ヒューガの前に、先生を除く全員が跪いている。予想外の状況に困惑顔のヒューガ。先生はそんな彼を見て、何やら嬉しそうな表情だ。先生にとってはまったくの予想外という状況ではなく、実現することへの確信はわずかではあったとしても、期待していた通りの形に収まったのだ。
何故このような結果になったのか。始まりは、ただエアルの顔見せだけが目的であったはずなのに――
「初めまして、といった方が良いですね。私はエアル。よろしくお願いします」
部屋に入ってきてエアルを見て、皆が言葉を失っている。これはヒューガが期待していた通りの反応だ。
エアルの体は数日の間にかなり回復した。くすんでいた赤毛は艶やかさを取り戻し、赤みを増している。落ち込んでいた眼窩、こけていた頬は肉付きを取戻し、常に不機嫌そうに見えた目元の険しさもすっかり消え去っている。切れ長の目、そして長いまつ毛が涼しげな美しさを醸し出しており、一言で表現すれば、美人だ。
体はまだまだ細いが、それでも病的な雰囲気はかなり消え去っていて、もう少し時が経てば女性らしい雰囲気を取り戻すことが予想される。
部屋に迎えに行った時、エアルのこの姿を見てヒューガも固まってしまった。それと同じ反応、彼等の場合は以前とのギャップではなく純粋に美貌に驚いているだけだが、形としては見せている
「エアル殿、まずは貴殿にお詫びしなければならん。申し訳ござらん」
真っ先に我に返ったのはハンゾウ。エアルに対して謝罪の言葉を口にした。ただその口調はヒューガが初めて聞くもの。それに突っ込みかけたが、今はエアルとの話が先と口にするのを堪えた。
「それは無用です。それどころか私は貴方がたに感謝しています。貴方がたのおかげで、私はヒューガに会えた。そして、精霊たちは戻ってきてくれた」
「かたじけない。そう言ってもらえると我らの罪の意識も少しは薄れる。それでも我らが貴殿に無理強いした事実は謝らせてもらいたい」
「ではそれについては受け取ります。それでその件は終わりにしましょう」
「ああ。では自己紹介といこうか。私はハンゾウという」
ハンゾウたちが次々とエアルに名乗っていく。それが終わると今度はカルポ。
「私はカルポです。名乗るのは初めてですね?」
「ええ、よろしくカルポ」
そして、最後に残った先生は。
「ふーむ」
名乗るつもりはないが、文句はあるようだ。
「あの、何でしょうか?」
先生の険しい目つきにエアルも少し戸惑っている。
「エアルさんは美人ですね」
「……ありがとうございます。でも」
「謙遜は無用ですよ。しかしこれは問題ですね?」
「……何がでしょう?」
褒められたのだと思ったら、それが問題だと言われた。先生が何を言いたいのか、エアルには分からない。
「貴女は死ぬと思っていたのですよ」
「ちょっと先生?」
ようやくエアルが元気になって、こうして挨拶をしているところで死の話題。望ましい話題ではないと考えて、止めようとしたヒューガだったが。
「しかし、貴女は生き残った」
「無視か……」
「あら、それのどこが問題なのでしょう?」
エアルも、割って入ろうとしているヒューガを気にすることなく、強めの口調で言い返す。本来の気の強さが表に出てきたのだ。
「問題ですね。貴女はこれからどうするつもりですか?」
「どうとは?」
「エルフの都に帰る?」
「私の戻る場所はエルフの都ではありません」
エアルは大森林で生まれたわけではない。彼女にとってエルフの都は故郷ではなく、帰る場所ではない。という意味でエアルはこう言っているわけではないが。
「では何処ですか?」
「ヒューガの下です!」
「「「おおー!」」」「いいな、ヒューガ殿は」「うらやましい」「俺も……」「相手がいない!」
エアルの発言に周囲は大騒ぎ。男ばかりの暮らしの中で、異性に飢えているのだ。もっとも鍛錬の厳しさは、そんな煩悩に囚われる余裕を許さないもの。エアルという存在が今、目の前にいるから騒いでいるだけだ。
「それが問題なのですよ。ヒューガくんの下を離れる気はないのですね?」
「ええ、これっぽっちも!」
きっぱりと言い切りエアル。先生を自分とヒューガの関係を邪魔する存在であると認識して、敵愾心を燃やしているのだ。
