主人公のユリアーナが物語のヒロインであれば、ヒーローの筆頭はエカード・マルク。ローゼンガルテン王国の四公国の一つ、キルシュバオム公国を将来継承する立場であり、個人としてもズバ抜けた剣の才能を持っている。当然、美形。
非の打ちどころがない、と言いたいところだが、その性格には少しばかり難がある。お世辞にも愛想が良いとは言えない性格で、常に近寄りがたい雰囲気を醸し出しているのだ。人当たりの良い、平民の間ではもう受け入れられなくなっているとはいえ、レオポルドとは真逆。そうであるから二人は仲が良いのかもしれない。
基本的にはエカードのその性格が大きな問題になることはない。人を威圧するような雰囲気は、上に立つ者として必要な資質と捉えられることが多いのだ。そう思っていなくても、公爵家のエカードを非難する声はそう聞こえるものではないが。
ジグルスの知識にあるエカードもこれと同じ、だったのだが。
(……人の気持ちに鈍感なだけなのか?)
愛想の問題ではなく、人の気持ちを思いやることが出来ないただの自己中なのではないか。今、目の前にいるエカードを見て、ジグルスはこんな風に思っている。
「……まず一つ、確認させてもらえるかしら?」
リーゼロッテもかなり呆れた様子なのだが、話を続けようという意思はあるようだ。
「確認とは何についてだ?」
「それは今から言うわ。ねえ、エカード。私と貴方はいつ婚約したの?」
「……婚約はしていない」
「そうよね。私が貴方と関係があるとすれば、幼馴染みというだけ」
その幼馴染みという関係も認めたくなくなっているリーゼロッテだが、ここはその気持ちを飲み込んで話を進めようとしている。
「まあ、そうだ」
「では次の質問。幼馴染みとパーティーに同伴しなければならないなんて、いつ決まったの?」
「そんな決まりはない」
「じゃあ、どうして私は貴方の同伴者にならなければいけないのかしら? 何故、私の両親はそれを望むの?」
エカードがリーゼロッテたちの部室を訪れて話し始めたのは王家主催のパーティーについて。自分の同伴者はリーゼロッテであるべきだという話だ。
部室に顔を見せただけで呆れていたこの場にいる面々は、その話を聞いて面食らっている。
「これまでずっとそうだった。それを急に止めては心配するだろう?」
「えっと……何を心配するのかしら?」
「……俺と君の関係が悪くなったのではないかと」
さすがにこれを言うエカードには躊躇いが見えた。関係が悪くなっているのは事実なのだ。
「それは事実。でも知ったからといって、実家が心配することではないわ」
「そんなことはないだろう?」
「ごめんなさい。私には何故、貴方がそう思うのかまったく分からないわ」
何故そう思うのかは分かっている。リーゼロッテが理解出来ないのは、そう思う根拠だ。二人の関係悪化は実家にとって、それほどの大事ではないとリーゼロッテは考えている。
「それは……いずれ、俺と君は……」
「だから、それはなにも決まっていないわ。決まっていないのに何故、実家が心配するの?」
婚約は正式に決まっていない。もっと言えば、家同士でそういった話が出たとも聞いていない。二人の婚約は選択肢の一つに過ぎないとリーゼロッテは考えている。個人的には選択肢からも抹消して欲しいくらいだ。
「本当に大丈夫だと思っているのか?」
「ええ。私は思っているわ」
「……そうか」
エカードはまだ納得していない顔だ。本気で問題ないと思っているリーゼロッテは、その態度を鬱陶しく感じてきた。
「エカード。貴方が心配しているのは実家がどう思うかでしょう? そうであれば実家に聞けば良いのではなくて?」
エカードは実家の意向を気にしているだけ。自分がリーゼロッテと同伴したいと思っているわけではない。リーゼロッテはそう受け取っている。
「……分かった。それとなく聞いてみる」
「では話は終わりね?」
「君はどうするつもりだ?」
「……それを知る必要はあるかしら?」
ようやく終わったと思ったのに、エカードはまた問いを発してきた。さすがにもうリーゼロッテも相手をする気がなくなっている。
「欠席となると王家が良く思わないのではないか?」
「誰が欠席すると言ったの?」
「……同伴してくれる人がいるのか?」
これは受け取りようによってはかなり失礼な質問だ。自分の他に相手してくれる人はいないだろうと言っているようにも聞こえる。
「……つまり、貴方のところにはまだ届いていないのね?」
「何が?」
「王家からの招待状」
「それならとっくに届いている」
届いていないはずがない。招待状が届いたからこういう話をしているのだ、とエカードは思っているが、これは間違いだ。
「そうじゃないわ。内容を改めて、また送られて来たの。恐らくは私たち四公家の人間だけに」
「どういうことだ?」
「従属貴族家の子弟も可能な限り、全員参加させるようにという内容よ」
「従属貴族の子弟を全員? 何故、そんな真似をするのだ?」
「それを話し合おうとしていたところなの。それなのに貴方が邪魔するから」
