月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

勇者の影で生まれた英雄 #10 中隊長就任

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 合同演習からしばらくして、グレンは三一○大隊長であるバレル千人将に呼び出された。
 千人将ともなると国軍の兵舎には居ない。王城の直ぐ脇にある王国騎士団の官舎に執務室を持っているのだ。
 バレル千人将の部屋に向かうグレンには微妙な視線が向けられている。銀髪で小柄、童顔で子供みたいなグレンが歩いていれば、今は注目の的になるのは当然だ。
 グレン自身はそんな事情は全く分かっておらず、国軍兵士が騎士団官舎に来るのが珍しいのだろうくらいの気持ちで廊下を歩いていた。

「おっ、ここだ」

 扉に書いてある番号を目当てに歩いていたが、ようやく目的の部屋に辿り着いた。

「三一○一○一○小隊、グレン! 参りました!」

 扉をノックして自分の名を告げる。しばらく待って、扉から顔を出してきたのは侍女の恰好をした女性だった。代々続く世襲騎士では、身の回りの世話をさせる為に実家から侍女を連れてくる者は珍しくない。バレル千人将もその一人だ。
 だが、グレンはそんなことを知らない。

「……失礼いたしました。出直して参ります」

 バレル千人将が女性を連れ込んでいるのだと思って、回れ右をして来た道を戻ろうとした。

「あのっ!」

「はっ」

「何を勘違いされているのか知りませんが、とにかくお入りください。バレル様がお待ちです」

「……はい。すみません」

 侍女の冷たい目にさらされて、グレンは自分の間違いを覚った。同時に冷たい目を向けるというのは、何を勘違いしたか分かっているはずだとも思っていたりする。

「グレン小隊長が参られました」

「ああ。グレン小隊長、そこに掛けてくれ」

「はっ」

 バレル大隊長に示されたソファにグレンが腰掛けると、侍女が声を掛けてきた。

「何かお飲みになられますか?」

「……いえ、大丈夫です」

 少し間を空けてグレンは断った。こういう場合にどうすれば良いか分からないので迷ったのだ。

「そうですか。バレル様は?」

「ああ。お茶を淹れてくれ。熱めが良いな」

「お湯を沸かしてまいりますので、少々お時間を頂いてもよろしいですか?」

「かまわない」

「では、行って参ります」

 優雅にバレル千人将に一礼して、侍女は部屋を出て行った。

「この部屋は初めてだったか?」

「はい。書類を持って官舎の入り口まで来た事は何度かありますが、中に入るのは初めてです」

「侍女を見るのも初めてか?」

「はい」

 これをバレル千人将が聞きたくなるほど、グレンの態度はぎこちなかったのだろう。

「まあ平民出ではな。それでも頑張れば、一代騎士くらいにはなれるかもしれないぞ?」

「自分には無理です」

 本音はなりたくありませんだが、これを口にしないくらいの分別はグレンにもある。

「……そうか。さて呼び出した理由は分かっているか?」

「いえ」

「合同演習では随分と勝手をしてくれたな」

「申し訳ありません。中隊長がおらず、それぞれが勝手に動いてしまいました。バレル千人将に恥をかかせてしまった事を謝罪いたします」

 グレンはつらつらと謝罪の言葉を述べた。あらかじめ考えてきた台詞だ。

「……バラバラにと言うが纏まって動いただろう?」

 グレンの説明は、バレル千人将が考えていることとは少しずれている。

「途中からは。最初の前進の時のお話ではありませんでしたか?」

 グレンは、わざとずらしているのだから当然だ。

「違う。勝手に持ち場を離れた事だ」

「持ち場をですか? そのような真似をした記憶はありません」

 怪訝そうな顔をして首を傾げているグレン。何を言われているのか分からない。グレンの態度はバレル千人将にはこう見える。

「反対の左翼まで行って、活躍したそうではないか。お前は手柄を立てたかもしれないが、私は大恥をかいた。自分の中隊が勝手に動いたのだからな」

 それでもバレル千人将は追求を止めなかった。

「そのような真似をした覚えはありません」

 グレンも惚けることは止めない。バレル千人将には惚けているようには見えていない。

「……そんなはずはない」

 少しバレル千人将は自分の話に自信を失ってきた。

「……ああ、左翼とは敵左翼の事ですか?」

「いや、違うが」

「確かに敵左翼には持ち場を離れて移動しました。ただ言い訳をさせて頂ければ、あれは大隊に関係なく命令が下されておりました。右翼後方に下がっている部隊は敵側面に回れと。それを持ち場を離れたと言われても」

