グレンが城に出仕している間はフローラとローズは、ほとんどの時間を一緒に過ごしている。別々の時間はフローラが食堂の手伝いをしている時と、ローズが宿屋では話せない相手と色々と相談をしている時くらいだ。
最初の頃は他愛もない話で、それなりに盛り上がっていたのだが、さすがにずっと一緒にいると話すネタもなくなってくる。
そんな二人が始めたのは、真面目に勉強することだった。
フローラはグレンと同じで両親からそれなりの教育を受けている。では、ローズはというと、これも又、それなりの教養を持ち合わせていた。
ローズが只者ではないことは、それだけで分かるのだが、フローラが気が付くことはない。自分と同じように親に教わっていたくらいに思っていた。
テキストはグレンが保管していた両親手作りのもの。それを使って今日も二人は食堂で勉強をしている。
ただ、必ずしも熱心にというわけにいかないのは仕方がないだろう。
「それで?」
「なんとなく分かってきたのは、グレンって案外、押しに弱いってことね」
「押し?」
「そう。ただ好き好き好きって感じで押しまくると意外に引いてくれるの」
「引かれたら駄目じゃない」
「その引くじゃなくて、心の隙間を空けてくれるって意味」
グレンは心に大きな壁を作っている。他人が容易に踏み込むことを許さない心の壁だ。だがローズから見ると、意外と隙があるように見える。
「はあ、そういう事ね」
「最初は私も色々と小細工というか、変な誘惑ばかりしていたわ。でも、それじゃあ駄目。ああ、それも分かったの。グレンってそういう手練手管みたいのが嫌いみたいね?」
「どうしてかな?」
「あれは性格ね。人に嵌められるのが許せないの。恋愛でもそうなのよ、きっと」
「……分かるような気がする」
自分が人を騙すのは好きなくせに、自分が騙されるのは許せない。こういうグレンの性格をフローラは何となく感じ取っていた。
「で、結局……まあ、最初はちょっと特別だったけど、そのあとは開き直ってグレンに向かい合ったら、何というか、少しずつ近づけている気がするというか」
「そう……」
照れた様子でグレンとの関係を話すローズ。フローラは内心の苛立ちを抑えて、話を聞いている。グレンの話を聞きたいと言い出したのはフローラなのだ。
「……ねえ、私は何でこんな恥ずかしい話をしなくてはいけないの?」
「参考にしたいから」
「参考になる? 話したのは好き好き好きよ?」
「好き好き好きだね」
これを言いながら大きく頷くフローラ。この反応を見て、フローラが何を考えているかローズは何となく分かってしまった。
「……ねえ、まさか同じことをするつもり?」
「だって、お兄ちゃんは押しに弱いって言ったよ。私も押してみようと思って」
「……それ引くと思うな」
「それが狙いだよ?」
花が咲いたような華やかな笑みを見せるフローラ。ローズには何故かこの笑みが恐ろしく見えた。
「そうじゃなくて、今度は違う意味の引くよ。フローラちゃんにそんな迫られ方したら、グレンは驚くわよ?」
「でも押しだよ。押し」
ローズが何を言おうと、やる気満々のフローラだった。
「……ちなみに何をしようと?」
「こっそりとお兄ちゃんの布団に潜り込んで、それから――」
天使のような愛らしい笑顔で、とんでもないことを言い出そうとするフローラだった。
「そこまで! フローラちゃんて前にも思ったけど、意外と大胆よね?」
「いつまでも子供じゃないよ」
「そういう問題を超えているような……まあ、同じ布団で寝るくらいは許してくれるかもしれないけど、それだけでしょ?」
「そこは私の押しで」
「ち、ちょっと! それ急ぎ過ぎじゃない?」
フローラの企みはローズの想像を超えていた。一気に男女の関係になろうとするなど、ローズには焦り過ぎているとしか思えない。
「だって……」
ローズの思った通り、フローラは焦っていた。そして、フローラが焦る原因となると一つしかない。
