グレンが勇者付騎士から外れる事が正式に通達された。
国王直々の通達。実際には署名だけにせよ、それを短期間で実現したゴードン大将軍の国王への影響力はかなりのものだと分かる。
それでもたかが準騎士一人のこと。勇者付という点で、多少の注目を集めることはあっても、それが大勢に影響を及ぼすことにはならないと軽く流されていた。
極一部の者たちを除いては。
「しばらく席を外して」
食事室で席につくなりメアリー王女は侍女たちにこう告げた。
「なりません」
だがそれに対して、ミス・コレットが拒否の言葉は返してくる。
「……どうして?」
ミス・コレットが命令をここまではっきりと拒絶してくることは滅多にない。メアリー王女は驚いて、ミス・コレットを見つめている。
「グレン殿をお呼びしているのですよね?」
ミス・コレットもまっすぐにメアリー王女に視線を向けて、問い掛けてきた。
「……そうよ」
ミス・コレットの問いにメアリー王女のほうが視線を逸らすことになった。
「御二人だけで会わせるわけには参りません」
「何度も会っているわ!」
メアリー王女が声を荒げる。ミス・コレットが何を言おうと譲る気はないのだ。
「会わせるわけには参りません!」
「どうしてよ!?」
「口には出来ません。それに言わなくてもメアリー様は分かっておいでのはずです」
「……分からないわよ」
ミス・コレットが言いたいことに心当たりはある。だが、それは口には出来ないことだ。
「では前回会われた時に何があったか思い出してください」
「……覗いていたのね?」
その時は二人きりだった。グレンが話すはずがないことも分かっている。
「少しご様子を伺っただけです」
「それを覗いたと言うのよ!」
「メアリー様の泣き声が聞こえれば気になるのは当然です」
「……慰めてもらっただけよ」
覗かれた場面は最悪の瞬間。ミス・コレットがこれまで何も言わなかったのが不思議なくらいだ。
「そうだとしても、あれは許される行為ではございません」
「グレンは悪くないわ」
「それは関係ございません。問題にしているのは何があったかです」
「何もなかったわ。泣いている私を慰めてくれていただけよ」
「それは分かっております」
ミス・コレットもグレンの罪を問うつもりはない。事を公にするつもりはない。メアリー王女の為を思って、これ以上、二人を近づけないようにしているのだ。
「二人だけで話すだけよ。それの何がいけないの?」
「何故、二人にならなければいけないのですか? お話は私共がいても出来るはずです」
「貴方たちがいては王女としてしか話せないわ」
「何をおっしゃっているのですか? ご自身のおっしゃっている意味がお分かりですか?」
王女としてでなければ、一人の女性として話したいということになる。一人の女性としてグレンと何を話すのかということに。
「分かっているわ。何を勘違いしているの? 私は王族と臣下ではなく、友人として話したいの。グレンは私を何度も慰めてくれたわ。その時の言葉は臣下としての言葉ではなく、友人の言葉だったと私は感じているの。それが嬉しくて、その御礼をしたいだけよ」
「……しかし」
もっともらしい理由ではあるが、これが嘘であることはミス・コレットには分かっている。メアリー王女とは長い付き合いなのだ。
「もう会えないかもしれないのよ? 勇者から離れたグレンは簡単に奥に来ることは出来なくなるわ。それに私だって……最後かもしれないのよ?」
「……これが最後ですか?」
「嫌でも、そうなるわよね?」
「……そうですね」
グレンが城の奥に来ることはまずない。そして、メアリー王女も。
「最後なのだから普通に話させて」
「……分かりました」
最後にはミス・コレットも折れる事になった。これが最後と言われると同情の気持ちのほうが強くなってしまうのだ。
ミス・コレットを先頭に侍女たちが食事室を出ようかというところ、丁度、グレンが案内の侍女に連れられてやってきた。
「あっ、ミス・コレット、それと皆さん。お久しぶりです」
