
もし校内人気投票なんてものがあったとしたら、彼女は間違いなく、上位にランクインする。一番であっても誰も疑問に思わないだろう。彼女はそういう人だ。
顔が可愛い、美人というだけであれば彼女よりも上位に選ばれる女子はいる。彼女の美しさは顔の作りではなく、顔が小さく手足が長いスタイルの良さだけにあるのでもない。その立ち居振るまいにあるのだ。ただ廊下に立って、窓の外を眺めているだけでも周囲の男子の視線が集まる。「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」なんて美人を表現する言葉があるそうだけど、それを地で行くような女子だ。
そんな彼女だけど、高嶺の花という雰囲気はない。静かにしていれば、そう感じさせるのだろうけど彼女はそういう人ではなかった。学食や廊下で、大口を開けて腹を抱えて笑っている姿を何度か見かけたことがある。そのギャップに、男子だけでなく、女子もやられるのだ。
とはいえ違うクラスの、たとえ同じクラスであっても、自分とは縁遠い存在。話すことなど絶対にないと思っていた。
「あの……クズミくん」
学校帰りに立ち寄った公園で、その彼女が話しかけてきた。
「……俺、久住(ヒサズミ)……別に良いけど」
最初の印象は最悪。彼女は自分をクズ呼ばわり。結局、彼女も他の奴等と同じだ。縁のない相手なので、何かを期待したことなどまったくなかったけど、そういう相手にクズ呼ばわりされるとそれはそれで感情が波立つ。心に黒い影が広がった。
「えっ……嘘!? だって、先生もクズミって……ああ、これは言い訳だね? ゴメン、ゴメン」
少し舌を出しながら、ニカッと笑った彼女。これが話に聞く「てへぺろ」というやつに違いない。噂通りの凄い破壊力。心に広がっていた黒い影が一瞬で消し飛んだ。
「だから別に良い」
だが自分の小さな、意味のないプライドが態度を一変させることを許さなかった。不機嫌そうな態度のまま、言葉を返してみせた。
「えっと……じゃあ、海斗くんにしよう。海斗くんって呼ぶね?」
「えっ……?」
「駄目?」
こいつは小悪魔だ。今度は上目遣い攻撃で自分を責めてきた。負けてなるものかと思うけど、その威力は「てへぺろ」攻撃以上に強力だ。
「……別に良い」
なんとか同じ言葉を繰り返すことで攻撃を耐えた。どう耐えたのかは分からないけど。
「私は相崎(アイザキ)美玲(ミレイ)」
「……相崎さん。分かった」
聞かなくても彼女の名前は知っていた。男子生徒で知らない奴などいないだろう。他人に無関心な、他人にも自分に無関心であって欲しい、俺でも知っているくらいなのだ。
「海斗くんは素敵だね?」
「ええ……」
さらに褒め殺し攻撃。次々と自分を襲ってくる攻撃に、顔が赤くなるのを止められない。こいつの目的は何なのか。俺の気を引いて金をむしり取るつもりか。だとしたら、印象とは違う、とんだ悪女だ。
「犬。埋めてあげたのでしょう?」
「ああ……まあ」
予想?していたのとは違う言葉。自分が公園に来たのは車に轢かれたのであろう犬の死体を埋める為。どうしてこんなことをしようと思ったのか、自分でもよく分からない。ほったらかしにされている死んだ犬が惨めに思えて、そのまま放置されているのが何故か堪らなく嫌で運ぼうとしたものの、どこへ運べば良いのか分からなくて、近くの公園に埋めることにしたのだ。
「私は……触れなくて」
「それはそうだ。俺だって、いざとなるとかなり抵抗があった」
いざ運ぼうと決めて、近くまで行くと、犬の死体はなかなかヘビーな状態だった。一瞬止めようとも思ったのだけど、そこまで行って、ただ引き返すことへの抵抗のほうがわずかに強かったのだ。
「でも海斗くんはやった。私はやれなかった。だから凄い」
「いや……別に……」
彼女はこれを伝える為に俺に声を掛けたのだ。そのほうが凄いと俺は思った。人の行いを見て、わざわざそれを褒めに来る。それも一度も話したことのない相手に。俺にはこんなことは出来ない。彼女とは違う。
