
あらゆることが予定通りに進まない。どうしてこうなのか、理由が分からない。私に分かるはずがない。私はこの世界を知らないのだもの。
過去の記憶を取り戻したのは七歳の時。それはあまりに唐突だった。きっかけらしいきっかけは記憶にない。朝起きたら、自分が自分ではないことに気が付いた。そんな感じだった。
異世界転生という言葉は知っていた。でも私は、一部の男子たちが夢中になっていた、そういうものにはまったく興味がなかった。あるほうがおかしいもの。他に楽しいことはいくらでもある。そんなものの為に時間を使うのは馬鹿げている。
そんな私がどうして。しばらくは悩んでいた。不思議なことに記憶を取り戻す前の、私の記憶もある。当たり前のことではない。その記憶は私ではない記憶。エミリーとしての記憶なのだもの。
エミリーもまた自分。そうなのだろうと、やがて気付いた。私は、金城(ナカシロ)麗華(レイカ)。この意識のほうが強いけど、エミリーでもある。二つの人格が私の中にある。これを感じた。感じた途端、強い違和感で気持ちが悪くなった。私とは違う私がいる。なんというか、自分のアイデンティティが揺らいだ感じだった。
それでもどうにか二つの人格が同居する自分を生きてきた。今はもう違和感はない。異なる人格があるとは感じなくなった、私はエミリー。何故かこうなった。少し悩んだ。
弱々しい人格のほうがより強かった麗華としての私の人格を飲み込んだのだと思った。これを考えると、少し怖くなった。
これから私はこの世界でどう生きていくのだろう。これを考えた。
答えを与えてくれたのは同じ転生者の二人だった。自分と同じ転生者がいる。これは本当に嬉しかった。しかも一人は元の世界でも仲が良かった。私が辛い思いをしていた時に、助けてくれた人だった。
そして、この世界でも二人は私を助けてくれた。この世界のことを色々と教えてくれた。
この世界はゲーム世界。そして私はそのゲームのヒロイン。これを教えられた時は、ちょっと恥ずかしかった。さすがにヒロインはない。そういうキャラではない。そう思った。
でも私がどう思おうと世界はゲームシナリオに沿って進んでいく。私はミネラウヴァ王国の王子と出会い、恋に落ち、それだけではなく、その王子と共に世界の為に戦うことになる。魔王との戦い。これを聞いた時も恥ずかしくなった。まったく興味がなかった異世界ファンタジーのど真ん中に私は放り込まれ、なんと魔王と戦うのだもの。
二人も私と王子と共に魔王と戦う役回りだということ。これは心強かった、少しでも早く協力し合おうと私を探してくれた。私が転生した麗華だとは思っていなかったみたいだけど。
言葉の端々に転生者であることを示すものがあって、私から「もしかして?」と尋ねて、事実が分かった時は三人で固まった。それほどの驚きだった。
私は離れた場所に住んでいたので、常に一緒というわけにはいかなかったけど、三人でどうすれば強くなれるかを考え、実践した。異世界ファンタジーに興味がなかった私だけど、自分を成長させるのは楽しかった。普通の子供とは違う行動ばかりだったので、家族から頭がおかしいと思われるようになったのは、あれだけど。
そして王立騎士養成学校に入学。いよいよ本格的に物語が動き出す。はずだったのに。
「あ、あの……カイトさん」
「……何か用ですか?」
声を掛けた相手は不信感をこれでもかというくらい顔に出している。こうなるのは当然。彼とは因縁がある。嫌われている自覚は嫌になるほどある。でも、事態打開の為には彼と和解しなければならない。一時的な和解であっても。
「ウィリアム殿下とは、今日はご一緒ではないのですか?」
「……先ほどまで一緒でしたけど、今はクリスティーナ様とお二人だけで、お話しているのではないですか?」
「そ、そう……」
ウィリアム第二王子はこの世界のヒーロー。私の未来の夫。これを聞かされた時は、少し不安だった。でも実際に出会って、不安は消えた。さすがは主人公。かなりイケていると思った。
でも、二人のおかげで入学してすぐに知り合いになれたのに、まったく恋愛に進展しない。近頃は婚約者のクリスティーナとばかり一緒にいる。私がつけ入る隙はまったく見つからない。
「それでは」
「あっ、待って!」
三人で話し合って、キーマンはこのカイトではないかという結論に達した。彼はアントンに歯向かってきた。私と同じ男爵家だというのに、侯爵家のアントンに文句を言い返してきた。
悪役令嬢クリスティーナの取り巻き。そう思ったけど、二人はこんな登場人物は知らないと言う。では彼は何者か。この世界の異物。もしかしたら彼もまた転生者かと思った。でも密かに行った彼の鑑定では、その証拠は見つからなかった。
転生者は<鑑定>を行うと本名が分かる。私を<鑑定>した時にそれが分かった。アントンとイーサンはどうだったのかというと、彼らは六歳の時にそれを行っている。元の記憶が戻る前で、きちんと親に聞いたわけではないけど、その時は本名は隠れていたのではないかと考えている。隠す方法は探してもらっているけど、まだ見つかっていない。
「……まだ、何か?」
