月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

異伝ブルーメンリッター戦記 #7 モブキャラの奮闘~リーゼロッテの回想

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 部室を訪れる者たちもすっかり少なくなったわ。
 あの女との対戦で負けてから、私とあの女との力関係は完全に逆転した。ある者はあの女が被っている偽善に騙されて、ある者はあの女が垣間見せた裏の顔。その力を恐れて。
 かつては信頼できる友人であったエカードやレオポルドは、今ではあからさまに私に悪意を見せてくるようになった。
 どうしてこうなってしまったのか。考えるまでもないわね。あの女が影で私を貶めているのよ。
 でも今の私にはあの女に対抗する力はない。あの女が裏で糸を引いているに違いない嫌がらせに怯える毎日を過ごすばかりだわ。逃げ出してしまいたい。そんな思いに何度も駆られながらも、学院に残っていられるのはジークのおかげ。
 ジグルス・クロニクス。実家の従属貴族であるクロニクス男爵家の嫡子。
 不思議な人。ジークのことは名を聞く前から、実は気になっていたわ。
 親しくなるまでのジークは部室には顔を見せるけど、それは従属貴族家の人間として最低限の義理をはたす程度の頻度。部室に現れても、他の取り巻きたちのように私に取り入ろうと近づいてくることはなかった。
 それどころか、存在に気が付くのは部室に入ってくる時と出て行く時だけ。
 珍しい銀色の髪。良く見ると女の子のような可愛い顔をしている、でもそれを感じさせない意思の強そうな黒い瞳。かなり目立つ容姿を持つジークなのに部室内では全く存在感がなかった。
 それでも最初は無愛想な男と思っているくらいだったのだけど、ある日気が付いてしまった。
 あれは、何となく魔法の基礎訓練をしようと思い付いて、魔力を操作していた時。部室の中に、かすかに他人の魔力を感じたのだったわ。
 気になってそっと辿ってみると、部室の隅で座っているジークに辿り着いた。驚いたのは、ジークが突然現れたとしか思えないような見え方をしたこと。魔法で気配を隠ぺいしていたのだとすぐに気が付いたけど、私の知っている魔法とは違っていた。少し気を反らすと目に映らなくなってしまうのですもの。
 その日から魔法書を読み漁り、ジークの使っている魔法を突きとめようとした。そして機会あるごとに、ジークの魔力を探ってみた。
 一度、逆に辿られそうになった時は驚いたわね。慌てて切ったけど、今考えると気が付かれていたかもしれない。その日から一層、魔力を見つけづらくなったもの。
 ジークが使っていた魔法が何だったのかは、未だに分からないわ。ジークの身元を詳しく調べた結果、予想はついているけど。
 あれにも驚いたわね。なんとジークのお母様はエルフだった。エルフは自分たちの世界に引き籠って、滅多に表の世界には出てこない種族なのに、ジークはさらに希少なハーフエルフ。それから考えればジークが使っているのは、恐らく精霊魔法。人族では使えない魔法。
 かなりジークに興味を引かれたけど、なかなか近づく隙を見せてくれなかった。ようやく掴んだきっかけが、事もあろうに、あの女への警告に彼を使うこと。あからさまに嫌そうな顔をしていたけど、彼は断ることなく私の命令を聞いてくれた。
 間違いなく嫌われた。そう思っていたのに、それからのジークの行動は私が思っていたのと正反対。自らを傷つけてまで私を守ってくれた。誰よりも近くにいてくれる、誰よりも信頼できる存在。
 ジークは優しい。
 あれは対戦に負けた次の日のこと。魔法で切られて短くなってしまった髪を誤魔化すために、かつらをかぶって学院に来た。そんな私に真っ先に近づいてきたのは、あの女だったわ。

