月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

四季は大地を駆け巡る #40 崩壊の兆し

異世界ファンタジー小説 四季は大地を駆け巡る

 わずかな灯りを頼りに皆が寝ている部屋に向かう。すれ違う人は誰もいない。この館に残っている人は少ない。更に今は誰もが寝静まっている時間。だからこそ、こうして廊下を歩いているのだ。
 静寂の中を、大きな音をたてないようにゆっくりと廊下を歩く。やがて、先のほうで廊下に立っている兵士の姿が見えた。見張りであろう兵士。つまり、その場所が目的地だ。

「遅くまで大変だね」

「勇者様? どうしたのですか、こんな時間に」

 近づいてくる人影に警戒心を膨らませていた兵士だが、それが勇者だと分かって、驚いている。

「眠れなくてね。もしかしたら起きている人がいないかなと思って来てみたんだ」

「そうですか……誰か呼びましょうか?」

 こんな時間に、という思いはあるが勇者であるユート相手ではそれをそのまま口には出来ない。

「起きているのかい?」

「いえ、皆、寝ています。さすがに昼間の争いで疲れたようです」

「じゃあ、見張りは君一人?」

「ええ、そうです」

 不用心とは考えない。今、この館に危険などないはずなのだ。

「そうか、大変だね?」

「いえ、仕事ですから……あの、やはり誰か呼びましょうか?」

「いいよ。悪いじゃないか。眠れないから話相手になってなんて言えないよ。それに話相手なら君がいるじゃないか」

「私などが勇者様のお相手など」

 一兵士である彼にとって、勇者は遠い存在。こうして話をしていても下手なことを口に出来ないと緊張しっぱなしなのだ。

「そんな言い方しないでくれるかな? 僕は皆と仲良くやりたいんだ。そんな風に固くなられたら却って悲しいな」

「そうなのですか?」

「そうだよ。そう見えないかな?」

 これはユートの本心。兵士たちとの間に壁を作っていたつもりはない。それどころか人気取り目当てで、親しみをみせていたつもりなのだ。

「すみません。勇者様だと思うとどうしても身構えてしまって」

「そっか……それは僕も悪いんだね。皆に気を使わせているわけだ」

「いえ、決してそんなことは」

 ユートを不機嫌にさせたと思って、兵士は慌てて否定する。

「だから、そんなに緊張しないでくれ。そんな風にされたら僕まで緊張してしまうよ」

「はい……ちょっと意外です。勇者様がこんなに気さくな方とは思いませんでした」

 どうやらユートは兵士との距離を詰めたいのだ。そう思って兵士はユートが喜ぶであろう言葉を口にした。つまり、気を使っているのだ。

「そう? 勇者なんて言っても僕も普通の男だよ」

「そうですね。でもやはり憧れます。なんといっても勇者ですからね」

「それはそれで大変なんだよ」

「そうなのですか? ……私などが生意気ですが、もしよろしければ愚痴でも何でもお聞きしますが」

 ユートに引き上げる気配はない。そうであれば、機嫌を損ねないように応対するしかない。割り切ってしまえば、一人で見張りに立っている兵士も退屈を紛らわせることが出来るのだ。

「優しいね、君は」

「いえ、そんなことはありません」

「残念だな。もっと早く君とこうやって話が出来ていれば良かった」

「私もです」

「でも、これが最後。悪いけど死んでくれ」

「えっ、んぐっ」

 兵士の口を押さえて、隠し持っていた短剣で喉を切り裂く。暴れる様子はない。即死だ。そのままゆっくりと死体を廊下に寝かせて、扉の中の様子をうかがう。聞こえてくるのは、いびきだけ。

(考えてみたら、ばれても平気だね。彼らが僕にかなうはずがない)

 そう思ったらユートはこそこそしているのが馬鹿馬鹿しくなった。扉を開けて、堂々と中に入る。起き上がる人は誰もいない。

(本当に疲れているんだね。まあそれなりに大変だったか)

