月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

異伝 ブルーメンリッター戦記 第1話 モブキャラ転生

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 自分が転生者だと気が付いたのは六歳になったばかりの頃だった。何気なく枕元に置かれていた、いつも寝る前に母親が読んでくれていた本を開いてみると、初めて見るはずの文字の意味が分かった。
 そして、分かっているということを自分が認識した瞬間、堰を切ったように頭の中に様々な文字が湧き上がってきた。あまりの勢いに自分の頭はそれを処理しきれず、強烈な頭痛に襲われることになる。そのまま高熱を出して倒れてしまったくらいだ。
 丸二日寝込んだ後、目覚めた時にはこれまで持っていなかったはずの知識が、頭の中できれいに整理されていた。
 その時に湧き上がった驚愕と歓喜の思いは今でも忘れていない。
 自分が転生者だと分かった俺はすぐにチート能力を手に入れるべく鍛錬を始めた。体を鍛え、見よう見まねで剣を学び、家にある本を読み漁り、知識を深めていく、当然、魔法は最優先事項だ。
 やがて子供とは思えない俺の理解力に両親は驚くことになり、貧しいながらも出来る限りの教育環境を整えてくれた。
 ただし剣と魔法は別。剣については父親が、魔法は母親が教えてくれた。二人ともそれぞれの分野では一角の人物らしい。あまりに自分で自分を褒めるので、「本当かどうかはかなり怪しい」と当時は思っていた。
 そして数年の鍛錬と勉強の結果、分かったことは――自分が凡人であるということ。
 十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの人というような言葉が記憶にあるが、俺の場合は二十歳を待つまでもなく、学校に入学する前にはただの人になっていた。
 落ちこぼれというほどではない。同年代の中では良くて上の下、悪くても中の上というところだ。だがそれは人よりも早く鍛錬を始めたおかげであって、優れた才能を持っていたからではないだろう。
 どこにでもいる普通の人。それが俺だ。
 それでもいつか小説の主人公のように、何かのきっかけで凄い力を手に入れられる時が来るのではないか。そんな期待を胸に秘めて鍛錬は続けていたのだが、それも学校に入学して、ある事実に気が付いた時に儚い夢だと思い知らされた。
 俺が入学した学校。ローゼンガルテン王国の都にあるローゼンバッツ王立学院は、俺の前世の記憶にある名称だった。ゲームに出てきた学校の名だ。
 『ブルーメンリッター戦記~恋の華咲く戦士たち』という恋愛ゲームとシミュレーションRPGをごちゃまぜにしたようなゲームの前半部の舞台。それがローゼンバッツ王立学院なのだ。
 可愛い女の子の勇者が学院生活の中で攻略対象と仲良くなり、その仲間となった攻略対象と共にパーティーを組んで冒険を行い、最終的に魔神討伐を行なうというシナリオだ。
 前半の攻略フェーズで楽をして、難易度の低い対象しか仲間に出来ないと討伐フェーズは無理ゲーに成り果て、攻略フェーズで難易度の高い攻略対象の多くを口説き落とすことに成功すると、それはそれで討伐フェーズはただの作業ゲーとなってしまうという、なんともバランスの悪い屑ゲームだった。
 どうしてそんなゲームをやっていたのか。ただの気の迷いというか、主人公の容姿に惹かれてというか……やはり気の迷いだ。二次元の女の子に夢中になる趣味は、そのゲームを除いてだが俺にはなかったはずなのだから……初恋ということではない。
 結局、攻略フェーズに入って主人公のグラフィックに変化がなくなってしまうと続ける気を失して、最後まで攻略することなく止めてしまった。
 それでも登場人物の名前くらいは覚えている。全員を覚えているかは怪しいが、少なくともジグルス・クロニクスという名が主要キャラクターではないことは分かる。
 ジグルス・クロニクスは今世での俺の名だ。それはつまり、俺はモブキャラだということだ。転生異世界でチート能力を発揮して主人公になるという俺の夢は、無残にも砕け散ったのだ。
 それだけではない。こともあろうに俺のキャラクターは――

