月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

勇者の影で生まれた英雄 #25 説教

異世界ファンタジー小説 勇者の影で生まれた英雄

 野営地に張られた天幕には、勇者と聖女である二人を一目見ようと、ひっきりなしに兵が、隊長たちが訪れていた。
 そして彼らは実際に一目見ただけで二人から離れてしまう。彼らがその後に向かう先は、同じ天幕にいるグレンの所だ。

「それでですね。もうちょっと剣の鍛錬を何とか出来ないかと思いまして」

「それは分かるけど。ロッドさんは、まだ個人の武勇に拘っているのですか?」

 グレンに相談しているのはグレンの後にトリプルテンの隊長になったロッドだ。異動してきた時には、腕自慢を通り越して驕り高ぶっていたロッドだったが、着任早々にグレンにコテンパンにやられ、それ以来、グレンを尊敬している。

「とんでもない! ちゃんと理解していますよ。でも、自分が強くなれば小隊の兵が楽になります。そう思って」

「そういう理由ですか。じゃあ、こんなのは?」

 グレンは自分が行っている鍛錬の一つをロッドに教えた。それを聞いて、ロッドは嬉しそうに天幕を出て行く。
 それが終わると又、別の人がやってくる。

「それでだ。三一○一○中隊の調練を参考にして、真似をしてみた。だが、どうにもうまくいかん」

 今回の任務に選抜された三一○○一中隊の中隊長は鍛錬の方法を尋ねてきた。

「形だけを真似ても同じようにはならないのではないでしょうか?」

「どういう意味だろう?」

「まずは兵の意識を変えることです。その為には兵への説明に手を抜いてはいけません」

「ふむ」

 グレンの説明を聞いて、中隊長は考え込んでいる。兵に向かって鍛錬について細かく説明した記憶を辿ってみたのだが、全く思い浮かばなかった。

「兵が調練の意味を完全に理解するまで、丁寧に説明を行うべきだと思います。兵だって死にたくはありません。生き残る為に必要だと理解すれば取り組み方も変わるはずです」

「なるほど。参考になった。さすがだな」

「いえ」

 ここまではまだ分かる。落ちこぼれ小隊を鍛え上げたグレンの力量は、三一○大隊では知れ渡っている。それに習おうというのは当然だ。
 だが、彼らとは違う非常識な人物が今回の任務には参加している。

