月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

勇者の影で生まれた英雄 #18 転落

異世界ファンタジー小説 勇者の影で生まれた英雄

 グレンは三一○一○中隊の小隊長を集めて、定例のミーティングを開いていた。退役を望んでいるからといって仕事に手を抜くことはない。それどころか、今の内に出来ることは全て終わらせておこうと、以前よりも仕事に注力していた。

「体力向上訓練の方はどうですか?」

「ある程度は力が付いてきたと思います。ただ……」

 グレンの質問にボリス小隊長が答えてきた。だが、最後の方は煮え切らない感じだ。

「何か問題が?」

「満足してしまっている気配が見られます。まだ始まったばかりと言って良いのですが、それでも大隊の中では、我が中隊の体力は抜きん出ています。それが慢心を生んでいるのかと」

「そうか……」

 他隊と比べてどうかではなく、目指すところまで到達しているかなのだが、なかなか部隊全体には伝わらないようだ。

「あの? ちょっと良いですか?」

 恐る恐る問い掛けてきたのはグレンの後に、三一○一○一○小隊長となったロッドだ。

「まだ、中隊長に文句があるのか? 懲りない男だな」

「いや、さすがにもう。あれだけコテンパンにやられては逆らう気にはなれません」

 小隊長になって、すぐにロッドはグレンに向かって勝負を挑んできた。力だけが全て。こういう考えの男だった。それ故に自分より弱い上役の言うことを聞かずに、トリプルテンに飛ばされることになったのだ。
 グレンとの勝負の結果は言うまでもない。手も足も出ずにやられて、そこからは大人しく言うことを聞くようになっている。これだけ分かり易いと、グレンたちも警戒する気持ちは失せる。不正を行わなくなった今は誰であっても警戒する必要はないのだが。

「どうぞ。遠慮しないで、自由に意見を言ってください」

「どうして、ここまで基礎訓練を行うのですか? 自分から見て、うちの中隊は体力では第二軍に負けないくらいに鍛えられています。あとは剣の腕を上げればと思うのですが」

 ロッドは元二軍だ。二軍の能力を良く知っていた。だが、ロッドも一般兵と同じように考え方が間違っている。

「それは比較する相手を間違えています」

「比較する相手ですか?」

「そう……そうだな。そろそろ説明しておきましょう。皆もこれを聞けば、少しはやる気が出るかもしれない」

「何でしょうか?」

「ウェヌス王国の軍は皆さんが思っているよりも、ずっと弱いという事実です」

「はっ!?」

 驚きの声をあげたのはロッド一人だったが、他の小隊長も戸惑いの色を顔に浮かべている。ウェヌス王国軍は大陸最強。これが一般的な考え方だからだ。その反応を確かめてから、グレンは話を続けた。

「自分がこう思う理由はいくつかあります。まず分かりやすいのは国軍の教本。皆さんも読み直しましたか?」

「中隊長のご指示ですので、一通りは」

「そうですか。では、ボリス小隊長」

「はっ」

「ボリス小隊長から見て、何か目新しいことは見つかりましたか?」

「……正直、何も見つけられておりません。久しぶりに読みましたが、特別何かを得ることが出来ず。勉強の仕方が悪いのかと」

 申し訳なさそうな顔で、ボリス小隊長はグレンの問いに答えた。

「それ違います」

「そうなのですか?」

「悪いのはボリス小隊長の勉強の仕方ではなく、教本そのものです。あれは三十年以上前に書かれたものですから」

「……三十年前ですか」

 古いということは分かる。だが何故、グレンが問題視しているかが分からない。

「ピンと来ていませんね? では言い方を変えます。ウェヌス王国軍は、三十年以上前の古い戦い方で、今も戦おうとしているのです」

「それは……」

 言い方を変えるだけで、随分と分かりやすくなる。この説明だと小隊長たちも、かなり重大な問題だと思えた。

「少し分かりましたか? それを伝統とは言いません。ただ古いだけです。もっと酷い言い方をすれば時代遅れです」

「つまり、中隊長は比較すべきは他国だと?」

 国軍全体が時代遅れとグレンは言っている。それは何と比べてとなれば、対象は他国の軍しかない。

「そうです」

「しかし、中隊長のご意見に逆らうようですが、我が国は他国との戦いに負け知らずです。いや、全勝とは言いませんが、ほぼ勝ちを収めているはずではないですか?」

「そうですね。でも、その戦いに三軍全てを動員するような大規模な戦いはありません。一軍全てもないですね。つまり我が国はこの数十年、本格的な戦争をしたことがありません」

