
◇◆◇ パトリオット ◇◆◇
妹が何をしたというのか。私が何をしたというのか。あまりの理不尽な仕打ちに、さすがに王国に対する怒りが抑えられない。確かに妹は悪魔と契約している。だからといって、それが何の罪になるのか。魔獣召喚術というものがある。妹と悪魔との契約はそれと同じ。魔獣との契約は問題ではなく、悪魔との契約は重罪。この違いを、きちんと論理的に説明してみろというのだ。仮に悪魔であることが問題だとしても、それは妹の罪ではなく契約した悪魔の罪。罰は悪魔が受けるべきものだ。
なんていう文句をいくら吐きだしても気持ちは収まらない。事態は解決しない。不幸中の幸いというべきか、普通の牢には入れられなかった。入れられたのは城の敷地内にある塔。罪を犯した貴人、王家に繋がる人を監禁しておく場所だ。公爵家への最低限の礼儀は守られたということだろう。
いや、幸いは間違いか。私たちは無実。監禁される理由がそもそもない。それは王国も認めていることだ。あくまでも取り調べで、罪が確定したわけではないと。そうであるのに拘束するというのは、礼儀に反している。「牢獄ではなくて良かった」なんて喜ぶのは間違いだ。
「クリスティーナ、すまない。必ずなんとかするから」
ウイリアム殿下が訪れている。面会が許された、じゃない。面会が出来ない状態が異常なのだ。
「婚約の件も。私は何も知らされていなかった。勝手に決められたことだ」
実際にそうなのだろう。この点でウイリアム殿下を疑う余地はない。ただ、だからといって決定が覆されるわけでもないだろう。陛下が決めたことだ。婚約破棄は間違いでした、なんてことに出来るはずがない。そうするつもりも、微塵もないはずだ。陛下の意思で強引に破談にさせたのだから。
クリスティーナもこれくらいのことは分かっている。きっとウイリアム殿下も分かっているはずだ。婚約の件はどうにもならない。二人はもう婚約者ではなく、婚約者に戻ることもない。
「……カイトはどうなったのですか?」
妹が気にしているのは婚約のことではなく、カイトの状況。カイトも一緒に捕らえられた。でも彼はここにはいない。私たちと同じ待遇を与える立場にないと王国は判断したのだ。
では、カイトはどこに囚われているのか。妹が心配するのは当然だ。
「カイトは……退魔兵団に引き取られたそうだ」
「えっ……?」
「兵団で処分されることになる。どうやら退魔兵団の兵士に対する処罰については、王国は口出ししないことになっているらしい」
それはカイトにとって良いことなのか、悪いことなのか。恐らくは悪いことだろう。退魔兵団については気になって少し調べたが、兵士に寛容であるとは思えない。退魔兵団の兵士にされているというだけで、酷い仕打ちなのだ。
「クリスティーナ……」
妹の目から涙が流れている。カイトの身を心配してのことか、それとももう二度と会えないかもしれないと思ってか。
「君が悲しむ姿を見たくない。私が力に……えっ?」
抱きしめようとしたウイリアム殿下の体を妹は押しのけた。拒絶したのだ。殿下はそれに戸惑っているが、私は当然の態度だと思う。
「私はもう殿下の婚約者ではありません」
妹はウイリアム殿下の婚約者ではない。婚約者としての義務からは解放されたのだ。自らを縛っていた義務がなくなったのだから、妹には自分の感情に素直に従う権利がある。妹が求めている相手は、カイトだ。
「クリスティーナ、それは……今はそうだが……私は必ず」
「ここを訪れることもお止めください。婚約解消の理由のひとつには、私にかけられた疑いもあるはずです。殿下は私との関係を断つべきです」
婚約解消の理由としてこじつけられただけ。妹だって分かっている。
「そんなことを言わないでくれ。私は君の為に出来ること全てをしてあげたい。本気でこう思っている」
だがウイリアム殿下には通じないようだ。なんだろう。王国への怒りのせいか、殿下の見方が少し変わった。この人は自分は愛されて当然だと思っている。妹が自分以外の男性を愛するなんて思っていないようだ。妹とカイトの様子を見ていれば、誰でも二人の気持ちは分かると思うのに。
「お帰り下さい。そして、ご自身の義務を果たしてください」
ウイリアム殿下に背を向けるクリスティーナ。これ以上は話すことはないという意思表示。さすがにこれは伝わった。ひとつため息をついて、ウイリアム殿下は部屋を出ていく。
