
沈黙が周囲に漂っている。直前の、目がくらむほどの眩い光に包まれた感覚とは真逆の、薄暗い部屋。目が慣れていないだけかと彼は思ったが、それが間違いであることは、すぐに分かった。明らかに部屋の様子が違うのだ。
冷や汗が背中をつたう感覚。ごくりという、誰かが喉を鳴らす音が聞こえた。異常事態であることを感じているのは自分だけではない。これは分かった。
数秒か数分か、時間の経過とともに部屋の様子が分かってきた。床も壁も石造り。家具もないこの部屋でどうやって寝るのだろう、なんてくだらないことを考えてしまう。現実逃避であろうことは分かっている。そうでなければ、自分はどこかいかれている。こんな風にも彼は思った。
「……五人だけか?」
彼にも聞き覚えのある声。ただ普段とは雰囲気が違っている。常に自信満々に見えていたその彼も、この状況では平静ではいられないようだ。
「少しは落ち着いた?」
続く女性の声。この言葉通りだとすれば、彼女はもっとも立ち直りが早かったということか。どうでも良いことだ。
「これって……アレだよな?」
三人目の声。この彼は立ち直ったと言えるような声色ではない。明らかに震えている。
「夢を見ているのでなければ、アレだろうな?」
一方で最初の声は落ち着きを取り戻した様子だ。女子の手前、いつまでも狼狽えてはいられないということなのかもしれない。これは勝手な想像だ。
「だよな……」
テンプレの異世界転生。この場合は異世界「転移」だ。だが、自分たちの身に現実に起きることなど、誰も考えていなかった。考えるはずがない。異世界転移などフィクションのはずなのだ。
「夢か、夢でないかは、どうすれば分かるのかしら?」
「頬をつねってみろ」
「もうやった。少し痛かったのだけど……現実ということで良い?」
「……そのようだ」
頬をつねって痛くなければ夢、痛い場合は現実。これが本当なのであれば、これは現実だ。
「ようやく現れるみたいよ?」
部屋に光が差し込んできた。扉がゆっくりと開いているのだ。その光のおかげで、さらに部屋の様子が分かった。彼らの足下には、複雑な文様が描かれている。魔法陣という言葉が、全員の頭に浮かんだ。
「……異世界からの客人よ。我がユスティニア王国によくぞきた」
幾人もの魔道士か神官のような服を着た者たちに続いて、部屋に入ってきた男。いかにも国王という装い。かけてきた言葉もそうだと思わせるものだった。
彼らのイメージと異なる点があるとすれば、その年齢。髪は白髪ではなく、ブラウン。口元を覆う白い髭などもなく、顎鬚程度。見た目は四十歳前後に見える眼光鋭い男だ。
「我々は状況がまったく分かっていません。一体、何が起きたのですか?」
「お主の名は?」
「俺の名は天城 司(あまぎ つかさ)です」
彼の名は天城司。彼が異世界に転生したことを知れば、「テンプレかよ」と思う者は少なくないだろう。
彼の通う学校は、何かのドラマで出てくるような富裕層が通う超高級私立学校。その中でもヒエラルキーの頂点に立つ一人なのだ。
「アマギ殿か。貴殿らは我が国の秘術である召喚魔法によって、この世界にきた」
「それは分かっています。我々は何の目的で転移させられたのですか?」
「この国を守るため。我が国は常に脅威にさらされているが、さらに短くても五年以内に大災害が起こることが予言されている。お主らにはその大災害から我が国を守ってもらいたい」
国王は大災害の発生を伝えてきた。だがこれだけで、「そうですか。では、頑張ります」なんてことにはならない。今の説明だけでは、何も分からないのと同じだ。
「大災害というのは、具体的には何が起きるのですか?」
「魔物の襲撃だ。我が国の南にはラントーデス大森林という広大な森林地帯が広がっている。そこに住む魔物が、定期的に襲ってくるのだ」
「魔王の国ということですか?」
「おとぎ話をしているわけではない。現実の話だ」
それを言うなら、自分たちが今この場にいることが、すでにおとぎ話。こう言いたいところだが、話が通じないだろうことは分かっている。天城は声にすることをしなかった。
