リオンが侍女の情報を色々と突き合せて分かったことは、エルウィンをウィンヒール侯家の後継ぎにしようと画策している従属貴族はウスタイン子爵以外にも居るという事実だ。
しかも、それを同じ侯家のアクスミア家が支援しているという最悪の状況。
他家が何を言おうと関係ないとは言い切れない。三侯家は王国の支え。王家と三侯家が揃ってこその王国の力だ。
その後継ぎともなれば、自家だけの問題では終わらずに、王家の意向が影響を与えることも珍しくはない。
そして王家の判断に、他の侯家の意見は影響を与える。
アクスミア家が、ウィンヒール家の後継ぎには問題があると言えば、国王はそれを無視出来ないのだ。実際にどうかを調べ、本当に望ましくない者であるなら、それをウィンヒール家にそれとなく伝えることになるだろう。
いくら溺愛しているとはいえ、王家の意向をウィンヒール侯爵が無視出来るのか、リオンには疑問だ。王国の侯爵としての在り方を何よりも大事にするという考えをヴィンセントに植え付けたのは、ウィンヒール侯爵なのだ。
今の状況は、すでにエルウィンがヴィンセントに成り代わる下地が出来上がっているといって良い。
こうなると学院でヴィンセントの評判を上げるどころではない。敵の攻勢を何とか防がなければいけない状況にまで追い込まれていた。
一従者に過ぎないリオンでどうにかなる状況ではないのだが、何もしないで諦めるつもりはなかった。ヴィンセントはリオンにとって恩人だ。そしてリオンは、ヴィンセントは侯家の当主に相応しいと本気で思っている数少ない人物の一人だった。
今も事態の打開をどうすれば図れるか、リオンは頭を悩ませているのだが、いくら考えても妙案が浮かばない。
そこでヒントを得られないか周囲に聞いてみる事にした。
「アイン。お前は親分の座を狙っていないのか?」
「えっ? い、いや、滅相もない。お、俺が大将の座を狙うはずが」
こんなことを本人に言われれば、言われたほうは動揺するに決まっている。アインも自分の身に危険を感じて、思いっきり焦っている。
「あっ、そういうことじゃなくて」
「……じゃあ、どういうことで?」
「親分の座を狙っている奴が居て、そいつは親分よりも周りの評価が高い。そういう状況で、親分はどうすれば良いと思う?」
「殺すんですね。死人は親分にはなれません」
「そうだよな」
リオンは殺すことに納得したのではなく、こういう答えしか返ってこないだろうなと思っただけだ。貧民街の悪党に聞くのが間違っているのだ。
ただ全く間違った答えでもない。死んだ人間は確かに後継ぎにはなれない。
この案に飛びつかないのは、それを行った場合の影響を考える頭がリオンにあるからだ。急激に地位を脅かしている競争相手が殺されることになれば、当然、ヴィンセントが疑われる。周りの評判は、これ以上ないところまで落ちるかもしれない。
国王や他の侯爵家にも疑われることになれば、後を継いでも苦労が待っているだけだ。ウィンヒール侯家の影響力も大きく損なわれることになるだろう。
それはリオンの望むところではない。
「殺さないで、何とかするとしたら?」
「脅します」
アインの答えは、やはり犯罪から離れる事はない。
「……言うこと聞かなければ? 聞かないだろ? 親分の座を狙おうという奴だ」
「そうですね……親分の座を諦めるくらいの弱みを握って脅します」
「……なければ?」
「いや、どんな人間でもこれだけはってものがあるはずです」
「仮の話として、なければ?」
「面倒な相手ですね……無いなら作ります。男だと女性関係で罠にかけるか、博打にのめり込ませて借金させるってところで」
アインの答えは、どこまでも非道な考えだった。それでもやはり間違いではない。人を蹴落とそうというのだ。綺麗事では済まない。
「ありがとう。参考になった」
「いえ。それで、その……」
「何?」
「そろそろ準備が出来たようです」
「ああ、分かった。じゃあ、部屋に入れて」
「はい」
リオンの許可を得て、アインは部屋の外で待機していた者たちを呼び入れる。入ってきたのは色とりどりのドレスを纏った女性、娼婦たちだった。
リオンが今日、貧民街に来ているのは、この為だ。エアリエルが着なくなって捨てるだけだったドレスを、貧民街に持ち込んだのだ。
それを娼婦に着せて、雰囲気だけでも高級感を出そうと考えたのだが。