 右翼には確かに本陣から命令が出ていた。混戦となった中で従来の指揮系統から異なる形で命令が発せられたのも事実だ。

「……本当に右翼に居たのか?」

 この説明を聞いて、バレル千人将はとうとうグレンの言い分を信じてしまった。

「はい。私の小隊だけでなく、中隊全体がそうだったはずですが」

「……人違いか。閣下も軽率な。しかし、どうするかな?」

 バレル千人将の表情には困惑が浮かんでいる。

「何がですか?」

「お前に辞令が出ている」

「えっ?」

 予想外の事態にグレンの表情が歪む。

「そんな顔をするな。降格ではなく出世だ。三一○一○中隊長を任ずるというな」

「どうして自分が? 他の小隊長の方が相応しいと思います」

 昇格も又、グレンには迷惑な話だ。中隊長昇進となれば、もう手当がどうこうではない。あまりにも目立ち過ぎる。

「どうやら、お前は演習で別の人間と間違われたようだな。左翼で活躍した兵士がいた。それとお前は間違われたのだ」

「では、その辞令は取り消しです」

「そう簡単にはいかない。そうだな。せっかくだ。貰っておけ」

 間違いによる辞令であれば取り消されるのが当然。だがバレル千人将はそうしようとしなかった。

「しかし」

「誰かがならなければならない」

「選考をやり直すべきです」

「その時間がない」

「何故ですか?」

「監察が入る。今日からだ」

「自分は何も知りません」

 昇進と視察に何の関係があるのか、グレンは理解していないのだが、とにかく拒否の姿勢を貫くつもりだ。

「それは分かっている。お前はただ中隊長として、監察がいう書類を出せば良いだけだ」

「……それで何か見つかったら自分の責任ですか?」

「それは……無いと思うぞ」

 グレンの指摘にバレル千人将は戸惑っている。ただ、グレンには悪い反応ではない。

「断言はされない訳ですか……」

 それでもグレンはこの言葉を口にする。中隊長昇進を阻止するネタになればと思ってだ。

「いや、絶対とは言わんが無い。監察の対象はお前が中隊長になる前の事だ」

「……そうですか」

 バレル千人将は案外あっさりと否定した。これで、この件で拒否するのは出来なくなった。

「観察に入られて困ることがあるのか?」

 グレンの反応をバレル千人将は誤解した。ただ質問は真実を突いている。

「自分は知りません。小隊長にもついこの間なったばかりですから」

 正直に話すつもりは、グレンには微塵もない。隠蔽する為に、これまで、それなりに苦労してきたのだ。

「頼むぞ。演習であんな事になって、更に監察で問題を指摘されては。私の立場がなくなってしまう」

「それを自分に言われても……」

 困惑した顔を見せるグレン。言われる筋合いは、充分にあるのだが。

「それはそうだが。しかし、又、記録更新だな」

 バレル千人将はいきなり話を変えてきた。

「記録ですか?」

「最年少最速小隊長。そして今度は最年少最速中隊長だ」

「バレル千人将。それは自分が中隊長になるという前提となっております」

「正式な辞令が出ているのだ。これは変えられん」

「どうしてもですか?」

「素直に喜べ。出世だぞ? いっその事、次は大隊長の記録でも狙ってみろ」

「それは、バレル千人将が……」

 大隊長の座を去るということになる。

「不吉な事を言うな」

「何も言っておりません」

「私だって上を目指している。お前が大隊長になるとしたら、私は将軍だ」

「大隊長になりたいとは」

「組織にいる以上、上を目指すものだ。大隊長にもなれば待遇は格別に良くなる」