◇◇◇

「おーっほっほっほっ! これで、あの無礼な平民女も自分の立場というものを思い知ることでしょう?」

 部室で高らかに笑い声をあげている女子生徒はリーゼロッテ・テーリング。ローゼンガルテン王国の四公国の一つ、リリエンベルグ公国を治めるテーリング公の孫娘だ。
 ジグルスの知識では、上級貴族特有の傲慢な性格で、平民出の主人公をイビリ尽くし、だが最後には同じように傲慢な父親のやり方が災いしてか公家は滅亡。一族郎党、路頭に迷うことになる敵役キャラの中でもメイン中のメインだ。
 ジグルスはそんなリーゼロッテの取り巻きの一人だった。
 何故、ゲームストーリーを知っているジグルスが、そんな負けキャラの取り巻きになんてなっているかというと、それは王国の制度が原因だ。
 リーゼロッテの実家であるテーリング公爵家のような上級貴族には、従属貴族と呼ばれる下級貴族が従っている。従属貴族というのは自領が貧しく、軍隊など自衛手段を持てない貴族家が、上級貴族に従うことで自領の防衛、治安維持を補助してもらうという制度。臣下が同じ王国の臣下を従えるというおかしなものだ。
 王国建国当初はそんな制度は無かったのだが貴族の数が増え、与えられる領地が小さくなっていったこと。四公家を代表する大貴族が自勢力を拡げるために小貴族を次々に傘下に入れていく中で、いつの間にか正式な制度として定められたのだ。
 公国という半独立国を有する王国の弱点。王国が抑えきれないほどの力を、大貴族は持っているということだ。
 ジグルスの実家は小さな男爵家。リリエンベルグ公国に領地が近い為、テーリング公家の従属貴族になっている。
 その力関係は当然、その子弟たちが通う学院にも及び、ジグルスはリーゼロッテの取り巻きに自動的に組み込まれたのだ。
 入学してから一年ほどは、ジグルスにとってはどうでも良いことだった。貴族として末席にあたる男爵家の彼のことなどリーゼロッテは気に掛けない。たまに部室という名目の派閥が集まる為の部屋に、申し訳程度に顔を見せていればそれで良かったのだ。
 だがその状況があるきっかけで変わった。
 ゲーム主人公の登場だ。平民でありながら優れた剣と魔法の才能を見込まれて、二年生から学院に編入してきた女子生徒。その女性生徒は主人公に相応しい正義感で、横暴を極めていた上級貴族の子弟たちに真っ向から立ち向かっていった。
 それに対する上級貴族の子弟たちの行動はお決まりの、というかゲームシナリオ通りの主人公への嫌がらせ。そして嫌がらせなどという愚劣な行為を、上級貴族が自らの手で行うことはまずない。その役目はジグルスたち従属貴族の子弟が担うことになる。

「……では行ってきます」

「ええ、頑張って。吉報を待っているわよ」

「……はい」

 リーゼロッテに激励?の言葉をもらって、ジグルスは部室を出た。彼が与えられた仕事は主人公のロッカーをゴミだらけにすること。貴族の嫌がらせにしては、やることがせこい。しかもこの役目をジグルスが担うことになった理由も気に入らない。
 リーゼロッテとのやり取りを廊下を歩きながら思い出してみる――

「ほら、貴方。そこにいる貴方、貴方にこの任務を与えますわ」

「……どうして俺に?」

 まさか自分に振られると思っていなかったジグルスは、突然の指名に驚いている。

「だって貴方、いつも目立たないように隅っこにいるじゃない。それに私は未だに貴方の名を知りませんわ。この任務はそういう隠密に長けた人が行うべき任務ですわ」

「それって……隠密って言うのですか?」

「それは……そんなこと、どうでも良いですわ! これは命令ですわよ! それとも貴方、この私に逆らうおつもり!?」

「い、いえ、喜んでやらせて頂きます」

「よろしい。おーっほっほっほっ! これで、あの……」

 という次第だ。巻き込まれないように大人しくしていたことが完全に裏目に出た。
 ジグルスにとっての驚きは、完全に気配を消していたつもりだったのにリーゼロッテに指名されたこと。まだまだ修行が足りないのか、それともリーゼロッテの能力が優れているのか。多分、両方だろうとジグルスは思った。
 リーゼロッテは主人公のライバルキャラに相応しく、高い能力を保有している。特に魔法にかけては学院でもトップクラスだ。外見もライバルキャラに相応しく、という表現が正しいかは別にして、幼さが残る中にもほのかに色香を感じさせる美形。ジグルスがスマホの画面で見ていた二次元のキャラクターを遥かに凌ぐ魅力的な容姿を実物?は持っている。

(あれで性格がまともであればな……)

 こんな風に思っても、そういうキャラクターなのだから仕方がない。
 考え事をしながら歩いているうちに、目的のロッカーに辿り着いた。主人公のクラスは二年A組。出席番号は二十一番だ。
 順番に並んでいるロッカー。たいして時間を掛ける必要なくそれはすぐに見つかった。
 ロッカーの扉を開けて、中の物を取り出す。それを持ってきた袋の中に全て入れて、またロッカーに戻し、その上からもう一つの袋に入れてきたゴミをかけていく。
 持ち物を汚すのは可哀そうだからという、なんとも中途半端な好意からの行動だ。

