
◇◆◇ ミネラウヴァ国王 ◇◆◇
どうしてだろう。クリスティーナ・アッシュビーが絡むことになると必ず誤算が生まれているように思える。今回の件はその最たるものだ。事もあろうに騎士養成学校に乗り込んでクリスティーナとパトリオットの二人を拘束した。そのような真似をしては、事件を隠せるはずがない。瞬く間に騎士養成学校内に広まり、学生たちを通じて実家に、貴族たちに広まってしまった。
しかも避けようとしていた「勇者であるウイリアムの婚約者がカンバリア魔王国に内通していた」という内容で。婚約解消の事実が周知される前に、拘束の事実がそれを追い越して広がってしまった形だ。
その影響は現時点ではまだ分からない。分析しようにもやりようがない。最悪は勇者であるウイリアムの信用失墜。それによって他国が支援に二の足を踏むことだ。我が国、ミネラウヴァ王国は単独でカンバリア魔王国と戦うことになってしまう。
「どうして騎士養成学校に踏み込むなんて馬鹿な真似をしたのですか?」
宰相は今回の事態に酷く腹を立てている様子だ。もとは自分が推し進めたこと。それが最悪の結果をもたらすことになるとなれば、それは怒るだろう。自分自身の責任問題に発展する可能性もあるのだ。
「それが……確かに命令が発せられたと現場指揮官は申しております」
「だからそれは誰の命令なのです?」
「宰相閣下の」
「……私はそのような命令は……騎士養成学校で拘束しろなんて命令は出していません」
二人を拘束しろという命令は発している。これは否定しようもない事実。私の名で、王命として発せられたのだ。宰相が作成した命令書は確認している。
「そうなのだろうとは思いますが、二人は騎士養成学校内の寮で暮らしております。拘束するには騎士養成学校で行うしかありません」
王国騎士団長の主張は納得できるものだ。騎士養成学校内での拘束を避けようと思えば、そういう命令にしなければならない。少なくとも私が見た命令書には、そこまでは書かれていなかった。
「そこは養成学校に野外授業を手配させるなど……そもそもどうして婚約解消について周知されていないのですか?」
王都の治安維持を担当する部隊に、そのような権限はない。そうさせようと思えば、現場ではなく、もっと上から騎士養成学校に命じなければならない。途中で宰相も言いがかりに近いと思ったようで、話を変えてきた。
「現時点で判明している原因は、信憑性を疑われたことのようです。ウイリアム殿下の口からは婚約解消について何も語られておりません。それ以前に殿下は王都を離れておりました」
情報局長の報告は、私には完全には理解出来ないものだ。婚約解消は王国として正式に発表されたはず。どうしてそれを皆が疑うのか。
「公式発表を信じない者などいるのですか?」
宰相も同じ疑問を持ったようだ。それはそうだろう。公式発表を信じないで、何を信じるというのか。
「たとえば年一度の王家主催の舞踏会の場で発表されていれば、情報が広がるのはもっと速かったことと思います。ですが、公示だけでは……」
「……いちいち確かめに来る者はいないと?」
「そこまでは申しませんが……時間を必要とすることもあろうかと……」
宰相の問いが事実を指しているのだろう。確かめないということはない。だが重要性が高く、かつ緊急性のあるものは滅多にあるものではない。そういう場合は伝える王国の側も、確実に伝わるように書状を各家に送るなど、工夫する。今回はそういう工夫が為されていなかった。
「婚約解消が半月以上前に決まっていた事実は、どこまで広がっているのですか?」
今出来ることは広がった情報の上書き。婚約解消はずっと前に合意されていて、クリスティーナはウイリアムの婚約者ではないという事実を広めることだ。婚約者と元婚約者で影響にどれほどの違いが生まれるかは分からないが、間違った情報をそのままにしておくわけにはいかない。
「いくつかの貴族家に協力を得て、確実に広まってはおります。ただ……」
「何ですか?」
「……慌てて偽情報を広めようとしていると疑う者も少なくはないようで」
事実そうなのだ。偽情報ではなく真実なのだが、慌てて上書きしようとしていることには違いはない。効果が薄れるのは避けられないだろう。
「それでも構いません。工作は続けるように」
「承知しました」
広まってしまったものを正すのは容易ではない。すぐに期待する成果が得られなくても続けるしかないのだ。宰相の指示に間違いはない。
「取り調べに何か進展はありましたか?」
なってしまったものを悔いていても何も解決しない。この先どうするかが重要だ。その「この先どうする」を決めるのに必要な情報は事実。疑いは事実であるのか、そうではないのか。これによって対応は変わる。
「二人は変わらず、内通の事実を否定しております」
「それはそうでしょう? 否定する相手から事実を引き出すことが仕事です。悪魔と契約している事実は確認出来たはずです」
「ですが、その悪魔が危険な存在であるという証拠はありません」
「何ですって……?」
宰相と騎士団長の考えにはズレがある。少し前から気付いていたことだ。宰相はなんとか有罪に追い込もうとするが、騎士団長はそれに積極的に応えようとしなかった。
「私は二人は事実を話していると考えております」
