
◇◆◇ ウイリアム ◇◆◇
退魔兵団本部を離れて、元々泊まる予定だった近くの村に戻った。ここで一泊して、明日の早朝には王都に向けて出発する予定だ。退魔兵団が気がかりではあるが、我々だけでどうにか出来ることではない。兵団長となっていたカイトは我々との交渉は受け入れない。無理に試みようとすれば、また戦いになるかもしれない。そもそも兵団長が代わっていたことは想定外。王都に戻って陛下に、この事実を急ぎ伝えることを優先すべき。七星将の二人も同じ意見だった。
一日で色々なことがあった。今もまだ頭の中は整理出来ていない。疑問点がいくつもある。アントンたちに話を聞こうとも思ったが、今はクリスティーナが心配だった。彼女は傷ついている。少しでもその傷を癒してあげたいと思った。
「……クリスティーナ様、私もここでお別れです。頂いた名もお返しします」
「どうして? どうしてそんなことを言うの?」
部屋の中でクリスティーナが誰かと話をしている。それが聞こえて扉を叩こうとしていた手を止めた。すぐに中に入って何者か確かめようと思ったが、恐らくは退魔兵団の関係者。私は顔を見せるべきではないと思った。
「私がお側にいてはクリスティーナ様に迷惑をかけます。すでにそういう事態が起きている」
「私は気にしない。王都だからああいうことになるの。ここなら、退魔兵団の皆と一緒なら、いえ、カイトと一緒なら問題にはならないわ」
クリスティーナはまだ退魔兵団に残りたいのか? どうしてそう思うのだろう? 彼らの境遇には同情するが、クリスティーナは彼らとは違う。
「あの男とは一緒になれません。クリスティーナ様は元の世界に戻るのです」
話し相手の言う通り、住む世界が違う。
「どうして、皆がそう言うの? これまで楽しくやってきたのに」
「私が思うに、それは幻なのです。神が与えてくれた一時の癒し。血塗られた人生を送る私に神は慈悲を与えたのです」
「アレク……それは違う。貴方にだって穏やかな人生を得る権利があるわ。戦いとは関係ない世界で生きられる」
戦いに関係のない世界。それは無理だ。私もまた戦いの中で生きることを宿命づけられている。相手の言う、血塗られた人生を歩むのだ。
「無理なのです。いくらそうしようとしても運命がそれを許さない。それはカイトも同じ。あの男は戦いから離れ、貴女と穏やかな人生を歩もうとしていた。だが、運命はそれを許さなかった」
カイトが穏やかな人生を。その邪魔をした運命は……私なのか? 私が彼を血塗られた人生に引き戻したのか? そうなのか?
「私はどのような人生であってもカイトと一緒なら平気だわ」
「クリスティーナ様がそうであってもカイトは耐えられない。私も、クリスティーナ様にそんな人生を歩んで欲しくはありません。貴女には戦いのない、憎しみのない、清らかな人生を過ごしてもらいたい。だから我々は貴女から離れなければならないのです」
カイトがクリスティーナに冷たくしたのは、これが理由……私は駄目だ。本当に駄目だ。クリスティーナのことになると目がくらむ。自分の都合の良いように考えてしまう。
カイトがこれまでどれほどクリスティーナに尽くしてきたか、私は見てきたはずだ。常にクリスティーナを助けたのはカイトであって、私ではない。私はただ心配しているだけ。危険を犯していたのはカイトだ。
「でも私は……カイトを愛しているの。カイトの他に大切なものは何もないの」
「同じように我々も貴女を大切に思っています。わずかな傷もつけたくない。でも自らの存在が貴方を傷つけてしまう。それが我々には耐えられない。その苦しみを味わうくらいなら、貴女の側にいられない寂しさのほうが遥かにマシなのです」
「アレク……私は……」
クリスティーナには受け入れられない。でも、自分が側にいることで彼らを傷つける。こう言われてしまうと、言葉が見つからないのだろう。
情けない。自分をここまで情けない男だと思ったのは初めてだ。私はどうか? 自分が満足することだけしか考えていない。クリスティーナの為を思って、自分が身を引くなんて考えたことがなかった。
