朝食を終えた後は剣術の鍛錬の時間。いつも通り、ヒューガたちはグレゴリー大隊長が待つ城の外縁にある演習場に向かった。
ただ今日の鍛錬はいつもと少し趣向が違っていた。ヒューガたちが並ぶ向こう側、約五十メートル先に三十人の兵が隊列を組んで並んでいる。ヒューガの側は二十人。個人の鍛錬ではなく、部隊と部隊での戦闘訓練だ。
「始め!」
グレゴリー大隊長の掛け声と共にヒューガたちと向かい合う敵側の団から二十人が前進してきた。
「来たぞ! 隊列を崩すな!」
「おう!」
ヒューガたちは五人一組となって横一列に並んで相手に備える。剣を上段に振りかぶって走ってくる敵兵。その距離は見る見る縮まってくる。
二十メートル、十メートル、両部隊が接触した。ヒューガは振り下ろされた剣を受けて、そのまま力を込めて相手を押し返す。
「押せー!」
ヒューガの部隊は初撃を堪えきった。そのまま押し込んで、相手が下がったところで今度は反撃。一歩踏み込んで斜めに振り下ろした剣が相手の肩口にあたる。
「よし!」
そのまま敵兵の空隙に割り込んで、左の敵に向かう。横から相手の胴を振り払う。これで二人目だ。
「ヒューガ! 前に出過ぎだ! 次が来てるぞ!」
ヒューガが次の敵を探していたところに味方から注意を促す声が響く。右手から敵陣に残っていた十人がまとまって向かってきていた。味方との間には先陣の敵兵。
「うわ、やばい!」
完全に囲まれていたことに気付いて焦るヒューガ。る。
「よーし、今だ! 一気にヒューガを叩け!」
「えっ?」
十人の敵兵が全てヒューガに向かっていく。一人目の剣を受けたところで、さらに横からもう一人が剣を突いてくる。それを躱してもさらに次。
十対一の圧倒的に不利な状況で、ヒューガは次から次へと振るわれる剣を避けながら、なんとか隙を見つけて相手を倒していく。
だがそれも三人まで。間合いを詰めてきた敵勢に周りを囲まれて、一斉に剣を振るわれて終わり――ヒューガは死んだ。
実際に死ぬかと思うくらいにコテンパンにやられたヒューガ。残った味方も少しの時間はなんとか堪えていたが、数の差はどうにも埋められずに全滅となった。
ヒューガたちの完敗だ。
「この馬鹿もんが!」
「つっ……」
グレゴリー大隊長の怒鳴り声があたりに響く。すぐ目の前で発せられたその大声のせいで、ヒューガは耳が痛くなった。
「相手は最初からお前を真っ先に潰すことを考えていたんだ。敵の策に嵌まって、まんまと隊列から引きづり出されおって。もう少し周りの状況を良く考えてから動け!」
「どうして僕?」
何故自分が狙われたのかヒューガには分からない。部隊訓練などヒューガは始めて受けたのだ。
「お前が一番強いからに決まってるだろ! なんで味方の数を少なくしたと思っているんだ! お前がちゃんと周りと連携していれば五分で戦える数だったのだ!」
「いや、僕一人で十人相手は無理だから。実際にやられた」
ハンデが大きすぎるとヒューガは文句を言う。そこまでの実力が自分にあると思っていないのだ。
「それはお前が孤立したからだろ? 味方との連携を考えろといったのはそのことだ。うまく味方を使い、味方に使われていれば、相手の攻撃を耐えながら少しずつ敵を削ることは出来たはずだ」
「……じゃあ、この負けは僕の責任か?」
「ああ、そうだ」
グレゴリー大隊長はヒューガの責任だと断言した。ヒューガにその言葉を疑うつもりはない。師匠としてグレゴリー大隊長のことは信頼しているのだ。
「……わかった。皆に謝ってくる」
グレゴリー大隊長の前を離れて、味方の部隊に戻る。
「いやぁ、怒られてたなぁ」
部隊に戻ったヒューガに真っ先に声を掛けてきたのは年長者のギド。そのおどけた口調のおかげで、グレゴリー大隊長に怒鳴られてへこんでいたヒューガの気持ちが少し楽になった。
「怒鳴り声で耳が痛くなった」
「そりゃあそうだ。目の前であんな大声を出されたんじゃなぁ。まあ、それだけ期待されてるってこった」
「……そうだと良いけど。とりあえず、ごめん。今回の負けは僕が勝手に動いたからだ」
周りの皆に向かって、ヒューガは頭を下げる。それを見て、周りがうんうんと頷いているのを見て、皆も自分の責任だと思っていることがヒューガに分かった。
「まあ、そうだな。こっちの勝機はお前を上手く使うことにあった。それがいきなり潰されたんじゃ、残った俺たちはお手上げだ。数の差を埋めることは出来ねえからな」