 偶然手に入れた貴族の不正の証拠。どうするかグランに相談した結果、断固告発するべきだと言われた。ユートの望む答えだ。
 ここにいる兵士たちと共にこの館に押しかけ、証拠を突きつけて自首を勧めたのだが貴族は往生際悪く抵抗してきた。
 刃向ってきた貴族の部下を、兵士たちはあっという間に制圧。ユートは貴族を捕える為に後を追った。
 貴族が逃げ込んだ先で見たのは鎖に繋がれた数多くの奴隷たち。その光景に唖然としたユートであったが、すぐに気を取り直して彼等を助けようと動いた。
 だが、助けようとした奴隷たちはユートに襲いかかってきた。説得にも耳を貸さない。何人もの奴隷が一斉に襲いかかってきた為に、ユートは剣を向けるしかなかった。
 切り裂いた皮膚の感触、噴きあがる血しぶき。人を殺した、そう思った瞬間にユートの体は膠着した。
 それに構わず襲いかかってくる奴隷。それがユートの怒りを呼んだ。
 奴隷の分際で勇者である僕に刃向うなんて――怒りに任せて剣を振るい、気が付いた時には全員が人であったと思えない姿になっていた。
 何十人もの奴隷のバラバラ死体。それを見た瞬間、ユートは立っていられなくなった。地面に四つん這いになって、嘔吐するユート。
 そんな苦しんでいるユートを何も言わず見ている兵士がいた。

(あの目。あの目は僕の醜態を見て笑っていた。勇者である僕が無様な姿を晒しているのを笑っていた。そんな事が許せるのか?)

 ユートの心の中で、勝手な妄想が膨らんでいく。

(勇者である僕は皆の尊敬を集めなくちゃいけない。それが笑われるなんて……)

 ――その時のことをを思い出して、ユートはまた胸がむかむかしてきた。

(さあ、終わらせよう)

 笑っていた兵士が誰であるかなど分からない。分からないのであれば、全員に死んでもらうしかない。自分を見ていた兵士が醜態を別の兵士に話しているかもしれない。もしかしたら、さっきまで皆で自分のことを笑っていたかもしれない。

(……許せないな)

 ユートは持っていた剣を垂直に立てて、寝ている兵に突き立てる。それが終わったらその隣。次々と殺していく。さすがに途中で兵士たちも気が付いて起き出してきたが、勇者に抗う力を兵士たちは持たない。
 わずかな間で、部屋にいた全員が刺殺された。

「なんだ。なんともないじゃないか」

 部屋を出たところでユートは呟く。

「昼間は調子が悪かったんだな。だから人を殺した事にあんなに動揺したんだ」

 人を切り裂く感触。さっきまではっきりと残っていた感触が今はもう消え去っている。

「うん。これは心が強くなったってことだね。僕は試練を乗り越えたんだ。また僕は勇者に相応しい強さを手に入れたんだ」

 口元に浮かぶ笑み。それは勇者に相応しいものではない酷薄な笑み。

「さあ、もう寝よう。さすがに僕も疲れた。お風呂に入りたいけど、それは無理だね。朝まで我慢しよう。何か体がうずくな……これも朝まで我慢するしかないか。召使の一人や二人、残ってるよね。出来たら可愛い娘がいいな」

 ぶつぶつと独り言を呟きながら廊下を歩くユート。その足が向く先は自分の部屋ではない。

 

◆◆◆

 廊下を駆けるグラン。運動は決して得意ではないグランであるので気持ちが急くばかりで、その勢いは決して速いものではない。周りから見て、かなりみっともない様子なのだが、今はそんなことに構ってはいられない。
 二十名はいた兵士が一人残らず殺されていた。貴族家の生き残り、それもかなり手練れの仕業だとグランは考えている。
 グランが恐れているのはその刃がユートに向けられていること。彼であればまず遅れを取るようなことはないと思っていても、万一があると考えて焦っているのだ。

