月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

勇者の影で生まれた英雄 #30 将の資質

異世界ファンタジー小説 勇者の影で生まれた英雄

 眼下には両軍合わせて一万を超える軍勢が、東西に分かれて陣を組み始めている。
 東軍は勇者である健太郎率いる第三軍、西軍はアシュリー・カー千人将率いる第二軍。健太郎はともかくとして、今回も千人将が軍を率いる形だ。
 軍部の若返り。組織としては、決して間違ったあり方ではないが、それが現在の軍内部の対立の一つの要因となっていた。
 これから戦争を行おうという状況で、性急な若返りは行うべきでないという考えを持つ者。そして、そうした状況だからこそ、それを推進するべきと考えている者。
 前者の筆頭がトルーマン元帥であり、後者の筆頭がフィリップ・ゴードン大将軍だった。
 トルーマン元帥に弱みがあるとすれば、若返りを行うとなれば真っ先に勇退すべきは、トルーマン元帥本人であるということ。本人はまずは軍組織そのものの改革を進めるべきであり、それが出来るのは自分自身しかいない、それが終われば喜んで勇退するつもりであるのだが、周りはそうは受け取ってくれない。元帥の地位にしがみ付いているように捉える者も少なくないのだ。
 そういった意見を煽っているのがゴードン大将軍の派閥だ。ゴードン大将軍にとっては組織の若返りは口実に過ぎない。トルーマン元帥が勇退すれば、その後釜は自分だという野心からそれをしているのだが、それを分かっていても支持する者は多い。
 ゴードン大将軍が元帥になれば、自分も取り立ててもらえる。こんな私欲からだが、政争においては、こういった欲を持った側の方が強いという事実が、現状を憂いている者にとっては何ともやるせない。
 こんな思惑を持った軍の重鎮たちが見守る中、いよいよ演習が始まろうとしていた。
 東西両軍の本陣から、大隊長が自部隊に戻っていく。演習前の軍議が終わったのだ。

「ケンは勝てるかしら?」

「さあ。どうですかな」

 今回も又、閲覧席にはメアリー王女が臨席していた。もっとも相手をさせられるトルーマン元帥も今回は気楽だ。
 健太郎率いる東軍の負けは明らか。そこに見るべきものは何もない。
 トルーマン元帥が気になる事があるとすれば、東軍本陣の中で唯一、漆黒の騎士服に身を固めて立っているグレンの動きだろう。
 離れていても銀色に輝く鎧姿の騎士たちの中では、その姿が妙に目立っている。

「良いでしょう?」

「何がですかな?」

「グレンの騎士服よ。私が用意してあげたの」

「そうでしたか」

「私としては白が良かったのよ。でもグレンが白を嫌がって。国軍の制服と同じ黒が良いというから、そうしたの。でも、結果として良かったわ。グレンの銀髪には黒がよく似合うわ」