侯爵家の令嬢であるエアリエルの物だっただけあって、どれもかなり高価なドレス。明らかに娼婦たちは衣装に負けている。
「……ちょっとあれかな?」
「あれですね。俺でも判ります」
「だよな。使えないか」
「いや……もう少しあれにすれば」
「あれって?」
「どうせ脱ぐのですから、ゴテゴテしたのは止めにして。何なら、一番上の透き通る生地の部分だけを着せるってのは?」
アインの提案がリオンの頭の中にイメージとして浮かんでくる。素肌の上にスケスケのドレスを着た女性。
「……いやらしくないか?」
「娼婦ですから、いやらしくて良いんです」
「それもそうか。ドレスの加工が出来る人は?」
「やらせます」
「じゃあ、そうしよう。一つのドレスでいくつも作れそうなのも良いな」
「はい。では衣装はこれで」
「ああ」
ドレスのお披露目の終わりを告げて、下がるように娼婦に命じたのだが、中々娼婦たちは部屋を出ようとしない。
目的は一目でわかる。誰も彼もがリオンに向かって、しなを作ってアピールしている。親分に気に入られて良い思いをというところだ。
それが成功することはない。彼女たちは知らないが、リオンは女性の露骨な誘いには嫌悪感しか覚えない性質だ。
視線を一切向けること無く、眉を顰めているリオンの様子で娼婦たちも察したようで、名残惜しそうにしながらも部屋を出て行った。
娼婦たちの姿が消えたところで、ほっとした様子でリオンは軽く息を吐いた。それだけ娼婦たちの態度はリオンにとって負担だったということだ。
「ドレスの加工にどれくらいかかるか、確認しておいて」
「はい」
「建物は思っていた以上に綺麗になっていた。あれを維持するように。持ち込んだタオルも頻繁に洗って、常に清潔にしておく事」
タオルも又、ウィンヒール侯家からの持ち込みだ。侯家ではすでにゴミだが、貧民街に持ち込むと上等なタオルとなる。
「はい。その役目の者は確保しました」
「早いな」
「それはそうです。掃除と洗濯をして金を貰えると聞けば、誰もが手をあげます」
「じゃあ、良い人を選べたのか?」
「まあ。貧民街には珍しい真面目な者を選びました」
「それで良い。あと、湯沸し場は?」
「もう少しです。しかし……いえ……」
「何だ? 気になる事かあるなら言う様に」
「……さすがに贅沢ではないですか? 何にでもお湯を使うなんて」
実際に贅沢だ。体をお湯で洗う。これを経験したことがある者は、貴族くずれを除けば、貧民街にはいないはずだ。それは表通りの都民だって同じようなもの。
だが、この贅沢感こそがサービスになるとリオンは考えている。それに湯沸かし場の目的は他にもある。
「お湯を沸かす場所と人を確保出来れば、贅沢じゃない。燃やすものはそれこそ腐るほどある」
「まあ」
「ゴミの量が減って、水も消毒される。手間以外は良いことばかりのはずだ。ただ火事は絶対に起こさないようにしなければならない」
異世界の記憶を持つリオンにとって、貧民街の環境は最悪。人が住む場所とは思えない。それを少しでも何とかしたいと思って、考えたのがこれだった。湯沸かし場はゴミ焼却場でもある。
「はい。土を盛ったところに、また穴を掘って、更に周りを石で囲むようにしています。火が周囲に漏れることはそうないかと」
「そう。面倒な仕事だけど、何とか続けさせるように」
「それは全く問題ありません」
「そうなのか?」
「それで金がもらえるとなれば、希望者には苦労しません」
「……仕事ないからな」
力仕事で金がもらえるなら、これ程良いことはない。何といっても、警吏に捕まる心配も命の危険もない。
貧民街の住人にとっては、リオンの仕事は美味しい仕事ばかりとなっている。
「あとは接客態度か。それは?」
「俺が見る限りはかなり良いかと」
「教えている人は何て言っている?」
「全員が合格とはいかないと。面倒だと嫌がる娼婦も多いですから」
「……やる気の問題か。全員の合格を待っている訳にはいかない。合格者と不合格者で手当に差を付けよう。ああ、いっその事、稼ぎでも順位を付けるか」
「順位?」
「指名数とかで人気順位をつけて、受付に表示するとか?」
写真ないのかな、あったら並べるのに、なんてことも心の中で亮だった部分が考えたりしている。未成年であった亮の知識だ。どれも拙いものだが、貧民街の者たちには、どれも目新しい考えだった。
「それで何を?」
「客が選べるようにする。当然、選ぶ場合は別料金」