「ユート! 無事か?」

 グランが扉を開けて中に入ると、ユートが寝ているはずのベッドにシーツにくるまった女性がいた。

「……誰だ、お主は?」

「私は……」

 シーツの下は裸。心配してきてみれば、相手は女遊びの真っ最中。それに気付いて、グランは力が抜けた。

「ユートは何処だ?」

「……お風呂に行かれています」

「無事なんだな?」

「……何がでしょうか?」

 女性は夜に起きた出来事を知らない。だからこそ、こうしていられるのだ。

「よい。とっとと出て行け」

「……はい」

 グランに言われた通り、女性はベッドから降りて部屋を出て行こうとした。シーツ一枚をまとっただけの姿で。

「服ぐらい着ろ。そんな恰好で外に出るつもりか?」

「……わかりました」

 床に散らばっていた服を拾う女性。その時になってようやくグランは気が付いた。

「その服はどうした?」

 女性の服はビリビリに破れていて、とても着られるような状態じゃない。

「着替えは?」

「あります」

「だったらそれを着ろ」

「はい」

 女性は服と同じように床に転がっていたカバンを拾い、その中から着替えの服を取り出した。随分と大きな荷物。グランの心の中に徐々に違和感が広がっていく。

「お主、その荷物は?」

「…………」

「なんでそんな大きな荷物を持ち歩いておるのだ?」

「屋敷を出る予定ですので」

「ふむ。まあ、あんな事があってはな」

 昨日の出来事はグランにとっては誤算だった。証拠を突きつければ大人しく罪を認めると思っていたのだ。だが貴族は抵抗をみせた。下手すれば反逆罪に問われても文句を言えないというのに。
 幸いにも貴族の部下の実力は大したことなく、味方に怪我人は出なかった。昨日までは。
 不正貴族を捕えて役所に突き出す。そんな演出を考えていたのだが、貴族は建物に火をつけて自害。しかも奴隷を道連れにするという凄惨な結果に終わってしまった。
 こんなことをグランが考えている間に女性は着替えを終えていた。荷物を抱えて部屋を出ようとしてグランの横を通った時、違和感の原因に気づいた。

「ちょっと待て」

 女性の頬が腫れている。それだけではない。首筋にも赤い痣がある。

「それはどうした?」

「……何でもありません」

「まさかユートがやったのではないだろうな?」

「…………」

 グランの問いに女性は沈黙。それが答えだ。

「そうなのか?」

「いえ、勇者様は関係ありません」

 だが女性は否定してきた。それをそのまま受け取るほどグランは馬鹿ではない。女性は明らかに怯えている。何に怯えているのかと考えれば、答えは一つ。

「本当のことを言え」

「言えません。それを言ったら私は……」

 一瞬、グランは頭の中が真っ白になった。女性の反応は想像を裏付けるもの。脅したのだ。話したら殺すとでも言ったのだ。
 これをどう収めるか。女性の口を塞ぐ。もっと確実な方法で。これを考えたグランだが。

「……すまなかった。昨日のことでユートは少し動揺しておってな。普段のユートではなかったのだ。そのせいでお主に……辛い思いをさせた」

「…………」

 グランが選択したのは謝罪。被害者である女性を亡き者にするという非情さをグランは持ち得なかった。これがグランの限界なのだ。

「この償いはする。償いといっても金になってしまう。そんなものではお主の心を癒すことは出来んだろう。だが儂にはそれくらいしかしてやれん」

「結構です。そんなことで私は……」

「気持ちは分かる。気持ちは分かるがどうか考えてくれ。ユートはちょっとおかしかったのだ。たった一度の過ちで勇者が勇者でなくなっては、この国はどうなってしまう? 魔族はどうする? 魔王を倒せるのはユートしかおらん。魔族にお主の、家族の生活が脅かされるようなことになっては。お主だけではない。この国の全ての民が不幸になってしまう」

「私は……」

「頼む! この通りじゃ!」

 グランは床に這いつくばって、土下座した。こんなことで計画を頓挫させるわけにはいかない。そういう重いからの行動だ。

「グラン様、お顔を上げてください! そんな真似をされては」

「誰にも話さないと、約束してくれるか?」

「……わかりました。このことは誰にも話しません。悪夢でも見たと思って忘れることにします」

「すまん」

 もう一度、女性に深く頭を下げるグラン。

「いえ、もう大丈夫です」

「お主の実家は? 今は手持ちが少ない。後で送ろうと思う」

「それは結構です」

「しかし……」

「私は金で買われた女にはなりたくありません。何もなかった。それで良いのです」

「……すまん」

「では失礼します。もう二度とお目にかからないことを祈っています。グラン様にもあの男にも」

 グランの謝罪で憎しみが消えるはずない。約束は破られるかもしれないとグランは思ったが、これ以上、何をする気にもなれなかった。
 ベッドに座り込んで呆然とするグラン。ユートが現れたのはそれからしばらく経ってからだ。