「グレン。これが盗賊のアジトについての調査報告書だ」

 バレル千人将が差し出してきたのは、今回の任務に関わる資料だ。

「ありがとうございます。でも、何故、自分に?」

「良い方法を考えてくれ。兵に被害が出ない方法をな」
  
「……それ自分の仕事ですか?」

 得意の丸投げだとしても、これはさすがに酷すぎる。グレンはそもそも国軍に席はないのだ。

「考えるくらい良いだろう?」

「そうですか?」

 考えることさえ、越権行為にグレンには思える。

「本当は指揮も頼もうと思っていたのだ。だが、さすがにそれは問題だと思って」

「当たり前です!」

 国軍に席が残っていたとしても、グレンは中隊長までだ。今回のような複数中隊の指揮をとれる立場ではない。

「とりあえず考えるだけは考えておいてくれ。採用するかどうかは俺が判断する」

 バレル千人将には一応、自分が責任を負うつもりはあるようだ。当たり前だが。

「……殲滅ですか、それとも解散?」

「解散。無駄な犠牲は出したくない」

「分かりました」

 文句を言いながらも、結局、グレンは引き受けてしまう。こんな感じでグレンは忙しい時間を過ごしていた。

「忙しそうだね?」

 そのグレンに健太郎が話し掛けてきた。

「まあ。知った顔が多いですから」

「僕は放ったらかし」

 健太郎はグレンを心配して声を掛けてきたわけではなかった。自分が無視されているようで気に入らないのだ。

「申し訳ありません。何か御用がありましたか?」

「別に」

 別にと言いながら、健太郎は明らかに機嫌が悪い。

「もしかしてひがんでいますか?」

 その態度でようやくグレンは気が付いた。健太郎は、天幕を訪れた者たちがグレンとばかり話していることが気に入らないのだ。

「どうして僕が」

 グレンの問いに健太郎は否定で返す。

「違うなら良いです」

 それは嘘だと分かっているが、掘り下げても面倒なだけなので、グレンは話を終わらせることにした。だが、これで終わらないのが健太郎だ。

「グレンは人気だね?」

「はい?」

 否定しておいて、結局、聞いてきたのはこれだ。
 
「兵たちだけでなく、侍女にも人気があるみたいだ」

 健太郎のこの言葉にとっさにグレンは結衣に視線を向けた。それに結衣は大きく首を振ることで懸命に否定している。
 一旦、グレンはそれを信じることにした。

「誰がそんなことを?」

「グレンのことを聞いてくる侍女が多いんだ。どこが良いところだとか」

「……あの、それって」

 健太郎の説明を聞いて、グレンは彼が誤解していることに気が付いた。

「何?」

「勇者様は男色を疑われているのでは?」

「ええっ!?」

「多分そうだと思います。自分も一度、侍女に真正面から関係を聞かれました」

「……本当に?」

 健太郎にはそんなことを聞かれた覚えはない。二人の関係が城内で面白おかしく話されていることも知らないのだ。

「本当です。女の子みたいなんて言われて、酷い侮辱でした」

 その侍女と関係を持ち続けているのだから、グレンも酷いという点では負けていない。

「女の子? ああ、小柄だし、童顔だし、可愛いと言われれば可愛いかな?」

 健太郎は事情を理解していない。何も考えずにこんなことを口走ってしまう。

「間違っても人前でそれを言わないで下さい。勇者が自分を可愛いなんて言ったと知れたら……」

「あっ」

 侍女たちは大喜びだ。噂は一気に城内を駆け巡ることだろう。

「そもそもご自身が悪い」

「何で?」

「少しは浮いた話はないのですか? 言い寄ってくる侍女もいないわけではないですよね?」

 グレンに言い寄ってくる侍女がいたくらいだ。勇者である健太郎に言い寄る侍女がいないはずがない。

「どうしてそれを?」

「想像はつきます。侍女の中には奔放な性格な方も少なくありません。ずっと城に籠っているので退屈なのもあるのでしょう」

 グレンの言葉に大きく納得しているのは結衣だった。そういう侍女を知っているわけではない。グレンと関係を持った侍女もそうだったのだと考えて、納得しているのだ。

「それを受け入れろと?」

「個人的にはそう思います。疑われているのは自分もですから。はっきり言わせて頂くと、迷惑です」

「……ごめん」