「それは私のせい?」
「……白状するとそう。かなり無理していたの。二人の話しを聞いた日は、強がって平気な振りをしていたけど、頭の中が混乱していて何が何だか分からなかったの」
「分かった。それでね? あのエドって男にやけに積極的に話し掛けていたのは」
「そう。やけになって無理していたの。それにお兄ちゃん、ヤキモチ焼いてくれるかなと思って」
フローラの本質は決して社交的ではない。フローラもグレンと同じで、幼いころから、あまり他人と接してこなかったのだ。
「見事に焼いていたわね」
「うん。それは分かった」
「それでも不安なの?」
ローズにしてみれば、フローラが何を不安に思うのかが分からない。グレンはフローラの為だけを常に考えていることをローズは知っている。
「お兄ちゃんとローズさんの距離が近くなっているのは私も感じているの。このままだと、私なんて」
「その心配はいらないけどね。グレンにとって一番はフローラちゃんよ」
「でも私もう妹じゃない」
フローラは妹でありたいわけではない。ただこれまであった確かな絆が切れたようで不安なのだ。
「それは良いことじゃない」
「そう。でも妹じゃなくなって、このまま普通の人でいたら、お兄ちゃんは」
「……正直、悔しいけど、それでもフローラちゃんが一番よ。それは間違いないの」
「でも、お兄ちゃんはやっぱりお兄ちゃんで。それは嬉しいけど、寂しいとも思うの」
妹という存在であることの安心感、他の誰もグレンの妹にはなれないという特別感がフローラにはあった。だが、妹という特別な存在のままでは嫌なのだ。
「……複雑ね」
「自分でもそう思う。結局、お兄ちゃんに一人の女性として見てもらうきっかけが欲しいの。変わらず妹として大切にしてくれるのは嬉しい。でも、それが永遠に続くと思えないの」
「……困った」
ローズはとっくの昔にグレンがフローラを一人の女性として見ていることを知っている。ただ、大切にし過ぎて、自分自身がフローラを傷つけることを恐れているのだ。
だが、この事実はグレンの口から話すべきことで、自分が口にして良い内容ではない。ローズの悩みはそこにある。
「困ったね」
「いや、それ貴女の台詞じゃないから」
「兄妹じゃなくなったのは良いきっかけかなと思っていたの。でも、お兄ちゃんは全然変わらない」
「いきなり他人行儀になるより良いでしょ?」
「そうはそうだけど」
どうにもフローラははっきりしない。自分の気持ちがよく分かっていないのだ。グレンとフローラはずっと二人きりだった。何も気にすることなく、何もしなくても二人の時間が永遠に続くと思えていた。
だが、それはローズの登場で変わった。グレンを取られる。フローラにとって、こう思う存在はローズが初めてだった。
「……この際だから、本音を言うと」
「う、うん」
「今の私の気持ちはフローラちゃんと約束した時とは違うの。あの時は、何かにグレンを利用出来ないかなんて邪な気持ちがあったわ。でも今はそれが全くない。ただ、グレンの側にいたいの」
「……そう」
フローラの表情が曇る。ローズは自分にとっての競争相手。初めから分かっていたことだが、ローズの口から言われると落ち込んでしまう。
今ではもうローズは、フローラにとってグレン以外で信頼できる唯一の相手になっていた。
「フローラちゃんとグレンの関係が男女のそれになったら、私の居場所はなくなる。それは凄く辛いの」
「…………」
「でもね。私はグレンだけじゃなくて、フローラちゃんも好きなの。何だか良い人ぶっている感じだけど、これは本当よ」
ローズにとってもフローラは大切な存在になっている。グレンと同じように、守ってあげたいと思う相手だった。
「私もローズさんのことは好きだよ」
「ありがと。で、結局何が言いたいかというと、お互いに頑張りましょう。嫉妬はするけど応援もするから」
