
この女の図々しさに比べれば、クリスティーナの言葉を誤解して舞い上がるくらい可愛いものだ。少なくとも周囲を困らせることはない。いつもこんな感じで、この女は人の優しさにつけこみ、他人のものを奪っていくのだろう。自分にはそれが許されると思っているのだ。
パトリオットも情けない。妹を酷い目に遭わせた女なのだから、はっきりと拒絶すれば良い。ただそれが出来ないのが、パトリオットの良いところでもある。難しいものだ。
本当に、この女は何をしたいのか。今ここには王子様はいない。関係改善を図る相手がいない。では、本気でクリスティーナと和解しようとしているのか。そうであっても今ではない。強引に割り込んできても、クリスティーナを怒らせるだけだ。
「……鍛錬であれば、自分のところで行えば良いではないですか?」
「いつも同じ相手と戦っていても退屈でしょ?」
「それは貴女の都合であって、こちらはそれを問題だと思っていません」
「こんなことを言うと、あれだけど、私は強いわ。貴方たちの為になるはずよ」
だからどうしてこう思えるのだろう。歓迎ムードなんて塵ほどもないことは明らか。迷惑に思われていることは、普通であれば、分かるはずだ。そんな相手に「貴方の為」なんて言っても、押し売りにしか思われない。これが分からないことが分からない。
「……ではパトリオット様、頑張ってください」
ここは受け入れてしまったパトリオットに責任をとってもらおう。実際に為になるかもしれない。彼女が強いのは事実なのだ。パトリオットは近頃、影が薄い、ではなく伸び悩み。真面目に鍛錬を続けているのに、成長している実感がないそうだ。
いつもとは違う相手とやってみるのも良いかもしれない。この女の言ったことを肯定するのは、気分が悪いけど。
「じゃあ、始めましょう」
「ええ」
自分はクリスティーナの相手。彼女自身の成長を考えると無駄な鍛錬かもしれないけど、パトリオットの為に剣の腕をあげなくてはならないというのは彼女の望み。彼女の学校生活は、基本、パトリオットの為にあるのだ。
剣を構える。振り上げる。振る。これを何度も繰り返す。これに何の意味があるのか。こんなことで強くなれるのか。なんてことはクリスティーナは言ってこない。言われたことを、言われた通りに行ってくれる。
「ずれています。軌道は正確に」
「分かったわ」
剣を振り下ろす軌道にずれがある。もっと正確に、何度振っても同じところを通るようにしなければならない。要は素振りだけど、ただ剣を振れば良いというものではない。
「まだずれています。構えかな? ちょっと良いですか?」
「え、ええ」
剣を振り上げた時の構えを修正する。ここがずれていては同じ場所に振り下ろせるはずがない。
「この位置を覚えて……少しきついことを要求しても良いですか?」
「もちろんだわ」
「では、このまま動かないで。剣先の位置、そこに剣先がある為に剣の柄はどこにあるか。手の握りは。肩の筋肉、背中の筋肉、腹筋。体の全てがどういう状態にあるか意識してください」
全身の状態を意識する。意識してそれを覚える。体に染み込ませる。意識しなくてもその体勢が取れるようになる。かなり地味で、気長な鍛錬だ。これを二年間続けて、どこまで成長出来るか。正直、自信がない。でも、クリスティーナが強く求めたことだ。やりたいという彼女の気持ちを否定出来なかった。
「辛くなってきてからが本番です。体のどこに、どういう風に力が入っているかを感じてください」
ずっと同じ姿勢でいることは辛い。剣の軌道を正確にする為の鍛錬なので、軽めの剣にしている。でもその軽さはクリスティーナの体力に合わせてのもの。軽すぎるものを使っているわけじゃない。
「剣先が沈んでいます。戻してください」
クリスティーナの額から汗が滲み出てきた。辛くなってきた証拠だ。
「最初に構えた時を思い出してください。力が入り過ぎていたら、抜いて。それで構えを維持して」
構えを動かさない為に、必要以上に力を入れては意味がない。それでは振り下ろす時に乱れる。これは正しい構えから正確に振り下ろす訓練なのだ。力任せに剣を振るのは間違っている。
「一度、振ってみてください」
「……ふっ」
軽く息を吐くと同時に剣を振り下ろすクリスティーナ。
「ずれているのが分かりましたか?」
「ええ」
「どこでズレたか感じ取れましたか?」
「……いいえ」
同じ構えから同じ位置に振り下ろす。同じ構えから振りおろしたのにすれたのであれば、どこかで狂わせたということ。それがどこか。それを感じ取って修正出来るようにならなければ、この鍛錬は成功しない。何が成功なのかは自分にも分からないけど。
「……これ、本当に続けますか?」
「カイトが続けていたのだから」
「分かりました。ではまた構えから」
この鍛錬は自分が子供の頃に行っていたこと。今もたまに行っている。今は剣の振りが狂っていないか確かめる目的だ。師匠に教わって行っていたことなので、ゴールが分からない。だから何が成功か分からない。
ただスライムの核を、学校の授業で戦ったスライムのそれとは比べものにならない小さな核を正確に突くことは出来るようになった。成長はしたのだ。
「カイト。少し教えてもらえるか?」
「何?」
コルテス君と立ち合いをしていたはずのセイムさんが話しかけてきた。
「君は、その……どれくらい正確に剣を振れるのだろう?」
「どれくらい……説明が難しい……どこまで出来ているかは分からない。糸は無理」
「い、糸?」
「だから糸は無理」
糸を縦に斬れるようになれれば恰好良いと思って、数えきれないほど試してみたけど、成功はしなかった。正確に剣を振れていても風で糸が流れるから斬れない。剣が起こす風よりも速く振る必要があるという結論になって諦めた。
「では……たとえば、飛んでくる矢は?」
「斬れるけど……それは誰だって出来ることだ」
さすがに矢は斬れる。でも、これくらい出来て当然。矢も避けきれないようでは、悪魔の攻撃から逃げらない。とっくに殺されている。クリスティーナの従魔となったアレクの武器、鋼糸刃は矢よりも細く、速いのだ。
「……もう少し聞かせてくれ。クリスティーナ様が行っている鍛錬の効果は?」
「だから正確に剣を振ること。それがある程度出来るようになったら、無駄な動きがかなり減る。無駄な動きのせいで軌道がずれるのだから」
「……なるほどな」
これは基礎の基礎。無駄な動きを排除できると最速で剣を振る動きが出来る。体勢が崩れていても、その影響を少なくして剣を振るえるようになる。究極は剣を振ったことを気付かれることなく相手を斬る、だけど、師匠が言ったこれはアニメでしか見たことがない。現実に出来るはずがない。
結局、剣術に関して自分はまだ基礎の基礎の段階に留まっているということだ。師匠には、この先の鍛え方も教えておいて欲しかった。それとも自分にはこれ以上の成長はないので、教えても無駄だと思われたのか。そうだとしても、やれることをやってみる。この仕事を与えられたことで得られた数少ない利点のひとつは、自由な時間が増えたこと。これを活かさない手はないのだから。