 グレンのことを、実に嬉しそうに話すメアリー王女。この様子にトルーマン元帥は不安を覚えてしまう。

「……何故、そのようなことをされたのですかな?」

「変な意味はないわ。愚痴を聞いてくれた御礼ね」

「そうですか」

 理由を説明されてもトルーマン元帥の懸念は消えない。それを見て取ったメアリー王女は誤解を解こうと口を開いた。

「本当よ。グレンに言われたの。好きな振りをしても、それは恋愛にはならないって」

「ほう。見透かされましたか」

「温度が違うらしいわ」

「温度?」

「好きになった人にはもっと熱があるはずだって。誤魔化していたけど、グレンにはきっとそういう人がいるのね」

「では、もう止めですかな?」

 メアリー王女の恋愛ごっこもどうにか問題にならずに終わったと思って、安心した様子のトルーマン元帥だったが。

「そうね。同じ恋愛をするなら、結ばれる可能性がある人を相手にする事にしたわ」

「……相手を変えてですか」

「無理にじゃないわ。出来ればよ。その為にも今日は楽しみだわ」

「それは、どういう意味ですかな?」

 何故、恋愛と演習に関係があるのかトルーマン元帥には分からない。

「ケンの良い所を見られたらと思って」

「……なるほど。そういうことですか」

 健太郎がメアリー王女の婚約者候補にあがっていることはトルーマン元帥も知っている。当然、反対の立場だが、軍人であるトルーマン元帥が口を挟める事柄ではなかった。

「どうかしら?」

「今回は……」

 メアリー王女の期待通りにならないことは明白だ。トルーマン元帥は返事に困ってしまった。

「……勝つのは難しい?」

「正直申し上げて、そうですな。なんといっても勇者には軍を率いた経験が調練でもない。それでいきなり勝てというのは、無理な注文というものですな」

「……そう。残念だわ」

「さて。いよいよ始まるようです」

 東西両軍の本陣から太鼓の音が聞こえてくる。歩兵に前進を促す合図だ。
 それに合わせて、両軍の歩兵が行進を開始した。まずは足並みを揃えてゆっくりと歩き出す。だが、すぐに西軍の太鼓の調子が変わった。

「ほう。最初から仕掛けるか」

「どういう事かしら?」

「西軍は進みを早めました」

「どうして?」

「恐らくは高所の要地を奪おうという魂胆でしょうな。前回やられた作戦をやり返す。アシュリーもあれで気が強い」

「東軍は……」

「指示が遅れておりますな。あれではいきなり躓くことになる」

 東軍の太鼓の調子はまだ変わっていない。前から迫る敵との違いに戸惑う東軍の歩兵たち。その戸惑いは、そのまま士気の低下につながっていく。トルーマン元帥の言う躓きとはそういう事だ。

「次は?」

「弓矢の応酬となります」

「それで高所にいる兵を討つのね?」

「ほう。何故、そう思われますか?」

 軍事を学んだことなどないはずのメアリー王女が正解を告げてきたことに、トルーマン元帥は少し驚いている。

「グレンがそう言っていなかったかしら?」

「聞いておられましたか」

「ケンが前回の合同演習の話を盛んに質問していたから、それで」

「そうでしたか。しかし……東軍は又、失敗しましたな」

「えっ?」

 両軍の弓兵部隊から一斉に矢が放たれる。東軍の歩兵は足を止めて、それを躱そうとしたのだが、矢はその足を止めた場所に降り注いでいく。一方で西軍は、すでに陣形を固めて盾で矢を防ぐ形だ。

「弓矢で歩兵の出足を挫くというやり方はもう改めております。今は後続の歩兵に向かって矢を放つ形に。東軍もそれを知っているはずなのですが」

「高所を取った歩兵を撃つのは駄目なのかしら?」

「ご覧になれば分かります。高所を取った上で、盾を上下に重ねて防いでおります。自らを守るだけでなく、後ろにいる兵も守っておりますな」

「そうね……」

 一度やられた作戦に対して、きちんと研究がされている。説明するトルーマン元帥は満足そうだ。

「一方で、東軍は足を止めてしまいました。あれでは益々、士気は低下してしまいます」

「士気? どうして足を止めると士気が低下するの?」

「敵に向かって行くというのは恐ろしいものです。太鼓は指示を出す為のものではなく、兵を鼓舞するものでもあるのです。太鼓の勢いを徐々に早めて行くことで、兵の気持ちを高めていく。そうやって敵に向かう恐怖を少しでも和らげるのですな」

「そういう意味もあったのね」

「一度足を止めて気持ちが静まってしまえば、それを高めるのは容易ではありません。最初のぶつかり合いはかなり東軍の不利になりますな」

「そう……」

 トルーマン元帥の言う通り、再度前進を始めた東軍に勢いがないことは、誰が見ても明らかだった。まして西軍は高所を奪っている。歩兵の戦いは圧倒的に西軍の有利に進み、戦闘から離脱していく兵も東軍の数が圧倒的に多い。
 トルーマン元帥の後ろに並ぶ、将の口から落胆のため息が漏れだした。

「もう駄目かしら?」

「まだ始まったばかりです。ただこのままでは削られていく一方ですな」

「何か手を打たないとね?」

「そうですが。アシュリーがその隙を見せるかどうか」

 アシュリー・カー千人将はトルーマン元帥が高く評価している数少ない将の一人だ。易々と反撃を許すとはトルーマン元帥は思っていない。

「見せそうもないの?」

「有利な場所に歩兵を留めて、向かって来る敵を迎撃することに専念しております。圧倒的な有利な状況でも、油断せずに慎重に事を進めていると言えるでしょう」

「そう」

「ああ、駄目だよ、ケン。大将はどんな時でもどっかりと落ち着いていないと」

 二人の会話に割り込むように聞こえてきたのは後ろに控えているハーリー千人将の声だ。それを耳にしたトルーマン元帥の顔がわずかに歪む。
 敢えて、それをこの場で、周りに聞こえるように言うハーリー千人将に悪意を感じたからだ。

