月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

勇者の影で生まれた英雄 #35 グレンの価値

異世界ファンタジー小説 異伝ブルーメンリッター戦記

 グレンの処分は翌日には決まった。こんなくだらない事件で、グレンの活動を長く止めておきたくないというトルーマン元帥と複数の将たちの意向からだ。
 処罰は独房送り五日。ただの喧嘩としては厳しくはあるが、上職への反抗と捉えると軽い処分だ。折衷案を選んだ結果だ。
 直ちに収監されたグレン。そして約束?通り、トルーマン元帥が従卒たちの調練の様子を見ている。指導というよりはもっぱら質問しているだけなのだが。

「午前はただ走るばかりと思ったら、午後はずっと素振りか。思ったよりも地味だな」

「まずは基礎を身に付けることが大切と教官から伺っております」

「それは正しい。しかし向かい合うことに何の意味があるのだ?」

 従卒たちは二人一組で向かい合って素振りをしている。このようなやり方は騎士団にはない。

「……閣下はご存知ないのですか?」

「それはそうだ。お主らがやっているのは小僧の子供の頃の鍛錬だそうだぞ」

「子供の頃……」

 トルーマン元帥の説明を聞いて従卒の顔が強張る。

「こう聞くと不満が出るか。まずいことを言ったな」

 それを子供の鍛錬をやらされていることへの不満とトルーマン元帥は受け取ったのだが。

「いえ。驚くとともに納得しております。教官は子供の頃からずっと続けていたのかと。それ故の強さなのかと」

 グレンの実力を知っていれば、不満に思うはずがない。逆に子供の時からこれだけの鍛錬をしていたのかと驚いてしまう。

「ほう。お主の名は何という?」

「はっ。ジャスティン・ストークと申します」

「中々に良い説明の仕方だ。分かり易く、それでいて簡潔に。軍での報告はそうあらねばならん。これからもそれを心得ておけ」

「はっ」

 返事はしたものの、ジャスティンは正直何を気に入られたのか分かっていない。

「さて、向かい合う意味も説明してもらおうか?」

「はっ。自分の悪い所を知ること。それと共に相手の良い所を盗み、悪い部分を正すためです」

「……今のは難しいな」

「申し訳ございません」

「いや、良い。鍛錬の意味を簡潔に説明することなど出来んからな。もう少し詳しく説明してくれ」

 見習い騎士に対してはそれなりに気を使っているトルーマン元帥だった。周囲からさりげなく、それでいてしつこく怯えさせないように言われてきたという理由もあってのことだ。

「少々長くなりますが?」

「かまわん」

「では。自らの素振りは体の一つ一つの動きを確かめながら行うように言われております」

「一つ一つだと?」

 素振りは一つの流れだ。それをバラバラに考えることの意味がトルーマン元帥には分からない。

「はい。一連の流れは簡単にこう説明を受けております。重心を前に傾ける。それによって足の踏み出しが動き、その足に体重を乗せていくことで、上半身もそれに連動し、動き出すと」

「ほう」

 流れで捉えているのは同じ。ただ一つの動きではなく、動きの連携、もしくは連動として捉えている。これそのものは目新しいものではない。

「そして自然と肘が下がり、わずかに遅れて剣を握る手が下がる」

 説明を続けるジャスティン。

「遅れると小僧は言ったのか?」

 この感覚はトルーマン元帥にはなかった。

「そういう意識で振れと言われております」

「どういう効果がある?」

「その時間差が結果として剣を加速させると言われております。腕を鞭のように使えとも」

「ふむ。なるほどな。それは分かる。それで?」

 ジャスティンの細かい説明で、トルーマン元帥も意味が分かった。

「そういった動きを最初は徹底的に意識しろと。それによって、体がどう動くべきかを知り、それを知って無駄を省けと。無駄を省けば、剣をより速く、より正確に振れるようになると説明を受けております」

「……そこまで拘るのか」

 素振りは基礎の基礎。基礎固めは大切ではあるが、ここまで徹底して騎士団では教えない。

「向かい合う意味は、自分の体の動きは感じることしか出来ない。だから他人の素振りを見て、目で確認しろということです」

「なるほどな」

「良いと思う部分は真似て、自分に合っているかを確かめます。合っていると思えば、それを自分の素振りの中で意識してそれを身に付けていきます。悪い所は当然、指摘して直させる。他人に見てもらいながら直せば、それも目を使うのと同じだと」