「御機嫌よう」
「丁度良かったです。恐らくお会いするのは、これが最後かと思いますので」
「そうですね」
「大変お世話になりました。教えて頂いたことは忘れません……使えるかは分かりませんが」
ミス・コレットに教わったのは上流社会でのマナー。グレンには使える機会など全く思いつかない。
「最後の一言は余計ですね?」
「すみません」
「マナーは心です。どんな場面でも使えると思いますよ。それを忘れないでください」
「はい」
「では」
グレンとの挨拶が終わらせて、ミス・コレットは食事室の出口に向かう。
「あれ? 出て行かれるのですか?」
「ええ。少し仕事が立て込んでいて」
「そうですか。では皆様、お元気で」
「「「御機嫌よう!」」」
声を合わせて挨拶を返す侍女たちに少し驚きながらも見送ると、グレンはメアリー王女に向き直った。
「お呼びと聞いて伺いました」
「ええ。呼びつけて悪かったわね」
「いえ。ご挨拶に伺おうと思っていたところです。でも、いざ伺おうと思ったら手続きが分からなくて。丁度良かったです」
王族の生活空間でもある城の奥への立ち入りは、さすがに厳重だ。勇者付き騎士を外されたその日にはグレンは入城出来なくなっていた。
「そうね。奥に来るのは面倒だから。それに余程の理由がないと認められないわ」
「そうですよね。ちょっと世間話とはいきませんね」
「そうよ」
「それで、ご用件は?」
「私も挨拶をしたかったのよ。それに、これからどうするのかも気になって」
「ああ。それが、客将とか言われました」
「客将? それはまた変な身分ね」
「どういう身分なのですか? ちゃんと聞けていなくて分からないのです」
グレンはまだ詳しい話を聞いていない。勇者付き騎士を解かれる時に、新たな身分は客将扱いだと聞いただけだ。客将が何かも分かっていない。
「かなり昔にあった役職よ。この国もまだ小国で、そもそも大国なんて呼べる国はなかった時代ね」
「そんな昔ですか」
「二百年くらい前ね。一つの国が分裂して小国が乱立したの。そこら中で戦争が行われていたわ。いくつもの国での敵対、同盟、とにかく入り乱れていた時代で戦争が絶えなかったの。将も兵も足りない国は多くて、この国も一時、そんな状況にあったみたいね」
「凄い時代ですね」
動乱の時代。新しい時代の幕開けでもあった。その動乱を経て、今の大陸の現状がある。
「そうね。それで足りない人材を同盟国から借りて、戦争を行ったの。もちろん、それに見合う代償は払ってね」
「借りた将が客将という事ですか?」
「そう。だから本来は他国の人間に与えられる役職よ」
「それを自分に……なんだか分からない事情があるのですね」
他国の将に対する身分を自国民に与える。わざわざそれをする理由があるのだと分かるが、その理由が何かまでは分からない。
「そうでしょうね。客将になって何をするかも決まっていないの?」
「それは決まっています」
「何?」
「それが……勇者の補佐をしろと」
「変わらないじゃない?」
「そうなのです。もっとも普段は従卒たちの調練の指導を行うだけです。他にもあるようですけど。とにかく勇者の補佐は戦争の時だけと」
「……戦争に行くのね」
グレンが戦争に行くと分かって、メアリー王女の表情が曇る。
「そうなりました。戦争に関係ない所で生活できるかと一瞬期待したのですけど」
「そう……」
「元々戦争に行くものと思っておりましたので、それについては何とも思っておりません。ただ客将が分からなくて。将というくらいだから偉いのでしょうか? 人の上に立つなんて自分の柄じゃありませんね」
メアリー王女が落ち込んでいる様子を見て、グレンはあえて軽い口調で話している。
「……ねえ。鎧って持っているの?」
ただ落ち込んでいるだけでは、時が過ぎるのは惜しいとメアリー王女は気を取り直して、別の話を始めた。
「……ないですね。国軍の時は支給品を使っていましたから」
「じゃあ、贈り物は決まりね」
