
◇◆◇ エミリー ◇◆◇
防壁を通り抜けると、その先には広大な平野が広がっていた。少し意外。魔族の国というのは、もっとこう、人が暮らしづらい土地のイメージだった。前世の知識からの、勝手な思い込みね。
道も、ミネラウヴァ王国側よりも遥かに綺麗に整備されている。馬車の揺れの少なさがそれを教えてくれる。元からこうなのか? きっと違う。カイトが王になってから整備されたものだと思う。
「馬車を降りよう」
「えっ、あっ、はい」
王太子殿下が突然、馬車を降りるように言ってきた。理由は分からないけど、外に出られることは嬉しい。もっと良く、この土地の風景を見てみたいと思っていたところだったから。
殿下に続いて馬車を降りる。降りる理由がすぐに分かった。すぐ先にいるのはカンバリア魔王国の出迎え。その中には懐かしい顔も見える。ここで会えるとは思っていなかった顔。
「ようこそ、カンバリア魔王国へ。我が国はミネラウヴァ王国の交渉団を歓迎致しますわ」
「……クリスティーナ。君が迎えに来てくれたのか?」
クリスティーナさんと会うのは三年ぶり。王太子殿下も感慨深げだわ。
「我が国は礼儀を知る者が少なくて。王太子殿下をお迎えするには私が適任ということになりました」
「出迎え、ありがとう。再会出来て、とても嬉しく思う」
殿下は少し畏まった口調に改めた。交渉団の団長としての立場を思い出したみたい。こうしなければならなくさせている周囲の人たちを煩わしく思ってしまうわ。
「我が国の王は、この少し先にある砦で待っていますわ」
「ああ、案内を頼む」
カイトもすぐ近くまで来ている。もうすぐ会える。そう思うと胸が高鳴る。高鳴ってしまう。
「先に進む前に護衛の方に伝えて頂けますか? この先に魔物がいますけど、襲ってくることはありませんので、手出し無用と」
「それは……本当に大丈夫なのか?」
「はい。彼らは作業員ですから。ご心配でしたら、私は外を歩きます」
魔物が作業員……なんだか、いかにも転生者的な非常識なやり方。でも、どうやって?
「……いや、一緒に歩こう。かまわないか?」
「殿下がお望みでしたら」
王太子殿下も気になるみたい。同じく気になる私も歩くことにするわ。
護衛隊の隊長に、その旨を伝えて、クリスティーナさんと並んで歩き始める。その周囲を護衛の騎士たちが囲んだ。襲われないと聞いても安心は出来ない。護衛としての当然の対応だと思うけど、大柄な騎士たちは風景を眺めるには少し邪魔だわ。真面目に仕事をしている彼らに文句は言えないけど。
広大な平野。魔王国は半島だと聞いていたけど、こうして見ると広大に思える。人の目で見える範囲なんて、その程度ということ。少し広い平地だと、どこまでも続いているように思えてしまう。
「……凄い」
どこまでも続く平地は。ただの平地ではなかったわ。あれは麦かしら? 広大な麦畑がどこまでも広がっている。
「なっ!?」
「ですから大丈夫ですわ」
麦畑にいるのは魔物。本当に魔物が農作業をしている。クリスティーナさんは、また大丈夫と言うけど、私も不安は消えない。
そんな私たちの気持ちを察したのか、クリスティーナさんは一人、集団から離れて麦畑に近づいて行った。殿下もそれに続こうとしたけど、さすがにそれは護衛騎士の人たちが許さない。
「ヒメサマ。コンニチワ」
「こんにちわ。今日も頑張ってくれていますね? ありがとう。他の皆さんにも、ありがとうを伝えてくれるかしら?」
「ヒメサマニホメラレタ」
「貴方たちの王様もいつも褒めていますよ」
「オオ。ソレトテモウレシイ」
クリスティーナさんは魔物と会話をしている。普通に挨拶をしている。どうしてこんなことが出来るのかしら? 彼女の周囲に魔物たちが集まって来た。挨拶を交わすと、また嬉しそうに作業に戻っていく。嬉しそう。魔物であってもそれは分かる。魔物にも感情があることを、今初めて考えた。
「魔王国は魔物を操って、貴国の北部に大群を侵攻させました。あれと同じですわ。魔物たちに戦いではなく、農作業を命じています。実は魔物たちに合っているのかもしれません。さきほどのように、穏やかに会話出来る魔物も増えましたわ」
挨拶を終えて戻って来たクリスティーナさんが、魔物を働かせている方法を説明してくれた。戦争に駆り出せるのであれば、農作業だってさせられる。言われてみればその通りだけど。
「そんなことが……」
「魔物たちのおかげで労働力の確保が出来ました。ただの荒地だったこの場所が、実り豊かな大地に変わったのは魔物たちのおかげですわ」
これって完全に転生者チート。荒地だった魔王国の領土は、こうして一大耕作地に変わっていく。食の確保、いずれは輸出なんてことも考えているのかもしれない。魔物が作った麦、米……ブランドにはならないか。
「では、先に進みましょう」
「ああ、少し待ってくれ。私も馬で進む」
殿下は馬車ではなく、馬で先に進むことを選んだ。私も便乗させてもらおう。馬車の窓からでは風景を楽しめないもの。
用意してもらった馬に乗って、先に進む。殿下はクリスティーナさんと並んで、私はそのすぐ後ろ。私の立場では、本当はもっと列の後ろに下がるべきなのだろうけど、ここは以前の我が儘な私を発揮させてもらうわ。
「……凄いな。ここまで農地を広げるのは大変だったのではないか?」
「力仕事が得意な人材には事欠きませんので」
「魔族も開墾を?」
「土木工事のほうですわ。この辺り一帯に張り巡らされている用水路は、魔物たちではなく、力自慢の種族の人たちの功績です」
魔族の力を戦いではなく、国造りに活かせば、多くのことが出来るはず。これは私も分かっていた。カイトも当然、分かっていたはず。それを彼は実践した。でもそれは、彼に多くの人を従わせる力があってのこと。私には出来ないこと。
「そうだとしても、三年ほどでこれを実現したということなのだろう?」
「他にも色々と工夫しましたわ」
具体的なことは秘密。クリスティーナさんの意図は、私にも理解出来た。きっと、魔族や魔物でなければ出来ないことは隠さない。でも、人族の国でも真似できることは秘密。こういうことだと思う。
「先に行って、橋を下ろしてきますわ」
正面には川が流れている。その川の先には砦。カイトはそこにいるに違いない。
「農業の為だけの用水路ではなかったようだ」
「……そうですね」
侵略しようとする軍の行く手を、この川が遮ることになる。そもそもあの壁を突破出来ないのではないかと私は思ってしまうけど。魔王国と戦おうなんて馬鹿なことを考えている人たちは、これをどう見ているのかしら?
川の両岸から橋が下り、砦への道が繋がった。クリスティーナさんは先に橋を渡っていく。それと同時に砦から人が出てきた。大柄な、武装した人たちは魔族。鬼人族であることは額から伸びている角で分かる。私は彼らと会ったことがある。あの中の一人は転生者。前世の名は瀬名俊樹くん。
「……行こう」
馬を進ませて、橋を渡っていく。もうすぐ会える。カンバリア魔王国の王、魔王となったカイトに。