月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

四季は大地を駆け巡る #25 影の支え

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 クラウディア第一王女の部屋の隣。そこに小さな隠し部屋がある。本来の目的は刺客などから逃れるために一時的に隠れる為の場所だが、今は別の目的で使われていた。
 彼女を監視するための部屋だ。その部屋で今、小さな騒ぎが起きている。見張り役たちはクラウディア王女の所在が分からなくなっているのだ。

「どういうことだ?」

「部屋に戻ってこないどころか城内にも見当たりません」

 いつもであればとっくに部屋に戻ってきている時間。だがクラウディア王女の姿は見えない。それどころか城内を探しても所在が掴めなかった。

「あの男のところじゃないのか?」

「あの男は今日城を出ました。もうここにはいないはずです」

「なんだと?」

 クラウディア王女が侍女のふりをして活動していることは当然、見張りたちも把握している。ヒューガの部屋に毎日通っていることも。それを咎める立場に見張りたちはない。彼等の役目はただクラウディア王女の動向を監視し、それを報告すること。
 その監視もここ数年はかなり甘いものになっていた。
 最初の頃こそ、それこそ一挙手一投足まで監視され、事細かに報告されていたが、戻ってきた当初に魔族に好意的な発言を行った以外は一切怪しいところは見つけられなかった。
 それが何年も続けば疑いも徐々に薄れる。監視を進言したグラン、そしてその進言を受け入れて命令を発した国王の二人はもうクラウディア王女への疑いを解いている。監視を解除する機会がなかっただけだ。
 国王からの特命ということで当初は張りきっていた見張り役も上のその雰囲気を感じ取り、かつての緊張感は完全に失っていた。もともと退屈な仕事なのだ。

「どこまで確認できている?」

「いつものように侍女の恰好をして、控室にいったのは確認しています。その後、あの男の見送りに城の正門の方に向かったはずなのですが……すみません。油断でした」

 把握しているクラウディア王女の足取りはそこまで。だがここまで分かっていれば、怪しい者は絞られる。

「そうなると、やはりあの男が怪しいな」

 ヒューガしかいない。見送りを目撃していなくても怪しむだろうが。

「しかしあの男は勇者と一緒に召喚された人間です。魔族との関わりはないでしょう?」

「そうだとしても王女殿下とかなり親しくしていたのは確かだ。それを良いことに、たぶらかした可能性はあるだろう」

「はあ」

 ヒューガが怪しいという考えは同じ。だがクラウディア王女がそんな簡単に誑かされるのだろうかという疑問は思っている。

「さすがに王都の外に出るのは難しいと思うが失態には違いないな。グラン様には?」

「まだです」

「隠しておくわけにもいかないか。すぐに報告に向かえ。俺は先に城下に捜索にいく。グラン様への報告が終わったら、手の者を回すように手配してくれ」

 現状の確認を終え、クラウディア王女の捜索に移ろうとした見張りたち。

 ――それは困りますね。
 
 その見張りたちの耳に突然聞こえてきた声。

「……どこだ?」

 だがその声の主の姿が見えない。

 ――貴方たち本当に密偵ですか? 仕方ないですね?

 この声と共に、何もなかったはずの壁から男が浮かび上がってくる。

「な、何だ?」

 漆黒の装いに白い肌。だが顔は何故かぼやけていて良く見えない。ただ一点。異様な程、真っ赤な唇だけが浮かび上がっている。

「はあ。もう一度聞きますが貴方たちはこの国の密偵ですよね? この程度で驚かれては同じ密偵として、こちらの方が恥ずかしくなります」

「密偵だと?」

「だから、大きな声で叫ばないでもらえますか? こちらが音を遮断しているから良いものの。常に沈黙の中で行動するのが、本来の我らの仕事。まあベラベラと話している私も人のことは言えませんけどね。ちょっと沈黙が長かったのでね。さすがにこれは許してください」