「片っ端から侍女に手を出せと言っているわけではありません。それはそれで問題ですから。でも一人くらい、そういう女性がいても良いのではないですか?」

「じゃあさ、グレンの妹を紹介してよ」

「はっ?」

「すごく美人だって聞いているよ」

 そして又、グレンの視線が結衣に向く。今度は、結衣は俯いて顔を上げられなくなっていた。犯人は分かった。だが、今は健太郎への対応が先だ。

「いくら勇者様の頼みでもそれは聞けません」

「でもさ。僕が命令したら逆らえないはずだよね? 個人付きの騎士は主の命令であれば、妻でも差し出さなければいけない」

「……それ誰に聞きました? そこまでの話は知らないはずです」

 グレンの胸の中には怒りが渦巻いている。だが、何故、健太郎がこれを知っているのかも、それ以上に気になった。

「誰だったかな? 何かの拍子に聞いたのだけど……覚えてないな」

「……そうですか。では、一旦それは置いておきましょう。先に、はっきりさせておくことがあります」

「何かな?」

「自分は妹のことが可愛くて可愛くて可愛くて可愛くて可愛くて可愛くて仕方がないのです」

「……えっと」

 グレンはふざけているのだと思った健太郎だが、自分を見るグレンの瞳が、かなり厳しいものであるのに気付いて戸惑っている。

「筋金入りのシスコンとよく言われます」

「だろうね」

「ですから、たとえ相手が誰であろうとも命を賭けて守ります」

「まあ、それは分かるけど」

 健太郎は、自分が何を言ってしまったか、グレンが何を言おうとしているかが、全く分かっていなかった。

「変なことを考えられては困りますので、更に言うとですね。個人付騎士を縛るのは、その騎士の命と共に家族の命も奪われるからです」

「そう言っていたね」

「でも自分は妹が大切で、大切に思うからこそ、妹を意に沿わない相手に汚されたくありません。それくらいなら妹を殺して、自らの命を絶ちます」

「えっ? ちょっと!?」

 ようやく健太郎の表情に焦りの色が浮かんだ。ここまではっきりと言わなければ分からないのだ。

「それくらいの覚悟はあります」

「……分かった。もう言わないから」

 真っ直ぐに向けられたグレンの厳しい視線に、健太郎は言葉通りの覚悟を感じた。

「それで結構。でも考えてみれば自分の妹なんて紹介しなくても良い人がいるではないですか?」

 脅しは充分と考えて、グレンは雰囲気を和らげようと話を変えた。

「誰? 紹介して」

「すぐ隣に」

「えっ? 私?」

 自分のことだと分かった結衣が驚きの声をあげた。

「そうですけど。おかしいですか?」

「おかしいというかそれは無いよ」

 健太郎もはっきりと結衣との可能性を否定してきた。

「どうしてですか?」

 グレンには二人がここまで否定する理由が分からない。二人とも外見はかなり良い方だ。内面にはかなり問題を感じるが、それも二人の場合はお互い様という感じだ。逆にこの二人でないと無理だろうと思うくらいだ。

「僕と結衣は実は従兄妹なんだ」

「だから?」

 少し首を捻ってグレンは健太郎に尋ねる。健太郎がもっともらしく、この台詞を言った意味がグレンには分からない。

「あれ? 確かに従兄妹同士は結婚出来るけど、普通はないよね?」

「普通にありますけど?」

「嘘?」

「……異世界って変わっていますね?」

 健太郎の驚いた様子を見て、グレンはこんな感想を口にした。

「いや、こっちの世界が変わっているよ。あまり血の濃い間柄の結婚って良くないよ」

「そういう考えですか。やはり違いますね」

「どういうことかな?」

「貴族はその血が濃ければ濃いほど良いと言われています。理由は自分も知りません。でも事実として、王家も含めて、貴族家同志の血のつながりは結構あるはずです」

「知らないけど、分かる」

 言葉の通り、根拠のあるものではない。健太郎は何となくそうだろうと思っているだけだ。
 だが事実として、古い家柄の貴族家は王家を含めて全て血が繋がっていると言っても良いくらいだ。

「そして平民」

「平民も?」

 貴族は分かるが、平民まで同じとは健太郎は思っていなかった。

「事情は異なりますが。自分の生まれた村は大きい方の村でしたが、それでも顔を知らない人はいない程度の大きさです。その中で相手を見つけて結婚するわけですから、普通にありますね」