メアリー王女は笑顔を向けて、グレンにこれを告げる。
「はい?」
「防具を贈ることにするわ」
「いや、それは」
「良いから受け取って。これは私がそうしたいの。私の為だと思って」
「……そこまで言われるなら」
メアリー王女から続けて贈り物をされるなど恐縮ではあるが、それがメアリー王女の楽しみであることもグレンは本人から聞かされている。
戦争となれば鎧が必要になるのは確かなので、素直に甘えることにした。
「どんなのが良いかしら? 立派なのが良いわよね?」
「い、いや、あまり派手なのは。それにゴテゴテしたのもちょっと」
「それは言い方の問題でしょ? 立派な方が良いじゃない」
「国軍の防具は軽いものですから。それで戦い慣れているので、いきなり全身鎧とか着たら戦えません」
悪目立ちするような防具では恥ずかしくて使えない。これが本音だ。
「そう……じゃあ、国軍のそれを参考にすれば良いのかしら?」
「そうですね。そうして頂けると」
「楽しみね。どんなのが出来上がるかしら」
グレンに鎧を贈ることが決まって、メアリー王女はもう、やる気を見せている。
「あの、ほどほどでお願いします」
「私を信じなさい。素敵なのを作ってあげるから」
「素敵……出来たら軽くて丈夫なのを」
実用的なものがグレンの望みだ。素敵という言葉はあまり嬉しくない。
「分かっているわよ。楽しみに待っていてね」
「お願いします」
「……あのね」
今さっきまでの嬉しそうな顔を突然陰らせて、メアリー王女は躊躇いがちに口を開いた。
「はい」
「正式に決まったの」
「……婚約ですか?」
「そう」
「あっ、ゼクソンの」
ゼクソンの国王について調べておくように言われていたことをグレンは思い出した。忙しかった上に、勇者親衛隊とのゴタゴタがあって何もしていなかった。
「ちゃんと聞いたわ。さすがに婚約相手については、少しは教えてくれるみたい」
「どんな方でしたか?」
「女性と見間違うくらいに美しい人らしいわ」
「……まあ、それは良しですね」
不細工であるよりは美形であるほうが良い。
「若くして王位について、それでも国内を混乱させる事なく乗り切ったみたい」
「それも良しですか。方法が気になりますが」
それなりに国王としての力もある。ただ力には良い力と悪い力があることをグレンは知っている。
「少し苛烈な方のようね」
「そうですか……」
恐怖で国を支配するようなタイプは、良い王とはグレンは思えない。
「でも、粛清とかを行ったわけではなく、厳しく統べているという感じみたいよ」
「じゃあ、良いですね」
恐怖ではなく威厳。厳格さを発揮しているのであれば、良い王と言える。
こんな話を聞くだけでゼクソンの王の為人が分かるはずがないのだが、メアリー王女の気持ちを考えて、グレンは一つ一つに答えている。
「双子の妹がいるらしいわ」
「双子?」
「王族では珍しいわね。忌み嫌われることが多いから」
双子は不吉。何の根拠もない迷信だ。だが国というのは、こういう古くからの迷信を気にしてしまうものだ。
「そうなのですか」
「妹の方は慈悲深い性格のようよ。その妹に頭が上がらなくて、厳しい処置をした後でも、諌められて変えることがあるくらいに」
「……本当に慈悲深い方なのですか? 変に裏で糸を引いているとかはないのですか?」
女性の、それもただ妹というだけで国政に口を出しているとすれば、それは決して良いことではない。国を混乱させる元だ。
「そう聞いているわ。でも滅多に表に出ることはないみたい。あまり体が強くないみたいで」
「そうですか」
「王は王で、これもあまり表には出ないみたいね」
「はい? それはおかしくないですか?」
表に出ないで国政など出来るとは思えない。ただ、これはグレンの早とちりだ。
「仕事以外の話よ。部屋に篭っていることが多いそうよ。それとお忍びで領内に出ることも多くて、よく姿を消すらしいわ」
「……良いような悪いような」
仕事はきちんとしているとメアリー王女が説明しても、グレンの顔はさえないままだ。