「リーゼロッテさん、本当にごめんなさい。怪我はなかった?」

 いつものように偽善の仮面を被っていた。

「怪我はないわ」

 話すことなどない。そんな態度で答えた私に、あの女はしつこく絡んできたわ。

「でも、髪。切れてしまいましたよね?」

「……平気よ」

「短くなった感じはありませんね。ああ、これかつらですね? まあ、リーゼロッテさんの綺麗だった髪とは大違い。本当にごめんなさい。私のせいで」

「私は気にしていませんわ。良いから放っておいて下さる?」

「でも、髪ばさばさ。あっ、私、櫛を持っているから、梳かしてあげます」

「結構ですわ」

「そんな遠慮しないでください。元はと言えば私のせいですよ」

 ここで、女は偽善をかなぐり捨ててきた。にこやかな顔のまま私を強引に押さえつけると、髪をとかすどころか、かつらを取り上げた。

「あっ、ごめんなさい。かつら、取れてしまいました」

 あまりの屈辱に全身が真っ赤に染まる。貴族の女性にとって髪の長さがどれだけ大切なことか、平民の女には分からないのよ。
 肩までしかない私の髪。その髪型を見て、周りの女子生徒の何人かがクスクスと笑っていた。

「返しなさい!」

「もちろんです。でも少し待ってください。櫛で整えてから返しますから」

「いいから、今すぐに返して!」

「返します。だから、もう少し、その短い髪のままで立っていてください」

 悔しさで涙が溢れそうになった。それでも女の前で涙を見せたくないと懸命にこらえていたわ。そんな私に突然、ジークの声が聞こえた。

「おや、リーゼロッテ様。髪型を変えられたのですね?」

「ジーク! 貴方まで!?」

「良くお似合いです。以前の髪型も素敵でしたけど、今の髪型のほうが俺としては好みですね。あっ、俺の好みは関係ありませんね」

「そんなこと……」

「あれ? リーゼロッテ様はお気に召していない? そうですね。少しというか、かなり昔に流行った髪型ですからね。でも懐古趣味というのもあって、古い文化や流行を見直すっていうのも歴史の中では何度かあったようですよ?」

「ジーク。貴方、何を言っているの?」

 突然、訳の分からないことを言いだすジークに私は戸惑ってしまった。

「それ、百年程前の王女様がなさっていた髪型ですよね?」

「えっ?」

「元々は貧しい庶民の為に、税金ではなく自分の財産で何かしてあげたいと思う慈悲の心からがきっかけだったそうですね。でも、王族の手元にある財産は全て元は税金。そこで王女様はご自身の髪を売って、お金を手に入れた。たかが髪と言っても王女様の依頼ですからね。信じられないくらいの色を付けて買い取られたそうです」

「そ、そう」

 なかなかジークが何を言いたいのかが、分からなかったわ。

「ところが話はそれで終わらなかった。王女様は大層お美しい方で、しかも短い髪がよく似合った。それを見た貴族の女性がこぞって王女様の髪型を真似して、一時は貴族の女性は全員と言っても良いほど、髪が短くなったそうです」

「そんなことがあったなんて」

 そんな話は初めて聞いた。多くの貴族女性は生まれてから大人になるまで、ずっと髪を伸ばし続ける。髪の長さが貴族女性としての嗜み。そう教えられてきたのに。

「どうします? リーゼロッテ様も短い髪がとても良くお似合いです。周りの人が真似されるかもしれませんね? そうですね……あっ、貴女」

 教室を見渡すと、突然ジークは一人の女子生徒を指差した。

「えっ、私?」

「貴女はお顔が小さくて、とても容姿が素敵です。貴女のような人は短い髪が良く似合うかもしれませんね?」

「そ、そうかしら?」

「俺はそう思いますけど……あっ、そこの貴女も」

「私も?」

「首がすごく細くて綺麗ですね? なんだか、それを見せないのは勿体ないような。ああ、でも、あまり見せすぎると男性が放っておかなくなるから、ほどほどにしたほうが良いのかな?」