「そうなんだ」

 多くの民は生まれた村や街で一生を過ごす。人口が少ない村であれば、何らかの婚姻関係があるのが普通だ。村一つ一族であることだってなくはない。

「新しい血を入れるのは喜ばれるみたいですね。自分の家も新参でしたので、正直子供の頃はかなりもてました。もっぱら親からですけど」

 一方で平民の場合は健太郎の話した血の濃すぎる婚姻を出来るものなら避けたいという考えもある。

「是非うちの娘を嫁にって?」

「その通りです。よそ者が村に流れ着くのは滅多にないみたいですからね」

「グレンの家はどうして、その村に?」

「さあ? 小さかったのでそこまでは」

 健太郎の問いにグレンは惚けてみせる。答えたくない質問の一つなのだ。

「そう」

「それでお二人は?」

 両親のことに話が広がらないうちにと、グレンはすかさず話題を元に戻す。

「……意識したこともない」

「私も」

「じゃあ、意識してみたらどうですか?」

「……ないな」

「私も」

「ええっ? お二人とも外見はかなり良いほうです。性格もそうですし、何よりも気心が知れている間柄ではないですか? 周りが羨むくらいにお似合いだと思いますけど?」

 本心とは異なる褒め言葉をグレンは口にする。面倒事が起こるよりは身近なところで解決して欲しい。これがグレンの本音だ。

「結衣は堅物だから」

「健太郎はだらしないから。今でこそ大人しいけど、元の世界では酷かったのよ」

「何がですか?」

「女の子に声ばかり掛けて。二股、三股なんて当たり前。最高は何股?」

「……覚えてない」

 元の世界では健太郎はかなり女性関係にだらしなかった。それを結衣は良く知っているのだ。

「二股の股って女性のそれですか?」

 だが、グレンは本筋とは関係ないところを結衣に尋ねる。

「……そうかも、嫌だ、私、意識しないで使ってた」

 本当は違う。だがグレンに言われて、結衣はそうだと思い込んでしまっている。

「恥ずかしいですね。女性が股なんて」

「ちょっと、そういうことを言わないでよ」

「でも女性が股」

「……わざと言っているでしょ?」

 わざとに決まっている。フローラのことを健太郎に話した仕返し。それも、ほんの小手調べ程度の嫌がらせだ。

「まさか。でも、どうして、股で表現するのですか?」

「……絶対わざとね」

「でも、そうだったら何故、今は女性に手を出さないのですか?」

 結衣への嫌がらせを一旦止めて、グレンは健太郎に尋ねた。

「勇者だから」

 勇者とはこうあるべきというものが健太郎の中にある。派手な女性関係は、それから外れるのだ。

「意味が分かりません」

 グレンにはそんなものはない。

「勇者が何人もの女性と関係を持ったら問題だよね」

「何が?」

「えっ? 違うの?」

「冗談です。問題だと思います。恐らく遊びでは済まないでしょうから」

 健太郎とは違って、グレンは現実的な問題を考えている。

「あれ? そういう意味じゃなかったのだけど」

「遊びで済むならどうぞ、思う存分遊んで下さい。それで自分への疑いも晴れます」

「その前に、遊びで済まない理由を教えて欲しい」

 これを知らないままに、思う存分遊ぶことなど出来るはずがない。

「勇者の血ですね。それが自家に入れば、それも自慢になります。それに、勇者が一族にいるとなると発言力も増すでしょう。つまり関係を持ったら、すかさずそれをネタに結婚を迫ってくる可能性がある、という理由です」

「いきなり結婚……それはちょっとだな」

 グレンの話を聞いて健太郎は顔を顰めている。結婚に抵抗があるのだ。

「やっぱり遊びたいのですね?」

「正直言うと。侍女に手を出さないのは、面倒そうだと感じていたから。僕、そういうことには敏感なんだ」

 勇者としては、全く自慢にならないことを自慢してくる健太郎だった。

「勘じゃなくて、経験でしょ? 何度、変な女に捕まって痛い目にあったのよ?」

 直ぐに結衣が文句を言ってきた。

「……覚えてない」

「もう、最低」

 健太郎の女性関係に関して、結衣は心底嫌がっている。

「経験は力です。悪い事ではありません」

 それに対してグレンは、結衣からすればトンチンカンなことを言ってきた。

「女遊びの経験よ?」

「例えそうでも何かの役に立つかもしれません」

「何の役に立つのよ」

「変な策略から身を守るとか」

「……何それ?」

 いきなり策略なんて言葉が出てきて結衣は戸惑いをみせている。

「あまり余計な話をして混乱させたくないのですが、これは早めに言っておいた方が良いと思います。勇者様の方がより関係がありますね」

「僕? 何だろう?」

 グレンが何を話そうとしているのか、健太郎は全く見当がついていない。見当がつくくらいであれば、グレンも楽なのだが、それを期待するのは無理だ。

「お二人は勇者、聖女と呼ばれて、多くの人たちに崇められています。でも全ての人ではありません」

「それはそうだよ」

「中には勇者様を妬み、疎ましく思っている人もいるでしょう」

「えっ?」

 グレンの言うようなことまでは、健太郎は予想していなかった。勇者は多くの人に崇め、称えられる存在という思いが健太郎にはある。

「別に勇者様が悪いわけではありません。仕方がないことです」

「なんだよ、仕方ないって」

「お二人は今、王族のような暮らしをしています。まだ何もしていないのに」

「それは……それこそ仕方ないよ。まだ、そういう機会がないからさ」

 健太郎には、自ら望んだことではないという思いがある。ほとんど言い訳だが。

「でも元からいた人は違います。それなりに国に尽くしてきた。それなのにお二人に比べれば報われていない。こう思う人もいると思いませんか?」

「……まあ、それはあるかもな」

 人から妬まれることは、元の世界で健太郎は何度か経験している。女性にもてるというだけで、十分に他人からの妬みを受けることになる。

「勇者様は強い。剣など持ったことなかったのに、短い間に千人将では互角かそれ以上に強くなりました。では騎士は?」

「騎士はって?」

「騎士、特に世襲騎士は家の期待を背負って、小さな頃から剣を学んできています。才能がないと分かっても、それを止めることは出来ません。頑張って、やっと実力を認められて今の地位に在る。それを勇者様は易々と超えてしまった。自分の努力を踏みにじられた。こう思う人はいないでしょうか?」