「まあ、本当。なんだかグレンも困っているみたいに見えるわ」

 メアリー王女にはハーリー千人将の悪意は伝わらなかったようだ。東軍の本陣を見て、こんな事を口にしてしまった。
 本陣の前方に出て立っている健太郎とグレン。メアリー王女の言う通り、健太郎が盛んにグレンに何かを話し、グレンがそれを宥めている様子がトルーマン元帥の目にも映った。
 それを又、苦々しい顔で見つめるトルーマン元帥。悪意があるとはいえ、ハーリー千人将の言葉は正しい。戦況が不利になればなるほど大隊長は、場合によっては中隊長も本陣に目を向けることが多くなる。その時に大将が動揺している姿を見れば、更に軍全体の士気を低下させる羽目になるのだ。

「何をしておる。早く落ち着かせんか」

 思わず、こんな言葉がトルーマン元帥の口からも漏れてしまう。その言葉が聞こえるはずもないのだが、ようやく健太郎は一人、後ろに下がっていった。

「落ち着いたのかしら?」

「そこまでは……ただ動き出しましたな」

 東軍の本陣から何人もの騎士が戦場に飛び出して行く様子が見えた。

「あれは?」

「……伝令ですかな?」

「そう。何か始めるのね」

「恐らくは」

「期待して良いのかしら?」

「分かりません」

 何を始めるのかと期待して見ていた者たちはすぐに落胆することになる。少しすると東軍の両翼から騎馬部隊が飛び出して行った。

「……早い」

「駄目、なのよね?」

「ただ騎馬を出すだけでは無策と同じですな。騎馬戦で勝てれば別ですが」

 西軍からも迎撃の為の騎馬部隊が出る。だが、それとぶつかり会う事なく、東軍の騎馬部隊は反転していった。それを追う西軍の騎馬部隊。それも深追いする事なく、反転して引き上げていく。届かない矢が空しく地面に落ちていく様子が見えた。

「誘い……そういう事か。だが見抜かれていたな」

「又、行ったわ」

 引き上げて行った西軍の騎馬部隊の後を追う様に、もう一度、東軍から騎馬が前に出て行く。西軍が迎撃に向かうと又、反転。西軍も矢が届かない距離で反転。
 これを何度も繰り返していた。

「何をしておるのだ?」

 ただただ前進後退を繰り返す東軍の騎馬部隊の意図がトルーマン元帥にも全く読めない。
両翼で意味もなく騎馬が行ったり来たりを繰り返している間にも、中央の東軍歩兵は、その数を確実に減らしている。
 西軍もすでに陣地を固めるだけでなく、前線を大きく前に進ませていた。
 見ている誰もが勝敗はほぼ決したと思った時。

『東軍諸兵に勇者様の言葉を伝える! 勝利は我らが目前にある! 今を耐えろ!!』

 演習場に朗々と響き渡る声が多くの者の耳に届いた。

「……小僧」「グレン?」

『両翼騎馬隊! 全力を持って進撃せよ!』

『三一○大隊、後退! 中央に集結せよ!』

 本陣の前に立って、次々と指示を叫ぶグレン。その姿を見たトルーマン元帥は、わずかに気持ちを奮わされた。剣を地面に突き立てて、その上に手を置き、漆黒のマントを風にたなびかせて堂々と立っているグレンの姿が、歴戦の将を思わせたのだ。

『騎馬部隊反転! 後退せよ!』

「何!?」

 だがグレンの指示は先ほどの動きと変わらない。両翼の騎馬部隊は、西軍とぶつかる前に又、反転していった。それを追う西軍の騎馬部隊も同じ。弓兵部隊の射程に入るや、直ぐに反転しようとした。

『弓兵斉射!』

 それに構わず、弓兵部隊に号令を下すグレン。その号令に応えた矢は、西軍の騎馬部隊に横から襲いかかった。反転している間を突かれた西軍の騎馬部隊は、思わぬ方向からの矢に混乱して、隊列を乱している。