 普段は見せない晴れやかな笑顔をジークはその女子生徒に向けた。

「嫌だわ。そんなことはないわよ」

 その笑顔に女子生徒の頬が赤く染まる。
 ジークのやっていることはまるで他の女性を口説いているようだった。何故か胸に小さな痛みを覚えたわね。あれは何だったのかしら。
 でも直ぐにその痛みは消えた。いつの間に何人かの女子生徒が髪を肩口で押さえて、お互いに見せ合うことを始めたのを見た瞬間に。

「どうかしら?」
「あっ、貴女、似合うわ。良いな、私はちょっと自信ないわ」
「そうね、貴女は頬を隠した方が良いわね」
「ひどいわ。顎の線は気にしているのよ」
「あら、ごめんなさいね。でも待って。短くして毛先を前に巻いて、こう顎にかけるようにすれば。あら、いいわね」
「本当!?」

 私の短い髪を笑う者などいつの間にかいなくなっていた。そして更に駄目押し。見知らぬ男子生徒が教室を覗いて、ジークに声を掛けてきた。

「おい、ジグルス。いい加減に教室に戻らないと……あれ、もしかしてリーゼロッテ様?」

「……何ですか?」

 初めはからかわれると思って、私の心に警戒心が湧いた。

「いやあ、リーゼロッテ様にこんな事を言うのは大変失礼かと思うのですが」

「ですから、何ですか?」

「その髪型、とても良くお似合いです。髪が短くなったことで、女っぽさが薄れましたね? でもリーゼロッテ様の場合はそれが良い。清楚な感じが表面に出て、とても素敵です」

 急に現れたその男子生徒まで、私の短い髪を褒めてくれた。

「そ、そう? ありがとう」

「貴族の方もそういう髪型をなさるのですね? いやあ、良いと思います。前から思っていたのですよね。貴族の女性はどうして皆が皆、重苦しい長髪ばかりなのかと。人それぞれ似合う髪型ってものがあります。それが個性というものです」

「……貴方は?」

 こういう言い方をするからには、男子生徒は平民なのだと分かった

「あっ、ご挨拶が遅れました、というか平民の身でご挨拶させて頂くことを光栄に思います。私はミハエル・ヨーステン」

「ヨーステン。もしかしてヨーステン商会の?」

 ヨーステン商会は王国でも有数の大商家。その財力は男爵家はもちろん、子爵家でも軽く凌駕するほどだわ。

「はい、ヨーステン商会は実家です。貴族の皆様方に美術品も多く卸しているヨーステン商会でございます。まだまだ若輩者ですが、美についてはその辺の方たちより厳しい目を持っているつもりです。ですので、さっき言った話はお世辞ではございませんよ」

「ええ、素直に嬉しく思いますわ」

「さて、リーゼロッテ様にも挨拶出来た。ほら、ジグルス。今度こそ、教室に戻るぞ?」

「ああ。ではリーゼロッテ様。また後ほど」

「ええ。ジーク、ありがとう」

「俺、何か御礼を言われることしましたか?」

 ジークは惚けていた。私の髪が馬鹿にされないように仕込んだことだと、もう分かっていたのに。

「いいわ、ほら早く教室に戻りなさい」

「はい。リーゼロッテ様」

 そしてジークは私に向かって、優雅に貴族の礼をして教室を去って行った。ジークはこういう仕草が良く似合う。本人は恥ずかしがってばかりだけど。
 それと同時に教室のあちこちから、ため息が聞こえたのは気のせいだったのかしら。

「あの、これ返します」

「ああ、あら、でもまだ髪が乱れていますわね? せっかくですから、お言葉に甘えて綺麗に梳かして頂くことにしようかしら?」

「何ですって!?」

「冗談ですわ。さて、もうすぐ先生が来る頃ですわね。席についた方がよろしくてよ」

 すっかり気持ちは晴れていた。たとえ方便だとしても、ジークが褒めてくれた髪を恥じる気持ちなど私にはなかった。

 

 ――でも、時にジークは厳しい。
 朝、教室に入ると私の机の上は落書きで汚されていた。書かれているのは口にするのもおぞましい卑猥な言葉ばかり。悲しさよりも、ここまでのことをされるようになったのかと悔しい思いで胸が一杯になった。そして立ち尽くしていた私に、またジークの声がかかった。