(はい。任務完了)

 任務を終えたジグルスはその場を去ろうとした。だが思いもよらず、背中から声を掛けられる。

「何をしているの!?」

 恐る恐る後ろを振り返って見れば、見覚えのある女子生徒がそこに立っていた。三次元の主人公を間近で見るのはジグルスにとって初めてのこと。
 長い黒髪を後ろに束ねた主人公はその黒い瞳を真っ直ぐにジグルスに向けている。
 整った顔立ち。美人なのだが、どこか少年っぽさを感じさせる。体つきもまだまだ女性らしさを感じさせるものではない。リーゼロッテとは正反対のタイプだ。

(まあ、リーゼロッテ様のような色気のある美人が次々と男を口説いていっては、また違ったゲームになりそうだからな)

 共に戦う仲間を集めるのが主人公の目的だが、一歩間違えればそれは逆ハー状態だ。

「何をしているの!?」

 主人公を見詰めたまま、ジグルスがそんなことを考えていると、また彼女が同じ台詞を繰り返してきた。

「あっ、えっと、嫌がらせです」

「嫌がらせって……それ、私のロッカー」

「知ってる。貴女に対する嫌がらせですからね。でも何故ここに? この時間は予定が入っているはずでは?」

 この嫌がらせを実行する前に、主人公の予定は確かめてある。今は体育館で日課の自主練を始めている時間のはずなのだ。

「ち、ちょっとあって」

 ジグルスの問いに主人公は口ごもってしまった。良く見れば主人公の髪が濡れている。髪だけではない。着ている服もだ。リーゼロッテ以外にも同じようなことを考えた生徒がいたのだ。

「……もしかして、別口の虐めですか?」

「多分……急に水が上から降ってきて」

「ああ、それで着替えを取りに。じゃあ、どうぞ」

「どうぞって。着替えは貴方が……」

 着替えの入っているロッカーの中はゴミだらけ。それを行ったのは目の前にいるジグルスだ。

「そうでした。でも、もしかしたら奇跡的に汚れていないかもしれませんよ?」

「どういう意味?」

「さあ? さて、では俺はこれで」

 主人公といつまでも話しているわけにはいかない。時間がかかればかかった分だけ、待っているリーゼロッテの機嫌が悪くなることを知っているのだ。

「ちょっと待って。貴方は誰なの?」

「えっ? それ聞きます? 犯人が自ら名乗るはずないですよね?」

「それはそうだけど……」

「仕返しをしたければ探してください。別に逃げ隠れするつもりはありませんし、出来ません」

 これからもジグルスは学院に通う。主人公が探せば、すぐに見つかるはずだ。

「開き直るのですね? 悪いことをしているという自覚はないの?」

 黒い瞳でまっすぐにをジグルスを睨みつける主人公。だがジグルスが後ろめたさを感じることはない。

「ありますよ。でも仕方ありません。そういう役割なのです」

 ジグルスの役割は敵キャラの取り巻き。彼は与えられた役を全うしているだけだ。

「貴方……」

「さて、本当にこれで失礼します。のんびりしている時間もないので」

「あっ、ちょっと」

 主人公を振り切って廊下に出るジグルス。リーゼロッテを怒らせて、さらに面倒なことになっては堪らないと思い、早足で部室に戻っていく。

(俺としてはやっぱり主人公のほうが好みだな。黒目黒髪っていうのが影響しているのかな? 俺も日本人だし)

 急ぎ足で歩きながら、先ほど見た主人公を思い出していた。こんなことを考えても意味はない。ジグルスは主人公の攻略対象でも友人役でもない、ただのモブなのだ。そして今回の一件で、明確に主人公にとって敵キャラになった。

(はあ、なんともやるせないな)

 ストーリーをある程度は知っているので、主人公のフラグを片っ端からへし折ってやろうかと考えた時期もあった。それで自分も、リーゼロッテに巻き込まれることはなくなると考えたからだ。それ以前にリーゼロッテが失脚することもないだろうと考えたのだ。
 だが、それはやってはいけないことだと気付いた。
 主人公は学院で集めた仲間と一緒に魔神を倒すことになっている。もし強い仲間を集められなかったとしたら、その結果として魔人を倒せなかったとしたら。
 ゲームのバッドエンドが現実になってしまうのだ。それは転生とはいえ、この国で生まれ育ったジグルスには受け入れられない。両親も親しい人たちも、この国で生きているのだ。
 あくまでもモブとして、与えられた役割を演じていくしかない。主人公の敵であることよりも、与えられた役割をなぞらえるだけの人生が空しいのだ。ジグルスはすでに生きる目的を見失っていた。