 小競り合いは何度もある。だが、小競り合いでは本当の力など測れない。敵が本気で戦っているかも怪しいのだ。

「いつの間にそのようなことを?」

 ボリス小隊長が驚いているのは、グレンがどうやって、このような事実を知ったかだ。

「中隊長になると閲覧できる書類が増えるのです。その中に戦況報告書もありました。それを調べた結果です」

「……なるほど」

「さて、戦況報告ですから当然、戦闘の詳細が書かれています。分かり易いのは戦闘時間。自分が見た報告書での最長は三刻でした」

「三刻……」

 グレンの話を聞いたボリス小隊長は唖然としている。三刻は一回の調練時間よりも長い。未体験の長さで、どの様な戦闘になるのかは、この場にいる誰も想像が付かない。

「三刻、敵と戦えますか?」

「しかし、歩兵がずっと戦っているわけではないのではないですか?」

「いえ、実は大部分は歩兵が戦っているのです。これは余談ですが、騎馬について皆さんは少し誤解があるかもしれません」

「何でしょうか?」

「馬は速く走れます。馬は長く走れます。ですが、馬は速く長くは走れません」

「それは……」

 簡潔な説明。だが簡潔すぎて、ボリス小隊長は今一つ理解出来なかった。その反応をみて、グレンは説明を補足しようと口を開く。

「騎馬部隊の突進の時は、ほぼ全力に近いものがあります。ですが、それを何度も繰り返すことは馬が疲れてしまうので出来ません。騎馬部隊は、距離にもよりますが、数度突撃に使ったら、しばらく休ませる必要があります」

「その間はずっと歩兵が戦い続ける。そうなるわけですか?」

 続いた説明でボリス小隊長も状況が理解出来た。

「まあ、極論ですけど。問題は国軍では騎馬部隊を決戦兵種と位置付けていて、ここぞという時にしか使わないということです。その隙が見いだせない間は、歩兵が使われ続けます」

「三刻の間、隙がなければ三刻戦うと」

「そこまで戦わせて引かない将がおかしいと思いますけど……あっ、これは口外しないように」

 グレンは戦況報告の情報を元に話している。つまり、三刻も戦わせて引かなかった将が、実際にいるということだ。こんな話をグレンがしていると知れたら、また敵を増やすことになってしまう。

「最近多いです。気を付けてください」

「困ったことです。まだ若いつもりなのに、すっかり愚痴っぽくなっています。さて続けます。別の戦いでは、敵が騎馬部隊を初手から使って戦ったという記録もあります」

「しかし、それでは弓兵部隊の恰好の餌食では?」

「それが、そうなりませんでした。戦況報告では、弓兵部隊を率いていた将の指示誤りとなっていましたが、これは嘘だと思っています。恐らく、弓兵部隊と戦う訓練をした騎馬部隊なのではないでしょうか」

「苦手な弓兵とあえて戦うと」

「それで戦えるようになれば、一気に戦闘を有利に進めることが出来ます。どうやったかは分かりません。でも、それをしようとしている他国の軍があるとすれば、その軍に我が国は対抗出来るでしょうか?」

「…………」

 ここまで説明されれば、もう否定することは出来ない。まさかの事実を知って、小隊長たちは言葉を失ってしまった。

「分かって頂けましたか? 我が国の周辺諸国はやがてくる我が国との戦いに備えて、着々と準備をしているように思えます。それに比べて我が国は、勇者を召還しただけで勝った気になっています」

