ギルド長が自分の執務室に戻ると、セレがソファーに座って、ゆったりとお茶を飲んでいた。何を勝手に、なんてことをギルド長は言わない。こうしたことはこれが始めてではないのだ。
とはいえ、セレがギルドを訪ねてくるのは久しぶりのこと。その久しぶりの訪問で、怪しげな依頼をギルド長は頼まれた。
「終わったぞ」
「悪かったね、無理なお願いをして」
ギルド長に感謝の意を伝えるセレ。一応、我が儘を言っていることは分かっているのだ。
「別に無理ではない。王族にだってギルドの門戸は開いているからな」
「それでもね」
セレがギルド長にお願いしたのは、パルス王国の王族がギルドに登録することを邪魔しないこと。それが誰かとなればクラウディアしかいない。
「確かに相手がパルスの第一王女となると話は別だ。あれは訳有りだな」
パルス王国の第一王女が城内で軟禁状態であることをギルド長は知っている。実際には軟禁という表現は大袈裟なのだが、外部にはそう伝わっているのだ。
第一王女が城を出て、ギルドに現れた。しかもそれがギルドへの登録の為となれば、何か裏があると疑うのは当然のこと。
それが分かっていてギルド長は登録を拒否しなかった。ギルドは来る者は拒まず、という原則があるにしても、セレのお願いが影響していないわけではない。
「そうみたい」
「何だ? ろくに事情も知らないで、こんな話を持ち込んできたのか?」
「おおよそは分かっているけど、言わないほうがいいでしょ? これはギルドの為よ」
傭兵ギルドが誘拐に加担していたと疑われる状況にはしたくない。何も知らなかった、で押し通すほうが良いのだ。
「犯罪の片棒を担いだことは知らない方がいいか?」
「言わなくて良いことは口にしない」
「ああ、そうだな……しかし、一緒にいるのがヤツとは」
クラウディアに同行してきたのはヒューガだった。それもギルド長には驚きだ。
「あの子のことを知っていたの?」
「ああ、ちょっとあってな。何度か話したことがある」
「何よ? 気になるじゃない」
「詳しくは言えない。言えるのは、ヒューガはギルドカードの登録の仕組みを解明してしまいそうなくらい頭が良いってことだ」
ギルド長は内容をぼかしてセレに教えた。ヒューガが考えついた推論は決して公には出来ない内容。セレも例外ではない。
「ギルドカードの仕組みを? それはまた凄いわね。そんなことが解明されたら、ギルドは大変じゃない?」
「その辺は本人も分かっているのだろう。必要なことさえ分かれば、深入りするつもりはないようだ。てっきり異世界での知識かと思ったが、話しているとどうやらそれだけではないと思えてきた」
「単純に頭が良いってことでしょ?」
「ああ。それで? どうして、お前がヒューガの為にこんな真似をする? どこで知り合ったんだ?」
セレはヒューガを知っていた。そうなると頼み事はヒューガの為である可能性が高くなる。パルス王国の王家に恩を売る気はセレにはないはずなのだ。
「あの子と会ったのは、あの子が盗賊討伐に来ていた村でよ。私はそこで捕まっていたの」
「お前が盗賊に? あり得ないだろ」
ギルド長はセレの実力を良く知っている。盗賊程度に捕まったなどと言われても素直に信じる気にはなれない。
「捕まったのは盗賊にじゃなくて、奴隷商人によ。その商人が盗賊に襲われて、運ばれていた私は盗賊の住処に連れて行かれた」
「相手が奴隷商人だとしても信じられん」
「それなりの罠を用意されていたからね。少し油断もあったわね。一応、二度とそんな真似が出来ないように、きっちりお返ししておいたわ」
「お前か……近頃、変に奴隷商人が摘発されたと思ったら。しかも裏にいた貴族まで……そういえば全員が再起不能の状態だったらしいな?」
「当然でしょ? 甘い顔は出来ないわ。ダークエルフに手を出したらどんな目に合うか、きっちり教えておかないと」
ただ仕返しをしたわけではない。ダークエルフに手を出せばどれだけ酷い目に遭うかを知らしめ、同じような愚かな考えを起こさせない為だ。
「……まあいい。それで何故一緒にいる気になったのだ?」