「……いないとは言えない」

 グレンの話は充分にあり得ることで、否定の余地はない。

「勇者様にも敵、敵は言い過ぎかもしれませんが邪魔をしてくる人はいないとは限りません」

「そうなのかな?」

 これだけグレンに話を聞かされても、やはり、健太郎は受け入れきれていない。勇者なのだから、という思いが強過ぎるのだ。

「例えば、先ほどの妹の件。わざと耳に入れたと思いませんか?」

「……えっ? どういうこと?」

「勇者様が妹の件を押し通そうとすれば、自分は勇者様を恨みます。自分を少しでも知っている人であれば分かるでしょう」

「もしかして仲違いをさせる為に?」

「可能性がないとは言い切れません。今回の任務もおかしいです。同行部隊が三軍の末尾大隊。しかも自分がいた中隊を指名してきています。不思議に思っていましたが、これも仲違いをさせる為だとしたら? 実際に自分とばかり話す皆を見ただけで、勇者様は機嫌が悪くなりました」

「……まあ」

 グレンが謀略の可能性を指摘しても、残念ながら健太郎には、やはり、そこまでしないだろうという思いがある。反応はそれほど良いものではない。

「あくまでも想像ですが、そういうこともあるとだけ覚えておいて下さい」

「……分かった」

 健太郎の反応の鈍さを見て取って、グレンは話を収めた。あまりしつこく話すと、健太郎が反発すると分かっているからだ。

 

◆◆◆

 グレンは健太郎たちの天幕を出て、野営地を歩いていた。
 健太郎には自分の天幕に戻ると告げて出たのだが、歩く先にそれはない。向かっているのは野営地のはずれだ。
 先に進むと驚いた顔で見張りの兵が声を掛けようとしてきた。グレンの知った顔。トリプルテンの兵士だ。それを軽く手で制して、グレンは指を後ろに向ける。
 それを見た兵士は軽く頷いて、その場を離れていった。
 兵士が立っていた場所に腰を下ろし、グレンは野営地の外を見つめている。直ぐにグレンの体に、篝火に照らされた誰かの影が重なった。

「軽率ですね? 一人で野営地を歩くなんて」

「グレンがどこに行くのか気になって」

 後を付けてきていたのは結衣だ。

「それは嘘です。天幕を出てすぐに後を付けてきたではないですか」

 自分の天幕に戻ると、はっきり言ってグレンは天幕を出たのだ。それで、どこに行くか気になっては通用しない。

「……気が付いていたのね?」

「だから、ここに来ました」

「どういう意味?」

「まさか自分の天幕に入れるわけにはいきません。それこそ軽率な行為です」

 結衣であれば、平気で天幕まで押しかけてきかねない。それが分かっていて、グレンはこの場所に来たのだ。

「…………」

「変な意味ではないです。誤解を生むと言っているだけで」

 結衣の沈黙に、直ぐにグレンは勘違いを指摘する。

「分かっているわ」

「それで何の御用ですか?」

「今日こそ話を聞いてもらおうと思って。ずっと逃げられているから」

「何の話でしたか?」

 逃げていた覚えはグレンには全くない。結衣が勿体つけて話さなかっただけだ。

「私のこと」

「……どうぞ。ここまで来てしまったのです。せっかくですから聞きます」

 予想通り面倒な話だとわかったが、ここで躱しても又、追い掛けられるだけだ。とにかく話を聞いて、それで終わらせることにした。

「嫌な言い方。でも聞いてもらうから。ねえ、聖女って何なの?」

「聖女……虚構ですね」

 結衣の唐突な質問に、グレンは少しだけ考えて、答えを返した。

「えっ?」

 思わぬ答えに軽く驚きの声をあげる結衣。全く結衣の頭にない答えだった。

「人の世で生きている限り、聖女でなんていられません。仮にいようと思っても、長生き出来ません。自分はそう考えます」

 善人が生きるには世の中は厳しく、悪意が多すぎる。しかもただの善人ではない。聖女なのだ。

「じゃあ、私は何?」

「貴女は奇跡を起こした。そのことで勇者のおまけではなく、力ある存在として認められました。でも勇者は一人と決まっている。そこで考えられたのは聖女という呼び名。そうではないですか?」