「それが分かんない。なんで僕なんだ?」
「ヒューガ、お前はもう少し自覚を持てよ。お前とフーは強い。強くなったというべきだな。今はもう一対一でまともに戦えるのは大隊長とアイン副長くらいだろうよ。長年、鍛錬を続けている俺たちとしては少し悔しい気持ちもあるが、それでもお前たちがすごく努力しているのを俺たちは見てきた。素直に認めてるよ」
「そんなことない。まだまだ僕たちは鍛錬の途中だ」
ヒューガと冬樹の実力は周囲から頭一つ抜きん出ている。その自覚がないのは本人たちだけだ。鍛錬はずっとヒューガたちよりも強いグレゴリー大隊長とアインが行っているので分からないのだ。
「今で途中だったら、お前たちはどんだけ強くなるんだ? まあ、それはいい。年長者としてひとつ教えておこうか。謙虚なのは良いことだが一対一の戦いと違って戦争の時はその謙虚さは不要だ。謙虚と慎重は違うからな。部隊同士の戦いの時にはな、戦力を適切に配置する必要があるんだよ。その為には配置する戦力を客観的に評価しなければならねえだろ? 誤った配置で戦いに臨んだんじゃあ痛い目にあうだけだ。それを忘れちゃあいかんな」
「……分かった」
「まあ、これは訓練だからな。失敗なんていくらでもすればいい。要は本番で失敗しなきゃいいんだよ」
「そうだね」
失敗出来るのは今のうち。本番で失敗すれば命を失うこともあるのだ。
「さて、ということで今回の負けはヒューガの責任だから、負けの罰は全部ヒューガが負えよ。調練場の周回が一人当たり十周だから、ん……二百周だな」
「出来るか!」
◇◇◇
さすがに二百周を走ることはヒューガにも無理な、走れるかもしれないが時間がない、のでその十分の一、二十周が罰になった。
周囲はおまけしてあげたという雰囲気だったが、それに騙されるヒューガではない。自分の責任であることは認めるが、一方でそれは買いかぶりだという思いもある。結局、ヒューガ自身と周りの実力に対する評価に差があるのだ。
強くなった自覚はヒューガにもある。だが本人は今のレベルではまったく満足していない。もっと強くなれる。確信にも似た強い思いがあるのだ。
それはつまりグレゴリー大隊長とアインにもいつか勝てると考えているということなのだが、それをヒューガは分かっていない。
「この馬鹿もんがー!」
辺りに響き渡るグレゴリー大隊長の声。何が起こったのかとそちらを向くと冬樹が怒鳴られているのが見えた。
それを見たヒューガの口元に笑みが浮かぶ。冬樹も自分と同じ失敗をしたのだと考えたのだ。
「あっ!」
右目に突然の違和感。コンタクトを落とした感覚だ。慌てて足元を探すと、幸いにもそれはすぐに見つかった。泥に汚れたそれを目に入れるわけにはいかないので、手に持ったまま残りの周回を走りきり、ヒューガは部隊の方へ戻った。
「終わったのか?」
「ああ、冬樹も俺と同じ?」
「そうだ。学習ってものを知らんのかあいつは。お前がやられたのを見ていたはずなのに全く同じやり方に引っかかった」
「冬樹だからね」
ヒューガが考えていた通り、冬樹は同じ失敗を犯していた。それを知って、またヒューガの顔に笑みが浮かんだ。
「ん? お前、その目はどうした?」
グレゴリー大隊長はヒューガの目の色が変わっているのに気が付いた。黒目が碧眼に変わったのだ。しかも片目だけ。気付かないほうがおかしい。
「ああ、コンタクトが外れた。汚れたから、そのままはめるわけにはいかなくて」
「コンタクト?」
「そうか。コンタクトなんていっても分からないか。これのこと」
この世界にコンタクトはないと気付いたヒューガは、実物をグレゴリー大隊長に渡した。
「これは……ガラスで出来ているのか? これを目に?」
「そう」
「何の為にこんなものを?」
何故、ガラスを目の中に入れなければならないのか。グレゴリー大隊長には理解出来ない。
「目が悪い人の為の矯正。これをつけると良く見えるようになる」
「ヒューガは目が悪いのか?」
「いや。僕の場合は目の色を変える為。レンズに度は入ってない。度って言ってもわからないか。簡単に言うと僕のそれはただの黒いガラス」
「これを……」
グレゴリー大隊長は手に持ったコンタクトを目の前に掲げ、片目をつむって見ている。ガラスを目の中に入れるなんて、この世界の人には想像つかないだろうな、なんて思いながらヒューガはその様子を眺めていた。