 

◇◇◇

 部室の前に辿り着いたジグルス。落ち込んでいる気持ちを振り払おうと、大きく首を左右に振った後、さらに一度大きく深呼吸をしてから部室の扉を開けた。深呼吸は落ち込みを振り払う為ではなく、リーゼロッテに怒られる覚悟を定める為だ。

「遅いですわよ!」

 案の定、部屋に入った途端にリーゼロッテに叱られた。

「すみません。途中で見つかりそうになりまして」

 本当は見つかっている。だがわざわざ知らせることでもない。

「そうなのですか?」

「でも、大丈夫です。ちゃんと持って行ったゴミは相手のロッカーの中に全てぶちまけてきました」

「そう。それはご苦労でしたね。無事にやり遂げたこと、嬉しく思いますわ」

「はい、ありがとうございます」

 こういうところがリーゼロッテは少し変わっているとジグルスは感じている。妙なところで律儀なのだ。
 だがやったことは他人への嫌がらせだ。それを褒められてもジグルスは嬉しくない。

「これであの者も態度を改めることでしょう。この世には逆らってはいけない存在というものがあるのです」

 態度は改まらないでしょう。それどころか理不尽な仕打ちに、ますます敵愾心を燃やすはずです。心の中ではジグルスはこう思っているが、それを口にすることはない。
 周りの生徒たちも一緒だ。取り巻きのうち半分くらいは分かっているのだ。こんなことでは問題は何も解決しないことを。そして更に半分は、自分たちのほうが立場は不味いと気付いている。
 彼等がそう思う最大の理由。主人公はすでに一人の攻略対象を落としている。印が付くわけではないので確実なところはジグルスにも分からないが、その相手の行動がそうであることを示していた。
 エカード・マルク。四公家の一つキルシュバオム公国を治めるマルク公爵家の次男。リーゼロッテにとっては幼馴染だ。攻略対象であるからには当然すごい美形で、剣の実力は学年でトップ。学院でもトップと言えるくらいの実力者だ。ジグルスのゲーム知識では攻略しておくべき最強メンバーの一人であり、キーパーソンだ。
 そんな攻略対象をこんな短期間でどうやって落としたのか。ジグルスは不思議に思っているが、とにかくエカードを落としたことで、一気に主人公の立場は改善されていくはずだった。
 今は憧れの的であるエカードに、ポッと出の平民が親しく接することなど許せないと女子生徒たちは大反発し、彼女たちの嫌がらせはピークに達している。
 だがそう遠くないうちに、一向に止まない主人公への嫌がらせに怒ったエカードが、堂々と主人公の保護を宣言するはずなのだ。主人公の敵は自分の敵だと。
 エカードに敵視されるわけにはいかない。その宣言によって、潮が引くように主人公への嫌がらせは減っていく。ただ一人からのものを除いては。
 幼馴染のエカードを主人公に奪われたことでリーゼロッテは、さらに主人公に対して悪感情を抱くことになる。強い敵対心を持って主人公に向かって行くのだが悉く負けてしまい、周囲からの評価を落としていくのだ。
 何をやっても勝てないというのは可哀想と言えば可哀想なのだが、ジグルスからすれば自業自得だ。

「……るのですか? 聞いているのですか?」

「は、はい!?」

「何をぼんやりとしているのです?」

「すみません。少し考え事をしていました。何の話ですか?」

「名を聞いたのです。貴方の名は?」

「ジグルス・クロニクスです」

「クロニクス。ああ、クロニクス男爵家の者でしたか。クロニクス男爵は領地経営については色々と問題はあるようですが、武勇に優れた方でしたね? 奥方は……これは皆の前で言うことではありませんか」

「知っているのですか?」

 小さな男爵家のことなど気にも止めていないと思っていたリーゼロッテが、実家のことを、それもどうやら詳しい事情を知っているようだと分かって、ジグルスは驚いた。

「当たり前ですわ。自家に従属してくれる貴族家については、ある程度頭に入っています」

「でも、俺の名前は」

「我が家への貢献はあくまでも貴方のお父上が為されたことであって、貴方の功ではありませんわ。何の功績も挙げていない者の名までは覚えていられませんわ」

「……それで今回、俺の名を?」

 リーゼロッテなりの理由。それを聞いたジグルスにも、なんとなく納得いくものだ。

「ええ、貴方は立派に任務を果たしてくれましたわ。ジグルス・クロニクス、私は貴方の忠誠を嬉しく思います」

「はあ」

(やっぱり、リーゼロッテ様は少し変だ)

 ジグルスは心の中で呟いた。