「グラン師匠、どうしました?」

「……どうしたも、こうしたもない。こんな時に何をのんびりと風呂に入っておるのだ」

「何かありましたか?」

「兵が殺された。一人残らずじゃ」

「……それは誰に?」

 眉を顰めてグランに尋ねるユート。答えは知っている。正解をグランが知っているかを確認しているのだ。

「わからん。貴族の生き残りの部下だと思うが……」

「証拠があったのですか?」

「証拠? そんなものはない。それ以外に何が考えられる。恐らく、もう逃げておるとは思うが気をつけるのだ。お主を狙っている可能性はあるからな」

「そうですね。気を付けますよ」

 ユートの顔に笑みが浮かぶ。事実は明らかになっていない。それを知った安堵の笑みだ。

「油断するな。いくらお主が強いとはいえ、不意を突かれてはどんな不覚をとるかもしれんだろ?」

「大丈夫ですよ。僕を狙う者なんていません」

「それが油断だというのだ」

 こんな事件が起こっているというのに女遊びに朝風呂。グランからみると暢気なものだ、ということになる。

「どういうつもりだ?」

「嫌だな。そんな怖い顔して、どうしました?」

「ここにいた女のことだ」

「……会ったのですか?」

「ああ、さっきまでここにいた。あんな真似をしてどうする? そもそもお主は女に困ることなどないだろ?」

 そうならないように、グランは自分の管理下にある女性を送り込んできたのだ。

「まあ、そうなんですけど、会ったのがたまたまあの人だったのですよ。あの人言うこと聞いてくれなくて。ほとんどの女性は僕に好意を持ってくれるのに。失礼ですよね? 勇者に対して」

「その勇者があんな真似をしたと知られてみろ? どうなるか分かるだろ?」

「大丈夫ですよ。ちゃんと処理しておきましたから」

「どんな口止めをしたかは知らんが、その程度で恨みが消えると思っておるのか? そもそも無理やり口止めするような真似じたいが問題だ」

「そうみたいですね?」

「……分かったら反省しろ」

「そうします。今度からちゃんとしますよ」

「何を考えておる?」

 相変わらず笑みを浮かべて暢気そうなユート。グランはようやくそれに違和感を感じ始めた。

「別に」

「ちゃんとしますとはどういう意味だ?」

「恨みを残さないようにしますよ」

「それは……」

「また怖い顔だ。嫌だな。グラン師匠こそ何を考えているのかな? 僕が言っているのは、ちゃんと僕に好意を持ってくれる人だけを相手にしますって意味だよ」

「……それでいい」

「じゃあ、ちょっと席を外してくれるかな? 早く着替えたいんだ。男性の前で着替える趣味は僕にはありませんからね」

「……まったく、そういう軽口もほどほどにだ」

「はいはい」

 ユートの横を通り抜けてグランは部屋を出る。なんだか腑に落ちない。何かがおかしい。この思いが頭から離れない。何か違う、何かが間違っている。だがそれが何か分からない。

◆◆◆

 王都に戻ってからのアレックスはまったく休む暇がない。仕方ないので近衛の鍛錬は部下に任せているが、それでも毎日毎日予定がびっしり。気の休まる時がない。
 しかもその予定はアレックスにとっては面倒事ばかり。戦場に残るべきだったと後悔しているくらいだ。

「アクレッス殿、聞いているか?」

「聞いていますよ。貧民区のことですよね?」

「そうだ。いつまであんな真似を続けねばならんのだ。貧民区の者への施しなどどうでも良いだろ?」

「まあ、人気取りの為ですから」

「勇者も聖女もいない。今更そんなものは必要ないはずだ」

 貧民区の炊き出しなどたいした負担ではないはず。そうあるのに、こうして文句を言ってくる相手にアレックスはウンザリしている。この時間でもっとやるべきことがあるはずなのだ。

「ローズマリー様が気に入っていましてね」

「まったく、王女もどういうつもりなのだ? やりたければ自分の金でやってもらえないか」

「そんなことを私に言われても」

「王女を説得するのもアレックス殿の役目だろうが」

 では君の役目は何だ。この言葉はかろうじて飲み込んだ。ローズマリー王女の行動にはアレックスも不満に思っている。貧民区への施しを続けているのはミリアへの対抗心。人気で負けたくないだけだとアレックスは分かっている。