「暗いな」
「ああ、黒色だからね」
「これをずっと?」
「まあ大体。さすがに寝るときは外してる」
そういえばこの世界でこれをすることに意味はあったのか。何も考えないで続けてきたこの習慣に、今更ながらヒューガは疑問を持った。
「鍛錬の時はずっとだな?」
「外したことはないね」
「そうだな。お前のその目の色は初めて見た」
「……だろうね」
なんだかグレゴリー大隊長の様子がおかしい。ヒューガはなんとなく嫌な予感がしてきた。
「暗いな」
「……まあ、黒色だから」
また同じ問いを繰り返すグレゴリー大隊長。ヒューガの顔には警戒の色が浮かんでいる。
「見えにくいだろ? 色々と」
「……まあ、黒色だから」
「これをして剣術の鍛錬をやっていたわけだ。ずーとこれを付けて」
グレゴリー大隊長の顔は笑っている。笑っているが日向はその笑顔から恐怖しか感じられなかった。
「……えっと、問題が?」
「この馬鹿もんがぁー!! 当たり前だ!! 何なんだ、お前は!? この黒いガラスを通して、どうやって相手の剣が見えるんだ!?」
「いやまったく見えないわけじゃない。少なくとも初動は見えてる」
「……その後は?」
「……なんとなく。予測ってやつ?」
「…………」
グレゴリー大隊長は怒ってる。怒っているが呆れている。その複雑な感情を見事にヒューガは読み取った。そしてヒューガが読み取ったのはそれだけではない。
「……走ってくる」
「ああ、それがいい。二十周だ」
「Yes Sir!」
◇◇◇
ヒューガと冬樹が剣術の鍛錬を行っている間、夏のスケジュールは情報収集と自主練、それと二度寝の時間だ。
といっても今日のところは侍女たちの部屋に行くことも二度寝をするつもりもない。自主練も……何故か延期となった。
その理由はヒューガの弟妹たちの勉強の準備をする為。確かにそれも大事な作業だが、優先すべきことかは微妙だ。夏個人としてもやることは沢山あるはずなのだ。
「ナツ様は良いのですか? 剣術の鍛錬のほうは」
それについてクラリスが尋ねてきた。夏がヒューガたちと一緒に剣術を習わないのが不思議なのだ。
「あたしには剣術は向かない。それはもう分かっているもん。ある程度動けるような体力をつければ今はそれで十分なの。それよりも魔法のほう。そっちを頑張らなきゃ」
「そうですか……」
そうであれば今の時間は魔法の練習を行うべき、という台詞はクラリスの口からは出なかった。自分がどうこう言うことではないと遠慮しているのだ。
「しかし、ヒューガは良くここまで作ったよね?」
「そうですね。こうして見ていると良く考えられていますね」
ヒューガが作っていたテキストはずっと昔に見覚えのあるもの。小学校の時、こういうテキストで勉強していた、と夏が思えるものだ。中身も実用的。日常会話でよく使われる言葉だけを選んでいる。
すでに何日分か作ってあるが、ヒューガが言うにはそれはあくまでも下書き。実際に使う時には、間違いが多い言葉を付け加えて完成させることになっている。
「こんな才能まであったとはね。ちょっとびっくり」
「そういえばヒューガ様とナツ様は元々親しいのですか?」
「全然。冬樹とは仲が良かったけど、ヒューガと話したのは召喚される直前が初めて」
夏とヒューガは顔見知りではない。学校内ですれ違ったことはあっただろうが面と向かって話をしたのはこの世界に転移する直前だった。
「直前ですか? でも、同じ学校だったのですよね?」
「そうよ。でもクラスが違うから。あたしたちの学校はクラスが違うとほとんど接点なんてないからね」
「えっと……それでも直前には話をされたのですよね? それはどういうきっかけで?」
接点のない三人が何故、その時に限って話をしていたのか。クラリスはそれを不思議に思った。
「冬樹の馬鹿がさ、ヒューガに喧嘩を売ったの」
「喧嘩ですか?」
「ヒューガが前に話してたじゃん。中学に入ってからは虐めようとした奴らに徹底的にやり返したって。あれね、言葉通りよ。その時はあたしたちも事情を知らなかったけど、ヒューガにボコボコにやられた人間って結構な数がいたの。他校にもね」
「想像つかないですね」
夏の話を聞くとヒューガはかなり暴力的な人物となる。今のヒューガと話の中のヒューガがクラリスの中では重ならない。