「効率的だ。だが非効率でもある。なぜ、そこまで細部に拘るのだ」

 向かい合って素振りをする理由は分かった。だが、素振りに対する拘りの強さの意味は理解出来ない。

「それを知ることで、相手の剣を見切れるようになるそうです」

「そういう事か……立ち合いでは駄目なのか?」

「それでは個々の動きから見切れないと。もちろん、先々は立ち合いの中で出来るようにならなければいけないのですが。いきなりそれは無理ですので」

「個々の?」

 またトルーマン元帥には分からない感覚が出てきた。

「例えば重心が前に動いたら相手が剣を振る時だと」

「そこまで見切れるのか?」

「いえ、それを見て、更に次に動く所を予測し、それを確認することで見切れると申されておりました。見切りの早さはどの段階でそれが出来るかにかかっていると」

 グレンの教えはトルーマン元帥の問いの更に上を行っていた。理屈では分かる。そして、実際には多くの騎士も感覚的に行っているはずだ。

「……小僧は出来ているのか?」

 だが、それは理屈で身につけられるものではないとトルーマン元帥は思っていた。重ねた実戦経験によって得られるものだと。

「私の実力では逆に教官の力は見抜けません。ですが出来ていると思います」

「そう思う理由を述べよ」

「はっ。自分の癖をすぐに見抜きました。そして、二、三度の素振りで悪い箇所を見つけ、それを直して頂きました。正確にはまだ直している最中でございますが。それが出来る教官は私の剣の振りを見切っていると考えます」

「そうだな。しかし、どれだけこれを続ければ出来るようになるのか」

 努力でそこまでの技量を身につけられるとすれば、それはとんでもないことだ。王国騎士団は間違いなく大陸最強となる。

「何年でも、何十年でも続けろと言われております。仮に今の素振りが納得出来るものになっても、剣を一方向から振るものではありません。縦横斜め、切り上げ、さらにそれらの角度を変えてとなりますので」

「……何十年でも足りんぞ」

 案の定、努力だけでは途方もない時間がかかる。さすがに甘くはなかった。

「いえ。基本は左右斜め上と左右真横、左右下から切り上げの六の型であり、あとはその応用と聞いております」

「応用とは?」

「角度の変化は重心、上体、肘、手首の角度でいくらでも変えられる。どこを変えれば、一番力が入って、求める角度に変えられるかを知れば、それで全方向は振れると」

「応用なのに。そんな簡単な説明なのか?」

「これも又、基本ですので」

「応用と言ったのではないか?」

 トルーマン元帥の言葉への拘りがまた少し出た。

「わかりにくい説明で申し訳ございません。基本の応用。これは精度を高めるものです」

「精度とは?」

「閣下は先ほど全方向と申されました。しかし、教官の言う全方向とは異なるのではないかと考えます」

「どこがだ?」

「それが精度であります。教官の言う精度とは狙いを剣の刃の幅で収めて振るということです」

「何だと!?」

 ジャスティンの説明にトルーマン元帥は驚きの声をあげた。こんなことが出来れば、もうそれは剣の達人のレベルだ。

「これについては、教官もまだブレがあると申されておりました」

「……そうか。出来ておらんか」

 グレンがまだその域には達していないと聞いて、トルーマン元帥は何となくホットしてしまう。

「私には出来ているようにしか見えませんが、教官は納得されておりません。相当な高みを目指されているのでしょう。ですから何十年でもと申されたのだと思います」

「……そうか」

 どこまでの域に達しているかは分からないが、グレンの実力がトルーマン元帥の考えていたそれを遥かに超えているのは分かった。

「そして本当の応用は」

「実際に応用があるのか?」

「はい。ただこれは目指すか目指さないかは個人の自由だと申されております」

「何故だ?」

「それは応用の中身をご説明すればお分かりになると思います。先に簡単に申し上げますと、先ほどの基本を壊せというものです」

「何年もかけて身につけたものを壊せと?」

 グレンの教えはとにかくトルーマン元帥を驚かせる。本人の実力はともかく、教えはもう常人では理解出来ない達人の域に届いている感じだ。

「それ故に目指さないのも自由だと申されたのだと」

「壊すの意味は?」

「同じ動きで剣を振り続けていては初見では通用しても二度目はない。だから違う動きで同じ振りが出来るようになる必要があるとのことです。足の踏み込みは軽くした分、上半身のひねりで同じ振りをと申されておりましたが、ここまで来ると私には理解出来ません」