「ヒューガくんの心の中に他の女性がいるとしても?」
「ディアさんのことを言っているのであれば、私は……そのことを含めてヒューガを愛しているつもりです」
「「「「おぉーーーーっ!!」」」」
また外野がどよめき声をあげる。
「ふむ……普通であれば応援してあげたくなる様な心意気なのですけどね。あいにくと私は何よりも姫が大切なのですよ」
「……姫というのはディアさんのことですね? でも、魔王よりも大切なのかしら?」
先生を刺激するような言葉を発するエアル。端で聞いているヒューガのほうが心配してしまう。
「気の強い女です。嫌いではありませんがね。魔王様と姫は立ち位置が違います。私の忠誠はあくまでも魔王様にあります。そして私の愛情は姫にあります。愛情といっても貴女の様に愛欲に満ちたものではありませんよ。純情と呼ぶべきものです」
「愛欲も愛であることに変わりありません」
「口の減らない女ですね?」
「それが私の取り柄ですから」
「殺しますよ」
「「「「…………」」」」
その言葉と共に、先生の殺気が部屋全体に広がっていく。エアルだけでなく、周囲の人々まで圧してしまうような殺気だ。
「……死にません。まだ私はヒューガの為に何もしていない」
その強い殺気を受けてもエアルの反抗心は消えていない。
「そんなことは知りません。私が大切なのは姫。その邪魔をする者は許すわけにはいきません」
「邪魔をしているつもりはありません」
「その美しさが邪魔なのです。ヒューガくんの気持ちが、万一貴女に移ったら姫が悲しむでしょ?」
「……じゃあ、私の顔を好きにすればいいわ。傷つけたければそうすれば良い。目は止めてね。ヒューガの役に立てなくなるから」
「エアル! 何を言ってるんだ!?」
物騒な言葉を発するエアル。先生であれば本当にやりかねないと思って、ヒューガは止めようと大声を発した。
「ヒューガは黙ってて! 私はヒューガの役に立てればそれでいいの! 顔の美醜なんて必要ないわ!」
エアルもヒューガに負けないくらいの大声で叫ぶ。その言葉と共に、部屋に広がっていた殺気が消えた。
「……はぁ、完全に私が悪者ではありませんか」
「悪者でしょ?」
「そうですけどね。それでも、そこまでの覚悟を見せつけられて、はいそうですか、というわけにいかないでしょう?」
「別に私は構わないわよ」
エアルが先生に向かって告げた言葉は本気だ。顔を傷つけられてもヒューガの側にいられるのであれば良い。そう考えている。
「いえ、もう貴女は良いです。考えてみれば根本原因は他にありますからね?」
「他に?」
先生の言葉にエアルは怪訝そうな顔。ヒューガはしかめっ面だ。他が自分のことだとヒューガは分かっているのだ。
「言っておくけど、ディアをないがしろにしているつもりは僕にはない」
「その言葉をどう信じろと?」
「……先生は読心とか出来ないのか?」
「あいにくその心得はありませんね」
「使えないな」
普通は使えない。ルナは口で説明しなくてもヒューガの本心が分かる。それに慣れてしまったせいで、こんな風に思うのだ。
「でも、拷問は得意ですよ」
「……ここで拷問は不要だろ?」
「でも確かめる術が他にないわけですしね。定期的に拷問でヒューガくんの気持ちは白状させるのが、この場合一番の確認方法ではないですか?」
「一番最悪な方法だ」
「最良でも最悪でも一番であれば良いではありませんか」
先生同様、心を読む術を持たないヒューガには本気かどうかの区別はつかない。ただクラウディアのこととなると、先生には冗談が通じないことをヒューガは知っている。
「ちなみにその拷問ってのは?」
「色々なメニューを取り揃えております。ヒューガくんが選ぶのも良し。サイコロで決めるのも良いかもしれませんね?」
「それは冗談かな?」
「本気ですよ」
「ですよね……」
本気であるとヒューガは判断した。これはただの勘だ。
「もう! 冗談はそれくらいにして! 要はディアさんの立場が守られれば良いんでしょ?」
ここでエアルが会話に戻ってきた。
「冗談のつもりはないのですがね……なにか方法がありますか?」