「それが簡単ではないのですよ」

「そもそも貧民区などなければ良いのだ。あんな子汚い場所が王都にあること自体が我慢ならん」

「それは私も同意です……そうですね。いっそのこと失くしてしまいますか?」

「出来るのか?」

「燃やしてしまえばいいでしょう。丁度ゴミの処理にも困ってるみたいですからね」

「ほう。なるほど」

 アレックスの投げやりな言葉に納得してしまう相手。これがさらにアレックスの心の中に相手への蔑みの気持ちを膨らませる。

「具体的な話はまた今度で。申し訳ないですが次の予定が詰まっているのです」

「早めに頼むぞ」

「ええ」

 結局、ただ相手の文句を聞いただけ。相手も悪いが、アレックスにも問題がある。こんな打ち合わせを続けていても、予定が減るはずがない。何も解決していないのだから。

「アレックス!」

 そしてまた次の面談者が現れる。次の相手もまた面倒だ。

「今日は何ですか?」

「今日はではない。いつものことだ」

「もう終わったことですよ?」

 今回もまた未解決な話が持ち込まれることになる。ただ貧民区の件に比べれば、解決しがたい問題ではあるが。

「儂にとっては終わっていない! 毎日毎日、妻に……いや、そうじゃなくて。やり方が気に食わんのだ。グラン殿を何とかしろ!」

「ですから終わったことでしょう?」

「これからのこともある。このままグラン殿に任せて良いのか? あの男は策謀家を気取っているが儂に言わせればあんなものはただの自己満足だ。策謀のサの字にもなっておらん」

「しかし、実際にこれまでは計画通りです」

 そう思うのであれば代替の策を持って来い。という言葉もアレックスは飲み込んだ。アレックスに成長があるとすれば、我慢を覚えた、少しだけであるが、ことだ。

「その計画が間違っているのではないか? 不正貴族を摘発して勇者の名声をあげる。それはいいだろう。しかし、その不正貴族とされたのは儂の妻の実家の親類。新貴族派の身内だ」

 この国の貴族でそれを身内と言ったら全部の家が身内になってしまう。貴族なんてものは何らかの繋がりが必ずあるものなのだ。

「策謀というのは人を陥れるものだ。我等の場合、陥れる相手は当然、有力貴族派だろ?」

「それはそうですけど、有力貴族派を告発するのは並大抵のことでは無理ですよ。まして、ねつ造した証拠では」

「それを何とかするのはお主らの役目だ」

 またアレックスに一つ役目が増えた。

「グラン殿がいなくなったらどうするのです? 任せられる人などいませんよ」

「お主がいるだろ」

「私は若すぎて、周りが付いてきてくれません。それとも後ろ盾になるとでも言うのですか?」

「……まあ、場合によってはな」

 場合というのは見返り。アレックスの側からそれを先に出すつもりはない。

「その『場合』を教えてもらいましょう。それによって私が何を得るのかもね」

「それは……」

「すぐに無理であればじっくりと考えてください。私は急ぎませんのでね」

「わかった」

 思っていたよりも早く済んだ。やや踏み込んだ会話となったので、もう少し話を進めたかったという思いもなくはないが、焦ることではない。相手はただの数。一を増やす為だけに野心を公にすることはない。

「さて終わった」

 面倒な仕事は、今日の分はだが、終わり、のはずだが。

「いえ、まだ面会を申し出ている方がいます」

 アレックスが認識していない予定が入っていた。

「予定はなかったはずです」

「急に言われまして」

「断ってくれませんか。私も忙しいのです」

「しかし……相手はエリザベート様です」

「……う、嘘だろ?」

 何故、ローズマリー王女の母親が面会を求めてくるのか。ただの会うだけで終わるはずがない。そもそも国王の側室がアレックスに面会を求めてくることが異常なのだ。

「私はいない。急な用で外出したことにしてくれ」

「いえ、すでに」

 厄介事を避けようとしたアレックスであったが、それは無理だった。

「ほっほっほ。妾相手に居留守とは少々無礼ではないか?」

「エリザベート様!」

 部屋の入口に立っているのは金髪を腰の先まで伸ばした女性。ほっそりと長い首、盛り上がった胸。くびれた腰。白い肌、整った鼻、その下の赤い小さな唇。その瞳は角度によって色を変え、全体的に妖艶な雰囲気を見る者に感じさせる。
 ローズマリー王女と親子とは思えない。似てる似ていないだけの問題ではない、その見た目はとても一児の母とは思えない。

