
異世界転生の始まりは最高だった。ミネラウヴァ王国の貴族の中で頂点に立つウォーリック侯爵家の跡取りという立場。元の世界でも何不自由のない暮らしと言える裕福な家で生まれ育ったが、身分制のある世界は贅沢のレベルが違う。
子供の頃から何人もの従者、侍女が付き従い、何一つ自分でやる必要がない。欲しい物があれば何でも、もちろんこの世界にある物に限定はされるが、手に入れられる。自分で支払うこともない、どころか金を見たこともない。口で要求を伝えれば、数日後には届くのだ。これぞ、真のキャッシュレス、は少し違うかもしれないが。
この世界がゲーム世界で、自分が主要な登場人物であることを教えてくれたのはイーサンだ。イーサンもまた転生者で元の世界の三城(みき)。このイーサンが驚くくらいにこの世界のことを知っていた。私も、言われてみれば、やったことがあるゲームだと気付いたが、イーサンほど中身を覚えていない。かなりやり込んでいたのだろう。イーサンが持っていた知識はかなり役に立った。元の世界でも便利な奴だったが、この世界でも私の為に働く役目ということだ。
だが近頃、イーサンへの信頼が揺らいでいる。その理由は、ゲームストーリーが崩壊しかかっているからだ。
まだ王立騎士養成学校での一年目が終わるところ。まだまだ時間はある、と言いたいところだが、今の状況は酷すぎる。エミリーをウィリアム王子に近づけた。あとは一気に二人の仲は進展するはずだった。だが二人の仲は進展するどころか、幼馴染という立場の私まで遠ざけられてしまう結果。こんな話は聞いていない。どこで狂ってしまったのか。
イーサンは悪役令嬢のクリスティーナの側にいるカイトとかいう底辺貴族のせいだと言っている。この男も転生者、かと思ったが、イーサンが調べた結果、違った。転生者は<鑑定>魔法を使うと元の世界での名前も分かる。だがカイトという男にはそれがなかった。であれば、聞き覚えのある気もしていたが、転生者ではないということだ。
では何者なのか。ゲームストーリーの分岐点を作り出す隠しキャラ。この可能性をイーサンは考えた。始まりは、エミリーとウィリアム王子の結婚にケチをつけたことに文句を言いに行った時だ。カイトに文句を言っているところで、悪役令嬢が割り込んできた。追及しきれず、その場は終わり。次の時には、カイトは悪役令嬢の兄の騎士候補になっていた。私たちが二人が近づく、けっかけを作ってしまったということだ。
そこから事態は悪くなる一方。ウィリアム王子はクリスティーナとの距離を近づけていき、エミリーとの時間を作ろうとしなくなった。
ダンジョンで消え、これで事態は解決と思った。だが、悪役令嬢はしぶとい。無事に戻ってきてしまった。それならと、カイトと男女関係にあるという噂を流し、ウィリアム王子に浮気を疑わせ、破局に持って行こうと考えたが、これも失敗。
さらにウィリアム王子はクリスティーナとの時間を増やしてしまうことになった。それだけではない。私とイーサンまで遠ざけるようになった。先日の新年祝賀会なんて最悪だ。周囲にもウィリアム王子と我々の確執が知られてしまった。新年祝賀会にクリスティーナを参加させない為の署名に協力させた奴らなど、ウィリアム王子の冷たい態度に焦ってしまい、遠まわしに文句を言ってくる。ウォーリック侯爵家に逆らう力などないくせに。
このままの状況が続くとどうなってしまうのか。父親からも顔を会わせるたびに嫌味を言われる。ウィリアム王子の信頼を得られなくて、ウォーリック侯爵家を継げるのか、などという脅しに近い嫌味だ。
「いい加減、何か思いついたのかよ?」
「苛立っているのは分かりますけど、言葉遣いには気を付けてくれますか? 今の貴方と私はかつての二人ではないのですから」
イーサンのこういう態度も私をイラつかせる。元の世界では、この世界の従者と変わらない立場だったくせに、偉そうに私に注意してくるのだ。
「それで? 問いへの答えは?」
「この間の一件を考えても、問題はカイトです。彼をどうにかしなければならない」
「それは前から聞いている。どうにかというのを教えてくれ」
具体的な方法を私は知りたいのだ。問題がどこにあるかは、もう私でも分かる。その問題を解決する方法を考えるのが、イーサンの役目だ。
「消す」
「……出来るのか?」
「絶対はない。そして失敗した場合、状況はさらに悪くなる可能性が高い。彼はウィリアム殿下の信頼も得ている様子だ。疑われるようなことになれば、完全決裂という結果になるかもしれない」
「そうならない方法を考えるのが、お前の仕事だろ?」
過激なことを平気な顔で口にしているようで、実際のイーサンは臆病だ。それを実行しない言い訳のほうが長い。
「……こちらに引き込む」
「どうやって?」
「それはもう、エミリーに頑張ってもらって。私たちでは、何をどうアプローチしても彼には通じないと思う」
