
◇◆◇ エミリー ◇◆◇
カンバリア魔王国の砦は、思っていたよりも、遥かに簡素だった。立派なのは正面の防壁だけ。その裏の、砦の中は木造の建物がいくつか建てられているだけ。軍人ではない私でも、防御力はそれほどでもないのではないかと思えるような作りだわ。
まだ砦づくりには手が回っていないのかしら? たしかに三年で何でもかんでも完璧に出来ているなんてことがあるはずがない。そういうことだと思う。
魔王国の騎士、兵士、魔王国ではどう呼ぶか分からないけど、軍人たちが両側に並んでいる。その中を私たちは、クリスティーナさんの先導で、王太子殿下を先頭に進んでいる。
緊張で体が強張る。左右にいるのは鬼人族。同じ転生者がいるといっても、ずっと敵として見ていた相手。以前会った時も、セナくんと挨拶したくらいで他の鬼人族の人とはまったく話が出来ていない。いきなり、「私たちは仲間」なんて雰囲気になれるはずもなかった。彼らはカイトに仕えていて、カイトの為に戦おうとしたのであって、ミネラウヴァ王国の味方になったわけではないもの。
「ミネラウヴァ王国のウイリアム王太子殿下のご到着です!」
王太子殿下の到着を告げる声。それと同時に建物の入口の扉が開いた。クリスティーナさんに続いて、私たちも中に入る。最初に目に入ったのは、二十人くらいは余裕で座れそうな大きなテーブル。そのテーブルの左側に、カイトはいた。
変わっている。一目見てそれが分かった。彼が発する雰囲気は、紛れもなく王。かつてのどこか惚けた、ぼんやりとした彼ではない。
テーブルの右側に進む私たち。王太子殿下はカイトの正面の席。その左右に交渉団の人たちが序列に沿って並んでいく。私は一番入口に近い席だ。おまけなのだから仕方がないし、そのほうが気が楽。
「ようこそ、カンバリア魔王国へ。交渉団の訪問を我が国は歓迎する」
笑みを浮かべて、カイトは歓迎の言葉を述べた。
「このような機会を設けてくれたことに感謝する。両国にとって幸の多い話し合いとなることを期待している」
カイトの言葉に王太子殿下が応える。公式の協議の場という感じ。これだけで不慣れな私は緊張してしまうわ。
「さて、今回の目的は終戦条約の締結。この認識で間違いはないか?」
「間違いはない。公式に両国の争いを終わらせたいと我が国も考えている」
「では、まず貴国が求める条件を聞こう」
カイトはミネラウヴァ王国側の条件提示を求めてきた。こちらに条件なんてあるのかしら? それとも、無条件であることを確認したいのかしら?
「それについては私から説明させてもらう」
「貴殿は?」
「交渉団の責任者を務めているカイル・レスターだ。ミネラウヴァ王国では伯爵位を頂いている」
交渉団の責任者はレスター伯爵。これは今初めて知ったわ。どういう人物なのかしら? ちょっと嫌な感じがする。
「では、説明を」
「我が国はカンバリア魔王国の不当な侵略行為に対して、賠償を請求する」
馬鹿が責任者だった。どうしてこんなことを要求出来るのかしら? どうしてこんな要求を陛下は許したのかしら?
「あとは?」
「侵略行為によって壊滅的な被害を受けた我が国の復興事業への協力。労働力としての奴隷の提供を要求する」
「次」
「……まずは今の二点についての回答をもらおう」
このレスター伯爵は戦争に参加していたのかしら? 魔王国と戦った経験があって、良くこんな要求を考えたものだと思う。
「いや、全ての条件をまず提示してもらおう。回答はそれからだ」
「……カンバリア魔王国で採掘出来る鉱石の献上」
「次」
「……まずは、以上だ」
馬鹿もようやく気がついたみたい。今の数分はまったく交渉になっていない。交渉出来ない交渉団って、何なの?
「まずは、というのは続きがあるということだ。まずは、全ての条件を提示してもらおう」
「……以上だ」
「以上、ということはもうこれ以上の条件はないと受け取るが、それで良いか?」
「……結構だ。そちらの回答を聞かせてもらおう」
この交渉には何の意味があるのかしら? 私にはまったく分からない。魔王国が今の条件を受け入れるはずがない。最初の条件を聞いた段階で、カイトは拒否してもおかしくないのに、どうして最後まで条件を聞こうとしたのかしら?
「拒否。交渉は決裂だ」
「決裂?」
「そちらの要求は何一つ受け入れられない。だから終戦条約の締結は出来ない。貴国との戦争は継続、いや、再開という表現が適切だな」
戦争の再開。これは本気で言っているの? これが本気ならミネラウヴァ王国はどうなるの? 私たちはまた魔王国と戦う、それもカイトがいる魔王国と戦うことになる。勝てるはずがない。
「……脅しには屈しない」
「屈しなくて構わない。いや、屈してもらっては困る」
「どういう意味だ?」
「そちらに教える義務はない。これは交渉だ。全ての手の内を曝け出して、外交を行う馬鹿な国がどこにある?」
ここにある。カイトは何かを知っている。すでにこちら、というより、この馬鹿の手の内を全て知っている。魔王国にはその力がある。この場には本来とは違う目的がある。それが何かまでは分からないけど、そうであることは分かったわ。
「……まさか、これで交渉を打ち切ると言っているわけではあるまい?」
「誰がどう聞いてもそう言っていると思うが? レスター伯にはそう聞こえなかったのか?」
「そのような脅しに屈する我が国ではない!」
カイトは今さっき「脅しに屈してもらっては困る」と言ったばかりなのに。この人はどうやら本当の馬鹿みたい。こんな人を交渉団の責任者にした陛下。ここまでくるとわざとであることが分かる。
「では、ここまでだ。帰りの道中は気を付けるのだな? 我が国と貴国は戦争中だ」
「……ま、待て! 話し合いはまだこれからだ!」
レスター伯の声を無視してカイトは、魔王国の他の人たちも席を立って、建物を出ていく。レスター伯だけでなく、他の交渉団の人たちも止めようと叫んでいるけど、それで戻ってくるなら最初から席は立たない。これくらい私でも分かるわ。
「元はミネラウヴァ王国に籍を置いていた身として、このような結果になってしまったことは残念ですわ」
「クリスティーナ! さっさとあの者たちを呼び戻せ!」
「どうして私がそのような命令に従わなければならないのです? 私はカンバリア魔王国の王妃。侮辱が過ぎますと生かして返すことも出来なくなりますわよ?」
「そ、そんな……こんなはずでは……」
この先の展開が読めないわ。どう決着させるつもりなのかしら?
「それとエミリー・セイ」
「えっ、あ、はい」
「貴女には王も私も個人的な恨みがあります。こうして交渉が決裂し、敵国となった以上は、貴女だけは無事に返すわけにはいきません」
「…………」
本当に展開が読めない。これはまさか、悪役令嬢糾弾シーン? 糾弾はないにしても、悪役令嬢が報いを受ける場面かもしれない。私はヒロインではなく、悪役令嬢だった。こういう結末なの?
「殿下。御身を大事にするのであれば、エミリーは置いて行ってください」
「それは…………すまない、エミリー」
……見捨てられた。王太子殿下に愛された記憶はないから、切り捨てられても仕方ないかもしれないけど……それでもショック。
王太子殿下たちが憔悴した様子で建物を出ていく。私はクリスティーナさんと二人、ではなく、いつの間にか魔族に囲まれている。終わった。私の物語はバッドエンドで終わった。