「良い事よね? 民の暮らしを気にかけているということでしょ?」
「でも、そういう情報を他国に知られるのはどうかと思います。命を狙われる可能性だってないわけではないのですから」
ウェヌス王国も敵国だ。その敵国にこんな情報が洩れるということにグレンは不安を感じる。
「そうね……」
「あっ、でも王としては悪い行いではありませんね。厳しいだけでなく、民の暮らしを考える優しい気持ちもあるということですから」
否定的な話はメアリー王女を落ち込ませてしまうだけ。グレンは良い面を慌てて説明し始めた。
「ええ。そう思いたいわ」
「聞いた限りは中々の人物のように思えます。良かったのではないですか?」
「そうね……」
グレンは条件としては悪い相手ではないと思っている。だが、メアリー王女は浮かない顔のままだった。
「まだ恋愛がしたいのですか?」
見知らぬ相手との結婚がやはり不満なのだとグレンは考えた。
「……それがしているの」
「そうですか……ええっ!?」
返ってきたのはまさかの返事。
「していると思うの」
「この期に及んで!? 婚約が決まったところですよ!?」
「分かっているわよ。でも仕方ないじゃない。気が付いたら時にはそうだったの。恋愛ってそういうものでしょ?」
事実を打ち明けたことで、少し気持ちが楽になったようだ。メアリー王女の表情に笑みが浮かんだ。
「そうかもしれませんが。ちなみにお相手は? 話せるわけありませんか……」
「グレンには教えてあげるわ。今日は最初からそのつもりだったの」
「今日は愚痴ではなく、ノロケですか?」
「ちょっと違うわね。相手は誰だと思う?」
「さあ?」
メアリー王女の問いに首を傾げてみせるグレン。全く分かっていないようだ。
「少しは考えなさいよ」
「検討もつきません。メアリー王女の周りで知っている男性は勇者くらいですから。後はハーリー千人将くらいです。この二人はありませんよね?」
グレンがメアリー王女と会うのは、健太郎たちと一緒か、まれにこうして二人で会う時くらいしかない。メアリー王女の周囲にどういう人がいるのか全くと言って良いほど知らないのだ。
「そうね……じゃあ、聞いて」
「はい?」
「誰が好きなのか聞きなさい」
「……お相手はどなたですか?」
「貴方よ」
「…………」
一瞬で固まってしまったグレンとは、正反対にメアリー王女はどこかすっきりとした様子で穏やかに微笑んでいる。
「聞こえなかった? もう一度言いましょうか?」
「……いえ、聞こえました」
「そう。でも、もう一度ちゃんと言わせて。グレン、私は貴方が好きなの」
「冗談」
「本気よ」
「…………」
どう反応して良いか全く分からずに、グレンは引きつった顔をしている。
「そんな顔しないで。だから何をしてと言うわけじゃないの」
「……はい」
何かをしてと言われても何も出来るはずがない。
「貴方に会えるのはこれが最後。婚約が決まった私は、男性と二人きりになることさえ出来ないの」
「はい」
「だから最後にきちんと気持ちを伝えたかったの。貴方が好きだって」
「……はい」
またメアリー王女の口から好きという言葉が紡がれる。実感が湧いてきて、グレンは胸が高鳴るのを感じている。
「もっと早く気が付けば良かったわ。後悔があるとすれば、このことね。貴方を好きになって、それが報われないと分かっても好きになったことに後悔はないわ」
「そんな好きだ、好きだと」
「だってこれが最後ですもの。もう二度と口に出来ない言葉だわ」
「……はい」
「貴方に会えて良かった。そして貴方を好きになれて良かった。短い間だけど、最後に恋愛が出来て良かったわ」
「それは、良かった、です」
真剣な表情で真っ直ぐに自分を見つめてくるメアリー王女が何故か眩しくて、グレンはまともに顔を見ることが出来なくなっている。
「最後の我儘を聞いて。最初に出会った時にしてくれた挨拶。それを最後にしてくれるかしら?」
グレンの返事を待つことなく、メアリー王女は席を立った。