「お前さ……それって女を使えって言っているのか?」
私たちでは駄目で、エミリーなら可能性がある。違いがあるとすれば性別だ。
「言葉遣い。君は侯爵家の御曹司。これを忘れないでくれるかな?」
「誰も聞いてねえよ」
いちいち注意してくるイーサンが煩わしくて、普段使わない言葉遣いにしてしまう。元の世界での私に近い言葉遣いだ。だからといって、こちらが素、というわけではない。この世界でアントンとして生まれ育った六年と少しこそが、私の本質。こう考えている。
「可能性はゼロではないね。私たちばかりが、相手の様子を探っていると考えるのは甘いと思うよ?」
「ここはウォーリック公爵家の屋敷だ」
言われなくても分かっている。相手にはコルレオーネ子爵家の息子がいる。ミネラウヴァ王国のスパイ活動の多くをコルレオーネ子爵家が担っているという話だ。厄介な相手が敵側にいる。これもカイトが原因だと聞いている。
だから近頃、人に聞かせられない話は屋敷で行うことにしている。頻繁に屋敷に帰っていると、それもまた父親から嫌味を言われることになるが、どうしようもない。
「そうだからこそ、侯爵家の跡継ぎに相応しい態度が求められると思うけどね?」
「うるさいな。それも分かっている。話を先に進めろ」
こいつのこの態度は本当にムカつく。元の世界ではちょっと怒鳴っただけで怯えて、大人しくなったのに。こいつもイーサンとして育った七年間が影響しているのだろう。エミリーも同じようなことを言っていた。元の世界での自分とは微妙に違っている自分がいると。
この転生は元の世界の自分がそのまま転生しているのではないということだ。
「女性であること、優れた外見を利用するのが、この世界です。彼女はそれを最大限に利用するヒロインなのだから、問題ないでしょ?」
「だからといって……体を許すのはどうなのだ?」
「そこまでは考えていません。でも、こう上手く行かないとバッドエンドも考えておく必要があるかもしれません」
「バッドエンドはあり得ないだろ? この世界が滅びるということだ」
ゲームをバッドエンドで終わらせるわけにはいかない。それでは転生して得た全てを失ってしまう。何もかもが元の世界を遥かに凌駕するものなのだ。
「バッドエンドは主人公にとってです。脇役キャラの僕たちは、それに巻き込まれる義理はないと思いませんか?」
「どういうことだ?」
「世界が滅びるのは困りますけど、彼女が王妃にならなくても困ることはありません。逆に彼女が王妃になっても跡を継げなくなっては意味がない」
「……裏切るつもりか?」
これまでエミリーを王妃にする為に、ウィリアムの悪役令嬢との婚約を解消させる為に、様々なことを行ってきた。だがイーサンはそれを止めることを匂わせてきた。エミリーに対する裏切りだ。
「裏切りとは思っていません。王妃になる道が閉ざされた場合の彼女を思ってのことです」
「だが王妃になれなければ」
「考えてみてください。ウィリアムとの婚約が成立しなかった時、彼女はどうなってしまうのかを。聖女として戦場に出て戦うことを強いられ、そこで結果を残しても彼女には何も残りません。使い捨てにされて終わりです」
そうなるかもしれない。だがそれはウィリアムとの婚約が成立しなかった時のこと。エミリーはこの世界の主人公だ。そんなことにはならない。今は確かに苦戦している。でも何の苦労もなく終えられるゲームの、どこが面白いというのか。少しくらいの躓きはあって当然なのだ。
「王妃ではなく、侯爵夫人でも良いのではないですか?」
「……それでは私はどうなる?」
「おや? この形は望んでいない?」
イーサンは勘違いしているようだ。元の世界での関係など、転生してしまえば、無意味。私に彼女に対する未練などない。
「一人の女性に縛られることを私は望まない。多くの中の一人であれば考えても良いが、そういうタイプではないのは分かっている」
私はミネラウヴァ王国の貴族の中で、もっとも力あるウォーリック公爵家の嫡男。いずれ、侯爵家を継ぐ立場だ。美しいだけの女性であれば、いくらでも手に入れられる。それが許される。元の世界とは違う。
「……そうだな。イーサンの考えも間違っていないか。我々は色々な可能性を考えて行動するべきだ」
「では、そうしよう。せっかく転生したのだから、この世界を楽しまないと」
「ああ、その通りだ」
彼女に拘って、他の女性を手放すなんて馬鹿げている。こう考えると、イーサンの言うことも一理ある。我々は彼女に尽くす為にこの世界に転生してきたわけではない。この世界で好き放題出来るのだから、その権利を守ることを優先するべきだ。
彼女は主人公ではなく、道具。我々がより贅沢が出来るようになる為に、その地位を守る為に役立ってもらう道具だ。こう考えることにしよう。