「中隊長、また……」

 再びグレンの口から飛び出た軍批判を、ボリス小隊長が窘める。

「あっ、これも口外禁止です。でも、口を滑らせついでに言えば、勇者なんて不要だと思います。それがあるから我が国は頼ってしまう。そして、今時の戦争はたった一人の勇者の存在で決まるようなものでしょうか?」

「でもそれを決めるから勇者なのではないですか?」

 勇者は常識外れの力を持っている。これが一般的な認識だ。だが、実際に勇者と戦ったグレンはそこまでの強さではないと感じている。

「そうであれば良いですけど。ただ言えることは、勇者がどんなに強くても、自分たち兵には関係ないということです。勇者が敵歩兵を全て一人で倒してくれれば別ですけど」

「それはないですね?」

「そういうことです。三軍の中で頭一つ抜け出しても、外には更に上がいる。そして、その上に居る軍が自分たちの戦う相手。それを兵たちに分かってもらって下さい」

「「「はっ」」」

 

◆◆◆

 まだ陽が落ち切らない夕暮れ時。
 窓から差し込む橙色の陽の光が、二人の男女を照らしていた。肌に薄らと滲む汗が夕日を受けて輝いている。

「……もう、困ったわね」

 ローズが少し口を尖らせて呟いた。

「何が?」

「どんどん気持ち良くなってくるの」

「あのさ……」

 ローズの告白に、グレンはどう返して良いのか分からない。

「君のせいよ」

「悪いことじゃないだろ?」

「そうだけど。なんだか退廃的な感じ。隠れてこんなことをしているのって」

「それは……大っぴらに出来ることじゃないし」

 二人が関係を持ったことは、フローラも知っている。だからといって堂々と、という気にはなれない。

「まあ良いけど。その方が興奮するわ」

「また、擦れた女の振りして。嘘だってことは分かっているのだから、止めたら?」

 グレンとローズ、お互いが初めての相手だ。それ以前から、ローズの挑発的な態度は演技だとグレンには分かっていた。

「嫌。この仮面を外したら、私は年下の男の子に夢中になっているただの馬鹿な女みたいじゃない」

「その方が良いけど? 馬鹿な女は可愛いと思う」

「……初心な君はどこにいっちゃったの? 女を誑かすことばかり覚えて」

「嫌いになった?」

「ううん。好きよ。君が私のことを本気で好きじゃなくても、私は好き」

「又、そんなこと言う」

 いつもローズはこれを口にする。これがローズなりの、自分の心を傷つけない為の防衛手段だとはグレンには分からない。

「それでも良いの。もう駄目。仮面をつけていられないわ。私は君に夢中な馬鹿な女よ」

「……馬鹿な女は嫌いじゃない」

 真っ直ぐに自分への想いを口にするローズ。この真っ直ぐさがグレンには堪らなかった。

「……まだ時間あるかな?」

「もう少し大丈夫だと思う」

「じゃあ、来て」

「ああ」

 伸ばされた手がグレンの首筋に絡まる。そのままグレンはゆっくりとローズの上に覆いかぶさって行った。口と口が重なる、その直前でグレンの動きが止まった。

「……焦らすことまで覚えたの?」

「違う。何か聞こえないか?」

「……あっ」

 慌てて起き上がるグレン。ローズも裸体にシーツを巻いて立ち上がった。

「服着て。俺は下に降りる」

 ベッドの周りに散らばっていた服を着ながら、グレンはローズに指示をする。

「私も」

「いや、フローラを二階に上げる。逃げ道は?」

「……大丈夫。確保しているわ」

「さすが。万一の時は」

