まだわずかに雪が残る草原をホーホーの群れが駆けている。その先頭に立つのはコクオウ。一際大きな黒い馬体が陽の光に輝いていて、とても綺麗だ。
コクオウたちはある日突然この草原に現れた。何故、ヒューガたちのいる場所が分かったのか。それはルナの「ん、呼んでみた」の一言で明らかになった。
魔獣を呼び出すルナもルナだが、それに応えて大森林を横断してきたコクオウたちもコクオウたちだと、事情を知った時、ヒューガは思った。
だがコクオウの傷だらけの体を見るとそんなことは口に出来なくなった。群れを守って他の魔獣と戦いながらここまで辿り着いたに違いない。そこまでして、ヒューガたちの拠点に来てくれたコクオウたち。
ヒューガが口に出来たのは「ありがとう」の一言だけだった。
そのコクオウの群れのホーホーにまたがるエルフたち。先頭に立っているのはエアルだ。
拠点見学会は思わぬ反響を呼んだ。西の拠点のエルフから新たに東に移りたいと言ってきた人たちが出たのだ。その多くは、魔獣との戦いで怪我を負った人たち。どのエルフも体のどこかに障害を負っている。そんなエルフたちが移ってきたいと思ったきっかけはエアルだった。
同じように障害を持つエアルが他の人に混じって鍛錬を行っている。そして、そんなエアルをヒューガは堂々と自分の剣だと言い放った。それが彼らにとって、たまらなく羨ましいことだったのだ。
正直少し誤解がある。ヒューガがそこまで言い切ったのはやはり相手がエアルだからであって、他の人に対しても同じような気持ちでいられるかとなるとそれはない。
それでも、彼らのなんとか役に立ちたい。周りに同情されるだけの人生などまっぴらだという切実な願いを拒否することはヒューガには出来なかった。
彼らの怪我はエアルよりずっと重い。片方の足の膝から下を完全に失っているエルフもいるのだ。
そんな彼らをどう扱うか。解決してくれたのが、ホーホーたちだった。足が不自由であっても問題はない。片手が不自由であっても……は、さすがに少し大変だが、それも乗りこなすことが出来るまで。ホーホーは自ら考え、動いてくれる。気持ちが通じ合えば戦えないことはない。
魔獣との戦いで怪我を負ったということは彼らの多くが元は戦士。戦いの為の鍛錬であれば少々の苦労はものともしない。そもそも、その辛い鍛錬をさせてもらえること自体が嬉しいのだ。
エアルを含めてもわずか八騎ではあるが、こうして騎馬隊というものが出来上がった。今のところはまだホーホーに乗っているというよりは乗せてもらっているといったほうが正しいくらいの拙さだが、それでもこうして一糸乱れぬ様子で馬群が草原を駆けている姿は圧巻だ。
「見事というにはまだまだでしょうけど、それでも中々に壮観ですね?」
「先生もそう思う?」
「ええ、あの速さでまとまって移動していると見た目だけでも脅威ですね」
「まあ、今のところはその通りだな」
今はまだホーホーが駆ける姿が威圧感を与えているだけ。騎乗している彼等の力ではない。それで満足するヒューガではない。やるからには戦力として使える騎馬隊にするつもりだ。
「もっと良いものになりますか?」
「そうしたいとは思ってる」
「前にカルポくんが話していた精霊魔法との組み合わせですか?」
「そういえばそんなのもあったな」
「では違うと?」
ヒューガの言い方は先生が考えていたものとは違うことを示している。それを知った先生はヒューガの考えに興味を引かれた。
「僕が知る限り、馬を使った戦い方は大きく二つ。馬上から弓で攻撃するもの。それと槍をかかえた突撃だ」
「弓、それに槍ですか」
「そう。馬の武器は起動力と突進力。馬の機動力を生かして馬に乗りながら弓を射る。当然、命中率や威力は馬上じゃないほうが高いけど、移動しながらの攻撃は中々のものだと思うけどな」
