
状況は最悪。今はとにかくウィリアム王子との関係改善を実現すること。その為には悪役令嬢クリスティーナとの停戦も止むを得ない。イーサンとアントンは相談して、こう決めたと伝えてきた。私も賛成。ウィリアム王子とは会話どころか会うことさえ出来ない。この状況が続いて、恋愛感情なんて生まれるはずがないもの、
私自身も今、ウィリアム王子を好きかと聞かれると答えに困る。好きになれるとは思う。でもそれは彼がヒーローで私がヒロインだから。恋愛関係にならなければいけない相手という前提があってのこと。それ抜きに一人の男性として好きかと聞かれると、正直、そんな思いはない。それでも好きと言わなければいけないとアントンたちには言われているけど。
二人から提案を聞いた時は、本当は断りたかった。私一人でウィリアム王子とクリスティーナのチームに加わって、野外授業に参加する。それでどうやってウィリアム王子との関係改善が実現するのか。自分で自分の首を絞めるようなものだと思った。
そうなったとしても、私がクリスティーナに虐められていることを知ったウィリアム王子の気持ちが変わるかもしれない。イーサンはこう言ったけど、そこまで私は馬鹿じゃない。クリスティーナも馬鹿じゃない。婚約者に嫌われるリスクを犯して、虐めなんてしない。やるにしても絶対に気付かれないようにするはずだもの。
当日が来るのが怖かった。実際にその日が来てみれば、想像通りだった。クリスティーナは謝罪を受け入れてくれない。ウィリアム王子は近くに私がいても無視。針の筵というのはこういうことを言うのかと思った。
唯一の救いはカイト。彼も冷たい態度を見せる。でも無視はしない。なんだかんだで私の相手をしてくれる。今もそう。
「……ちゃんと見ていてあげますから、早く体を洗ってください。私も忙しいので」
「あのね……貴方に見られていて、洗えるはずないでしょ?」
洞窟の中で見つけた水場。カイトだけが、体を洗おうとしている私の側にいてくれている。見られていると服を脱げなくて困るのだけど。
「自分が、きちんと見張っていてと言ったのではないですか?」
「それは魔獣が近づいてこないか見張っていてという意味」
魔獣も魔物も水を求めて、この場所にやってくる。全てを脱いで、剣も持たない無防備な状態で魔物に襲われてはたまらない。だからカイトが見張り役を務めてくれているのだけど。
「だから見張っています」
「その見た目で、どうしてこう変態なの?」
彼は私を揶揄うのを止めてくれない。相手をしてくれるのは嬉しいのだけど、汗を洗い流したいという欲求も強い。今回の野外授業では五日間、ダンジョン探索を続ける予定。この先、いつ体を洗えるか分からないと聞いている。
「見た目……見た目と変態に何の関係が? それに私は変態ではありません。貴女が見張れというから見張っているだけです」
「……見張らなくて良い」
「そうですか。でも危険ですよ。水の中にも魔物がいるから、いきなり襲われるかもしれません」
「……わざとでしょ?」
彼はわざと私を怯えさせようとしている。本当に水の中にも魔物はいるのかもしれない。でも襲われる可能性は低い。先に水浴びをしたクリスティーナがそれを証明してくれている。カイトはこんな風に彼女のほうを見ていなかったもの。
「当たり前ではないですか? 貴女を困らせる為にやっていることです。それとも貴女の裸に興味があるとでも?」
「それは嘘だわ」
「……そういう誤解をされるのは不本意です。分かりました。何か起きたら教えてください」
実際に私の裸に興味なんてないかもしれない。でもそれを認めるのは寂しかった。そう思って否定したら、彼は背中を向けた。それも少し寂しく感じた。
私は何を考えているのだろう。今回の目的を忘れてしまっている。親しくなるのはウィリアム王子と。恋をするのもウィリアム王子とであって、カイトではない。
「……慣れているのね?」
そうであっても無言でいられるのは嫌だった。
「自分では女性の扱いに慣れているとは思いません」
「違うから。ダンジョン探索のことよ」