リーゼロッテもこの招待状の内容はおかしいと考えている。だが招待状が間違っているはずがない。そうなると何らかの意図があって変えられたということになる。
「そうか……それで結論は出たのか?」
「言ったわよね? 貴方が邪魔するから話し合いが出来ないって」
リーゼロッテの眉間に皺が寄る。エカードの図々しさに腹が立ってきたのだ。
「それはすまなかった。俺の話はもう良いから、話し合いを始めてくれ」
「…………」
その前にまずお前が部屋から出て行け、という言葉を口に出さない礼儀をリーゼロッテは身につけている。口に出さなければエカードはいなくならないのだが。
呆れる周囲の中で例外がいるとすればただ一人。ジグルスはこれが主役級の男が持つ鈍感力というものか、と感心している。
「分からないのか? 君がいると話が始まらないのだ」
リーゼロッテに代わって、エカードに邪魔だと告げたのはタバート。招待状について話をする為に、だけではないが、部室を訪れていたのだ。
「……公爵家が対立する状況は良くないと思うが?」
「そちらが関わらないでいてくれれば対立にはならない」
「先に……いや、これはお前に言うことではないな」
先に手を出してきたのはそちらだ、と言いたいところだったがタバートは関係ない。
「誰に言う話であっても、今は遠慮するべきではないか?」
「……俺がいては話せない内容なのか?」
「そういう内容になると困るから言っているのだ」
タバートの表情にも呆れが浮かんできた。ここまで言われて何故、部屋を出て行こうとしないのか理解出来ないのだ。
「……その可能性は少ないと思う」
「そうか? 俺は君のところの女子生徒が関係しているのではないかと考えている」
特別な理由があるとすれば、それはユリアーナの存在だとタバートは考えている。そう思うほど、ユリアーナの力は飛び抜けているのだ。
「……それがユリアーナのことであるのなら間違いだ」
「何故、そう言い切れる?」
「彼女は平民だ。招待状には従属貴族家の子弟を連れてくるようにと書かれているのだろ? そうであれば彼女は該当しない」
「そうかもしれないが……連れて行かないのか?」
それでもエカードはユリアーナを同伴させる。そう考えていたのだ。
「……俺ではなくレオポルドが同伴させるようだ」
「参加するのではないか」
「結果としてだ。王家からの内容を変えた招待状が、我等四公家だけに送られたものであるのなら、彼女をパーティーに参加させることは出来なかった。そうだろ?」
レオポルドの実家は伯爵家。同様の招待状は届かない。ユリアーナをパーティーに参加させることにはならない。これはあくまでもエカードがユリアーナを同伴させない、という前提があってのことだ。
「……同伴者にするつもりはなかったのか?」
「だから彼女は平民だ。参加する資格はない。資格のない者を連れていくはずがない」
「そうか……」
きっぱりと連れて行かないと言い切ったエカード。それに一番驚いているのはジグルスだ。ユリアーナに完全に籠絡されたと思っていたエカードだが、こういう理性は働くのだ。
「俺は招待状の変更には関係ない。であれば話を聞いても良いのではないか?」
エカードはあくまでも、この場に残るつもりだ。
「……分かったわ」
許可出来るのはこの部屋の主であるリーゼロッテ。そのリーゼロッテが受け入れたとなれば、タバートもこれ以上の文句は言わない。
「他に思い付く理由はないのか?」
「……いや、もう一つ考えていることがある」
「それは何だ?」
「王家は四公家への警戒心を強めているのではないか、という理由だ」
「……どういう意味だ?」
これはエカードの頭にはなかった理由。怪訝そうな顔で、詳細をタバートに尋ねている。
「従属貴族家の子弟は将来、公家を支える力になる。その人材を見極めようとしているのではないか、という考えだ」
「……なるほど。そういうことか」
「納得するのか? 正直、俺はそこまでのことを王家が考えているとは思えない」
これはタバートの考えではない。可能性は否定出来ないが、そこまでのことを王家が行うかという疑問は持っている。
「可能性としてはなくはない」
「だが、これまでこんなことはなかったはず。何故、我々の代でそんなことを考える?」
「……王家が気にするような何者かがいるのだろ?」
「それこそあの女子生徒ではないのか?」
剣も魔法も飛び抜けた才能を持つユリアーナ。もっとも目立つ存在は彼女だ。
「それについてはさっき説明した。それに彼女に接触するのに王家主催のパーティーである必要はない。いや、そうでないほうが良い」
「どういうことだ?」
「それは……それはリーゼロッテの右腕である彼に聞いたらどうだ?」
「何?」
エカードは自分で答えることなく、別の人に聞けと言ってきた。それが誰かといえば、ジグルス以外にいない。リーゼロッテの右腕と称される生徒はジグルス。これはこの場にいる全員、ジグルスを除いて、が認めるところだ。
「お前はどう思う?」