「お前……何者だ?」

 相手は密偵を名乗った。では一体、どこの密偵なのかということになる。ただこれを聞く見張りはすでに相手の答えが分かっている。

「誰だと思います?」

「……魔族か?」

 男の常人とは、密偵が常人かは別にして、思えない姿から見張りはこの可能性に気付いていた。

「正解! それに応えて、名乗ってあげたいところですが、あいにくそういうわけには参りません。名無しのままでお願いします」

「誰かーっ!」

 叫ぶ声をあげる見張りの男。自分と味方の二人だけで魔族に勝てる自身はない。それ以前に魔族の存在を他に知らせなければならないという思いもある。だが。

「だから叫んでも無駄です。この空間は遮断されていますから」

 見張りの叫びは他の人には届かない。そういう魔法がすでに施されているのだ。

「……俺達をどうするつもりだ?」

「決まっているでしょ? 貴方たちには死んでもらいます。前から貴方たちのことは気に入らなかったのです。姫の寝顔を無神経に覗くは、あろうことか着替えまで。女性に対する振る舞いではないですよ? 魔族にも劣る恥知らずってやつです」

「姫? それはまさか?」

 魔族がいう姫とは誰か。問うまでもない。クラウディア王女だ。

「貴方は知らなくていいことですが、変な誤解を持ったまま死なれるのは気分が悪いですからね。教えてあげましょう。姫と呼んでいるのは、こちらの勝手。姫は、ここに私がいることも知りません」

「では何故だ?」

「決まっているでしょ? 可愛いからですよ、姫が。姫は魔族に偏見を持たずに普通に接してくれました。小さい手で私の頭を撫でてくれたこともありましたね。そんな姫を……貴方たちは姫の最近の笑顔を見ていたはずでしょう? あんな笑顔、この城に戻って初めてのはずですよ。うれしかったですね。何年もずっと姫を見守ってきた甲斐があった、そう思いましたよ……だからね、やっと笑顔を取り戻した姫の邪魔をする奴を、私は許すわけにはいかないのですよ」

 話が終わると同時に強まる圧力。それだけで見張りたちは死を覚悟した。

「うわぁぁぁー!」

 恐怖にかられた見張りの一人が背中を向けて逃げようとした。だが、それは許されない。数歩進んだ所で突然、前のめりに倒れてしまう。

「なっ!」

「おっと、簡単に殺すつもりはなかったのですがね。まあ、仕方ないでしょう。さて次は」

 こう言って魔族は残った見張りに視線を向けて、パチンと指を鳴らす。その瞬間、見張りの体に衝撃が走る。

「ぐっ、がぁああああっ!」

「痛いですか? でもね、心の痛みに比べれば体の痛みなんて、たいしたことないのですよ。まあ、貴方に言っても分からないでしょうけどね?」

 更に魔族の指が鳴る。

「ひぁぁぁぁっ!」

 見張りの絶叫が小さな部屋に響き渡る。だがこの声も外には聞こえていないのだ。

「……ふむ。じわじわと殺せば少しは怒りも和らぐかと思いましたが、実際にやるとあまり気分の良いものではないですね。さて、どうしますかね。これで数日は姫が消えたことを知られることはないでしょう。その後は……いっそのこと、もう一度、我々が攫ったことにするのも手ですか……その前に他に姫の邪魔をする者がいないとも限りません。それを始末してから一度、本国に相談することにしましょう。では、さようなら」

「…………」

「おや? もう死んでいましたか。耐性がないですね。これが密偵とは……」

 あっけなく死んでしまった見張りに向かって、文句を呟く魔族。その姿はすぐに現れた時と同じように壁に溶けて消えていった。

 

▽▽▽

 任務を終えた帰り道。グレゴリー大隊長は部下のアインを誘って、食堂に寄った。外観はみすぼらしいが、一歩店の中に入ると割と小奇麗な内装で、入り組んだフロアはどこか隠れ家のような雰囲気。それが好きでたまに訪れるグレゴリー大隊長お気に入りの食堂だ。

「いやー、珍しいですね。大隊長が飲みに誘うなんて」

「ああ、少し飲みたくなってな」

「奇遇ですね。俺もですよ」

 アインは、乾杯するなりジョッキのビールを一気に飲み干し、すでに二杯目に移っている。まるで酔っぱらうのを急いでいるような飲み方だ。実際にそうなのだろうとグレゴリー大隊長は思う。
 今回の任務は魔獣討伐に出る勇者の同行。といっても一緒に戦うわけではなかった。
 実際に一緒に戦ったのは近衛騎士団第一大隊長のアレックス。そして宮廷筆頭魔法士のグラン。パルス王国の剣と魔法でそれぞれ頂点に立つ二人だ。魔獣討伐であれば、この二人だけで十分だとグレゴリー大隊長は思ったが、それ以外にも近衛第一大隊の兵が周りを囲んでいた。
 グレゴリー大隊長率いるイレギュラーズはその外側に配置され、関係者以外が近づかないように警備。魔獣討伐で、何故そのようなことが必要なのか。その理由はすぐに分かった。万が一、勇者が失態を見せた時に、その事実を知られない為だ。過保護なことだとグレゴリー大隊長は感じた。

