
◇◆◇ カイト ◇◆◇
悪魔を見逃してしまった。どうしてそんなことになったのか。自分でも良く分からない。やってはいけないことだという思いは勿論あって、そうであるのに実際の行動はそれに反するものを選んでしまったのだ。
以前であれば、考えられない行動だ。容赦なく悪魔は殺してきた。殺せなくて逃がしたことは山ほどあるけど、逃がそうと思って逃がしたわけじゃない。自分が変わった原因はどこにあるのか。瀬名の存在を知ったことが一番怪しい。悪魔の中にも転生者がいる。それが敵意を薄れさせたのか。
一番あり得る可能性だけど、本当にそうなのかという思いもある。そもそも瀬名との関係は良いものではない。結局はあいつも虐める側の一人。それが首謀者を恐れてのことであっても、加害者であることに違いはない。殺意はあっても好意はないのだ。
そう考えると、どうして瀬名を助けてしまったのだろう。一度目はまだ分かる。悪魔に自分の知る相手がいることを知り、それに驚き、少し興味を持った。悪魔に転生して、この世界でどう生きていくのか。死ぬのも生かすのも、どちらであっても瀬名にとって辛いことだろうと考え、見逃したのだ。
だが二度目は違う。加害者同士、追いかけていた側が誰かは分かっていなかったけど、きっとそうだと思って「勝手に殺し合っていろ」と思った。殺したあとで、相手も転生者であったことを知ったら、どう思うだろうとも考えた。それなのに瀬名を助けた。
あの時の感情は良く分からない。覚えているのは、瀬名が加護を得たと知った時に湧いた殺意だ。加護を得た瀬名と戦う気にはならなかったので、何もしないでその場を去ることになったけど。
考えてみれば、三度だ。王国の討伐作戦で追い詰められていた瀬名を、その仲間も含めて助けた。隠れ住む場所を教えてやった。どうしてあんな真似をしたのか……この理由は分かった。姫が可愛かったからだ。百歳を超えた老婆だと知っても外見が可愛ければOK。何がOKかは自分でも分からないけど、そういうことだ。だからこれは瀬名を助けたことにはカウントしない。
つまり自分には魔族を無条件に敵と見做す考えが、実はないということ。可愛ければ助ける。美人なら見逃す。駄目な男だということだ。転生者で魔獣に育てられ、まず間違いなく人族ではない師匠に学び、ろくでなしの人族を多く見てきたのだから、こうなっても仕方がないだろう。良い言い訳が出来た。見逃していることは許してもらえないだろうけど。
「……あのですね、ただの護衛である私に向ける態度ではないと思うのです」
だから王子様たちに気付かれるわけにはいかない。いかないのに伯爵が、ゼファー伯爵がそれを分かってくれない。
「しかし、カイト殿は妻を救ってくださった。どれだけ感謝しても感謝しきれない恩があります」
「だから、それも……誰かに聞かれて困るのは貴方です」
「それは……気を付けます」
ゼファー伯爵は、下手したら王子様以上に、自分に対して礼を尽くした態度をみせている。ただの護衛に向けるものではない。怪しまれるのは確実だ。それを改めてもらう為に二人で話す機会を作った。王子様たちには滞在中の警護について、もう少し話したいことがあると嘘をついて。
「なんてことを言いながら、聞きたいことがあるのですけど?」
「遠慮なく」
「騙されているとは思わなかったのですか?」
ゼファー伯爵は魔族の妻を愛している。これは間違いない。ただどうして愛せるのかが分からない。伯爵は転生者ではないはずで、この世界のミネラウヴァ王国の貴族の生まれだ。魔族に対する嫌悪感、猜疑心などがあって当たり前の人なのだ。
「それが……お恥ずかしい話なのですが、ずっと気付きませんで」
「それは騙されていることではなく、魔族であることに……ああ、あと敬語も無用です。気付かれたくなければ」
「分かりました。いや、分かった。そうだ。妻が何者かを知ることなく、私は、自分で言うのは恥ずかしいが、尽くしまくった。愛して、愛して、愛しまくった」
聞いているこちらも少し恥ずかしい。続きを聞かなくても、なんとなく分かった。この伯爵は奥さんにこれ以上ないほどの愛情を注いだのだ。疑うことなく、ひたすら愛し続けたのだ。
「それで、ある日、妻のほうから真実を」
「それでも冷めることはなかったのですね?」
奥さんのほうから真実を告白してきた。そうしようと彼女に思わせるほどの伯爵の愛情だったということだ。思った通りの理由だ。
「そうだ。自分でも少しおかしいのではないかと思った。だが、愛する人が何者であっても、愛する人であることに変わりはない」
「……そう思えることは凄いことだと私は思います」
素直にこう思った。恥ずかしい言葉だと思わなかった。自分はどうなのか。そんな風に思えるのだろうか。相手が何者であっても愛し続けることが出来るのか。そもそも愛することが出来るのか。
「凄いといっても結果そうだったというだけ。何も考えていなかっただけだ」
「それが凄いことです。私だと、色々と考えてしまって」
自分には出来ないから、伯爵を凄いと思うのだろう。
「ほう。それは考えてしまう相手がいるということかな?」
「えっ……?」
無意識の言葉だった。自分の体験を話しているつもりはなかった。だが伯爵に指摘され、自分が何を考えていたのかに気付いた。気付かされた。
「綺麗ごとは言わない。困難な恋愛に踏み込むのは勇気のいることだ。私たちもこの先どうなるか分からないからな」
「…………」
始まることもない恋愛もある。この思いはどこから来るのか。とぼけて見ても自分の心は誤魔化せない。今までは誤魔化してきた。だが伯爵とのやり取りがそれを許さなかった。
「ただ、どうなっても後悔しない自信はある。明日死ぬことになっても間違ったことはしていないと言える」
「その覚悟は私には持てないものです」
「ふっ、偉そうなことを言ったが、こう思えるようになったのは、昨日のことだ」
「えっ?」
笑みを浮かべて白状する伯爵。そんなことはないと思う。覚悟があって、奥さんを愛し続けてきたはずだ。この言葉は自分の気持ちを軽くする為だろうと思った。
「君のおかげだ。君のおかげで妻の想いを知ることが出来た。愛し合えていると信じていたが、心の隅には不安が残っていた。騙されていることではなく、愛されている自信がなかったのだ」
「……そうでしたか」
自分の気持ちに自信はあっても、相手も同じ気持ちだという自信を持てなかった。人族と魔族が愛し合うことなどあり得ないとされてきた世界。そう思ってしまうのは当然なのだろう。
「妻は自分の命を捨てて、私を守ろうとしてくれた。それを聞いて、ようやく自信が持てた。妻にこれを言うと怒られてしまいそうだが、実際にそうなのだ」
「……なんというか……私も自信が持てました。自分の選択は間違っていなかったと」
「もちろんだ。君は正しいことをしてくれた。私たちは君に心から感謝している」
自分に他人の幸せを壊す権利なんてない。頭の中にあったはずの思い。だがずっとその存在を無視してきた。多くの人の人生を奪ってきた。その人を愛する人がいれば、その人の人生も壊してきたのだろう。
今回自分は正しいことをした。これは間違っていないだろう。でも、伯爵には言えないけど、それを後悔する気持ちはある。後悔は奥さんを助けたことではない。今回正しいことが出来たからといって、ずっとそうであり続けることは出来ない。自分はこの先も誰かの幸せを壊し、自分の人生を血で染める。自分が何故、この世界に転生してきたかは分からなくても、これは分かるのだ。正しさを知った上で間違っていることを続ける。これは辛そうだ。