「そう? まあ体は小さいからね。それで余計になめられてたんじゃない。なんか生意気なチビがいるって評判になってて、あたしが知ってるだけでも結構な数がヒューガに喧嘩を売ったみたいよ」
「それで?」
「全員、返り討ち」
「元からそんなに強かったのですか?」
「どうだろ? そこまでは知らない。でも最後には必ず勝つ。そんな感じだったって聞いた。結局誰も手が出せなくなって、それで冬樹に回ってきたって訳」
「フー様にですか?」
ここで冬樹の名前が出てきた。ここまでの話ではクラリスには展開が読めない。
「冬樹は冬樹で喧嘩ばかりだったからね。まあ冬樹の場合はあれで正義感が強いから、自分から喧嘩を売ることはめったになかったの。冬樹が喧嘩をするのは仲間がやられた時だけ。それを周りに利用されてたんだけどね」
「利用ですか?」
「そう。自分たちが悪いのに、相手に非があるように冬樹に告げ口するの。それを聞いて冬樹は仲間の敵討ちだって、その相手に喧嘩を売りに行く。そんなのばっかり。その仲間に騙されてるというのに」
「ナツ様はそれを分かっていて止めなかったのですか?」
夏が側にいて何故、それを止めなかったのか。夏の話はクラリスには分からないことだらけだ。
「止めたよ。でも、仲間の言うことを信じられなくなったら男は終わりだなんて言って。馬鹿なのよ、馬鹿」
「……フー様らしいですね」
冬樹の話は今の彼と見事に重なる。良く言えば真っ直ぐな性格。悪く言えば単純。クラリスの冬樹評だ。
「まあね。そんなんだから放っておけないの」
「好きなんですね? フー様のことが」
「はっ? あたしが冬樹を? 嫌だ、そんなんじゃないから」
「そうなのですか?」
夏はいつも冬樹をからかっている。それは好意からの行動だとクラリスは思っていた。
「そうよ。なんであたしが冬樹なんか……あたしはもっと恰好良い男がいいの」
「見た目はそんなに悪くないと思いますけどね? そうなるとヒューガ様のほうが好みなのですか?」
「それはない! 絶対にない!」
クラリスの問いを全力で否定する夏。
「そんなに強く言わなくても……」
そこまで強く否定されると逆に怪しく感じる。
「別に変な意味じゃないからね。なんとなく分かるのよ。ヒューガの隣にいるのは、あたしみたいな女じゃない。ヒューガの隣にいられるのはもっと特別な人、たとえば、あの……」
ディアの名を夏は口に出せなかった。ヒューガはディアのことが好き。これは間違いないと夏は思っている。そしてクラリスの気持ちもかなり怪しんでいる。
これを考えていた時、夏はヒューガがクラリスについても調べて欲しいと言っていたことを思い出した。その意味を考えた。
「あの、どうしました?」
「ううん。なんでもない。そういえばクラリスさんはいつからお城で働いてるの?」
早速、本人に聞き込みを始める夏。
「三年程前からですね」
「その前は?」
「その前は……特に何も」
「そうなの? でもどうしてお城に上がることになったの? 普通は紹介とか、貴族の令嬢が嫁入り修行の一環でなるんでしょ?」
「はい。私の場合はある方の紹介です」
「ある方って?」
クラリスの素性を知る手がかりになる情報。怪しまれないようにさりげなく夏は聞いたつもりだったが。
「人に話すものではないのです。相手の方のご迷惑になる場合がありますから」
クラリスは質問に答えようとしなかった。
「そう。じゃあ、なんで第一王女様の侍女に?」
攻める角度を変えてみる夏。第一王女も謎の多い人物。両方の情報を得られることを期待しての問いだ。
「それは……ちょうど空いていたからですね」
「なんで? 第一王女ってくらいだから、この国ではあれでしょ? 王位継承権第一位だっけ? そんな人の侍女が足りないなんてあるんだ」
パルス国王には男子がいない。これはパルス王国が抱えている問題の一つで、すぐに手に入った情報だ。
「そうですね。でも、この国で女王が立ったことはありませんから。王位継承権なんて意味はありません。ナツ様が思うほど待遇が良いわけではありませんよ」
「そうなんだ。女王じゃないってことは婿をとってその人が王になるってことなのかな?」
「その可能性もありますけど、どうでしょう? 王もまだお若いですから新たな子供が出来る可能性もありますね。まあ、その辺の事情は侍女の私では分かりません」
「えっと、侍女が空いたってことは辞めた人がいるってことかな? それって第一王女様って仕えるには面倒な人なのかな?」