「聞かない。約束は例の場所で待ち合わせだけよ」

 何かあったときの集合場所。こんなこともグレンとローズは決めていた。ちょっとした悪乗りのつもりだったのだが、役に立つ日が来てしまいそうだ。

「……分かった。ただ、フローラのことは頼む」

「うれしい。信頼してくれるのね?」

 グレンの背中にしがみつくローズ。張り詰めた雰囲気を少しでも解そうというローズなりの気の使い方だ。

「あのさ。そんな場合じゃないから。でも……信頼している」

 実際にグレンの顔にわずかではあるが笑みが浮かんだ。

「任せて」

「よし。じゃあ、行ってくる」

「気を付けて!」

 ローズの声を背で聞きながら、グレンは部屋を飛び出して行った。

◆◆◆

「勘弁してよ! これじゃあ、商売あがったりじゃない!」

 食堂に、女将であるマアサの怒鳴り声が響いている。文句の相手は、王国騎士団の制服に身を固めた騎士たちだ。

「静かにしろ! 別に何をしようと言う訳ではない!」

「ぞろぞろ押しかけられるだけで迷惑よ! どうするのよ!? お客さん、全員出て行っちゃったじゃない!」

「それは……」

 マアサの言う通り、店に居た客は、騎士たちに驚いて、全員が帰ってしまっている。やましいことがなくても、大勢の騎士に囲まれて酒を飲もうなんて気になる人はいないのだ。

「いくら騎士さんだからって酷くない!? 今日の上がりどうしてくるのよ!?」

「……分かった。迷惑料は払う。だから、静かにしろ」

「じゃあ、今すぐ払ってよ! さあ、すぐに払って!」

 静かにしろという騎士の言葉を無視して、マアサは大声を張り上げる。

「静かにしろ! いい加減にしないとこちらにも考えがあるぞ!」

「どういう考えがあるのよ!? ええっ!? 教えてもらえる!?」

「貴様……」

 マアサの追求があまりにも厳しすぎて、とうとう騎士も苛立ちを見せ始めた。

「女将さん」

 このあたりが限界だと考えて、グレンは階段を降りてマアサに声を掛けた。

「ああ。ごめんね。うるさかったわよね?」

「いや、あれだ。ありがとう」

 マアサが二階にいるグレンに気付かせる為にわざと大声をあげていたのは分かっている。

「……礼を言うところじゃないね」

「あれは?」

「ん? ああ、可愛い飼い犬かい? 裏庭だったかねえ? まあ、その辺に居ると思うよ」

「そう……見当たらないな。じゃあ、あとで探しておく」

 辺りを見回す振りをして、さりげなく階段にも目を向ける。ローズがそこで聞き耳を立てているのは分かっていた。その影がさっと動くのがグレンの目に映った。
 裏庭に飼い犬、ではなくフローラを探しに行ったのだ。

「お前」

 騎士がグレンに声を掛けてくる。

「自分ですか?」

「そうだ。三一○一○中隊長グレンか?」

「……そうですけど?」

 目的は自分、だが、国軍中隊長としての自分に何の用かが分からない。

「そうか。店の者に説明してもらえるか。我等は怪しいものではないと」

「良いですけど。何の用ですか? このような場所に騎士団の方々がいきなり現れては驚かない方がおかしいと思います。実際に自分も驚いております」

「ああ、それはだな。ちょっと待て。おい、勇者様と聖女様をお連れしろ」

「…………」

 まさかの事態にグレンの頭が混乱する。ここでどうして勇者が出てくるのかが分からなかった。心に広がるのは嫌な予感ばかりだが、グレンが何を思おうと関係なく、入り口に健太郎と結衣が姿を見せた。

