すっかり夜も更けた時間だというのに周囲は昼間のような明るさだ。環状六号線沿いに並ぶ街灯。その両側に建つ建物の明かりがそうさせていた。
『鬼』という存在が現れるようになってからもう十年以上の時が経つ。夜の闇の中で活動する鬼と戦う為に、旧都心の湾岸地区では数え切れないほど多くの場所に、こういった設備が整えられている。明かりだけではない。ありとあらゆる場所に向けられている監視カメラ。鬼の気配、『鬼力』と呼ばれているものを探知する装置など、夜の闇を得手とする敵の動きを捉える為の様々なものが設置されていた。
さらに対鬼戦の専門部隊が存在している。人ならざる悪しき存在である鬼。その対となるような人ならざる特別な力を身に着けた戦士たちの集団。それが第七七四特務部隊だ。
「こちら第五分隊。状況は?」
出動してきているのは第七七四特務部隊所属第五分隊。メンバーの一人である土佐(とさ)剣人(けんと)が無線で状況を問い合わせている。その顔は若い。まだ十九歳なのだ。
「現在、鬼は移動を止めています。そちらから二キロほどの地点です」
剣人の声に答えたのは第五分隊の補佐官である立原(たちはら)一華(いちか)防衛技官。周囲に設置してある監視設備の情報確認と現場への伝達が彼女の仕事。オペレーターとも呼ばれている。
「前進するべきかな?」
敵は移動を止めている。そうであるなら、こちらから近づこうと剣人は考えた。
「いや、その場で待機だ。ニキロ先は監視設備が不十分。住宅地を戦場とするには問題がある」
その剣人の考えを否定する言葉が無線から流れてくる。第五分隊の指揮官である宗方(むなかた)剛士(ごうし)陸曹の声だ。指揮官は現場後方にある指揮車両の中から全体の状況を確認しながら指示を出す。それに従って戦闘員が動くというのが第七七四特務部隊の戦い方だ。
「……住宅地で暴れるなんてことはないのですか?」
「もちろんある。その場合は前進もやむなしだが、今はそうではない」
住民の犠牲が一切出ないように。こんな考えは特務部隊にはない。最優先事項は確実に鬼を倒すことなのだ。
「……分かりました」
まだ若い剣人にはその考えは中々受け入れられない。世の中を守る為に得た特別な力。それは人の為に活かさなければならないと教えられてきたのだ。
「待機するの?」
宗方分隊指揮官と剣人の会話を聞いていた別の分隊員が不満そうな声をあげた。円城(えんじょう)風花(ふうか)。剣人よりもさらに一つ下。十八歳の女の子だ。特務部隊のメンバーは、特に実戦担当は若い。全員が二十歳以下だ。
「風花。指揮官の指示だ。仕方がないだろ」
不満げな風花をなだめようと口を開いたのは荒波(あらなみ)渡(わたる)。彼も十九歳だ。
こんな若い彼らに危険な任務を負わせるには理由がある。彼らが身に付けている特別な力は精霊力と呼ばれている。精霊の力を自分の身に宿し、その力で戦うのだ。だがその宿すということには制約があって、大人になってからは力が発現することはない。さらに子供であっても個々人で適正が違っていて、誰もが戦える力を持てるわけではないのだ。
「Cクラス相手よ? 楽勝じゃない」
「クラスが低くても楽勝なんてことはない。甘く見ていると痛い目に会うぞ」
鬼の力も実は彼らと同じ。普通の人が悪しき霊の力を宿すことで鬼と化す。精霊か悪霊かの違いだと言われている。その悪霊を軍では『穢れ』と呼んでいた。
そして問題は『穢れ』を宿した鬼は、単体では精霊を宿した彼らよりも強いということ。精霊と悪霊では悪霊が強い、ということではない。適合性の問題だ。精霊を宿しても多くの隊士はその力を百パーセント発揮することは出来ない。一方で鬼は悪霊の意思で動いているので、悪霊そのものの力をフルに発揮することになる。風花の言うような楽勝なんて状況にはまずならない。
「三対一じゃない」
三対一であっても同じであることは風花にも分かっている。分かっているが戦いを急ぎたい理由が風花にはある。
「そうだ。まだ三人だ」
その理由が分かっている剣人はこんな言い方で返した。一分隊の戦闘員は四人で構成される。第五分隊も本来は四人の戦闘員がいるのだが、今この場には三人しかいない。
「警戒レベル2なのに遅れてくるような人を頼りにするの?」
その残る一人が風花は嫌いなのだ。
「頼りにしたいな。理由は言うまでもないだろ?」
「彼女ばかりに活躍させていいの?」
Cクラス相手であれば楽勝だ。これを言える唯一の人間が今この場にいないメンバーだった。彼女が参戦すれば自分の出番はなくなる。そういう思いが風花に戦いを急がせている。
「任務を達成出来ればそれでいい」
「男って可愛い女には甘いのよね」
「俺はそういうことは言っていない! 任務遂行が何より大事だと言っているだけだ!」
