
◇◆◇ アッシュビー公爵 ◇◆◇
ウイリアム殿下とクリスティーナの婚約解消は痛い。兄を差し置いて、次期国王候補と見られているウイリアム王子の妃となれば、後々は王妃となるかもしれない。私は王妃の父、外戚ということになるのだ。
聡明さを謳われるウイリアム王子だ。国王となった王子の代わりに私が権力を握るなんて真似は不可能だろう。それに私に対して反抗的なクリスティーナもそれを許さない。それでも、すり寄ってくる者たちは多いはずで、その者たちを上手く扱えば、おいしい思いが出来ると思っていた。だがそれは実現しなかった。
少し覚悟はしていた。王国が婚約破棄に動いていることは以前から知っていた。国王と宰相が強くそれを望めば、私が防ぎきれるものではない。頼みの綱はウイリアム王子だったのだが、今日のあの様子では、国王も宰相も聞く耳を持っていなさそうだ。ウイリアム王子がどれだけ反発しても押し切るつもりなのだろう。これではどうしようもない。
ふざけた話だ。そうであれば最初から婚約を成立させなければ良かったのだ。婚約を認めておいて、手の平返し。アッシュビー公爵家に恥をかかせる目的であったのではないかとさえ、疑ってしまう。そうでなくても宰相のあの態度は許せない。公爵である私に恥をかかせることを詫びるべきであるのに、高圧的な態度で婚約破棄を迫る。思い上がりも甚だしい。あのような者に宰相を任せている陛下も、分かってはいたが、凡庸な王なのだ。皆がウイリアム王子に期待を寄せるのも分かる。私は凡庸な王と傲慢な宰相による愚政の被害者だ。
ただ、不幸中の幸いというのは、こういうことを言うのだろうか。婚約破棄が長引いていれば、私は当主の座を追われていた可能性があった。しかも跡継ぎはパトリオットなどという、あり得ない選択。パトリオットでは、当主を退いても実権は握ったままなんてことは難しい。本当に私は引退させられることになる。簡単にはそうさせないにしても、国王の後ろ盾があるとなれば、抵抗にも限界がある。危ないところだった。
今回の一件で、王国の我が家に対する悪意が良く分かった。クリスティーナを婚約者の座から引きずり下ろすだけでなく、私まで追い払おうとした。何故、ここまでのことをされなければならないのか。
婚約破棄と当主交代は別の話である可能性もある。婚約破棄は王国の、当主交代はパトリオットとクリスティーナの謀である可能性だ。あり得ることだ。パトリオットは次期当主の座を狙い、クリスティーナをそれを助けようとしてきた。私が何も気づいていないと思っているのだとすれば、大馬鹿者だ。
王国に嫌われ、身内にも裏切り者がいる。我が家は、正に内憂外患という状況だ。
まずは内憂を払わなければならない。その方法は宰相が教えてくれた。宰相自身に教えたつもりなどないだろう。そういう愚者がこの国の宰相なのだ。
訪れたのは、知る人ぞ知るとされている高級レストラン。目立たない入口で、紹介がなければ、まず訪れることはない店だ。わざとそういう造りになっている。誰もが訪れて良い店ではない。そういう店を好む客だけの為のレストランなのだ。
「……いるか?」
入口にいる受付係に声を掛ける。これだけで私が何を求めているか、分かるようになっているのだ。
「……皐月の部屋に。お部屋までのご案内は必要ですか?」
会いたい人物は皐月という名がつけられている部屋にいる。今そこにいるというわけではない。その部屋で待っていれば、やってくるのだ。
「他に客は?」
「いらっしゃいません」
この答えが返ってくることは分かっていた。他に客がいるのであれば、こちらに尋ねることなく部屋まで一緒に来る。他の客と鉢合わせしないルートで。そういう店なのだ。
「では、不要だ」