「それで、どう思った?」

 グレゴリー大隊長はアインの意見を求めた。自分の考えと同じか違うか。違うとすれば何が違うかを知りたいのだ。

「美形でしたね。まさに美男美女。ヒューガたちとは大違いだ。まあ、ヒューガもあれで良く見ると結構いい男なんですけどね。あいつの場合は、あの生意気そうなきつい目つきが邪魔している感じですね。あっ、でもナツちゃんは可愛いかな?」

「……そんなことを聞いているわけじゃない」

「冗談ですよ。大隊長が聞きたいことは分かっていますって。それでも答えは変わりませんね。綺麗なお人形さんみたいでした」

「ふむ……良いたとえだな」

「でしょ?」

 警備を他の隊員たちに任せて、グレゴリー大隊長はアインと二人でこっそりと勇者の戦いを見ていた。
 彼等の戦い方は。正に教科書通りだった。最初に美理愛が攻撃魔法で敵を減らし、魔獣が混乱しているところに優斗が魔獣に接近戦を挑む。その後もミリアは攻撃魔法や補助魔法で前衛を支援。優斗も強化魔法を使いながら、常に動きまわって出来るだけ一対一で魔獣と戦うようにしていた。
 実に効率的な戦い方。あれであれば、ほとんど危険を冒さずに魔獣と戦えるとグレゴリー大隊長は思う。実際に勇者の二人が傷ついた様子は全くなかった。
 盗賊退治の帰り道にヒューガたちがブラッディードッグの大群と戦った時とは大違い。あまりの数に向かい討つのが困難だと判断した三人は、ヒューガ一人の判断だが、群れの手薄な所を狙って自ら突っ込んでいった。
 そこからは力技。剣だけでなく接近戦でも魔法を使いまくり、群がる魔獣を片っ端から倒していった。少々の怪我など無視。結局、最後は動けなくなってしまったが。
 それでも他の兵士たちに出番は与えないままに魔獣を討伐してみせた。イレギュラーズの仕事は魔獣にとどめをさすことだけだ。これにもグレゴリー大隊長は驚いた。殺すのではなく動けなくすれば良いと考えて戦っていたのが分かったからだ。
 拙いのか巧妙なのか、なんとも判断出来ない戦い方だった。

「同じ異世界人でも、ずいぶんと違うものだな?」

「それは、大隊長のせいでしょ? ヒューガたちは大隊長に戦いを教わったのですから」

「まあ。そうか」

「勇者のほうはかなり洗練された戦い方でしたからね。あれは俺たちとは違います。でも……怖くはないですね。怖いのはヒューガたちのほうです」

 綺麗かどうかだけでなく、強さも勇者のほうが上。それが分かっていてもアインはヒューガたちのほうが怖いと思う。

「……何故、そう思う?」

「さっきから言っている通りです。戦いが綺麗すぎますよ。魔獣相手だとあれで十分だとは思いますけど戦争では。相手も考えて動くでしょ? こちらの思い通りに動いてくれる敵との戦いなんて滅多にありません」

「ヒューガたちは、いやヒューガは違うか」

 三人の戦いを指揮していたのはヒューガだ。あとの二人はヒューガの言うとおりに動いていただけ。

「それは大隊長だって分かっているでしょ? あいつはその場その場で考えて動きます。状況に応じて最適と思われる方法を選択する。経験不足な点は目につきますが、何ていうのかな……凄味ってやつを感じますね。相手の思惑など押しつぶしてしまいそうな凄味を。まあ、一度きりのことなので直感に近いものですけどね」

「ふむ」

 グレゴリー大隊長の考えもアインと同じ。魔獣との戦いだけでなく盗賊討伐でもヒューガは考えて戦っていた。色々と質問してきたが、あれは一兵卒としてではなく、指揮官として戦いを見ようとしているのだとグレゴリー大隊長は考えている。

