月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

悪役令嬢に恋をして 第5話 生活にもかなり慣れました

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 ウィンヒール家に仕えるようになってから三か月になる。ここでの生活も大分慣れてきた。
 朝は日の出の前に起きて、体を鍛える毎日。この家の朝は早い。使用人は日の出とともに起きだして、仕事を始めるので、その前に起きないと自分の時間が作れないからだ。
 馬鹿みたいに広い中庭を走る。腕立て伏せ、腹筋などの筋肉トレーニング。これを日の出までずっとやり続ける。

 日の出の後は、従者としての仕事の始まり――なのだが、これがほとんどない。
 前任のウィルに教わった仕事で雑務以外となると他家との交流に関わる事。
 自家で開催するお茶会などの準備、招待客の選別から案内状の送付、出欠の確認。これがかなり大変な仕事らしい。
 それとは逆に送られてきた招待状を確認して、行くべきものと断るものを見極める仕事もある。これは他家との関係を把握したり、参加者を調べたりで判断をするらしく、かなり事情に通じていないといけない難しい仕事らしい。
 だが、今の所、そういう仕事は発生していない。まだヴィンセント様が子供だからという理由ではない。上位貴族ともなれば、子供のうちから社交の場に引っ張りだされるのは当たり前と聞いている。そもそも、この世界では遅くとも十六までに成人の儀を終わらせるらしく、早い人は十二で成人した人もいると聞いた。
 異世界の昔にあった元服というものも同じだったようで、偉い人とはそういうもののようだ。
 ヴィンセント様は十才。成人はまだまだ先だろう、だが二年後には学校に通うらしい。その時の事を考えて、今から他家の同世代と交流しておく事は必要な事だと思う。
 それなのに……全く招待状が来ない。ウィンヒール侯家との交流を望む者は多いはずなのに。
 どうしてそうなのか。きちんと教えてくれる人は誰もいない。俺には言えないような理由なのだろうと考えて追及する事は諦めた。いずれ分かる事だ。

 それよりも今は、せっかく出来た時間を大切に使おうとしている。何をしているかというと、文字の勉強だ。
 この世界の、少なくとも文字は日本語というものではなかった。自分の名前を書いた時に落書きだと思われた事でそれが分かった。アルファベットという文字にしても同じ。
 それが分かった時、目の前が真っ暗になった。従者という立場で文字の読み書きが出来ないなど致命的だと思った。
 でも幸いな事に何故か読むことは出来る。自分の目には書いてある文字は日本語として認識される。ただ書く事が出来ないだけだった。それでも大問題だ。手紙の代筆などは、従者の仕事の中でも多い仕事の一つはずだ。それが出来ないとなれば、従者失格となってしまう。
 文字を書けるようにならなければならない。どう見ても日本語に見えるが、本当は違う形のはずの文字を。
 不可能だと思ったこれを可能にしたのは、自分の存在だった。
 俺に意識の主導権がある時には、書かれている文字を日本語ではなく、この世界の文字として見える。読み書きが出来ないから何が書いてあるかは分からない。形が分かるだけだった。
 だが、それで十分だった。何が書いてあるかはもう一人が分かる。俺が文字の形を認識して、それを書く。書かれた文字が何を意味するかはもう一人が分かる。そうしてもう一人は文字の形を俺は文字の意味を覚えていく。
 よくもまあ、もう一人の自分はこんな事を思いついたものだと感心している。
 実際に勉強の効果は出ている。勉強に使っている本を見ると、日本語とこの世界の文字が入り混じって見えるようになった。この世界の文字に変わったのが、身に付いた文字だ。
 最初はちょっと解読が大変だったが、今はもうかなり慣れた。
 毎日毎日欠かさずにこれを行っている事で、ペンの扱いにも慣れた。まだまだ拙いが、少しずつ綺麗な文字に変わってきている、と思う。

 一人前の従者への道。
 まだまだ先は長いが、少しずつ前に進んでいるのが実感出来る。
 俺はどうしてこんなに真面目に仕事に取り組んでいるのだろうか。答えは分かっている。あの我儘な兄妹がどうにも放っておけないからだ。
 あの二人は色々と問題はあるが、俺にとっては、この世界で他にはいない信頼出来る人たちだ。
 こんな俺を。あの人たちは普通に扱ってくれる。周りから嫌われ、嫌がらせを受ける俺を、あの二人は庇い、守ってくれる。