話が終わってしまいそうだと思って、夏は慌てて次の話題を作り出した。この答えを得ても役に立つとは思えない問いだ。
「少なくとも私はそうは思いません。でも人それぞれ感じ方は違うのでは?」
「まあ、そうね」
クラリスのガードは、本人が意識してのことかは夏には分からないが、固い。中々求める情報が得られない。話の流れが悪いと感じて、夏は展開を変えることにした。
「クラリスさんはどうなの?」
「……何の話でしょうか?」
「あっ、そっか。全然繋がりなかったね。話は戻ってヒューガのこと。ヒューガのことはどう思う?」
踏み込んで質問だ。だがクラリスが隙を見せるのはヒューガが絡むことではないか。そう考えて、夏はこの話題を選んだ。
「不思議な方ですね」
「不思議?」
返ってきたのは予想外の答え。
「はい。人が嫌いと言いながら、人の為に自分の睡眠時間を削ってまで、こんなことをしています。異世界の人なのに不思議とこの世界を尊重しています」
「尊重? そうなのかな?」
話が夏の予想と異なり、難しい内容になってきた。ただこれはこれで夏の好奇心をくすぐるものだ。
「はい。私はそう思います。話を聞く限り、元の世界は随分と進んだ世界なのでしょね? でもヒューガ様はそれをこの世界に当てはめて考えることをしない。それは、この世界のルールを大事にしているのだと思います」
「ああ、何となく分かる」
以前、元の世界の学校制度について話した時もヒューガは否定的な意見を述べていた。勇者の話はとくにそうだ。ヒューガは民主主義の導入も否定していた。
日向の否定は制度そのものに対してではない。この世界で運用する場合の問題を指摘するもの。クラリスの言う通りだと夏は思った。
「それに物事の本質に接しようとしている。決して表面だけで判断しようとしていません」
「えっと、そう?」
「貧民区が良い例です。私も直接見たことはありませんが、噂通りであれば、ナツ様も驚くと思いますよ。場所もそうですが、そこに住む人たちも。その人たちと知り合いになれるヒューガ様は偏見を持っていないのですね? そもそもそこの人たちに受け入れられたことが驚きです」
「……そうね」
クラリスはヒューガを良く見ている。自分よりもずっと。こう思って、夏は少し落ち込んだ。
「あとは何でしょう? わずかな情報を元に真実を見抜く力。これは前のと似ていますね。謙虚で努力を惜しまないところ。すごく頭が良いのにどこか抜けているところ」
「あっ、それあるね。ヒューガって鋭いところと鈍感なところの差が激しい」
「はい。そうですね。あとは……」
まだヒューガについて語ろうとするクラリス。このまま永遠に話が終わらないのではないかと、夏は思い始めてきた。それだけクラリスにはヒューガに対する熱量があるのだと。
「えっと、クラリスさんって本当にヒューガのことが好きなの?」
「えっ? いえ、そんなことはありません」
動揺したようではある。だがクラリスの表情はほとんど変わっていない。いつものように感情が読めない。
「でも……」
「ナツ様の言うとおりです。ヒューガ様は特別な人。私などは相応しくありません」
「そう……でも何でだろ?」
「何がですか?」
「いやぁ、なんでヒューガが勇者じゃないのかなと思って。ヒューガはあたしたちとは違う。それはあたしでも分かる。そのヒューガがただ巻き込まれただけなんて……」
ヒューガは特別な存在。ずっと側でヒューガを見ていて夏はそう感じている。勇者と認定された二人のことをそれほど知っているわけではないが、ヒューガのほうが相応しいと思っている。
「……勇者は力あるもの。それ以上でもそれ以下でもない。そういうことだと思います」
「それって?」
意味深な言葉。その意味をクラリスに聞こうとした夏だが。
「ただいまー、ああ疲れた」
「ただいま」
冬樹とヒューガが戻ってきたことで、そのタイミングを失った。
「お帰りなさいませ。お二人ともお疲れですね?」
「ああ、最後にちょっとしごかれた」
罰を受けた、が正しい。
「そうですか。お食事は? すぐに召し上がりますか?」
「お願い! どんなに疲れていても飯は必ず食う」
「僕も」
「わかりました。すぐにご用意します」
食事を用意する為にクラリスは部屋を出て行った。夏に最後の言葉について尋ねるタイミングを与えないままに。