「正妻の座はあくまでもディアさん。それをはっきりさせる為に婚約するのは?」
「……まだ姫をヒューガくんに会わせるつもりはありませんね。それに姫の心が変わる可能性もあります。私はあくまでも姫の気持ちを大事にしたいだけです。姫を縛るつもりはありません」
時はまだ来ていない。クラウディアの想いは大切にしてあげたいが、ではその彼女にヒューガが相応しいのかとなると今はまだ、先生は否定することになる。
「……じゃあ、逆に私の立場を明確にするわ」
「どうするつもりですか? 言葉だけで信用するつもりはありませんよ?」
「こうすれば良いのよ」
どのような方法があるのか。皆がそれを頭に浮かべてエアルを見ていると、彼女はヒューガの正面に立ち、そのまま片膝をついた。
「何?」
「ちょっと黙っていて」
「ああ」
「全ての精霊たちよ、聞け。我、テミスの裔タロの娘エアルは、この命が続く限りヒューガ様に臣として仕えることをここに誓います。我が忠誠、我が命、我が全てはヒューガ様のもの。月の女神ティアの名にかけて、この誓いが守られんことを」
「……えっと?」
エアルが何をしているのかヒューガにはまだ分からない。
「受けて」
「受けて? それはどうやって?」
「この通りに言って。汝の願い月の女神ティアに届いたであろう。汝の忠誠が永遠であることを我は信じる」
「……汝の願い月の女神ティアに届いたであろう。汝の忠誠が永遠である事を我は信じる」
エアルに言われた通り、その意味をよく理解しないままに言葉を発するヒューガ。
(良いでしょう。確かに聞き届けました。二人の絆が永遠であらんことを)
そのヒューガの耳に届いたのは、まるで天から降ってきたように聞こえる声。精霊の声ではない。ヒューガの勘がそう感じている。今の声はもっと厳かで、神々しさを感じさせるものだ。
(ヒューガ、精霊に愛されし者。今度ゆっくりと話しましょう)
「えっ? はい」
「さあ、これでいいわ。私はあくまでもヒューガの臣下」
エアルにはヒューガが聞いた声が届いていない。ヒューガの反応を気にすることなく、先生に向かって自分がヒューガの臣下になったことを伝えた。
「臣下が正妻になれないわけではないでしょう?」
「いいえ、なれないわ。私は臣下であることを誓ったの。妻になるには別に認められる必要があるわ。立場を変えることは簡単ではないはず。臣下の誓いを破ったとして罪になると判断されるはずよ」
「ほう。つまり臣従契約と婚姻契約は全く別物で、時に臣従契約が優先されるということですね? 完璧ではないですが、それであれば――」
「ひどいですよ!」
先生がエアルのやり方に納得した、と皆が思った瞬間、今まで外野として成り行きを見ていたカルポが、急に文句を言ってきた。
「何が酷いの?」
「何がって、ヒューガ様に仕えたのは私の方が先ですよ?」
カルポが文句を言ってきたのは、エアルはどさくさに紛れてヒューガに臣従を誓ったから。先を越されたと思っているからだ。
「誓ったの?」
「……それはまだ」
「じゃあ、文句は言えないわ。ヒューガ様の一の臣は私。その座は譲れないわ。それで? 貴方はどうするの?」
「当然誓う」
今度はカルポがヒューガの前に片膝をつく。
「全ての精霊たちよ、聞け。我、テミスの裔ティノポロンの息子カルポは、この命が続く限りヒューガ様に臣として仕えることをここに誓います。我が忠誠、我が命、我が全てはヒューガ様のもの。月の女神ティアの名にかけて、この誓いが守られんことを」
「ちょっとカルポ?」
カルポまで臣従を誓おうとしていることにヒューガはやや焦っている。
「エアルを認めて私を認めないというのは無しですよ」
「……分かった。汝の願い月の女神ティアに届いたであろう。汝の忠誠が永遠である事を我は信じる」
(ふふ。良かったですね? 二人の絆が永遠であらんことを)
またヒューガの耳に届いた誓いを認める声。神のような存在の声がこのように簡単に聞けて良いのかとヒューガは思ってしまう。
(簡単ではありません。最初だからです。とりあえずこの二人ですね)
声の主は心を読むことが出来る。結んでいないはずのヒューガの心を。本当に神のごとき存在なのかもしれない。ヒューガはそう思った。