「なるほど、そうなると槍は突進力ですか?」
「ああ、騎馬の武器は乗っている人というより、騎馬の突進力そのものにある。八騎じゃあそれほどでもないけど、もっとまとまった数の馬が並んで突進してきたら結構怖いだろ?」
「まあ、そうですね」
魔族であればまだしも普通の人族ではまず止められない。複数でかかる、さらに道具を使うなどしなければ、まず止められない。
「そのまま押しつぶすか、槍で突き刺すか、どっちでも良いわけだ」
「しかし、前にも言った通りに大きな馬体は良い的ですよ」
騎馬の弱点はその的の大きさ。魔法で攻撃されては敵に届く前に討たれてしまう。
「それは騎馬の宿命。僕がいた世界のある人物が騎馬隊、騎兵ともいうけど、それを説明する時にある行動を取ったって話がある」
「ある行動? 何ですか、それは?」
「窓ガラスを拳で打ち割った。当然、拳は割れたガラスで血だらけ。その血だらけの拳を見せて、騎兵とはこれだ。そう言ったらしい。つまり高い攻撃力と全く無いと言っていい防御力。それが騎馬隊だと。騎馬隊は防御を考えていたら使えない。そういうことなのだと思う」
「……犠牲を覚悟してその攻撃力を活かす。難しいですね」
先生には一か八かの賭けであるように思える。そういう戦力が役に立つのか疑問だった。
「だろうな。本当の意味で騎馬を使った戦術の運用は天才にしか出来ないとも、確かが言ってた。これはうろ覚えだけどな」
「例えば?」
「ん? 僕が知ってるのは源義経くらいかな?」
「源義経? 知りませんね」
「それはそうだろ? この名を知っていたら先生は僕と同じ世界の人間だ。もしくは僕と同じ世界の人間に話を聞いているということになる」
「今更そんな探りは必要ありませんよ。それが事実です」
先生はヒューガが言った可能性を認めた。これにはヒューガが驚きだ。
「口に出して認めるつもりか? どういう風の吹き回し? 暗黙の了解。この件についてはそういうことだと思ってた」
自分と同じ異世界人の存在を、それが何者であるかヒューガは分かっている。だがそれは公言して良いことではないと考えていたのだ。
「まあ、そうなのですけどね。そろそろ時期がきました。ここを去る前にヒューガくんとちょっと込み入った話をしたいと思いましてね。そうなると認めないわけにはいきません」
「今、それを?」
「いえ、今夜にしましょう。場所は……そうですね。食堂が良いでしょう。元からいた人たちには聞いてもらいたいので」
「……いいのか?」
先生はヒューガ以外の人たちにも秘密を伝えようとしている。その理由がヒューガには分からない。
「これも講義のひとつです。限られた情報から主がどういう結論を出すのか。それを彼らの目の前で検証することにします」
「なんだか大げさだな」
「まあ、実際には相談に近いものがあるのですよ。ヒューガくんはどう考えるか。それを私も知りたいのです。皆に知らせるのはその御礼みたいなものです」
「御礼は僕たちがするものだろ?」
ヒューガたちは先生によって戦い方を教わってきた。先生の言う相談など、その恩に比べればたいしたことではないとヒューガは思う。
「そんなものは不要です。今となっては見返りを求めて教えたと思われたくなくなりました。あくまでも先生としての無償の奉仕。そのほうが恰好良いでしょ?」
「……まあな」
いよいよ先生が大森林を去る時がやってきた。それをヒューガは実感した。まだまだ教わりたいことは沢山あるが、引き止める権利はヒューガにはない。約束の時が来たのだ。
先生が戻る場所。それは戦場だ。いよいよパルス王国と魔族の戦いが本格化するのだ。
戦いの手助けをしたいという気持ちはある。だが先生が決してそれを許さないことも分かっている。先生が自分たちとの間に溝を作るような言動をみせていたのは、それが理由だ。
