
◇◆◇ ミユウ ◇◆◇
自分はどうして不幸なのだろうって、ずっと思っていた。生まれた家は貧乏だった。でも、これはどうでも良い。出来れば裕福な家に生まれたかったとは思っていたけど、周りも皆、貧乏だったから自分だけが不幸だなんて思わなかった。
私が自分を不幸だと思ったのは母親に愛されなかったから。同い年の子たちは、同じ貧乏でも、家族といると笑っていた。とても楽しそうだった。一緒に遊んでいても、家族が迎えに来ると喜んで帰っていた。
いつも私は一人、残っていた。家に帰りたくなかった。帰っても、いつも家にいるけど誰だか分からない男に殴られたり、蹴られたりするだけ。痛い思いをするのが分かっていて、帰りたいと思うわけがない。だからといって、いつまでも帰らないでいると、今度は母親に「家の手伝いをサボった」と言われて暴力を振るわれることになる。だけど痛い思いをして、それで家の手伝いをさせられるよりはマシだと思っていた。
そんな毎日が嫌で嫌で、死のうと思った時もあった。でも私が死んだからといって誰も悲しんでくれない。母親は自分がしてきたことを後悔なんてしない。ただ私の人生が終わるだけ。損をするのは私だけ。それが嫌で、悔しくて、死ぬことは止めた。
いつまでこの苦しみが続くのか。大人になれば逃げだせるのか。その日までの我慢だと思っていた。でもその日は意外と早く訪れた。私は売られた。親から離れることが出来た。
何も分かっていなかったその時は嬉しかった。暴力から解放されると思っていた。
「何だよ、ここ? 俺たち捨てられたのか?」
「ここに来る前から捨てられていただろ?」
この男の子の言う通りだと思った。私たちは家族に捨てられた、売られた。売られた先でまた捨てられただけだ。
「そうじゃなくて、ここは何処だって話」
「聞いていないのか? ここは<悪魔の迷宮>ってところだ。俺たちはここで迎えが来るまで生活することになる」
そういうことらしい。私も聞いていなかった。これからこの暗い洞窟が私の家になるみたいだ。暮らしやすいと言えそうもない場所。暴力を振るってくる相手がいないのが救いか。この男の子たちは大丈夫だろうか。
「ここで? ここって……食べ物とかあるのか?」
「お前、何も知らないのだな? 食べ物ならそこにあるだろ?」
食べ物はここに連れてきた大人たちから渡されている。地面に置かれている箱。その中にあるはず。だから心配する必要はない。
「いや、お前のほうは何も考えていないだろ? 迎えが来るのはいつだ? それまで渡された食べ物で足りるのか?」
泣き言ばかりの男の子は、意外と考えていたみたい。確かに今ある食べ物で充分かは分からない。
「なくなりそうになったら届けてくれるのだろ?」
「そうなのか?」
「……違うよ。そんな親切な大人たちじゃない」
これまでずっと黙っていた男の子が口を開いた。話した内容はろくなものじゃないので、黙っていたままでいてくれれば良かったのに。でも、期待なんて持てるはずがないのは分かる。私には、きっと彼らにも明るい未来なんて訪れないのだから。
「どういうこと?」
「ここに入れられて、生きて出られるのは百人に一人だって。この話が本当なら、四人しかいない僕たちは一人も生き残れないね?」
「嘘……?」「どういうこと……?」「…………」
わざわざ金を払って買っておいて、殺す。あの大人たちは何をしたいのだろう。そんな金があるなら、私にくれれば良いのに。
「でも、生きて出られる人もいる。どうすれば良いのだろう?」
この男の子は諦めていなかった。生き残れる可能性を信じている。私はどうだろう。どうでも良い。死ねば楽になれる。悔しさは残るかもしれないけど、それも死ねば消える。
「……この先に何かあるのか?」
洞窟にはまだ先がある。問題はそこにどうやって行くか。
「暗くて良く見えないな」
すぐ先は崖になっているみたい。底は暗くて見えない。ここから飛び降りたら、それで全てを終わりに出来るかもしれない。
「…………」