二度とここには来ない、かどうかは怪しいものだ。
「あれはまた来るだろうな」
「君もそう思うか……って、誰!?」
この部屋には私と妹の二人しかいないはず。私は誰と話しているのか。
「クリスティーナ様とお前をこんな目に遭わせている原因だ」
「……猫がしゃべった」
相手は猫だった。いや、この猫は前にも見たことがある。
「悪魔か?」
「無礼な呼び方は止めろ。私の名はアレクサンダー。クリスティーナ様から与えて頂いた名だ。お前は兄だから、特別にアレクと呼ぶことを許してやろう」
「偉そう……」
猫、ではないけど、猫の姿で偉そうに話されると、自分がとってもちっぽけな存在であるかのように感じてしまう。立派だとは思っていないけど、猫よりはマシなはずだ。
「私の主はクリスティーナ様であって、お前ではない」
「別に良いけど……どうして急に?」
これまでアレクはずっと姿を見せようとしなかった。私が存在を知ってからもそうだった。そうであるのに、いきなりこのタイミングで、しかも自分から話し掛けてきたのはどうしてなのか。
「お前は念話を使えないだろうから、こうして姿を見せて話すしかない」
「クリスティーナとはいつも、その念話というやつで?」
姿を見せなくても会話が出来るようだ。そうであれば私が見る機会がなかったとは当然だろう。
「いや、クリスティーナ様に念話で話し掛けるなど無礼な真似はしない」
「えっ?」
違った。では、どうして今までは見る機会がなかった、あるはずないか。騎士養成学校の寮では妹とは別の部屋。部屋でどうしているかなんて知るわけがない。
「念話を使うのは、あの男とだ」
「あの男と言われても……ああ、カイトか?」
「そうだ」
「カイトは大丈夫なのか? 君も知らないか」
念話というもので話が出来るのであれば、カイトの様子を知っているかもしれない。こう思ったが、さすがに無理かとすぐに思った。遥か遠くにいる人と会話が出来る。スキルというのは、そこまで便利なものではないはずだ。これくらいの知識はある。
「実際にどういう状況かは知らない。でも、あの男は平気だ」
「どうして、そう思う?」
「強いから。認めたくはないが、あの男は私よりも強い。退魔兵団の全ての兵士を知っているわけではないが、あの男の強さが飛び抜けているのは間違いない」
私たちが全力を出してもまったく歯が立たなかった魔族を圧倒したアレクよりも、カイトは強いというのか。竜とほぼ一人で戦って倒すくらいだから強いのは分かっていた。でもアレクの話を聞いて、改めてカイトの強さを実感することになった。
「でも、退魔兵団は……」
カイトがどれほど強くても、退魔兵団には逆らえない。逆らえないようにされている。
「精神支配の魔法のことか? それなら、あの男はとっくに克服している」
「えっ? 嘘? どうやって?」
「方法は知らない。元々耐性が強いのかもしれない。とにかく、あの男を縛るものはない。そうであるのに退魔兵団の兵士のままでいたのは……きっと、クリスティーナ様の側にいる為だ」
いつでも自由になれた。逃げ出せた。そうしなかったのは妹の為。クリスティーナにもアレクの話は聞こえていたようだ。こちらを見ているクリスティーナの瞳からは、また涙が零れている。でもあの涙はきっと、さきほどよりも温かいだろう。
「お前に、これを伝えておく。私はあの男、いや、カイトにクリスティーナ様を託された。クリスティーナ様の身に本当の危険が迫った時は、ご本人の意思がどうであろうと逃がせと頼まれた」
「そうか……」
カイトは妹のことを良く分かっている。婚約者としての義務から解放されても、王国貴族としての義務は残っている。妹はこう思うはずだ。王国に、陛下に死ねと命じられれば貴族の義務として自死を選ぶだろう。アレクに頼んだのはそうさせるなということもあるのだ。
「私はカイトとの約束を絶対に果たさなければならない」
「なんか……義理堅いのだな?」
魔族なのに、なんて言い方をすればアレクは怒るだろう。でも意外だ。カイトとの約束が全てではないのは分かる。頼まれなくても妹を助けようとするだろう。でも、アレクはあえて「カイトとの約束を絶対に果たす」と誓った。二人の関係はどういうものなのだろう。