今はもう、ヒューガにはそれが分かっていた。
◆◆◆
――食堂は静けさに包まれている。先生は約束通り、自らの口でここを去ることを皆に告げた。ハンゾウたちは勿論のこと、しょっちゅう先生と遣り合っていたエアルも悲しそうな顔をしている。
常に厳しいことを口にしていた先生ではあるが、その言葉には優しさがあった。やはり先生は自分たちの先生なのだ。そう思える先生という存在に、生まれて初めてヒューガは出会えた。
「さて、いつまでもこんな雰囲気では話が始められません。そろそろ頭を切り替えてもらえますかね? 特にハンゾウくんたち、感情で仕事が出来なくなるようでは忍び失格ですよ」
「……はっ」
「これは講義のひとつです。今から始まる私とヒューガくんの話を良く聞くのです。そして考えなさい。貴方たちのヒューガくんがどう物事を考えるのかを」
「はっ」
これが先生の最後の講義。決して無駄にしてはいけない大切な講義だ。
「では始めましょう。魔族とパルスの戦いについてです。この決着をヒューガくんはどう予想しますか?」
「判断材料が足りない」
「例えば? 聞きたいことがあれば聞いてください」
「本当にいいのか?」
質問の答えは、まず間違いなく魔族の機密に関わること。それを皆の前で本当に聞いて良いのか、ヒューガは確認した。
「かまいません」
「じゃあ、最初に魔王は何をもって魔族を統率してる? 力かそれともそれ以外のものか?」
「ほう、それを聞きますか。いいでしょう。まあ力です。と言っても魔王様自身の力ではありません。多くの魔族は私を含めた上位魔将の力を恐れている。そういうことですね」
「多くのということはそうでない魔族もいるってことだ。ではその魔族たちと魔王より力がある先生を含めた上位魔将は何を持って従ってるんだ?」
「……愛ですかね」
少し間を空けて、先生は答えを返した。聞いた皆が驚く答えを。
「……そうくるとは思ってなかった」
ヒューガにとっても予想外の答えだ。
「でも愛です。我等の愛というより魔王様の愛ですね。魔王様は我等魔将を心から愛してくれました。それに応える為に私たちは……」
「魔王を魔王にした」
「そうです。魔王様を魔王にしたのは私たち。今現在、四大魔将と呼ばれている者たちです」
魔王は自ら魔王になったのではなく、四大魔将たちによって魔王に祭り上げられたのだ。もちろん、魔王本人もそれを受け入れてのことだ。
「そうか……もし魔王がいなくなっても、その四大魔将は四大魔将でいられるのか。つまり結束を維持することが出来るかって意味」
「……無理ですね。魔王様あってのまとまりです。そもそも魔族には仲間意識など皆無に等しい。魔王様がいなくなれば、それぞれ好き勝手なことを始めるに決まっています」
「先生も?」
「私も魔族ですから」
「……じゃあ、魔族は勝てない」
「「「「えっ!」」」
ヒューガの結論に周囲は驚いている。魔族は人族よりずっと強いという考えから驚いているのはハンゾウたち。エアルやカルポは人族に負けて欲しくないという思いもある。
「……ずいぶんと早い結論ですね?」
先生は結論そのものよりも、ヒューガが早々と結論を出したことを意外に思っている。
「条件付だけどな。魔族は個々の力は人族より強い。それに間違いはないよな?」
「例外はあります。人族にも強い者はいますからね。でも一般論としてはそうです」
「でも魔族の数は人族に比べてはるかに少ない。まとまって攻めてこられたら勝てないと思う。ましてその中に勇者みたいな飛びぬけた力を持った奴がいては」
「そうですね。でも、ヒューガくんの条件ってのは魔族がまとまっていないということでしょう? 少なくとも半数近くは魔王様に忠誠を誓っていますよ」
ヒューガの考えに対して否定的な意見を述べる先生。これは周囲で聞いている人たちの為だ。疑問を投げかけ、それに対してヒューガがどう返すかを聞かせたいのだ。