部屋の場所は分かっている。この店には何度も来ている。誰にも会うことなく、部屋の中で何をしようと知られることがない。王都を訪れた時の楽しみのひとつだ。ただ今日は遊びを楽しみに来たわけではない。
いや、用事が終わったあとで遊ぶのもありか。宰相のせいで今も残る不快さが吹き飛ぶかもしれない。
「終わったあとに呼んでもらえるか?」
「承知しました。いつもの二人でよろしいでしょうか?」
「ああ、それで……いや、もう一人追加だ。良い女を選んでくれ」
今日は特別に三人の女を呼ぶことにした。いつも以上に没頭したいのだ。それに新しい女も楽しんでみたい。それで気持ちも晴れるだろう。
「かしこまりました」
「よろしく頼む」
受付けを過ぎて、すぐに右に曲がり、左手にある階段を昇る。窓がひとつもない暗い廊下。構わず前に進むと光が足元を照らしてくれる。魔道具の光だ。皐月の部屋は一番奥。途中の扉は暗いままだ。客がいれば部屋の扉は光が灯るようになっている。受け付けが言った通り、私の他に客は誰もいないということだ。
目的の部屋にたどり着き、扉を開ける。部屋はそれなりに広い。奥に置かれているベッドは五人が並んで寝られるほどの大きさ。今日は三人の女を呼んだ。私を入れて四人だ。横に並んで寝るわけではないので、まったく問題はない。ベッドの上だけが楽しむ場所でもない。
ベッドの脇の扉の奥はバスルーム。汗を流したいところだが、今は我慢だ。扉に近いところに置かれているテーブルの椅子に腰かけ、置かれていたコップに水を注いで、一口飲む。ほのかな柑橘系の香り。こういう心遣いがこの店の良いところだ。
扉を叩く音。待ち人が現れたようだ。
「入れ」
入室を許可すると、無言で部屋に入ってきた。無礼を咎めることはしない。必要以上に話さない。そう命じられていることは知っている。
「この手紙を届けてもらいたい。向こうで受け取るものがあるので、それを王都に。半月で戻れるか?」
「……厳しいかと」
「そうか。まあ、良い。半月は無理でも、出来るだけ早くだ」
半月で往復はやはり無理。分かっていたことだ。手紙の搬送を命じるのはこれが初めてではない。どれくらいかかるかはあらかじめ知っていた。それでも、これまでは少し余裕を持って期限を伝えてきていた可能性を考えたのだが、そうではなかったようだ。
命令には忠実。私に忠実なわけではないが、急げと言われたら手を抜くことなくやり遂げようとするのだろう。自分自身がそう考えていなくても。
「中を確認しても?」
「ああ……かまわない」
いつも手紙の中を確認することになっている。運んでいる途中で問題が起こり、手紙を紛失した場合に備えてのことだ。だったら初めから口頭で伝えれば良いと、以前思ったが、それはそれで忘れてしまう危険があると言われた。馬鹿だから、ではなく、一言一句間違えずに覚え、それを忘れずに伝えることは誰でも難しい。手紙の中を確認するのは、あくまでも問題が起きた時に最低限の目的を果たす為ということだ。それはそうだと納得した。
手紙の内容が他に漏らされる心配はいらない。届ける相手以外には誰にも漏らすなと命じられている。命令には絶対服従。この者たちはそれを強いられているのだ。
「…………かしこまりました」
「では、頼む。ああ、あと受付けに終わったことを伝えておいてくれ」
「はい」
部屋を出ていく男。あとは返事が届くのを待つだけだ。悪い返事はこないだろう。相手にとっても良い条件であるはずだ。それに、これまでの付き合いもある。こういうところが王国は気に入らないのかもしれない。だが文句を言われるのは心外だ。これは生き残る為の努力。王国が頼りにならないのが悪いのだ。
さらに今回、頼りにならないどころか、敵であることが分かった。では、どうするか。内憂を払ったあとは、外患をどうにかしなければならない。考えなければならない。