 こうして官舎に部屋も与えられる。事実として大隊長と中隊長の待遇には大きな違いがある。千人を率いる指揮官として、軍議にも参加出来る立場だ。違いがあるのは当然だ。

「……侍女を雇えますか?」

「侍女は自費だ」

「では、結構です」

「お前な……昇進すれば給料も手当があがる」

「それは魅力的です」

「ではなれ。いや、辞令が出ている以上、これは命令だ」

「……分かりました。監察は今日のいつ?」

 どうにも撤回は出来そうもない。グレンは仕方なく受け入れることにした。

「私に連絡が入ったという事は、もう現場に居るのではないか? 監察は抜き打ちだからな」

「では、至急戻ります」

「ああ。ではグレン中隊長。今後とも励め」

「はっ!」

 

◆◆◆

 バレル千人将が言った通り、騎士団の官舎から戻ると、既に監察官が二人待ち構えていた。

「グレン中隊長だな」

「早いですね? さっき辞令を貰ったばかりなのですけど?」

 いきなり中隊長と呼ばれたことにグレンは驚いた。

「あらかじめ聞いていた。さて、早速だが中隊で保管している書類を全て出してもらおう」

「全てですか? ここに残っているのは一年分くらいで、後は……どこにあるのですか?」

「倉庫だ。全てといったのは、その、ここにある分を全てという意味だ」

「ああ、そういうことですか。何も知らないので、そう言って頂かないと」

 グレンは監察官に向かって軽く文句を言う。自分は何事にも不慣れな新人中隊長。これで通すつもりなのだ。

「……分かっている。早く案内してもらおう」

「では、こちらです」

 兵舎の中にある中隊の執務室に監察官を連れて、グレンは向かった。

「あっ、鍵を受け取っていない」

「……借りて来てある」

「先に言ってください。焦ったではないですか。では、どうぞ」

 監察官は取り出した鍵で執務室の鍵を開けて、中に入って行った。それに続いてグレンも中に入る。

「書類は、そちらの棚にあります」

「それで全てか?」

「自分が知る限りは」

「……まあ、良い。では見せてもらう」

 棚にある書類を次々とテーブルの上に広げていく監察官の二人。あっという間に、テーブルの上は書類で一杯になった。

「ちなみに片付けは?」

「……終わった後できちんと纏めておく」

「じゃあ、良いです。私はずっとここに居た方が良いですか?」

「そうだな」

「何か聞かれても何も答えられないですけど、良いですか?」

 答えられないのは知らないからでなく、教えたくないからだ。監察官には分かるはずがないが。

「……そうだった」

「もし許されるなら、部隊に一旦戻りたいのですけど? まさかの中隊長ですから、きちんと説明しないと。それに今後の事も色々と相談しないといけません」

「かまわない。ただ、私たちの作業が終わるまでは帰宅はしないでもらおう」

「それは何刻くらいですか?」

「そんなに遅くはならない」

「調練の時間が終わったら、図書室に行くのが日課なのですけど?」

「……必ずか?」

「日課ですから。図書室が閉まるまで居ますので、何か用があればどうぞ。それくらい良いですよね? 同じ兵舎の中なのですから」

「ああ、かまわない」

◇◇◇

 監察も三日目。グレンはその存在を気にする事無く、中隊の仕事を進めている。気にする時間がないと言った方が良い。やるべき仕事は色々とあるのだ。
 今日は小隊長を集めての会議だ。監察官が居る兵舎は使わない。かといってどこかに隠れる訳でもない。調練場で輪になって行っているのだ。
 近づくものがいれば直ぐに分かるというグレンの意見で、こうなった。