「あの、お騒がせしてごめんなさい」

 食堂に入ってきた結衣は、真っ先に謝罪の言葉を口にした。

「はい。かなり大騒ぎです」

「えっ?」

 グレンの頭の中は、完全拒否モードに入っている。一切、付け入る隙を与えないつもりだ。

「こんな裏通りに騎士の方々が現れることなど、自分が住むようになってから初めてです。ここだけでなく、周りもかなり混乱していると思います」

「……ごめんなさい」

「分かって頂いて良かったです。では、お引き取り下さい」

 気持ちを落ち込ませたところで、グレンは一気に扉を閉めにかかる。

「えっ? いや、そういうわけには」

「自分にお話があるのでしたら、国軍兵舎でも、それが嫌でしたら騎士団官舎にでも呼び出せば良いと思います。違いますか?」

「……はい」

 実際にグレンの言う通り、いきなり自宅に押しかけるなど非常識だ。

「では、明日。お疲れ様でした」

「ちょっと待てよ!」

 結衣を納得させてケリがついたと思ったところで、もう一人が声をあげてきた。これが勇者たちの面倒なところだ。一人を言い負かしても別の一人が文句を言ってくるのだ。

「何ですか?」

「せっかく来てやったのに、その態度は酷くないか?」

 こちらは更に非常識だ。非常識であることも気が付いていない。まず、グレンはそれを分からせなければならない。

「お願いしましたか?」

「何?」

「自分が来てくださいとお願いしたのですか?」

「いや……」

「そうですよね? いや、驚きました。勇者様をお呼び立てしておいて、忘れてしまっていたのかと思いました。良かったです」

 自分の非常識さを分からせたところで、皮肉たっぷりの台詞でとどめを刺す。はずだったのだが。

「話がある」

 この非常識男には通じなかった。
 
「はい。それは明日お聞きします」

「今でも良いじゃないか?」

「お店に迷惑が掛かります。この時間であれば、普段は全ての席が埋まるくらいにお客さんが来ています。それが今は誰も居ない。そしてお二人に居座られると、ずっとこのままです」

「それは……」

 グレンに迷惑を掛けるのは平気なくせに、お店に迷惑が掛かっていると知ると怯む。グレンには理解出来ない感覚だが、利用しない手はない。

「もっと言いましょうか? この騒ぎでしばらく客足が遠のくかもしれません。自分はずっとこの宿屋でお世話になっているのです。それなのに、こんな迷惑を掛けてしまって。親父さんや女将さんにお詫びする言葉が見つかりません」

「と、とにかく、話を聞いてもらえないか?」

 だが、健太郎はしぶとかった。さすがは勇者だ、とは間違ってもグレンは思わない。

「その前にこちらの話を聞いていますか?」

「聞いているけど、せっかく来たのだから」

「それがそちらの勝手だとは思われないのですか?」

「それは悪いと思っている。でも、せっかくだから」

 まったく理屈が通じない。ただ我を通すだけ。グレンの苦手な、大嫌いなタイプだ。ただ、このままでは埒が明かないとグレンは妥協することにした。

「まず、騎士団の方々をこの場から離して頂けますか? 全員とは言いません。残るのは……二名ほどでお願いします」

「いや、それでは護衛任務が」

 グレンの指示に騎士が文句を言ってくる。

「勇者に護衛が必要ですか? 必要なのですか?」

 グレンは途中で質問の向け先を健太郎に変えた。その方が望む答えが得られると思ったからだ。

「要らないよ。僕は強いからね」

「だそうです。二名の方を残して戻って頂けますか? 遠巻きになんて言うのも止めてください」

「……自分と、ハリス、君が残ってくれ。あとの者は撤収だ」

「「「はっ」」」

 騎士団が撤収したことを確認して、グレンは二人をテーブルにいざなった。護衛の騎士は隣のテーブルだ。最初、入り口に立とうとした騎士を、そんな位置で睨みをきかせていては客なんて入ってこない、と言って座らせたのだ。
 それでも騎士の一人はずっと入り口を睨んだまま。今日はもう営業は無理だと親父さんもマアサも諦め顔だ。

