貴族の子弟に対して、爵位に応じた待遇の違いがあるように、その従者にも違いがある。主人たちが授業を受けている間、従者たちは控室で待つ事になるが、その控室も、仕える家の爵位によって変わるのだ。
今年から用意された王家と三侯爵家の従者専用室はその最上のものだ。執務を行う為の机が一人一人に用意されており、紙やインクも使い放題。仮眠室まで隣についている、実に贅沢な環境だ。
更にお茶や菓子なども、最高級な物が揃えられている。これは従者の為ではなく、その主人に出す為に用意されているものだ。
そんな控室で従者たちが何をしているかと言うと、実は、しなければいけない事はほとんどない。
王太子と三侯爵家の従者といっても、仕える子弟には勉強以外の仕事などない。従者の仕事など、高が知れている。
ましてや寮生活では、お茶会など開けるはずもなく、そもそも学院生活が交流を深める場なので開く必要もない。従者たちは屋敷にいる時よりも、暇な日々を過ごす事になる。
勿論、それは従者の気持ち次第で、リオンのように、それを自己研さんの良い機会だと考える者もいる。
アクスミア侯家の従者は誰もがそういった者たちで、熱心に机の上で本を広げて、ペンを走らせている。彼らにはそうしなければいけない理由があるのだ。
嫡子の従者が将来の家宰になるのは、アクスミア侯家も同じ。そして、アクスミア侯家の嫡子であるランスロットに付いている従者は一人ではなかった。三人もの従者が付いている。
もちろん、ランスロットの世話がそれだけ大変だという事ではない。将来の家宰候補である以上は、競い合わせる必要があると考えての事だ。
それと対象的なのが、ファティラース侯家、シャルロットの侍女たち。侍女である彼女たちに、将来の出世はない。全くないわけではなく侍女頭という立場があるのだが、彼女たちにとって、それは行き遅れを意味する。
彼女たちの望みは、出世とは正反対に、条件の良い結婚相手を見つけて、侍女を辞める事だ。
そんな彼女たちが何をしているかと言うと。
「ねえ、貴方、どうして眼帯なんてしているの?」
とりあえずは身近な所からと、控室で一番美形のリオンに接近を試みていた。
リオンは、実状を知らなければ、かなり条件の良い相手だ。侯爵家の家宰ともなれば、下手な貴族よりもよっぽど良い暮らしが出来る上に、権力まであるからだ。
「怪我をしてから、よく見えないのです。医者に出来るだけ、目を休めるように言われて」
「怪我? 傷がついたの?」
「見た目は分からないのですけど、そうなのかもしれません」
「見た目は分からないのね」
リオンの返答を聞いて侍女の顔に笑みが浮かぶ。侍女が大切なのは視力ではなく、その見た目だ。
「貴方、名前は?」
「リオンです」
「そう。私はミリアよ」
「あっ、私はね。マーガレット」
「シルビアです」
「ミリアさんとマーガレットさんと、シルビアさんですね。よろしくお願いします」
「「「…………」」」
そう言って笑顔を向けるリオンに、侍女の三人は見惚れてしまう。リオンよりは年上の三人だが、もっと年上の成熟した女性を狂わせるようなリオンだ。
軽く誘いをかけるつもりが、完全に心をリオンに捕らわれてしまった。
「あっ、あのね!」
「何ですか?」
「リオンくんは、デザートの美味しいお店とか知っているかしら?」
「私はあまり詳しくありません」
「そう……」
店を教わる事を口実にして、デートにこぎつけようと思った侍女の試みは失敗した……と思ったのだが。
「ヴィンセント様が甘い物好きなので、調べたいとは思うのですが、一人でデザートだけを食べに行くのは恥ずかしくて」
「じゃあ、私が教えてあげるわ!」
「本当ですか?」
「ええ。良いお店を知っているの。とっておきだから、きっと気に入ってもらえると思うわ。今度、案内するから食べてみて」
「……ご迷惑ではないですか?」
「大丈夫! 困ったときは助け合わないと!」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「私も知っているの!」
ミリアの成功を見て、すかさずマーガレットも声を上げた。
「えっ?」
「私も知っているから、案内するわ」
「はい。ありがとうございます」
「じゃあ、いつにする?」
「ちょっと! 約束したのは私が先よ!」
「日にちの約束はまだでしょ!? 私が先に聞いているの!」
「何ですって!?」
「うるさいっ!!」
大声でやり合う侍女を怒鳴りつけたのは、アクスミア侯家の従者の一人だった。だが、それに怯える侍女たちではなかった。
「うるさければ、図書室でも行って、勉強すれば?」
「何だと!?」