「うん」
「あまり急ぎ過ぎないでね? 今の二人の関係も凄く素敵だと思うわよ。お互いが相手を大切に思っているのが横で見ていて分かるもの。少しずつ、それを壊さない様に少しずつ、兄妹から異性へと変わって行けば良いと思うな」
「……そっか。そうだよね。分かった」
口ではこう言っても、全く分かっていないフローラだった。
◆◆◆
夜も更けて、宿屋はひっそりと静まり返っている。そんな中、グレンはいつまでも眠ることが出来ずに布団の中で固まっていた。
「な、何故だ?」
隣ではフローラが、グレンの腕を抱きしめて、気持ち良さそうに寝息を立てている。久しぶりに一緒に寝ようというフローラの誘いを、特に何も考えずに受け入れたグレンだった。ローズとの時間が出来た分、寂しい思いをさせているのだろうと考えたからだ。
それが今の状況を招いている。
グレンの中では子供だったフローラも、今はすっかり女性の体つきになっていた。腕にはっきりと感じる胸の膨らみ、しっかりとグレンの足を挟み込んでいる太ももの柔らかさ。
子供だと思っていたフローラが魅力的な女性に成長している事実、そして、そのフローラに女性への欲求を感じてしまった自分にグレンは驚いていた。
そうかと言って手を出すわけにはいかない。ただただ、変な考えを頭から消し去ることに集中して、未だ眠れないでいた。
「……寝ているかな」
これはグレンの酷いところだ。ローズを頭に思い浮かべて、その部屋に行こうかと考えている。
だが、これは寝ているフローラによって邪魔された。フローラが大きく寝返りを打つことで。
反対側まで大きく伸ばされた腕、体に感じる重み。フローラの寝息が耳元で聞こえる。
「……地獄だ」
――そのまま、かなり寝不足な朝を迎えたグレン。それでも日課の朝練の為に起きだしていった。部屋の扉を閉める音がわずかに聞こえる。
「……少しずつ少しずつ。でも、手応えあり。よし、次はもう少し大胆にいってみよっと」
布団の中で、可愛い悪女フローラが小さく呟いている。
◇◇◇
城に上って一日の調練を終えた後、いつものようにグレンは健太郎の部屋を訪れた。時間はいつもとはかなり違っているが。
「遅かったな」
部屋に入るなり、健太郎が遅れてきたグレンを咎めてきた。
「ああ、すみません。所用を済ませてきました」
「所用?」
「はあ……」
健太郎の疑問に答えることなく、椅子に座るなりグレンは大きくため息をついた。
「どうした? ため息なんてついて」
見たことのないグレンの態度に健太郎が何があったのか尋ねてきた。
「ちょっと自己嫌悪中でして」
「はっ? ……何かあったのか?」
やはり普通ではない。こう思って健太郎は心配そうな顔をしている。
「心配無用です。自分の非道ぶりに落ちこんでいるだけですから」
「ええっ?」
グレンから返ってくる答えは、健太郎には訳の分からないものばかりだ。
「……あれ、今、自分何て言いました?」
どうやら、本人も何を話しているか分かっていなかったようだ。
「……大丈夫か?」
「まあ、大丈夫です」
「そうかな? 疲れているみたいだし。体調悪いのか?」
「ちょっと張り切り過ぎただけです。もやもやした気持ちを思いっきりぶつけてしまって。体はスッキリしたのですが、気持ちのほうは逆に落ち込んで」
そして頭の方は、ぼんやりしているようだ。健太郎に言わなくてもいいことを話してしまっている。
「何の話? スッキリって」
「……この話は止めましょう。もう平気ですから」
自分が何を話しているか、ようやくグレンも気付いた。
これ以上を失言をしないようにと、軽く頭を振って、気持ちをしっかりさせようとしている。
「でもさ……」
「今日は聖女様はいないのですね?」
グレンは話題を変える為に結衣のことを尋ねてみる。
「あっ、そうだった。グレンが遅いから探しに行ったのさ。すれ違いになっちゃったな」