「だから、助けられたからだって言ったでしょ? 私は奴隷商人に捕まったのよ」
「ん? どんな状況だったのだ? 首輪に繋がれたわけじゃないのだろ?」
セレが恩を感じるような状況とはどのようなものだったのか、ギルド長は気になった。盗賊相手であれば、その気になれば自分の力で逃げられるはず。首輪によって無理矢理従わせられたのでなければ。
「繋がれたわよ、きっちりと。だから逃げられなかったんじゃない。そして、それをあの子が外してくれた」
「……何?」
「首輪を外してもらったの。分かっていると思うけど隷属の首輪よ」
「ば、馬鹿な!?」
そんなことはあり得ない。隷属の首輪は主人として契約、魔法上で、した者にしか外せない。だからエルフや魔族を拘束するのに使われているんだ。
「声が大きいわよ。こんな話が知られたら、どうなるか分かるでしょ?」
「それは……それはそうだが、いや、事実なのだろう。お前が嘘を言う理由がない。しかしな……」
「とんでもないことよ。恐らくあの子は命を狙われることになる。そうでなくても、なんとかその力を手に入れようと考える人間に追われることになるわね」
隷属の首輪を使用しているのは貴族。その効力を無効に出来るということは、貴族の権益を損なうこと。パルス王国だけではない、この世界の多くの貴族を敵に回すことになる。 貴族だけではない。その力を悪用しようとする商人あたりにも、ヒューガは狙われることになる。
「それが一緒にいようとする理由か?」
「近いけど、ちょっと違うわ。私が心配しているのは、この事実をあの子が知ることなの。あの子はきっと奴隷を片っ端から解放しようとするわ。それは悪いことじゃない。でも力のない正義は悲劇を生むだけよ」
「何故そう思う? ヒューガは確かに性根は悪くなさそうだ。貧民区の人間の為に色々動こうとしたくらいだからな。だからといって、そこまでするとは限らないだろう?」
奴隷解放など行えば完全に貴族を敵に回す。その貴族たちの声で、国も動くかもしれない。国を相手に戦うことになるのだ。
頭の良いヒューガにこれが分からないとはギルド長は思わない。
「……初めて会った時ね。鎖に繋がれた私を見たあの子の反応は、怒りだったの。憐みとかは一切見えなかったわ。ただ理不尽に対する怒りだけ。一瞬で隠したけどね。あの子は、きっと弱者の痛みを知っているの。しかも、大人しく泣き寝入りするタイプでもない。出来ることなら少々無茶でも行動に移す。私にはそう思えるの」
「少々ではないだろう? だが、まあ、お前の考えは分かった。だがどうする? しばらくは大丈夫だろう。奴隷と関わるなんて普通はないからな。だが、街で暮らしていれば隷属の首輪の話は、いつか耳に入るぞ」
「そこで貴方にお願いがあるの」
「……さすがに、それは無理だぞ」
いくら傭兵ギルドに力があるといっても、敵になる貴族は有力な顧客であったりする。さすがに真っ向から敵対するわけにはいかない。言うこと聞かない支部も出てくるはずだ。
「そうじゃないわよ。隷属の首輪の外し方を解明してほしいの。誰でも首輪を外せるとなれば、あの子が狙われる理由はなくなるわ」
「それが出来ないから苦労しているのだろ?」
現存する首輪は遙か昔から存在するもの。隷属の首輪にかけられた魔法は、まったく解明されていない。今の時代の魔法師では作ることも壊すことも出来ないのだ。
「ヒントはあるわよ。私の首から外す時に、あの子が口にした言葉。『魔力の流れを変えればいいのか、それとも魔力を込めて飽和させるか』よ。どう思う?」
「外から首輪の魔力に干渉して効果を失わせる、もしくは首輪の許容量を超える魔力を送って、破壊するってとこだろうな」
「そうね。私もそうだと思うわ。そしてあの子が最終的に言ったのは『魔力を遮断すれば良かったのか、そうすれば魔力を失って自然にはずれる』よ。とにかく、あの子は首輪を最初から外せるものだと思っていた。そして、その方法として想定したのが、今教えた言葉よ。結構なヒントでしょ?」
「そうかもしれないが、自分の魔力を操作するならともかく他人の魔力に干渉するなんて出来るのか?」