また私を揶揄う言葉。頭にくることなんてなく、なんだかホッとする。彼は私を無視しない。本当に何かあったら助けてくれる。そう思える。
「ああ、以前、転移魔法で飛ばされて。その時の経験が活きているようです」
「ああ、あれは大変だったわね? 入口に近い場所に、あんなトラップがあるなんて誰も思わないものね?」
最初にカイトと同行した野外授業の時のこと。あれには本当に驚いた。まさか、あんな入口に近いところに、あんな危険なトラップが仕掛けられているとは思っていなかった。少しタイミングがズレていれば、飛ばされていたのは私だったかもしれない。
そうであったら、私は生きて戻れたのだろうか。カイトは、私の為に魔法陣に飛び込んではくれなかっただろう。
「あの時は、結局、どこに飛ばされたの?」
「……だから今言った通り、ダンジョンです」
「そうだった……カイトには悪いけど、おかげで今回は助かった。今回の課題がダンジョン探索と聞いて、少し不安だったの」
「カイト……」
呼び捨てにしてしまった。きっと頭の中で呼び捨てしているからだ。
「ごめんなさい。同じ名の幼馴染がいて」
「北部の出身ではないですよね?」
こう言うということは、彼の出身は北部なのね。彼はどういう場所で育ったのだろう。この世界での私が育った環境とは違う気がする。
「ええ、違う。別の人。呼び慣れているから、つい呼び捨てしてしまっただけ」
こんな嘘をつく必要なんてないのに。「呼び捨てで何が悪いの」と彼に言いたい。彼との距離をもっと縮めたい。
「あのさ……私は聖女になると言われているの」
「知っています。まだそう呼ばれていないことも」
「そうだね。でも……もし、そう呼ばれる時が来たら、一緒に戦ってもらえないかな?」
彼が側にいてくれると心強い。一緒にいる時間は決して長いとは言えない。でもそう思う。そう思える相手なのだ。時間なんて関係なく、信頼し、信頼されたいと思える相手。
「……誰を誘っているか分かっています? 私のランクはD。仮に貴女が聖女と呼ばれる存在になった場合でも、一緒に戦う資格はありません」
「ランクは……私はランクはあまり意味のないものだと思い始めている。実際、カイトは自分よりも上のランクの人に勝ったもの」
彼のランクは低い。これは<鑑定>で確かめている。ランクだけでなく、彼は加護も与えられていない。戦力にはならない。でも本当にそうなのか。実際の彼は強い。剣術対抗戦ではランクBの相手に剣を交えることもなく勝った、圧勝だった。
「ああ、相性もありますから。でも絶対的強者には相性なんて関係ないのでは? 聖女が戦う相手はそういう敵だと思います。私では秒で死ぬだけです」
「……そうか……そうだよね? 強いよね? なんたって魔王だもの」
魔王のランクはいくつなのだろう。こんなことを考える意味もないほど強いのだろうか。強いに決まっている。世界が恐れる敵なのだから。そんな相手が私の敵。倒さなければならない敵なの。
「それは、まあ、魔王ですから……もしかして……もしかしなくても怖いか」
「あっ……」
図星。私は怖い。魔王と戦うのが怖い。勝てる保証なんて本当にあるのか。この世界がゲームの世界だとしてもハッピーエンドだけではないことくらい、私だって分かる。バッドエンド、私が殺される結末だってあるはず。
何度もこれを考えた。何度も逃げ出したくなった。でも、それは出来ない。私が逃げたら世界が滅ぶのだから。逃げることなんて許されない。
「誰だって怖いのではないですか? ウィリアム殿下は、自分の立場を考えて、絶対に認めないと思いますけど、王家の人間ではない貴女は無理する必要はないと思う。怖いものは怖いと言って良いと思う」
「……ありがとう」
彼はやっぱり特別だ。ずっと一緒にいるアントンとイーサンもこんなことは言ってくれない。逆に聖女としての責任を押し付けてくる。この世界のヒロインである私の生き方を決めてしまう。
心が揺れる。こうすべき、しなければならない。頭では分かっている。覚悟も決めた。そのはずだったのに心が揺れてしまう。私に別の生き方を選ばせてほしい。思ってはいけないことを思ってしまう。カイトのせいだ。