「探しに?」
健太郎の答えを聞いたグレンの眉が顰められる。わざわざ自分を探そうとする結衣の意図が気になった。
「そう」
「どこに?」
「知らないよ。でも、そうだよね。探すって言っても宛もないのに。いつ戻ってくるんだろ」
「……じゃあ、自分が探しに行きましょうか?」
「それだと同じじゃないか?」
「ちょっと行ってくるだけです。その辺を探して見つからなければ、すぐに戻ってきます」
「……そうだな。結衣がいないと話が始まらないか」
「そうですよ」
実際にはいなくても全く問題ないような、どうでも良い話しかしないのだが、グレンは同意しておいた。そういうことにしておかないと、結衣を探しに行く理由がなくなってしまう。
「じゃあ、お願いして良いかな?」
「もちろんです」
素早く席を立って、部屋の外に出るグレン。そのまま元来た方向に戻って行く。
――やがて見えてきたのは、ある部屋の前で所在なさげに立っている結衣。ついさっきまでグレンもいた部屋の前だ。
「今度は盗み見ですか? 自分はここに居ますけど?」
「あっ……」
扉のノブに手を掛けたり離したりを繰り返していた結衣。グレンの声に言葉を失くしている。
「良い趣味ですね? 他人の情事を盗み聞き。それに飽き足らず盗み見ようなんて」
冷たい視線を結衣に向けて、グレンはこれを告げる。
「ち、違うから。グレンくんにこれ以上酷いことをしないように言ってやろうかと思って」
慌てて言い訳をする結衣。焦る様子が実に怪しいのだが、追及しても意味はない。自分と侍女の情事の場にわざわざ来ているという事実だけでグレンには十分だ。
「お気持ちは嬉しいのですが、そういうことは不要だと申し上げました」
「でも良くないことよ」
結衣の言葉はただ自分の行動を正当化する言い訳にしかグレンには聞こえない。こういう結衣の態度がグレンをイラつかせるのだ。
「……本当にそれが理由ですか?」
「どういう意味?」
「本当は興味があるのでは?」
「そ、そんなことは……」
「ご命令とあれば、お相手しますけど? 自分は奴隷騎士ですから」
「…………」
グレンの嫌味を込めた言葉に、結衣は顔を真っ赤に染めて押し黙ってしまった。
「などと誤解されるような行動は慎んでください。貴女は聖女と呼ばれている存在です」
又、苛立ちから余計なことを口走ったと思って、慌ててフォローの言葉をグレンは口にした。
「聖女なんて……」
グレンはフォローしたつもりなのだが、結衣は顔をしかめて、不愉快そうにしている。
「どうしました?」
「私はそんな聖女なんて存在じゃない。普通の女の子なのに」
「普通であることは許されない存在です。それは分かっているはずですが?」
結衣の境遇に同情する気にはグレンはなれない。異世界から召喚された者の気持ちは分からないが、結衣が与えられている待遇は王国貴族並みのかなり素晴らしいものだ。これだけで、この世界のほとんどの人よりも幸福だと思えてしまう。
「でも私は普通の高校生だったのよ。聖女になるなんて思ってもいなかった。普通に恋をして、普通にデートして……あの、そういうことよ」
「……今、途中で止めましたね。続きは?」
「……分かって言ってない?」
「あっ」
「えっ?」
急にグレンに突き飛ばされて、結衣は壁にもたれ掛る。文句を言おうと口を開こうとした結衣をグレンは手で制した。それとほぼ同時に部屋の扉が開く。
「あっ、えっ、どうしたの?」
ずっと前に出て行ったはずのグレンを見つけて、侍女は驚いている。
「たまたま通りかかっただけです。まだいたのですね?」
グレンは、さりげなく扉を手で押さえて、侍女に閉じさせないようにしている。扉の裏にいる結衣を隠す為だ。
「だって……今日はどうしたの? 凄く激しかったわ」
「あっ、そうでしたか?」
横目でちらりと結衣を見たグレンであったが、その表情は扉に隠れてみえなかった。