さらにエカードはジグルスに直接、答えを求めてきた。もちろん、ジグルスはそれにすぐに答えようとはしない。視線をリーゼロッテに向けただけだ。
「……かまいません。私もジークの意見が聞きたいわ」
その視線を受けて、リーゼロッテは許可を出す。
「承知しました。彼女は平民。今はまだどこに仕える身でもありません。いえ、ローゼンガルテン王国の民であるわけですから、王家に仕える身ですか。そうであるのに、わざわざ公の場で注目を集めるのは無駄な競争を生み出すだけです」
「……ジークはこう言っているわ」
「ああ、俺の考えと同じだ。彼女に接触するとすれば四公家に気付かれないように密かに行われるはずだ。少なくとも、今もっとも近い関係にある俺がいる場では行わないはずだ」
ユリアーナの実力は少し調べればすぐに分かる。四公家のうち三つは自家の子供たちに聞けば詳しい話が聞けるのだ。そうなれば争奪戦となる。優れた騎士はどこの家でも欲しがるものだ。
「彼女ではないとすると……」
「他に王家が気にするような人材は一人しかいない」
「それは……」
タバートにもエカードが誰のことを言っているのか分かった。
「王家の耳にジークの噂が届くとは思えないわ」
「えっ? 俺?」
リーゼロッテも二人が考えている人物がジグルスであることは分かる。本人は分かっていなかったようだが。
「それを言うということは彼のことを調べていないのだな?」
「……どういうことかしら?」
つまりエカードは調べているということ。リーゼロッテの心に一気に警戒心が広がった。
「彼の父親であるクロニクス男爵は隠れた英雄だ」
「英雄? それも隠れた英雄って……どういう意味かしら?」
「俺たちが生まれるか生まれないかの年に事件があった。彼の父親はその事件で活躍した王国の騎士だ」
「……それが王家がジークに注目する理由になるの?」
エカードは事件の具体的な内容を伝えていない。リーゼロッテはそれをわざとだと理解して、詳細を求めることをしなかった。あとで調べれば分かることだ。
「事件の後、行方不明になった。長い間、戦いで亡くなったものだと思われていたのだが、そうではなかった。名前を変えて、リリエンベルグ公国に仕えていた」
「名前を変えて……」
リーゼロッテの視線がジグルスに向くが、向けられた当人もこんな話を聞くのは始めてなのだ。軽く首を振ることで、そうであることを示した。
「優れた騎士だ。当然、王国は呼び戻そうとした。だが、当人はそれを無視。人違いだと言い張って、それに応じない。王国だけではない。他の公家からの誘いも無視し続けている」
その中にはエカードの実家であるキルシュバオム公爵も含まれている。だからこそエカードはこの情報を入手出来たのだ。
「……その状況で、息子であるジークが都に上ってきた。王家としてはこれ幸いと今回の件を企んだってこと?」
「その可能性を考えている」
「それこそ、どうしてわざわざパーティーなんて目立つ場所で接触しようとするの?」
「それはある。だが少なくとも彼に関しては周囲に隠す必要はない。隠さなければならないのは、君の実家だ」
ジグルスの父親は本来、王国の騎士。それを偽名を使い、本人が否定することで誤魔化してきた。だが事実が明らかになれば、それは通用しない。本人の意思がどうであろうと、リーゼロッテの実家であるテーリング公爵家は領地に置いておけなくなる。
「貴方の話が事実であればね」
それに気が付いたリーゼロッテは、エカードの話を肯定しなかった。実際に事実がどうであるかリーゼロッテは知らないのだ。
「そうだな。俺の考えが事実であればの話だ」
「何故、こんな話をしたのかしら?」
真偽はまだ分からない。だがエカードの話を聞いたことで、少なくとも心構えをしておくことは出来る。何も知らないままでの不意打ちは避けられる。
「……俺も公爵家の一員だ」
「そう」
ローゼンガルテン王国が存在する限り、公国同士で直接的な争いを行うことにはならない。一番の仮想敵国は王国なのだ。まさかその王国の都で仮想敵国だなんて言えないので、エカードはこういう言い方をした、のだが本当にそれだけかをリーゼロッテは疑っている。
「それでどうするつもりだ?」
「……何も。生まれる前のことなど俺は知りません。俺の父親はクロニクス男爵。それ以外の何者でもありませんから」
「パーティーに参加する気か?」
「後ろめたいことは一切ないのに何故、欠席する必要があるのですか?」
「……それもそうだな」
欠席すれば痛くもない腹を探られることになる。エカードは自分の話は真実だと考えているが、ジグルスにとってはそうだ。そしてリーゼロッテ、彼女の実家もジグルスを隠したと疑われることになるだろう。
ジグルスはここまで考えて、パーティーに参加しようとしているのだとエカードは理解した。父親が何者かなど関係なく、本人の頭の回転の速さと忠誠心だけで仕えることを望まれることになるのではないかとも。少なくとも自分は、その可能性が生まれることを望むようになっていると。