「クリスティーナ様、貴女は私の人生に輝きを与えてくれました。憎しみ以外の感情を教えてくれました。悪魔として闇の中で生きるしかなかった私にとって、貴方の輝きはとても眩しかった。そんな貴女は私の憧れでした」
「…………」
「貴女と出会ってから今日までの日々が、私にとっては夢。夢としか思えない幸せな日々でした」
話し相手は悪魔だった。クリスティーナが契約したと聞いている悪魔。二人の関係は契約なんて言葉で説明出来るものなのか? 出来るはずがない。これは愛情だ。私以上の愛情を、この悪魔はクリスティーナに注いでいる。
「離れても、貴女は私の憧れのままです。憧れの存在のままでいてください。そういう人生を歩んでください。これが私の願いです」
「アレク……アレク……私は……貴方と出会えた運命に感謝しているわ」
「私もです……さて、扉の外にいる者よ」
「えっ……?」
私がいることを悪魔は気付いていた。それはそうだ。それくらいの能力を持っていないはずがない。
「お前にも私の、私とカイトの想いを伝えたかった。クリスティーナ様を託すお前には知っていて欲しかった」
「……ああ、良く分かった。自分が遠く及ばないことも」
それでも話を続けていたのは、私にも聞かせる為。自分の想いを私に伝え、私に覚悟を持たせる為だろう。その想いに応えないわけにはいかない。これで応えなかったら、私はこれ以上ないほど自分を軽蔑することになる。
「クリスティーナ様に傷ひとつつけることも許さん。傷を負わせるような事態になったら、貴様の命を捨てて守れ」
「覚悟は出来ている」
「魔族との約束を甘く見るなよ? 約束を破った時は、死で報いてもらう」
「……約束する」
軽々しく聞こえるのではないか。そんな風にも思った。約束出来る資格が自分にあるか自信がないから。だからといって約束しないという選択はない。命に代えてもクリスティーナを守る。こう誓うのだ。
「……では、クリスティーナ様。お別れです」
「アレク! アレク! 行かないで、アレク!」
クリスティーナの叫びも空しく、アレクと呼ばれる悪魔は姿を消した。残されたクリスティーナを慰める術を私は持たない。まだ私は彼の代わりにはなれない。今の私に出来るのは、ただ彼女の側にいることだけ。ここから始めるのだ。ただ側にいる。それがいつか彼女の慰めになると信じて。
◇◆◇ アレク ◇◆◇
私の選択は正しいのか。正直、分かっていない。側にいてお守りすることが正しい選択のようにも思える。だが、これはきっと未練だ。ミネラウヴァ王国とカンバリア魔王国との戦いは避けられない。クリスティーナ様がミネラウヴァ王国の臣民である限り、私はあの方の害になる。クリスティーナ様が本来得られるはずの尊敬と信頼を得られなくなる。それでは駄目なのだ。クリスティーナ様は人々の光。そういう存在だ。それがたとえ人族を照らす光であっても、私はそうあって欲しいと願う。
「……いたのか?」
「ああ、まあ、少し心配で」
村の外にはカイトがいた。分かっていた。本人は気配を隠しているつもり、実際に隠せているが、私は共にいる時間が長い。カイトの魔力の気配に馴染んでいる。
「別れの挨拶はしないつもりか?」
「それは未練だ。それに伝える言葉が見つからない」
「そうか……理由は聞かせてもらえるのか?」
カイトからは何も話を聞いていない。クリスティーナ様に伝えたカイトの想いは、私が勝手に考えたことだ。ただ間違っていない自信はある。
「俺は彼女を不幸にする。俺に向けられる敵意に、彼女を巻き込みたくない」
「……そうか」
曖昧な答え。だがやはり気持ちは同じだった。自分の存在がクリスティーナ様を傷つける。カイトもこう思ったのだ。
「名前を貰えるか?」
「はっ? どうして?」
「アレクサンダーの名はお返しした。そうなると元の名になるが、それは名乗りたくない」
上書きされた名を返せば、元の名に戻ることになる。だが、その名は名乗りたくない。私はもう魔王国の者ではない。クリスティーナ様の敵にはならないと決めた。
「よく了承したな? 返すといって返せるものじゃないのだろ?」
「いや、返せる。名づけは両者の合意によって成立するものだ。それも与えられる側に一方的に利があること。返す者など普通はいない」