「半数、それも近くね。逆に言えば半数以上は魔王に反抗的な可能性があるわけだ」
「全部が反抗的とは言いません」
「……なんとなく分かってきた。まあそれは良いか」
「良いか、ではなく思い付いたことは全て話してください。この場は全員の為にあるのですよ?」
「あっ、そうか。じゃあ話す。今思い付いたのは、何故今、勇者を倒そうとしないのかってこと。勇者は強いけど、元々は僕と同じ戦いを知らない世界の人間だ。力は持っていても戦うということに関しては素人。いくらでも付け入る隙はある。だったら勇者が素人のうちに倒してしまえば良い。それで魔族にとっての脅威はかなり減るはずだ。じゃあ何でそれをしないのか、前から疑問に持ってたけど」
「……その理由が分かったと」
先生の感情は表情には現れない。表情そのものが見えない時もある。だが今は複雑な笑みを浮かべているのが分かる。表情が分かるだけで、その笑みを生む複雑な感情は読み取れないが。
「あくまで僕の考えだけど、魔王に対して反抗的な魔族を勇者に倒させたいんじゃないか? 半数以上の魔族が魔王に従っていない。でもそれは最初からなのか? そうであれば魔王はなんで魔王になれた? 自分たちの王を決めるのに、勝手にしろって話はないんじゃないか?」
「そうですね」
「でも今は魔王に反抗的な魔族が力を持っている、もしくは持ち始めた。このままではいずれ魔族は分裂する。魔王の座を争って内戦が起きるかもしれない。そんな状況になっている」
「……その通りです。魔王に従っていな魔族は勝手に自分の勢力を伸ばし始めました。それは相対的に魔王様の権力を弱めることになります。それは我等にとって望ましいことではありません」
「だからといって自分たちから戦いを仕掛けたらそのまま魔族内の争いに突入だ。だから勇者を使った。勇者にそういった魔族を討たせようと考えた」
「正解です。見事ですね」
ヒューガは魔族の現状を、実際にそれを見ることなく、見抜いてみせた。先生にとっては期待通りの結果だ。
「ひとつ疑問がござる。あっ、申し訳ございませぬ。勝手に割り込んでしまいました」
「いえ、かまいません。疑問とは何ですか?」
「魔族が半数になってもパルスに勝てるのでござるか? 先生がたにその勝算があるのであれば、ヒューガ様は何故、魔族が負けると?」
「あとの質問はちょっと結論を急ぎ過ぎですね。いきなり答えを聞いては講義にならないでしょう? 前の質問だけ答えます。答えは五分五分です。でも魔族なんてものは考えなしの者が多い。パルスとの戦いの最中に反旗を翻すくらいは平気でするのですよ。パルスなんて自分がいれば敵ではない。そう考える馬鹿が多いのです。大事な戦いの前に、不確定要因は消しておいたほうが良い。そういうことです」
「……なるほど。分かりました」
分かりましたと返したが、それは先生の説明に対して。パルス王国との戦争の中で裏切るなんて行動は、ハンゾウには理解出来ない。ただこれは魔族独特のものではない。人族だって過去の歴史の中で、同じような愚かな選択をした人物は存在するのだ。
「さて、それでも何故、魔族が負けるかですね? その答えを導いた理由は?」
「それ、本当に話して良いのか?」
「……ええ、かまいません」
問いを聞いたことで先生は、ヒューガは正解に辿り着いていることが分かった。
「魔王は死ぬ。決して遠くない未来に」
「……ふむ」
「魔王って人間だろ? それもかなり年とった」
「「「えぇぇー!」」」
ヒューガの発言に驚くハンゾウたち。
「うそ? さすがに気付いてたよね?」
ヒューガはその驚きに驚いている。
「全然気付いてないわよ!」「僕も」「拙者らも」「「「「…………」」」」