「あいつを傭兵ギルドに行かせたのは失敗だったかな?」

「そうですね。成長したヒューガが敵の傭兵として現れたら……ちょっと想像したくないです」

「仮にそうなるとしても、ずっと先の話だ」

 戦争に出るまでになるには、それなりの経験と実績が必要。ギルドでのランクが上がるにはかなりの期間が必要となるはずなのだ。

「いや、先でも嫌ですよ。でも今はそれよりも、もっと心配なことがあります」

「………」

「大隊長も気付いているでしょ? 王都を出るところでヒューガと一緒にいた連れ。髪を黒く染めていましたけど、あれ、絶対そうですよね?」

「……どうかな?」

 ヒューガは勇者が魔獣討伐に向かう日に王都を発った。それに同行していたグレゴリー大隊長は、ヒューガの姿を見つけて声を掛けようとした。だがヒューガと一緒にいる女の子の姿を見て固まってしまったのだ。
 髪を黒く染めていてもグレゴリー大隊長にはその女の子がクラウディア王女であることが分かった。間近で見たことはない。それでも年に何回か行われる国民との謁見式で、国王の脇に立つ姿を何度も見ている。見間違えたとは思えない。
 何故、クラウディア王女がヒューガと共に王都を出ようとしていたのか。ヒューガはこの国を出ようとしている。当初はギルドで稼いでからという話だったが、そう変わったのだ。それは何故なのか。クラウディア王女が絡んでいるのだろうと思う。

「間違いないと思いますよ。俺、密かにファンだったんですよ。氷結の王女。まだ幼いですけど美人ですからね。でも……あんな表情も出来るんですね。あの表情を見たら俺、何も言えなくなってしまいました」

「……そうだな」

 氷結の王女。常に無表情なクラウディア王女に、陰でつけられたあだ名だ。良い意味でも悪い意味でも使われている。
 だがヒューガと一緒にいたクラウディア王女の表情を見れば、そんなあだ名を持つ人だとは誰も思わないだろうとグレゴリー大隊長は思う。嬉しそうにほほ笑む姿。その姿はとても可愛らしいものだった。氷結どころか春風のように周りを溶かしてしまいそうだ。
 あの笑顔は誰によって与えられたのか。状況から考えてヒューガなのだろうと思う。

「どうしたら良いのですかね? やはり城に報告するべきなのでしょうか?」

「……俺たちは国に仕える身だからな」

「そうですか……でも告げ口したのが俺たちだって分かったら嫌われますよね? ヒューガだけでなく王女様にも」

「そうだな……」

 クラウディア王女は自ら望んでヒューガに同行したのだ。そうでなければあのような笑顔を見せるはずがない。

「嫌われたくはないな。あの二人には……それにあの笑顔。もしかしたら、また氷結に戻ってしまうかもしれないですよね?」

「可能性は……高いだろうな。だが……」

 だがグレゴリー大隊長は国軍の大隊長。私情でその義務を疎かにしてはいけない。

「ちょっと、よろしいですか?」

「なっ?」

 いつの間にかグレゴリー大隊長たちのテーブルの横に一人の男が立っていた。黒ずくめの衣装をまとい、顔は……なぜか、はっきりと見えない。
 その男をみた瞬間、背筋を走る寒気。グレゴリー大隊長は咄嗟に腰にある剣を抜こうとした。