 相手の剣を見切る。当然それを相手も自分に対して行ってくる。それをさせないように基本の動きを崩すのが応用だ。

「だろうな。しかし、そんな全方向を一度で見切れるものか。無用な工夫ではないか」

「教官はご自身を基準に物事を考えておられます。しかも自分が出来る事は他の者にも出来るものだと」

 自分の才能を低く見積もるのはグレンの欠点だ。

「小僧らしいな。まだあるのか?」

「説明を受けたのはここまででございます」

「まだ何かあるような言い方だな?」

「鍛錬ではなく、教官はこの上に左右両利きで剣を振れるようですので」

「……右で振るのを見たのか?」

 右腕は健太郎に切り落とされて、思う通りに動かないと言っていた腕だ。

「手本として見させていただきました。教官は左利きだと思っていたのですが、あれは両利きの鍛錬の為でした」

「つまり右の方が?」

「最初の一振りは見えませんでした。私が未熟なせいもあるのでしょうが」

「あの小僧……」

 グレンがトルーマン元帥についていた嘘がここでばれてしまった。

「何か余計なことを申し上げましたか?」

「小僧は以前に勇者に右腕を斬り落とされた」

「えっ!? でも右腕は」

「聖女の魔法で再生したのだ。この話は知らんのか? この場所での話だぞ?」

 グレンと健太郎の一件は、調練の最中に起こっている。騎士であれば知っていて当然のことだ。

「調練場に来ることはこれまでありませんでしたので」

 だが、勇者親衛隊の騎士の従卒たちには特別な事情がある。それがここでトルーマン元帥の耳にも入ることになる。

「それはどうしてだ? 見習い騎士調練は毎日とは言わんが、定期的に行われているはずだ」

「それに参加することは許されておりませんでした」

「……ボンクラ騎士もどき共か?」

 親衛隊の騎士たちに対しては、トルーマン元帥の評価は無以下だ。騎士として認めていないのだ。

「あの、さすがにそれにお答えするのは」

 ボンクラ騎士もどきに対して、そうですは言いづらい。一応は仕える相手であるのだ。

「それが答えだな。やはり無理にでも処分すべきだったか。失敗したな」

「何故、出来なかったのですか? どう聞いていても言いがかりをつけていたのは向こうです」

 ボンクラ騎士もどきという言葉には気を使ったが、気持ちはもう主として認めていない。向こうという言い方はこういうことだ。

「規則というものがある。それは守らねばならんのだ」

「それは分かります。しかし」

「それが下の者を守る事にもなるのだ。上官の命令は絶対。そう聞いているな?」

「はい」

「では、その上官が間違っていたら?」

「それでも命令は守らねばなりません」

「そうだ。だが、それで死ぬのは多くの場合、下の者ばかりだ。間違っているのが明らかな時に、自分が死ぬと分かっている時に、それでも従う勇気のある者はそう多くない」

「……はい」

 頭では命令は絶対と考えている。だが、いざその場になったら、これを考えるとジャスティンも死地に飛び込めるか自信はない。

「昔は規則などなかった。それこそ上官の命令は絶対だ。それに逆らって、その場で殺されても文句は言えなかった。そして、その上官が罪に問われる事もなかった」

「それで規則が。理不尽に殺される事のないようにですか?」

「そして無能な上官を裁くためだ。それが上官の暴走を防ぐ鎖にもなる。だから、上官の命令以上に規則は絶対でなければならんのだ。個々の状況では納得出来ない事が起こってもな」

 規則が間違っている、これを認めてしまっては基準を失ってしまう。無法ということだ。

「……分かりました」

「規則に掛かる罪があれば良いのだ。お主らはボンクラの従卒だ。何か知らんのか?」

「…………」

 トルーマン元帥の問いにジャスティンは何も答えない。

「告げ口は嫌か?」

「いえ。思いつきませんでした」

「本当か?」

「残念ですが、本当です。無頼を気取っておりますが、あれらには罪を犯す勇気もないのです。戦功はないに等しいので、少しの罪でも退役になる可能性があります。それを恐れているのではないかと」

