
◇◆◇ 無影=ヒューイ ◇◆◇
幼い頃から常に父親からの暴力を恐れてきた。顔を合わせば殴られる。理由なんてない。ただ気にいらないだけ。だから父親と顔を合わせるのを避けた。でも結局、暴力からは逃げられない。僕に暴力を振るってくるのは父親だけではなかった。その人たちが暴力を振るう理由はすぐに分かった。父親に仕返し出来ないので、僕を殴ることで恨みを晴らしていたのだ。父親が暴力を振るう対象は僕だけでなく、目に入る全ての人だったってことだ。
異常者だ。頭がいかれている。そう思った。父親なんて思ったことはなかった。逃げたかった。でも逃げられない。僕にとって、安全な場所はどこにもない。誰かに会えば暴力を振るわれる。そんな状態だった。
じっと息をひそめて、夜になるのを待つ毎日だった。誰にも存在を気付かれないように。ただじっとしているだけ。やがて、僕の存在に誰も気づかなくなった。僕は忘れられた。平穏な日々が訪れた。でもそれは間違いだった。
誰にも気づかれないはずの僕に気付く人が現れた。どうしてなのかは、ずっと後になって分かった。その人たちは普通の人ではなかった。退魔兵団というところの兵士たちだった。周りに忘れられた僕は、その人たちにとって都合の良い存在。攫っても誰も文句を言わない。そう思われたのかは分からない。確かめていない。とにかく僕は攫われた。
そして、捨てられた。助かるのは百人いて一人。そんな恐ろしい迷宮だ。
「……こうして顔を合わせてしまったからな……しばらく一緒に暮らすか?」
そこで出会ったのが、カイト。明らかに他人の物と分かるブカブカな服を着ていたカイトは、信じられないことに赤ん坊の時に迷宮に捨てられたそうだ。それで生きていられるわけがない。そう思ったけど、理由があった。
「俺の家族。一番大きいのが義母で、あとはブラザー。あっ、ブラザー分からないか? 上の兄貴と下の兄貴、あとは姉貴だ」
カイトは自分の家族を紹介してくれた。どう見ても魔獣にしか見えない家族。実際に魔獣だった。カイトは魔獣に育てられた。そうでなければ一日ももたずに死んでいたと言っていた。そうだろうと僕も思う。
<悪魔の迷宮>は思っていた通り、恐ろしい場所だった。魔獣も魔物も沢山いた。カイトの家族とは違って、それらは僕たちを襲ってきた。
「今だ! 逃げろ!」
初めの頃、まともに戦えたのはカイトだけだった。赤ん坊の時から<悪魔の迷宮>で暮らしている。戦えて当然、なんて思えなかった。カイトは僕たちと同い年くらい。それで戦えるのは異常だ。
「燃えろ!」
魔法まで使える。「燃えろ」と言っているから炎の魔法だと思っていた。でも迷宮の闇に慣れ、色々と見えるようになって分かった。炎は炎でも真っ黒な炎だった。カイトは特別だと思った。
僕はただ逃げ回ることしか出来ない。怖くて、怖くて、ずっと隠れていた。
「またお前は隠れていたのか? 少しは協力しろよ」
いつもカトラに文句を言われた。カトラは、カイトほどではないけど、強かった。彼は暴力を振るう側の人間だ。僕とは真逆だ。
「出来ることをするしかないだろ?」
デニスは優しい。いつも僕を庇ってくれる。でも寂しくもあった。期待されていないのが分かった。
「出来ることのない人は?」
ミユウは厳しかった、というのとは違う。彼女は変わっていた。
「お前は出来る出来ないの前に、やる気を出せ」
「嫌だ。つまんないもん」
「……カイトに告げ口してやる」
「頑張ってます! カイトくん、ミユウ、頑張っているよ!」
こんな感じで、良く分からない性格だ。カイトが好きなのは分かる。何故かカイトが彼女の気持ちに気付いていないことも。どうしてこれで気付けないのか? 僕には理解出来なかった。そして、そのカイトは。
「えっ? 俺が戦っている間、ずっと隠れていたの?」
「……ごめん」
「凄いな! えっ、ヒューイって、天才なの?」
「えっ……?」