「いや、だって先生と僕の会話を聞いてれば気付くだろ? 先生は僕の世界の人間しか知らない知識を知っている。先生が魔族であるのは間違いないとなれば、あとは魔王しかいないだろ?」
「つまりヒューガは、魔王は自分と同じ世界の人間だって言ってるのね?」
「今の話をそれ以外にどう受け取れる? ハンゾウさんたちの名前も元いた世界で忍びと言われていた人たちの名前だ。実在のモデルもいるし空想上の人もいる。そんな知識は僕の元いた世界、それも同じ国の人じゃなきゃ、まず知らないはず」
「はあ、そう言われれば……」
「じゃあ魔王は誰か? 人間である僕たちの寿命はどんなに長くても百年ちょっと。生きてるであろう人で該当するのは僕たちの前に召喚された人しか考えられない。それが六十年くらい前か? そしてある程度の知識を持っているとしたら、どんなに幼くても僕と同じくらい。そうなると若くても七十五歳前後。寿命が来てもおかしくない。そして、もうすぐ死にそうだと知られれば、当然次の座を狙う者も出てくる。今の現状ってのはそういうことじゃないかな?」
「はい。正解です。知っているのは分かっていましたが、きちんと説明されると何となく変な感じですね」
「そうか? とにかく魔王はもうすぐ寿命だ。そしてパルスの王はその事実を知っている。パルスはただそれを待ってるだけで良いんだよ。それなのにわざわざ攻めようとするのは別の思惑があるからだ」
「そうですか。パルス王は気付いていますか」
「多分な」
魔王になった人物を召喚した国の王だ。年齢は把握しているはず。寿命が近いということは知らなくても、弱っていることは想像がつく。以前、会った時に国王が隠した勇者が魔王に勝てると思う根拠は、このことだろうとヒューガは考えている。
「そうなると確かに負けですね。何か手はありますか? 魔族が負けない方法が」
「一つあるかもしれないが、それは僕が許さない」
「ほう。教えてもらえますか?」
「……惚けるな。先生は分かってるはずだ」
先生は自分が思い付いた方法を知っている。間違いないとヒューガは感じている。
「そうだとしてもヒューガくんの口から聞きたいですね。そういう場ですよ、今は」
「……新たな魔王を立てる」
「ふふ。そんな者がいるというのですか? 魔王ですよ?」
「僕が知る限りでも、候補者は一人いる」
「誰です?」
「……ディアだ」
「嘘?」「ええっ?」「いや、それは?」「んっ?」「「「「…………」」」
魔王候補はクラウディア。ヒューガ以外の人々にはまったく頭になかった可能性だ。ただこれは仕方がない。彼等はクラウディアのことを、クラウディアと魔族の関係を良く知らないのだから。
「中途半端な力で魔族を押さえるのは無理だ。それを行うには全ての魔族に一人で勝てるくらいの力が必要。でもきっとそんな人はいない。いたらとっくに魔王になってるはずだからな。じゃあ、どうするか? 今の魔王と同じ愛でもって魔族をまとめるしかない。先生はディアに対して深い思い入れがある。他にも同じような思いを持っている魔族がいるかもしれない。今の魔王と同じだ。支持する魔族の力が強ければ、ディアは魔王になれる」
「そこまで読んでいましたか……」
「確信はなかった。それを持てたのはついさっきだ」
今の魔王がどのようにして魔王になったのか。それを知って、クラウディアにも可能性があるとヒューガは考えたのだ。
「許さないと言いましたね?」
「それはそうだ。魔族が争うのはパルス王国。ディアをパルス、いやこの大陸全土から裏切り者と呼ばせるわけにはいかない」
「なるほど、そうしてしまうと姫は裏切り者ですか……」
「ああ。周りはそう思うはずだ」
魔族は敵。その敵の王になれば、当たり前に裏切り者扱いされる。しかもクラウディアは今まさに戦争をしているパルス王国の、元であっても王女なのだ。反響は大きいはず。