「では、ご用件を」

「じゃあ、私から。グレンくんにお願いがあるの」

「お断りします」

 話は聞いても受け入れるつもりは、これっぽちもない。

「ちょっと!?」

「勇者様のお願いなど自分が叶えることは出来ません。叶えられないお願いは聞いてはいけないと、亡くなった祖父が言っていました」

「どうして?」

「お願いする側は大抵、恥を忍んでお願いしてくる。それを聞いておいて断っては相手と気まずくなると。自分も祖父の言う通りだと思います」

「……とにかく、今回は聞いて」

「でも祖父が」

 一応、書いておくとグレンは祖父という存在に一度も会ったことはない。

「別に恥じゃないから」

「……どうぞ」

 先祖の遺言作戦は失敗に終わった。

「まずは、グレンくんの退役願いは聞き届けられることになったわ」

 誇らしげに結衣はグレンにこれを告げてきた。自分のおかげだという気持ちがありありと見える態度だ。

「そうですか」

「嬉しくないの?」

「それはお願いではありません。その代わりに。こう続くのではないですか?」

「……そうね」

 恩を着せようという思惑は簡単にグレンに躱された。それでもめげずに結衣は話を続ける。

「その続きだけど、グレンくんに私たちの側に居て欲しいの」

「……意味が分かりません」

「待遇はね。準騎士という称号が与えられるそうよ」

「それで?」

「準と付くけど騎士よ? 凄くない?」

「別に」

 グレンが喜ぶと思っているということは、グレンについて何も調べてこなかったということだ。ここにもグレンは勇者たちの不誠実を感じてしまう。

「どうして? 出世よね? それも聞いた話だと待遇だって国軍とは全然違うみたいよ。こんな汚い宿屋に住む必要もなくなるわ」

「すみません。汚い宿屋で」

 親父さんとマアサの気持ちを代弁するグレンだった。

「あっ、そういうことじゃないの。もっと楽な暮らしが出来ると言いたくて」

「その準騎士とやらになって自分は何をするのですか? それをまだ聞いていません」

 何かを期待しているわけではない。話を早く終わらせたいだけだ。

「だから私達の側に」

「そこで何を?」

「話し相手とか、相談事を聞いてもらったりとか」

「……それが騎士の仕事ですか?」

 結衣の言っていることは騎士でなくても出来る。逆に騎士がそんなことだけをしていたら、何をしているのだと言われるだろう。

「あの、ごめんなさい。騎士はおまけなの。とにかく側に居て欲しいと思って。そうしたら、さすがに無官のものを側には置けないって」

「いえ、それはどうでも良いです。側に居なければいけない理由を聞いているのです」

「年が近いから話しやすいなって。実際に前も話しやすかったの。周りの人たちは大人ばかりで、ちょっと気疲れするところもあって」

「年の近い侍女の方でも雇われてはどうですか? それでも同じです」

 たったこれだけのことの為に大事になっている。勇者の特権というものを、まざまざと見せつけられた感じだ。当然、それに対して好意的な感情など湧くはずがない。

「侍女は戦えないからね」

 また健太郎が口を開いてきた。

「それはそうでしょうね。戦う侍女なんて小説でしか聞いたことありません」

 人の話を聞かない自分勝手が二人も相手では、グレンが気疲れしてしまう。だんだんと苛立ちを隠せなくなってきた。