「へえ、テミスの裔ってことは貴方もしかして秋の種族の直系?」
「それは私の台詞です。まさか貴女が春の種族の直系とは。まあ今の姿を見ればわかりますけどね。そんな鮮やかな赤はそうそういるものではありませんから」
「髪の色もずいぶんとひどかったから」
「ええ、今の色が本来のものだったのですね?」
ヒューガの内心の驚きなど知らず、二人は訳の分からない話をしている。
「なあ、何の話をしてるんだ? 結局、今のは何だったんだ?」
「「臣下の誓い(です)」」
「それは二人の言葉を聞いていれば分かる。俺が知りたいのはその後に聞こえた声。何だか凄く神々しい声が聞こえてきた。あれは神様なのか?」
「「……聞こえたの(ですか)?」」
ヒューガの話を聞いて、エアルとカルポが驚いている。二人にはその声に心当たりがあるのだ。
「そういう儀式じゃないの?」
「そうだけど。まさかヒューガに聞こえるとは思わなかった」
「……ちょっとエアル。不味いですよ」
カルポが急に声を潜めて、エアルに話しかけた。
「何がよ?」
「声を落として。ディアさんのことです。ヒューガ様は本物ですよ?)
「あっ!」
まったく内緒話になっていない。ただ隠したい内容であると教えているだけだ。
「全然聞こえていますよ。今、姫の名が出ましたね? どういうことか説明してもらえますか?」
「それは……」
「そもそも臣下の儀式とはエルフにとって何なのですか? なんとなくは分かりますが、それが姫とどう関係するのか分かりません」
「えっとですね……今のはエルフが王に誓うものでして……」
先生の問いにカルポが説明を始めた。
「はい。それは分かりました。契約知識については魔族もエルフに劣るものではありませんからね。それで?」
「その王というのが問題でして」
「王が問題? 分かりませんね」
「さきほどエアルが妻になるには別に認められる必要があると言いましたよね?」
「ええ、覚えていますよ」
「それはエルフにとっての神に認められる必要があるという意味です」
契約の仲介者、承認者、見届け人。エルフの正式な誓約には、エルフにとっての神がそういった役目を担う。神が間に入る契約は絶対。それを破ることはエルフとしての存在そのものを否定することになる。
「なんとなく見えてきました」
「つまり、正妻の座を空けたは良いが、そこにディアという人が座れるかは……」
クラウディアが認められるとは限らない、とカルポは先生を怒らせるのを覚悟して話そうとしたのだが。
「……それは良いでしょう」
「良いのですか?」
「姫ほどのお方を認めない神など、この世界にいませんよ」
先生にとってクラウディアは絶対なのだ。
「……そうですね。何といってもヒューガ様の大切な」
「私が聞きたいのは!」
「えっと、何かしら?」
先生は先ほどと同じかそれ以上に険しい視線をエアルに向けている。
「エアルさん。貴女、私を騙そうとしましたね?」
「まさか? そんなつもりはないわ」
「でも、この事実を隠していた」
神に認められなければ正式な誓約ではない。もちろん、だからといってエルフがそれを破るとは先生も思っていない。だがその事実を隠したことには納得がいっていないのだ。
「……だって、まさかヒューガが本当に私たちの王だなんて知らなかったもの」
「ヒューガくんが本当に私たちの王? それについても教えてもらえるのですよね? エルフのことですので、普段であれば踏み込む内容ではありませんが、今回は」
「話すわよ。別に知られて困ることじゃないから。カルポ、どこから話せば良いかしら?」
「そうですね。まずは自分たちのことじゃないでしょうか?」
カルポは「自分たち」のことから話そうと言っている。それはつまり、エアルとカルポにも特別な何かがあるということだ。
「そうよね。私とカルポはそれぞれエルフのある種族の直系なの」
「エルフの種族……春とか秋とか言っていたやつですね?」
「そうよ。私は春の種族。カルポは秋の種族ね」
「そうなると当然、夏と冬もあるわけですね?」
「ええ」
「季節の種族ですか……」
エルフには春夏秋冬を名乗る種族が存在する。火水風土の自然を育む精霊四属性とは別に、時の巡りを表す季節の種族が存在するのだ。