「ボンクラは所詮ボンクラか。しかし、小僧との揉め事は」

「勇者がいたからです。勇者がいる以上、自分たちが罰せられることはないと思っていたのだと考えます。彼らは常にそうです。隠れられる背中を探しております。恐れながら騎士団は、そういった輩をひとまとめにして、絶好の隠れ家を提供してしまったのだと思います」

 ずっとため込んでいた思いが噴き出したのか、トルーマン元帥相手だというのに、ジャスティンはかなり辛辣な言葉を口にした。

「まるで小僧のようなことを言うな」

「……口が過ぎました。申し訳ございません」

「いや、儂は嫌いではない。そうか……」

 従卒であるジャスティンがここまでの思いを持つ相手だ。本気で何とかしなくてはと考えたトルーマン元帥。

「あっ」

 だが、その思考はすぐに止められた。

「どうした?」

「小休止! 整列だ!」

 突然、調練を続けていた従卒たちにジャスティンは指示を出した。トルーマン元帥が何事かと見てみれば、ジャスティンの視線の先には近づいてくるアステン将軍の姿があった。

「今は調練中だ。礼は無用だな」

「しかし」

 いくらトルーマン元帥の言葉とはいえ、それで将軍に叱責されては堪らない。従卒たちは姿勢を崩すことはなかった。

「まあ、本人が言うであろう」

 それが分かっているのか、トルーマン元帥も苦笑いを浮かべて、それ以上何も言わなかった。
 トルーマン元帥が言うとおり、アステン将軍の第一声は。

「手を止める必要はない。調練中は礼など無用だな」

「よろしいのですか?」

「当たり前だ。閣下がこの場にいる以上、私以外の将もやってくるぞ。その度に整列などしていては調練にならんだろう?」

「はっ。ではそうさせて頂きます」

 アステン将軍の言葉を受けて、ようやく従卒たちは又、調練に戻っていった。

「なるほど。閣下のお気持ちが少しわかったような気がします」

「どんな気持ちだ?」

「この立場になると中々見習い騎士に接する機会はありません。初々しい若者を見ると、自分の気持ちも若返ります」

「そこまでの気持ちではないが、それも無くはないか。それで何の用だ?」

「グレンの件、ほぼ調整が付きましたので閣下のご判断を仰ぎに来ました」

 処罰を下しただけではグレンの件は片付いていない。これを良いきっかけとして、トルーマン元帥は動いていた。

「どうだった?」

「勇者付きを外すことには合意が取れました」

「そうか。では判断と言うのは?」

 こちらの要望を叶えられた。その上で判断が必要となれば、別の事態が起こったということだ。

「条件を出されました」

「そうであろうな。どんな条件だ?」

「次の戦争に参陣させることです」

「……将としてか?」

 相手方がグレンに何を望んでいるのか。これが分からなければ、簡単に受け入れられない。 

「いえ、勇者の補佐です」

「それでは勇者付きのままではないか」

「いえ、外した上でという事です」

「分からんな。勇者付騎士は外しても良い。だが勇者の補佐をしろ。辻褄が合っておらんのではないか?」

「さすがに本番となると、余計なことを考えるつもりはないようです。勝つために最善を選んだのではないかと」

 トルーマン元帥は策謀を疑っているが、アステン将軍はもっと単純に捉えている。勝つためにグレンの力が必要だと。

「勇者は不安か」

「今の勇者を見ていれば誰もがそう思います。そして勝つという点においてはグレンを信頼し、必要としているのではないかと」

 好意的、敵視、どちらの立場であろうとグレンの能力は認められている。

「なるほどな。しかし、どういう名目でだ? グレンは既に軍籍を外れておる。従軍させるには又、軍に入れるのか?」

「それが客将と」

「おい、いつの時代の話だ。今は小国が乱立する群雄割拠の時代ではないぞ」

 客将とは多くの場合、他国の将軍を指す。自国の将の不足を同盟国から将を借りることで補っていた時代があった。大国が戦いに明け暮れていた時代だ。

「まあ、そうですが話を聞けば中々考えられております。この辺はさすがだなと感心しました」

「どういう意味だ?」

「まずは軍籍はどうでも良くなります。客将ですので、我が国の軍籍は必要ありません」

 元々は他国の将を客将として招いたのだ。その国の軍籍がないのは当然だ。

「大した理由ではない」

 だが、軍籍などはどうにでもなる。あえて客将とする理由にはならないとトルーマン元帥は思った。

「これは、です。そして客将ですので、いつでも外すことが出来ます」

「なるほど、そうだな」

 グレンにとって良いことだ。そして、グレンを後々、邪魔に思う者たちにも。

「軍権もあいまいです。過去には他国から借りた客将に全軍を任せた例もあるくらいです。そうかといって、別にどれだけの部隊を任せなければいけないという決まりもありません。極端に言えば兵がいなくても良い」