「君強いからさ。正直あの時は頭に来たけど、あとで考えたら、あれだけ戦える相手は居ないからね」

「騎士の方々は自分よりもずっと強いはずです」

「そういう人も居るけど。何て言うのかな。僕が強くなるには適任らしい」

「らしい……つまり、勇者様の考えではないのですね?」

 勇者に入れ知恵した人物がいる。これを知って、益々グレンの心の中の不安が強くなる。

「ま、まあ。エリックが君みたいな剣を使う相手と鍛錬をするべきだって。僕は力任せなところが多いから、君みたいな剣を見習うべきだって」

「自分以上の適任者は居ると思いますけど。しかし、ハーリー千人将がですか……」

 ここでハーリー千人将の名が出たことで、やはり変なことに巻き込まれたようだとグレンは理解した。

「そう。エリックも君を随分と買っていたね。準騎士は良いきっかけだって。君なら正式に騎士に登用されるのも夢じゃないってさ」

「はあ」

 嫌われている覚えはあっても、買われている覚えはない。事がどんどんと怪しくなってきた。

「なあ、嬉しくないのか? 騎士だよ、騎士」

「……まず言っておかなければいけないのは、自分は以前のように剣を使えません」

 裏に何があるかは別にして、グレンは攻め手を変えることにした。とにかく、この話は何としても潰さなくてはならない。

「えっ? どうして?」

「腕を失くしましたから」

 その腕を切り落とした張本人が目の前に居る。

「そ、それは……でも結衣のおかげでちゃんと生えてきたじゃないか」

 これを口に出来る健太郎の無神経さは、たしかに常人とは違っている。

「それでも前の腕とは違うようです。思う様に動かせません」

「そう。あの……すまない」

「別に謝って頂くために話したわけではありません。自分は役に立たないと分かって頂く為です」

「……でもさ」

「何ですか?」

「やっぱり、年の近い人が居るとありがたいんだよね」

「……貴方も?」

 健太郎まで結衣と同じことを言い出した。正直この理由はグレンには厳しい。あまりに馬鹿げた理由過ぎて、論破する糸口が見つからないのだ。

「ちょっと色々あって。君ってさ、勇者の僕にも遠慮ないよね」

「申し訳ありません」

「いや、そうじゃなくて。そういう人に側にいて欲しんだ。僕さ、人を殺したんだ」

「……そうですか」

 この健太郎の言葉で二人がこんなことを言い出す理由がグレンにも見えてきた。自分が成れるとは思わないが、二人は精神的な支え、もしくは安寧を求めているのだ。

「普通はその場でパニックになったり、吐きつづけたり、大変なんだよね?」

「そうですね。そうなります」

「でも僕はならなかった」

「……それは良いことだったのですか?」

 これを聞くグレンは良いことだと思っていない。何かを乗り越えるには、一度深く沈むことも必要と思っているからだ。

「あっ、やっぱりそう思う? 駄目みたい。その場で発散しないで、内に押し込めたせいで、トラウマみたいになっているらしい」

「虎馬?」

 トラウマはこの世界で生まれ育ったグレンには分からない。

「えっと……どう説明すればいいのかな?」

「じゃあ、私が。といってもうまく説明出来ないわ。えっと、何か嫌なことがあって、それが心の傷としてずっと残ってしまうの。それだけじゃなくて、ちょっとしたきっかけで、その傷が表に現れて、具合が悪くなったり、気持ちが落ち着かなくなったりするのよ」