 こんな異常な俺を――オッドアイという事だけではない。それ以上に俺は普通じゃない。

 一つの体に二人が居る。今は二人という事に抵抗を感じるようになってきた。俺と奴、自分ともう一人の自分は、少しずつ垣根を失い、一つの存在のように変わっている。いつでも俺は自分になり、自分は俺になる。でも俺も自分も同じ。
 俺は少し大人になった気がする。その分、自分は子供になった。
 二つの魂が一つになると自分は表現した。それは良い、それは良い事だと思うけど。完全に一つになったとしても俺が普通の人になる事は無い。
 俺たちには、それが分かってしまった。
 自分の方は少し覚悟をしていたようだ。異世界から来たのだ。自分が普通でない事は分かっていて当然か。
 でも俺は違う。貧民街に住む孤児で、力のない、いつ死んでもおかしくない存在だった。
 貧民街では珍しくもない存在の俺が、どうしてこうなった。自分がどうなっていくのか分からない。
 俺は力を持つ存在になるのだろうか。その時、俺は普通で居られるだろうか。もし力を持つ存在になれても、俺はあの二人の為だけに、その力を使いたい。
 自分が頼りだ。この体は俺の物だと、何度も自ら主導権を渡してくれた自分。色々と考えた結果、やっぱり俺は死んでいたのだと分かっても、それでも俺の意識の残像に体を渡そうとした律儀な自分。こんな人間に俺は生まれて初めて出会った。
 出会った、はおかしいか。自分は俺分でもあるのだから。今の俺は自分でもある。とにかく、自分の意識が頼りだ。その真面目さで俺の中にある歪んだ憎しみの心をどうか押さえて欲しい。
 俺が今の幸せな俺で居られるように。

 

◇◇◇

 四の刻。異世界での午前八時になると、ヴィンセント様を起こしに向かう。
 本来は俺の仕事ではなく、侍女の仕事なのだが、寝起きの悪いヴィンセント様の相手をする事を嫌がって、いつの間にか俺に押し付けられた。
 部屋の前には御付きの侍女が控えていて、俺の到着を待っている、はずなのだが。

「どうしてコーヒーがない?!」

「あの、それは……」

「目覚めのコーヒーがないのに、どうして僕を起こした?!」

 部屋の中から怒鳴り声が聞こえてくる。どうやら侍女が起こしたようだ。それは別に構わないのだが、うまく起こして欲しいな。
 軽くため息をついて、来た道を小走りで戻る。侍女には申し訳ないけど、少し我慢してもらおう。侍女のせいで怒りを収める方法を考えなければならなくなったのだから。

 戻ってきた時には、ヴィンセント様の声はかなり小さくなっていた。
 それでも侍女への文句は続いているようだ。このしつこさが他に活かせないものだろか。そんな事を考えながら部屋に入る。
 ベッドの横を通り過ぎ、閉められたままだったカーテンを開くと、窓から日差しが差し込んでくる、嫡子の部屋だけあって、日当たりの良い部屋なのだ。
 振り返ると、当たり前だがヴィンセント様の視線は、いきなり部屋に入ってきた俺に向いている。それを確認した所で礼儀正しくお辞儀。

「お早うございます。ヴィンセント様」

「ああ、お早う」

「本日はりんごジュースをご用意致しました」

「……何?」

 俺の言葉を聞いて、ヴィンセント様の眉間に気難しそうな皺が寄る。それを気にして、ビビってはいけない。

「りんごジュースをご用意致しました」

「どうしてコーヒーじゃない? 目覚めの一杯はコーヒーと僕は決めている」

「はい。確かに伺っております」

「じゃあ、どうして言うとおりにしない? お前は僕の従者だろ?」

「実は昨日、本を読んでいて、ある発見を致しました」

「発見?」

「目覚めたばかりの時間にコーヒーを飲むのはあまり良くないそうです」

「……そんな事は知るか。僕はコーヒーと決めている」

 だからといって、コーヒーが好きな訳じゃない。ヴィンセント様は父であるウィンヒール侯の真似をしているだけだ。

「しかし……」

「何だ?」

「それが記されていたのは武光王様の逸話が書かれた本でして」

 ヴィンセント様にとってお父上を超える存在となると、グランフレイム王国の三代国王であり、その武勇によって王国の領土を大きく広げて、今の王国の礎を築いたと言われている武光王が一番だ。

「……何?」

「武光王は、常にご自身の健康を考える御方でした」

「知っている。戦場では命知らずの行動をされる武光王は、平時は臆病なくらいに体を大切にする方だった。自分の価値は戦場に有り、その戦場で最大の力を発揮する為にというお考えからだ」