「ただ夏と冬の種族の所在は私には分からないわ。カルポは知っている?」
「少なくとも直系は都にはいませんでしたね。大森林崩壊時に離散したのではないでしょうか?」
「そうなると滅んだ可能性もあるわね。同じように大森林を出た私たち春の種族は絶滅寸前だったから。今もどれだけの仲間が無事でいるか……」
この話を聞いたヒューガは、エアルの仲間は大森林以外のどこかにいるのだと、今更ながら認識した。決して安全とは言えない場所で今も暮らしているのだと。
「ふむ。それは分かりました。それで?」
「季節の種族は本来エルフの王を支える者。エルフの中でもかなり王に近い存在なのよ」
「それもだいたい分かります。続きを」
「季節の種族が王に仕える時、その盟約はエルフの神の下で行われるのが本来の儀式。それによって王と季節の種族は強く結ばれる」
「……そんな立場にありながらよくヒューガくんに対して臣下の誓いなんてしましたね?」
エルフの王を支えるべき季節の種族が、軽々しく臣下の誓いをして良いものか。エアルの話を聞いた先生はこう考えた。先生も魔王に仕える身。主従関係の重みを知る人なのだ。
「私にとってはヒューガが全てだから」
だがエアルにとってはそうではない。
「はぁ……恋は盲目とはよく言ったものですね? 貴女はエルフの立場よりも女であることを優先した」
「女ですもの」
「……もう良いです。それで?」
「それが全てよ」
「肝心のヒューガくんが本当の王っていうことについての説明がありませんよ?」
これまでの話はエルフ族内での王と臣下の関係について、それもその一部に限られた話だ。これだけでは何があったのか先生には分からない。
「……私はあくまでも個人としてヒューガに臣下の誓いをしたつもりだった。でもその誓いを月の女神様は受け取った。ヒューガが聞いた声は月の女神であるティア様のものだと思うわ」
「それを逆から見れば、季節の種族が臣下になることを認められたヒューガくんは神に認められた王であるということですね?」
「月の女神様のご意思を断言することは出来ないわ。でも、少なくとも王の資格を持つと認められているのは確かだと思う。そうじゃないと月の女神様がお話しになるはずがないもの」
「ふむ、なるほどね。さすがは姫の想い人ってところですか。それでヒューガくんはどう考えているのです?」
「王になるつもりはない」
「ちょっと、ヒューガ?」「ヒューガ様?」
ヒューガの言葉を聞いたエアルとカルポは焦った様子を見せている。
「それは神のご意志に背くものですよ?」
その二人の思いを先生が代弁した。
「僕の神とは限らない」
「ヒューガ、お願い。そんなことを言わないで。月の女神様がお怒りになったら……」
エアルにしてみれば、神のご意志に逆らうことは大罪。ヒューガの身に神の怒りがおちるような事態になって欲しくない。
「……でもエアル。僕はエルフの王になる気はないんだ」
「私の、私とカルポの忠誠はいらない? いらないって言われても私は」
「いや、そうじゃない。二人の気持ちは嬉しい。個人としては大歓迎だ。僕に二人の想いを預かる資格があるかは別にして」
「じゃあ何故?」
自分たちの気持ちを嬉しく思いながら、何故、王であることを否定するのか。その理由をエアルは尋ねた。
「エルフの王というのが気に入らない。僕は特定の種族の為だけに何かしようとは思わない。ディアも人族。それにまだ話してなかったけど、僕には他に仲間がいる。今は離れ離れだけどな」
「……他の仲間って?」
「一緒にこの世界にきた友人。パルスの王都で知り合った僕の家族」
「家族? それって……そういうこと?」
「違うから。血縁関係はないし、結婚とかそういうことでもない。僕の姓、ケーニヒの名をあげたんだ。義弟、義妹ってことかな?」
貧民区の子供たち。十二人の義理の弟妹がヒューガにはいる。
「だから家族ね。ああ、驚いた。他にも競争相手がいるのかと思った」
「競争相手とは誰のことですか?」
エアルの言葉に先生がすかさず反応を見せた。この辺り、先生に油断はない。
「……ディアさんは違います」
「それでよろしい」