「……考えてみます」
アイディアは良い。だが人気のない娼婦にどう客を取らせるかという問題がある。このような微調整は、アインたちの仕事だ。
「準備が出来たら、いよいよ始める。リニューアルと同時に口コミ要員も展開だ」
「はい。ただその前に」
「何か?」
「娼婦の質をもう少しなんとかしたほうが。手間をかけて良い評判を広めても、客が嘘だと言えば、それでもう……」
「そうならないようにやっているだろ?」
「いえ、躾ではなくて見た目のほうです」
「……まだ駄目なのか?」
人の美醜の判断が何故か苦手なリオンだった。亮の部分に聞けば分かるのだが、それもしようとしない。見た目を判断すること自体を嫌悪している為だ。
「親分に比べればどれも……」
すぐにリオンの視線が冷えたものに変わる。こう言われることが嫌なのだ。
「すみません」
「……何とかするって?」
「新しい女を、それも上物を何人か仕入れることを考えないと」
「……スカウト?」
「はい? 何ですか、そのスカ何とかって?」
「綺麗な女性を見つけて、娼婦になりませんかって、声を掛けて……なるはずないか」
「まあ」
「じゃあ、他の店からの引き抜き……も駄目だな。今は事を荒立てる時期じゃない」
「はい」
「じゃあ、どうする?」
「金を使うお許しが頂けたら、普通に仕入れてきます」
「あっ、そう。仕入れられるのか。ちなみにどうやって?」
「金に困っている家から買ってくるか、もう奴隷になっているのを買うかですね」
「……だよな。高そうだな」
亮の道徳心を無理やり心の底に押し込んで、リオンは会話を続ける。
「それなりに。まあ、質によってです。始めはそこそこで良いかと」
「そうなのか?」
「貧民街の娼婦に客はそんな期待してません。安いから、それだけが訪れる理由です」
「それで、まあまあであれば。期待していなかった分、評価はあがるか」
「はい」
「分かった。じゃあ、許可する」
元々の目的が何だったのかも忘れて、すっかり貧民街の親分稼業に真面目に取り組んでいるリオンだった。
◇◇◇
リオンが貧民街の勢力を掌握した理由の一番は、自分のせいでヴィンセントに迷惑を掛けない為だ。侯爵家で、それも嫡子に仕えているなんて知れれば、うまい汁を吸おうと寄ってくる者が必ず出てくる。
専任従者であるリオンが、元貧民街の孤児だったという事実も、ヴィンセントの評判を落とすことに繋がる可能性がある。そういった様々なリスクを防ぐ為だった。
だが、それだけであれば、力を見せつけて押さえつければ良い。リオンが自分の勢力の拡大に取り組んでいるのは、別の理由があるからだ。
世論を作り上げること。その元に貧民街の住人を利用する為だ。
随分と大それた計画である。それでも出来る可能性があるなら、リオンはそれをやらないではいられない。
自分の出来ることなど高が知れている。やっていることと矛盾している、その思いが、どんな困難な計画に対しても、わずかな可能性があるならやるべきだ、という思いをリオンに抱かせていた。
そしてリオンは又、一つの行動を取っている。状況を打開する糸口を求めて。
ウィンヒール侯爵家の王都屋敷は広大な敷地を有している。
侯爵家の家族が住む建物の相当に大きなものだが、それだけではなく、王都駐在の侯家騎士団や数多く居る使用人とその家族の為の住居など、いくつもの建物が敷地内にはある。
それであっても、森というと大袈裟だが、それと錯覚してしまうほどの、豊かに木々が生い茂る広い庭があるくらいの広さだ。
その庭の中をリオンはゆっくりと進んでいる。周囲は高い木に囲まれていて、王都の中とは思えない。
庭の中を走る小道は、きちんと整備されていて、それがこの場所が自然の森ではないと分からせてくれるのだが、今、リオンが歩いているのは、小道からは大きく外れた場所。
年に数回しか、人の手が入らないその場所は、草もそれなりの高さにまで伸びていて、自然のままの雰囲気を見せている。
リオンの目的が自然散策のはずがない。目的は、先にある建物を確認する事だ。
やがて、木々の間から目的の建物が見えてくる。それはリオンが思っていたよりも、ずっと大きな建物だった。
庭の切れ目まで行って、外観を確認したら、今度は裏に回って、などと考えていたのだが。
「誰!?」
いきなり誰何の声が飛んでくる。木に隠れていて見えなかった人が居たようだ。