 健太郎の代わりに結衣がトラウマについて説明した。グレンにも分かる説明だった。ただ。

「……ひとつ忠告を」

「何?」

「それは軽々しく話して良い内容ではありません。勇者様の弱点になります」

「……ごめんなさい。でも、私たちにはそういう忠告をしてくれる人が必要なの」

 グレンの指摘は、結果として失敗だった。

「そこまで言って頂くのは大変ありがたいのですが」

「駄目なの?」

「お二人は勘違いをしています。自分が退役を望んでいるのは、国軍が嫌なのではなく、戦いが嫌なのです。兵か騎士かは関係ありません」

「でも戦わなくても側にいることは出来るわ」

「側にいて戦わないで居られますか? お二人は勇者なのですよ?」

「……そう」

 ようやく納得させることが出来た。そのグレンの思いは横から口を出してきた騎士によって、木端微塵に崩される。

「勇者様、聖女様。説得は不要です」

「でも」「どういう事です?」

「陛下から勅命が出ている。三一○一○中隊長グレン。お前は国軍を脱籍し準騎士として勇者に仕えること。これが陛下からのご命令だ」

 勅命。まさかここまでの準備をしてきたとはグレンは思っていなかった。だが、更なる問題が勅命の中身にある。

「……質問が」

「何だ?」

「……そのご命令は、まさか、私に個人付騎士になれというものではないですよね?」

「……その個人付騎士だ」

 少し躊躇いながら、騎士はグレンの望まない答えを返してきた。

「ふざけるなっ!! 何だ、その命令は!?」

 それを聞いた途端に、グレンは激昂した。

「不敬だぞ!」

「何が不敬だ! つまり、それは俺に勇者の奴隷になれってことだろ!?」

「名誉ある騎士として仕えるのだ! 奴隷とは違う!」

 声を荒らげるグレンに対して、負けないくらいの大声で騎士も返して来る。勅命を伝えてきた騎士には後ろめたさがある。その気持ちを誤魔化す為に声を張り上げているのだ。

「惚けるな! 個人付騎士の意味が分からないとでも思っているのか!?」

「……勅命は下されたのだ。諦めろ」

 騎士の方は直ぐに声を落とすことになる。それどころか、申し訳なさそうな表情に変わっている。

「他人事だと思って……」

 その表情を見たグレンも、小さな呟きに変わった。

「ちょっと? その諦めろとはどういう意味ですか?」

 事情が分かっていないのは勇者の二人だ。結衣が騎士の言葉の意味を問い質してくる。

「いや、それは……」

「嘘よね? グレンくんを奴隷になんて……有り得ないわよね?」

 口ごもる騎士をみて、結衣は焦りだしている。

「それは違います。待遇は騎士であって奴隷などではありません」

 今度ははっきりと騎士は否定してきた。嘘をついているわけではないのだ。

「では、どうしてグレンくんは?」

「知らないのか? 騎士団に仕える騎士と個人付の騎士は違う。この国の人間なら子供でも知っている。おとぎ話で有名だからな」

 グレンが横から話に入ってきた。先程の怒り狂った様子は消して、皮肉めいた笑みを浮かべている。何も知らないで、こんな事態を引き起こした勇者たちに心底呆れているのだ。

「私たちは異世界から来たので」

「ああ、そうだった。個人付の騎士というのは主に死ねと言われれば死ななくてはならない。主に親を殺せと言われれば殺さなければならない。主に……そういうことだ。これが奴隷と何が違う」

「そんな……でもそんな命令を聞く必要は」

「聞かなければ殺されるだけ。家族諸共。個人付の騎士なんて、今の時代に居ない。それだけ馬鹿げた主従関係だってことだ」

 その馬鹿げた主従関係がここに復活した。

「どうして、そんなものが?」

 個人付騎士の異常さは、さすがに健太郎にも分かったようで、そんな制度が出来た理由を尋ねてきた。

「それを言えばそれこそ不敬だ。いや、言っても平気なのか? おとぎ話の題材になったくらいだ」

「……おとぎ話はともかくとして諡(いみな)であれば良いのではないか?」

 同情からなのか何なのか分からないが騎士が軽くグレンに助言をしてきた。

「なるほど。何代か前の国王が作った制度だ。その国王は何人もの個人付騎士を抱えていた。諡は男狂王。王でありながら諡に狂を付けられた王だ。どんな王かは想像しろ」

 諡は貴人の死後に、生前の事績に基づいて贈られる名だ。死後とはいえ、一国の王に対して狂をつけるなど異常なことだ。諡の決定は次代の王、つまり子の承認が必要なのだから。

「おくりな?」

「諡も知らないのか? 死後につけられる名前。意味も必要か?」

「ああ」

「意味といってもそのまま。男狂いの王。気に入った男を次々と、ほぼ無理やりに個人付騎士にしたことが由来だ。騎士にした理由は言わせるな。吐き気がする」

「…………」

 思っていた以上に悲惨な話に健太郎は言葉を失った。自分がこの個人付騎士の主になってしまったというショックもある。

「まさか、男色の趣味が?」

「ま、まさか」

「それは良かった。自分の純潔は守られそうだ」

 皮肉たっぷりの笑みを浮かべて、グレンは健太郎にこれを告げた。

「す、すまない」

「さて、もう一度聞きます。奴隷である自分にお二人は何をお望みですか?」

「「…………」」

 二人の顔は真っ青。頭の中は真っ白だ。グレンの問いに何の反応も出来なくなっている。

「最悪だ。とりあえず帰って頂けますか? 哀れな奴隷が可哀そうだと思うのなら」

 同情と動揺の視線が集まる中、吐き捨てるように二人にこう告げると、グレンは返事も聞かずに席を立った。