「自分の第十小隊には新任が送られてくるそうです」

「余所からですか。面倒な事だ」

 ボリス小隊長がグレンの報告に答える。お互いに敬語だ。さすがにタメ口は無理。これもグレンの意見だ

「前歴は二○五○八中隊長。降格ですね。それもトリブルテンという事は何かやらかしたか、別に理由があるか」

「調べておきましょう。問題を起こしたのであれば、すぐに分かるはずです」

「はい。お願いします。それと合同演習の評価報告書が届きました」

「ほう。結果は何と?」

「基本行動がなっていない。基礎調練からのやり直しが必要。簡単に言えば、そういう事です」

 評価としては散々である。最下位ナンバーズに相応しい評価だ。

「予想通りです。弓兵隊の記述はなかったのですか?」

「はい。ですので、読む必要もありません。ただ基礎調練は考えても良いと思います」

「何故ですか?」

「やり直すのは隊列とか行進とかではなく、もっと基礎です。走り込みなどの体力訓練」

「……なるほど。それは分かります。合同演習のあれはきつかった」

「確かに」

「あれほど遅れるとはな」

 他の小隊長も次々とボリス小隊長に同意していく。戦場を右から左へ全速力で横断して、そのまま戦いに突入したのだ。軍歴の長い小隊長でさえ、相当に苦しい思いをしていた。

「騎馬には勝てないにしても、もう少し接戦にしたかったですね。原因は?」

「中隊長の小隊以外が遅れた為。単純な走力不足です」

「はい。自分もそう思います。それを何とかしましょう。あんな事は二度としないでしょうけど、体力不足はさすがに拙いです。前線の戦いが後半刻でも続いていたら、走るどころではありませんでしたから」

 軍と軍との戦い。これは盗賊との戦いとは全く異なっていた。盗賊と違って、とにかく相手は簡単には崩れない。自然と戦う時間は長くなる。

「兵にきちんと説明したほうが良いですな。地味な調練を兵は嫌がります」

 この辺の気配りは、さすがに経験豊富なボリス小隊長だ。

「演習の反省は?」

「まあ、それなりに。ただ、うまく行き過ぎました。余計な自信を付けさせたかもしれません」

 もう少しで一矢報いるところだった。自信を持つのも仕方がないが、グレンはあれは僥倖だと思っている。たまたま上手く行った作戦で、自分たちは出来ると思われては堪らない。

「……それは不味いです。過信はもっとも避けないと」

「まあ、自分が悪者になりましょう。徹底的にしごきます」

「すみません。しばらくは第十小隊を利用してください。体力の差を見せつけられれば、少しはやる気になるでしょうから」

 グレンが鍛えた第十小隊だ。他の小隊よりは一歩上を行っている。

「そうさせて頂きます」

「では次ですね。勇者が動き始めました。まあ、公式の場に現れた事で予想は付いていた事です」

 合同演習の場に姿を現していた勇者。そうしても良い段階に来ていたということだ。

「具体的な実戦の予定は?」

「公表されていません。ただ、なぜか盗賊討伐に精鋭の一○一○一中隊が出ます」

 最上位ナンバーズ中隊が盗賊退治を行うなど聞いたことがない。

「なるほど。それに紛れて、まずは人殺しの練習ですか」

「はい。初めてで醜態をさらす可能性があるので、秘密裡にということだと思います」

 人を殺す事を、初めて経験した時の混乱は、程度の差こそあれ、この場に居る全員が経験している。

「本当に初めてなのですか? 勇者なのに」

「これは噂ですが、勇者は戦争のない国で生まれ育ったそうです。犯罪者はいても盗賊なんて呼ばれる者も遥か昔に居なくなっていて、人々は武器も持たずに、街から街へ移動出来るそうです」

