハンゾウ。エルフたちの状況を見た時から、対応を考えていたのだ。
「あとはヒューガ様に一つお願いが」
「何だ?」
「外に我らの拠点を持たせてくだされ。拠点といっても隠れ家のようなものでござる」
「ああ、忍び宿ってやつだな」
「忍び宿?」
「この言葉は先生に教わってなかったのか? 忍びが活動する為の拠点。隠れ家にしたり、連絡を取り合う場所にしたり、普通に休憩したり。本来はそこに忍びとは思えないように装った仲間を置いておいたりするんだけど」
ヒューガが生きていた時代にはないもの。小説などから得た知識だ。
「興味深い話ですな。是非詳細をお聞かせ願いたい」
「それはあとで。外の拠点については許可する。ハンゾウさんたちには必要なものだってのは分かる」
「はっ! ではジンパチとジュウゾウとで隠れ家の整備を。場所は分かっておるな?」
「「はっ!」」
「場所も決まってるんだ?」
すでに拠点とする場所まで決まっていたことに、ヒューガは驚いている。
「もともと逃げていた時の隠れ家がござる。それを使うつもりでござる」
「……気を付けて。僕だったら見つけた隠れ家をずっと見張らせる。そこに現れた人のあとをつけて、別の隠れ家を暴く。そうやってすべてを見つけた後は一気に……」
「そんな手が……ジンパチ、ジュウゾウ」
「はっ! ヒューガ様のご忠告、肝に銘じておきます」
「頼むぞ」
「「はっ!」」
これまであまり見たことのない様子。ハンゾウたちは忍びなのだと、改めてヒューガは認識した。
ハンゾウから指示を受けたサスケたちは、通ってきたばかりの道を戻って、大森林の外に出て行く。
「じゃあ、南の拠点に移ろう。ルナ!」
(はっ!)
「……ハンゾウさんたちの真似はいいから」
(恰好良かったのです)
「そうだな。でも今は笑ってあげられない。僕たちを南に移してくれ」
(……うん)
◆◆◆
南の拠点にある建物の一室。そこに暗い表情をしたヒューガたちが集まっている。
今後のことを話し合う為だが、奴隷にされていたエルフたちのことを思うと気持ちは重く沈み、活発な議論を行うという雰囲気ではない。部屋の空気まで重苦しく感じるくらいだ。
奴隷にされていたエルフは三人。そのうち二人のエルフは部屋で休んでいる。休んでいると表現するのは適切ではないのかもしれない。
二人はただ言われるがままに動くだけ。寝てろと言われたので、ベッドに横になっているだけだ。首輪は外れているのに。命令に従うことが体に染みついている。そんな感じだった。
「……疲れているのに悪いな」
「いえ」
ヒューガが声をかけた相手は奴隷にされていた残りの一人。このエルフだけは、まともに話が出来る。休ませてやりたいが、状況を確認する為に話を聞かせてもらうことにした。
同席しているのはエアルだけ。ハンゾウとコスケは残りの二人が自殺しないように見張っている。
「まずはお前の話を聞かせてもらいたい」
「……私のことですか?」
「別に奴隷だった時のことを聞きたいわけじゃない。これからのことを相談したいんだ」
「分かりました」
「体は? どこか問題があるか?」
「疲れている以外は特に……」
「気持ちのほうは? なんだかイライラ……まわりくどいな。結論だけ聞こう。僕たちにはもう一カ所、生活拠点がある。そっちの拠点のほうが本来の拠点だ」
「はい」
「そこで暮らすことは出来そうか? そこに住んでいるのは大森林にいたエルフ。四十人ちかくいる。そこに一緒に来た春の部族のエルフが加わることになる」
「……何故それを聞くのです?」
「周りの目が気になるかと思って。僕としてはそこにいる皆は奴隷だったからといって変な目で見るようなことはないと信じてる。でもそれをどうとらえるかはお前次第だ。実際はそうでなくても、お前がそれを好奇の目と受け取れば気持ち良いものじゃないだろ?」
これはエアルの時の経験から生まれた配慮。人に会いたくないと、ずっと部屋にこもりきりだったエアル。同じ経験をしている彼女も同じ思いを抱いているだろうと考えているのだ。
「……そうですね」
「やっぱり無理か?」
「すぐには決められません」
「そう言うってことは無理だってことだ。分かった。しばらくここで生活してくれ」
「……はい」
無理をさせるつもりはヒューガにはない。少しでも躊躇いを感じているのであれば、それが消える、完全に消えないまでも薄れるまで待つことにした。
「他の二人とは仲が良いのか?」
「傷を舐め合うことを仲が良いと言うのであれば」
「少なくともそれが出来る仲ではあるってことか……じゃあ、二人と同じ部屋でもかまわないな?」
「……ずっとそうでしたからかまいません」
「精霊は?」
「精霊?」
「結んでいるんだろ?」
「……だと思います」