「……とにかく、別にエルフの王にこだわる必要ないでしょ? 良いじゃない。人族でも異世界人でもなんだって」
「でも月の女神様ってエルフの神様だろ? 認めてくれるのか? 大森林に他種族を含めた国があることを」
「そうね」
ヒューガは気が付いていない。今の会話は彼が王であるという前提となっている。本来は最初に強く抵抗しなければならない王になるということを、流れで認めてしまっていることを。
「試してみますか?」
「ハンゾウさん?」
「申し訳ござらん。話に割り込むような真似をしてしまいましたな。しかし、これを逃してはいつ機会を得られるかと思ったら。黙っていられませんでした」
「別にかまわないけど。何を試すつもり?」
この状況でハンゾウが何をしようとしているのかヒューガは分かっていない。ヒューガには、まだ心構えが出来ていない証だ。
「ふむ。大したことではござらん」
ヒューガの前に、腰の剣に手を当てて、進み出てくるハンゾウ。それを見たエアルは慌てて、ヒューガの前に出た。
「心配は無用でござる。ヒューガ殿に危害を加えるつもりはありませぬ」
こう言ってハンゾウはヒューガの正面に立つ。さすがにここまでくるとヒューガにも彼が何を行うつもりか分かった。ヒューガの思った通り、片膝をついたハンゾウ。エアルたちと異なるのは、その体勢で腰の剣を抜き、両手で捧げるようにして持ち手をヒューガに差し出したこと。
「王よ。我が忠誠を貴方に捧げます。もし我が忠誠に疑いあれば、この剣で我の胸を貫いてください。我が命は王の物、全てを貴方に委ねます」
これを告げてハンゾウは頭を下げた。
「ハンゾウさん?」
「出来ますれば、この剣を受け取って、私にお返しください。そして一言、許すと」
「でも……」
「いいから!」
「分かった」
ヒューガはハンゾウに言われた通り、彼の剣を受け取り、向きを逆にして返す。ハンゾウは恭しくそれを受け取り、じっとヒューガを見つめている。
「……許す」
「はっ! 皆の者! 唱和を!」
「「「我等が忠誠は今より王であるヒューガ様のもの!」」」
唱和の声と共に甲高い金属音が部屋に鳴り響いた。
「金打(きんちょう)と言います。我が祖国に伝わる誓いの証」
「ああ……それ僕の世界にもあった。僕が生まれる、ずっと昔だけど」
「そうですか。誓いの証を王に理解して頂けていたとは……うれしいですな」
「でもどうして?」
何故、ハンゾウたちまで自分に臣従を誓ったのか。これに何の意味があるのか。
「我は人族。その人族が臣下となったのです。ヒューガ様はエルフだけの王とは、これで言えません」
「それこそ、エルフの神の怒りに触れるかもしれない」
「その時は、我等が王の盾となります。それで良いな!?」
「「「「おう!」」」」
「そんな……」
見せつけられたハンゾウたちの覚悟。自分に皆の忠誠を受け取る資格はあるのか。皆が盾となって守るほどの価値はあるのか。自分のような者にこんな思いを向けてくれる彼等が、神の怒りに触れるなんてあって欲しくない。
(そんなつもりはありません。王の下に誰が集おうとそれは王の選択。ひとつだけ教えておきましょう。私はエルフだけの神ではありませんよ。厳密には王が知っている神とも違います)
ヒューガの思いに神は応えてくれた。そう考えたのはヒューガの思い込み。元々、怒りを向けるような事ではないのだ。
(では、この大森林で暮らして良いのですか?)
(もちろんです。大森林もまた本来はこの世界で生きる全ての人たちの物。王である貴方はそれを忘れないでください)
(……ありがとうございます)
月の女神との会話を終えると、いつの間にかエアルとカルポもハンゾウさんと並んで片膝をついて、ヒューガをじっと見つめていた。彼等は分かっているのだ。ヒューガが沈黙している間、何者と語り合っていたかを。
「……認められた。人族だろうが何だろうが問題ないって」
「「「「おおおぉぉぉー!!」」」」
歓声があがる。この日、この瞬間、ヒューガは彼等の王となった。わずか十二名の臣下。それでも彼は王として立ったのだ。
何故このような結果になったのか。始まりは、ただエアルの顔見せだけが目的であったはずなのに――