顔を真っ赤にして否定の言葉を口にする剣人。実際にはその気がなかったとしても誤解されるには充分な反応だ。
「ああ、嫌だ。中学生相手に。剣人ってロリなの?」
実際に風花は誤解した。もっとも今に始まったことではない。誤解かどうかは別にして、こういう剣人の態度がもう一人のメンバーを風花が嫌う原因の一つなのだ。
「その中学生相手にムキになるお前はどうなんだ? 彼女はまだ子供だ。俺たちが支えてやるべきじゃないのか」
「彼女はそれを望んでいない。そんなことも分からないの?」
「だから、そういう彼女に人に頼ることを教えるのが俺たちの役目だ」
「ホント懲りないわね。どんなに優しくしても冷たくあしらわれるだけじゃない。私はあんな態度を取る年下の女に媚びる気にはなれないから」
風花はただ嫉妬心だけで嫌っているわけではない。相手にもそれなりに原因があるのだ。それを許せるか許せないかは、それぞれの気持ち次第。
「子供だから強がっているだけだ。そういう時期あっただろ?」
剣人はそれを許せる側だった。
『下らない雑談はそこまでよ。敵が動き出したわ』
割り込んできたのは無線の声。
「剣人……」
まさか会話を聞かれていると思っていなかった風花は剣人を睨みつけている。
「無線切るわけにはいかないだろ?」
「だったらそうだと言ってよ。私一人が悪者みたいじゃない」
『もう終わり! そんな余裕はないわ! 反応が大きくなってる!』
また言い争いを始めそうになった二人の耳に、立原補佐官の切羽詰まった声が届いた。
「一華さん! 反応が大きくってどういうこと!?」
『敵推定ランクA! 属性反応なし!』
「Aランク!?」
一気に二段階のランクアップ。なんてことは関係なくAランクであることが驚きだった。今の第五分隊は結成間もない。経験の少ない彼らはAランクの敵に遭遇するのは初めてだった。
『立原! 応援出動を要請しろ!』
『了解!』
『各人、間隔を取って待機! 俺も支援部隊と共に前線に向かう! それまでは出来るだけ戦闘開始を遅らせろ! 守りに徹するんだ!』
宗方陸曹も焦った声を出している。Aランクが相手ということへの焦りだ。その声を聞いて現場はさらに緊迫した雰囲気になる。初めての強敵。それと対峙することへの不安が第五分隊のメンバーに広がっていた。
そしてその不安は第五分隊だけではなく、さらに後方に位置する総合指揮所にいる人々にも広がっていた。
「……気軽に見学という状況ではなくなったな」
現場を映し出す監視カメラの映像を眺めながら、葛城陸将補が小さく呟いた。小声なのは周囲を気にしてのことだ。
「Aランクというのは何ですか?」
軍人ではない少年にはランクが何か分からない。
「簡単に言うと鬼の強さを示すものだ。鬼力を測るセンサーがあちこちにあってな。それで分かるようになっているのだ」
「センサー?」
「センサーが分からないのか? 検知器だ。測定器のほうが分かりやすいか」
「そういうのが……それでAというのはどの程度の?」
「それは説明が難しいな。今、現場に展開している第五分隊のメンバーはランクとしてはDになる」
「A、B、C……」
少年はアルファベットを小さく呟きながら指を順番に折っている。AとDの順番を確認しているのだ。
「四倍くらいの強さですか?」
Aは一番目、Dは四番目。だから強さは四倍……ではない。
「そういう比較ではないのだが……彼らは戦いの経験が足りないから三人がかりでも厳しいかもしれないな」
ランクはあくまでも鬼力や精霊力を測った結果。その力をどう上手く使うかによって実戦での強さは違ってくる。鬼はほぼその全てを有効に使えるが、分隊のメンバーはそうではないのだ。
「そう……」
少年の声にならない呟きを葛城陸将補は読み取った。「弱いな」。少年は確かにこう言った。
「ただ第五分隊にはもう一人メンバーがいる。彼女であれば一人でも倒せるかもしれない」
「三人でも厳しい相手を一人で……」
「そうだ。天宮(あまみや)杏奈(あんな)。これが彼女の名前だ。覚えておいて欲しい」
「どうして?」
わざわざ覚えろというからには何か理由があるはずだ。
「彼女が君のパートナー、いや君が彼女のパートナーだからだ。君に見せたかったのは彼女の戦いぶりだ。そういう意味では強敵であって良かったな。きっと君も驚くような戦いを見せてくれるだろう」
葛城陸将補は天宮杏奈がAランクの鬼を倒せることを疑っていない。それだけの実力が彼女にはあるのだ。第五分隊だけでなく第七七四特務部隊全体でも彼女の才能は抜きん出ている。その天宮の戦いを見れば、少年の口から「弱い」などという言葉は出ないだろうと葛城陸将補は思っている。
「……パートナーって何だっけ?」
首をかしげて小さく呟く少年。少年はパートナーの意味を知らなかった。残念ながら葛城陸将補の高揚感は少年には伝わっていない。