「なるほどな……でも、俺で?」
「お前以外にいないから、仕方なく頼むのだ」
また名を貰うとすればカイトしかいない。この男にしか私の気持ちは理解されない。この男は絶対にクリスティーナ様の敵にならない。
「そうか……じゃあ、これからはアレクサンダーを名乗れ」
「何だと?」
「同じ名を与えては駄目なんてルールはあるのか? ないなら良いだろ? 俺も呼びやすい」
「……駄目ではない、すでに私は新たな名を得た。アレクサンダーという名だ」
カイトとの繋がりが感じられる。この男は私の名づけ主になった。それに本人は気付かなかった。クリスティーナ様は寝込んでしまったというのに……それがこの男の持つ力だ。
「こういうことか……まったく、お前という奴は……<魔王の器>だと?」
「ああ、そういうの分かるのか……思っていたより、繋がりは強いのだな?」
カイトの得ていた加護<魔王の器>。これがどういう意味を持つのかは知らない。だが「魔王」の言葉が含まれる加護だ。クリスティーナ様を巻き込みたくないと思うのは当然だ。
「心配するな。全てが分るわけではない」
「心配はしていない、恥ずかしいだけだ」
「……いつ、この加護を得た? 最初からではないのだろ?」
生まれた時から与えられていたはずがない。そうであればもっと早くクリスティーナ様とは距離を取っていた。クリスティーナ様への愛情を自覚した時に、カイトはそうしていたはずだ。
「今日だ。迷宮の中で死にそうになった。もう駄目だと思った時、封印が解けた」
「封印だと?」
「師匠がやったことだと思う。迷宮で俺を助けてくれたもう一人の家族。師匠であり、父親でもある存在だ」
「……これからどうするつもりだ」
師匠であり父親。それは何者なのか。カイトもはっきりとしたことは分からないのだろう。なんとなく想像は出来ていても……本当にこの男はとんでもない。
「決めていない……ああ、ひとつだけ決めていることはあるか」
「それは何だ?」
「絶対に魔王にはならない」
「……だろうな。賛成だ」
クリスティーナ様の敵にはならない。こういうことだと思う。そうでなくてはならない。安心して私も側にいられる、もしかすると「仕えられる」という言葉を使うべきかもしれない。ただ、これはこの男が望まないだろう。
「さて、帰るか?」
「良いのか?」
名残惜しいという想いが私にはある。少しでも近くに。未練だと分かっていても、この気持ちが湧き上がってくる。
「これは聞こえていないのか? さっきからルナが騒がしい。自分と似た存在が出来たのが気に入らないみたいだ」
「ああ、庇護している竜か」
そういえばカイトは竜とも繋がっている。これがもう普通ではないのだ。竜の庇護者に選ばれるなんて、まるで先代の魔王様のよう。先代は庇護者ではなく、友人だったらしいが。
「今は友になった。称号が<竜の庇護者>から<黒竜の友>に変わっている。勝手に庇護者にして、勝手に友って、どう思う?」
「そうか……もう分かっていると思うが、お前の父親は先代の魔王、ヤマト様だな。会ったことはないが、黒竜の話は聞いている。ヤマト様の友人となった竜の話だ」
「やっぱり……しかもその名前……」
先代魔王様の弟子、どころか義理の息子。クリスティーナ様と別れる決断をしてくれて、本当に良かった。名づけ主になってもらったことは少し後悔だ。カイトは人族だけでなく、今の魔王も敵に回すかもしれない。先代を慕う種族を魔王は冷遇してきた。冷遇どころか魔王国から排除した。排除した上で、さらに人族との戦いの最前線に送り出し、多くを死なせてきた。魔王国の戦力を減らしてでも、先代の影響力を消し去ろうとしてきた。
その先代の、血族ではないとはいえ、息子と認められたカイトの存在を知れば、必ず抹殺しようとするはずだ。他の者に存在を知られない為に、自ら出てくる可能性もある。魔王と戦う。とんでもない奴に名付けを頼んでしまった。
だが、後悔しても今更だ。魔王が出てくれば戦う。戦って倒してしまえば、クリスティーナ様を戦いから遠ざけることが出来る。これで良いのだ。