『騎馬部隊反転! 敵騎馬部隊を攻撃せよ!』

 そこに東軍の騎馬部隊が襲いかかる。騎馬同士の戦いはあっという間に混戦になった。

「どういう事!?」

「弓兵部隊を密かに移動させていたようです。しかし……」

「何?」

「わずかな数でした。それで西軍の騎馬部隊が混乱した理由が」

 西軍の騎馬部隊を襲った弓は混乱するような数ではない。だが、実際に西軍の騎馬部隊は大きく隊列を乱し、その隙を東軍に突かれている。

「そう……でも形勢は?」

「まだ。西軍は混乱しているとはいえ、騎馬の戦いはそう簡単につくとは」

 そこに更にグレンの号令が演習場に響き渡る

『中央歩兵! 末尾○五中隊を中心に左右に展開せよ!』

「何だと!?」

『三一○大隊! 鋒矢陣形のまま! 突撃せよっ!!』

『突撃だっ! 進めっ! 僕に続けぇえええっ!!』

 そしてグレンの号令に応えて叫ぶ声は、健太郎のそれだった。三一○大隊の先頭に立って、前線に突き進む健太郎の姿は誰の目にもはっきりと見えている。

「大将が前線に出るなんて無茶苦茶だ」

 こんな叫びがエリック千人将の口から出るが、それはこの場にいる将全員の気持ちを代弁していた。

「駄目なの?」

「それはもちろん。前線に出て、討たれればそれで戦いは負け。そもそも前線に出て、どうやって指揮……」

「どうしたの?」

「いえ」

『三○五大隊! 陣形を固めろ! 今は耐える時だ!』

『三○九大隊! 前線支援! 三○八と合流せよ!』

 グレンの号令の声が次々と戦場に響き渡る。

「それにしても、よく通る声ね?」

 多くの兵が喚声を上げながら戦っている中で、何故かグレンの声はよく聞こえる。

「……そうですな。これも将に必要な才の一つですな」

「将の?」

「それよりも、戦況の方ですな……これは又」

 中央に目を戻したトルーマン元帥は、驚きに目を見張った。突撃を開始した東軍の三一○大隊は、西軍歩兵の隊列を切り裂くようにして、どんどん前に進んでいる。
 当然、それは先頭に立っている健太郎のすさまじさのおかけだ。

「突破しそうね?」

「ですが本陣まではまだ距離があります。それに、この状況では騎馬部隊も……どういう事だ!? 何があった!?」

 すでに西軍の騎馬部隊の一部は健太郎率いる三一○大隊を押さえる為に後退をしている。だが、その進みは離れて見ていても明らかに遅い。さらに東軍の騎馬部隊が先回りをしようと前に出ている始末だ。

「疲れだと思います。さすがにあれだけ、突撃後退を繰り返していては馬ももちません」

「……東軍は?」

「走っていた距離ではないかと。前線が東軍に大きく寄った分、短くて済んだ。その差が今出ているのではないかと考えております」

「陣全体を前に進めなかった西軍の失敗か」

「そうなりますが……」

 三一○大隊の勢いは止まらない。やがて、その一部が西軍の陣を突破し、本陣に向かって行った。勇者である健太郎がいるのだ。本陣の騎士たちも止める事は出来ないのは誰もが分かっている。
 そこに更に東軍の騎馬部隊が西軍のそれを追い越して続いて行った。
 演習は東軍の勝利で終わることとなった。

 

◆◆◆

 演習が終わると講評会となる。自軍内での反省会を終えた両軍の大隊長以上が、謁見席の前に集まってきた。
 逆転勝利となって誇らしげな第三軍の面々。対する第二軍は、がっくりと肩を落としていた。特にアシュリー千人将の落ち込みようは酷い。
 二度続けての敗戦となったのだ。こうなるのも当然だろう。