「ありゃ、これはまた」

「……どうして私がこんな目に」

 ジークに対しては、つい泣き言が口から出てしまう。

「悔しいですか? それとも悲しいですか?」

「両方ですわ」

「でも以前、リーゼロッテ様も同じことを他人に向かってさせたことがありましたね?」

「あっ……」

 ジークから返ってきたのは、慰めの言葉ではなく私を責めるような言葉だった。

「その相手はどう思ったのでしょう? 聞くまでもありませんね。今のリーゼロッテ様と同じ気持ちです」

「……そうですわね」

「良かったですね?」

 さらに落ち込んだ私を見て、ジークはにっこりとほほ笑みながら良かったと言ってきた。

「良かった?」

「リーゼロッテ様はこれで虐められた人の痛みを少し感じることが出来ました。そして、その痛みを知った以上、もう同じ過ちを犯すことはありませんよね?」

「……ええ。そうですわね。私はひどいことをしてきましたわ」

 ジークの言う通り。私は私が受けた仕打ちと同じことを他人に行ってきた。相手がどれだけ傷つくかなど、その時は分かっていなかった。でも今は違う。自分がどれだけひどいことをしたか良く分かる。

「そのお気持ちを忘れないでください。人の痛みを忘れないでください。そうすれば人に優しく出来るはずです」

「でも、私がやったことは」

「はい。過ちは取り戻せません。傷つけた人の心を完全に癒すことは出来ないでしょう」

 はっきりとそう告げるジークの言葉に、私の心はますます落ち込んでいった。

「……そうよね」

「であれば別の人に優しくしましょう。別の人を傷つけないように守ってあげましょう。それが自己満足と言われようと、何もしないよりしたほうがマシです」

「ジーク……」

 この人はどうしてこういうことが言えるのだろう。何故この人の言葉は私の心を温かくしてくれるのだろう。

「とりあえず、この机を綺麗にするところからですね。これも償いです。喜んでやりましょう」

「綺麗になるかしら?」

「なりますよ。俺も手伝いますから」

「手伝ってくれるのですね?」

「忘れたのですか? 俺もリーゼロッテ様の共犯者。償わなければいけないのは俺も同じです」

「そうね……ありがとう」

 ジークは私の側にいてくれる。それが嬉しかった。

「礼を言うのは綺麗になってからにしてください。さっ、始めますよ」

 そう言ってジークは幾つもの布を取り出してきた。濡らしているものもあった。それで私は分かった。ジークは知っていたのだ。私の机がひどいことになっているのを教室に来る前から。
 私がそれを見る前に消してくれるのも優しさ。でもこのように、あえて放置して厳しく私を叱ってくれることも優しさ。後者のほうが、なんだか温かい気がしたわ。