とりあえず、どうやら魔王はこの世界でもファンタジーにしか出てこない架空の存在であることは分かった。
「……我々には魔物と戦う力があるのですか?」
転生・転移によって特別な力を得られる。そういうことなのだろうと思っているが、まったく実感がない。自分の身に何か変化が起きたようには思えないのだ。
「ある、と考えている。具体的には明日、<覚醒の儀>を執り行えば分かる」
「それはどういう儀式なのですか?」
「能力を目覚めさせる儀式だ。職業スキルと呼ぶ。異世界人であるお主らは、特別なスキルを宿しているはずだ。その力で魔物と戦うのだ」
特別な力は、儀式を執り行うことで得られるもの。今現在、それは目覚めていない。実感がないのは当然のことなのだ。
「……魔物と戦うことで、我々はどのような利益が得られるのですか?」
「利を求めるか……」
「当然です。我々は命を懸けることになるのですから」
無償奉仕、それも命がけの無償奉仕を行う義務は、彼らにはない。そもそも自ら望んで、この世界にきたわけではないのだ。天城は当然の主張をしているつもりだ。
「爵位、報奨金など、他にも色々と考えておく」
「具体的な提案はいつ頂けるのですか?」
「考えた後だ!」
「後って……」
いきなり声を荒げた国王。怒鳴られるような真似をした覚えは彼にはない。大声で文句を言いたいのは、自分たちのほうだと思うくらいだ。
「……希望があれば先に伝えよ。その上で、できるだけのことをする」
「分かりました。考えてみます」
「詳しい話は明日以降だ。今日はもう休むが良い。部屋に案内させる」
話し合いは国王のほうから打ち切られた。彼らはそう受け取った。これに関しては、強い不満はない。彼らはまだ何も考えていない。転移してきたのは五人。それぞれがどう考えているのか。これからどうしていくつもりなのか。話し合う時間が彼らには必要なのだ。
◆◇◆
案内された部屋は、それなりに立派なものだった。ホテルでいえば、セミスイートルームというところ。それを一人一部屋ずつ与えられたのだから、文句は言えない。それでも不満を述べるとすれば、侍女などの世話をしてくれる人が誰もいないこと。
異世界転移となれば、かなりの厚遇を与えられて当然。こう考えると、ほったらかしにされているようで、あまり気分が良いものではない。国王の態度も、それほど良いものとは思えなかったのだ。
「……普通に話して大丈夫かな?」
問いを投げかけてきたのは、氷室 慧(ひむろ けい)。天城 司と同じ学校の生徒で、二人は友人関係にある。やや子供っぽい雰囲気はあるが、勉強では学年で一番。天城とは違い、可愛らしさで人気の男子生徒だ。
「おい、お前。廊下を調べてこい」
これを言うのは、炎城 太雅(えんじょう たいが)。氷室 慧とは正反対の厳つい雰囲気。言葉遣いもやや乱暴だ。氷室が頭脳であれば、炎城は運動能力で学年上位。対極的な二人ではあるが、仲は良い。天城がいてこその関係だ。
「……分かった」
炎城 太雅に言われて、立ち上がったのは、望月 創(もちづき そう)。「どうして自分が?」という気持ちが顔に出ている。命令されたことではなく、「どうして自分が彼らと一緒にここにいるのか?」という思いだ。
彼は他の四人とは友人関係にない。話したこともないのだ。
「大丈夫。私が見てくるわ」
望月 創を制して、自分が確認に行くと言い出したのは、神崎 琴音(かんざき ことね)だ。この中で唯一の女子。だが、望月 創から見れば、彼女がここにいるのは当然のこと。才色兼備を地で行く、誰もが憧れる存在。その人気は、入学してまだ一年も経っていないうちから校内一になっただけに留まらず、他校の男子生徒も彼女を一目見ようと待ち伏せするくらい。
天城 司とは性別が違うが、校内で人気を競う双璧と見られる女子生徒。二人が付き合っているという噂は、常に流れている。
「……大丈夫です」