「そうよ。恥ずかしいけど、腰が抜けたみたいになって動けなかったの」
「ああ……そう、ですか」
「もう、壊れちゃうかと思ったわ。あんなの初めて。もう凄いわ」
「あ、あの、あんまり凄い凄いって……」
二人きりであれば、まだ適当な台詞を返せるが、他人に聞かれている状況では恥ずかしくて変な台詞は口に出来ない。
「いやだ。恥ずかしい。あまりにも貴方が凄いから」
「だ、か、ら」
「……ごめんなさい。まだ、頭がぼうってしているのね。ちゃんとしないと。まだ仕事残っているのよ」
こう言うと侍女は、両手で軽く頬を二回叩いた。気合いを入れているつもりだ。
「じゃあ、頑張って下さい」
「ええ……またね」
「え、ええ」
最後にグレンに向かって媚びた態度を見せた後、侍女は廊下を歩いて行った。その背中を見送るグレン。侍女が廊下の角を曲がったところで口を開いた。
「もう平気です」
「…………」
結衣からの返事はない。扉を閉めて、グレンがその姿を見た時には、顔どころか首筋、全身を真っ赤に染めている結衣が、ぽかんと口を開けて、壁に寄りかかっていた。
「大丈夫ですか?」
「…………」
「あの、侍女はいなくなりましたけど?」
「……あっ」
「大丈夫ですか?」
もう一度同じ言葉をグレンは繰り返した。
「……大丈夫」
「……もしかして変な想像とかしてしまいました?」
「…………」
どうやら図星だったようだ。
「もう何も言いません。この話は止めましょう」
「そ、そうね……」
この件で突っ込んでも、グレンにとって良いことは何もない。
「勇者様がお待ちです。部屋に行きましょう」
「あっ、でもさっきの話の続きをしたいの」
健太郎の待つ部屋に向かおうとするグレンを結衣が呼び止める。
「えっ? やっぱり興味が」
「ち、違う! 私の話よ」
「ああ……それは部屋に戻ってからで良いのではありませんか?」
「でも健太郎には聞かれたくないし」
「……じゃあ、別の機会に」
この場で話すという選択肢はグレンの頭の中にはない。これは結衣の為だ。
「私の話も聞いてよ」
「でも、ここでは……」
「どうして? 誰も聞いていないわ。部屋空いているから、部屋の中でも良いじゃない」
「…………」
大きく目を見開いてグレンは結衣を見つめている。本気で驚いているわけではない。からかっているだけだ。
「さっ、誘ってないからね?」
「あのですね。間違っても、今と同じことを他の人に言わないように」
「どうして?」
「この廊下、人通り少ないですよね? 盗み聞きしても咎められないくらいに」
「…………」
さりげない嫌味にまた結衣は固まってしまった。
「すみません。余計な一言でした」
「ほんと余計」
「理由があるからです」
「何?」
「密会通り。この廊下は陰でそう呼ばれています」
「……嘘?」
通りというが、ここは城の中の廊下だ。そんな呼ばれ方をする廊下が城にあることに、結衣は驚いている。
「この辺りの部屋は空き部屋ばかりです。だからそれを利用する人は多い。さっきの女性が自分をここに引き込んだのも、これが理由です」
「……乱れているのね」
男を引き込んでいる侍女が他にもいると知って、結衣は呆れた顔をしている。
「そう思いますか? でも自由に城を出られない、個室も与えられない侍女たちは、どうすれば良いのですか?」
「だからってお城の中で」
「他にどこが? 奥で勤める侍女は自由に外に出られません。城は彼女たちの家と言っても良い。まあ、監獄と呼ぶ人もいるみたいですけど」
「……でも」
グレンの説明を聞いても結衣に納得する様子はない。職場で何をやっているのだ、という思いが消えないのだ。
「貴女の望みと同じです。普通に恋をして、普通に恋人と語らう時間が欲しくて、普通に口づけをして、普通に愛し合いたい。そういうことです」
「そうだけど……」