「ここは共同の控室よ。貴方の為に、話す事を我慢する義務は私たちにはないわ」
「こっちは真面目に勉強しているのだ! くだらない話をしているお前達とは違う!」
「くだらなくはないわ。従者同士の交流を深める事は大切な事よ」
「交流? 女に囲まれて、喜んでいるのが交流か」
「はっ?」
いきなり矛先を向けられて、リオンは驚いてしまう。男を怒らせている原因の一人なのだから、仕方がないとは思うが、あまりにも唐突だった。
「ウィンヒール侯家の従者は気楽なものだな。侍女と話していれば、それで務まるとは」
「……ヴィンセント様の言いつけですから」
「侍女と話すのが? さすがはウィンヒールの」
「女性には優しくしなければならない。ヴィンセント様は常にそう言っております」
男に最後まで話させる事無く、リオンは話を続けた。
「……あのヴィンセントが女性に優しく?」
「呼び捨てはヴィンセント様に対して無礼ではありませんか? それがアクスミア侯家の礼儀であるなら、こちらもそれに合わせますが?」
「……いや。しかし、ヴィンセント子爵殿はその女性に……。それでお前は平民に謝る事になったのではないか?」
ランスロットの従者が言ってきたのは、女生徒との揉め事の件。これはリオンにとっても、話題にしたかった出来事だ。
「何を言っているのでしょう? 女性に優しくしようと思ったから、非がないのに謝罪をしたのです」
「しかし?」
「こちらから伺ってよろしいですか?」
「何だ?」
「貴方はアクスミア侯家の従者ですから、あの場に居て、話を聞いていたはずです」
「……ああ、聞いていた」
少し考える様な仕草をしてから男は認めた。
「ヴィンセント様は女生徒に対して、何を注意していたか覚えていますか?」
「注意? 怒鳴っていたのは覚えているが……」
ほんの数日前の印象的な出来事をこの従者は覚えていない。それを疑問に思ったリオンだが、それを問い詰めるよりも、事実を自ら語る事にした。
「……女生徒が大きな荷物を路上に置いていたので、危ないからどかすように注意していたのです」
「……ああ、荷物か。確かに大きな荷物だったな」
「それは覚えているのですね?」
「ああ。馬車に運び入れたからな」
「それについても聞きたい事があります」
「何だ?」
「あの女生徒は平民です。平民でありながらランスロット子爵殿に荷物を運ばせていました。どうしてそれを咎めなかったのですか?」
「……確かに。どうしてだ?」
心底、不思議だという顔でリオンに問われた従者は他の従者に視線を向けた。二人の反応も同じようなものだ。首をかしげて不思議がっている。
「女生徒は人に迷惑を掛けていた。それを注意したヴィンセント様が、何故、悪く言われるのか私には分かりません。もっと言えば、そのヴィンセント様をあの女生徒は怒鳴りつけたのです。ランスロット子爵殿に為した事と同様か、それ以上に無礼な行為だと私は思います」
「その通りだ……」
身分制度が厳しいこの世界で、平民が貴族に向かって怒鳴りつけるなど、あり得ない。たとえ貴族側に非があろうとも、身分制度に重きを置く貴族は、平民が悪いと断じるのがこの世界の常識だ。
何故、それとは逆の噂が広がる事になったのか。ランスロットの従者の話を聞いて、益々、リオンは分からなくなった。
「あの女だもの」
「はい?」
話に割って入ってきたのはミリアだった。憎々しげな表情を隠そうともしていない。
「あの女のずうずうしさは常識では測れないわ。平民のくせにシャルロット様にも馴れ馴れしくしてくるのよ」
「……そうですか。でも、どうしてそれを許すのですか?」
「咎めたわ。でも、シャルロット様に許された、それどころか、気遣いは無用と言われた何て嘘を言うのよ」
「……シャルロット様、ご本人は何と?」
「お優しい方なので、表立っては何も仰らないけど、内心ではきっと……」
「そうですか」
ミリアの主観がかなり入っているのは明らかだが、それを指摘しても意味はない。リオンは質問する相手を変える事にした。
「……あの、ランスロット子爵殿はどう考えているのでしょうか?」
「ああ……。寛大な方だから……いや、そういう事ではないな。俺が見る限り、何故か、あの平民の娘を気に入ってしまったようだ」
「……そうですか」
リオンの頭は混乱するばかりだ。ヴィンセントとエアリエルも、平民であるリオンに寛大な方だ。周りの使用人が眉を顰めていた事をリオンは知っている。
だが、そんな二人でもリオンとの間に、主従関係という線引きをしっかりとしている。リオンが馴れ馴れしい態度を取れば、エアリエルはもちろん、ヴィンセントでもひどく怒るだろう。