「それは偏見というものだな。人族にとってはただの口約束でも、魔族にとっては契約、誓いだ。破ることは許されない」
「でも君は、自らの意思で誓った」
「……クリスティーナ様のためだ」
これは照れ隠しなのだろうか。魔族にもこういう感情がある。こう思うことも偏見か。
「それで? 僕にそれを話す理由は?」
「覚悟をしておけ。覚悟のひとつは、私はクリスティーナ様のお命を何よりも優先する。お前を切り捨てる場合もある」
「……だろうね」
最悪の場合、私は取り残されるかもしれない。妹はそれを許そうとしないだろうけど、アレクはその意思を無視する。ついさっき、そう宣言したのだ。
「もうひとつは、無事に逃げられてもミネラウヴァ王国を敵に回すことになる。ミネラウヴァ王国で生きることは難しくなるだろう」
「抵抗しなくても死ぬのであれば同じだ」
「といっても、ミネラウヴァ王国が存在する間だけだ」
「……それは複雑だな。母国が亡びるのを望む気持ちにはなれない」
無事に逃げることが出来ても王国への恨みは残るだろう。ただそうであっても滅んで欲しいとまでは思えない。何故、と聞かれても理由は良く分からない。
「亡国の道を選んでいるのはミネラウヴァ王国ではないか。ミネラウヴァ王国はカイトも敵に回すことになる。自らの切り札を自ら捨てたのだ」
「王国はそんな風には思えない。王国にとっての切り札はウイリアム殿下だ」
そして聖女。今の状況では納得出来ない。ウイリアム殿下を含めて、彼らに期待する気持ちは薄れた。
「人族というのは愚かなものだな? いや、人族が愚かなのではない。国の上にいる者たちが皆、愚かなのか」
「それは自国批判?」
「そう受け取ってもらってかまわない。魔王国にとって最大の脅威はカイト、黒炎であることがお互いに分かっていないのだ」
「そこまでカイトを高く評価する理由を聞いても?」
カイトはとんでもなく強い。これは分かった。だが、勇者よりも脅威だと見るアレクの根拠が分からない。
「通り名の所以である黒炎魔法は魔族の心を壊す」
「えっ……心を壊すって……」
「少し勘違いをしているな。たとえばサキュパス族。精神体である彼らに純粋な物理攻撃は利かない。では魔法攻撃であれば倒せるかというと、そうでもない。一時的に戦闘不能には出来ても、殺すことは難しいのだ」
「無敵ってことか?」
物理攻撃でも魔法攻撃でも倒せない相手。サキュパス族という種族の存在は知っている。でも、そこまで強いという認識はなかった。
「無敵という表現はどうだろう? 彼らの攻撃力は人族のそれにも大きく劣る。精神干渉魔法が唯一の攻撃手段というところだが、耐性が強いものもいる」
「……なるほど」
自分の耐性はどれくらいか。かなり自信がない。<竜殺し>の称号で新たに得られないものだろうか。
「黒炎の魔法はそのサキュパス族を完全に消し去る。そういう魔法だ。サキュパス族でなくても脅威は同じ。私を見れば分かるだろう? 外見に意味はない。こうして猫の姿にも、他の姿にもなれる。体を構成するものが人族とは違うのだ」
「魔力を消し去るってことか?」
「ああ、そう考えても良い。それが分かりやすいだろう。魔力を完全に消失すれば魔族は死ぬ。その死は再生も敵わない完全な死だ」
カイトにはその力がある。これが事実なら、確かに切り札だ。極論を言えば、魔族を本当の意味で滅ぼすことが出来るのだ。
「カイトが勇者で良かったのかもな?」
「その場合、聖女はクリスティーナ様だ。聖女の称号が最も相応しい、いや、唯一無二の御方だからな」
このアレクはカイト以上にクリスティーナに心を奪われているのではないだろうか。こういう恥ずかしい台詞を平気で口に出来るのは……ウイリアム殿下と一緒か。
「話は分かった。妹を頼む」
「……良いだろう。任された」
最初の「良いだろう」は「私にも誓って良い」という意味か。そうだとすれば、なんとなく嬉しい。少しは信用してもらえているということだ。
私も誓おう。自分の命を捨ててでも妹を守ると。妹はこんなくだらないことで人生を終わらせてはならない存在だ。アレクは「聖女に相応しい」と言ったが、私もそう思う。種族に関係なく弱い者を助けようとするクリスティーナをこんな馬鹿げたことで罰するなんて、あってはならないのだ。