 ――そしてジークの背中は力強くて温かい。

「リーゼロッテ、いい加減にしてくれないか!?」

 突然、エカードとレオポルドが教室にやって来て、私を責め始めた。

「レオポルド、さっきから何を言っているの? 私には貴方の言っていることが分からないわ」

 でも、私には彼らが何を怒っているのか分からなかった。

「惚けるな! 君はまだユリアーナに嫌がらせをしているだろ!」

「そんなことはしていないわ!」

「証人がいる! 君がユリアーナのロッカーを汚しているところを見た生徒がね!」

「そんなはずがないわ! 私はそんなことはしていない!」

「だから惚けるなと言っている!」

「私はもう二度とそんなことはしない! ジークと約束したのよ!」

 私はジークに虐められる側の痛みを教えてもらった。もう二度と同じ過ちは繰り返さないと誓った。それは相手があの女でも同じだ。

「はっ、困ったものだね。ちょっと優しくされたくらいで侯爵家の君が、たかが男爵家の男にそこまで」

 皮肉な笑みを浮かべて話すレオポルド。その彼と私の間を遮る背中が突然現れた。ジークの背中だった。

「お前……」

「今、俺を呼びましたか?」

「呼んでなどいない」

「でも、リーゼロッテ様の近くにいる男爵家って、今は俺くらいですよね?」

 実家の爵位なんて関係ない。今の私を守ってくれるのはジークしかいない。

「話には出した。でも呼んだわけじゃない」

「やっぱり俺のことですね。たかが男爵家……へえ、そうですか?」

「何? 文句があるのかな?」

「いやあ、意外だなと思って。レオポルド様といえば、身分を気にすることなく平民とでも分け隔てなく接する方だと思っていましたが。いやあ……」

「その通り。僕は身分など気にしないよ」

 そう。レオポルドは誰に対しても愛想良く振る舞う。悪意を向けるのは私に対してくらいだわ。こんな話を何故、ジークが持ち出したのか。疑問に思ったけど。

「でも今、たかが男爵家と言いましたよね? 『たかが』の意味、ご存じですか?」

「…………」

「ご存じない? これはまた。レオポルド様ともあろう御方が意味もご存じない?」

「それくらい知っている!」

「では意味を言ってください」

「それは……」

「言えませんか? では俺が代わりに。『取るに足らない』という意味です。末席とはいえ貴族である男爵家を取るに足らないと思っているということは、平民に対して実際にはどう思われているのでしょうね?」

「…………」

 ジークの問いかけに対してレオポルドは口を閉ざしてしまった。その反応が意味することは明らか。
 身分制度を無視するようなレオポルドの行動を私はあまり快く思っていなかったわ。でも、人としては良いことだと考えていた。
 でもレオポルドのそれは所詮、偽善に過ぎなかった。平民のことを思っていたわけではなかったのね。そうすることで周りから良く見られようとしていただけだったのよ。

「今はその話は関係ない。問題はリーゼロッテの悪事だ」

 レオポルドは黙ってもエカードの口は塞がらなかった。

「どのような問題が?」

「お前も知っているだろ? リーゼロッテが今もユリアーナに嫌がらせを続けていること。ああ、お前も協力しているのだな」

「知りませんね。そんな事実はありませんから」

「事実だ。ちゃんと証人もいる」

「では、その証人を。リーゼロッテ様が何時、何をしたのか、詳しく話してもらいましょう」

「その必要はない」

「何故?」

「事実だからだ」

「それを証明することが告発する側の責任です。この国の司法制度をエカード様はご存じないのですか?」

 ジークは公爵家のエカードに対しても挑発めいた言い方をする。私の為だと分かっているけど、そうだから尚更、これは胸が痛かった。

「知らないはずがない」

「では証人を呼んでください」

「……呼べない」

「何故ですか?」

「その証人に対して、リーゼロッテが何をするか分からないからだ。その生徒もそれを恐れている」

「では、エカード様の口から話してください。それは何日の何時の出来事ですか?」

「それは……」

 答えられるはずがないのよ。私は何もしていないのだから。

「聞いていないのですね? 何時のことかも確認しないで、貴方は相手を責めている」

「だが実際にユリアーナのロッカーは酷いことになっていた。俺は自分の目でそれを確かめている」

「どうなっていたのですか?」

「泥だらけだった」

「中に入っていた荷物は?」

「幸いにも袋に入っていて無事だった。以前にもこういうことがあったから、ユリアーナもちゃんと備えていたんだ」

「それは用意周到ですね?」

「最初に貴方がやったことです」

 そこで、エカードたちの後ろに控えていた女が口をはさんできた。

「俺が?」

「一度見ました。貴方が私のロッカーにゴミを入れるところを。その時、わざわざ貴方は汚れないように荷物を袋に入れていましたよね?」

「ああ、そんなことありましたね。もしかして荷物を入れておいた袋って俺が用意したものですか?」

「そうです」

「じゃあ、返してください。あれは俺の物です」

 ジークがそんなことをしていたと初めて知った。私の命令に従う振りして、そんなことをしていたなんて……ジークらしいと思ったわ。

「今はそういう話じゃない。また、同じことをしたのよね?」

「俺がロッカーに泥を入れたと?」

「そうよ」

「……分かりませんね。証人という生徒は誰の姿を見たのですか? 俺ですか? リーゼロッテ様ですか? さっきはリーゼロッテ様がそれをしたと言っていました。でも今度は俺だと言う」