その辺にあった石を置いただけの犬の墓に手を合わせる彼女。その姿は、とても美しかった。
「……じゃあ、またね」
「あ、ああ」
これが彼女との出会いだ。これをきっかけに急接近、とはならなかった。顔を合わせれば挨拶くらいはする。用があれば話しかけてくる。それだけ。でもそれくらいの距離感が、すでに人間不信になっていた自分には丁度良く、心地よかった。
それに彼女が意識してそうしていたことも、後に分かった。
「私が誰と話をしようと榊くんには関係ないでしょ?」
「そういう言い方するなよ。俺はお前のことを心配しているんだ。クズミになんて関わるとロクなことにならないって」
公園を通りかかるとこんな会話が聞こえてきた。学校の人気者である彼女と俺が話をすることさえ、許せない奴がいる。声ですぐに分かった。榊(サカキ)礼音(レオ)だ。
自分がいることを榊に知られたくなくて、物陰に隠れた。本当はこの場を離れたかったのだけど、そうすれば見つかってしまうと思ったのだ。
「ロクなことにしないのは貴方でしょ? 貴方がやっていることは虐め。犯罪よ?」
彼女はこの事実を知っていた。これは少しショックだった。彼女とは違う意味で有名な俺の話だ。知っていて当然だとしても。
「犯罪って、大げさな。俺は別に虐めてない。遊んでやっているだけだ。あいつ性格悪くて、友達いないからさ」
「友達が出来ないのも貴方がそうさせているからでしょ? 彼と仲良くすれば貴方が文句を言ってくるのは分かっていた。彼に酷いことをするのも」
周囲は榊を恐れて、俺に近づこうとしない。無視すれば自分が酷い目に遭わされる。ただ最初はそうだったというだけで、今は自分の意思で俺を無視している奴らがほとんどだ。これは、クラスが違う彼女には分からない。
「そんなに怒ることないだろ? 虐めているつもりはないけど、お前が嫌がるならもうしない。その代わり……分かるだろ?」
「最低。貴方みたいな最低な男と付き合うはずないでしょ? それと私が誰と仲良くしようと貴方には関係ない」
「最低って、何だよ!? 俺が付き合ってやるって言っているんだぞ!」
自分が言えば喜んで付き合うのが当然。榊はこう思っている。思い上がりとは言えない。顔は、認めたくないけど、悪くない。家は金持ち、政治家の息子で仲間内には気前が良い。性格は、彼女の言う通り、最低だけど、自分にその最低が向けられなければ問題ないと思う女子がほとんどなのだろう。榊の彼女になれば、好き勝手出来るという特典もある。
「だからお断りって言っているの。この際だからはっきりと言っておくわ。もう私に付きまとわないで」
彼女はそういう特典にまったく興味はないようだ。
「待てよ!」
「ちょっと離してよ! 何するの!」
「調子に乗るなよ。俺に逆らうとどうなるか教えてやる」
「止めて! 止めてよ!」
最低男という言葉は、榊にとってよほど気に入らないことなのか。彼女に対しても本性を露わにしてきた。というか、これもまた犯罪だ。奴は彼女を暴行しようとしている。
助けなければならない。そう思っているのに足が動かない。
(助けないと。助けないと。助けないと)
心の中で何度繰り返しても体が動かない。榊に対する恐怖がそうさせているのか。そこまで恐ろしいのか。自分も初めて知った。
自分が動けないなら、せめて誰かを呼ぶ。そう思った。
「だ、誰か……」
大声を出すつもりが声がかすれている。恐怖で震えている。
「誰だ!? 誰かいるのか!?」
その声は一番近くにいた榊に届いた。最悪の状況。だが、彼女はその隙を逃さなかった。彼女を拘束する榊の力が緩んだのだろう。するりと抜け出すと全力で走り出した。
「誰か!? 誰か、助けて! 警察を呼んで!」
「おい、待て! 違う! 誤解だ!」
その彼女を慌てて追いかける榊。暴行未遂の現行犯で逮捕。そんな事態に慌てているのだろう。俺は「そうなってしまえ」と心の底から願った。榊が消えていなくなれば、少しは生きやすくなるかもしれない。こんなことを考えた。でも。