他の侯家では考えが違うのかとリオンは一瞬思ったが、それは侍女や従者の態度から、そうでないと分かった。
では、あの女生徒はどうして特別扱いが許されるのか。いくら考えても分からない。
考えて分からないという事は、答えを得るための情報が足りないという事だ。情報網を広げる為の次の行動をリオンは取る事にした。
◇◇◇
リオンの活動は、望みとは違う形で効果を及ぼしていた。それでは困るのだが、リオンはどうにもうまく制御出来ないでいた。
アクスミア侯家の侍女との繋がりを深めた事で、侍女の間での情報はある程度、掴める様になった。侍女の噂話とはそういうものだ。どこか一カ所で張っていれば、大抵の情報は手に入る事をリオンは、経験で知っていた。
侍女の立場が上になればなるほど、その侍女が持つ情報は流れにくくなるのだが、リオンが繋ぎをつけたのは、アクスミア侯家の侍女という、学院では最上級の侍女だ。彼女たちから聞けない噂はないと言って良い。
そうなると、次は違う情報網を作る事になる。リオンが狙ったのは、平民だ。リオンの立場では貴族との繋がりを深めるのは難しいという理由もあるが、情報を流すという点においては、秘密主義の貴族よりも、平民の方が簡単だという考えがあった。
情報を得るだけでなく、こちらに都合の良い情報を広げる目的もリオンは持っている。
「はい。ここで宜しいですか?」
「は、はい」
教室の入口の手前で、リオンは持っていた用紙の束を、女生徒に渡す。
「もう、散らかさないで下さいね」
「あっ、はい。気を付けます」
優しい口調で、そう告げるリオンに女生徒の顔は真っ赤に染まっている。
「じゃあ、これで」
「あの!?」
「はい?」
「リオン様、ありがとうございました」
「いえ。気にしないで下さい。でも私の名を?」
「有名ですから。とても優しい方だって」
「それは恥ずかしいですね。それに優しくしているのは主にそう言われているからです」
「主ですか?」
「ウィンヒール侯爵家のヴィンセント様です」
「えっ?」
ヴィンセントの名を聞いて、女生徒は驚きの声をあげた。その反応に内心では酷く落ち込むリオンだが、それを表に現す事なく、女生徒の目を見詰めながら口を開く。
「不器用な方なので、誤解されやすいのです。どうか、本当の姿を見てあげて下さい」
「……はい。貴方のお願いなら」
「貴方のお名前は? そちらだけ名を知っているのはズルイと思います」
「……アンです」
「アンさん。じゃあ、又、機会があれば」
「はい。あの?」
「何ですか?」
「……リオンさんを見かけたら、声を掛けても良いですか?」
「ええ。こうして知り合ったのですから」
こんな感じで、リオンはとにかく困っている女生徒が居れば、何であっても手伝うようにしていた。ヴィンセントの言いつけを守っているだけだと、その度に相手に説明する。
これでヴィンセントが女性に失礼な真似をするはずがないと思わせる作戦なのだが、広がる噂はそうではなかった。
女生徒の間に広まった噂は、一見冷たそうに見えるが、すごく優しい、それもかなり美形な従者が居るという評判。
そして実際にリオンに出会った女生徒は、どうしてあんな素敵な人がヴィンセントの従者をしているのかと周りに話をしてしまう。
評価が上がるのはリオンばかりで、ヴィンセントの評判は相変わらずだ。
だが、リオンのせいでヴィンセント以上に、女生徒の間で評判を落としている者が居る。
その女生徒は。
「リオンさん!」
「……マリア様」
「様付けは止めて。私は平民よ」
それを言うなら言葉遣いをもう少し気を付けるべきだ。リオンも平民ではあるが、侯爵家の人間だ、という事をリオンは言わない。とにかく、この女生徒とは関わり合いになりたくない。初めて出会った時から、そう決めている。
「何か御用ですか?」
「別に用はないけど、見かけたから。駄目?」
上目使いで甘えた様子を見せてくる。そんな事に心を動かすリオンではない。
「まだ、アンさんとお話をしている途中でした」
つまり駄目だったという事だ。
「……えっと、まだ話が?」
「もう終わりますけど、こういった形で終わらせるのは、アンさんに失礼な気がします。アンさん、申し訳ありません」
「いえ、私は気にしていないわ。それに悪いのは」
アンの視線がマリアに向く。リオンに向ける視線とは全く異なる、冷たい視線だ。これで又、少し、マリアは女生徒の恨みを買う事になった。
特に親しくなる機会があった訳ではないのに、マリアは何かとリオンに話しかけてくる。