 女の説明の矛盾点をジークは突く。よく頭が回ると、他人事のように感心したわ。

「……リーゼロッテさんです。ちょっと言葉を間違っただけです」

「リーゼロッテ様が自らそれを? 貴女はリーゼロッテ様を馬鹿にしているのですか?」

「どうしてそういう話になるの?」

「嫌がらせの為に泥まで用意しておいて、どうして袋から荷物を出さないのですか? リーゼロッテ様はそんなことにも気が付かない馬鹿ではありません」

「それは、リーゼロッテさんも貴方と同じ考えで」

「なるほど。リーゼロッテ様はお優しいですからね。全くないとは言えません」

「ほら」

「でも公爵家のご令嬢であるリーゼロッテ様が泥を自らの手で? その点ではあり得ませんね。淑女が自分の手を汚すような真似をするはずがない。こんなことは貴族であれば、常識です」

 髪と手は貴族の女性にとって美の証。美しい髪や手を持つ女性は、言っては失礼ですけど、お顔の造りが少々あれでも周囲の憧れになれるのよ。

「そんなの嘘です」

「失礼ですが平民の貴女は、そう言った躾はされていないでしょうね? 別にそれを馬鹿にしているわけではありません。貴族には貴族として守らなければいけない約束事があるという事実を伝えているだけです。でも、貴族であるエカード様、レオポルド様がまさか知らないとは?」

「……知っている」
「俺もだ」

「誰よりも貴族らしくありたいと思っているリーゼロッテ様がそれを行うことはありえません。他の貴族家の女性の方々も考えられません。もし犯人がいるとすれば男子生徒か、平民の方ですね」

「……そうかもしれないね」

 エカードは自分たちが間違いを犯したことに気が付いて、顔を青ざめさせていた。レオポルドも複雑な表情だった。私はまたジークに助けられた。
 でも、ジークはそこで手を緩めたりはしなかった。

「さて、ここでお二人に聞くことがあります。証人という生徒は誰ですか?」

「それは……」

「もう隠す必要はありません。その生徒は他人を貶める為に嘘をついた犯罪者です。まあ、ないですけど、仮にリーゼロッテ様がその生徒に酷いことをしたとしても、リーゼロッテ様が非難を受ける道理はありません。庇う必要性は全くありませんよ」

「いや、だが……」

「証人はいないのですか?」

「いる。いるが俺は直接会っていなくて……」

「では、誰が?」

「…………」

 エカードもレオポルドも何も口には出さない。でも、ちらりと女に視線を向けた瞬間を私ははっきりと見たわ。始めから分かっていたこと。あの女の狂言だったのよ。

「貴女が知っているのですね?」

「わ、私は……」

 あの女の顔も真っ青になっていた。それを見た瞬間に私の気持ちは一気に冷めた。こんな人たちを相手にするなんて下らない。そう感じた。

「ジーク。もう、良いわ。誤解が解ければそれで良いの」

「……リーゼロッテ様がそうおっしゃるのであれば。でもエカード様、レオポルド様」

「な、何だ?」

「もう二度と、このような軽率な行動は慎んで頂けますか? リーゼロッテ様がお可哀そうです。それに男二人で一人の女性を責め立てている姿は、傍で見ていて見苦しいものでした」

「……分かった」

「レオポルド様は?」

「分かった。気を付けるよ」

 体格の良い二人に比べると、かなり小柄なジークの背中。でも私にはその背中がすごく大きく見えた。そして、その背中にそっと添えた手に伝わる温かさ。
 ジークの背中は広くて、とても温かかった。