「そんな勇者で大丈夫なのですか?」

 この世界では想像もつかない平和な国。それを羨ましがるよりも、平和な世界から来た勇者が心配になってしまう。

「それでも異常に強いそうですから。百人将では稽古にならず、千人将が相手をしているそうです」

「詳しいですな。どこからそんな情報を?」

「侍女という人たちは噂好きで。しかも偉い人たちに付いているから情報通なのです」

 グレンの話を聞いて、小隊長たちは呆気に取られた。いつの間に侍女に近づいたのか、それが全員の共通の思いだ。

「中隊長。大丈夫ですか?」

 第二小隊のネイサン・スコット小隊長が心配そうに尋ねてきた。

「何がですか?」

「噂では中隊長の妹さんは、美人だけどブラコンで、ヤキモチ焼きで怖いと」

 これを話すスコット小隊長の顔は笑っている。心配そうにしていたのは演技だとこれで分かった。

「カルロの奴……」

 だが、グレンの怒りは、スコット小隊長ではなく部下のカルロに向いた。こんな話を広げるのはカルロしか居ないと決めつけている。

「別に口説いた訳ではありません。少し仲良くなっただけです。それに話さなければ平気です」

「まあ、そうですね」

「さて、勇者の動きはその盗賊退治次第ですね。あまりに酷ければ、次はずっと先になるでしょう。そうでなければ、次は何か戦功をあげられる相手。相応しい相手の情報はありましたか?」

 脱線はここまで。グレンは勇者に話題を戻した。

「いえ、王都周辺は盗賊の噂くらいです。直ぐにとなると遠征になります」

「いきなり遠征はないと思いますけど……まあ、油断は出来ませんか」

 遠征以前に、第三軍が勇者に同行する可能性は低い。それでもグレンは警戒を怠るつもりはない。勇者の戦いに同行。これは最悪の状況に思えるからだ。

「……そろそろ監察のお話を聞きたいのですが?」

 ボリス小隊長が代表して説明を求めてきた。
 グレンの話を聞いていても、小隊長たちの一番の関心はこれに向けられている。下手をすれば自分たちの処分にまで発展することだ。無理はない。

「懸命に調べています。良い傾向です」

「そうなのですか?」

「すぐに見つかると思っていたものが見つかっていない証拠です。それに書類は本当に全てかと何度も聞かれました。もしかしたら、中隊長の家にも押しかけているかもしれません」

「あるのですか?」

「ありません。そんなものを残す必要はありませんから」

 書類は改ざんされている。その証拠となるものを残しておくはずがない。

「では、何事もなく」

「さすがに、それは無いです。それに完璧なのは却っておかしいですよね?」

「そういうものですか」

「どうにもならなくなれば、そっちに切り替えるでしょう。わずかな額です。帳簿や書類の記入ミスですから」

 これはグレンが撒いた餌だ。これに監察官が食い付くかどうか。食い付けばグレンの勝ちだ。

「最後まで追求することはないのですか?」

「絶対と言いませんけど、その可能性は低いと思います。監察局には監察局の矜持というものがあるみたいです。これはそれとなく軍制局の人に聞きました」

「矜持とは?」

「一つは入るからには絶対に不正、そうでなくても不備を見つけるというもの。そして、もうひとつは自分たちが見つけられなければ不正はないという事」

「それは又」

「後者は監察に入られる側にとっては都合の良い矜持です。だから過去に遡らないそうです。年に一回の監査で指摘されなければ不正はない。ちゃんと調べてなくてもそうなるようです」