「……小僧はどうした?」

 そこにグレンの姿がないことを見て、トルーマン元帥は健太郎に尋ねた。

「小僧?」

「グレンだ」

「ああ。グレンは軍籍にないので、講評の席には立ち会えないと」

 文句の付けようのない理由だ。

「全く。うまい口実を思いつくものだ。それで何をしているのだ?」

 トルーマン元帥も呆れ顔を見せてはいるが文句を口にすることはなかった

「結衣が怪我をした兵の治療をしているから、それに付き合っているはず」

「小僧がいても役に立たないだろうに」

「無理させたから謝るついでだって」

「小僧が?」

 健太郎の失言にトルーマン元帥はすかさず突っ込みを入れる。

「あっ、僕の代わりに」

「そうだろうな。さて、講評を始める。勇者ケン、勝因は何だと考えている?」

「僕が強かったから」

 さすがに、この健太郎の返答には第三軍の面々まで呆れている。内容もそうだが、全ての功績が自分にあるかのような言い方が問題なのだ。

「……アシュリー、敗因だ」

「はっ……騎馬部隊を無力化されたことです」

「そうか。気付けなかったのか?」

「中央をあと少しで完全に崩すことが出来ると考えて、気を取られ過ぎておりました。一方で騎馬部隊の戦況はただ前進後退を繰り返すだけ。特に指示もいらないと安易に考えたことが誤りであったと」

「反転した時にわずかな矢で崩れたな。あれは何故だ?」

「馬が相当に疲れていたようです。ただでさえ、負荷がかかる反転行動。そこに思わぬ方向からの矢です。各自が馬をうまく御することが出来ずに、隊列を崩してしまったと聞いております」

 矢はきっかけに過ぎない。だからこそ、わずかな弓兵で仕掛けるだけで十分だった。

「……そうか。それを防ぐには?」

「……何度か繰り返した動きの中で、馬の御し方が乱雑になっていたのではないかと。繰り返すだけであれば尚更、丁寧に、馬を無理させないようにするべきだったと思います」

「そうだな……では勇者に聞こう。その矢だが、反転の時を狙っておったのか?」

「もちろん」

「わずかな矢でも乱れると見越してか?」

「当然だね」

 ここまでは聞かなくてもいいことだ。本当の質問はこの後にある。

「……なぜ、あの位置で反転すると分かった?」

「それは何度も行ったり来たりしていれば分かるさ」

「……アシュリー、どう思う?」

 健太郎の答えはトルーマン元帥を納得させるものではなかった。トルーマン元帥は質問をカー千人将に向けた。

「反転の場所は前線の進退に合わせて、変わっていたと思いますが……」

「アシュリーはこう言っているが?」

「それも含めて分かっていたってことさ」

 トルーマン元帥の求める、どうして分かっていたのかは、健太郎の口からは出てこない。

「そうか……何故、前線に出た? 大将が討ち取られれば、それで戦いは負け。それくらいは分かっていると思うが?」

「それについては一つ提案がある」

「……聞こう」

「一番強い僕が本陣にいるだけって勿体なくないかな?」

「つまり?」

「勇者である僕は戦場に出て戦うべきだと思う。軍を率いるのは別の人で良いと思うな」

「それは勇者自身の意見か?」

 勇者は使う者ではなく使われる者。グレンの言葉をトルーマン元帥は思い出した。

「もちろん」

「……参考にしよう。さて、もう一度聞く。戦功の第一位には誰が相応しいと思う?」

「えっ、僕じゃないの?」

 戦功を部下に譲るという考えが健太郎にはない。仕方がない。健太郎は将ではないのだ。トルーマン元帥は聞く相手を間違えている。

「……誰か小僧を呼んで来い」

「グレンは軍籍が」

「元帥である儂が許可するのだ! 問題ない!」

「あっ、そう……」

 トルーマン元帥に怒鳴られて、健太郎は不満気だ。こういう態度が周囲の反感を買うことを、まだ理解していない。

「誰か呼んで来い」

「はっ」

 トルーマン元帥の指示で動いたのはバレル千人将だった。それを見送ったところで、又、トルーマン元帥は健太郎に向かい合った。

「あの戦いは勇者が考えたのか?」

「僕じゃなければ誰が?」

「……前線に出たあとも本陣から指示を出していた者がいたな」

「ああ、グレンか。任せた。グレンは中隊長の経験があるから、少しは分かるかなと思って」

「…………」

 ようやく健太郎はグレンに指揮を任せたことを認めた。それがいつの時点からかは、トルーマン元帥には聞く必要がない。

「グレンは僕の部下だ。部下に任せても悪くないよね?」

「まあな」

 それっきりトルーマン元帥は口を閉じて、考え込んでしまった。なんとなく気まずい雰囲気が辺りを包む。しばらく続いたその雰囲気が破られたのはグレンの登場によってだ。
 バレル千人将の後ろに続いて、坂道を登ってくるグレン。小柄なはずのその姿が何故か見ている人たちには大きく見えた。颯爽としたその姿に思わず感嘆のため息を漏らす者まで出る始末だ。