さらに王国騎士団長は二人の無実を主張してきた。想定外の態度だ。無実である可能性はある。それは分かっているが、王国騎士団長がこんなに早く判断を下す可能性は私も考えていなかった。
「何か証拠はあるのですか?」
「内通者の存在に最初に気が付いたのはカイトという男のはずです。ウイリアム殿下に自分の考えを伝え、調査を依頼しております」
「それのどこが証拠になるのです?」
「そのカイトは二人と行動を共にしております。二人を疑ってのことであれば、殿下にその旨も伝えているはずです」
王国騎士団長が二人を無実と判断する根拠。はたしてこれが決め手になるのか。私にはそうは思えない。
「そのカイトは二人を庇おうとして抵抗。ウイリアム殿下を侮辱することさえしました。わざと事実を隠した可能性は高いのではないですか?」
「庇うつもりであれば、内通者の存在を伝えることもしなかったはず。こう思われませんか?」
王国はその存在を認識していなかった。少なくとも私のところに報告は上がっていなかった。忠告がなければ調査は行われず、結果、クリスティーナとパトリオットが捕えられることもなかった、かもしれない。王国騎士団長の疑問はもっともだ。
「そこは何か企みがあって」
「ですが、彼は退魔兵団の兵士です」
「それは……」
そもそも退魔兵団の兵士が悪魔の内通者を見過ごすか。本人がどう思っているかに関係なく、それは出来ないのではないか。王国騎士団長はこう考えているのだ。確かにそうかもしれない。悪魔は、魔族は敵と刷り込まれている退魔兵団の兵士が内通者を庇うとは思えない。
「……退魔兵団の制約がどこまでのものか私には分かりません。明らかにされていないものと記憶しています」
どこまで自分の意思を通せて、どこからが強制されるのか。これが分かる者は代々の退魔兵団の兵団長しかいない。隠すところが退魔兵団を信用出来ない理由のひとつだ。
「そうであっても退魔兵団の兵団長の命令に逆らえないのは間違いない。報告は届いていないのですかな? 兵団長自らがカイトを尋問した結果の報告書は?」
「……見ています」
まただ。また宰相は重要な点を見逃していた。クリスティーナ憎し、それともアッシュビー公爵家憎しの気持ちからなのか分からないが、とにかくクリスティーナが絡むと宰相はおかしくなる。
「報告書には内通者の存在は悪魔から聞いたこと。その悪魔は全てを話す前に死んだこと。これ以外は何も知らないと証言したことが書かれていたはずです。あとは侵入方法については捕らえた二人の協力を得て、検証したことも」
「…………」
つまり、カイトはクリスティーナとパトリオットが内通者だと思っていなかったということになる。もしくは気付いていなかったか。後の可能性は低そうだ。だが、どうして騎士団長は今になってこれを言い出したのか。もっと早く伝えるべきだったのではないか。
「ただし、疑問点がひとつ。パトリオットの証言によるとカイトは悪魔との契約を知っていたようです。だとすれば、どうして彼はそれを隠せたのでしょう? 絶対に逆らえない兵団長の尋問において」
矛盾した事実が存在している。カイトという男は事実を隠していた。だがその男には絶対に隠し事が出来ない相手がいて、その相手から尋問を受けている。どうして、こうなるのか。どちらかが間違っていることになる。
王国騎士団長はこの点を確認する時間を必要していたのかもしれない。そうであれば、これまで報告書について取り上げなかったことも納得出来る。
「……誰かが嘘を言っている」
「誰が嘘を言っているのか確かめるべきです。まずはもう一度、カイトへの尋問を。当然、退魔兵団の兵団長による尋問です」
「それは……」
どうしてこうなるのだろう。何かがおかしい。宰相はこの件に関わらせるべきではなかったのか。他の者に判断を任せるべきであった。こう思われてしまう。
「兵団長を王都に呼び寄せるのにひと月近く必要なのは分かります。ですが、やるべきことと考えます」
「……カイトはすでに退魔兵団に引き取られています」
「送還したのですか? そうであれば、すぐに引き返すように命令を」
「いえ、違います。退魔兵団に引き渡しています。退魔兵団の兵士の処分は、団に一任するのが慣例となっていて……」
引き渡し後では、こちら側は何も出来ない。すでに処刑されている可能性さえある。そうでなくても何か、処刑に等しい達成困難な任務を与えられているかもしれない。死ぬと分かっていても退魔兵団の兵士は任務に赴くしかないのだ。
「どうして相談もなく……いえ、そうでしたか。それにしても早過ぎませんか? 事件が伝わってすぐに兵を送り出したとしても……我々の常識が通じない可能性はありますが」
王国騎士団長はかなり不満そうだ。その不満を最後まで言葉にすることはしない冷静さは残っているようだが。
「後追いで使者を出します。尋問を拒否することはないはずです」
退魔兵団の兵団長はそうだろう。だが、見返りに何を求めてくるのか。このところは大人しいが、まとめて要求してくるつもりなのかもしれない。そうであってもかまわない。決して好感を持てない男だが、餌は与える必要はある。それも一時のことだ。カンバリア魔王国との戦いが始まれば、そう長くかからずに与えたものは無になる。死者は爵位を、領地も財宝も必要としないのだ。