崖の近くに立って、下を覗いてみる。男の子が言った通り、暗くて良く見えない。私の未来と同じ。先が見えないのではなくて、真っ暗な底辺を這いずり回るのが私の人生だ。
そう思ったのだけど、崖下に光が見えた。見間違い。きっとそうだと思うけど、でも……闇の中の光らしき何かが気になって、さらに覗き込んでみた。
「おい、危ないぞ」
「えっ……あっ……」
体がふらついた。こう思ってすぐに地面を踏む感触が消えた。
「げっ!」「おい!?」「うわっ!」
崖下に向かって転がり落ちている。上下左右、自分がどんな体勢なのか分からないけど、落ちていることは間違いない。これで死ぬのか。
「……痛っ」
そう思ったのだけど、思っていたよりも底は近かった。体中が痛いけど、私は生きていた。
「大丈夫か?」
「えっ……」
声をかけられた。一緒にいた男の子たちが先回り、なんて出来るはずがない。じゃあ、彼は誰なのか。薄暗い中でも髪の色が真っ白であるのは分かる。でも年寄りじゃない。髪の色以外の見た目は私とそう変わらない年齢に見える。
「痛いところはあるか?」
「……そこらじゅうが痛い」
「それはそうか……回復魔法は使えないから治してやれない。とりあえず冷やしてみるか?」
「……どうやって?」
痛いところを冷やすのは良いと思ったけど、方法が気になった。この男の子は魔法を使えるわけじゃない。それで、こんな場所でどうやって冷やすなんてことが出来るのだろう。
「少し先に水が流れている場所があるから、そこで。歩けるか?」
「……歩ける」
歩くことは出来る。これくらいの痛みであれば、何度も経験している。地面に手をついて体を起こし、ゆっくりと立ち上がってみる。
「…………」
かなり痛い。でもなんとか歩けそう。
「のんびりしていられる場所じゃないのだけど……悪い。体に触る」
「えっ? ち、ちょっと……」
男の子は私の体を担いで歩き出した。ちょっと、いえ、かなり驚いたけど、正直助かる。痛みに耐えて歩かなくて済んだ。
「降ろすから気を付けて」
「う、うん」
ゆっくりと私を地面に降ろそうとする男の子。私は、バランスを崩さないように彼の首に手を回した。顔と顔が近づいた。少し恥ずかしかった。
「……冷たい」
小川の中に足をつけてみた。とても冷たい水。痛みが和らいだ気がした。
「湧き水だと思う。一年中、温度が変わらないから」
「一年以上、ここにいるの?」
生き残れるのは百人に一人と言われているこの場所で、男の子は一年以上暮らしている。そういう言い方だった。
「まあ。俺、何歳に見える?」
「私と変わらないくらいだから、七歳」
「そんな感じか……そうだよな。背も伸びたし……」
男の子は少し落ち込んだ様子。七歳と言われて、どうして落ち込むのだろう。
「……仲間がいたのか?」
「仲間というか、一緒に来た人はいる」
出会ったばかりで、すぐにここに入れられたので、彼らは仲間と呼べる関係じゃない。そうだけど、彼はそこまで考えて「仲間か?」なんて聞いていない。分かっているのに、こんな答え方をしてしまった。
「一緒に来た人……それは死んだら困る人?」
「えっ?」
「困りそうだな。じゃあ、ちょっと行ってくる。お前は俺の家族が守ってくれるから心配しないで」
「家族って……家族がいるの?」
この男の子は家族でここに暮らしている。ここはどういうところなのか。危険なのか、安全なのか、分からなくなった。
「俺の兄貴と姉貴。じゃあ、後は任せた」
「ち、ちょっと!? 待って! 行かないで!」
魔獣が現れた。それなのに男の子は去って行こうとする。逃げるつもりなのか。きっとそうに違いない。
「だから兄貴と姉貴が……あっ、そうか……悪い。人に会ったのは久しぶりで。魔獣に見えるこの二人が、いや、この二匹が……とにかく俺の家族。襲ったりしない。襲う敵から守ってくれるから安心して」
「魔獣が……家族……君は魔獣、違う、魔族なの?」
「へっ? ああ、義理の家族ね。赤ん坊の時にここに捨てられた俺を助けて、育ててくれたのがこの二人の母親。詳しいことはまた後で。とにかく大丈夫だから!」