少し考えて彼女はこう答えた。ヒューガにとっては意外な答えだ。精霊が側にいてくれるかどうかはエルフにとって重要なことであるはず。それを気にしないエルフがいるとは思わなかった。
「存在を確かめてないのか?」
「……そんなことを考える余裕はありませんでした。精霊の力を必要とすることもありませんでしたし」
「そうか……じゃあ落ち着いたら話をしてみろ」
「話? 何を話すのです? そもそも話すと言っても」
「何でもいい。とにかく話しかけてみろ。別に独り言でもいい。聞いてもらいたい、そう思いながらであれば大丈夫だと思う」
エアルはずっと精霊が側にいてくれたことを知って、立ち直った。実際は、まずヒューガの存在があって立ち直り、精霊は最後に一押ししただけであるのだが、ヒューガはそう思っている。
「貴方は何を言っているのです? 人族の貴方に精霊のことをどうこういわれるほど、私は落ちぶれていません」
「騙されたと思ってやってみろ。それがお前の一番の慰めになる。僕はそう思うけどな」
「貴方に精霊の何が分かるのです?」
「少しは分かってるつもりだけど……どうだろ?」
(ヒューガは私たちのことを良く分かってるのです。このエルフがヒューガにこんなことを言うのは恥ずかしいことだとルナたちは思うのです)
「……へっ?」
突然、頭に響いた声。それを聞いて彼女は呆気にとられている。
「僕の友達の精霊。ルナっていう」
「……人族に精霊? しかも名持ち? えっ? 貴方は……何者ですか?」
「ヒューガは私たちの王よ」
彼女の問いに答えたのはエアルだ。
「エアル様? えっ? 王って……エアル様の王なのですか!?」
「そう。つまり春の部族である貴女にとっても王ね」
「……失礼しました!」
慌てて椅子から立ち上がり、ヒューガに向かって深く頭を下げるエルフの女性。その頭は中々あがってこない。
「……そういうの良いから。話が出来ない、顔をあげてくれ」
その様子に苦笑いを浮かべながら、ヒューガは頭を上げるように言う。
「はい!」
「なんか元気だな? 心のほうは大丈夫なのか?」
「心ですか? それなりに傷ついているつもりですけど。でも他の二人に比べれば私の場合、相手が不細工な人族でしかも主導権を相手に握られていることが何よりの屈辱でしたので、それ以外についてはそれ程でも」
さきほどまでとは、打って変わって能弁になったエルフの女性。その態度の変化にヒューガは戸惑っている。態度だけではない。女性の話の内容も少しおかしい。
「えっと……こんなこと聞いても良いのか心配だけど……もしかして、あっちのほうは平気だったのか?」
「あっち?」
「……体を好きにされるほう」
「ああ、そっちですか。そっちのほうはどちらかと言えば好きですね。さっきも言った通り、相手が糞みたい人族じゃなくて、こっちが主導権を握っていれば、好きなことをして生活していられるのですから奴隷も良いかな、なんて思ってたりして……でも食事はちょっとですね。あと寝る場所も。その辺りの待遇はもっと考えて欲しかったですね」
「嘘だろ?」
まさかの発言に驚くヒューガ。
「ああ、奴隷も良いかな、はさすがに言い過ぎ。二人にも悪いですね。取り消します。あの二人は私と違って本当に心が傷ついていますからね。彼女たちの前でこんなことは口が裂けても言えません」
「……さっき傷を舐め合ってたって言わなかった?」
「ええ、私は女性もいけるのです」
「ああ……そういう舐め合い……」
頭の中が整理出来なくなって、思わず天を仰ぐヒューガ。とりあえず、このエルフは大丈夫なのだろうと思う。これを大丈夫といって良いのか、という思いがあるが。
「いやですよ。想像しないでください。恥ずかしい」
「想像してないから!」
大丈夫。断言出来る。
「はぁ……真面目な話に戻っていいか? 残りの二人の話をしたい」
ヒューガは一度、大きく息を吐いて気持ちを落ち着けると他の二人の話を始めた。
「……そうですね」
それを受けた彼女も表情を改める。彼女自身がどうかは別にして、二人の深刻さについては十分に認識しているのだ。
「あとの二人は精霊について何か話してたか?」
「特に何も」
「そうか……直接聞くしかないかな? 心の傷の度合いは? 見るだけで結構ひどいのは分かってるけど、荒れたりすることはあったか?」
「一人は時々、性格が変わったように当り散らす時がありました。それが一通り済むと今度は何の反応もしなくなって。とにかく精神が不安定って感じです」
エアルと同じ症状。恐らくは精霊が近くにいない。その影響が出ているに違いない。
「もう一人は?」
「ただ死にたいと。いえ、もうその気力もないですね。何を言ってもほとんど反応はありません。相手が誰であろうと