「その武光王がコーヒーは良くないとおっしゃったとか」

「……りんごジュースは?」

「果物は体に良いそうです。果物の甘さが、頭の働きも良くするそうで」

 これは武光王の御言葉ではないが、ここまでくれば、どうでも良い。

「そうか、じゃあ、それで良い」

「はい。ではテーブルの上に置きますので、お召し上がり下さい」

「分かった」

 ベッドから降り立って、ヴィンセント様はテーブルの席についた。もう侍女の事など気に留めていない。
 これで今日も何とかお役目を果たした事になる。
 布団から引き出す為に用意していた、とっておきの話を、機嫌を宥める為に使ってしまったのは勿体なかった。毎日、ヴィンセント様の興味を引く話題を考えるのは中々大変だ。
 でも、俺は知っている。侍女が起こそうとしても起きなかったり、癇癪を起こしたりするのは、ワザとやっているのだという事を。
 俺を屋敷に置く事に否定的な者たちに、俺の必要性を認めさせる為に考えた事だという事を。
 その好意に応える為であれば、毎朝の話題を考える事など、何て言う事はない。

「では、本日のご予定をお伝え致します」

「うむ」

 鷹揚に頷きを返すヴィンセント様。代わり映えのしない一日のスケジュールを説明して、朝の仕事は完了となる。

 着替えなど身支度を整えるのは、侍女の仕事。
 それが終わるまでの間に隣の部屋で午前中の授業の用意をする。教科書と筆記道具、用紙を机の上に並べていく。
 前日の宿題は……いつものように真っ白。ペンを取って、分かる範囲で課題を解いていく。
 それが終わる頃にはヴィンセント様も準備を終えて、部屋にやってくる。

「出来たか?」

「……まずはご自身でやられた方がよろしいかと」

「僕が宿題をやらないのはお前の勉強の為だ。やろうと思えば、いくらでも出来る。実際に先生が来る前には終わらせているだろ?」

 そう言ってヴィンセント様は、椅子に座ってペンを取る。考えるふりをしているが、俺の答えを写しているだけだ。
 これについては中々うまく説得出来ない。自分を口実に使われてしまうと説得する方法が思いつかない。勉強が出来るという事が、俺に考える事への熱心さを奪っているのかもしれない。
 書き写すのが終わる頃に、まるで見計らったようにムーア先生が部屋にやってくる。
 午前中の勉強の始まりだ。
 向かい合って、前日の課題を一つ一つ、先生が解説しながら答え合わせを行う。それが復習だ。それが終わると今日の授業に入る。
 教科書を使ってはいるが、ほとんどが書かれていない事を口頭で教えている。どうしてかと考えたが、どうやら、それが自分の教師としての価値を守る事と考えているようだ。ヴィンセント様が、懸命に言った事を書き写そうとした時に、それを止めさせた事でそう思った。
 当然、俺も紙には残せない。仕方なく、先生が言う言葉を一つも聞き洩らさないように意識を集中させる。部屋の隅で。
 ムーア先生が俺に問題を解かせたのは一度きりだ。それ以降は、俺の事は完全に無視している。理由は俺を見る時の蔑みを含んだ視線で分かる。
 孤児の従者になど、勉強は不要だという気持ちに違いない。聞き耳を立てている事に気付くと、声を小さくする徹底ぶり。それだけ嫌うという事は、孤児だという事だけでなく、俺の目も関係しているのかもしれない。
 この屋敷でも俺に対する周囲の態度は変わらない。貧民街でも貴族の屋敷でも俺は嫌われ者だ。二人を除いて。

 午前中の授業が終わると、昼食となる。
 ヴィンセント様はご家族で食事をされるので、お世話は侍女に任せ、その間に俺も自分の食事を終わらせる。
 調理室から食事を取ってきて、自室に戻る。
 使用人用の食堂はあるが、周囲の目に苛立つだけなので、自室で食事するようにしている。午前中の授業の復習もあるので、この方が良い。勉強をしている姿を見られたら、何を言われるか分かったものじゃない。
 パンをかじりながら、授業中に聞いた話を紙に起こしていく。聞き洩らしたり、忘れたりしていても、俺ではない俺に聞くと、大抵は答えてくれる。
 何故だか分からないが、異常に記憶力が良いのだ。
 昼食の時間だけだと、紙にするのに精一杯。後で何度も読み返して、内容を理解していく。分からない事があった場合は、紙にまとめておけば、次の日にヴィンセント様が質問してくれる。
 ヴィンセント様の協力で俺の勉強は成り立っている。
 何故、ここまでしてくれるのか、一度聞いたことがある。その答えは妙に納得がいくものだった。
 完璧な人間など居ない。そんな人間が、人の上に立とうと思ったら、自分に足りない所を補ってくれる人材を求めなければならない。ヴィンセント様は、そう言った。つまり、自分は勉強が苦手なので、お前が頑張れという事だ。
 言っている事は正しいと思う。ただ残念なのは、ヴィンセント様には足りない所が多すぎるという事だ。
 今の所、それを補う立場の者は俺一人。他に人が増えるまで、俺が頑張るしかない。
 今日の午後は、ヴィンセント様もエアリエル様と一緒にマナー授業。俺がダンスに付き合わされる必要はない。
 空いた時間はいつもの場所で、いつもの練習。空になった器を調理室に持っていき、綺麗に洗い終えた所で、中庭に向かった。