「都合に合せて使えるのか。なるほどな、感心するのも分かる」

「まだあります」

「ほう」

「客将である以上、勇者も一定の礼儀を持って接しなければいけません。自軍の将ではないのですから」

 トルーマン元帥としてはこれが一番納得し、有意義だと思える理由だ。もっとも健太郎を上手く扱えるであろうグレンに、さらに地位という道具を与えることになる。

「……本気で感心したぞ。この頭をもっと良い方向に使ってもらえんかな?」

「私も少しそう思いました」

 残念ながら、その頭は権力争いやその為の策謀にもっぱら使われている。

「条件としては悪くない。それどころか、こちらの望む通りだ」

「では了承しておきます。しかし、よろしいのですか?」

「何がだ?」

「グレンを軍籍に置かないままで。閣下は相当にグレンを買っております。もしや、先々は自分と同じ地位にと思っているのではないですか?」

 トルーマン元帥がここまで評価し、執着を見せる相手をアステン将軍は初めて見た。グレンはウェヌス王国全軍で唯一の存在なのだ。

「それはない」

 だが、トルーマン元帥はアステン将軍の言葉をはっきりと否定した。

「そうなのですか? しかし、私が見てもグレンには将器があります。あの年でそう思えるのですから経験を経たらどんな将になるのか」

「儂が小僧を買っているのはそれではないのだ。確かに将としても優秀だ。本格的な戦争を経験すれば、更にあれは大きくなるだろう。だが、それでは駄目なのだ」

「と言いますと?」

「グレンがいなくなった後はどうなる?」

「……かなり先の話ですが?」

 グレンは若い。その若さで驚くべき能力を発揮していることも高く評価される理由だ。

「どんなに優秀な将であっても死ぬ時は死ぬ」

 だが軍にいる限りは年齢は関係ない。若くても年を取っていても、優秀でも凡人でも、死ぬときは死ぬ。

「確かに。では何をグレンに期待しているのですか?」

「小僧の真価は改革者である点だ」

「……軍そのものを変えさせると?」

「そうだ。戦術については知っての通りだ。あれには、その才もある。だが、そんなものよりも小僧が凄いのは、組織を育てることだ」

「三一○大隊ですか? たしかに最下位であったはずの大隊が今や精鋭と言っても良い状態になっております。しかし、グレンは中隊長で、それもわずかな期間です」

 グレンには大隊全体を鍛える権限も時間もなかった。これはその通りだ。

「それが違うのだ。グレンはトリプルテンの落ちこぼれ小隊を鍛え上げた。その影響を受けて三一○一○中隊の他の小隊も調練を厳しくした。そしてグレンが中隊長になったことで、調練は中隊全体で統一されたものになり、更にそれを見た他の中隊も真似をし始めた。それが今の三一○大隊だ」

「……そうでしたか」

「そして儂が何よりあれを評価するのは、そのグレンがわずかな期間しか中隊長でいなかったことだ。奴は調練内容だけを考えて、それを他の者に任せることで中隊を精鋭にした。この意味が分かるか?」

「同じことさえすればグレンでなくても部隊を精鋭に出来る」

 ここまでの話でアステン将軍にはトルーマン元帥がグレンの何を評価しているか分かっていた。

「そうだ。優れた将が率いれば軍は強くなるかもしれん。だが、その将がいなくなった途端に弱くなるようでは意味がないのだ。誰でも出来る仕組み、方法を考え、それを教えこむことで軍を強くする。それがどんなに素晴らしいか」