 聖女と呼ばれることに何の意味もない。ただ勇者と並ぶに相応しい言葉が選ばれただけだとグレンは言っている。

「そうね。やっぱり虚構ね。そんな虚構に祭り上げられた私って何なのかしら?」

「聖女と呼ばれるのは嫌ですか?」

 結衣の問いにグレンは問いで返した。その表情には微かに苛立ちが浮かんできている。

「当たり前じゃない。私は自分が聖女なんて呼ばれる存在じゃないと知っているもの」

 グレンの苛立ちに気が付いていない結衣は、何も考えずに自分の思いを口にした。元々、愚痴を聞いてもらうくらいのつもりだったのだ。

「では、何故受け入れたのですか?」

「受け入れていない」

「でも、聖女様と呼ばれて答えています。それに聖女としての待遇を受けている」

「それは……」

 グレンの指摘に結衣は言葉に詰まってしまう。ようやくグレンの苛立ちに気付いたのだ。

「嫌であれば嫌と言えば良かったのです」

「そんなこと、簡単には出来ない」

「簡単ですけど? 少なくとも自分は言っているつもりです。国軍で働くのは嫌だ。個人付騎士も、そうでなくても騎士であることが嫌だと」

「それは、そうだけど」

 確かにグレンは自分の思いを口にしている。だが、それと自分とは違うという思いが結衣にはある。

「まあ、結果はこの通りですけど。それでも言えます。貴女は言うことさえしていない。それは受け入れているのと同じです」

「私が嫌だと言ったらどうなると思っているの?」

 大変なことになる。こう結衣は言わせたいのだが、グレンの答えはそうならない。結衣が望む答えなどグレンが口にするはずがない。

「勇者様がいますから、それほど変わらないのではないですか? 貴方がどうなるかという問いであっても、やはり問題ないと答えます。用無しと放り出されても本当に嫌なら嬉しいはずです」

「……生きていけない」

 こう答えるということは、結衣のどうなるの問いは自分のことだ。グレンと結衣は本当に相性が悪い。お互いに相手が望まない答えばかりを返している。

「試しもしないで」

「試さなくても分かるわ。私は異世界の人間なのよ?」

「それは聖女様が言っている生きると、自分が言っている生きるの意味が違うからです」

「何が違うと言うの?」

 自分の思うような答えをくれないグレンに、結衣も段々と苛立ってきた。

「異世界って良い世界なのですね? お二人の話を聞いているとそう思います」

 その苛立ちを外すように、グレンは話を変えてきた。

「……そうね。この世界よりはずっと平和よ。少なくとも私達が住んでいた国は」

「命があるのが当たり前の世界。この世界とは違います。貴女はその前提で生きると言っている。美味しい食事、清潔な部屋、柔らかい寝床。この世界の多くの人達はそんなものは求めません。お腹を満たせる量の食事、雨露をしのげる寝床。求めるものが全然違います」