初めて話しかけてきた時は、リオンに謝らせた事への謝罪だった。それで終わらせておけば良かったのだが、マリアはそこからヴィンセントの悪口を言い始める。全てを押し付けられて大変ね、そんな同情を込めた言い方なのだが、リオンには悪口にしか聞こえない。
見る見る不機嫌になりながらも、又、変な評判が広がってはと、懸命に気持ちを押さえているリオンの姿を見て、怒りを爆発させたのは、それを見ていたファティラース侯家の侍女たちだった。
嫌がるリオンにマリアが絡んでいる。そんな風に彼女たちの目には映った。実際にそうなのだが、彼女たちには、実際以上にリオンが可哀そうに見えていた。
マリアを怒鳴りつける侍女たち。だが、それはすぐに主人であるシャルロットに怒られ、止められた。それによって益々、侍女たちのマリアへの悪感情は膨れ上がる。
そんな彼女たちの感情は、リオンに好意を持つ別の侍女たちにも伝染し、侍女の中でマリアは最低の女として位置付けられる事になった。
それでも懲りないマリアはリオンに話しかける事を止めない。こうして、マリアへの悪感情は平民の女生徒にも広がっていく。これはリオンへの好意だけが理由ではない。
同じ平民でありながら、三侯家と仲良くしているマリアへの嫉妬心が元々広がっていたのだ。
「では、私はこれで」
「はい」
「ちょっと?」
アンに別れを告げて、その場を去ろうとするリオンを慌てて、マリアは呼び止めた。
「まだ何か?」
「まだって、まだ何も話していないわ」
「……しかし」
「何?」
「ランスロット子爵様を差し置いて、私が話をしていて良いのですか?」
マリアは一人ではない。ランスロットもシャルロットまで一緒だ。
これはいつもの事で、それが尚更、リオンにマリアを面倒に思わせているのだが、今日はそれをリオンは逆に利用しようとしている。
「大丈夫よ」
「それはマリアさんが決める事ではありません」
「でも……」
「ご迷惑ですよね?」
「……いや、別に。マリアが話したいというのだから、俺が邪魔する事ではない」
「私はただの従者ですが?」
「知っている。もう何度も会っているだろ?」
「…………」
これを寛大の一言で済ませて良いのかと、リオンは疑問に思う。貴族と平民の立場の違いというものを、貴族の頂点である侯爵家の人間であれば、もっと大切にするべきだ。
などという事を、リオンが言えるはずがない。臣下であればまだ諫言となるが、リオンは他家の人間なのだ。
無言が精一杯の抗議。
「もし気になるなら。私から命令しよう。マリアの話を聞け。他家の従者とはいえ、侯爵家の俺の言う事に逆らわないよな?」
「いえ、ヴィンセント様の言いつけに反するのであれば、逆らいます」
「……そうか。この場合は?」
「……残念ながら、女性に優しくがお言いつけです」
「では話を」
「……承知しました。それで御用件は?」
「今度、皆で美味しいスイーツを食べに行くの。リオンも一緒にどう?」
いきなりの呼び捨てにリオンの眉がピクリと動く。眼帯の中の方の眉だったので、誰も気が付かなかったようだ。
「……それはヴィンセント様へのお誘いという事ですか?」
「違う。誘っているのはリオン」
又、呼び捨て。怒りに震えそうになるリオンを、少し大人な亮が懸命に宥めようと、働きかけている。もちろん、そんな事は周りには分からない。
「せっかくのお誘いですが、お断りさせて頂きます」
「どうして?」
「まず、従者の私が主も居ない場で、皆様と同席する訳には参りません。そして、そもそも、そんな時間が私にはありません」
「同席は誰も気にしないよ。それに時間がないのも嘘」
このしつこさがリオンを更に苛立たせる。しつこくされて、リオンがそれを許すのはエアリエルだけだ。つまり、リオンの感情次第だからしつこいは関係ない。
「どうして嘘だと?」
「シャルロットの侍女とデートしたって聞いた」
「……シャルロット様とお呼びするべきです」
「シャルロットは気にしないと言ったもの」
「……デートではありません。あれは美味しいデザートのお店を教えて頂いたのです。そういった事も従者の仕事のうちですから」
「美味しかった?」
「……ええ。良いお店を教えて頂きました」
この答えの次に待っている言葉がリオンには聞く前から分かっている。
「じゃあ、そこに行こう」
「どうぞ。ご自由に。先ほど、申し上げた通り、私には時間はありません」
「でも……」
「ヴィンセント様の下に行かなければいけません。これは全ての事に優先しますので、邪魔はなさらないようにお願いします。失礼します」
後はもうマリアへの意識を断ち切って、リオンは早足でその場を離れて行く。
「……さすが隠しキャラ。攻略は難しそう」
そのせいで、こんなマリアの呟きをリオンは聞く事が出来なかった。