「驚かせて申し訳ございません。この辺りは来た事がなくて」
あらかじめ用意しておいた言葉で、それに答える。意識して落ち着いた様子を作って、更に前に足を踏み出した。
それで木の影に隠れていた女性の姿が見えた。庭先にテーブルを出して、優雅にお茶を飲んでいたようだ。
顔には出さないが、内心では、これだけのものに気が付かなかった自分の失敗を、強く反省している。
「……どなたですか?」
女性の口調が少し変わった。
「従者をしておりますリオンと申します」
「……どうしてここに?」
「それが、ただの散歩です」
「散歩?」
「時間が出来たので、これまで来た事がない場所を散策しようと思いました」
「……それで、こんな所から?」
「……あっ、そうですね。ご不審も当然です。道を避けたのは、ブラブラしていると他の人達に白い目で見られるかと思いまして。他の方々は仕事中ですから」
それっぽく演技しているが、これも用意していた台詞だ。
「そう。貴方、お名前は?」
「リオンと申します」
「お仕事は何を?」
「ヴィンセント様の従者をしております」
「まあ、そうなの。それは……大変ね、なんて言ったら怒られるかしら?」
少し首を傾げて無邪気な笑いを女性は見せてきた。リオンよりはずっと年上で、整った顔立ちの女性だが、こういう仕草をすると、愛らしさを感じてしまう。普通の人であれば。
「いえ。仕事はどれも大変なものです」
「真面目なのね。私の事は知っているのかしら?」
「申し訳ございません。存じ上げておりません」
「そんなに畏まらないで」
「ですが、使用人ではない訳ですから」
「どうして、そう思うの?」
「昼間から庭でお茶を楽しむ使用人はいません」
「……そうね。でも、リオンくんは使用人なのに昼間からブラブラと散歩しているわ」
「……そうですね」
実に親しみを感じさせる女性の態度。こういう態度で接してくる人は、リオンにとって初めてだ。
「隣に座って。お茶を用意するわ」
「いえ。結構です」
「少し話に付き合って欲しいの。一人では退屈だから……」
今度は伏し目がちになって、寂しそうな表情を見せる。愛らしさとは正反対の、儚げな雰囲気を女性は纏っている。
「立ったままでもお話は出来ます」
「それだと私が話し辛いの。お願いだから座って」
「……畏まりました」
「それも。もう少し柔らかい口調で話せないかしら?」
「……分かりました」
「良かったら飲んで。歩いて来たのなら、喉が渇いたでしょ?」
そう言って、女性は自分が飲んでいたカップを差し出してくる。リオンの知る限りは、かなり非常識な行動だ。
「大丈夫です」
「私が口を付けたものですものね? やっぱり、お茶を煎れるわ」
「いえ、結構です」
「もう、じゃあ、これは命令よ。私のお茶に付き合いなさい」
「……どうしてもと言う事でしたら、私が煎れます」
「煎れられるの?」
「従者ですから」
「……従者の仕事にあったかしら?」
普通の従者はしない。ヴィンセントが侍女を近づけなくなった事で、リオンがやるしかなくなった為だ。
「ただ、お湯と茶器の用意をしなければなりません。屋敷に入って宜しいですか?」
「……そうね。だったら、侍女に頼めという話ね」
「お側に居ないのですね?」
「この時間は誰にも邪魔されずに、一人で過ごしたいの」
「それは失礼いたしました」
「良いのよ。本宅の人とこうして話が出来るなんて、滅多にない事だから」
又、女性は寂しげな雰囲気を身に纏った。
気分によって、ころころと雰囲気が変わる。その変化に戸惑い、見せる雰囲気に惹きつけられてしまう。普通の人であれば。
「エルウィンに会った事があるのかしら?」
「ございません」
「そう……」
「エルウィン様をそう呼ぶという事は、もしかして貴女様はエルウィン様のお母上ですか?」
何て尋ねているが、リオンは最初から相手が誰だか分かっていた。侯爵の側室ユリア。彼女を見るためにここに来たのだ。
「ええ、そうよ」
「それは失礼しました」
そう言いながらリオンは素早く席を立った。それを淋しげな表情で見つめながら、ユリアは口を開く。
「側室とは話は出来ない?」
「いえ。同じテーブルにつくなど無礼にあたると思いましたので立ちました」
「……本当に真面目なのね」
「侯家の従者として当然の事です」
「貴方のような人がエルウィンの従者であれば良いのに。年も近いようだから、良い話し相手になってくれそうね」