望月は、彼女の好意に甘えることなく、そのまま部屋の外を見に行く。彼としては、彼らと同じ部屋にいることのほうが嫌なのだ。これ以上ないほどの場違い感で息がつまると、ずっと思っていたのだ。
といっても扉を開けて、廊下を見渡すだけ。あえて完全に部屋の外まで出て、ゆっくりと左右に視線を向けてみたが、それでも一分も経たない。時間稼ぎに、さらに窓の外を眺めてみる。
「……へえ……異世界……なのか?」
窓の外はもう暗い。夜空を見上げると満天の星空が広がっていた。これまで見たことのない美しい夜空だ。それを見て、異世界であることを実感した。実感したすぐあとに、元の世界の田舎でもこんなものかなと思って、感動が薄れた。
嫌々ながら部屋に戻る。彼の確認結果を待つことなく、すでに話し合いは始まっていた。
「俺もそう思う。あの国王は、なんか信用出来ない」
炎城が誰かの意見に同意を示している。
「こき使われて終わりパターンってこと?」
この問いで先の発言者は氷室ではないことが分かる。氷室以外の天城か、神崎だ。望月にとってはどうでも良いことではある。他の四人も彼がいてもいなくてもどうでも良いと思って、先に話を始めているのだ。
「その可能性はあると思わないか?」
無理やり転移させられたあげく、良いようにこき使われて終わり。異世界転移ものにありがちなパターン。といっても様々なパターンが出尽くしているので、どれが「ありがち」と言えるのかの正解などない。
「事実がどうであれ、その可能性は考えておいたほうが良いな」
異なるパターンで、厚遇を与えられてハッピーエンドを迎えられるなら、それで良い。備えが必要なのは最悪のパターンだ。天城はこう考えている。
「そうだとしても、何をするの? 私たちに選択肢があるとは思えないわ」
神崎 琴音はやや否定的な発言をしてきた。最悪のパターンを考えておくことには同意している。だが、だからといって何かできるわけではないと彼女は思っているのだ。
「問題があると分かった時に、すぐに逃げられるように準備しておくことはできる」
「たとえば?」
「琴音は意地悪だな? 今の段階で、具体的なアイデアなんて浮かぶはずがないだろ?」
まだ何も分かっていないのだ。この世界のことはもちろん、転移者として、どのような恩恵が与えられるかも分からない。それではどういう準備が必要か考えられるはずがない。
「俺たちにはまだ考える時間がある。問題は、こいつだな」
「炎城、止めなさいよ」
炎城が指さしたのは、望月。それをたしなめる神崎も、炎城が何を言いたいのか分かっているということだ。
「本人だって分かっているだろ? どう考えても、巻き込まれだ。明日のなんとかの儀ってやつで、それがバレて、捨てられるのがおちだ」
言われている望月も同感だ。どう考えても自分は、彼らの召喚に巻き込まれたと思っている。
「意外と落ちこぼれから大逆転パターンかも?」
巻き込まれと思われていた人物が、酷い目に遭った中で、なんとか生き延び、その過程でとんでもない強さを身につけるパターン。これもある。それを氷室は指摘してきた。
「それはあるか……いや、駄目だろ? その場合は、俺たちが貧乏くじを引くことになる。結局、俺たちも早めに逃げることになるのか」
「だから結論を出せる状態じゃないって」
どのパターンかなんて今は分からない。何も分かっていない今は、何の結論も出せない。最悪のケースを想定して備えておこう。この天城の言葉だけで、必要な話し合いは終わっているのだ。
「結論は出ていると思うけどな。可愛いメイド服の女の子がいない時点で」
「最低」
露骨に嫌そうな顔を見せる神崎。こういう意思表示は、彼女ははっきりとしているのだ。ある筋の男子生徒には、委員長キャラとも見られている彼女だ。そんな役には就いていないのに。
「あのな、望月のことをどうこう言っているけど、俺は自分だって巻き込まれかもしれないと思っているからな」
「どういう意味?」
「天城が勇者で、神崎が聖女。有力なのはこのパターンだろ?」
「やめてよ。そういうの恥ずかしい」