「……安心してください。姫を担ぐことはありません」
「本当か?」
「ええ、誰よりも魔王様がそれをお許しになりません。優しい方ですからね、魔王様は。その魔王様が亡くなってから姫を担いでも、おそらく手遅れです。我等がまとまる前に姫の命が狙われる。私には姫をそんな危険な立場に追いやることは出来ません」
後継者にクラウディアを担ぐなんてことが魔族の中で知られれば、間違いなくそれを邪魔する者が現れる。クラウディアを亡き者にすることなど、なんとも思わない者たちが動き出すはずだ。
「そうか……良かったというのが本音だけど、そうなると魔族は……」
「もう一つの手がありますよ」
「あるのか?」
「ええ、新たな魔王を立てるのは同じです。でもそれは姫ではありません」
「ディアの他に候補者がいるってこと?」
「います。今、私の目の前にね」
先生が考えるもう一人の候補者はヒューガだった。
「……僕? 無理。僕は先生一人にも勝てないんだから」
「力で君臨しろとは言ってません」
「僕に愛を求める? それもっと無理」
「そうですかね? 魔族にとって大切なのは魔族だという偏見を持って接しないことです。その点でヒューガくんは合格です。ヒューガくんは魔族どころか全ての種族に偏見を持っていない。強いて言えば人族が一番嫌いなんじゃないですか? それは魔族にとって好ましいことであっても問題となるものではありません。それに魔王様もヒューガくんであれば認めるでしょう。何故私がここに来ることを許されたか? つまりはそういうことです」
先生はただ鍛錬の指導をする為にだけに大森林に来たのではない。約束した結果なので先生本人の目的はそうであるのだが、そのついでにヒューガという人物を見極めることを魔王から命じられていたのだ。
「本気で言ってる?」
「かなり本気で考えていましたよ。でもそれも、実現しない」
「……そうだな。僕は特定の種族の王になるつもりはない。というか、もう王だし」
「はい。残念ですがヒューガくんは魔族以外の王になってしまいました。この案はもう無効です。つまり魔族が勝てる術はなくなったということになります」
王になることを強制するつもりは先生にも魔王にもない。強制して王として上手くやっていけるはずがないのだ。
「……別に負けても良いだろ?」
「それはどういう意味ですか?」
「負けても良い。死ななければな。逃げれば良いんだよ」
「逃げてどうするのです? 魔族を受け入れる……」
魔族を受け入れる国などない。先生はこの言葉を最後まで口にしなかった。その考えが間違いであることに気付いたのだ。
「ここにある。僕はこの国の王だからな。王が認めれば魔族だろうがなんだろうが、ここで暮らせる。だから先生……死ぬなよ」
「……覚えておきます。でも私にも誇りというものがあります。それに魔族の中に大切に思う人たちも。戻ってくる。この約束は出来ません」
「強制するつもりはない。気が向いたら来れば良いのさ。来る者は拒まず、去る者は追わず。そんな感じで良いんじゃないか?」
「それではギルドと同じですよ?」
「でも悪い考えじゃない。僕は好きだ」
暮らす人をこの場所にとどめるものは義務ではない。何者であろうと、理由は何であろうと、この場所で暮らしたいと思う人が集まれば良い。そんな自由があっても良いとヒューガは思う。
「王が口にした言葉は国是になります。軽々しく口にしないように」
「ああ、そうか。そうだな。分かった」
ヒューガは王だ。自分の思いだけの軽々しい発言を許される立場ではない。先生の指摘を受けて、ヒューガはそれに気付かれた。面倒なことだと思う。だが、すでにヒューガは王であることを受け入れたのだ。
――結局これが先生との最後の会話となった。翌日の朝、先生の姿は拠点から消えていた。