では彼は何者なのか。これはまだ分かっていない。でも、今の状況から彼が重要人物である可能性は高い。私たちの失敗は、いきなり彼と敵対したこと。その結果、彼とクリスティーナを結びつけてしまい、さらに、ウィリアム第二王子は私たちから離れた。
彼は男爵家であるのにウィリアム第二王子と親しい。私には侯爵家と宰相の息子の二人という特別な伝手があった。でも彼にはない。クリスティーナが伝手といえば伝手。でも本来、ゲームに登場しない彼は悪役令嬢一派ではない。そんな彼をクリスティーナに近づけるきっかけを作ってしまったのが私たちの失敗。これはイーサン君の考え。
「私、貴方に謝りたくて」
「今更? あっ……失礼しました。でも、本当に今更ですよ?」
感情が見えにくい、冷たい雰囲気の彼の顔に、初めて笑みが浮かんだ。見慣れた黒髪に、これは初めて見る灰色の瞳。ウィリアム第二王子とは違う、ただの美形とは違う、不思議な雰囲気を漂わせている彼。
「…………」
「えっと……まだ、何か?」
「あっ、いえ……でも、やっぱり、謝らせてください。ごめんなさい。それと……出来れば仲直りを」
見惚れてしまった。彼の瞳はヤバい。正面から見つめられると、心が吸い込まれそうになる。そんな風に感じてしまう。彼は、隠れ攻略キャラ。アントンが考えたもう一つの可能性。それも有り、だと王妃になれないのか。
「……仲良くするのは、立場上、難しいと思います。こちらから敵対するつもりはありませんので、そちらもそうしてもらえると」
「仲良く出来ないのはクリスティーナのせいですか?」
「そういう言い方のせいです」
クリスティーナがいるせいで彼とは仲良くなれない。結局はこういうことなの。悪いのはクリスティーナ。悪役令嬢である彼女の存在が、私の邪魔をするの。
でも、二人は否定したけど、私は別の可能性を捨てていない。
「……ねえ、カイト」
「いきなり、呼び捨て?」
「あっ、ごめんなさい。クズミくん」
彼がやはり転生者である可能性。私はまだこれを疑っている。カイトという名前を私は知っているの。幼馴染だった、でも絶対に許せない憎むべき相手に変わった彼の名。
「そのクズミクって……魔法ではないですよね? だとしたら、ミクの意味は分かりませんけど、クズ呼ばわりですか? 貴女、本当は仲良くするつもりないですよね? というか喧嘩を売っている」
「……えっと……違うの」
彼の「クズミ」への反応は呆れ。呆れた顔で私を見ている。呆れ以外の反応、驚きも動揺も私には感じ取れない。勘違いなのか。たまたま同じ名だっただけなのか。
「じゃあ、クズミクって何ですか?」
「それは……方言。私が生まれた地方の方言なの」
咄嗟に思いついた言い訳。迂闊にも勘違いであった時のことを想定していなかった。でも、これでなんとか誤魔化そう。
「意味は?」
「…………」
「クズミク」の意味。こんなの咄嗟に出てくるはずがない。そもそも「クズミク」じゃなくて、「クズミくん」だから。
「貴女は……まあ、意味が何であっても仲良く出来ないことに変わりはないか。もう良いです」
「あの、違うの! 私は本当に貴方と仲直りしたいの!」
これで終わっては、声を掛けた意味がなくなる。それどころか彼を不機嫌にさせただけになる。彼が転生者でないのであれば、やっぱり仲良くならなければならない。そうしないと、最悪、世界が滅んでしまうもの。
「まったくそうは思えません。でも……せっかくの機会なので、ひとつだけ忠告を」
「忠告? それってどういう……?」
「仲の良いお二人との距離感に気を付けたほうが良いと思います。そちらは私とクリスティーナ様の、ありもしない関係を攻撃ネタにしていますけど、自分たちがどう見られているかには気付かないのですね?」
「えっ……?」
彼の言葉の意味が分からない。意味が分からないというのは違う。彼の言う通り、自分たちがどう見られているかなんて、まったく考えたことがなかった。私たちはどう見られているのか。彼は何を言いたいのか。
「とんでもなく失礼なことを言いますけど、これは真剣な忠告です」
「……はい」
「二人の男性を同時に相手にするような女性は妃にはなれません。事実はどうあれ、周囲にこう思われてしまっては」
「……そ、そんなのない! 私はそんなことしていない! あり得ないからっ!!」
そんな事実はない。二人は友達、付き合ってもいない。それは、元の世界で榊とは、少しそんなこともあったけど、この世界ではまったくない。王妃になる私が、そんなことをするはずがない。彼に忠告されなくても分かっていた。
「分かっています。ただ問題は周囲にどう思われているかです」
「でも……」
「気を付けてください。騎士になる為に学んでいる学生だとしても、貴族のゴシップ好きは変わりないようですから」
「…………」
最後にまた笑みを浮かべて、去って行く彼。その彼を引き留めることが私は出来なかった。今回は見惚れていたからではないの。彼の忠告が衝撃だった。自分がそんな風に見られていることがショックだったの。
あり得ないから。彼の言う噂が広まれば、私は王妃になれるはずがない。元の世界での私でも分かることよ。何とかしないと。でもその方法が見つからない、頼るべき二人に頼る気には、今はなれなかった。