天城 司と神崎 琴音はそう思われてもおかしくない二人だ。運動能力には自信がある炎城だが、二人は運動能力で彼に並ぶ上に、頭まで良い。外見も自分が勝っているとは、恥ずかしくて言えない。炎城と氷室、二人がかりでなんとか対抗できる状態なのだ。
「可愛い女の子との出会いを求めるくらいは許されるはずだ」
「許されないから」
「……というか、本当に待遇悪いよな。おい、望月。水貰って来てくれ」
「炎城。貴方、いい加減にしなさいよ!」
望月を使用人のように扱う炎城に、神崎の声も大きくなる。同級生に対するこういう態度は、彼女にとって受け入れ難いもの。親しい相手がそれを行っているとなると尚更、腹が立つのだ。
「ああ、平気。もらってくる」
神崎の怒りは、望月にとってはありがた迷惑。水をもらいに行くとなれば、先ほどとは比べものにならない長い時間、この場を離れられる。フットワーク軽く立ち上がって、水差しを持って、廊下に出た。
「……でも、誰もいないのは、さすがにおかしいな」
護衛か見張りか、どちらであっても、誰かが側にいるのが普通だと思う。今の状況はおかしいと望月も思った。
だからといって何かをするわけではない。今の彼の目的は息苦しさを感じる環境から逃れること。水がある場所を探すという口実を得て、歩き出した。
(途中でそれらしいのがあったからな)
部屋に案内される途中で、水が汲めそうな場所を見た記憶がある。あえて遠回りしようかと思ったが、誰かに見つかって、怪しまれても困る。望月は目的の場所に、まっすぐに向かうことにした。
(……この世界の人たちは早寝なのか?)
人気のない廊下。ここは国王がいる城のはず。大勢の人が働いているはずの場所だ。そうであるのに人影がないのは、この世界では、この時間はもう就寝時間である可能性を考えた。そもそも今が何時か、彼は分かっていないのだ。
元の世界では放課後だった。放課後、たまたま今日(なのかも分からないが)だけ、図書室に用があってすぐに帰らなかった。それを終え、教室に鞄を取りに戻ったところで、巻き込まれたのだ。いつものように四人仲良く談笑していた彼らの召喚に。
(……違った。何かしている?)
ようやく彼は人影を見つけた。それも一人二人ではない。多くの人が集まっている。何の為の集まりなのか。嫌な予感しかしない。
このまま引き返すべきかとも思ったが、様子を探ることにした。本当に自分たちにとって恐ろしいことをしているのであれば、それを知らなければならないと考えたのだ。
足音を忍ばせて、近づいていく。
(……これって……泣き声?)
ある程度、距離が近づいたところで、泣き声にしか思えない声が聞こえてきた。それを聞いても、何が行われているか分からない。さらに分からなくなった。自分たちを召喚したその日に、集まって泣いている。訳が分からない状況だ。
ただ泣き声以外の声も聞こえてきた。何かの詠唱のようにも聞こえる声。じっと耳を澄ましてみる。
(……葬式だ)
この世界の宗教がどういうものかなど知らない。それでも聞こえてくる声は、死を悼む言葉であることは分かった。それも一人ではない。何人もの人を弔っているのだ。
(……ああ……ここは……異世界だ)
天に昇って行く光がはっきりと見えた。いくつもの光。それは人の姿をしている。まるで生きている人のように、自分を見つめている姿が、望月にははっきりと見える。
霊なのか、この世界ではまた違うものなのか分からない。だが、この世界では、それははっきりと見えるのだ。ここは異世界なのだと、望月 創は、改めて実感した。
(……相手を間違っている)
期待されることは、幼い頃から諦めている。持たざる者の辛さなど乗り越えた。期待するから辛く思うのだ。期待することもまた、彼はとっくに諦めている。
天に消えていくことなく、宙にとどまったまま自分を見つめている、それの視線を振り切るように、彼は背を向けて歩き出した。
満天の星空。地から舞い上がっていくいくつもの小さな光が、夜空の星のひとつとなっていった。