「ちょっと!?」
説明を途中で止めて彼は走り去ってしまった。残された私は、彼が家族という魔獣二匹と一緒。大丈夫と言われても落ち着かない。
「……様子を見に行こうかな?」
恐る恐る立ち上がって、彼が走って行ったほうに向かって歩き出す。魔獣二匹は……私の前と後ろについた。本当に守ってくれているのだろうか。彼はどうやって魔獣と話をしているのだろう。
「……あっ」
少し歩くと、彼が急いでいた理由が分かった。一緒にここに連れて来られた男の子たちが魔物に襲われていた。襲われそうになっていた、だ。襲おうとしている魔物は今は彼と戦っている。
影のように黒く、炎のように揺らめく何かが魔物の体を包む。魔法なのだと思う。魔法を見るのは初めてなので分からないけど。
「凄い……」
魔法だけじゃない。彼の動きは人とは思えないくらいに速い。魔獣のような速さで動き、魔物の攻撃を避け、相手を攻撃していく。敵は三匹。三匹の魔物を相手に一人で、それも男の子たちを守りながら、彼は戦っている。
「グルルルル」
「な、何!?」
いきなり唸り声をあげた魔獣、彼に家族と言われた魔獣。何が起きたのか驚いて、声をあげてしまった。
「……あっ……えっと……君もあの子の家族?」
もう一頭、魔獣が現れた。正確にはもう二頭。一頭は、もう一頭に嚙み殺されている。生き残った魔獣は敵なのか、味方なのか。私の前後を守っている味方が何もしないので、きっと味方だと思った。
「……助けてくれたの? ……ありがとう」
「ぐるっ♪」
「笑った?」
ように見えた。目の錯覚に違いない。そう見たいから、そう見えただけ。
「動いて大丈夫か?」
彼が私のところに戻ってきた。戦いはいつの間にか終わっていた。
「……君も……ありがとう」
「えっ……あっ、いや、俺は別に……そ、その……」
近づいて来た彼が眩しかった。闇の中の光は彼だったのだと思った。暗く、どん底の私の人生に彼という光が現れた。何故かそう思って、気が付いた時には彼に抱きついていた。人の温もりを感じたのは、これが初めてだと思った。
「……私はミユウ。君は?」
「俺はカイト」
「……カイトくん……あのさ……私も……君の家族にしてくれる?」
「えっ……ああ、良いよ。家族なしでここで生きるのは難しいからな」
カイトくんは私の運命の人。出会ったその日に私はそう感じた。家族になりたいとお願いして、彼はそれを受け入れてくれた――
(……そういう意味じゃなかったけどね?)
でも彼の運命の人は私じゃなかった。彼には他に大切な人がいる。私との約束なんて、忘れている。
「……だから俺と結婚してください」
「はい。私は貴方の妻になります」
彼は他の女性にプロポーズをして、その女性、クリスティーナちゃんはそれを受け入れた。二人は愛し合っている。
「「「うわぁあああああっ!! おめでとうっ!!」」」
周囲から歓声があがる。皆、二人の結婚を祝福している。私も祝福していないわけじゃない。カイトくんが幸せならそれで良いと思う。カイトくんも私と同じで人から愛されたことがない。義理の家族には愛されているけど、それは私も同じ。カイトくんよりは短い間だったけど、カイトくんのように念話で話は出来なかったけど、皆、優しくしてくれた。
「おい、夢魔? どこに行く?」
この場を去ろうとした私に断空が声をかけてきた。気にしてくれているってことだけど、今は少し煩わしい。無影みたいに気配を消せるようになりたい。
「カイトくんのことだから、家族に相談もしていないでしょ? だから報告してくる」
「ああ、俺も行こうか?」
「良い。皆で行く時があるだろうから、その時に」
「……そうだな」
その時はあるのだろか。カイトくんはクリスティーナちゃんを連れて挨拶に行く。これは間違いない。でも、その時に私は家族としてその場に同席出来るのだろうか。私は同席したいのだろうか。
カイトくんの家族になりたかった。でも私が願った家族にはなれなかった。