何故か、僕を褒めてくれた。カイトも最初は良く分からなかった。
「カイト、甘やかすな!」
「甘やかす? カトラは何を言っているの?」
「そいつは戦わないで、ずっと隠れていた。卑怯じゃないか?」
この頃のカトラは今と違って、厳しいことばかりを言って来た。自分は戦えるから、戦えない僕が気に入らないみたいだった。暴力を振るう側のカトラと、振るわれる側の僕だ。上手くやれるはずがないと思っていた。
「お前、馬鹿か? お前の脳みそは筋肉で出来ているのか?」
「なんだと!?」
カトラに対する悪口の定番となった脳筋は、これが始まりだった。
「良いか? 俺たちは生きる為に戦っている。襲われるから仕方なくだ。でもヒューイは戦わないでいられる。これって凄いだろ?」
「……戦って勝つほうが凄い」
僕もそう思っていた。カイトが何故、僕を褒めてくれるのか分からなかった。
「だから馬鹿だって言っている。戦って勝たなければならないのは食料にする時だけだ。それ以外の時に戦う必要はない。それともあれか? お前は倒した魔獣を全部食べるのか?」
「食べない。食べないけど……」
「魔獣は恐ろしい敵だ。でも貴重な食料でもある。食料を無駄にすることは凄いのか? お前はどんな金持ちに生まれた?」
このカイトの話を聞いて、ようやく僕にも分かった。カイトは無駄に殺すなと言っているだけだった。無駄な戦いは必要ない。それで命を危険に晒す必要はないということを、すごく分かりにくい言い方でカトラに伝えていたのだ。
「これでも分からなければ、これは? とんでもなく強く、この迷宮の誰よりも、しかも圧倒的に強くなったら襲われないと思わないか?」
「それは……相手も死にたくないだろうからな」
「カトラはこれは凄いって思う。でも戦わないのは同じだろ? どちらも戦わない。だからどちらも凄い」
「……分かったかも」
いや、分からないから。これで分かるほうがおかしい。だからカトラは脳筋って言われるようになる。まあ、この単純さがカトラの魅力。これを知って僕もカトラに対する見方が変わった。話すようになってカイトの言う「同じ」だと分かった。僕は暴力から隠れることで自分を守った。カトラは自分に向けられる以上の暴力を身につけることで自分を守った。こういうことだった。
「俺もヒューイみたいになりたい。どうすれば良い?」
「えっ……隠れているだけだけど」
「隠れることも鍛錬か……良し、俺も隠れることを鍛錬メニューに入れよ」
本気でカイトは僕を羨ましく思っている。この時、それが分かった。庇っているのではなく、本気で僕を凄いと思ってくれていた。それが堪らなく嬉しかった。
「カイトくん、めにゅって何?」
「ああ、メニュー。意味は……あれ、何だ? 献立だと今のとは違うから……えっと、一覧みたいな?」
「鍛錬一覧……オッケー、分かった」
カイトは時々、分からない言葉を使う。その度にミユウは意味を尋ねていた。聞いて意味を覚えては、すぐに使っていた。この「オッケー」もそうだ。色々な意味があるようで、使うと便利そうだけど、僕は何だか恥ずかしくて、口に出来なかった。
でも、「鍛錬メニュー」は使おうと思った。毎日、どんな鍛錬を行うか。僕もカイトのように計画を立ててやることにした。カイトは褒めてくれたけど、僕は彼の側で戦いたい。強くなりたいと、その時、始めて思った――
「だから僕は強くなる。カイトの側で戦う為に。柱将なんて関係ない。先代って奴が何だ? 僕は魔王ではなく、カイトと共にいたいんだ!」
強くなる、もっともっと強くなる。そのために命を賭けろ。言われなくてもそうしてやる。この命はカイトに貰ったもの。この想いは僕だけなく、カトラもデニスも、ミユウはちょっと違うかもしれないけど、ずっと抱いてきたものだ。とっくにカイトの為に命を捨てる覚悟は出来ている。
何が八柱将だ。与えられた肩書になんて意味はない。僕たちの絆を舐めるな!