セレの話を聞いてもギルド長は信じ切れない。何かの間違いだろうという思いが消えないのだ。
「出来たのよ。だから私はこうしてここにいる」
「そうか……そうだとしても時間がかかるぞ? 一年や二年で出来るものじゃない」
実際に出来るかどうかも分からない。それでもギルド長はセレの頼みを受け入れた。
「分かっているわ。出来る限りでかまわないわよ。これはあくまでも備えだから」
「備え?」
「だって、あの子がいつまでも力無い存在でいるとは限らないでしょ?」
「……必要なのは個人の武勇だけではないぞ? この世界の多くの貴族を敵に回すのだ」
「それでも、私は可能性を感じてしまうの」
だからセレはヒューガの側にいようと考えた。彼がこの先どうなるのか見てみたいと思ったのだ。
「ずいぶんとヒューガを買っているのだな? もしそれが出来たら………まさか、お前? でもヒューガは違うだろ? 兆しがない」
「どうかしら……何か隠している気がするのよね。あの子は」
「仮にそうだとしたら………」
ヒューガを何とかして守らなければならない。だが確証がないのに、傭兵ギルドを動かすわけにはいかない。それに、必ずしも傭兵ギルドは一枚岩ではない。
大きな組織だ。権力争いというものは存在している。
「……目的地と言っていたな。どこに行こうとしている?」
「レンベルク帝国みたいよ。パルスの干渉を受け付けない国としては、他にないでしょ?」
「悪くはない。悪くはないが………まだ早いな。当面は別の場所にいるべきだ。もっと力をつけるまでヒューガを人族の中に入れておかないほうが良い」
「それは分かるけど、レンベルク帝国以上に安全な国なんてないでしょ?」
「安全である必要はないだろ? 力をつけるには、かえって厳しいくらいが良いと俺は思うぞ」
ギルド長の頭の中には具体的な場所がある。セレも知っている、とても良く知っている場所だ。
「……ねえ、ひとつしか思いつかないけど?」
「ああ、ドュンケルハイト大森林だ」
「私にあそこに戻れって言うの?」
セレはそのドュンケルハイト大森林の出身なのだ。
「別に無理にとは言っていない。だが人族と離れるのに一番良い場所であることは確かだ」
「貴方にしては珍しく過激な考えね。でも……そうね、考えておくわ。さて、私はそろそろ行くわ」
「後を追うのか?」
「ええ、ひどいのよ? 私のこと、すっかり忘れているみたい」
「……それは、まあ、お手柔らかにな」
セレのことを忘れて、置き去りにする。それだけでもヒューガは大物だとギルド長は思った。
◇◇◇
いよいよ決行の日。計画は順調に進んでいる。
ディアはうまく夏に化けて城を抜けだし、ヒューガと合流。そのままギルドに向かい、登録申請を終わらせてきた。その間に夏は一旦、城に戻り。それからまた貧民区で合流した。一晩、貧民区で過ごし、ついに今日が王都を去る日だ。
貧民区に変わった様子はない、目の前のジャンたちを除けば。
「ヒューガ兄ちゃん、本当に行っちまうのか?」
「ああ、ごめん。出来ればずっと一緒にいたかったけど、そうもいかないんだ」
「もう会えないのか?」
「……そうだな。会えないかもしれない」
ヒューガは気休めの言葉を口にすることはしなかった。期待させて、それを裏切るほうが子供たちに悪いと考えたのだ。
「そんなぁー」「ヒューガ兄、行かないで」「行っちゃやだよ」「ヒューガ兄!」
ヒューガの言葉を聞いて、子供たちが駄々をこね始める。
「会えないかもしれないし、会えるかもしれない。僕はここにはもう来られないと思うけど、お前たちももう少し大きくなれば自由にこの世界を旅することが出来るようになる。そうなれば、また会えることもあるさ」
「「「「「「………」」」」」
涙を堪えてヒューガの話に耳を傾ける子供たち。ヒューガの話に納得しているわけではない。もう会えないかもしれないヒューガの声を聞き漏らさないようにしているだけだ。
「離れ離れになっても僕とお前たちは姓を同じくする家族だ。それは永遠に変わらないだろ?」
「家族? 俺たちは家族なのか?」