「良いから座りなさい。それと他のものは席をはずすように」

「「はっ」」

 こうなっては逆らえない。アレックスは仕方なく元のソファーに座った。
 部下も部屋の外にでる。エリザベート妃はそれを見届けるとゆっくりと部屋に入ってきて、正面のソファーに座った。
 低く深めのソファーのせいでドレスの裾があがり、すらりとした足が見える。目が離せない。何かに魅入られたようにアレックスは硬直してしまう。
 ゆっくりと足を組み直すエリザベート妃。奥にある白い太ももが見えた気がした。

「ふふふ。そなたとこうして話すのは初めてですね?」

「……はい」

 喉の渇きを覚えたアレックス。慌てて目の前に置いてあった冷めたお茶で喉を潤す。

「妾も喉が渇いた」

「用意します」

「よい。そなたのをもらうことにしよう」

 アレックスの目の前に置いてあるグラスにエリザベート妃が手を伸ばす。前かがみになった彼女の服の間からのぞく胸の谷間が目に入る。
 ごくりと自分の喉が鳴るのをアレックスは聞いた。
 それに羞恥を覚えたアレックスだが、エリザベート妃はまったくそれを気にした様子はなく、グラスに口をつけて冷めたお茶を流し込む。喉の動きにまで妖艶さを感じる。

「ふう。忙しそうですね」

「……はい」

「少し待った。いや、かなりですね」

「申し訳ありません」

「よい。色々と動いているようです。忙しいのはその為でしょう?」

「日々の仕事に勤しんでおります」

「惚けるのはなしですよ。妾はあいにくと気が短くて。ひとつ聞きたい。お主が欲しいのは王の座か?」

 こんな質問に答えられるはずがない。

「ローズマリーを娶り、王になる。それがお主の望み」

 アレックスの胸の鼓動が早くなる。何故、知られているのか。調べて分かるものではないのだ。アレックスはそれに対して、何の行動も起こしていないつもりなのだ。

「……そんな大それたことは考えておりません。私などがローズマリー様のお相手になるなど」

「そうですね。それは無理。お主では周りが認めない」

 そんなことはアレックスも分かっている。剣聖一と称えられていても、所詮は騎士。王家の女性を娶る資格などない。

「でも妾が協力すればそれは可能になる」

 これはアレックスの予想通りの言葉。問題はどう答えるか。惚けるか、踏み込むか。だが相手の本心が見えない。

「……それをしてエリザベート様に何の利があるのです?」

「やっと食付いたか」

「疑問に思っただけです。エリザベート様の発言は少々危険なもの。王の臣としては本心を確認する必要があります」

「まわりくどい聞き方ですね? 私はそういうのは嫌いです。娘が王妃になる。夫への影響力も持てる。それが私の利ですよ」

「しかし、王に対する叛意」

「なにがですか? 私はただ王位継承権者である娘にとって一番良い婿を選びたいだけです。仲良く出来る婿をね」

 危険な発言だと思ったがこう聞くと何の問題もない。少なくともエリザベート妃の非を問える材料はない。ではそれに加担する者はどうなのか。

「仮に私がそうなりたいと思ったとして、私は……」

「王の座を目指すのに身の安全を考える。どうやら見込み違いのようですね。この話はなしです」

「私は!」

 頭ではなく体が反応して声がでる。立ち上がろうとしたエリザベート妃をその声が引きとめた。彼女が望む通りの展開だ。

「少し時間を与えます。返答は次の機会に」

「それは何時でしょうか?」

「明日、明後日、一つの月が終わる頃かもしれません。妾は気まぐれですからね」

「…………」

 覚悟を決めようとしたところで、この焦らし。アレックスの心は彼女の言葉一つで揺れ動いてしまう。

「よく考えるのです。お主が得られるのは王の座とローズマリー。そうですね、おまけしてあげましょう。話を受けたらもう一つ褒美をあげます」

「それは?」

「妾を好きにしてかまいませんよ」

 アレックスを見つめるエリザベート妃の瞳がきらきらと色を変えている。その瞳にまるで心を吸い取られるようにアレックスは感じていた。好きにして良いという意味はこの顔を、この体を……そんな事が許されるのか。

「好きにとは……」

 心の思いを言葉にして尋ねてみる。

「言葉通りの意味です。高貴な女をひれ伏させる機会を与えるのも、お主には褒美になると思いました。良い返事を期待していますよ」

 エリザベート妃が去った後もしばらくアレックスは動くことが出来なかった。彼はこの日、逃れようのない何かに囚われた。