「ああ、そのままそのまま。怪しい者では……ありますけどね。別に貴方たちに何かしようとするつもりはありません。まずは話をしましょう。ここ、座って言いですか?」

 返事を待つことなく男はアインの隣の席に座った。

「おい!」

 それに文句を言おうとしたアインだが。

「貴方はいりません。私は大隊長と話をしたいので。少し黙っていてもらえますか?」

「なに……」

 パクパクと口を動かして何かを言うとしているアインだが、それは音にならない。

「はい。それで結構。さて、ちょっと大隊長にご相談があるのですが?」

「……なんだ?」

 いきなり現れた謎の男。警戒心をこれ以上ないほど強めながらも、グレゴリー大隊長は男に応える。

「そう警戒されると話しづらいですが……まあ、良いでしょう。今話していた件でお願いがありまして」

「話とはどれのことだ?」

「あとのほうの話ですよ」

「王女殿下の?」

「そう。その話ですけど、秘密にしておくわけにいきませんかね?」

「………」

 怪訝そうな表情で男を睨むグレゴリー大隊長。何故、相手がこのようなことを頼んでくるのかまったく理由が分からない。

「返事が出来ませんか。国軍大隊長としての義務感ですかね?」

「そうだ」

「お願いでは駄目ですか。そうなると、取引というのはどうですか?」

「取引?」

「そうです。貴方たち二人は先ほどの件を誰にも話さない。その代わりに貴方たちの命を助けてあげましょう」

「それはどういう意味だ?」

「決まっているでしょ? 殺さないであげるという意味ですよ」

「なんだと!? ふざけるな!」

 男が言う取引の中身は脅し。それを知ってが分かって、グレゴリー大隊長は怒声をあげた。

「あれ? 気に入りませんか? 良い取引だと思いますよ。それとも私に貴方たちは殺せないとでも思っていますか? だとしたら貴方、大きな勘違いをしていますよ」

 だが男のほうは怒声を向けられても何とも感じていない様子。変わらず薄ぼんやりとしたその顔に浮かぶ赤い唇が笑うのがグレゴリー大隊長は見えた。先ほど以上の寒気が、今度は全身に広がっていく。

「……お前……何者だ?」

「わかりませんか?」

「まさか……魔族か?」

「ご名答! 一応言っておきますが普通の魔族ではないですよ。これでも、それなりの地位にいましてね」

「ま、魔将……?」

 魔将。魔族にも階級がある。頂点は当然、魔王。そしてそのすぐ下に魔将が位置する。魔将の中はさらに上位と下位に分かれているが、そんなことに意味はない。魔将は普通の魔族より遙かに強い力を持つ者。少し腕が立つといってもグレゴリー大隊長が刃向かえる相手ではない。

「わかりましたか? 私は、貴方たち二人が束になってかかってきても勝てない程度には強いのです。取引が正当なものだと、これで理解できたでしょう?」

「……何故、魔将が? それも王女殿下の為に……?」

「貴方たち二人と同じですよ。姫から笑顔を奪いたくないのです。本当は貴方たちには死んでもらおうと思っていたのですがね。お二人の話を聞いていて気が変わりました。この国にも姫のことを好きでいてくれる人がいる。そう思うと嬉しくてね」

「王女殿下を知っているのだな?」

 魔族の男はクラウディア王女を知っている。何故、知っているかは聞く必要がない。

「幼い頃の姫にはずいぶんと可愛がってもらいました。私が可愛がってもらうっていうのは変な表現ですが、実際そうだったのですよ。分かりますか? ずっと人族に蔑まれてきた私たちにとって、それがどんなに嬉しいことだったか……まあ、この話は良いですね。どうですか? 取引に応じる気になりましたか?」

「……分かった。応じよう」

 グレゴリー大隊長に選択肢などない拒絶すれば殺されるだけなのだ。

「それは良かった。姫を好きな人間を殺すのには、少し抵抗がありましたからね。では、契約に付き合ってもらいますよ?」

「……また契約か」

 脅されて契約。グレゴリー大隊長にとってはこれで二度目だ。

「また? 貴方、誰かと契約したことがあるのですか?」

「ああ。過去形ではなく今現在だ。ダークエルフと契約している」

 魔族の男の問いにグレゴリー大隊長は正直に答えた。隠そうとしても相手が許さないだろうと考えたのだ。

「ダークエルフと? ふむ……それは、どのような契約なのですか?」

「それを言うと俺は死ぬことにならないか?」

 セレとの契約は秘密を守るというもの、契約の中身までは話せないとグレゴリー大隊長は思った。

「ああ、失礼。これは私の聞き方が悪かったですね? 別に契約を話すことに問題ないですよ。その言い方だと、何かの内容を話してはいけないってことですね? その何かを話さなければ大丈夫です」