断ることも出来ずにグレンも席を立ってメアリー王女の目の前に立つ。最初の時と同じ。グレンはその場で片膝をついた。目の前に差し出された手。それにそっと自分の手を添えると、ゆっくりと顔を近づけていく。
グレンの唇がメアリー王女の手の甲に触れるかという時に、グレンの目に金色に光る髪が映った。わずかにあげた目線と交差した透き通るような青い瞳。メアリー王女の顔がグレンのすぐ目の前にある。両頬に伸ばされるメアリー王女の手。包まれたその手に引き起こされたグレンの顔にメアリー王女の顔が近づいて行く。
「そ、それは」
「動かないで」
じっと見つめる青い瞳に居竦められたようにグレンは動けなくなった。ゆっくりと、少し躊躇いがちに寄せられてくる唇。
触れ合ったのは、ほんのわずかな時。女性との口づけは当然、初めてではない。そうであるのにグレンは胸の鼓動が激しくなるのを感じた。
グレンの瞳をじっと見つめるメアリー王女。その視線が外れたと思った時には、立ちあがっていた。
「生きて帰るのですよ。勝敗なんて気にしないで、とにかく生きて戻るのです。それが私の望みです」
王女らしい口調でグレンに語りかけるメアリー王女。
「……はっ」
それを聞いたグレンは胸が苦しくなる。
「下がりなさい。グレン」
「……はい」
「ありがとう。そして……さようなら」
グレンに背を向けて、メアリー王女は最後にこれを告げた。これは王女としての言葉ではない。グレンにはそれが分かる。
◆◆◆
食事室を出た後も、グレンは夢見心地のまま廊下を歩いていた。
現実とは思えない出来事にグレンの頭は混乱している。確かめるように唇に伸びる手。だが、それは唇に触れる前に降ろされる。
何かが消えてしまいそうで、グレンは触れることが出来なかった。
嬉しいのか、困っているのか、悲しいのかさえも分からない。分かっているのは、もうメアリー王女には会えないということ。そして、この件は決して誰にも話してはいけないということだ。
何故だか分からないが、息苦しさを感じてしまう。
混乱する思考の中、廊下を進むグレン。気が付けばそこは密会通りだった。王族が住む奥に通じるその廊下には、今日も人影はなかった。
「あっ、そうか。彼女にもう会えないと伝えないと」
頭に浮かんだのは、目の前の扉の部屋で何度も逢瀬を重ねた侍女の姿。
グレンは、この場所には、もう自由に来る事は出来ない。それは侍女とも会えなくなるということだ。
利用する為に関係を持った相手であっても、何だかんだで冷酷に成りきれないグレンだった。
だが、侍女を呼び出す術をグレンは持っていない。決められた時間にこの廊下に来ることで会えていたのだ。これが、この場所の決め事。自分たちの時間以外に侍女がここを訪れることはない
「……無理だな」
これを思って会うことを諦めたグレンは、他の人たちが来ないうちに、この場を離れようと足を早めた。
「ねえ、ちょっと待って」
グレンの足を止め、気分を台無しにする声がかかる。侍女のそれではない。結衣の声だった。わずかに扉を開いて、廊下を覗いている結衣にグレンは冷たい視線を向けた。
「そんな所で何を? ここがどういう場所か教えたはずです」
「グレンがメアリー様の所に来ていると聞いて」
「だからって部屋の中で。誤解されます」
「廊下に立っていられないじゃない」
「その部屋を使う人がいたらどうするつもりですか?」
「……その時は謝って」
「決め事というのはそんな簡単な事ではないのですけど。とにかく、とっとと部屋を出て、この場を離れてください」
「ええ」
結衣にこれを告げると、グレンはとっとと先に進んだ。それを慌てて追いかけてくる結衣。
「ちょっと待ってよ」
「何ですか?」
苛立ちを隠すことなく、グレンは結衣に応えた。
「待っていたのよ」
「お願いしましたか?」
「そんな言い方ないじゃない」
「では、どの様なご用件ですか?」
自分の思う通りに進まないと結衣はしつこく付きまとうだけ。嫌々だが、グレンは話を聞く姿勢を見せる。