「お呼びですか?」

「……孫にも衣装とはよく言ったものだな」

 トルーマン元帥は内心の動揺を、冗談を口にすることで誤魔化している。

「どういう意味ですか?」

「言葉通りの意味だ」

「はあ」

 トルーマン元帥の言葉を受けて、グレンは自分の恰好をきょろきょろと見始める。子供のようなその様子に場の空気が一気にほぐれた。

「……何をしておる?」

「いや、着替えた後、ちゃんと自分の姿を見ていないので。閣下が褒める姿とはどういうものかと」

「まるで一軍の将のようだな」

「……御冗談を。それで御用件は?」

 笑えない冗談をさらっと流して、グレンは呼ばれた理由を尋ねてきた。

「演習は東軍の勝利に終わった。お前の目から見て戦功の第一位は誰だ?」

「はい? どうして自分に?」

「勇者に聞くと自分が一番と言うのだ」

「ああ」

 グレンは横目で健太郎をじろりと睨んだ。

「えっ、駄目?」

「大将であれば、戦功は下の者に譲る度量を見せないと。自分はそう思いますが?」

「……そっか」

 グレンに言われて、ようやく健太郎も自分の過ちに気付く。

「勇者は良いから、さっさとお前の意見を言え」

 トルーマン元帥にとっては今更、健太郎が反省しようがどうでも良いことだ。グレンに話を進めるように催促をしてきた。

「どうして自分が?」

「理由を説明する必要があるか?」

「全く……まずは両翼の騎馬部隊」

 渋々という態度ながらも、グレンは評価を口にした。

「何?」
 
 その評価にトルーマン元帥は驚きの声をあげた。トルーマン元帥だけではない。周りの人たちも、どよめいている。演習中、騎馬部隊はただ前後進を繰り返し、何をしているのかと批判されていた部隊なのだ。

「おかしいですか?」

「いや……理由を聞こう」

「騎馬部隊に出した指示は、勇者様が出した指示は、敵騎馬隊をぎりぎりまで引き付けて、それでいて馬を疲労させることのないよう動かせという難しいものです。しかも意味があるかも分からない命令を、実直に何度も繰り返したのです。それだけで認められるべきです」

「なるほど」

 聞いてみれば十分に納得出来る理由だ。何よりも負けた側のカー千人将が、敗因を騎馬部隊の無効化と言っていたのだ。

「しかも」

「まだあるのか?」

「はい。最後まで敵本陣を目指しました。演習ですから本陣の旗を倒せばそれで終わりです。しかし実戦では本陣に突入した勇者様を無事に後退させなければいけません。騎馬部隊のこの行動はそれを見越してのことかと」

「……そうなのか?」

 騎馬部隊を率いていた千人将にトルーマン元帥は問い掛けたが、それに応える者は居なかった。誰もそこまでのつもりは無かったのだ。

「おい?」

「謙遜されているのです。次が……三○五大隊でしょうか?」

「何と?」

 グレンの上げた部隊は又、大きな動きがなかった部隊だ。その意図を図りかねて将たちは首をかしげている。

「三一○大隊の中央突破には左右両翼の歩兵部隊の支えが必要になります。三○五大隊は中央突破によって片寄った敵軍の圧力をよく耐えていました」

「……なるほど」

「次が弓兵部隊。敵騎馬隊を混乱させるきっかけを作ったこと。それに混戦になってからは、歩兵部隊を後ろから支える役目もしておりました。まあ、半分は前進していた一部の兵に引きずられた感はありましたが」

「……そうか。その弓兵隊よりも三一○大隊は後か?」

「一応言っておきますが、三一○大隊を上位にあげないのは自分の知った顔が多いからです。贔屓と受け取られてはいけませんから。当然、勇者様を無事に敵本陣まで届けたのですから、功績は多大だと思います」

「そうだな」

「自分で思い付けるのはこんなところです。見落としている部分もあると思いますので、そのおつもりで」

「何が見落としているだ。よく見ているものだ」

 ここまで細かい評価をしてくるとはトルーマン元帥も思っていなかった。グレンが戦場全体の動きを把握していた証拠だ。

「見ているだけでしたから」

「よく言う。しかし、今の話を聞くとすぐには決められんな。戦功順については後日とさせてもらいたい。軍監の話も聞いて判断することにする。講評は終わりだ。ご苦労だった」