「……なんて言えば良いんだ。ヒューガの不利益……これは大丈夫なのか?」

 そう言われても、やはりどこまでは口にしても大丈夫なのか分からない。殺されたくないから正直に話をしているのに、その結果、呪い殺されては意味がない。

「大丈夫ですよ。それでは不利益にならないでしょ?」

「……そうか、ヒューガの不利益になることを誰にも言わないというものだ」

「言わない、ですか? もっと正確に教えてもらえます?」

「ああ……ヒューガの不利益になることを、いかなる手段によっても、何者にも、伝えない、だな」

 セレとの契約内容を覚えている限り、正確にグレゴリー大隊長は伝えた。自分の命が賭けられている契約だ。きちんと覚えている。

「ほう……なかなか良い表現です。話すのも書いて伝えるのも、とにかく全部駄目。それに何者にも。人族だけでなく他種族もですね。そして対象はヒューガ殿の不利益……よろしいでしょう。どうやら私との契約は必要ないようですね」

「そうなのか?」

 契約を行いたいわけではないが、何故、無用となった理由は気になる。魔族が求めているのはクラウディア王女がヒューガと共に城を出たことを誰にも言うなということ。セレの求めていたものとは違うはずだ。

「もしかして分かっていなかったですか? そうですね。姫のこと報告しようと悩んでいたくらいですからね。だとしたら貴方たちは私に感謝しなければいけませんよ? 契約相手のダークエルフはなかなか狡猾ですね?」

「狡猾とは?」

「良いですか? ヒューガ殿の不利益になる、というのは一緒に行動している姫、そしてそのダークエルフの不利益も機密の対象になるということです。その二人が困るとヒューガ殿も困るでしょう? もちろん姫とダークエルフがヒューガ殿に不利益になる行動を起こし、それを防ぐ為であれば別です。でも今のところ、それはありえませんね」

「……そういうことか」

 魔族がセレを狡猾だと言った意味が分かった。彼女はあえてこれをグレゴリー大隊長に伝えなかったのだ。

「これからは良く考えて話をしたほうが良いですね。対象範囲はかなり広くなりますから。お二人の間で話すのは大丈夫のようでした。これは、おそらく原契約が働いたのでしょう」

「原契約?」

 グレゴリー大隊長には聞き慣れない言葉だ。

「貴女が知らなくて良いことです。というか説明しても理解できません。いや、良かったですね? 私が知る限り、ヒューガ殿については色々と一般には知られてはいけない秘密がある。近くにいた貴方たち二人が知っていることでね。今までそれを話さなかった幸運に感謝しないと」

 グレゴリー大隊長の顔は、言葉を発せられなくても会話は聞こえていたアインの顔も真っ青だ。一つ間違えば自分たちは呪い殺されていた。幸運を喜ぶよりも、恐れのほうが強かったのだ。

「さて、どうやら私の用はなくなったようです。でも……少し可哀そうですね。ちょっと待ってください」

 こう言うと魔族は懐から二つの小さな宝石を取り出した。その宝石を両手に握ると、小さな声で何かをつぶやいている。わずかに握った手から光が漏れ出すのがグレゴリー大隊長には見えた。

「よし、いいでしょう。この宝石を貴方たちに差し上げます。これには遮断の魔法が込められていて、少し条件を付与しました。その条件は三人のことを話す場合というものです。これを常に身に着けるようにしてください。そうすれば知らないうちに他人に聞かれることはないでしょう。まあ魔法を破られる可能性もありますから、油断はしないように。思い出話は二人だけで。そういうことです」

「……すまない。助かる」

 何故、自分は魔族に御礼を言うことになっているのか。グレゴリー大隊長は情けなくなってきた。そう感じられるくらいに安堵しているということだ。

「ふむ。噂には聞いていましたが、貴方はなかなか出来た人ですね。魔族に向かって素直に礼を言うなんて。ヒューガ殿も良い師匠に巡り合えたようです。出来れば貴方とは戦いたくありませんが……国軍の大隊長ですから、そうも言っていられませんか。こちらは手加減しません。ですので貴方も手加減は不要ですよ?」

「ああ、もちろんだ」

「では私はこれで失礼します。ああ、念の為に言っておきますが、私を探しても無駄ですよ。姫のいないこの王都に用などありませんから。ではまた……またというのは適切ではありませんね。では、お元気で」

 二人の目の前にいた魔族は現れた時と同じように、突然姿を消した。

「えっ! あっ、話せた」

 魔族の姿が消えたと同時にアインに声が戻る。

「……何がどうなっているのだ?」

「良く分かりませんけど、命が助かったのは間違いないですね」

「そうだな……じゃあ、飲み直すか? 正直、酔っぱらわないと今夜は寝れそうもない」

「俺もです」

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