「そうだ。僕たちは全員、ケーニッヒ家の一員だ。だから家族の一員として恥ずかしくない生き方をして欲しい。偉そうなことを言えるほど僕も人生を生きていないけど、僕も頑張るからお前たちも頑張れ」
「ヒューガ兄ちゃん……」
「ジャン。皆のことを頼む。僕がいなくなったらお前が長兄として、下の子たちの面倒を見てやってくれ」
「……分かった」
「フェブ。お前はジャンを支えてやってくれ。フェブはしっかりしているからな。きっとジャンを助けることが出来るはずだ」
「ああ」
「マーチ。常に皆を明るく盛り上げてやってくれ。お前の明るさはきっと皆の支えになるから」
「ヒューガ兄、任せてくれ」
子供たち一人一人に言葉を贈るヒューガ。一人旅立つ自分が、家族に向かって最後に残す言葉のつもりだ。
「エイプリル。お前の笑顔も皆の救いだ。どんな辛い時もその笑顔で、マーチと一緒に皆を支えてやってくれ」
「ヒューガ兄……」
「メイ。あんまり泣いて皆を困らせるなよ? これから少しずつ自分で何でも出来る様にならなきゃ。皆は必ずお前を助けてくれる。だからメイも皆を助けられるようにならなきゃな」
「ふぇーん。行っちゃヤダよ」
まだ幼いメイは涙を堪えきれなかった。
「ジュン。子供のお前にいうことじゃないけど、あまり男を泣かせるなよ? 良い女ってのは、男を泣かせるんじゃなくて、男を笑顔にするものだ」
「ふん。周りに良い男がいないだけよ……ヒューガ兄しか」
「ジュラ。上の者と下の者の間をしっかりと取り持ってやってくれ。お前はそういう調整能力が高い。両方のことを考えて、皆をつなぐ絆になって欲しい」
「何か難しいけど、仲良くさせればいいんだな?」
「ああ、そうだ。オウガ。弱い者いじめは駄目だ。それだけは絶対にやっちゃいけない。強い者が弱い者に勝つのは当たり前。そんなの強いって言わない。臆病って言うんだ。分かったな」
「……ごめん。もうしない」
「セップ。お前はオウガの逆だ。誰彼かまわず突っかかっていくんじゃない。逃げることは決して卑怯じゃない。命ってのは一つしかないからな。それを大切にするんだ。お前が命を失えば悲しむ人が大勢いることを忘れるな」
「おお」
「オクト。強くなれ。ただの強さではなく、人を守れる強さを持て。そして、その強さで皆を守ってやってくれ。頼んだぞ」
「ああ、俺は強くなる」
「ノブ。お前は無口だから何も言わないけど、お前が何事にも懸命に取り組んでいるのを僕は知っている。その努力は必ず報われる。周りから少し遅れているように感じても、絶対に大丈夫だから、努力を続けたものが最後に一番になれる。それを信じろ」
「……うん」
「ディッセ。何事も見た目だけで判断したら駄目だ。ちゃんと物事の中身を見ようとしないと。それと早く本当に好きになれる何かを見つけろ。他のことがどうでも良くなるくらいにな」
「もう見つけた」
「そうか、ごめん。それは気付いてなかった。良かったな。じゃあそれを頑張れ」
「ああ、頑張る」
一人一人に言葉を掛けるヒューガを見て夏は感心し、それと同時に反省している。ヒューガは子供たちのことを本当によく見ている。だがギルドの依頼や魔法の鍛錬などで夏のほうが、ヒューガよりも子供たちと一緒にいる機会は多かったのだ。自分は何をしていたのだろうという思いだ。
「じゃあ、僕は行く。また会える日が来たら、いや、必ず会えるようにお互いに頑張ろう。それが出来ればきっと会える」
「「「ヒューガ兄ちゃん!」」」「ヒューガ兄!」「いやだー!」「「「「ヒューガ兄!」」」」
子供たちは、ヒューガが去ることをまだ認められない、彼等にとってヒューガは、自分たちを大切に思ってくれる家族なのだから当然だ。
ヒューガに縋り付いて泣いているメイ。それをジャンとフェブがなんとか引き離そうとしている。自分たちも悲しいのに。
マーチとエイプリルが無理に笑顔を作っているのを見てると、夏も泣けてきてしまう。他の子供たちも皆、涙を堪えている。
別れの場面はそれを見ているだけで辛いものだと夏は思った。
「ヒューガ」
子供たちを振り切るようにして、その場を去ろうとしたヒューガに、いつの間にか近くに来ていたバーバが声を掛けてきた。