「「「はっ!!」」」

 トルーマン元帥の声に応えて、将たちが謁見席を離れていく。そんな中で真っ先に、この場から消え去ったのはグレンだ。
 トルーマン元帥が声を掛けようとした時には、その姿は坂を駆け下りていた。

「逃げ足の速い奴だ」

「どうしてグレンに聞いたのかしら?」

 講評を横で聞いていたメアリー王女が、グレンを呼んで話を聞いた理由を尋ねてきた。

「一番よく見ていると思ったからですな」

「そう。元帥の考えとは合っていたの?」

「違っておりましたな」

「あら、じゃあ駄目ね」

 グレンが間違ったと思って、メアリー王女の顔に笑みが浮かぶ。失敗を喜んでいるのではなく、別人のようだったグレンを、また身近に感じられて嬉しいのだ。

「目的が違うのです」

「目的?」

「奴はあえて地味な働きをした部隊を上位にあげました。理由を聞けば納得出来ないものではありません。ですが恐らく半分は後付けですな」

「どうしてそんな事をしたのかしら?」

「大して戦功をあげていないと思っていた者が、戦功上位と言われたらどう思いますかな?」

「喜ぶわね。あら、グレンは人気取りをしたの?」

 グレンらしくない行動、そうでありながら、メアリー王女はどこか悪戯っ子がしたことのようにも感じられ、それはいかにもグレンがやりそうなこととも思う。

「そうとも言えます。ただ、あれはそういう地味な働きもちゃんと認められるのだと示そうとしたのではないかと思います」

「でも、急に呼ばれてそんなことを思いつくのかしら?」

「思いつくから小僧なのです。まあ元が国軍ですから、そういう思いは持っていたのかもしれませんな。それでも奴は曲者ですな」

「どうして?」

「騎馬部隊を第一位に上げました。今回の戦いでは、騎士である騎馬部隊が裏方で、勇者とともに中央突破をした歩兵部隊が花形です。それでは騎士たちに不満が生まれる。その不満を戦功一位にあげることで消し去ってしまった。講評の場に来た時は、勝ったのに不満そうな顔をしていた者どもが、帰りには晴れやかな顔をしておりましたな」

「まあ、そうなの?」

「それに三○五大隊の大隊長。名は知りませんが、グレンに部隊の名を挙げられた時に半分泣きそうな顔をしておりました。辛い戦いが報われた。そういう思いがあったのでしょうな」

「それじゃあ、もうその大隊長はグレンに頭が上がらないわね」

「さすがにそこまでは。だがやる気になったのは……おや?」

「どうしたの?」

「奴には部下をやる気にさせる才もある」

「部下って。それじゃあグレンが将みたいじゃない」

 その将としての才能がグレンにあることを先ほどから何度もトルーマン元帥は口にしているのだ。

「しかし、弓兵は何故だ。弓を射るだけが弓兵部隊の働きではないと言いたかったのか。あれの言葉には確かに半分は嫌味があったような。他の大隊は……両翼の支えが必要だといった。だが右翼は崩れかけていた。だから功績に値しない。それを言葉にせずに叱責した?」

 メアリー王女の冗談に反応すること無くトルーマン元帥は自分の思考に没頭していく。

「どうしたの?」

「……あれは本当に軍を離れたいのですかな?」

 さすがにメアリー王女の問いかけにはトルーマン元帥は思考を止めて反応を返した。

「残念ながら本人はそうみたいね」

「しかし、あれの行動は。血か、あれの血が、それを許さないのか」

「元帥? ちょっと何を言っているの?」

 トルーマン元帥が何を言っているのかメアリー王女にはさっぱり分からない。

「小僧がこの場に現れた時。王女殿下はどう思われましたかな?」

「ちょっと怖かったわね。なんだか圧倒される感じがしたわ」

「闘気を押さえきれないようでしたな。見ているだけでは、我慢出来なかったのでしょう」

「それって……」

「あれは戦いを欲しているのかもしれません。頭では嫌がっていても、本能がそれを求めている。そういう存在なのかもしれませんな」

 これっきり、今度はメアリー王女の呼びかけにも応えること無く、トルーマン元帥は自分の思考の中に沈み込んでいった。