「だから不正がなくならないとは思わないのですか?」

「それよりも自分達の失敗を認めたくないのでしょう。監察官だって生活がありますから」

「まあ、そうですね」

「監察期間は後二日。それを伸ばすこともない。入った監察官の恥を晒すことになるからです。その二日を乗り越えれば、大丈夫です。まあ、今更何もしませんけど」

「そうですか。乗り越えられて欲しいものです」

 グレンの言う通りだとすると、今回の監察を乗り越えれば、これまでの不正は全て無になる。これは事情を知る中隊の者たちにとって、これほど有り難いことはない。

「それに絡んで、一つ言っておくことがあります」

「何ですか?」

「もう限界です。止めた方が良い」

「それは……」

 グレンが何を言いたいのかは分かっている。だが、ボリス小隊長に答えられることではない。

「別に自分の手を汚したくないから言っているわけではありません。軍組織は大きく動きます。監察や監査も軍政局の管理態勢も強化されるでしょう。これまでのようにはいかないと思います」

「何故、そんなことが分かるのですか?」

「元帥閣下が張り切っています。どうもご老人というのは過去を美化してしまうようで、今の軍が駄目に見えて仕方ないようです。昔から不正はあったはずなのに」

「あの……中隊長は元帥閣下をご存じなのですか?」

 グレンの話は、どう聞いても話したことがあるとしか思えない。

「はい。別に親しい訳ではありません。以前に一度、図書室で会っています。その時は元帥閣下だとは知りませんでしたけど。そして昨日。二度会っただけです」

「それで話をしたと?」

「望んでのことではありません。図書室に居たら怒鳴り込んできました」

「はい?」

「何故、嘘をついたのかと。演習の一件を大隊長に向かって惚けた事が、もう耳に入ったようで」

「それは又……早いですな」

 元帥など兵士にとっては雲の上の存在だ。その雲の上の存在が一中隊長に文句を言いに来るという状況が、ボリス小隊長には思い浮かばない。

「大隊長が頑張って広めているようです。自分の立場を守る為ですから必死ですね。それで騎士団内に、あっという間に広まって元帥閣下の耳にまで届いてしまった。良いことですが、困りました」

 バレル千人将にしてみれば、グレンたちの行動は自分の功績になるどころか、部下が指示に従わずに勝手に動いたというマイナス評価になってしまうのだ。

「元帥閣下には真実を?」

「まさか。怒鳴られようとずっと知らないと言い続けました。納得はしていないようでしたが諦めてはくれました。それで今度はさっきの話になったのです。軍を変えなければならないと。中隊長の自分に言っても仕方がないのに」

「逆に将軍には話しづらいのでは」

「あっ、確かにそうですね。自分であれば愚痴で済みますが、将官相手に話しては。ただ、元帥閣下に目を付けられた中隊長っていうのが……」

「問題ですか? 引き立てられる可能性があります」

「そんなことは望んでいません。そういうことで就任三日目で申し訳ないですけど、監察が無事に終わったら、自分は退役します」

「「「なっ!?」」」

 まさかの宣言に、小隊長たちが一斉に驚きの声をあげた。

「何故ですか!?」

 問いを発したのは、やはりボリス小隊長だ。

「万一があります」

「その万一とは?」

「元帥閣下の思い付きで、勇者に同行させられる事」

「あっ、それは……」

 これは完全には否定出来ない。それどころか、元帥が一中隊長を気にするという異常さから、充分に有り得ると思えてしまう。

「そうなったら皆さんも巻き込まれるかもしれません。盗賊退治で済めばまだ良い。でも先があったら? それは本物の戦場です。盗賊退治とはわけが違います」

「……確かに」

「自分は死にたくありません。無事に軍歴を終えて、家族二人で穏やかに暮らしたいのです。だから勇者と関わるなんて真っ平ごめんです」

「我等もです」

「なので、そのつもりでいてください。お願いします」

「……仕方ありませんな」

 グレンが妹との生活の為に、軍で働いていることは皆知っている。それを捨てて、残れとは言えなかった。

「ただ、勇者と関わらなくても戦況次第では第三軍も戦争には参加する事になるかもしれません。残る人たちはそのつもりで、生き延びる為の鍛錬を怠らないでください」

「「「はっ」」」

 これが実現すれば、又、グレンは記録を作ることになるだろう。最速中隊長就任からたった一週間での最速退任の記録を。