「……私だって贅沢をしたいと言っているわけじゃないわ」

 グレンの言い方では自分はただ我儘を言っているだけに聞こえる。結衣はそれを認めたくない。

「まあ、自分もそれなりに良い暮らしをしていますから、偉そうには言えませんけど」

「良い暮らしって、あんな宿屋で」

「そう思うということが贅沢を求めている証拠です。違いますか?」

「……そうね」

 結局、グレンに自分の我儘を認めさせられることになった。 

「人より贅沢しようと思ったら、人よりも苦労しなければいけない。それが当たり前だと思いませんか?」

「……グレンって大人ね。私よりも年下なのに」

 愚痴も言えず、ただ自分の我儘を思い知らされるだけ。これ以上、嫌な話は聞きたくないと思った結衣は話を変えてきた。

「大人って……それは当たり前です。自分はとっくに成人してますから」

「えっ?」

「知らないのですか? 異世界は二十才が成人らしいですけど、この世界の成人は十五です」

「知らなかった」

 知らないはずはない。どこかで成人の話をしたから、トルーマン元帥は元の世界の成人年齢を知っていて、それをグレンに教えたのだ。

「自分が生きる世界に、もう少し興味を持ったらいかがですか?」

「そうだけど、いつか私は元の世界に……」

「戻れるのですか?」

「……分からない。でも何か方法があるはずよ」

 いつか元の世界に戻る。この世界で結衣に生きる目的があるとすれば、これだ。だが、この思いが間違いなのだ。結衣はそれが分かっていない。

「でも無かったら? いつかは帰れると考えて、ずっとよそ者で生きるつもりですか?」

「よそ者だなんて……」

「帰れる方法はあるかもしれない。でも、その方法が見つかるまでは、この世界で一生を終える覚悟で生きるべきです」

 いつか帰れる。この思いはグレンには甘えにしか思えない。この世界で生きる努力を放棄する為の言い訳にしか聞こえない。

「……そうね。そういう覚悟は必要ね」

「簡単ですけどね」

「そんなことない」

「簡単ですよ。勇者様に比べたら」

「えっ? 健太郎と?」

 ここでグレンが健太郎を持ち出してきたことが結衣には意外だった。しかも、この話の流れだと、自分が健太郎に劣っていると言われそうだ。

「少し厳しいことを言っても良いですか?」

「……もう言われていると思っていた」

「そうですか? そのつもりは無かったのですが。勇者様は突然この世界に連れてこられて、勇者にされました」

「それは、私も同じよ」

「いえ、違います。勇者といえば聞こえは良いですが。要は戦争の道具です。もっと言えば人殺しの道具です」

「…………」

 勇者をこんな風に評する人間に結衣は初めて出会った。だが、反論も思い付かない。勇者は確かに戦う為にいるのだ。

「貴女の言う平和な国に生きていた人が、いきなり人を殺せと言われたのです。生まれ育った国の為でもなく、恨みを持つ相手でもないのに、ただお前は勇者だから人を殺せと。そう言われた人の気持ちが貴女に分かりますか?」

「……分からない」

 グレンの言うようなことを考えたこともなかった。それ以前に、自分のことばかりで、健太郎のことを考えていなかった。

「でしょうね。貴女は人を治す力で聖女として祭られている。人を殺す必要がない。だから傍観者で居られる」

「…………」

 グレンの言葉は辛辣だ。結衣の心にグサグサと突き刺さっていく。

「この世界でただ一人、勇者様と同じ世界で生きていた貴女が、何故、勇者様の苦しみを理解しようとしないのです? 苦しんでいる勇者様を支えようとしないのです? それをしないで、自分の愚痴だけを言う貴女は自分には傍観者にしか思えません」

「……ごめんなさい」

「別に謝ってもらう為にこんな話をしたわけではありません。とにかく貴女は聖女であることを認めてしまっている。そうであるなら、勇者様と共に聖女として生きるべきです。自分をそう思えないなら、聖女に相応しい行動を心掛けて、そう思えるような自信をつけるべきです」

「…………」

 最後にグレンは、結衣の愚痴への答えを口にした。結衣がどう受け取ったかは分からないが。

「自分が言えるのはこれくらいです。そろそろ戻りませんか? 明日も行軍があるのですから」

「そうね。分かった」

 その場を立って、天幕のある場所に戻ろうとした二人。振り返るとそこには、今にも泣き出しそうな顔をしている健太郎の姿があった。

「……健太郎」

 名を呼ぶ結衣に見向きもせず、健太郎の目はじっとグレンを見つめている。

「グレン」

「何でしょうか?」

「……ありがとう」

「別に御礼を言われるようなことはしていません」

「それでも、ありがとう」

「……そうですか。じゃあ、ありがたく受け取っておきます。さあ、戻りましょう」

「ああ」

 グレンが健太郎に対して、臣下らしいことを行ったのはこれが初めてかもしれない。健太郎を主として認めたわけではない。ただ、結衣の言葉から、思いがけず健太郎の孤独を知って、少し同情しただけだ。
 だがグレンがどう思っているかは別にして、健太郎がグレンへの信頼を厚くした出来事になった。それがグレンにとって、良いことかは別にして。