「どうして健太郎の騎士を外れたのよ?」
「それを自分に聞かれても。騎士になったのも誰かが決めたこと、そして外れたのも誰かが決めたことです。そこに自分の意志はありません」
「そうだけど……」
「誰に聞けば分かるのかと問われますと、陛下としか自分には答えようがありません」
「…………」
国王に聞けるはずがない。そもそも、結衣は本気でこれが聞きたいわけではないのだ。
「ご質問は以上ですか?」
「そんな手の平を返すような態度取らなくても良いじゃない」
不満そうに口を尖らせている結衣。
「前と態度変わっていますか?」
「……変わってないかも」
結衣に対するグレンの態度は常にこんな感じだ。結衣は常にグレンを苛立たせているのだから。
「そうですよね?」
「これまでと変わらないのよね?」
不満そうな態度から一転、顔に笑みを浮かべて結衣は尋ねてきた。グレンが冗談を言ったと思って、気持ちが解れたのだ。
「態度ですか?」
「違うから。食事を一緒に取ったり、雑談をしたり」
「それは難しいと思います。自分はもう城内に自由に出入りできる身分ではありませんので。今日は王女殿下のお召しということで特別にここに来ているのです」
「えっ? だって健太郎の補佐って」
「戦場ではそれをしろと命じられております」
「……普段は?」
自分の思っていたこととは違うグレンの説明に、結衣は眉をひそめている。
「従卒の調練は引き続き行えと。それ以外はこれから聞きます」
「じゃあ」
「閣下に聞けということですので、聖女様が考えられている内容とは違うかと」
「そんな!? 変わらず補佐だって言うから健太郎はOKしたのに」
「オーケー? まあ、それは良いです。どのようなお話だったのかその場にいない自分には分かりません。分かっているのは、今申し上げた事だけです」
健太郎を大人しくさせる為に、誰かが適当なことを話したのだとグレンは理解した。それに文句はない。自分も多分同じことをしたと思うからだ。
「……今度はいつ会えるの?」
上目遣いでグレンに尋ねる結衣。
「はい?」
どうして、この質問が出るのかグレンには分からない。
「だって、お城に来ないと私とは会えないじゃない」
「……そうなりますね」
当たり前のことだ。だからこそ、今日、メアリー王女とも別れの挨拶をしたのだ。当初、考えていたのより、遥かに切ない別れを。
「それで良いの?」
「あの、どういう意味でしょうか?」
「これまでみたいに私をからかったり出来なくなるのよ?」
「そうですね。失礼な態度は今更ですが謝罪致します」
謝罪の気持ちなど欠片もないのだが、これで最後だからとグレンは形だけ頭を下げておいた。
「そうじゃなくて」
「では何ですか?」
「寂しくない?」
「……まあ。でもあの閣下が自分を暇にするとは思えませんから」
「それは寂しいではなくて退屈だから」
「閣下と戦う気はありません」
「対決」
「こんな感じで?」
満足そうな笑みを浮かべて、グレンは結衣に問い掛ける。
「違うから」
「あれ? では何ですか?」
「素直じゃないわね。散々、私を誘ってきたくせに」
「……誘った?」
何を言っているのか分からないのは、いつものことだが、これはとびっきりだ。どうして、こういう言葉が結衣の口から出てくるのか、グレンにはさっぱり分からない。
「それとなく私を誘惑していたじゃない」
「……誘惑?」
また、おかしな言葉が出てきたと、グレンは驚いている。
「そう」
「自分が?」
「他に誰がいるのよ」
「いつ?」
「いつも」
「……それは知りませんでした」
結衣の言うようなことをした心当たりがグレンには全くない。
「惚けないで」
グレンは完全に呆れ顔なのだが、それでも結衣は、自分の思い込みを押し付けてくる。
「ああ、それであの部屋にいたのですね? なんだ言ってくれればそうしたのに」
それは躱そうと冗談を挟んだグレンだったが。
「ほら、そうやって。でも簡単には許してあげないから」