 

◇◇◇

 中庭にある噴水。それをぐるりと反対側に回る。
 こちら側は水汲みなどに人が来る事はなく、噴水の陰に隠れていると、滅多に人目につく事はない、はずだ。少なくとも、ここに来るようになってから、人に見られた覚えはない。
 それでも念のために周囲の気配にじっと耳を凝らす。俺と同じように隠れている者が居れば、別だが、周囲に人が居る様子はない。
 それを確かめた所で、今度は自分の中に気持ちを集中させた。気持を落ち着かせて、意識を瞳、それも右目に集中させる。それを続けていると、やがて、ぼんやりと噴水の周りに漂う何かが見えてくる。
 色も形もない、それでいて存在を感じる何かだ。
 こちらが見えるようになると、それに相手も気付く。この何かは意志ある何かで、ゆっくりと俺の周りに集まって漂っている。
 驚かせないように、ゆっくりと右腕を宙に差し出す。腕の周囲に集まり始めた何かは、俺の体から少しずつ何かを引き出して、吸収し始める。
 徐々に存在が強く感じられるようになる。ここまで来ると、後は願いを伝えるだけ。
 丸い玉になって欲しければそう願えば良い。刃のような形になって欲しければ、そう願えば良い。
 そして、目の前の木から伸びる枝を切り裂け、そう願えば――水の刃が宙を飛び、枝の先を切り落とした。今は小さく、細い枝の先くらいしか切れないが、これが大きくなれば、もっと太いものを切れるようになるだろう。
 これが俺の身に付けた魔法。ヴィンセント様の習っている方法とは随分と違っている。だが、俺の直感が訴えている。直感ではなく何かが教えてくれているのかもしれない。
 これが本当の魔法だと。
 何かの存在を知ったのは偶然だった。病みつきになった水浴びを、人に知られないように暗くなってから、こっそりと行っていた。
 頭から滴る水のせいで、たまたま片目、右目の方で噴水を見た時に、周囲に漂う何かが見えた。見間違いだと思って、目を凝らすと見えなくなった。
 だが見えなくなっても、一度感じた存在感は消える事はなかった。もしかしてと思って、又、右目だけで見ると目に映る。左目だけにすると見えなくなる。
 青い瞳にだけ見える存在。水属性の精霊だと分かった。精霊というのは、俺が勝手に呼んでいる事なので、本当に精霊という存在かは知らない。だが、確かにそれには意志がある。
 意志があって、食事も必要とする。
 その食事が人の体内にある魔力だ。魔力の活性化、循環なんて出来なくても、俺が許せば、精霊たちは俺の体内から自由に魔力を引き出して、自分のものにしていく。
 こちらの願い事をかなえるのは、その御礼。
 魔法とはそういう理だ。
 それを知って、疑問が湧いた。ヴィンセント様の魔法の家庭教師はどうして嘘を教えているのかという事だ。だが、それは言い出せないでいる。俺が魔法を使えるという事も又、おかしな事だからだ。
 これを他人に知られる勇気は今の俺にはない。秘密を抱えるというのは辛いが、幸いにも、こういう事態への助言をし、支えてくれる俺が居た。
 人とは違うという事実は出来る限り隠すべきだ。それを知られても、問題ない強さを身に付けるまでは。
 そう決めて、今はこの能力を磨く事に必死になっている。
 今は片目にしなくても意識するだけで水の精霊は見えるようになっている。噴水などの水がある場所以外でも、気持ちを強く集中すれば、存在を感じられるようにもなった。
 更にわずかな労力で、簡単に見えるようになれば、俺の魔法も使い物になるに違いない。水の精霊については、かなり手応えを感じている。
 これからは左目の方を鍛える事により多くの時間を割くべきか。最近はそんな風に考えるようになっている。