急ブレーキの音のすぐあとに聞こえた衝撃音。それには体が反応した。音のしたほうに、彼女は走り去った方向に向かう。そこで見たのは道路に倒れている彼女だった。彼女と話すきかっけになった犬と同じように、道路に転がっている彼女。ヘビーさは犬の時以上だ。美しかった彼女はもういなかった。
こんなことを考える自分はいかれている。頭がおかしくなっている。こう思った。生きている意味が、存在する理由がない。
「……俺が……俺が死ねば良かった」
彼女の死体を運ぶ、触れる資格は自分にはない。彼女の死を悲しむ資格もない。彼女は、自分のせいで死んだ。自分が、自分とは比べものにならない価値がある彼女の生を終わらせてしまったのだ。
心の中にわずかに残っていた何かが、その時、消えた。その瞬間、彼女の存在の大きさに初めて気付いた。意味のない気付きだった。
彼女の死はただの事故で終わった。政治家である榊の父親が警察に手を回した、なんてことも考えたけど、実際に事故だ。彼女が道路に飛び出すきっかけを作ったのは榊だとしても。
しばらくして、校内でこんな噂が流れた。彼女はストーカーに追われていて道路に飛び出したのだ。そのストーカーは、久住海斗だと。
また苛めが激しくなった。一番の加害者は榊、ではなく、金城(カナシロ)麗華(レイカ)。榊の新しい彼女だった――
◆◆◆
(……最悪。少しは償えたかも、なんてのは大きな勘違いだったな)
夢で当時のことを振る返る羽目になった。忘れたいと思っていた出来事だけど、細部まで記憶は残っているみたいだ。忘れてはいけないという思いもあったからかもしれない。とにかく、最悪の夢だ。
気分転換にならないことは分かっているけど、寝床から抜け出し、天幕の外に出てみた。今は王都に戻る途中の野営中。そうであることを思い出した。
夜空には雲が広がっていて真っ暗。美しい夜空を見て気晴らしも駄目だった。ただ。
「カイト……どこか痛いの?」
クリスティーナが現れた。別の天幕で寝ていたはずの彼女。気配探知のスキルでも持っているのだろうか。
「いえ、大丈夫です。クリスティーナ様は、眠れないのですか?」
「眠れないというか……カイト、ごめんなさい」
「それが竜との戦いのことを言っているのであれば、謝罪はいりません」
まさか、これを気にして眠れないのだろうか。戦いの日から、もう一週間以上、経っている。この間、彼女はずっと眠れないでいたのだろうか。
「でも、私のせいで……」
「……竜と戦うことになった理由がクリスティーナ様の行動だとしても、そういう言い方は間違いです。貴女のせい、ではなく、貴女の為に戦ったのです。自分でそうしたかったからです」
闇視のスキルを持つ自分は、闇夜の中でも彼女の顔が良く見える。悲しそうな顔。そういう顔を見たいのではない。彼女の笑顔が自分は好きなのだ。
「カイト……」
笑顔半分、戸惑い半分というところか。自分のほうは感情を押さえつけるので必死。感情を抑制することには慣れきったつもりだったのに、今この瞬間は苦戦している。クリスティーナを抱きしめたい。抱きしめて、その唇に触れたい。どうやら自分は彼女が好きみたいだ。今回は相手が亡くなる前に気付けた。
だからといってどうなるものでもない。彼女はこの国の王子の婚約者。王妃として、大変だろうけど、幸せに生きる人だ。だから自分に出来ることは。
「これからも自分が正しいと思うことをしてください。俺は、そんな貴女を全力で守りますから」
彼女の為に戦うこと。これしかない。
「……ありがとう」
「えっ……あ、いや、こ、これは……」
クリスティーナのほうから抱きついてきた。嬉しくもあり、苦しくもある。このまま彼女を押し倒して、なんて真似は絶対にしてはいけない。それは彼女を苦しい立場に追いやることになる。
だからせめて、もう少し彼女の温もりを感じることにした。彼女の背中に回した腕に、ほんの少しだけ、力を込めてみた。
雲の切れ目から月明りが差し込んできた。月の光に照らされた彼女の瞳はとても美しかった。俺は、頭が真っ白になった。