「それは無理でしょう」
「エルウィンの従者は嫌かしら?」
「私がどう思うかは関係なく、周囲がそれを許しません」
「……信頼されているのね?」
少し空いた間。その間の意味をリオンは考える。表面では普通に会話を続けながら。
「いえ、そうではなく、エルウィン様の周りの方が許さないと思います」
「そう……」
「エルウィン様には私と比べる事も出来ない程、経験豊富で、優秀な従者が付いているはずです」
一応、これはウォルに対する嫌味なのだが、ユリアに伝わる事はない。
「ウォルさんは、優秀かもしれないけど……」
「何か問題が?」
「……リオンくんに相談する事ではないわね。これは私の問題」
今度は意味ありげな発言をしてきた。普通だと何の事かと気になる所だが。
「そうですか。では忘れます」
「忘れる?」
「余計な情報は、偏見を生みます。それは良くない事だと思います」
「……そうね」
リオンは全く気にした様子もなく、話を終わらせる。
「では、私はそろそろ戻ります」
「そう……ねえ?」
「はい。何でしょうか?」
「従者は無理でも、こうして時々はここを訪れてくれないかしら?」
「お約束は出来ません。私は今、ヴィンセント様の御付きとして王国学院に行っております。屋敷に居られるのは休暇中だけです」
「そうだったわね。では、その休暇の時だけでも良いわ、私はここにずっと居るだけだから、本宅や外の話を色々と知りたいの」
「……今日のように時間が空けば」
少し考える、振りをして、リオンは答えを返した。
「もう、真面目すぎ。やっぱり、エルウィンの従者になって欲しいわ。それが無理でも仲良くして欲しい。エルウィンも来年は学院だから、その時は力になってあげてね」
「そうでしたか。私にお力になれる事があるとは思えませんが、出来る事があれば」
「それで良いわ。お願いね」
ユリアは立ち上がってリオンに近付き、いきなり手を握って、真剣な顔でこう告げてきた。ユリアの青い瞳がじっとリオンを見詰めている。
「出来る範囲で」
このユリアの行動に対しても、リオンは何の反応も示さなかった。
「……ええ」
そして、又、間が空く。ユリアのこういった一つ一つの反応をリオンは観察している。予定外の出来事とはいえ、話す機会を得られたのだ。この機会を活かさない訳にはいかない。
「では、これで失礼いたします」
「私の名前は」
「知っております」
「そう。それで聞かないのね」
「いえ。貴人に対して、むやみに名を尋ねるのは無礼だと」
「そうなの?」
「従者の心得にそんな記述があったと記憶しています」
「そう……もしかして名前を呼ぶことも?」
「いきなり、名を呼ばれるのは、良い気持ちがしないのではないですか?」
「そうね。でも、リオンくんなら平気よ」
「……分かりました。では、ユリア様。私はこれで失礼いたします」
「ええ。又ね」
これには返事をする事なく、リオンは後ろを向いて来た道に戻る。
先程までの取り繕った表情は消し去って、素の、それも貧民街に居た頃のような、不敵な表情に変わっている。
リオンも演技をしていたが、それはユリアも同じだった。会ってすぐにリオンにはそれが分かった。
今のリオンは黒い眼帯をしている。そんな怪しい者をどうして従者だと、すぐに納得出来るのか。始めから、リオンの事を知っていたからに決まっている。それなのに、知らないような振りをして、話し掛けて来ていた。
何故、そんな事をするのか――会話を続ける中で、それも分かった。リオンを籠絡して、エルウィンの味方に引き入れる為だ。
ユリアは自分の魅力をよく理解している。理解していて、それを利用している。
瞳の中に浮かんでいた相手への媚び、それでいて蔑んでいるような、複雑な感情の色をリオンが見逃す事はなかった。それはリオンが何度も何度も見てきたものだからだ。
リオンの中に、わずかに残っていたユリアへの同情は消えた。ユリアは自ら望んで、今の立場にあり、更なる野心を実現しようと動いている事が分かったからだ。
ユリアは敵。リオンの中で、そう確定した。そうなれば、ユリアの弱みを探る事が必要になる。それも難しい事ではなさそうだとリオンは考えている。
ユリアは他人を籠絡し、利用しようとしている。そこには必ず悪事が存在するはずだ。リオンにはそれが分かる。何故なら、リオンも同じ事をしているからだ。