この冗談さえも結衣は本気で受け取ってしまう。ここまで来ると、グレンも適当に誤魔化す気にはなれなくなった。
「まさか本気で言っています? 自分にそんな気持ちは全くありませんけど」
「……えっ?」
「もしかして聖女様って男性に口説かれることが多いのですか?」
「元の世界では、まあ、それなりに……」
恥ずかしがりながらも、自分がモテていたと自ら言う結衣。事実ではあるのだが、結衣に魅力を感じないグレンには、思い上がりに聞こえてしまう。
「それで勘違いを」
「勘違い?」
「それ以外に何があるのですか? 自分の行動が誤解を与えたとしたらお詫びします。でも自分には好きな人がいて、恋人と呼べるような人もいます」
「それって同じ人のことでしょ?」
「……そうですね」
好きな人と恋人が違うとは言えない。それにローズも好きな人の一人であるのは間違いない
「本当にいるの?」
「ここで嘘をつくことに何の意味があるのですか?」
「照れて誤魔化してない?」
結衣の頭の中では、あくまでもグレンは自分のことが好きなのだ。
「していません。そもそも自分は聖女様には勇者様をお勧めしたつもりだったのですけど」
「それはあり得ないって私は言ったけど」
「それは聖女様の勝手ですけど」
健太郎をどう思うかは結衣の勝手だ。だが健太郎を勧めた自分に、気がないことくらいは分かって欲しい。
「私って魅力ない?」
「まあ、美人だとは思います」
一般論では結衣は間違いなく美人に分類される。これはグレンも否定はしない。
「まあって。ちょっと傷ついた。結構褒められるのに」
グレンの反応が結衣は気に入らない。まだグレンの言いたいことが分かっていないのだ。
「あのですね」
「何?」
「自分は女性の美醜にはあまり何も感じません」
「どうして? 美人の方が良いじゃない」
「そうですけど、亡くなった自分の母親は凄く綺麗で、妹も母に負けないくらいに綺麗です。自分は子供の頃からそれを見ていて、しかも外見で二人を超える女性はいないと思っています」
「…………」
結衣もフローラを見たことがある。そのフローラを引き合いに出されると何も言えなかった。
「そのせいか外見で女性に好悪を感じません。聖女様はかなり美人だと思いますが、だから好きになるということはあり得ません」
「それじゃあ私が性格悪いみたい」
「そうは言っていません。ただ価値観が違う。異世界で生まれ育った聖女様とでは仕方がない事だと思いますが」
その通り、とは口にしない程度の礼儀はグレンにもある。言ったら言ったで、面倒くさそうという思いもあって、価値観を理由にした。
「……じゃあ、あの侍女は何よ?」
「どうしてここで?」
「別に美人じゃないし、ただのヤリ……えっと……色狂いじゃない」
これを口にする女のどこが性格が悪くないというのか。
「これまでの話でその言葉が出ますか? それは良いとしても、それ関係ありません。外見はさっき言った通り、色狂いもちょっと違いますね。そう言えば、会う事ありますか?」
「お城に居るからたまにね。ちょっと気まずい」
一方的に結衣が気まずいだけだ。相手は結衣がグレンとの関係を知っているとは思っていないのだから。
「では、伝えてもらえますか? 自分はもう会えないので」
「何を?」
「もう会えないということを。それを直接会って言えないことの謝罪。それときっかけはどうであれ楽しい時間であったと。それに感謝していると。こんなところですね」
「……どうして私が」
グレンの侍女に対する思いが、自分の考えていたものとは違うとはっきりと分かる言葉。結衣は不機嫌そうな表情を見せている。
「あっ、無理しなくても良いです。別の方に頼みますから」
「良い。伝えてあげる」
「ではお願いします」
「ちょっと!」
引き止める結衣に構わずにグレンは足早にその場を去った。結衣の自惚れに我慢ならなくなったからだ。そして、メアリー王女との少し切ない別れを台無しにされたことにも腹が立っていた。
もう二度と結衣とは話をしない。この思いを強く持ったグレンだった。