「この場所は彼女たちのそういう思いで自然に出来上がったそうです。侍女長は勿論知っています。それに国の上層部も気が付いているそうです」
だからこそ、ずっと空室のままの部屋が並んでいるのだ。
「だったら自由に外に出してあげれば良いのに」
「それは問題があるのでしょうね。城内にいる侍女の人たちは、望むと望まないとに関わらず色々と知ってしまいますから」
とくに奥は王族の私的空間だ。公に出来ない秘密を知ってしまう可能性もある。問題は、どんな秘密があって、それを誰が知ったか、誰も把握出来ないことだ。
把握出来ない為に、全員の自由を奪うしかなくなってしまう。
「だからってこんなラブホみたいなものをお城に作るなんて」
「ラブホ?」
これはわざとではない。こんな言葉がこの世界にあるはずがない。
「……男女がそういうことをする宿屋」
「ああ、なるほど。でも城の上層部にはこれが都合が良いそうです。定期的に監視が入ると聞きました。何故、それをするか分かりますか?」
「風紀の乱れを押さえる為ね」
「違います。不適切な関係がないか調べる為です。城の誰と誰がそういう関係かを把握して、問題があると判断した場合は無理やりにでも引き離す」
「……不適切って?」
「色々あるのではないですか? 家同士の関係もあるでしょうし、他にも色々と」
「色々って……」
具体的な例をグレンは避けた。王族が侍女に手を出す。それが子供が出来てしまっては困る相手である場合など、言葉にしづらい理由が多いのだ。
「自由に恋愛をしたい。そういう思いでこの場所は出来上がった。でも、それさえも統制されたものなのです。自分は彼女たちに同情することはあっても、淫らだなんて批判する気にはなりません」
「……ごめんなさい」
グレンの言葉は自分に対する批判だと分かって、結衣は謝罪を口にした。
「そういうことですので、早くこの場を離れましょう。誤解されます」
「誤解?」
「まだ分からないのですか? 自分と聖女様が密会していると誤解されると言っているのです」
「…………」
グレンがこの場を早く去ろうとしているのは、結衣への嫌がらせではなく、これが理由だ。自分が絡む面倒な噂が立って欲しくないというのが一番だが。
「さあ、早く。誰かに見られないうちに」
「え、ええ」
早足で廊下を進むグレンの後を、結衣は必至に追いかける。
「ちょっと! 早い!」
グレンの足が速くて追いつけない結衣が文句を言ってくる。
「一緒に歩かなくて良いのですけど? いえ、むしろ離れていたほうが良いと思います」
「でも、一人で歩くのも」
「……自意識過剰」
グレンの場合は特別だが、密会通りを利用するのは基本、恋愛関係にある人たちだ。ただ廊下を歩いている女性を口説いたり、部屋に連れ込もうとする男性などいない。
「何か?」
「別に。ああ、そう言えば聖女様は認めましたね?」
「私が何を認めたの?」
いきなり認めたと言われても結衣には何のことか分からない。
「性に興味があることを」
「みっ、認めてないから!」
「でも、侍女の方たちの気持ちが聖女様と同じだと言った時に、そうねって」
「……どうしてそれで興味があることになるのよ?」
「だって自分はこう言ったのですよ? 普通に口づけをして、普通に愛し合いたいって」
「…………」
グレンにとって、結衣を引っかけるなど実に簡単なことだ。そして一度、引っかけただけで終わらせるグレンではない。
「したいですか?」
「変な聞き方しないで!」
「恋をしたいのかと聞いたのですけど、何だと思ったのですか?」
グレンの追い込みは止まらない。
「……このセクハラ男」
「セクハラ?」
「性的嫌がらせのこと」
「ああ、やっぱり性のことだと思ったのですか」
「…………」
羞恥の色に全身を染めた結衣は、その場で呆然と立ち止まってしまった。
「うん、止めましょう。自分でもさすがに変態だと思ってきました」
「……変態」