ただ言われるがまま。首輪なんて必要ないと思うくらいの従順さです」
もう一人については判断が難しい。精霊の存在に関係なく、心が傷ついている可能性がある。
「そうか……体のほうは? 痩せ細っていってる様子はあるか?」
精霊の存在は心もそうだが体に大きな影響を与える。これもエアルの経験から考えられていることだ。
「それは二人ともですね。特に一人はかなり、ひどい状況になっています。このままいけば、いずれ……」
「どっちだ? 荒れてるほうかな?」
「そうです。よく分かりますね?」
ヒューガの問いは二人の状態をよく理解している。それを女性は疑問に思った。
「エアルがそうだったからな」
「そうでした……エアル様は私たちのせいで先に……」
女性の視線がエアルに向く。といっても、申し訳なさからか、顔をまともに見られないようだ。
「気にしないで。今は元気だから。あの頃の事は忘れたとは言わないけど、もう平気よ」
「エアル様……」
「一人は間違いなくエアルと一緒だな。精霊が離れている。まずはその精霊を取り戻す方法を考えなければならない。これについては、ルナに相談だな」
精霊のことはルナに聞くのが一番。そう考えたヒューガだったが。
(ルナたちじゃなくてイフリートなのです)
「イフリート?」
ルナは自分たちではなく、イフリートに相談するべきだと言ってきた。すでに解決策を知っているのだ。
(このエルフたちの精霊は火の精霊たちなのです。それはイフリートの領域なのです)
「そうか。エアル、聞こえたか?」
「ええ。イフリート、何か方法はある?」
(おお、仲間に頼んでみる)
イフリートも自分が何をすれば良いか分かっている。
「それで大丈夫なの?」
(平気。任せろ!)
「だって」
「心強いな。精霊を戻すことが出来るのなら、体のほうの心配はしなくていい。当然、看病の必要はあるけどそれはまあ、ゆっくりとやっていくだけだ。あとは心か……」
精霊は戻っても、それで全てを忘れられるわけではない。心の傷を癒す特効薬をヒューガは持っていない。
「それも同じよ。ゆっくりと時間をかけて心を癒していくしかないわ」
「そうだな。焦らずに時間をかけてやるしかないか。僕に心のケアについての知識があればな。うまく出来るかもしれないのに」
「大丈夫。ヒューガなら出来るわ。私はヒューガのお蔭で今があるのよ。ヒューガは精霊が離れている状況の私に心を取り戻してくれた。私に出来たのよ、彼女たちに出来ないってことはないわ」
「でも……エアルと同じやり方ってわけにはいかないだろ?」
「ん? ……そうね。それはちょっと許せないかも」
「ほら」
まさかエアルの時のように二人と体の関係を持つわけにはいかない。エアルの時は良い結果になったからといって、二人に通用するはずがない。逆効果にある可能性のほうが大きい。
「何ですか? 今の雰囲気は? 私はこういうことに敏感なのです。もしかしてお二人はそういう関係なのですか?」
そんなやりとりを見ていた女性は、すぐに二人の関係に気付いた。
「そういうってどういう関係だよ?」
「むふふの関係です」
「……お前、本当に奴隷だった?」
平気でそういうことを口に出来る女性。心の傷が本当にあるのかヒューガは疑いたくなってしまう。
「ええ、間違いなく」
これもまた心を守る術。そうであることは彼女自身にしか、いや、彼女自身も分かっていない。
「……お前にも手伝ってもらう」
「私ですか? そうですね。エアル様は真面目そうですから。私ならもっと凄いことをして、王を喜ば――」
「その手伝いじゃない!」
「あら、残念」
「彼女たちの看病。一緒に彼女たちの面倒をみてくれ」
「……真面目な話をしますが、私で大丈夫ですか? 私だけ平気でいるなんて彼女たちに恨まれそうです。妬みが心の傷をさらに深くしませんか?」
「……恨まれる覚悟はして欲しい。恨まれても、文句を言われても、そのままでいて欲しい。同じ境遇にいたお前が元気でいる。それは彼女たちの目標になるかもしれない」
「そうだと良いですけど……」
「正直、何が正解なのか僕には分からない。でも何もしないでいるわけにはいかないだろ? とにかく正しいと思うやり方でやっていくしかないと思う」
「……そうですね。分かりました。頑張ってみます」
「ああ、よろしく……」
彼女たちを救うことが出来たとしても、別の場所で同じように苦しんでいるエルフがいる。そのエルフたちは放っておいて良いのか。たまたま知ったエルフだけを救おうとする行為は、以前エアルに言われていた偽善というものではないのか。こんな思いがヒューガの胸に湧いている。
では自分に何が出来るのか。自分は何を行わなければならないのか。それをヒューガは自分自身に問うことになる。