「確かに。一つの突出した精鋭軍ではなく、全ての軍が強くなるわけですか」

 兵士という弱者をいかにして死なせないようにするか。グレンの考えの根底にはこれがある。才能に頼ることなく、誰もが強くなるにはどうすれば良いかを考え続けている。

「儂はそれをグレンにさせたい。そして出来上がった後は、軍を離れてもらいたい。一人の俊才に頼る軍ではなく、凡人が活躍する軍にしたいのだ」

「勇者は不要ですか?」

「いきなり、そこに話が飛ぶか」

「閣下が今仰られたのはこういう事です」

 勇者のような特別な存在に頼ることなく、普通の人々の力で軍を強くする。トルーマン元帥の言葉を少し変えるとこうなる。同じ意味だ。

「そうだ。勇者に頼ることに何の意味がある。そんな存在を不要とすることが、軍の上に立つ儂らの使命ではないか?」

「私もそう思います」

「……だが、もしウェヌス王国に軍事的な危機が訪れるようになったら、グレンを呼び戻せ」

「それは?」

「言っていることが矛盾しているのは分かっておる」

「いえ、その前に私にそれを申される意味が」

 グレンに軍に戻るように頼むなら、もっとも親しいトルーマン元帥からのほうが確実だ。アステン将軍はこう考えている。

「儂はそれ程遠くない時期に引退する」

「……お決めになったのですか」

 いつかそういう時が来るのはアステン将軍も分かっていた。だが、今それを聞くとは思っていなかった。

「かなり前に決めておった。ここにきて色々と動いているのは、それが理由だ。引退前に、せめてこの先数十年の軍の礎を築いておきたい。こう思った」

「はい」

 トルーマン元帥のこの思いはアステン将軍にも伝わっている。何度も軍の改革については話をしているのだ。

「時間がないと思った。無理だと思いながら、それでも諦められんかった。だが、そんな儂の前に小僧が現れた。出来ないと思っていたことがそれで出来ると確信出来た」

「……はい」

 トルーマン元帥にとってグレンは、諦めていた将来に光を灯す存在だった。この二人の出会いが運命でなくて何なのだと、アステン将軍は心の中で思っている。

「……話が脱線したな。どんなに強い軍でも必ず勝てる訳ではない。負けに傾く時もある。一つ一つの戦いならまだしも、それが戦況全体に及んだ時、軍には英雄が必要になる。強さではない、この人がいれば大丈夫と兵が思える人物だ」

「それがグレンだと?」

 アステン将軍にとって、そういう存在は目の前にいるトルーマン元帥だ。グレンの能力は評価しているが、軍の頂点である元帥と比べる気にはなれない。

「演習の時、本陣の前で一人立つグレンを見た時、儂は心が震えた。ただ立っているだけのグレンに震えたのだ。それは儂だけではなかったと思っている。劣勢で弱気になった兵を支えたのは、ただ立っていたグレンではないかとな」

「…………」

「あれが持っているのは将器ではない。英雄の器だ。そして本人は決してそれを望まない。だから、本当の意味で覚醒することはなく、俊才で留まっておるのだ」

 これまで以上の、異常とも思える評価をトルーマン元帥は口にする。

「それであれば尚更留めたいと思ってしまうのは私の凡才故でしょうか?」

「いや、その気持ちは儂もある。儂とお主の違いは、小僧を恐れる気持ちがあるかないかだ」

「恐れるですか?」

「そうだ。小僧がウェヌス王国の英雄で収まってくれれば良い。だが、それを飛び抜けてしまった時、我が国はどうなってしまうのかと考えてしまうのだ」

「…………」

 グレンへの恐れを生み出すものがある。トルーマン元帥はそれを知っており、アステン将軍は知らない。二人の本当の違いはこれにある。

「これはさすがに過大評価だな。今の話は忘れてくれ」

「……はい」

「見習い騎士の鍛錬も中々面白いぞ。小僧が彼等にやらせているこれも、取り入れることを考えるべきかもしれん。彼らが上手く育ったら、今度は新騎士を任せてみよう。国軍も騎士団も強くなる。楽しみなことだ」

「そうですね」

 重苦しくなった空気を吹き飛ばそうと、トルーマン元帥は話を変えたが、それはアステン将軍の気持ちを晴らすまでには至らなかった。
 それとは正反対に調練を続けながら聞き耳を立てていた従卒たちの気持ちは、大きく高揚していた。グレンはこの場にいないままに、トルーマン元帥によって、更に従卒たちの信望を集めることとなった。