「バーバさん、なんだかんだ世話になった。ありがとう」
「儂は何もしておらんわ。世話になったのはこちらのほうじゃ。お主が現れたおかげで、何やら時間が動き出したようじゃ」
「それは良いことなのか?」
「この先、何が待っていようと、止まったままの時間を過ごすよりはマシじゃろ? 少なくとも子供たちにとってはな」
「……そうだと良いな」
自分が行ったことは間違いではなかった。そう思える結果になって欲しいとヒューガは思う。
「心配することはない。動き出せば必ず何かが起こる。それがたとえ辛いことであったとしても、仕方がないのじゃ」
明るい未来だけが待っているわけではない。貧民区での暮らしは辛いものだが、そこから出れば出たで、また違う困難が待っている。
「季節というのはな、巡るものじゃ。春が来て夏が来て、実りの秋があって、厳しい冬が来る。そしてまた春が訪れる。その流れの中では、時に理不尽と思われることも起こる。じゃが、理不尽に思えるそれが、実はその先の未来の為に必要であったりするのじゃ」
「…………」
今度はヒューガが送られる言葉に耳を傾ける番。
「実りの秋のすぐ後に木々が葉を散らし、寂しい姿になることにも意味はある。厳しい冬を乗り越える為に、時に何かを捨て去ることも必要なのじゃ。次に来る春を迎える為にはな」
「……それは予言?」
「いや、人生の道理じゃ。これは予言者としての言葉ではなく、長く人生を生きた先輩としての言葉じゃよ」
「分かった、覚えておく」
バーバの話にヒューガは納得した様子だが、横で聞いていた夏にはそうは思えなかった。バーバの言葉は預言。夏にはそう思える隠し事があるのだ。
「じゃあ、ヒューガ。気を付けてな」
その隠し事は冬樹も知らない。何も知らないままに、ヒューガに話しかけている。
「……ああ」
「次に会うのは何日後だ?」
「そうだな。最初の街までは五日ほどだ」
「そうか。そうなると一週間後くらいか……無事でいろよ?」
「そっちこそ……夏も、よろしく頼む」
「……ええ、任せておいて」
何を任せて、なのかを知らないのは冬樹だけ。これはヒューガと夏の間だけの秘密だ。
「……お前たちはどう思っているか知らないけど、僕はこの世界に一緒に来たのがお前たちで良かったと思っている」
「なんだ、らしくねえな? 人嫌いの男とは思えない台詞だ」
「……そうだな。じゃあ、今度こそ行く」
こう言ってヒューガは軽く手を振ると、貧民区の出口である路地に向かって真っすぐに歩いていった。その後を追いかけるディア。
そのディアは最後に、夏と冬樹に向かって深々と頭を下げた。
◇◇◇
ヒューガたちが勇者の出陣に紛れて王都を出た少し後に、夏と冬樹も王都を出た。向かう先はヒューガたちと反対方向。そのまま一日、街道を進んだところで野営する。
あとは街道を離れて、追っ手の有無を確認しながらヒューガたちの後を追うことになっている。
夏の服装はディアと同じ。黒いローブにフードをかぶり、それでいてわざと黒髪が見えるように胸の前にたらしている。夏は追っ手を混乱させるための囮なのだ。
今のところ、追っ手の姿は見えない。それが良いことなのか、悪いことなのかは二人には分からない。ヒューガのほうに向かった可能性もあるのだ。
夏は着ていたローブを脱ぎ捨てて、地面に埋めている。偽装はここまで。ここからはヒューガたちのあとを追って合流する予定だ。
「夏、終わったか?」
「ええ、もう大丈夫」
ローブを埋めた地面を夏は慣らしている。準備は終わり。いよいよ出発、なのだが。
「じゃあ行くか。それで? ヒューガたちが向かった街は何て街なんだ?」
「……さぁ?」
「はっ? さぁって何だよ?」
目的地が分からなければヒューガたちに合流出来ない。冬樹は夏がふざけているのだと考えて、少し怒っている。
「だから知らないのよ」
「夏、ふざけるなよ。俺は少しでも早くヒューガに合流したいんだよ。夏のおふざけに付き合ってる暇はねえぞ」
「だから……本当に知らないのよ」
夏はふざけているのではない。本当にヒューガとクラウディアがどこに向かったか知らないのだ。
「……どういうことだ、それ? 俺に分かるように説明してくれねえかな?」
冬樹には夏の言っている意味が分からない。
「あたしたちはヒューガと一緒に行かない。パルスに残るの」
「……本気で言ってるのか?」
「本気よ」
「ふざけるな! 何でそんなことを言いだすんだ? それじゃあ、ヒューガを裏切ることになるだろ!」
夏の言葉に怒鳴り声をあげる冬樹。当然だ。冬樹はヒューガと共にこの世界を生きる為に、強くなろうと決め、辛い鍛錬に耐えてきたのだ。
「これはヒューガの頼みなの」
「えっ……?」
「ヒューガが望んだことなの。あたしたちにパルスに残ってくれって」
「何で? 何でヒューガはそんなことを……」
ヒューガの意図が分からない。自分たちと一緒にいるのが嫌だから、そんなことを言い出したのかとも考えて、冬樹は胸が痛くなった。
「ヒューガはこれから逃避行を続けることになる。国から追われることになるの。そんなことにあたしたちを巻き込めないって」
「もう……もう十分に巻き込まれているだろ! それは夏だって分かってるはずだ! 俺たちはヒューガに巻き込まれてこの世界にきた! 俺はそう確信している!」
「それだけじゃないの。子供たちを頼むって。あの子たちはまだ独り立ちなんて出来ない。それが出来る様になるまで子供たちの面倒を見てあげる人間が必要だって」
「それは……」
子供たちの話を出されると、冬樹も言葉に迷う。理由として理解出来るものなのだ。
「まだあるわ」
「何だ?」
「冬樹の為よ」
「俺の?」
「冬樹はギゼンさんに弟子入りしたばかり。ロクに教えを受けないうちにギゼンさんと引き離すわけにはいかない。ギセンさんからの教えは冬樹が一生をかけて学ばなければいけないものかもしれない。そんな大切な物を奪うわけにはいかない。そう言っていたわ」
「あっ……」
冬樹は自分の愚かさを知った。ヒューガがこの国を去ることは分かっていた。それは決して遠い未来ではないことも。
そうであるのに冬樹は自分が強くなる為にギゼンに弟子入りしてしまった。本来であれば一緒に弟子入りしてもおかしくないヒューガが、何故、そうしなかったのか。それも分かってしまった。
すぐにいなくなるのが分かっていて、弟子入りするのはギゼンに失礼だ。そう考えたのだと。冬樹の知るヒューガはそういう男なのだ。
「分かったでしょ? ヒューガが何でこんなことを頼んだのか」
「でも俺はヒューガの為に強くなろうと思ったんだ。それがこんなことになったんじゃあ……」
「強くなればいいじゃない」
「でも……」
「勘違いしないでよね? あたしだってこのままヒューガと離れ離れでいるつもりなんてないから。今はその時の為の準備期間よ。バーバさんが言ってたでしょ? 厳しい冬を乗り越える為に諦めなければならないことがある。でもそれは次の春に備える為よ」
夏もこのままヒューガと別れるつもりはない。ヒューガの側にいるに相応しい力を身につけて、また一緒に行動するつもりだ。
今はその時の為に自分を鍛える時期。そう考えて、自分を納得させたのだ。
「でもどうやってヒューガを見つけるんだ?」
「ヒューガがこの世界で埋もれたままでいると思う? そんな人の為に覚悟を決めたつもりはないわ。もちろん、それがいつのことなのかは分からない。一年先かもしれないし、五年、もしかしたら十年先かもしれない。それでも構わない。それくらいの覚悟は出来てるわ」
「……そうだな」
「大丈夫。ヒューガが現れる場所は分かってるわ。それこそ何年経っても必ず現れる場所がね」
「……それって、バーバさんの預言か何かか?」
「違うわ。これはね、女の勘よ」
「はあ?」
「あら、女の勘を馬鹿にしないでよ。女はね、いつだって男の気持ちなんて御見通しなの。さっ、王都に戻るわよ。これが十年の中のたった半日だとしても、あたしたちに無駄な時間なんてないの」
「……そうだな」
たとえ十年先であっても、必ずヒューガの下に駆けつける。夏がそう決めたように冬樹もそれを心に決めた。
これくらいのことで冬樹の心は揺るがない。彼は決めたのだ。この世界をヒューガと共に精一杯生きると。